- 『期日は必ず守りましょう』 作者:うぃ / リアル・現代 恋愛小説
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原稿用紙約14.55枚
予想最高気温六度、最低気温氷点下三度。道行く人々は分厚いコートや顔が半分以上隠れてしまう大袈裟マフラーで身を固め、外の寒さから身を守っている。
今日は四月八日の金曜日。暦の上では随分と昔に終わった筈の冬は、まるでやり残した事を思い出したかのように当時のままの姿で舞い戻ってきた。
ならば、季節にすらやり残しがあると言う事になる。心も体も、ましてや実態すら持たない四季にまで未練が有るのなら、俺たちにだって未練の一つや二つあったとしても何もおかしい事はないだろう。
あの時の清算をするのなら、チャンスはもう今日しかないのかもしれない。
バカバカしいと振った顔に、叩きつけるような突風が襲いかかった。
突き抜けていく風は、冬の日に置き忘れた俺自身を急き立てるかのように乱暴だった。
■
好きな人がいた。
未だ冬が生きてる二月の終わり。する気も無い受験勉強と言う大義名分にかこつけて、俺は一年半続けていたコンビニのバイトを辞める事にした。
元から物欲は薄い方だったし、バイトを辞めようと決意した三ヶ月前から少しずつ貯めていた貯金は既に十万を超えている。もうやり残した事なんて髪の毛一本程しか残っていなかったのだが、しかしその髪の毛一本は天を突き刺す竹の様に大きな髪の毛一本なのだった。
俺は、彼女に思いを伝えていない。
学生が少なく、もう俺位の年の子供がいてもおかしくない様な中高年の方々が大半を占めていたバイト先は、正直な事を言えば居心地が悪かったのだ。控え室にいても聞こえてくるのは中年女性の夫の愚痴と、気持ちは一握りだって籠っていない頭の天辺が薄くなり始めてる店長の行く末の心配だけだった。
そんな職場で二人きりの同級生だった俺達は、男女間の壁なんて物は元から無かったみたいに必然的に友達となった。
友人をもっと近い場所に感じていたいと願い始めたのは、いつからだったかを確かには覚えていない。元は可愛いとすら思っていなかった彼女を視線で追い始めたのは、覚えているだけで半年は昔の話である。
■
「受験勉強かぁ……。
でもさ、まだ後一年間ある訳じゃない? アンタの決めた事に文句言う訳じゃないけど、ちょっと気が早すぎるんじゃないかと私は思うんだよねー」
「MARCHとか早慶上智とか行くような奴らはもっと早く勉強始めてるんだぞ?
ってかさ、俺だって本当はもっと早く辞めたかったのに、ここに残すことになる唯一の友人の君を想って今まで続けてやってたんだぜ?」
「それは、どーもありがとうございました」
俺が最後のバイトを終えた日の午後十時。俺たちは帰り際に職場で買ってきたコーヒーをカイロ代りに、感慨深さなんて露ほども感じられない様な軽口を交わし合っていた。
辺り一帯は静寂に包まれている。雪は深々と降り積もっていき、光の薄い公園の片隅のベンチで男女二人が座り合っていると言うのに、俺が望んでいる”ろまんてぃっくな雰囲気”なんて物は空気中の二酸化炭素濃度以上に薄い。
一度深く息を吐きだした。寒空の下で白く染まっていく息は、俺と彼女との間に空より軽い壁を作る。
それで良い。例え冗談めかしく口にする言葉でも、こんな言葉はまともに顔を見たままじゃしゃべれない。
「そいえばさ、俺今日でバイト終わりだってのに、お前は何か贈り物とか無いの?
一年間同じ職場で同じ時間を共有してきた愛しい人に、何かあってもおかしくないと思うんだけど」
「愛しい人ぉ? うわぁ、勘弁してよねー!
