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『塾の帰りと缶コーヒー』 作者:うぃ / 未分類 未分類
全角4609文字
容量9218 bytes
原稿用紙約12.9枚
「うっす、コーヒー買ってきたぞ。
 カフェオレと無糖のが有るけど、お前はどっちがお好みよ?」
「……飯塚君は本当に頭が悪いなぁ。
 あのね、私が買ってくる時はいつも微糖とエメラルドマウンテンでしょ? エメラルドマウンテンが私で微糖が飯塚君って言うのはもう定例化してたと思ってたんだけど、君はそんな事意識してなかったのかな?」
 はぁっと白い息を吐き出して、彼女はそんな文句を言いながらも俺が買ってきたカフェオレの缶を奪い取るかの様な乱暴さで受け取って、風呂上りに飲むコーヒー牛乳を連想させるような豪快さで一気に飲み干した。表情は実に満足気で、 「ん、以外とカフェオレも美味しいもんだね」 何て言う言葉には聞こえない振りをしてやるのが優しさと言う物なのだろうか。
 見呆ける事三十秒ほど、何の意味も無く彼女の事を見詰め続けているこちらの視線に違和感を感じたのか、彼女はこちらを訝しげににらみつけてきたので、視線を逸らす意味も込めて無糖のコーヒーを一口分だけ飲み込んだ。
 黒い塊が口内を汚染していく。初めて体験する苦さを毒と判断した俺の喉元はそれを飲み干す事を拒んで、遂に耐え切れなくなって吐き出してしまった。
 黒い液体が地面に染みを作る。それとほぼ同時に、白い吐息が天まで昇っていった。
「うわっ、ちょっ、何やってんの飯塚君!? そりゃぁ無糖の缶コーヒーなんて美味しい物じゃないけどさ、それにしても一応女の子である私の前でそんな羞恥心の欠片も見えないようなアクションを起こすのはどうかと思うよ!?」
「……あー、わりぃ。正直無糖のコーヒーがこんなにまずいと思わなかった」
 反省反省。例えどれだけ頭の回転が鈍くなったからと言っても、以後無糖のコーヒーだけは飲まないようにするとしよう。
 ――――これは、既に惰性と慣性に埋め尽くされている塾が終わった後に行う二人だけの会合だ。最初に始めたのはいつの事だっただろうか、単に帰り道の方向が同じというだけで普段の学校では特別話すような事もない俺達は、長い間縛り付けられていた勉強という時間から抜け出した開放感も相成って、帰り道はいつも近くにおいてある自販機からコーヒーを買ってベンチに腰掛けながら他愛も無い会話を繰り広げているのであった。
 いや、話す事がある日はまだ幾らかマシだろう。酷い時はお互い話すべき話題が何ひとつ見つからず、終いには先に声を出した方が負けだなんていう小学生みたいな片意地に押し付けられて三十分程度の時間をお互い何一つ喋る事無く終わらせる事も有るのだから。
「模試どうだった? 私前から成績あんま上がらなくってさ、まだ偏差値五五位しかないんだよね」
 しかし、幸いな事に今日はとっておきの秘密兵器みたいな話題があるのだった。まぁ残り時間は三十分しか無い訳だし、秘密兵器と言っても五分も温存すれば廃棄処分になりかねない様な物なのではあるが。
「んー、俺はなんとか六十程度はあるかなぁ。まぁ俺の志望校は対して偏差値高くないから、残りの一、二ヶ月を極端な手抜きしなければどうにかなると思うけどね」
「因みにそこの学校の偏差値の詳細は?」
「五七。まぁ俺なら気を抜ければ大丈夫、お前でも一歩背伸びすれば届く程度のレベルの学校だな」
「……頭の出来の割に随分と低い所選んだんだね。
 それでその私でも背伸びすれば届くレベルの学校って言うのは、詰まり私に対して嫌味で言ってるのかな? それとも、頑張って勉強して一緒の学校に行きたいって言う遠まわしな愛の告白なのかな?」
 ニヤニヤと下品な笑いが彼女の口元から零れ出る。彼女はどうやら軽いサドっ気が有るらしく、コチラが返答に困るような質問をする時はいつでもしてやったりと言うような嫌味な笑いを浮かるのだ。
 俺は少し気恥ずかしくなってコーヒーを一口飲み込んだ。先程の事で多少は耐性が着いたとは言え、こんな苦くて粉っぽい飲み物の何処を好んで大人達は飲み干すのだろうと思ったけれど、しかしこれを飲み干した後にいかにも美味しかったですというかの様に息を一つ吐き出したら大人への階段を三段飛ばしで駆け上る事ができる気がしたので、俺は神にも挑むかのような覚悟で苦味に埋め尽くされた喉元をふるわせようと試みるのであった。
 しかし、俺の挑戦は敢え無く失敗した。コーヒーを飲み干して満足気に息を吐き出す事は叶わなく、少しでも苦味を紛らわせるようにと俺は公園内の空気を全て吸い込んでしまうんじゃないかと言う様な勢いで夜の冷え切った空気を吸い込むのだった。
「バカ、そんなの嫌味に決まってんだろ。俺とお前じゃ頭の出来が違うし、そもそも高校に入ってまで俺はお前の顔なんて見たくねーよ」
「あはは! 確かに、言われてみれば私も高校に入ってまで君の顔なんて見たくないかな!
