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『アピアランスアライアンス』 作者:赤山 松樹 / ファンタジー 未分類
全角10043文字
容量20086 bytes
原稿用紙約35.2枚

 幸せとは、誰かの不幸の上に成り立っている今の自身である。
 幸せになりたいのであれば、単純に幸せになるための力を行使していればいい。
 限られた秩序、歪んだ愛情、自己決定のない感情、復讐心だとか
 こんな遠回りな概念を持ち続けるより、実直に幸せになろうとしていればいいのだ。
 仮に遠回りな道の後に幸せがあったとしても、誰からも理解して貰えない
 幸せなんて、あんまり幸せではない。
 他者からの評価は、割と馬鹿にできたものではない。




 クライド=リーブレストは、フレインズブルグの、桜の並木道を歩いていた。
 四月である今頃は、ソヨメイヨシノがまさに百花繚乱の如く満開になり、
 人通りの多い並木道の青空を占拠した。

「桜やべーな。本当にやべーな」

 彼は今年で十九になるから、桜を見る機会である春は十八回あった。
 しかし、クライドが桜の花を見るのは今春が初めてである。
 一年前まで居たトーエンズルーフシティは、極寒の地だったし、
 春でも桜の花が見れるような場所ではなかった。
 フレインズブルグに例年のように訪れた春と、乱れ咲く白い花は、クライドから見れば
 衝撃だった。 

 このまま、花見とやらをしようか。
 彼は一瞬考えた。
 しかしこの思いつきは、一秒もかからず破棄、今日、外出した目的を果たす事にした。
 酒場に来たのだ。
 メインロードを避けるかのように、路地裏にある古ぼけてはいるが割と規模の大きい
 酒場。ここにクライドはやってきた。
 
「トワッドは何処だ?」

 彼が入り口をくぐると、中は完全に外界とは離反した世界だった。
 申し訳程度の照明の下にいくつものテーブルがあり、これを人々が囲っている。

 酒を暴れるように飲む者。
 女性を口説く者。
 友と語らう者。
 商談中の者。

 彼はこのうち
 商談中の者にカテゴライズされるのが最も近かった。
 クライドは、やや暗い店の中を歩み、やがてひとつのテーブルに
 到着した。

「よう、何でも屋」

 テーブルの上の料理をつまみながら、クライドの友人、
 トワッド=フロンダーレは、軽く会釈した。
 よく見えないが、どこかの有名なブランドの服を着ている。
 金があるらしく、身に着けている服はいつも高級だった。

「今日はカウンターじゃないのか」

 クライドは目の前のイスを引いてそこに座る。
 並べられたいくつかの料理をじりじりと眺め、一番遠くにあった
 料理にフォークを伸ばし、口に運んだ。

「近くに嫌な知り合いが居たんだよ。あいつとは絡みたくない」

 どうやらカウンターの近くに、トワッドと上手く行っていない人物がいたらしい。
 このような酒場では、喧嘩が起こらないはずがないし、
 ともかく争いを忌避する性格の彼にしてみれば、騒ぎも起こしたくないのだろう。

「誰だよ」

 クライドは、やや不審気に尋ねる。
 疑いの目で、トワッドをじとーっと見た。

「ほっとけって。だから今日はおとなしく話そうぜ」

 ふむ、と彼の事情をここで汲み取った彼は納得した。

「ビビりかお前は。シャンディー・ガフあるな、これ俺の?」
「ああ、オーダーしといてやったよ。ほら」

 クライドは一言言って、自身の好物であるカクテルの一種の有無を聞いた。
 彼のシャンディー・ガフへの執着は結構半端ではない。
 トワッドは、わずかに微笑みながら、白いボトルのシャンディー・ガフを
 指で示す。
 上機嫌な表情でクライドはボトルを手に取り、自分のグラスに注ぎ、
 続いてトワッドのグラスへと、シャンディー・ガフを注いだ。


