- 『世界中の誰もがあたしの友達(仮』 作者:あひる / リアル・現代 未分類
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全角11552文字
容量23104 bytes
原稿用紙約33.55枚
それは寒い日のできごと。痛さを覚えるほどの冷たい風があたしに襲い掛かってくる長いながい学校の帰り道。氷のように冷たい手を擦り合わせて、摩擦で温かくしようなんて馬鹿なことを考えていたとき。
隣にいた友佳が、ぽつりと呟いた。
「わたし、茉里のこと嫌い」
茉莉とはあたしの大親友で、友佳にとっても友達だった子の名前。
いきなりのことであたしは言葉を失った。なんて言えばいいのか。あたしはこの意見に肯定しなければいけないのか。
そんなあたしを見て、友佳が寂しそうな顔をした。悲しそうな、絶望を身に纏ったような顔。その顔にあたしの母性本能をくすぐられる。胸がきゅうんとなるのが感じられた。
「ごめんね、いきなり。香純が茉里のこと好きなのは知ってる。だけどね、わたしは嫌いなの」
友佳が発した言葉は、あたしに重く圧し掛かってきた。いきなりのことで判断もできない。なんて言葉を返したらいいのか分からない。
そんなあたしを無視して、友佳は話し続けた。
「できれば茉里と話して欲しくない。我侭だって知ってる。けど、ごめんね、ごめん」
歩いていた足が止まる。友佳は俯いて、「ごめん」を幾度も呟いた。
あたしはなにも考えられずに、「友佳、寒いから歩こう」と何とも脈絡のない言葉をかけてしまった。
後から後悔が襲ったが、友佳はそんなあたしを見てにっこりを微笑んだ。まだ悲しみの余韻を残した微笑みだったが。
家に帰るとすぐに灯油ストーブに向かう。
そして温かい風が来る真ん中あたりをしっかりとキープしてから通学用の鞄を肩からおろす。お母さんは「そんなにかじりつかなくても、部屋全体が温かくなっているから」と言うけれど、この風がいいんですよお母様。
そうやって寛いでいると、電話が鳴った。
お母さんが台所から「電話を取れ!」と目で訴えてきたけれど、あたしは面倒臭いので聞こえないふりをした。するとお母さんが怪訝そうな顔で電話を取る。
そんな面倒なこと、誰がするもんですか。そう思いながらつけっぱなしになっているテレビに視線を移す。
ちょうどテレビでは男子中学生がいじめが原因で自殺したというニュースがやっていた。
この頃は物騒ね、と他人事のように思いながらチャンネルを変えた。だって、絶対にあたしには縁がないことだもの。いじめなんて、漫画の話。チャンネルが変わり、今度下品な笑いが響くバラエティ番組が表れる。暇だしこれでも見ようかと思ったとき、お母さんの声が後ろからする。
「香純、茉里ちゃんから電話よ」
思わず、茉里から? あたしに? と聞き返してしまった。
さっきまで友佳とあんな話をしていたのだ。聞かれていたらどうしようと、有り得ない焦りがあたしを襲う。
恐る恐る電話を受け取り、「もしもし」とお馴染みの言葉を言う。
「あ、香純? 茉里だけどね、今日の宿題のこと聞きたくて」
だけどその言葉を聞いた途端、糸が解けた。あたしは安堵の溜め息を心の中で吐いた。
「今日は英語のワーク。三十五ページからだよ」
「ありがと、香純! それじゃあ、また明日!」
けれど電話を切った途端、またしても不安が襲う。
その不安を振り払うように、ソファにダイブする。そして、クッションに理由もなく顔を埋める。もうこのときにはストーブのことなんかどうでもよくなっていた。
今のままで十分幸せだ。三人で集まって、話して、笑って。
だけど友佳は茉里が嫌い。一緒に微笑んでいるけれど、心の中では嫌っている。
「香純、ご飯ができたからいらっしゃい」
お母さんが悩んでいるあたしに声をかけた。
あたしの思考は無理やり止められ、顔をあげる。娘がこんなに悩んでいるのに、あんたはえらい気楽だなぁと毒づきながら「すぐ行く」と曖昧な返事をする。すぐ行くとはいい言葉だ。「すぐ」という時間は人によって違う。だからあたしにとっての「すぐ」は三十分っていうことでよろしく。
