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『過ぎていく物。そこに残る物。』 作者:うぃ / リアル・現代 ショート*2
全角2132文字
容量4264 bytes
原稿用紙約6.35枚

 中学二年生の夏休み。友人の家に遊びに行った度に目に入っていた可愛い少女が表紙に描かれている小説の事を、僕はいつも気になっていた。
「ねぇ、ちょっとそれ見せてもらって良いかな?」
 蝉の鳴き声が耳を痛ませる八月の初頭。気が狂いそうな位鳴り響いている鳴き声から気を逸らそうと一冊の本を手にとって、僕は彼にそう提案した。
 昆虫博物館や新約聖書、それに読み方すら判らない難しい漢字で書かれている哲学書が並んでいる彼の本棚。その中でその本は他の数々の本と比べて明らかに控え目に置かれていて、まるで彼がその本に対して感じている気恥ずかしさを表現しているようだった。
「どうぞ、ご勝手に」
 偉く他人行儀な一言で、僕の中の疑惑は確信に変わった。子供のエロ本で見付けた親かのような焦燥と期待感を必死に心の隅に押し込めて、僕はその本を手に取って、むさぼる用に読み進めていった。
 それは、僕の知らない世界だった。
 当時の僕が知っていた小説と言うのは、つまり文学に直結する物だったのだ。森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介みたいな文豪たちが薄気味悪い笑いを浮かべて、一般人には到底想像もつかない様な鬱々しい話を書き連ねながら思い出したように”吾輩は猫である”なんて言う奇発な冗談を口にする物が、あの頃の僕にとっての小説と言う物だった。
 それは、僕の知らない世界だった。
 異世界に呼び出された中学生の主人公。何故だか世界を救う英雄に祭り上げられていた主人公。表紙の可愛い女の子の我儘に頭を抱えながらも、一歩ずつお互いの距離を縮めていく主人公。彼は遂に目的の魔王の元へとたどり着いて、その心臓に刃を突き刺すのだった。当然物語序盤で懸念されていた魔王を殺してしまえば自分も死んでしまうという呪いは元から無かった物の様に扱われ、最後のページではヒロインの少女と、抱き合って口付けを交わしている絵で締めくくられていた。
 昼食を澄ませてから母に夕食だから帰ってきなさいと言われるまでの数時間、僕は、隣で座っている友人の事すら忘れ去って、そんな陳腐な物語に熱中した。
 興奮で自分の鼻息が荒くなっているのが判る。彼は本を読み終えた直後、本当に五分もしない内に家に帰ると言った僕の事を怪訝そうな細い瞳で睨みつけて、やれやれと首を振った後、僕から少しだけ視線を逸らして、
「……また読みたくなった家チに来いよ。似た様な本は、他にもあるからさ」
 透かせば向こうの景色だって見えてしまいそうな程薄っぺらい無感情に包まれた、まるで秘密基地を作り上げた子供みたいな純粋な喜びの声を上げたのだった。
 秘密の共有だった。

 その年の夏休み、僕はそれ以外の娯楽を知らないとでも言うかのように、足繁く彼の家へと通っていた。
 読み漁った本は最初はファンタジー、次は伝記物。まともな物語と言う物に飽きてきて、俗に言う学園ラブコメディ―と言われるジャンルの物すら読み終えた後に僕が知る事になったのは、ある一つの核心めいた仮説だった。
 片仮名とかローマ字とかを不用意に使うのって、凄い格好良い事だ。
 ロバートとかジェームズとか、それこそ生唾物だ。


     ■


 それから三年が経った。
 それだけの時が経っても僕は彼の家へとよく遊びに行っており、やっぱり彼との対話の中に空白が出来た時などは、ライトノベルと言われる物を手に取り談笑していた。
「でもさ、やっぱり僕はアメリカンなハードボイルドとかよりも、やっぱり和風な優雅さと言うか、風雅な物に心を奪われるんだよね」
「判ってねーなぁ。お前さ、黒人男性の無意味なまでに分厚い胸板とか、葉巻を吸っているカーボウイの格好よさが判ってねーんだよ。
 それに何つっても、やっぱり外人の女はきょにゅーが多いんだよ!」
「……残念だけど、僕は二次元世界に置いては貧乳の方が好きなんだよね」
「よしそこに並べ。おっぱいの素晴らしさが判らないお前に、俺が貴重な時間を投げ打って、一つ教授してやろう」
 最初の頃の気恥ずかしさも無く、僕等は物語に登場する美少女についての好き嫌いまで語り合っている。もし他の友人にでも聞かれたらその場で首を掻っ切って死んでしまいたくなるような秘密の自分を、彼の前でだけ曝け出せるのが心地よかった。
 三年間。僕が彼と過ごした濃密な、汗臭さや鼻にツンと残る青臭い刺激臭すら香る時間の中で、当時とは違うある一つの核心が心を捉えていた。
 読み辛い漢字とか当て字を使うのって、なんて格好良い事なんだろう。
 静寂とか蒼とか翠とか、失禁してしまいそうな程刺激的な響きで溢れている。


     ■


 趣向は変われどもその本来の立ち位置は変わらない。僕の心の琴線に触れていく物は三年周期で変わっていき、きっとこれからも、流れゆく四季の様に移り変わっていくのだろう。
 それでも一つだけ、僕が胸を張って言える事が、たった一つだけある。あまりに陳腐で人に言えば鼻で笑われてしまうかもしれないし、そう言う物を毛嫌いしている人ならば、或いは激昂して掴みかかってきそうな事だけど、僕にとっては大切な事実だ。
 陳腐で貧相で、それでも夢と希望を与えてくれる物語と言う物が、僕は大好きだと言う事だ。
2008/04/27(Sun)20:28:32 公開 / うぃ
■この作品の著作権はうぃさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
作者の実話と見せかけて、実は全くそんな事はありません。残念ながら僕にはラノベとか自作小説について熱く語れるようなタイプの友人がいない為、むしろ願望と言った方が近いかもしれません。
課題は、短くて起承転結を考えなくても良いから文章表現を丁寧に、という物です。実際のところどうだったかは自分では判断できませんので、ご感想を頂けたらとてもありがたいです。
それとあまり関係のない事ですが、近い内に長編を書いて投稿してみようかと思います。原稿用紙200枚以内程度に収めて、ちゃんとハッピーエンドで終わるような物を、と考えております。
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