「勿論奢りだよな」

 くい、とグラスでアルコールの味を楽しみながら、彼は言う。

「しゃあなしのな」

 ありがと。一言言って、彼はカクテルを一気に呑み切る。
 砂漠で何日もさまよった者が、見つけたオアシスの水を乱暴に飲むような、
 そんな光景にも見えた。

「あーうめぇ。この一杯に比べれば残りの人生はオマケみたいなもんだよ」
「満足したか? じゃあ、商談……というか報酬の受け渡しなんだが」


 ふぅ、と一息ついてから、トワッドは話し始める。
 同時に、懐から封筒を取り出しテーブルに置く。
 手紙ではなかった。手紙であるとしたら、封筒がテーブル上で自立したりすることはない。
 ぴん、と、立った封筒を指で弾き、クライドの方へとこかす。
 倒れた衝撃で甘かった封が外れ、中から、大量の紙幣がはみ出る。

「ん? あぁ。奢ってくれたしもういいよと言いたいところだけど……
 仕事は仕事だからな」
「約束通りの一万センド。確認してくれ」

 一万センド。フレインズブルグの通貨価値の中でなら、大人一人、一年暮らせる。
 倭国の通貨で言えば百二十万、隣国のレリギシアで言えば七千パルにあたる。
 言うまでもなく、まとまって受け取ることはまず無い、大金だった。

「ひいふうみいふうひいふうみいふう……うん、あるぜ。ありがとな」
「いいよ。俺の金でもないし」

 これまたクールにトワッドは言う。
 俺の金ではない、というのが、クライドにはわずかに気になった。

「でも、あれだけの依頼で一万センドって、貰う側から言うことじゃないけど
割りにあってないぜ。もっと安くしてやったのに。大体、あの山の奥に何が……」
「おい、言うな」

 トワッドは、声を少々あらげて、クライドの言葉を遮断した。
 機密事項だ、依頼人のプライベートくらい守ってくれよ。

「おっとっと、悪い悪い。けど気になるもんなんだよ、俺の性格上」
「頼むから、秘密にしといてくれ。俺の今後に大きく関わる。……あー、
俺もう仕事だし、帰るわ。代は置いとくから食って帰れよ」

 最後にシャンディー・ガフを飲み干した彼は、
 座席から立ち上がる。

「お前の仕事って何だっけ」
「秘密にしてるんだよ」
「謎の多い男だな」
「俺かっけぇー。じゃあな」

 カウンターを避けて、彼は足早に店から消えた。
 ……怪しい。
 親しい仲だ。クライドがフレインズブルグに来た時も色々世話になった。
 今も世話になっている。しかし、何かと謎が多いのはやはり疑問だし、
 一年の付き合いになっても身元がいまいちはっきりしないのも異様だった。
 クライドも人間的には波長の合うヤツだとは思っているが、
 どうしてもシークレットな部分を気にしていた。

「ホント謎だよな。ちょっとこえぇな」

 彼は残りの料理を、シャンディーガフとほかのカクテルと共に完食した。
 幸せな時間だった。彼は呟く。

  「お膳立ては完璧だ」

 酒場の出口。
 トワッドは言った。あからさまに不機嫌な表情で、
 煙草を口に咥えながら。
 彼は、今。
 何かを達成していくために何かを犠牲にしていく。こんな、
 矛盾した、理念の輪に苦しんでいた。
 しかしこのような理を信じているのもまた事実である。
全部の事が思い通りにいく? 行く筈がない。
 一人一人の描く思い通りが同一な物でない以上、起こる事柄全部分が
 予定と同じはずがない。酷似していることも珍しい。
 これは真理だと、トワッドは考える。
 だから人間は、欲張ってはいけない。謙虚であるべき。
 パーフェクトより、ベターな選択。クレバーと言ってもいい。
 人間の思う望みがいくつもあるならば、望む人数が一番多い道を選べば良い。
 例え、この選択によって犠牲が払われようとも。

  「ええ、ご苦労様だこと看守君。んふふ、貴方のようなモラリストは
  私のような人間を動かす事は極めて遺憾でしょうね。ふふ」

 まるでこの世で最も美しい景色を見た時のように、満面の笑みを浮かべて
 {彼女}は言う。
 ちっ、とこれまたあからさまな舌打ちをしたトワッドは。ばつの悪い顔をして
 彼女と言葉を無視して続ける。
 
  「……後はお前がしくじるかどうかだ。いいな、失敗があっては困る」

 語気を強めてとでも言うのだろうか、声をわずかに荒げて言う。
ふふん、またも挑発的に微笑んだ{彼女}自体が、トワッドを苛つかせた。

  「あら、私を誰だと思ってるの?」

 右手でロングの髪の毛をふわりと撫でながら、彼女はトワッドに問う。
黄色い色の髪に、デニムのパンツ。上半身は、ちょっと派手目な配色の服。
 これに茶色いコートを羽織る彼女。両太ももの端には、何かの刃物を入れる鞘があった。
  