そしてあたしはまたクッションに顔を埋めて、考える。
友佳の告白によって、あたしたちの関係が揺らいでいくのは確かだ。
あたしはその気持ちを知ってしまった。なかったことにはできない。前のように仲良くお喋りできない。
明日から、あたしたちの世界は変ってしまう。
頭の中でさっきのニュースが流れる。最悪の場合、いじめに発展する可能性だってあるのだ。もしかしたらその被害者は、友佳でも茉里でもなく、あたしかもしれない。一番関係ない奴ほど、ばかなことに巻き込まれやすいのだ。
だってほら、現に巻き込まれている。あたしは友佳も茉里も好きなのに、どちらかが嫌いあうことであたしに影響が及ぼされる。そのこと自体にはものすごく腹立たしかった。だけど嫌う人はいないので、怒りの矛先をどこへ向けていいか分からない。
「香純、ご飯冷めちゃうわよ!」
「分かってるって!」
繰り返される言葉に、何度も言わないでよと呟く。
多分あたしの怒りの矛先は、お母さんに向かっているんだと思う。
妙に複雑になってきた友人関係。あたしは明日からどうしたらよいものかと考えながら、箸を動かした。
今日の晩ご飯のメインメニューは、豚カツ。あたしの大好物。なのに全然美味しくなかった。というより、味が感じられなかった。
清々しい朝、なんて少女マンガみたいな台詞が脳内に浮かぶのは、悲劇のヒロインぶっているからなんだ。多分。
寒いけれど凛としている空気。まだ朝なので汚されていないという印象がある。それなのに、あたしの手で触れてしまったら壊れてしまいそうな脆さを感じた。そして、それって友情と似ていないか、とも。
そんなことを考えながら朝ご飯を食べて、歯磨きをして、着替えて、鞄に教科書を詰めて、玄関の引き戸に手をかけ、思い切り開ける。いつもと変わらない朝。今日一日がこうでありますように、と心の奥で祈る。
だが、その祈りも儚く崩れ落ちる。
「……友佳?」
あたしの家の前で佇む友人、友佳。あたしを散々悩ませた人間。
「おはよう、香純。なんか寄りたくなって」
寒さで赤くなった頬を両手で押さえ、にこやかに微笑む。あたしは突然のことに顔を引き攣らせ、作り物とすぐにばれてしまうような笑みを浮かべる。
「あっ、ごめんね、香純! 突然来ちゃって……。迷惑だったよね?」
「え、いや、そんなことないんだけどね、驚いただけで……」
友佳の顔がかすかに曇る。あたしは否定の意味を込めて必死で手を振る。そして友佳がにっこりと微笑む。
そこであたしはふと疑問に思った。なんであたし、こんなに緊張しているんだろう。まるで昨日出逢った人たちみたいな会話。
「ま、いいや。行こう、遅刻しちゃう!」
「うん、行こう」
そして気付く。少し恐れているんじゃないか。友佳のことを、怖がっているんじゃないか。
そんなことを考えながら歩いていると、なぜか周りの風景が色褪せたように感じた。犬を散歩させているおばさん、登校途中の小学生、きつそうなスーツに身を包んできちきち歩いていくサラリーマン。
昨日の一件で友佳の心の内側を見てしまったようで。あんなにこやかな微笑みを浮かべているのに、心の中では嫌っているなんて。もしかしたら自分のこともそう思っているんじゃないかと不安が募る。
「そういえばさぁ」
突然の友佳の声に、体が無意識に反応した。見られてはいないかと、ちらちと友佳の様子を盗み見たが、見られてはいないようだ。心の中で安堵の溜め息をつく。
「昨日の話しなんだけど」
だけどさすがにいきなりこの話題を持ち出してきた友佳に驚き、友佳の顔を凝視してしまった。後からハッとして視線を目の前の電信柱に移したが、友佳はそんな不自然なあたしに疑問を持ったようだ。ああ、あたしの馬鹿。
「香純? ごめん、やっぱ気にしてるよね。わたしあんなこと言っちゃったから」
