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『テーマ小説「日常」 【少女と怪盗】 』 作者:時永 渓 / ショート*2 時代・歴史
全角4667文字
容量9334 bytes
原稿用紙約14.65枚

 闇の中高くこだまするは一発の銃声。
 それに続けるように響く低く唸るようなサイレンはやたらと大きい。床を打つ複数の鈍い足音は不揃いで少し耳障り。
「奴は手負いだ。遠くへ入っていない。捜し出せ!」
 言うのは男の低い声。駆ける足音。壁の向こうから感じる慌しい空気。一定に刻まれ続けるサイレン、汚らしい足音、莫迦みたいに大層なサイレン、淀んだ足音、離れる汚れた足音、耳障りでしかないサイレン、近づいてくる小さな澄んだ足音。
 軋むような扉の開くかすかな音――外の音が一瞬間大きくなった。
 鉄錆に似た生き物の臭い――人の痛みから溢れる血の臭いだ。
「あなたは?」
 口に出して気がつく。ここにあってはならない不当な者ではないかと。

【少女と怪盗】

 あなたは? 気がつけば私はそう口にしていた。この闇には私と感じなれない――初めて感じる誰かの気配。汗と血の据えた生き物の臭い。荒い息遣い。驚いたような、取り繕うとする声がする。
「金目のものを探していたんだが、こんなところで女神を見つけた」
 さらりとそんなことを言うのは男の濡れた声だった。どうやらこの部屋に入ってきたのは若い男だ。ベッドに腰掛けた私にあの軽く澄んだ足音が近づいてくる。
「君があの男の娘かい?」
「あなたがいうあの男が私のパパならね」
 私が言うと男は声をくっと喉の奥で笑った。
「じゃあ、君の目が見えないって本当?」
 私は頷いた。顔に空気がかかる。どうやら男が私の顔の前に手をかざして、その手を動かしているようだ。
「本当よ。生まれたときから今まで、十五年間一度も何かを見たことはないわ」
 私は生まれつき目が見えない。だからいつも闇の中に独りきり。パパやママ、使用人たちの顔も、この部屋がこの屋敷がどんなところなのかも分からない。いつだってずっと匂いや手先の感覚、音だけの生活を送ってきた。それが私の世界の全てだから。
 部屋の外で足音が止んだ。どうやら違うところを探しに行き始めたようだ。男はそれに気がついてかほっと小さく息を吐いた。
「それじゃ俺はもう行くよ、邪魔してごめんな。バイバイ、女神様」
 男の足音が遠ざかっていく。どうしてだろう、行って欲しくない。
「待って」
 私は思わず声を上げていた。それとほぼ同時に足音が止まる。引き止めてしまったのだから何か言わなくちゃ……。
「あなた、怪我しているんでしょ? 少しだけど血の匂いがするわ。そんな状態じゃうちの警備からは逃げられない。応急処置は出来ないけど落ち着くまで匿ってあげる」
 再び足音が遠ざかる。部屋を出ようとしているのだすぐにわかった。
「安心して。あなたのこと言ったりはしない。それにちゃんと外まで逃がしてあげるわ」
 男の足音が止む。
「だけど俺は――」
 男の声に混じって、男のものとは別の足音が聞こえる。
「黙って」
 これは革靴が石の床を打つ音。それもこの部屋のほうへやってくる。
 まずい。ドクリドクリと鼓動が早鐘を打つ。
「誰か来るわ。クローゼットに入って」
 鈍い音を立ててクローゼットが開く音がする。木材を二度ほど軋ませて、再び鈍い音がすると間の抜けたパタンという閉じる音がして静かになった。同時に足音も止まっていた。この部屋の前で。
「お嬢様、先ほどから話し声が聞こえるのですがどなたかいらっしゃっているのですか」
 渇いた擦れた声。感情の欠片もない冷たい嫌な声。使用人の一人だ。
 どうやら、聞かれていたようだ。何とか取り繕わなくては。
「聞こえていたの?」
 扉の向こう側にも聞こえるようにあえて大きく溜息を吐く。落ち着け。息を吸いなおして、言葉を探す。
「……恥ずかしい。寂しくてマレーネとお話していたの」
 声のトーンを落としていつだってベッドの脇にいるマレーネ頭に手をやる。突然名前を出されたマレーネは私の掌に湿った鼻を押し付けてきた。