  「殺し屋、ラッキー・ルチアーノ」

 またの名を、『無秩序の女神』、『緑林の轟音』、『幸運の死者』……
 その他、呼び名多数。そしてどの呼び名も、決して大言壮語ではなかった。
 名前負けはしなかった。
 紛れもなき事実なのだ。揺らぎなき現実なのだ。
 彼女は殺し屋、ラッキー・ルチアーノ。
 ルチアーノに命を狙われて、生還出来た者はいない。
 気分屋の彼女が気分で見逃した一部のターゲットを除いては。
  
 
 「よく分かっていらっしゃるわ」
 「……秩序を守ってくれ。俺が言えるのはそれだけだ」

秩序。彼が言う秩序を守るのは、彼が守ってほしいと言った相手は、
 一部で「無秩序の女神」と呼ばれているヒットマンだった。
 皮肉でしかなかった。

  「貴方の言う秩序って、とても攻撃的ですわ」

 確かに、ルチアーノの言うとおり、トワッドのやろうとしていることは、
 積極的な秩序の維持、といったものである。
 間違いなのか、正解なのか。
 この辺からは哲学である。

  「でないと成り得ないものなんだ、秩序とは」
  「……歯切れのいいこと。迷いの無い様は嫌いじゃないわ」
  「勘弁してくれ」
  
 やれやれ、と、両手を軽く振って答えるトワッド。
 同時に煙草を小型の灰皿に押し付ける。

  「漫然と幸せになりたいと言っているより余程マシですわ」
  「あぁ。秩序ある世界。これが重要。これが俺の主張しているテーマだ」

 排他的秩序の肯定論。多数の安定のために少数を犠牲にしていく。
 諸刃の剣のようなこの理論は、次善を常に獲得できる優秀な理念である。
 トワッド自身に、この理論を疑う余地など、当然のようになかった。

  「ふふ、わかりましたわ、それほどに言うなら、私も仕事をしましょう」
  「……あいつらを頼むぞ」
 
 了解。
 言って、ルチアーノは、どこかへと行った。



 辺鄙な場所にある割りにこの酒場は規模が大きい。
 置いてあるアルコール類の数も、かなりの種類を保有している。
 メジャーな物であれば基本的には置いてあるし、ちょっと珍しい物
 でも、大抵はここのカウンターを眺めれば見つけることができる。
 クライドは、この中である一つのボトルを見つけた。
白い瓶には、倭国の文字で上善如瑞(じょうぜんみずのごとし)と、品名が書かれていた。
 故郷で妻母と一緒に暮らしている父親が、好んだ酒だ。好きが過ぎて彼が新しい魔法を
 発見した時、この名前を魔法の名につけてしまったくらいだ。
 
 「ちょっといいかしら」

 考えていた時、クライドのテーブルに、一人の少女が突如現れる。
 イスを引いて、腰を下ろした。
 風貌は十八、十九、あるいは二十歳くらいの若い女性。
 明るい茶髪のミディアムショート。臙脂色のエクステンションが目立った。
 普通のジーンズに普通の服。ごく普通の、女の子である。
 
 「……誰だ?」

 突然の来客に多少戸惑いながらも、クライドは聞いた。
 
 「あなたね、何でも屋っていうのは」

 彼女はクライドの問いを聞かず、逆に質問をした。
 なんと強引な女の子なんだと、クライドは思う。

 「うん。俺だよ。君は誰?」
 
 今度はフォークで彼女を指してもう一度問うクライド。

 「私は……アルシェ。アルシェ=ウィーゼンハント」

 アルシェは、クライドの問いに答えた。
 彼女もまた、何でも屋の力を借りようとしていた。

 「依頼。聞いてくれる?」

 両肘をテーブルに立て、両の手を顔に近づけ、頬を手に乗せ、
 可愛らしい表情でクライドを見た。考えてみれば女の子と話したりなんて
 ご無沙汰している。だからと言って、クライドも話も聞かずに依頼を
 聞き入れるような事はしなかった。