 美人の顔だって三日も見れば飽きるって言われてるのに、ましてやそんな辛気臭い顔をいつまでも見せ付けられたら私としても溜まったもんじゃないさね!!」
 彼女はツボに入ってしまったらしく、そのまま自分の笑い声で耳を潰しかねないんじゃないかと思うほどの声の大きさで笑い転げた後、吐き出しつくした生気を吸い尽くすかのような必死さでヒーヒー言いながら周りの空気を奪い取ろうとしていた。
 ……いや、そりゃぁ確かに煽てにも華のある顔だとは言えないけどさ、それにしてもそこまでとぼす事は無いんじゃないだろうか。打ち伏せられた心は無意識に手に持っていた暖かさを求めて、それまた無意識のままにもう二度と飲むものかと誓った筈の半分程に減ってしまった缶コーヒーを口に運ぶのであった。
「うっせーなぁ。確かに俺は別に美男子でも何でも無いけどよ、それでも味のある顔なんだと自負してるんだぜ?」
「ほぉ、それは詰まりどんな味なのか具体的に言ってみなさいね」
「詰まりだな、スルメみたいな細長い顔って訳だ。
 ほら、あれって噛めば噛むほど味が出るだろ? イケメンさんは食べちまえばそこで終わりだろうけどさ、スルメみたいな顔なら食べるのにも時間が掛かるし、食べ終えた後にその食後感を肴に酒だっていけるって物だろ?」
「成る程ね、確かに君の顔は細長いかもしれないね。
 だけど残念かな、君の理論でいくとすればつまり君の顔は細長い焼き海苔にだって準える事だって難しく無い訳じゃない? やっぱりそう考えるとさー、私としては負け犬の遠吠えにしか聞こえないのよねー」
 うふふっと、今度は人生のありとあらゆる辛苦を味わってきた老齢の婦女の様な笑いを彼女は浮かべた。
 女は総じて生まれついた頃から女なのである。難しく言わなければ、詰まる所皆心の根っこでは意地の悪い心を持っているのだ。女性の方が力の弱かった古きよき時代の日本ではこんな状態をカカァ天下なんて言ったらしいけれど、男女の力関係が逆転してしまった現代社会ではこんな女に立ち向かえるような力を持っている男なんて、それこそ世界中でも数えるほどしかいないのである。
 心は今度こそ打ち砕かれた。手を伸ばすのは先程の缶コーヒーで、少しだけ冷めたブラックのコーヒーは先程までの苦さを潜めて、少しだけハードルの下がった大人への階段に先程殺された俺の心はギリギリで耳にした吉報のおかげで再び息を吹き返すのであった。
 喉元までコーヒーがやってきた。夢にまで見たコーヒーを飲み干そうと言う瞬間に、彼女はそれに制止を掛けるかのように一言呟いた。
「……でも、美人は三日で飽きるけど不細工は一生見ても飽きないって昔から言うしね。
 もしも君がその気なら私もあと十年程度は付き合ってあげても良いんだけど、どうしようかな?」
 ――飲み干そうとしたコーヒーが再び浮き上がってくる。足元はまるで酔っ払ったみたいに定まらず、頭も酔っ払ってしまった頭を追いかけるかの様に沸々と茹で上がってく。それでも視界だけは嫌にはっきりしていて、目を逸らしたくなる位に真っ直ぐとコチラを見詰めてくる彼女の試すような視線が覗いている。
 一瞬、間が空いた。耐え切れなくなってコーヒーを吐き出そうとして目を逸らしたその瞬間に、彼女は空いた空白を埋め尽くそうと言うように口を開いた。
 泣きそうな眼をしていた。言わなければ良かったと、責める相手を見失ったせいで自分を縛り上げるかのように自責の色が強く見える瞳だった。俺を責めないようにと努めて抑えているその瞳が、逆に俺を深い闇へと落としていく。