 マレーネは私の飼い犬で盲導犬の変わり――いや、私にとって盲導犬なんかより頼りになるメスのコーギーだ。(もっとも私にはコーギーというものが短足だという以外、どういう見た目なのか見当もつかない)
「そうでしたか。無法者が屋敷内に侵入していますのでなにとぞお気をつけください。お嬢様に何かあれば私目は……」
 男の声がそういうと微かに息を吐くのが感じられた。――溜息だ。
「そんなにパパが怖い?」
 扉の向こうで、吃るような、いえという弁解する声がする。私は思わず苦笑いする。なんて正直なんだろうか。そんなに怖いのならはっきりといえばいいのに。
「大丈夫。マレーネがいますし、それにこんなに巡回しているのですからすぐに捕まるでしょう?」
 私はそういってマレーネの体に触る。クローゼットから男が身動きしたと思われる音がした。マレーネの体の向きがそちらを向く。どうか今は吠えたりしないでいい子にしていて。
「それはそうですが、もし万が一何かございましたすぐに近くのものに仰ってください」
 それでは失礼します。言って使用人の足音がし、それが私の部屋から遠ざかって行くのを感じた。
 なんという無関心さだろうか。命令されたこと以外はしなくていい。私なんか本当はどうでもいいのだろう。だが、おかげでこの“屋敷内に侵入した無法者”が見つからずにすんだ。
「ごめんね、マレーネ。あなたは本当にいい子ね」
 低く悲しげに鼻でなくマレーネを撫でてやる。やがて、尻尾を振っているのか空気を切る緩やかなリズムが刻まれる。
「もう大丈夫。遠くまで行ったわ」
 私が言うとクローゼットの扉の軋む音がする。
「驚いた。耳良いんだな」
「耳は、ね」
 悪戯っぽく笑ってみせる。どうやら私は目が見えないぶん、聴力、嗅覚、触覚の神経を常に研ぎ澄ます癖があるようだ。
「で、あなた、泥棒さんなんでしょ? 盗る物盗ったの?」
 私が問うと男の小さな笑い声がした。
「盗る物盗ったのって、ここは君のうちだろう? 金持ちだから盗られても困らないのか?」
 何がおかしいのか男は笑い続けている。おかしいことなんか一つもないのに。
「うちが金持ちかどうかはしらないけど、私はべつに困らないわ。どんなに高い金や銀のお皿も、身に付ければ賛辞を浴びる綺麗な装飾品も私には関係ない。見えないものにお金をかけられても困るだけよ」
 違う? そう付け足して、私は小首をかしげる。
「じゃあ、俺が盗っても構わないと?」
 私はにっこりと笑って頷く。
「ええ、いいわよ。私はあなたを意地でも逃がすから、欲しいものはきちんと持って行きなさい」
 私はベッドの脇に置いてあるハーネスをおとなしく座っているマレーネに装着させる。マレーネの尻尾が楽しげに揺れ、私の手を叩いた。
「この部屋にあるものでも良いか?」
 私は頷く。
「ええ。ただ生活用品はやめて。さすがにないと困るわ」
 肩を竦めて見せる。
「それとマレーネも。彼女は私の唯一の友達だから」
 マレーネが私のほうに身を捩るのをハーネスを握った手が感じる。私は屈みこんで柔らかく毛並みの良い頭を慈しむように撫でる。
「じゃあ、壁にかかっているこの絵は?」
 男が壁から額を持ち上げたのかごとりという鈍い音がした。
 私は首を振る。
「何の絵か知らないけど、それはやめたほうがいいと思う。だってそれ、パパが描いたものだわ。絶対に価値なんかない」
 この人、物を見る目がないのではないか。私が重苦しく溜息をはくと男が苦笑いした。
「何が描かれているか教えてあげようか?」
「いい。興味ないもの」
 苦笑いがいつの間にか楽しげなものに変わっていた。私はそれに眉根に皺を寄せる。
「君だ。良く描けているよ。そっくりだ」
「持って行って途中、ごみ捨て場にでもよって捨てて」
 顔が熱を帯びる。自分でも語気が荒くなっているのが分かった。
「残念だけどそれはできない」
「どうして?」
 私は見えない目を男の居ると思しきほうに向ける。
「明日は燃えるごみの日だ。粗大ごみはまずい」
 落ち着いた声で男が言うと、壁に額を戻すがたがたという音がした。
「ねえ、宝石なんかどう?」