 「え? あぁ。でも、今日は」

 決まり悪く、言葉を返した。

 「?」

 きょとん、とした表情をしたアルシェ。
 
 「酒入ってるから、ちゃんと話聞けないよ。明日にしてくれない?」
 「大丈夫よ」
 「……どうして?」
 「ふふ」

 彼女は優しく微笑んで、床に置いたアタッシュケースをテーブルに上げて
 中身がクライドに見えるように、ケースの錠を外した。
 クライドは、己の視覚が正確性を失ったのかと疑わざるを得ない事実を見た。
 一瞬にして、彼の酔いが吹き飛んでしまう。

 「九十万センド。何でもできるでしょ?」
 
 札束がぎっしりと詰められたアタッシュケースと、
 九十万センドという莫大な金額に、クライドは言葉を詰まらせる。
 
 「きゅうっ……!?」

 九十万センド。先程のトワッドの依頼の、丁度九十倍の金額。
 無駄使いをし。なければ、大人一人が九十年、つまり一生労働に従事せず
 暮らせる金額である。レリギシアの通貨で言えば六十三万パル、倭国通貨なら
 一億円強だ。普通の少女が、何故このような莫大な金を抱えているのだろうか。

 「お、おい! あっちのテーブル見てみろ!」
 「な……何だよこの金! じょうちゃん、あんた何でこんなに……」
 「ふふ。びっくりした? おじさん」
 
 店にいた客が集まる。一瞬にして、クライドとアルシェのテーブルは
 ギャラリーの輪で囲われた。危険な状況である。力尽くで彼女から金を
 奪う輩がいないとは言い切れない。クライドは慌ててケースを閉じ、
 アルシェに押し付ける。早くここを離れねばならない。
 折角、大金の得る大仕事に出会えたのだ、ここでいざこざを起こして
 無かった事にしたくない。

 「とりあえず、ここを出よう」
 「あらら」
 
 ギャラリーを掻き分けて、アルシェとクライドは酒場を出た。
 後頭部に、野次馬達の羨む声が刺さる。



          + + +

 腕時計を見ると、昼三時を回っていた。
 相変わらず、春の陽気が漂う。雲はなかった。
 幸せだなあと、彼は言う。 

  「依頼は何なんだ? ウィーゼンハントさん」

 雑踏を掻き分け踏み終えた街中の小さな広場のベンチ。
 うざったそうにこちらを見ていた先客の三毛猫に会釈して二人は座る。
 道を歩く人々が、微笑ましい顔でベンチに佇む二人を見た。

  「アルシェでいいよ。こっちの方が呼ばれなれてる」

 彼女は言う。クライドが僅かににやけた。

  「いつも名前で呼んでと言っているのかい」

 期待したような声で、クライドは聞き返した。

  「ええ」
  「……うーむ。とりあえず、依頼を聞こうか」

 唸るクライド。男が馬鹿な生き物であることがよくわかる
 一連の流れである。天を仰いだ。晴天の青空が俺を馬鹿にしている。

  「簡単に言えば、私のやりたいことのお手伝い。刑務所に入るの」
 
 アルシェは、傍らにいる三毛猫を撫でながら言う。
 人馴れしている三毛猫は逃げない。
 例え顎を撫でる人間がアルシェのような少女ではなく、
 凶悪な犯罪者であったとしても猫にはまるで問題ないのだろう。

  「……?」

 刑務所に入る、という事がクライドにはいまいち意味がわからない。
 ……逮捕希望なのか? と。

  「いや、自首したいんじゃなくてね。刑務所に忍び込みたいの」
  「この町の北の、オルダーダウン刑務所?」
  「ええ」

 座標的にはフレインズブルグに位置している以上、この刑務所の名前は
 フレインズブルグ刑務所とか、安易な物になる……はずだが、
 オルダーダウンという名前が与えられている。秩序の支配下、という意味らしい。
 文法的には完全に間違っているが、何故かこの名前で定着しているようだ。
 俗名ではない。正式名称として。
 
  「目的は? 物取りか」
  「違うわ。あそこに、私の知人が収監されているの。助けたい」
 
 三毛猫を撫で回す手を止めて、アルシェは言った。
 知人が逮捕者、しかも、この知人を助けようとしている。
 これだけでも、クライドがこの少女が普通の女の子ではないと判断せざるを得ない。
 