そして友佳の顔が曇る。あたしの奇怪な行動は友佳の心を傷付けてしまったようだ。どうしてもっと気の利いたことが出来ないのであろう、と自分に叱り付けるが、そんなことしても友佳は知らない、分かるわけない。なんだか少し虚しくなった。
「別にいいよ。友佳がどう思おうと勝手だよ」
「香純には悪いと思ってるよ。……気を悪くするのは、当たり前だよ」
友佳の顔がどんどん俯いていく。そんなこと言われちゃうと、正直困った。あたしはどちらも好きだ。選ぶことなんてできない。友佳だってどちらかを選ばせるためにあたしに告白したんじゃない。きっと本心を打ち明けたかったんだ。だけど、その気持ちがあたしにとって負担だった。
だけどそんなこと言えるわけない。なら、どんなことを言えばいいのか。
「あたしこそごめん。なんか、気の利いたこと言えなくて。だけど、教えてほしい。どうして嫌いなのか」
あたしはまるで幼児に話しかける心境になっていた。伝わる言葉で、出来る限り優しく話しかける。子供は突然、脈絡のないことを言い出すから、次の言葉に身構える。
「どうして? わたしにしては、どうして香純が茉里を嫌わないのか不思議なんだけど」
すんなりと言う友佳に、あたしは頭を抱えたい気分になった。
「……嫌いだったら、友達になんてならないよ」
呟きにしかとれないようなボリュームでそう言う。なぜか茉里のことを貶しているように感じたからだ。もし聞かれていたらどうしようと、言い終わったと同時に周りを見回してしまった。
「そうなの? 香純は嫌いな人と友達にならないの? 香純は好きな人としか友達にならないの?」
「え、普通そうでしょ? じゃあ、友佳は嫌いな人と友達になっているの?」
それこそ理解できない、と付け足した。嫌いな人と友達になんてなりたくない。普通はそうじゃないの?
「あたしは嫌いな人となるよ。利用したりするの。それじゃあ、それじゃあ、香純はあたしのこと好き?」
その言葉に、面食らう。そんなこと聞かれたのは初めてだったし、後ろとか前とかに人いるし。
あたしが答えるのに躊躇っていると、「どっちなの?」と友佳が促す。あたしはしょうがなく俯きながら「うん、好き」と言った。レズだと思われたら嫌だな、と思いながら。
「嬉しいなぁ。あたしも好き。っていうことは、両思い?」
下品にぐふふと笑う友佳に「ばかっ! レズだと思われるでしょ!」と言いながら軽く頭を叩く。
もう、さっきのシリアスな雰囲気なんてどこかへ飛んでいってしまった。あたしにはこれがよかった。これが気持ちよかった。ふざけあって、笑って。それが幸せだった。
だけど今日はなにかが欠けていた。
「茉里……か」
あたしの隣にいつもいた茉里。それが今日はいない。なぜかとてつもなく寂しい。
なにかの視線に気付いて振り向くと、そこには口をへの字に曲げた友佳がいた。
「あ……ごめん、ごめん」
友佳の前で茉里という言葉は禁物か。そう思うと、またしても寂しさが襲ってきた。
目の前に見える学校が小さく感じた。隣にいる友佳の声が小さく聞こえる。あたしは学校から外に出たら何も出来ない。あたし以外の考えしか知らない。常識的なことしか知らない。隣にいる友人の言葉も聞き返してしまうくらい馬鹿なんだ。
世界は広いんだ。この学校で生きているわけじゃないんだ。
「……あたしって無知なんだ」
学校に足を踏み入れる。そこはあたしの生きてきた世界。だけどいつかは出なければいけない。そのときまでに、あたしは成長しているであろうか。ちゃんと一人で生きていけるようになっているのだろうか。
教室内で走り回る男子、床に座り込んでお喋りをしている女子。一般的な教室の風景。
あたしは席で本を読んでいた。いつもは茉里と友佳とあたしで窓辺に寄り添って他愛のない話をしているのだが、そしていつも友佳が茉里を引き連れてあたしの席まで来るのだが、今日はそういうものがなかった。みんなが騒いでいる中一人でいるというのは寂しいが、なぜだか今日は誰かと話す気にはならなかった。
そんなとき、あたしの目をなにかが覆った。真っ暗になってしまった視界。するとおもむろに声が降ってくる。
「だーれだっ!」