確かに私は彼氏いないけど? それにしたって、アンタみたいな傲慢な男を彼氏にしようだなんて思わないよ!」
「それはちょっと酷いんじゃないのかい!? 僕は、君の事をこんなにも思っているのに!」
「おぉロミオ、どうして貴方はロミオなの!? ……あれ、ロメオだっけ?」
「いや、判んないから。俺に聞かれたって困るから」
少しばかり、言葉を間合いの外へと放り投げてみた。しかしいつも歩んでいる道から外れた言葉も、彼女には俺のちょっとした思いつきとしか受け取れなかったらしい。
それでも落胆の色は見せずに会話を続けた。同僚の前田さんと鈴木店長の不倫関係とか、最初は品出しのが楽だと思ってたけど慣れてみればレジ打ちの方が楽だとか、何で俺たちには何時まで経っても彼氏彼女ができないのだろうか、とか。
交わす言葉の数々は俺の心の核心を薄皮一枚の差で通り過ぎていく。それなのに、先ほどの一言でありったけの勇気を絞り出した俺は、流されるままに会話を続ける事しかできなかった。
「――それじゃぁ、そろそろ遅いし帰りますか」
一時間ほど経った後、一通り話し終えて彼女はそう言った。
時刻は夜の十一時。おまけに一つ付け足せばこの時期俺達は二年生最後の期末テストを目前にまで控えており、いい加減家に帰ってテスト勉強をしなくてはならない時刻である。
帰るべきなのは判る。だけど、俺は未だ口にしていない一言を舌先に残しているままだ。
「――ちょっと良いか」
彼女は小首を傾げて此方を見上げてくる。突然の俺の言葉は予想外だったらしく、心底不思議だと言いたげに子リスのように目を丸めている。
言うならば今しかない。舌先にある言葉をただ前に出すだけで良いんだ。言え、言ってしまえ。今ここで言いそびれて、俺は一体どれだけの間後悔する事になる事か、
「……また今度、バイト辞めたからってもう会う事が無いわけでもないしさ、適当に日にち決めて遊ぼうぜ」
言えなかった。
言葉を音に変えて外に放り出す寸前、俺の心臓も脳みそも、満場一致で当たり障りのない友人へと送る別れの挨拶へと言葉を変えやがった。
「ん、そだね。また今度、適当に日にちを決めて遊びましょう!」
彼女はそう言って手を振って、俺に背を向けて家路へと向かっていった。
闇夜にその姿が飲み込まれる一歩手前、彼女は思い出した様に俺に振り返って一言口にした。
「じゃぁね、今までありがとう」
「おぅ、またな」
「うん、またね」
そう言って彼女は今度こそ振り返らずに帰路へと発っていき、三分もしない内に夜の闇に姿を消していってしまった。
残された俺の足は、まるで地面に根でも張ったように動いてくれなかった。その根の源となる、ヘドロの様に俺の心の深奥でへばり付いている物の正体を掴みながらも、俺は何もする事ができなかった。
降りしきる雪が止んでいく。永遠に続くと信じていた冬は、呆けてしまう程あっけなく終わりを迎えたのだった。
■
予想最高気温六度、最低気温氷点下三度。道行く人々は分厚いコートや顔が半分以上隠れてしまう大袈裟マフラーで身を固め、外の寒さから身を守っている。
今日は四月八日の金曜日。暦の上では随分と昔に終わった筈の冬は、まるでやり残した事を思い出したかのように当時のままの姿で舞い戻ってきた。
冬の持っているやり残しとは、一体何だろうか。
もしかすると、この冬は俺の為に戻ってきたんじゃないだろうか。
「……まさか」
自分の至った結論があまりに詩人的過ぎた為、恥ずかしくなって誰に言うでも無く呟いた。
そもそも、例えこの異常気象がそう言った目的で起こった事だと仮定したとしても、俺のやり残しを消化させたいと言うのなら、雪位降らせというのだ。俺の中では雪とは冬の象徴で、それこそイコールで結べる位に近しい場所に考えている物なのだ。ここまで手の込んだ演出を考えるのなら、それ位はしないとこっちの天秤だって揺るがないのである。
自分の考えをそう結論づけて、何と無く居心地が悪くなって携帯を開いた。ふと眺めてみると、メールの受信の知らせを告げる画面になっていた。
嫌な予感がした。
眼を逸らし続けてきた夏休みの宿題を、八月の三一日に突き付けられるような、いつかは来るだろうと予感していた逃れられない現実の香りだ。
普段から扱いなれている携帯を、まるで爆発物でも扱う様な慎重さで恐る恐る操作した。メールボタンを押して、閲覧ロックを解除して、受信フォルダを開き、バイト先のフォルダを開き、
『また遊ぼうって言ったのに全然連絡してくれないじゃん!!