「ダメダメ。よっぽどのものでもない限り盗んだ宝石には価値がない。鑑定書のない中古品の宝石を身に付けたがる人は居ないから」
 あっさりと吐き捨てるように男は言う。先ほどから絶えず何かを動かしたりする音がする。
「じゃあ何がいいの?」
 若干声に苛立ちが混じっているのが自分でも分かる。脱出するのなら早くしたほうがいいのではないか? ここに居るのが本当に安全とは限らない。そう思ったのが男に伝わったのか男はおもむろに口を開いた。
「そう焦るなって。ここが一番安全だ。この屋敷の奴らはお嬢様の部屋にはめったなことでもない限りは入ってこない」
 宝石は駄目だといいつつ、男はジュエリーボックスを開けているようだ。
「確かにそうね。私が騒いだりしなければ誰も来ないかもしれない」
 にやりと笑ってみる。今私が騒いだら男はどうするのだろうか。
「やめてくれよ、それだけは。……っと、準備できた。脱出させてくれ」
 物音が止み、一気に静かになる。その中に男の足音だけが妙に浮き上がった。
「あなた、鍵を開けたり出来るわよね? 泥棒なんだから」
「うん? いや、そういうのは専門外だ」
「泥棒のくせに?」
「泥棒泥棒と、さっきから君は俺のことを誤解しているようだね」
 男は重苦しく溜息を吐く。
「俺を小汚い泥棒なんかと一緒にしないで欲しい。俺は怪盗だ」
 怪盗だ。力強くそういいきった男に私は言っていいものかと考えた。それは同じではないか? と。
「……一緒でしょ? まあ、出来てもできなくてもいいわ。どちらにしろやってもらうから」
 ハーネスを握りなおして立ち上がる。いつの間にか警戒態勢が解かれ、サイレンが止んでいた。
「この部屋の外に出たらまず、コンセントに針金を差し込んで電気系統をショートさせて。感電するかもしれないけど、死にはしないわ」
 男はややあって小さく息を呑んだ。
「……俺がやるのか? そんな危ないことを」
 男の声は震えている。死にはしないなんて嘘だ。失敗すれば彼はあっという間に三途の川のほとりに立つことになる。
 やはりそうなると怖いのだろう私だってそれは怖いのだから。
「以前使用人たちが防犯設備の点検のときに言っていたのを聞いたわ。『予備電源には五分で切り替わる』って。それまでに一気に外まで走るわ」
 男はまた溜息を吐く。
「でも、電気が切れちゃ何も見えないだろう」
 そういうのを待っていた。頬の肉が勝手に持ち上がってしまう。
「何のためにそうするのか分からない? 私に暗闇は関係ない」
 男があっと呟いた。
「あなたは私の腕を掴んでついて来ればいいの」
 にこりと笑ってみせる。見えない瞳に男がにやりと笑い返してくるのが見えたような気がした。


 〜エピローグ〜

 先日、K県Y市の閑静な住宅街で全盲の少女が監禁されているとK県警に匿名での通報があった。K県警はすぐさま調査を開始し、とある一軒家に少女の姿を確認。この家は少女の生家であり、世帯主であるT氏とその妻Mさんの姿は見当たらなかった。この家で家政を取り仕切っている男に事情を聞くと、男はT氏とMさんの殺害をほのめかす供述をしたため、さらに詳しく事情を聞くと家政婦や庭師を含め総勢十名の人間によってT氏とMさんを殺害したことを認めた。
 K県警はこの男らを逮捕し――

(二〇〇八年 三月XX日のA新聞三面記事より) 
2008/03/23(Sun)15:30:17 公開 / 時永 渓
http://mp.i-revo.jp/user.php/aiybipkx/
■この作品の著作権は時永 渓さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
反省

 全盲の少女を主人公にしたため、情景描写が全くないという作品です。
 正直に言うと、途中から訳分からなくなってしまって、怪盗を主人公にすればよかったなと後悔してます。

 最後までお付き合いくださった皆様に感謝です。
 批評、感想いただければありがたいです。
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