- 『ともし火』 作者:宝積ハコ / リアル・現代 未分類
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全角12169.5文字
容量24339 bytes
原稿用紙約35.65枚
夜の帳でライターの火を灯す中学生の僕。同級生の怜奈との危険な恋。母親からの虐待とその復讐。
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学生服のポケットからライターを取り出して火をつける。真夏の、ジメジメした風のない夜空の下で、僕を照らしているのは多分、満月とこのライターの小さな灯だけで、周りには誰もいなくて、寝静まった家の輪郭だけが見えて、僕はコンクリートの家と、木造の家との狭い隙間にうずくまって、だから僕の今見上げている満月は、時が経てばその屋根と屋根の間から通り過ぎて消えてなくなって、そのうち、このライターの灯以外はもう誰も僕を照らさなくなってしまうだろう。
――ライターの火をもう一度、灯してみる。
タバコを取り出して口にくわえた。
「帰ろう?」
もうすぐ8月が終わって、新学期が始まって中学校に行くと、またあのくだらないクラスメイトたちと窮屈な授業を受けなければならない。放課後になると怜奈が僕のところに「帰ろう? 」って誘いに来て、僕は何の返事もせずに、でも悪い顔は一切見せずに、他にやることもないから結局一緒に家路につく。
――怜奈は通りに人気がなくなるとすぐ手をつなぎたがった。
僕は照れくさいけれど仕方なく黙って受け入れた。僕の部屋の、白いソファーベッドで二人は交わって、果てるとそしてタバコを吸った。一本のタバコに怜奈が火をつけて、ひと息だけ吸うと僕にそれを咥えさせる。僕がひと息すると怜奈にもう一度それを渡す。何度か繰り返して灰皿にもみ消して、やることがないからもう一度、セックスする。そのうち少し眠くなって、夕暮れまでベッドの中でなんとなく目を閉じて過ごす。また次の日、学校に行って、授業を受けて、放課後は怜奈とセックスしてから、またタバコに火をつけ、またセックスしてタバコを、吸う。
僕の父親は、「それが法律だから未成年のうちはタバコを吸うな」と言った。法律が無ければ吸っても良いのかと僕が訊きなおすと、「身体に良くないのだからなるべくならば吸わない方がいい」と答えを変えた。「それに、悪臭を放つなら周りの人たちのことも気を使うべきだし、何より経済を考えれば、お金は有効に使った方がいいはずだろう」と付け加えた。
「社会に出て、お前が働いて稼ぎ出したお金でタバコを買って、周りの人の迷惑の多少や、多少の自分の身体に対する迷惑を考えた上で、それでも吸いたいと思うのなら、大いに吸えばいい。親が介在しているうちは、何をやってもそれを生意気と言って、とても軽はずみで薄っぺらで頼りなくて、大人から見れば滑稽にしか映らない行為だったりする。
――大人から見たお前は、お前から見た幼稚園児みたいなもの。
だから年相応でいて似合わないことはやらない方がいい。仲間の空気も、クラスの空気も、だけど社会の空気だって、読むべきだろう?」
いつもは無口な父親が、いつの間にか饒舌になって、喋っている間中、ずっと照れくさそうに微笑んでいた。
「……」
静かな平日の住宅街の深夜の帳、隙間から通り過ぎても満月ならかろうじてうっすらと残る輪郭を輪郭として認識させる灯がかろうじて心を落ち着かせている。灯しすぎてヤケドしそうになるライターの着火にあてた右手の親指。軒下と軒下の間にある細いコンクリート側溝に流れずに溜まったヘドロのかすかな悪臭。故意に僕が望んでここにこうしているのに、不意に誰かに強制されてこの場所に連れてこられたみたいな錯角が時々頭をよぎる。
――どうしてだろう。
「……どうしてだろう」
