- 『或る巨大樹』 作者:Error / リアル・現代 ファンタジー
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原稿用紙約9.1枚
全ては一本の巨木から始まった―――
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Chapter.1
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@ 或る大樹
三芳町の丘陵に、蓮ノ湖を中心とした湖が幾つか点在する湖沼地帯がある。その湖の一つ、浅間湖畔の憩いの森にただ一つ酷く老いた樫の木があった。
樹齢はおよそ500年、高さは30メートル近く、胴回りも楽々5〜6メートルを越えるであろうこの巨木は、森の王者に相応しく辺りを睥睨するかのように生えている。既に世界遺産登録の話も少し前から上がっているらしい。
最も、この巨木が知られるようになったのは、伊達に長い年月を経たからではない。この巨木が、とても不思議な力をもっているからである。
故に、その名は『ユグドラシル』。
早くもこの町にまだ来たばかりの僕は、長寿の巨木に少なからずとも、しかし確かな興味心を抱いていた。
「ユグドラシルに選ばれた者は、“世界を逸脱した力”を得ると言われているのだよ」
“世界を逸脱した力”をユグドラシルから受け取るには至って簡単、ただ触れるだけでいいらしい。
ただし、触れた時点で何も感じなければ選ばれなかったという事になる。
書斎の椅子に腰を掛け、頬杖をついている相楽先生は僕に対してそんな事を話してくれた。銀縁眼鏡の奥にある目が愉快そうに笑っている。
相楽先生は、数十年前に女子大を退職した元教授で、滅多に床屋に行っていないようなぼさぼさの白髪頭に加え、背が高く痩せ型からか、鶴のような老人だった。よれよれのカーディガンを羽織っているせいか、70歳という実年齢より少々ふけて見える。
とは言ったものの、ぼそぼそ喋る割には信じ難いほど声が聞き取りやすいので、どうやら長く教壇に立っていたのは伊達ではないようだ。
「まぁ、多くの時を得た物に限って特殊な能力が宿る……と言う事ではないかな?」
成程、女子大で相楽先生にお世話になった姉が、この人を過大評価するのも無理はない。
相楽先生は女子大学生相手に、講義の合間にいつもこのような話をしていたのであろうか。専門学こそ僕は知らなかったが、授業もそれなりに面白かったのだろう。
先生は十年以上前に長き休暇を取って、日本中を放浪した事があったらしく、その時ユグドラシルの話を知ったらしい。
その相楽先生の家で三芳町に引越して速攻、僕は便利屋である『お助け堂』から派遣されて週に一度、日曜日の午前中に家事手伝いサービスのアルバイトをしている。
ただ、中学三年生なので正式なバイトではない。バイト代の方も近所の知り合いの店などをお助けして、お小遣いを貰っているという形になっている。だが事実、お助け堂は我が家のお隣にあるので、とりあえず、あながち嘘にはならないと思う。
その便利屋の家事手伝いサービスというのは、いわゆる家政婦さんの仕事とは少しばかり異なって、掃除や片付けの方があくまでお助けのメイン、加えてお客様のご要望に応じて「お手伝い」をするのである。お助け堂のパンフレットには、家事手伝いサービスに至ってはこのように書かれている。
少しばかり、お助けの範囲が広いのでは? と、思ったのは嬉しい事に僕だけではなかったようだ。
―――日常の家事一般、お困りの事をなんでもご相談ください。庭の草刈、水撒き、家の簡易補修から、お留守番、話し相手、お買い物など、なんでも承ります―――
一般の家では、家族の誰かが普通にしているような事ばかりだ。
しかし、一人暮らしの年寄りは、廊下の切れた電球の付け替えすらままない事がある。実際、お助け堂の客は、年金暮らしで生活も豊かな独居老人や、病人を抱えたりして忙しくしている主婦などが多く、相楽先生も奥さんに先立たれての一人暮らしで、僕がこの町に来る少し前に転んでしまって手首と右足を痛めてしまったと先生自身が苦笑して言っていた。
そのためなのか、家の中のこまごまとした雑用が溜まりに溜まったのでと、お助け堂にお助けの依頼を出したらしい。
「手を悪くすると、年寄りはどうもイカンな。何かとつけ面倒臭くって」
相楽先生の家は北欧式の輸入住宅で、麻倉山と呼ばれる住宅街の中では目が向いてしまうほど特別大きな家であり、なによりに庭が驚くほど広かった。防塵マスクを借りた僕が、芝刈り機の延長コードを引き摺りながらその芝を刈っていると、無意識に宇宙船で船外活動をしている宇宙飛行士になったような気分がした。
あらかた芝を刈った頃、相楽先生が庭に出てきた。庭にはテラスと白くお洒落な椅子が置いてある。
「まあ、ちょっと一休み、なんてしないかね」
先生が僕に座るように促す、正直疲れていた僕は情けなくその言葉に甘えてしまう。
手渡された果汁100%のオレンジジュースはとても冷えており、のどが渇いていたのでやたらに美味しい。冷えていたので尚さら美味しく感じられた。それから、先程のユグドラシルの話を聞いたのだ。これは何も話し相手が欲しくて、相楽先生は僕に語ってくれたのではない。
「そういえば……君の名前は何と言うんだね?」
「亮太です。佐伯亮太」
但し、聞き手である僕―――佐伯亮太はユグドラシルの話をどう受け止めたのだろうか?
A HOME
そんな相楽先生とのやりとりを時間が経つままに続けていると、やがて季節は変わり、既に11月に突入していた。
この日の相楽家でのバイトは、二階の片づけだった。
流石に二学期のこの時期くらいになるといくらのんびり屋に楽天家を兼ね備えた僕でも、いい加減来春に迫った入試の事を考えずには居られなくなっていた。そうなると、相楽先生と過ごす日々をいずれは止めなくてはならないだろう。その事は前々から悟っていたが。
「本や雑誌は下の書斎に持っていた方がいいですよね?」
「ああ、そうしてくれ」
この日、相楽先生は亡くなられた奥さんの遺品の整理を急に思いついたらしく、今朝、僕がお邪魔した時には既に一人で忙しそうにしていた。その内に片付けようと思っていたのだが、いつの間にか月日が経ってしまったと、先生は少々弁解するように言った。
奥さんの衣類は、主に衣類。他には古いラジオや小型テレビ、分厚い本や手紙の類だった。
相楽先生は、奥さんの寝室だったという部屋の真ん中に座り、荷物の仕分けをしている。手紙などは一つ一つ丹念に中身をチェックしていたので、作業は中々はかどらなかった。
先生は、ダンボール箱に読み終えただろう手紙を放り投げると、途方に暮れたように散らかった衣類を眺めて溜息を吐く。
「……どうかしましたか?」
「いや、何でもないさ」
苦笑し、先生は「よっこらしょ」と立ち上がり、背伸びをすると、吸い込まれるようにベランダへと向かう。
「今日は良く晴れたな……ご覧、森が燃えているようだ」
誘われて、ベランダの柵越しに外を覗くと、思わず息を呑んでしまう。
相楽家の庭の向こうは崖で、森が広がっていた。
二階から眺めると、憩いの森は一層と果てなく続いているように見えた。
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2007/12/26(Wed)09:39:25 公開 / Error
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■作者からのメッセージ
初めまして、Errorと申します。
お目を汚してしまうような小説を書いてすみません。
いつかは皆様と肩を並べるようになりたいと思っています。
尚、更新はスローですが、どうかご了承してください。