弾んだトーン、すぐに茉里のものだと分かった。
「茉里でしょ?」
そう言うと視界はまた元通りになり、騒いでいる男子たちが視界の中に入ってきた。あたしはゆっくりと振り返る。
「やっぱ分かっちゃった? 今度は声変えてやろうかなぁ」
「それでもすぐ分かるし。あんた馬鹿?」
にこやかに話す茉里を見ると、胸が痛んだ。ああ、この子は知らない。友佳が自分のことをどう思っているのか知らない。それがなんだか可哀想なことに思えてきたのだ。
「そういえば友佳がね、なんだか暗い顔して話しかけても苦笑いしてるんだけど。なんでか知ってる?」
そしてその言葉はとても冷たいもののように思えた。あたしは精一杯の笑顔を作って、
「今日具合悪いらしいの。だからそっとしておいてあげよう?」
そう言う。それと同時に笑顔を浮かべる表のあたしとは反対に、裏のあたしが凍りつく。
嘘ついちゃった。茉里はなにも悪くないのに、あたしは嘘をついちゃった。罪悪感があふれ出てきた。それと後悔も。だけどこう言うしかなかったのだ。「なんか友佳、茉里のこと嫌いらしいよ」なんて言った方が傷付いちゃうよ。だから、今の行動は正解だよね?自分の中で問い、答える。罪悪感を消すために、あたしは言い訳を繰り返した。仕方ない、仕方ない。今のは正当防衛みたいなものだよ。
なんだか自分が自分じゃなくなるような感覚がした。心の中で言い訳を繰り返すあたしが惨めで、けどそうしないと罪悪感で押し潰れてしまいそうだった。
「そっか。友佳も大変だね」
だからそんな笑顔を向けられると尚更その気持ちは強まっていった。モヤモヤ、モヤモヤと、知らない感情がうごめく。それが気持ち悪くくて、悲しくて。
そんなモヤモヤを抱えながら、授業を受けた。こういうときは家に帰って石油ストーブの前で寛ぎたいけれど、義務教育途中なので仕方ない。
そんな毎日を過ごしてきた。友佳と茉里は話すことがなくなり、もう三人で集まって話すなんてこともしなくなった。半分寂しくて、半分悲しい。それにプラスアルファで悔しさが混じってた。
ある日、あたしにとってとても衝撃的な出来事が起きた。出来事と言ってしまえばなんだか大きなことみたいだけど。
数秒前、あたしが茉里と話していると急に友佳が割り込んできて、そのうえあたしの腕を鷲掴みして女子トイレまで連れ込んだのだ。一瞬の出来事で、あたしは何が起きたのか分からずに聞いた。
「突然、どうしたの」
すると友佳がわざとらしくそっぽを向いてしまった。顔を覗き込んで見たが、友佳はぷうっと頬を膨らませて、あたしを軽く睨む。
「なによ、あたし悪いことした?」
「……別に」
「ていうか急に人をトイレに連れ込んで、膨れて、あんたはなにをしたいのよ」
あたしが腰に手を当てて威張ったように言うと、友佳は仕方なさそうにあたしの方を向いた。
「わたし決めた。香純には悪いけど、わたし茉里のこと無視する。ていうか友達解約する」
言い辛そうに、だけど言った後はすっきりしたような表情で、友佳はそう言った。だけどその言葉の意味が、あたしにはよく分からなかった。
「え? どういうことよ」
「嘘でも、あいつと関係したくないの。だから友達とかそういう気恥ずかしいの終わり。後で直接茉里に言うけど、その前に言っておこうと思ったんだけどね」
朗らかに笑う友佳とは裏腹に、あたしは冷や汗を流していた。気付いてしまった。やっと、気付いた。友佳は恐ろしいことを考えていると。
「ちょっと、ちょっと待ってよ! 無視するって……本気で言ってるの?」
こくんと頷く友佳を見て、あたしは金縛りにあったようになった。だけどまだ信じられなかった。だって一週間くらい前には一緒に笑っていた。それなのにどうしてこんなに変わってしまったのだろう。今の状態でも、十分キツいっていうのに……。
よほどあたしがひどい顔をしていたのだろう。友佳が悲しい笑みを浮かべて、こちらを見ている。
「じゃ、じゃあ教えてよ。前にも聞いたけど、どうして嫌いなのか……! それ聞かないと、納得できないよ」
