- 『夏休みと自転車(仮)』 作者:高岡アキラ / リアル・現代 未分類
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原稿用紙約12.7枚
ニュースの天気予報によると、明日の天気は快晴。
僕は高校二年の夏、一人旅に出る決意をした。
押し入れから大きなリュックを取り出して、要りそうなものをつめていく。
サイフ、タオル、デジカメ、MDプレーヤー、お気に入りのMDにチャリのカギ、それからスケッチブックと色鉛筆。携帯もいるのかな。思っていたよりずっと荷物は少なくて、リュックはペチャンコだったけど、荷物は増えるかもしれないし。僕は早起きが苦手だし、今日はさっさと寝てしまおう。
窓の外では大きな満月が僕を見つめてる。
携帯のアラームが五時に鳴った。なんだか幸福な夢を見た気がしたけれど、アラームの音で頭の中から消え去った。
寝ている親を起こさないようにそっと準備をして、食卓の上に置き手紙を残しておいた。
『夕飯までには帰るから』
これは僕の、たった一日だけの一人旅のお話。
僕の愛車はオレンジ色の三段変速ギア付きの自転車だ。中学入学のときに買ってもらった僕の相棒は、今のところ無傷で頑張ってる。
僕が旅に出る決意をした理由の一つは、コイツともっといろんな道を走ってみたからだった。僕は毎日コイツにまたがるけれど、通るのはいつも同じ道。学校までの片道五分の道のりだ。川沿いを行くその道は、案外僕のお気に入りだったりするのだけれど。
とりあえず目指すは海である。行けるところまで行って、昼になったら折り返す。それだけが、僕のこの旅でのルール。
僕の住む田舎町には、山はあれども海はない。山を一つ越えて隣の市に入れば、僕の目指す海が開けているはずだ。
いつも遅刻ギリギリに教室に駆け込んでいる僕にとって、早朝五時半の空気は新鮮だった。今年の夏はあんなにも暑いのに、朝の空気は清々しい。なんだか涙が出そうだった。
とりあえずコンビニに行って食料の買い出しだ。最近できたやたら大きな、緑色の看板の店に向かった。おそらくアルバイトであろうハタチぐらいのレジうちのお兄さんは、休日の早朝に大きなリュックサックを背負ってやってきた高校生の僕を少し不信そうに眺めたけれど、すぐに僕から目を離した。
店内にはトラックの運転手らしきおじさんが一人。背は高く、無精髭をはやし、作業着を着て、頭にはタオルを巻いていた。そんな格好だったから、僕はおじさんの正体に気づくのに、少し手間取ってしまったんだ。
それは僕の父親だった。
今朝見ていたのは父さんの夢だったのかもしれない。
うちの家族は母子家庭というやつだ。僕が小学校三年生のときに両親が離婚をした。そのときの僕にはその理由はよく分からなかったけど、今思えば自由気ままな父さんを家庭に縛り付けておくことが、母さんには耐えられなくなったんだろう。
幼い僕は、母親のことを「この人は一人では生きていけない人だ」と判断し、母親と暮らすことを決めた。だけど僕は父さんのことが大好きだったんだ。滅多に会えなくなった今も、それは全く変わらない。
声をかけようか迷っていた。コンビニの掛け時計に目をやると、針は五時四十三分をさしていた。一人旅を始めてわずか十三分で実の父親にあってしまうなんて。そうこう考えているうちに、振り返った父さんと目が合ってしまった。
「んあ? 何やってんだお前」
驚いた顔で父さんは言う。最後に会ったのは僕が中学に入るとき。入学式に両親そろって出席してくれたことが、無性に嬉しかったのを覚えてる。
片眉が上がる癖は今でもやっぱり変わっていなかった。言葉に詰まっている僕に、父さんは笑いながら言った。
「母さんに隠れてエロ本でも買いにきたか。あ? ばれねぇように気ぃつけろよ。そんなもん見つけたら母さんぶっ倒れちまうぞ」
カッカッカっと大口で笑う。通り抜け様に僕の肩に手を置いて、父さんはレジへと歩いていってしまった。四年ぶりに会った息子に対し、「久しぶりだな」も「大きくなったな」も言わず、ただただ母親にエロ本が見つからないように、とのアドバイスを残してその人は去っていった。
あっけにとられてしまったけれど、それでこそ僕の親父だ。そして、このアドバイスは僕にはもう不要だった。エロ本の隠し方なら、四年も前に教わった。
四年前の春。その年の桜は早咲きで、入学式の日には葉桜になりつつあった。
父さんはその日のために買ったストライプ入りの黒いスーツを着て、初めて見る僕の学ラン姿よりも、自分に見入っているようだった。母さんは少し呆れていたけれど、客観的に見ても、あの日の父さんは格好よかったと思う。新しいクラスメイトたちの父さんへの視線を感じ、僕は誇らしかったんだ。
式を終えて家に帰ると、父さんが僕の部屋にやってきた。一階からは母さんが包丁でまな板をたたく音が聞こえてた。その日の校長先生の話はちっとも覚えていないけど、父さんの話は忘れない。内容は言わないよ。とっておきの隠し場所を、母さんに知られたら大変だからね。
その日何年かぶりに家族そろって食べた昼食は、母さんお手製のオムライス。僕のオムライスには、父さんがケチャップでした落書きがあった。
ミネラルウォーターとおにぎりを買って店を出た。がらんとした駐車場。
僕はタイヤ止めに腰掛けて、スケッチブックを取り出した。黒色に色鉛筆で父さんの笑顔を描いてみる。絵には自信があったけど、うろ覚えで描いたその顔は、なんだか本人よりずっと格好いいみたいだ。
スケッチブックから顔を上げると、自転車に貼った緑のステッカーが目に入った。自転車通学の許可を示す学校のステッカーだ。昔のことを思い出して夢見心地だった僕は、一気に現実に引き戻された。