どうしてだろう。怜奈はすでに、小学校の4年生のときにセックスを経験していた。母親の趣味で、茶色く染めた長い髪にウエーブをあてたランドセルを背負った怜奈は、それを玄関に投げてしまえば私服に着替えた高校生に見違えた。身体の成長の早かった怜奈は、その頃すでに身長が150センチもあって、ブラジャーをしないと薄着のときは多少胸元が恥ずかしく透けて、生理はもちろん始まっていたなら化粧を真似ると立派に大人の女を錯覚された。
ある日、いたずらに母親の鏡台でメイクや髪を整えた怜奈は、誰かに見せたくなって夕暮れの繁華街に出てみる。馴れないはずのハイヒール、間もなく踵の痛みにいたたまれなくなって、通りを避けたところにうずくまって痛みの引くのを待っていると、知りえない大人の男が気安く声を掛けてきた。ネクタイをしない風体がどうみても世間ずれして怪しいし、目つきが冷めていて危険を感じたから、一生懸命に、何度も何度も自分が小学生だということを訴えたけれど、せいぜい中学生止まりと高をくくられて、半ばしつこく軽い調子で、あるいは下手にまわっても半ば強引に、いつの間にか、本当にいつの間にかホテルの一室に連れて行かれた。
「萎縮して声が出なくて、萎縮しすぎると涙も出なくて、家に帰って両親には、足が痛くて公園で休んでいたらそのまま眠ってしまったと嘘をついたの。男が無理やり手に握らせた一万円札、こづかいの1年分にもなるかもしれないその紙切れを、私は自分の部屋に戻ってライターで火をつけて燃やしきった。お札は、燃やすと、他のどんな紙の焦げた匂いとも違うと思ったのは、その時の私の嗅覚が、無理やりなセックスのせいで麻痺していたからかもしれない」
怜奈はなぜか、なつかしい思い出話のように、ためらう僕に笑いながら話した。
「ナイキのエアが1足、買える」
「1万円?」
「そう、1万円」
怜奈と僕が出会ったのは、ただ単に中学の入学式の日で、たまたまクラスが一緒の上に名簿順に並べた机が隣同士だったからという以外の何物でもなかった。隣同士ならクラスをいくつかに分けて当番制で行う放課後の掃除が一緒だったし、入学したばかりなら席順と同じに名簿の順位で決めるしかないから委員会が一緒だったし、なにより男女ペアの日直が一緒だったからごく自然に一番早くに仲良くなった。
入学三日目くらいの休み時間、「クラブは何にするの」と怜奈に訊かれて、小学校の頃は水泳クラブだったけれど、このまま続けるかどうか決めてないことを僕が告げると、「街のスイミングクラブに入会して、学校のクラブは遠慮しようよ」と怜奈は僕に勧めた。見た目の怜奈の、歳のわりに跳びぬけて背が高いのが水泳の賜物なら、他と比べていまいち背の低いだろう自分にもその可能性を期待して、僕は軽はずみに「うん」と甘く頷いた。父親に相談したら、高校に行っても続けるならいいと許しを得て、自信なんかもちろんなかったけれど、怜奈に見栄をはって改めて「うん」の返事をした。
「うん。頑張ってみるよ」
「そうだね。頑張ろう」
「うん」
授業が終わると、二人一緒に学校を出て、スイミングクラブに近い僕の家で制服からクラブ指定のジャージに着替えて、ジョギングしながら施設に行くのを日課にした。怜奈が二階の僕の部屋で着替えて、僕が一回のリビングで着替えていたのがそのうち怜奈が面倒くさくなって、手っ取り早く一緒にリビングで着替えるのもそのうち互いに背を向けるのも怜奈が面倒になって、いつの間にか行った先のクラブの更衣室でウエアに着替えなおすのも面倒だからってことになって僕の家で、同じ部屋で、お互いに裸になって、つけた水着の上にジャージを重ね着てしまうのが普通になった。
「私の乳房、少しは大人っぽくなったでしょ?」
「ああ、うん。でも、よく分からないよ」
「腰もキュって、なってきたし」
「……」