あたしは両手を強く握り締めながら言った。汗をかいたのか手のひらはものすごく湿っていて、自分でも気持ち悪くなった。
友佳はこんな様子のあたしを見て溜め息をつくと、重い口を開いた。
「だよね。納得できないのも、当たり前だよ。……理由は、多分香純は知らないんだろうけど、あの子は最低なのよ!」
友佳の声が荒らげる。それと同時に壁のタイルを拳で思い切り殴る。あたしが初めて見た、荒い友佳だった。まるで人が変わってしまったようだった。
足が多分震えていた。怖くて、過去を語る友佳の目が怖くて、あたしは逃げ出したくなった。だけど、理由を聞きたい。その一心で、あたしは足を踏ん張らせた。
「わたしの筆箱とか、シャープペンとか、全部パクってきたのよ? わたしはずっと黙っていたけど、あの時はもうぶちぎれたわ。香純の悪口を言ってたの。知ってた? あんなすまし顔して……そのとき、わたしは信頼という文字を理解できなくなっていた」
友佳が言葉を切る。まるで走り終わった後のように、友佳は肩を上げ下げして、一生懸命息を吸っていた。そんなとき、廊下の方から授業開始のチャイムが鳴ったけれど、それも気にせず友佳は続ける。
「……だけど今までずっと一緒にいたのは、香純のためよ」
言い放たれた言葉は、あたしにとって途轍もなく重かった。重くて、重くて、あたしは重さに耐えられなくて潰れそうだった。
「……なん、で?」
「だって信じているでしょ、茉里のこと。自分の友達だと思っているでしょ? そんな純粋な香純を傷付けたくなかった。だけどもう限界」
一気に言葉が流れ込んでくる。凶器にもなりそうな言葉が。
茉里は最低? 茉里が友佳のことをパクっていた? 茉里があたしの悪口を言っていた? 友佳はあたしのために、今まで怒りを溜め込んでいた?
「だから、香純はわたしの味方だよね」
気付けばあたしの肩には友佳の両手があった。そしてあたしの正面まで迫って、聞いてくる。震えた声で、泣きそうな顔で。
そうやられてしまうと、あたしは頷くしか他の方法がなかった。
「……うん、もちろんだよ」
俯きながら、だけどあたしはしっかりと言った。そしてその言葉を聞いた後の友佳の満面の笑みが、なぜか少し憎たらしくなった。
巻き込まれただけじゃない。あたしはもう完璧に呑み込まれてしまったのだ。このドロドロとした関係に。
重い足取りで家に帰る。そして灯油ストーブには寄らずに、重い体をソファに預けた。なぜだかとても疲れた。
「この頃茉里ちゃんと友佳ちゃんと遊ばないのね。どうしたの?」
「別にどうってことないけど」
平然と尋ねてくるお母さんに、あたしはテレビを見ながらそう考えた。「まったく、この子は手伝いもしないでテレビばっか……」というぼやきが後ろから聞こえる。
別にテレビが見たいわけじゃない。芸人たちの笑い声はあたしの耳をすり抜けていく。何のやる気も起きない。つまらなくて、だるくて、面倒臭くて、溜め息をついた。
「今日は寝る。ご飯はいらないから」
やる気が起きないと食べる気もない。あたしは投げやりにそう言うと、テレビを消して二階にある自分の部屋へ向かった。後ろでお母さんが何か言っていたけれど、それも無視して。
スイッチを押して、部屋の電気を付ける。そこにはパステルカラーで彩られたあたしの部屋がある。本棚、ベッド、勉強机、必要なものしか置いていなく、殺風景である。
あたしはベッドにダイブして枕に顔を埋める。その際に壁にかけられていた時計を見たのだが、まだ七時だった。当然眠くならない。けれどもう動く気はしなかった。
何も考えないと、今日の出来事がスライドショーのようにして頭の中に浮かんだ。今日は嫌なことがたくさんあった。色々なことを聞いた。だから疲れたのかもしれない。
だけど一番傷付いたのは茉里があたしの悪口を言っていたということだ。それとは反対に友佳はあたしのことを必要としていてくれたみたいだが、あんな必要のされ方は嫌だった。
あたしは静かに目を伏せた。今日の出来事が全て嘘でありますようにと願いながら。それが叶うはずないと知っていたけれど。
