- 『箱と僕』 作者:ゆか利 / 未分類 未分類
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全角1944文字
容量3888 bytes
原稿用紙約5.45枚
黒い箱の中は宇宙のように暗い。街は昼のように明るい。
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人は眠れば目覚めなければならない。人が目覚めなくてよいのは死ぬときだけである。
たいていの人間はベッドや布団の上で目覚め、朝を迎える。このサイクルから逃れることは不可能であり、たとえ夜に起きて昼に寝たとしても、寝てから目覚めることに変わりはない。
このリズムから抜け出そうと、寝ずに生活をするという記録に挑んだ者は数えきれない。しかし、どんな人間であれ、永遠に起きていつづけることが出来た者はいない。
僕は真っ黒な箱の中で目覚めた。いつ眠りについたかは覚えがない。眠りにつく瞬間を覚えている人間はまれであるが、たいていの人はベッドに入って電気を消したくらいの記憶を持っているものである。しかし僕にはそれがなかった。
箱の幅は、せいぜい2メートル程度であるようだった。それは、両手を広げることで分かった。箱の側面は手で触れると冷たい感触がした。視界は無いため実態はまるで見えないが、箱は鉄のような金属でできているようだった。箱のその冷たい感触は、僕に氷を連想させた。長く手を触れ続ければ、手がくっついて取れなくなってしまうような気がしたのだ。
僕は手を広げるのをやめ、次に天井を探ってみた。天井は僕のすぐ頭上にあった。手が伸びきらないうちに、すぐに僕の手は天井にぶつかったのであった。天井もやはり冷たい感触だった。
どうやら僕は、かなり小さな箱の中に閉じ込められてしまったらしい。真の暗闇の中では、自分が目を開けているのか閉じているのかさえもわからない。見える景色は変化しないので、まぶたの感触以外に手がかりが無いのである。しかし、そのまぶたの感触さえも、僕には段々薄れていくように感じられた。
箱の中には音というものがなかった。側面を叩いても、音は箱そのものに吸収されてしまっているようだった。箱の中は宇宙のように静かであり、そして宇宙のように広大な闇が広がっていた。
僕はその宇宙の中で、記憶を手繰り寄せようとした。僕には、どういうわけかこの箱の中に入るきっかけのような事があったという確信があった。しかし、どうしてもそれは思い出せなかった。地球は太陽のまわりをまわりつづけるが、決して衝突することはない。僕の記憶も、地球のように僕の周りを回り続け、決して僕の元へはやってこなかった。
僕は「エーデルワイス」を歌ってみた。決してこの曲が好きなわけではない。心を落ち着ける方法が、歌うこと以外に思いつかなかったのである。そして、落ち着いたメロディーの曲として最初に思いついた歌が「エーデルワイス」だったというだけの話である。当然のように僕の歌声は箱に吸い取られ、メロディーは僕の心の中だけで流れた。
街の景色が見えたのは、ちょうど「エーデルワイス」の一番が終わった時であった。
僕はにぎやかな街の中にいた。大勢の人達が通りを行きかい、その濁流のような人ごみを、頭上からネオンの明かりが照らしていた。この光景は、僕に夜中にぎゅうぎゅう詰めの冷蔵庫を開けた時のことを思い出させた。
街は夜であるのにも関わらず、昼のように明るかった。通りの両側には、ゲームセンターやパチンコ店、飲食店などが軒を連ね、どの店からも大きな音が漏れていた。その中で、僕は自分の歌う「エーデルワイス」がかすかに響いているのを感じた。この世界には、音が確かに存在しているのだ。
僕は濁流の中を前へと進んだ。地面はコンクリートで舗装され、その上でガムのかすやタバコの吸いがらが小さく自己主張していた。彼らは何度踏まれてもそれを止めようとはしなかった。この街には彼らのことを気に留める人間が何人いるのだろうと僕は思った。
街の光景は、どこまで行っても変わらなかった。相変わらず人は流れ続け、冷蔵庫の中に詰めこまれていた。通りの両側の店からは、ステレオスピーカーのように音が漏れ、頭上ではネオンが不健康な色で輝いていた。
僕はふと、箱のことを思い出した。そしてなぜか箱が懐かしくなった。箱の中の宇宙は、この街よりもずっと広かったような気がした。
僕はあの箱の中に、自分で入ったらしかった。きっとこの街に疲れた僕は、あの黒い箱にこもったのであろう。そしてその記憶を消したのかもしれない。そうすればあの箱の中で死ぬまで眠っていられると考えたのに違いない。
しかし僕は目覚めてしまった。そもそも、記憶を消した僕が間違っていたのである。人は眠れば目覚めるものなのだ。誰しもそのサイクルを止めることなどできない。僕にはこの街を歩きつづけることしかできないらしかった。
僕は歩き続けた。箱の中に戻ることはできない。そして僕は今夜この街のどこかで眠り、そして太陽の光線に突き刺されるようにして目覚めるのだろう。
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2008/01/04(Fri)01:22:25 公開 / ゆか利
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