それから後も、尚もいちいち怜奈は、せかすように「早く着替えなよ、時間がもったいないよ」と僕に催促した。春が過ぎしばらくして夏休み前になって、学校で掻きすぎた汗を流したいからと、シャワーを浴びてから水着に着替えた方がいいということになってからは、今度は一緒にシャワーを浴びるようにもなった。
「私の目だけ、見ていればいいんだよ」
「あ、うん」
「破裂、しそうだよ?」
「僕の目だけ、見ていればいいんだって」
ある日、怜奈がいたずらに僕のペニスにシャワーをあてて握った。僕の驚く間もなく怜奈は僕の口に舌を入れて、だから僕は今までずっと我慢していたものを抑えられなくなった。シャワーのノイズに邪魔されながらもだから余計にリアルに聞こえてくる怜奈の、いつもの怜奈とは明らかに別人が漏らしているようにしか聞こえてこない吐息と、僕はまだマスターベーションさえ覚えてもいない頃だから、そのエロティックな衝撃に圧倒されすぎて声が出ないから余計にその吐息が耳に鋭く響いて、いつまでも続く痛々しいセックスの、やっと疲れを感じてきた最後に怜奈が漏らした、吐息じゃないはっきりとしたその言葉に僕は、怜奈の息を耳のしるべにしていただけに呼吸が止まってしまうに違いないくらいの衝動を覚えた。
――早くこうなりたかった。
「早くこうなりたかった」
早くこうなりたかった。スイミングクラブに誘われた一瞬からその一瞬まで、長い間の全部が全部、実際は偶然を装っていながら怜奈の予定通りの思惑だったかもしれないことに、縛り付けられてもう二度と逃れられない当てのない恐怖を僕は覚えた。
ライターの火をつける。
ライターの火を消して、またつける。
消して、またつけて、また消して、つける。
つける。
消す。
もう一度つけて、もう一度、消す。
つける、また消す。
またつける、消す。
「もう一度、つける」
「消す」
「殴る」
「殴られる」
僕は幼い頃、生まれながらに抱えていた喘息という持病があって、何度も入退院を繰り返して、そのうち物心がついてくると、
――無理もないかもしれない、
僕を生んだ両親を、恨んでは嘆き飛ばして、度重なるごとにその力みをエスカレートさせて、両親を容赦なく困らせていた。
両親は、特に母親はそのうちノイローゼになって、父親がいない間は時々、僕を殴って黙らせるようになって、医者がそれに気がついて父親に相談を持ちかけた後からは、僕を殴る母親を僕の目の前で父親は殴るようになった。でも僕はいつまでも治らないからやっぱりそのストレスをぶちまけずにはいられなくて、やっぱり母親は僕を殴って、やっぱり父親は母親を殴った。殴る。だから殴られる。殴られる。だから、殴る。いつの間にか、慣れっこになった僕がいて、慣れっこになる母親や父親がいるようになった。殴る。殴られる。殴られる。殴る。また殴る、また殴られる。殴られてまた、殴る。そのうち、当然のように母親はいなくなった。そのうち僕の喘息もようやく治って、もう病院に行かなくても済むようになったけれど、母親はいつまでも今も、もう二度と家に帰ってこなくなった。
「殴る」
「殴られる」
「ゆっくり吸って」
「ゆっくり吐き……」
喘息という病気がひとまず治っても、再発の恐怖は長い間、僕の中から消えることはなかった。悪戯好きな友達がいて、タバコを吸ってみろとけしかけられて、断ると子供、子供、ガキ、赤ちゃんとからかわれるから、仕方なく強がって吸ってみた。ゆっくり息を吸って、ゆっくり、息を吐く。またゆっくり息を吸って、またゆっくり、吐き出す。うまくいったのか、全く肺が興奮しないでだから咳き込まないでやみつきになる。また、吸ってみる。また、吐き出してみる。吸って、吐く。吐いて、吸う。僕の母親というコンプレックスも、全部がその時、吐き出されたような気がした。
「早くこうなりたかった」