と言う事で、今日の夜十時にいつもの公園で待ち合わせいたしましょー!』
携帯を閉じた。意味も無いのに電源を消した。それでも少し安心が出来なくて、バッテリーを抜いて自分の財布の小銭入れに突っ込んだ。
「は、はは」
意味が判らない。
だって、友達なら彼女だって山のようにいる筈なのだ。彼女の行動エリアは中々広い。総勢千人以上は在籍している彼女の同級生や、周に三度彼女が通っているテニススクールの同期、それに、俺の知らない中学時代の友人だっている筈だ。
理由が見当たらない。
「……なんで」
嫌だ、やめてくれ、逃がしてくれ。俺は、もう終わったと確信していたんだ。やり残しを今更清算しろだなんて、そんな間の抜けた事を言わないでくれ。
待ち望んでいた筈なのに、もう一度チャンスがあればと毎日の様に思っていた筈なのに、いざ降って湧いてきた彼女への想いを伝える機会は、押し寄せてくる雲なんか比べ物にならない位息苦しい。
内心諦めていたのだ。
俺じゃ無理だとタカを括っていたのだ。
だけど気持ちを伝えなければ、俺にも勝機は有ったのかもしれないと思えるじゃないか。結果を見なければそこには希望が残るじゃないか。もしかしら、実は彼女も俺の事を想ってくれのかもしれないという夢が見れるじゃないか。
冬の日々に建てた決意があればまだしも、今更現実と向き合うなんて出来る筈がない。このメールを見なかった事にしよう。そうすれば戻ってきた冬もいい加減消え去って、明日から穏やかで刺激のない春の日が戻ってくるはず――――。
「――え?」
なのに、雪が降り始めていた。
丁度今年の冬が終わった時の様な、深々と降り積もっていく大粒の雪が舞っていた。
違うんだと。
まだ冬は終わっていないのだと。
お前のやり残したものは、まだ期限は切れていないのだと。
残した物の重さが、渡すべき言葉の軽さに変わっていく。埋め立てた筈の決意が、まだ俺は死んでいないのだと喚いている。
冬は、まだ死んでいない。
「……言わなきゃ」
携帯を開いた。抜き取ったバッテリーをあわてて入れ直して、獲物を追う肉食獣の様な獰猛さでメール画面まで移行した。
震える指と、うるさい位の動悸を落ちつけようと、一度深呼吸をした。その時に飲み込んだ雪も、俺の体の中で勇気に変わってくれた気がした。
『今からじゃダメかな?』
文字にしてみれば携帯の小さいディスプレイでも一行と少しで足りるような短文に、有りっ丈の思いを込めてメールを送った。願わくば、彼女にもこの想いが届いてくれればと、有り得ない願いを込めながら。
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それから数分後、突然の呼び出しに少しばかり機嫌を損ねながらも、彼女は約束の公園へと来てくれた。
久しぶりに会った友人へと向けられた笑顔に決意が緩む。勢いよくブンブンと降っている手に降り返すような余裕も無くて、それでも最後のチャンスを棒にふる事だけはできなかった。
不意打ち気味に彼女との距離を詰めた。普段ならば恥ずかしさが勝るような近距離にお互いの顔を置いて、突然の俺の奇行に目を丸くしている彼女に、
「実はさ、俺ってお前の事が好きだったんだよね」
俺は二ヶ月と言う、言葉の響き程短くはない月日を経て、遂に想いを伝えたのだった
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2008/04/15(Tue)19:18:42 公開 /
うぃ
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■作者からのメッセージ
暫く勉強などが忙しくて書いていなかったのですが、久しぶりに書いて、更に感想を頂きたくてここに投稿させていただきました。
最後の方は頭が熱でぐつぐつゆでられてる様な状況で書いたのでよくわからない事になってるやもしれません。変だったら指摘されてくれれば小躍りして喜ばさせていただきます。
因みに、最後の場面変更からの唐突さは、一応狙ったものです。この話で書きたかったのは特徴のない女の子とヘタレな男の子の恋物語では無く、男の子が少しだけ前に進めるようになったと言う成長なので。