地獄の日々が、始まる。あたしにとっても、茉里にとっても。きっと友佳は思い切り嫌いな奴を痛めつけられて清々しいんだろうが。
「ねえ、友佳って機嫌悪い?」
学校に来るとすぐに茉里が寄ってきた。そして心配そうな顔で聞いてくる。
「え? どうしたの? なにかあった?」
「なんか睨んでくるんだけど……あたしなにかしたかなぁ?」
ちらりと後ろを盗み見て、茉里は肩を竦めながらそう言った。あたしも合わせて後ろを見てみると、そこにはこちらを睨んでいる友佳がいた。それを見て、昨日の豹変した友佳を思い出す。ああ、本格的に始めるんだ。昨日のは嘘じゃなかったんだ、と。
あたしは苦笑いして、「ごめん、分からないや」とはぐらかした。茉里が口をへの字に曲げて唸っていたが、それは見ない振りをした。ずっと見ていると茉里が不憫すぎて悲しい気持ちになってくるからだ。
「香純、こっち来てよ」
すると突然、後ろの方で声がした。それは紛れもなく友佳のもので、さっきの会話を聞かれていないか、なぜだか急に不安になってきた。
「香純!」
再び呼ばれ、あたしの体は予想外にも跳ね上がった。隣にいる茉里に一言告げてから行こうと思ったが、友佳に怒鳴られそうだったのでやめた。
まるであたしの世界は友佳が中心に回っているかのようだ。あたしの前で胸を張って歩いている友佳の背中を見て、そう思った。
友佳はあたしを茉里がいる場所から少し離れた場所に連れて行くと、両肩を揺らしながら叫ぶように言った。
「香純、昨日わたしの味方だって言ってくれたよね?」
そのときの友佳はあたしを睨んでいるわけではないのだがどこか怖くて、あたしは脅迫されている気分のようになった。まるであたしは蛇に見込まれた蛙状態だ。
「それなのに、どうしてあんな仲良さげに話しているの? ねえ、どうして?」
「……ごめん」
あたしは俯きながら言った。すると肩が軽くなる。友佳の話が終わったのだ。あたしは安堵の溜め息を友佳に気付かれないように吐き、恐る恐る友佳を見る。
いつも通りの優しい目。にっこりと微笑んで、「分かってくれればいいの」と言う。
「わたし、怖いの。香純が茉里に取られちゃうんじゃないかって。香純はわたしにとっての一番の友達だから」
そうでしょ? と付け足す友佳。きっとこれが「友佳は茉里を嫌っている」発言の前のものだったら、「あたしもよ!」って感動して抱きついちゃうんだろうな。だけど今回は、どうしてもそんな純粋な目では友佳のことを見れなかった。この笑顔の裏には憎悪が溢れているんだと思うと、どうしてもおぞましく思ってしまうのだ。
あたしは適当に返事をする。もう二度と茉里に微笑みかけられることはないんだと心の中で嘆き叫びながら。
「あ、わたし先生に呼ばれてたんだ」
暫くして友佳が思いついたようにそう言った。
「そうだったの? じゃあ、早く行かなきゃじゃん」
「うん、ごめんね。多分ホームルームが始まるまでに帰ってくると思うけど……」
そう言葉を濁しながら、教室を去っていった。それを手を振りながら見送る。それがあたしの役目なんだと、薄々勘付きながら。
そして友佳が見えなくなるとあたしは何の原因か分からない溜め息をついて、席に着いた。まだ教科書を鞄から出していない。あたしはのろのろと手を動かしていた。
すると後ろから声をかけられる。
「香純、さっき友佳と何の話していたの?」
一人でもそもそと動いているあたしに話しかけるのは、茉里しかいない。あたしは振り向きもせず、作業を止めた。
「あっ、聞いちゃいけないことだった?」
脳に命令を下す。無視しろ、無視しろ。友佳と約束してしまったんだ。約束を守らなければ、なにがあるかは分からない。もしかしたら友佳が見ているかもしれない。
あたしはなにも言わずに、教科書を机の中に突っ込んだ。そして、机に突っ伏す。
あたしにはそれしか成す術がなかった。無視して作業をするなんて、茉里は絶対に傷付く。腕に目を押し付けた。
「……具合悪いの? 大丈夫?」