母親はきっと、僕の喘息の完治を、父親伝えに既に聞かされたように推測するけれど、僕の勝手なその推測を、結局は推測のままにして、ずっと気にしながらも父親に真相を確かめたことは今まで全くなかった。ただ、ただ単純に父親と母親の間だけのトラブルではなくて、少なからず僕を介した出来事だった印象は拭い去れずに、だとしたら完治しても戻ってこない母親の存在する事実は、きっと何物にも変えられず、推測を何らかの確認によって確信に変えてみたところで、もう今更どうなるものでもない、あとは割り切って忘れてしまうしかない、とにかく、母親は、僕の育児を断念した。そんな風に僕は僕に言い聞かせた。
父親に殴られる意味を理解できずに僕を殴り続けて、それを肯定するために家を出た母親。自己否定したなら改まればいいはずなのに自己否定していないから家に戻ってこない母親。
――父親に、タバコを吸っているのが見つかった。
父親はその後に続くタバコの害のうんちくとは裏腹に、「本当に完治したんだな」と嬉しそうに笑った。
「早くこうなりたかった」
僕と怜奈はそのうち、学校でもセックスするようになった。誰もいない放課後の屋上や、誰も寄り付かない理科室の片隅や、誰も疑わない教員用の女子トイレの中や、誰も用心しない用務員の車の中、だんだんエスカレートして、お互いに申し合わせて下着をつけずにただファスナーをおろしてペニスだけを出し、ただスカートを少しめくってワギナを出して、平日の2時間目の休み時間に、みんなのいる教室の中の、もしかしたら気づかれるかもしれないスリルの中でセックスしたこともあった。
授業中は互いに見つめ合って、生意気な言葉を口真似して伝えて興奮して、僕は夢精し、怜奈は夢の中に墜落した。友達を呼んで、家で二人のセックスを見せたりする。すぐうわさになって、今度は見世物としてお金を取ってセックスするようになる。ばれるのが怖くなって、呼んだ女友達と僕がセックスしてみせる。呼んだ男友達と怜奈がセックスしてお金を渡して、共犯にする。僕が国語の女教師とセックスして、怜奈が体育の教師とセックスする。そして、友達の母親と僕がして、友達の父親と怜奈がセックスする。適当にワイセツ行為だと恐喝しては大人を黙らせて、僕と怜奈の間のセックスを一生懸命に守った。
ライターの火をつける。
ライターの火を消して、またつける。
消して、またつけて、また消して、つける。
つける。
消す。
もう一度つけて、もう一度、消す。
つける、また消す。
またつける、消す。
つけた。
消した。
またつけた。また消した。
「もう一度、つける」
「消す」
国語の女教師とセックスした時、女教師は僕と怜奈が通う中学校が初めての赴任先で、勉強で分からないところがあるからと僕の家に誘ったら思ったとおりはりきった。僕の部屋にはビデオカメラを仕掛けて、怪しまれるかもしれないから、最初は怜奈と僕の二人で教わるように芝居を仕掛けた。そのうち怜奈は急用を思い出して僕とその女教師と二人きりになると、僕は不意をついて力づくに襲った。逃げる女教師。ドアは怜奈がひっぱって開かない。
――静かにしないと、先生のせいだって怜奈から学校に言わせるから。
女教師は僕のその言葉に途端に黙って、もうそれきり静かになって、僕の興奮しすぎたペニスを、唇で適当に濡らした後は、すんなりとワギナに受け入れた。
「先生は、大人のいい匂いがするよ」
「うん」
「甘くて、なのにドキドキする匂い」
「うん」
「大人のいい匂い。甘い匂い」
「うん」
次の日、女教師の家に隠し撮りビデオのコピーを送ってダメを押し、それから女教師はもうなんでも僕の言うことを聞き入れた。強く出ればクラスメイトともセックスしたし、気に入らない体育教師を吊るし上げようとセックスに誘い込んでビデオを撮らせたし、だからビデオを撮られた体育教師は僕に毎月10万円のこずかいをくれるようになった。