 堕ちようとした心が、まだこの関係を続けていたいと踏みとどまった。消え入りそうだった瞳に再び火が灯っていく。
 喉元まで競りあがったコーヒーを飲み込んだ。
 満足気にひとつだけ息を吐き出した。
「あのなぁ、そう言うのは女からじゃなくて男から言う物なんだよ」
 時間が止まる。先程発してしまった失言を挽回しようと鳴らしかけた彼女の喉は止められて、その代わりに予想外の出来事からくる驚きのせいで眼を丸めてこちらを観察しようとしてくる。
 目は逸らさなかった。逸らさない瞳に意志を感じ取ったのか、彼女は諦めたように白い息を吐き出して再び俺に笑いかけた。
「あのねぇ、いつになったらそんな引っ張ってくれる様な言葉を言ってくれるのかな? あんまりそっちが口にしないから、私がこんな恥ずかしい事口にしなきゃならなくなったんじゃない」
「あー、まぁ確かに今すぐとは言えねーけどさ、まぁ高校入るまでには言っておくよ。
 それとも高校の合格発表の時とかどうよ? お互い合格したご褒美と言うか、それにこういう願掛けしとけば必ず受かるんだって漫画とかで相場が決まってる」
「……以外と君ってロマンチックなんだね。確かにそういう臭い演出とか嫌いじゃないけど、それにしてもそういうのは本人に言ってちゃ意味がないと思うんだ」
「うっせー文句言うな。俺だって恥ずかしくて溜まんないんだから、その程度の失態くらいには目を瞑れって――――」
 そこまで口にして、足元から最近流行しているアーティストの最新のシングルが流れてきた。発信源は俺の携帯からで、コーヒーを買ってくる前に時間制限として用意しておいたアラーム機能が鳴り響いたのだと理解するまでに十五秒程の時間を要した。
 気まずい沈黙が流れる。口にするべきだった最後の言葉は遂には出てくれる事は無く、やっぱり最後まで間の悪くなった時にはこのクソ不味いコーヒーを飲み込んで時間を潰すのであった。
 最後の一滴を喉の奥にまで放り込む。そうすると見計らったかのように彼女は立ち上がって、先程までの会話の名残をすっぱりと断ち切るかのような機敏さで自分の自転車の前まで歩いていった。
「じゃぁ、今日はここまでで。
 もう少しで面白い話が出来そうだったんだけど、まぁそれはまた今度――――うん、あの高校の合格発表の時にでも聞かせてもらえると嬉しいかな」
 最後にそれだけ言い残して、彼女は風の様に去っていった。立つ鳥後を濁さずとは言うが、ここまで先程の会話の余韻を断ち切られてしまうと俺としても困り物である訳だが。
「……なんだ、お前も何だかんだでロマンティストなんじゃないか」
 最後に精一杯の言葉を口にして俺も公園を後にする。張り詰められた空気に文句でも言うかのような溜息を最後に一つ吐き出した。
 白い吐息は、名残も見せずに暗い公園の中に解けていった。
2007/11/20(Tue)22:03:09 公開 / うぃ
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■作者からのメッセージ
自分が書いた作品を、少しでも多くの人に見てもらいたいと思って初めて書き込みをさせていただきました。
ここをこうした方が良いんじゃないか、というような指摘があれば言っていただけると幸いです。
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