茉里が優しく声をかけてくる。目尻が熱くなってきた。あたしは目を押し付ける力を強めた。涙を流すな、これ如きで。あたしの弱虫。
暫くして何も反応を示さないあたしに愛想尽きたのか、茉里が離れていく足音が聞こえた。あたしは溜め息をつき、静かに顔をあげた。きっとひどい顔をしている。だけど今はそれも気にせず、顔を両手で覆った。
ごめんね、茉里。絶対傷付いているよね。悲しいよね。あたしのせいで嫌な思いをさせちゃったね。だけどあたしも、こうしなきゃいけないんだよ。多分これからこれが当たり前になってくると思うんだ。一緒に強くなろう。
胸が締め付けられるような感覚に陥る。罪悪感があたしに降り注ぐ。第二次世界大戦で例えるのならば、あたしは兵士。恋人がユダヤ人。みたいな感じ。そしてあたしは恋人を殺さなきゃいけない。悲しくて、辛くて。だけどその行為は「仕方ない」の一言で片付いてしまう。
そして実行して初めて思った。ドラマや漫画で人をいじめるような残酷な人間がいるけれど、ああいう人たちはこういう気持ちにならないのかと。いいや、きっと血も涙もないような奴なんだ。だからあんなことが出来てしまうんだ。
さっきのことを思い出さないように、授業に没頭した。だけど何も考えていないと、すぐに思い出としてあたしの頭の中に入ってきた。
「小林さん、この問題は分かりますよね? 小学校一年生の問題ですよ」
だから苛々してくる。授業が面倒臭くてたまらなくなる。中々問題を答えない奴が鬱陶しくてたまらんくなる。
小林さん、正直に言っちゃいなよ。問題を聞いていませんでしたって。ずっと立ち尽くしていても、何も状況は変わらないんだよ? ていうか関係ない人に迷惑かけているって分からないの? もう、ムカつく!
「小林さん、分からないんですか?」
「えっと、その……」
もじもじする柴田さん。あたしの隣の席の女の子で、あまり目立たないタイプ。小突きにくくて、あたしは好きじゃない。そんな人がこんな態度をとっていると、尚更イラついた。
いつまでも答えを出さない小林さんに、あたしは痺れを切らした。先生に気付かれないように、そっとシャープペンを小林さんの机目掛けて突き刺す。そして精一杯の威圧感を出そうと、不思議な顔をしてこっちを向いた小林さんを睨みつけた。
すると「ひぃっ」という間抜けな声を出して、萎縮してしまった。
「どうしたんですか?」
「い、いえ……なんでもありません」
肩を震わせながら答える小林さんに、先生がふうと溜め息をついて言う。
「……仕方ないですね。座りなさい」
電池が切れたかのように小林さんが椅子に座る。その際にビクビクしながらあたしの方を見てきたけれど、あたしはわざとらしくそっぽを向いた。だけど視線を感じ、あたしはちらりと小林さんを横目で見た。
悲しい瞳がそこにはあった。同情しているような、哀れんでいるような瞳。そしてその瞳に映っているのは、惨めな顔をしているあたし。
それを見た途端、あたしにどことなく冷たい感情が襲い掛かった。言葉では説明できないような、冷たく凍り詰めた感情。そんな感情が、体の中を支配していく。そしてあたしは、悲しくて、怖くて、泣きたくなった。
あたし、何してるんだろう。罪のない小林さんに八つ当たりして。血も涙もないのは、今のあたしじゃないの。
あたしはゆっくりと小林さんの方を向き、先生に聞こえてしまわない程度の声で謝った。
「ごめんね、変なことして……。驚いた、よね?」
小林さんは「別に気にしてませんよ」と素っ気無く返事を返したけれど、本当はどう思っているのかと考えると胸が痛くなった。自分のしたことなのに、責任取れないなんて最低だ。そうやって自分を苛みながら、授業は終わった。
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2008/01/05(Sat)21:03:56 公開 / あひる
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まだ未完成です。