  「脱獄の手助けか」
  「名前は聞いたことあると思う。ディルマン=ジェイカー。ツヴァイハンダーを
   二本同時に振り回す、とんでもない人」

 ツヴァイハンダー。一般的な剣よりも遥かに長く、重い。
 勿論、片手で振り回すことなど到底無理なはずの両手剣。

  「両手剣と両手剣の使い手……聞いたことあるようなないような」

 釈然としない表情を浮かべるクライド。

  「あら。この辺じゃ有名なのに」

 残念そうにアルシェは言った。
 どうやらディルマン=ジェイカーは、有名人のようだった。

  「……このために九十万センドか」
 
 割りに合わない。向こう一生遊べる金を払ってでも助けられるべき人間、
 ディルマン=ジェイカー。俺がディルマンとか言うやつの立場であれば、
 ああ、なんと俺は幸せなのだと思うのだろうと、クライドは考えた。

  「これだけじゃない」
  「もう充分だ、これ以上は悪い」
 
 クライドが遠慮していた。
 一応商売なのだから、普通にはありえない状況である。
 そういう事からも、如何に彼女の提示する条件が破格かという事がよくわかる。

  「これは私が払うわけじゃないけれども

 彼は。
 クライドの中では。
 このアルシェの言葉によって、初めて見た桜も、晴天の青空も、三毛猫も、
 トワッドのシークレットな部分も、ディルマン=ジェイカーの幸せも、
 報酬のことも、シャンディー・ガフも、親父の好みの酒も、何もかも
 一気に優先性を失った。

  〔オリアの聖書目録〕が、あの刑務所にはある」
 
 九十万センド。伝説の書物。
 どこにでもいそうな一人の女の子が、クライドに日常に変化を齎していく。


 先客の三毛猫の眠りは続く。



刑務所への侵入は五日後、四月九日。夜十一時、刑務所の東部の鉄条網を破壊して忍び込む。
 オルダーダウン刑務所の構造上、東部からの侵入が最も安全らしい。
 刑務所には合計三つの建造物がある。
 敷地の西部には第一収監棟。今回この棟に立ち入る必要はない。
 東部には第二収監棟。ディルマン=ジェイカーは、この棟のどこかに幽閉されている。
 南東部に管理棟。オリアの聖書目録があるならば、十中八九ここであろう、ということらしい。
 目的は、ディルマンを救出して、聖書目録を回収する事だ。
 オリアの聖書目録とは、極めて貴重な書物で、魔法に関する記述が大量になされている。
 [死んだ人間を生き返らせる]、などという芸当すら可能にする方法も、書かれているようだ。
 何故、そんなものが刑務所にあるのかはさっぱりわからないが、ともかくそこに
 あるのだった。  刑務所という施設の性格上、まず間違いなく、
 強い警備が張られているであろう。潜入任務のような仕事になると、クライドは予想していた。
 
「なるほどね」

 六時を回っていた。暗くなってからも、二人は広場で話し合って居た。
 三毛猫も飽きて、どこかへと消えるくらい、アルシェとクライドは商談をしている。
 これだけの時間を費やしても、クライドには、アルシェという人間の人物像が
 いまいち見えてこなかった。外見的に見れば普通の女の子だ。
 しかし、依頼内容、そして、オリアの聖書目録の在り処をどこからか知っている、
、とどめに九十万センドという、大金を所有しているという事。
 これらの事を知った上で、彼女が外見通りの
 普通の女の子であると判断するのは、到底不可能だった。

「……君は誰なんだよ、アルシェ。どうしてそんな金を持ってるんだ」

 不審げにクライドは問う。
 今のクライドは、多大な数のクエスチョンを抱えていた。
 アルシェが何者か。ディルマンが何者か。莫大な金はどうやって用意したのか。
 何故、聖書目録があるのを知っているのか。

「私は、ギルドメンバー。とあるギルドの組員の一人よ。お金は……答えられない」
「義賊団? ふむ」

 この辺には、二、三グループのギルドがあった。義賊団のようなグループ、
 ハンティングに秀でた人間の集まりや、、またはクライドのような何でも屋ばかりが
 集まるギルドがある。クライドは、このようなギルドが有ること自体は知っていたが、
 詳細まで知らなかった。

「貴方、ギルドの名前とか、知らなかったのね」
「世間知らずなんだろうな。ディルマンって人も知らないし」
「この機会に、彼の事を知ってあげてよ。それと、ギルドの事も」 
「ああ、わかった」