女教師とのセックスに飽きた頃、大学時代の友人を僕に紹介させて、今度は女教師がドアノブを引っ張って開かないようにした。大学時代の友人の勤める会社の社長が、今度は体育教師に変わって、毎月僕に100万円をプレゼントするようになった。怜奈も同じように100万円を受け取る。怜奈を襲ったその社長のその一部始終を映したビデオを、僕は宝物のように持ち歩いていた。
「若いと、凄いでしょ」
「うん」
「先生も凄いんだ」
「止めないで」
「うん」
「ずっと止めないで」
僕の吸ったタバコを、女教師は受け取って吸った。中学校のある街から20キロも離れたラブホテルに二人はいて、部屋には窓がなくて、天井は全部、鏡張りで、ベッドからはガラス張りのシャワー室が見えた。女教師の吐いたタバコの煙が天井に上っていく。霞がかった鏡越しに、僕は女教師を見つめている。
「長い間には、生徒とこんな風にセックスすることもあるって思っていたでしょ? 」
「そうだね。教師はみんな、1度くらいあるわよ、きっと」
「みんな、なの? かな? 音楽の横田は、ないよ」
「横田先生だって、若い時というのはあったはずなの。生徒があこがれた時、きっとあったわ」
「先生って商売って悲しいよね。生徒はずっと歳が変わらないのに、自分はどんどん歳をとるわけで」
「……」
「違うか。悲しくなんかないよね。セックスは相手が若いほどいいに決まっているもの?」
「そうだね。肌がきれいで元気いっぱいで、好奇心が強いからいつまででも止めずにしてもらえるから、若い男の子ほど嬉しいかもね」
鏡越しに見える女教師の裸は、僕の怜奈のそれとは全然違うし、セックスも全然違った。怜奈のセックスは多分、まだ中学生でしかない自分のことで精一杯で、僕がどうであるとかは考えていないと思う。女教師はその点、僕のことしか考えていないように思えた。僕が喜べば自分も喜べると思っているような気がする。怜奈は僕のペニスをあまり咥えないし、女教師は何より先にペニスを口に含んだ。
「母親っていう女はよく僕を殴ったからね。女は怖いものだと思っているよ。殴り返えすつもりで女を無理やり襲うんだ」
「……」
「いじめられたらいじめ返せって、先生がよく言う台詞だろ」
「……」
ライターの火をつける。
ライターの火を消して、またつける。
消して、またつけて、また消して、つける。
つける。
消す。
もう一度つけて、もう一度、消す。
つける、また消す。
またつける、消す。
「もう一度、つける」
「消す」
友達の母親は、もう8年も夫とセックスしていないとベッドの中で僕に言った。一番下の子供が生まれてからずっとしていないと続けた。7歳になる友達の妹はベッドの下の布団の中で昼寝をしていて、僕はそんな中で友達の母親に抱かれた。自分には母親がいなくて、いつも寂しく思っていると切なく呟くと、友達の母親は突然、僕を抱きしめた。いつか我に返ったときには僕はもう友達の母親の中に入っていて、「お母さんのせいだよ」って言ったら「ごめんね」と僕に謝ってそのまま続けた。
部屋のドアが少し開いていて、友達が僕たちのことを覗いているのが気配で分かった。僕は気がつかないふりをして、そのうち友達は涙を流しはじめて、妹が目を覚ましたから、ようやく友達の母親はことをやめた。もう一度、大きな声で叫んだ。
「おかあさんのせいだよ」
友達とプレイステーションの流行らないシューティングゲームを1時間ぐらい静かにやって、部屋を出て玄関で待っていた友達の母親から2万円渡されて、僕はその場でライターを取り出し、手にある2枚の紙幣を燃やして見せた。紙の焦げた匂いが、テストの答案用紙をいたずらに燃やした時のそれと全然違うと思う。怜奈のことを思い出しながら夜道を帰った。友達に「おかあさんのせいだよ」とメールを送る。怜奈に「お札の燃えた匂い、かいでみたよ」とメールをしてみる。
「おかあさんのせいだよ」
「そうじゃない、お父さんのせいだ」
「そうじゃないって」
「違う」