僕の通う高校は、伝統を重んじる中途半端な進学校。県で一番なんてほど遠いけど、生徒の大部分は国公立大学へ進学し、教師たちはそれを誇りに思っているらしい。生徒たちはその誇りに答えようと勉学に励み、部活動にも学校行事にも積極的に参加している。
あの学校から見える景色はすごく好きだけど、それでも僕は、何となく皆がいい子を演じてる感じのするあの学校を、いまいち好きにはなれなかった。
そういう僕も、学校という劇団の役者の一人なんだけれど。
気を取り直して立ち上がる。リュックからMDプレーヤーを取り出して、左耳にだけイヤホンを入れる。「危ないから自転車に乗るときは両耳を塞がないで」という母さんの教えを、僕は忠実に守ってる。それは身を守るために重要なことだけど、僕は時々こんな自分が嫌になる。
再生ボタンを押すと、左耳からゆずの音楽が流れ込んだ。この曲は最近の僕のお気に入り。夏のサイクリングに最適のさわやかな一曲だ。
そして僕は愛車にまたがり、力を込めてペダルを踏んだ。
アルバム五曲目のバラードが終わる頃、山の頂上についた。海へ出るのに山を登りきる必要はないけれど、頂上で朝食をとろうと決めたのだ。そこは小さな展望台になっていて、僕の町を一望できる。赤い屋根のが僕の家だ。時計を見ると六時二十分。母さんはきっとまだ寝てる。
ぼんやりと景色を眺めながらおにぎりをほおばっていると、足に何かが当たる感触がした。目をやるとそこにはサッカーボール。小学生くらいの男の子が、緊張したような顔で僕を見ていた。いかにも温室育ちのおぼっちゃま。汚れたサッカーボールはちっとも似合っていない。
「あ、ご、ごめんなさい」
目が合うと男の子はそう言って頭を下げた。見渡しても他には誰もいない。こんな時間に一人で何をしているんだろう。……て、この子も僕のことを同じように思っているのかな。
軽く笑顔をみせて、そのこにボールを蹴り返してやる。男の子はまた頭を下げて、嬉しそうに展望台の横の公園へと走っていった。そして転けた。結構派手に。
「大丈夫か?」
僕が駆け寄ると、どうやら泣くのを必死に我慢しているようだった。膝を擦りむいている、とにかく洗ってやらなければと思い、公園の手洗い場へ連れて行った。
「ありがとう」
傷を洗ったあと、ようやく涙がひいたらしく男の子は言った。一人で何をしていたのかと訪ねると、少しの沈黙のあと少年は言った。
「ママがね、サッカーなんかやっちゃだめって言うんだ。あぶないからって。それよりおべんきょうしましょうねって。ぼくはサッカーやりたいのに。だからぼく、ママにないしょではやおきしてれんしゅうしてるんだ」
ヤバい、と思った。もし今このこの母親に見付かったら、僕は誘拐犯にでもされかねない。怪我は大したことないし、これ以上この子と関わるのはやめようと思った。
だけど気弱な僕は、男の子の誘いを断り切れなかったんだ。
「おにいちゃん、いっしょにやろうよ」
そこには満面の笑みがあって、また僕は少し自分が嫌になった。
自慢じゃないけど僕は運動が苦手だ。中学の頃からずっと美術部に所属している僕は、サッカーボールを蹴ったことだって数えるほどしかない。それでなくても、初めて好きになった女の子をサッカー部のやつにとられて以来、僕はサッカーってやつが嫌いなのだ。皮肉なことに、男の子の整った顔立ちは、僕の初恋の君にどことなく似ている。
あれは小学校四年のとき。同じクラスのミホちゃんは、お医者様の一人娘で、洋服から消しゴムに至るまで、他の女の子たちは少し違うものを身につけていた。それでも少しも鼻にかけず、いつも女の子達の中心にいた。同級生達が部活に入って汗を流していた間、僕はいかにしてミホちゃんと仲良くなるかってことばかり考えていた気がする。そんなだから駄目なんだと言われてしまえばそれまでである。
「ミホねー、サッカーじょうずなひとがすきー」
必死な思いで告白した僕に彼女はそう言って、隣のクラスのサッカー部員と付き合いだした。僕は今でもたまに後悔をする。あのときサッカー部に入っていれば、逆玉に乗れていたかもしれないのに……。
足下にサッカーボールがある。どうやら僕が蹴る番のようだ。淡い思い出にトリップしていた僕は急いで男の子にボールを蹴った。元々へたくそなのだから、小学生相手といっても手加減する必要な全然ない。
「おにいちゃんは、サッカーすき?」
「まあまあかな」
嫌いだと言いかけて言葉を変えた。僕の蹴ったボールが宙を舞う。
跳びすぎたボールを追いかける男の子はとても楽しそうに、無邪気な笑顔を浮かべている。
「ぼくね、おっきくなったらヒデみたいになるんだー」
少し照れて男の子は言った。
「おにいちゃんはなにになるの?」
少しの沈黙。そして、僕らの脇で目覚まし時計が鳴った。
ジリリリリリリリリリリリリリリ……
「あ、かえらなきゃ! 七じになるとママがおきちゃうんだ」
男の子は目覚まし時計とボールを抱え、僕に手を振って帰っていった。
なにになるのか、というそのありふれた質問が、僕には衝撃的だった。
僕は一体、なにになりたいんだろう。
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2008/05/10(Sat)00:35:07 公開 / 高岡アキラ
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■作者からのメッセージ
初めまして。高岡アキラと申します。
初投稿でドキドキしています。近いうちに続きを更新したいと思います。
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