 頷くクライド。そして、口を開く。疑問はこれ一つではなかった。
 
「ディルマンってのは、誰だよ」
 
 ツヴァイハンダーの二刀流。非現実的な技術である。それこそ、子供の書いた
 稚拙な小説に出てくるような、考えられない戦法である。
 普通の人間であれば、ツヴァイハンダーを片手で振ろうものなら、 
 肩、肘、あるいは手首になんらかの異常を来すに決まっている。
 それを二本も振り回すというのなら、これはもう有り得ないと考えるべきである。

 
「両手持ちの剣を二本? 考えられないぜ?」
「なにも、ツヴァイハンダーの重みを軽減するという方法がないわけじゃないよ」
「どんな方法?」
「否伝魔法(エルオスート・ミスティック)よ」

 エルオースト・ミスティック。言わば、秩序ある世界を構築していくために、
 未来に伝承されることはなかった、危険性の高い魔法のことである。
 しかし、今でも、(現にディルマンがそうあるように)この禁忌ともいえる
 魔法を使えるものが一部居る事も事実である。
 伝承される事を拒まれなかった正伝魔法(オフィシャルウィザード)に関しては、 
 使用できる者はある程度いる。しかしこちらに関しては危険性の高い魔法はカテゴライズ
 されてはいない。
 クライドもまた、否伝、正伝、選ぶ事なく両方使う事のできる一人だった。
 そしてディルマン=ジェイカーも。

「否伝魔法……使える奴いるのかよ。この分だと『磁の制御(マグネットフォール)』か、 
『空中保存(エアライズ)』でツヴァイハンダーを浮かしたりしているとか?」
「両者の併用……かな? ちょっとわかんないけども」

 そこまで恵まれた戦闘技能を持っているなら、黙々と刑務所に
 放り込まれている事がまた疑問になるが。

「ふうん……そろそろ、帰ろうか。話の内容もわかった」

 ベンチから腰を上げる。
 作戦開始は四月九日。
 目的は、ディルマン=ジェイカーの救出。そして、オリアの聖書目録を、
 二人で探す事を二つ目の契約事項とする。
 つまり、アルシェが支払う代償は、九十万センドと、聖書目録を探す手間の
 二つである。逆の意味で破格だった。

「商談成立だね。お金は……後払いのシステムを取っているのかな」

 前払いできる額ではない。当然そんな気は、クライドにはまるでないのだが、
 相互的に絶対の信頼を持ち合っている二人ではないし、この場面では勿論
 報酬は後払いだった。
 
「ああ。後でいいよ。君は支払いをすっぽかすタイプじゃないだろう」

 当然よ、と、彼女は言う。彼女も立ち上がり、アタッシュケースを両手で持った。
 彼女一人で帰らせるのは危険だとは思ったが、どうやら彼女自身、護身の手を
 持っているらしかった。
 普通の女の子ではないのだからと、クライドは思った。 

「まあ、それは作戦が成功してから、だな。この作戦について話すことはまだあるから、
 また会う事にしておこう」
「ええ。それじゃ、また話し合いの場で」

 四月七日、あの酒場で。
 二人は約束して、帰路へとついた。

「あ。聖書目録の事、聞いてないじゃん」

 おい、そのことはどうなんだ。振り向いたが、彼女の姿はなかった。
 ……何故、刑務所に、聖書目録が?
 考えても答えは見えてこない。
 一人の人間の思考で見当がつくほど、聖書目録があそこにある理由は、
 単純明快ではなかった。 


    + + +

 帰り路。
 一つの事件がアルシェに降りかかる。
 暗がりの広がる背後から、それは来た。

「ごきげんよう」
  
 若い女の声だった。
 
「……貴方は?」

 アルシェが振り返ると、一人の女が、路地の壁に
 もたれて、腕を組んで、佇んでいた。
 
「……私はラッキー・ルチアーノ」
「……! 殺し屋……『幸運の死者』!」

 突如現れた、『ヒットマン』。
 彼女の体に、電撃が走った。
2008/11/14(Fri)02:03:28 公開 / 赤山 松樹
■この作品の著作権は赤山 松樹さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めまして、赤山 松樹でございます。

本小説を閲覧頂きありがとうございます。

稚拙な点もありますが、よろしくお願いします。
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