「お母さんのせいだよ」僕が、何度もそう言って元気づけようとしても、半年に一度くらいの割合で荒れたときの父親は、その言葉に全く聞く耳を持たなかった。同僚と酒を飲んで酔っ払って、玄関で泣きじゃくり、僕は宿題どころではなくなって、冷蔵庫からボルビックを持ってきて渡しても、父親は蓋を開ける力さえ無くしていて、吐く元気があるうちはともかくも、それさえ無くして貧血に青ざめたときはすぐに救急車を呼んだ。いちいち「父親の俺のせいだ」とくりかえし叫び続け、僕はその都度「おかあさんのせいだ」と正す。そのうち近所の人たちも気がついてやってきて、僕に同情して「おかあさんのせいだから」と言うけれど、担架に乗せられる最後の最後まで、父親は黙ることを知らなかった。
次の日、胃を洗われて、ばつ悪そうに帰ってくる父親を、僕は徹夜して待って、やっぱり「おかあさんのせいだよ」と言ってみるけれど、父親は「俺のせいだ」と頑なだった。父親の作った朝食を食べて、学校に行った。そんな朝からの一日中、さすがに気負って、授業が頭に入らなかった。
「私も、おとうさんのせいだって思うよ」
一度だけ怜奈に父親の醜態のことを話したことがあって、怜奈はあっさりとそう僕に意見を述べた。どうしてかと訊くと、「だっておとうさんだもの」と言うだけで、僕には意味が分からないままだった。「おとうさんだものって何だよ」と訊き返してもみる。でも、怜奈は言葉を変えるわけでも足すわけでもなく、ただ「おとうさんだから」とだけしか言わなかった。もちろん僕は腹が立ったし、そのままにしておけないから、しつこく訊いた。でもやっぱり怜奈はそれ以上も以下もなく、同じ返事を繰り返えすだけだった。
――おとうさんのせいだよ
そのうち怜奈は黙ってしまい、最後はしかめっ面も我慢できなくなって、駆け足でどこかに行ってしまった。
ライターの火をつける。
ライターの火を消して、またつける。
消して、またつけて、また消して、つける。
つける。
消す。
もう一度つけて、もう一度、消す。
つける、また消す。
またつけた。また消した。
つけて、消した。
つける。
消す。
「もう一度、つける」
「消す」
僕はある日、大人ぶるし知ったかぶる怜奈になんとなくストレスを感じて、無理矢理ベッドに倒し両手両足を縛りつけた。手首を細いベルトで締めつけて、足首をタオルで絞って、それぞれの先をベッドの脚に巻きつけて固定した。着ている服は固定してからカッターナイフで乱暴に切り裂いた。申し合わせて互いに裸になってからでもよかったけれど、僕にはストレスを消す手応えが必要だったのだと思う。ボタンを外して前だけを肌蹴て、下着は脱がさないでワギナにあたる部分の生地をめくってからペニスを挿入すると約束して怜奈を安心させながら、実際はそれを裏切ってみる。怜奈はきっと僕が信用できず焦るに違いない。まるでレイプで、それはとてもリアルで、怜奈は暴力に震えながら悶え苦しむ中で僕は一言も喋らない。そのうち飽きて、バイブレーターを挿入して何度も何度も囚われた怜奈を悶絶させる。気絶すると、平手打ちで目を覚まさせ、そしてタバコを咥えさせ、また乱暴した。気絶してタバコ。また気絶してタバコを吸わせた。
「殺すのね」
「違うよ」
「死んでしまうよ」
「大丈夫だって、天国に行ける」
僕はタバコを吸うと、天国に行けた。そこは月面で、小さな地球が見えた。木星から地球を眺めたこともあったし、火星から地球を眺めたこともあった。ある時は僕はバッファローで、アメリカの大地を何万頭の仲間たちといっしょに駆け巡った。アフリカ象に成り変って、僕は国道246号線を青山から多摩川に向って、僕の後ろを、ありとあらゆるペットたちが列をなして歩く。中には動物園から逃げ出したキリンがいて、ライオンがいて、途中、砧公園で昼食をとった。
草食動物たちはそこに生えた草木を食べ、肉食動物たちは人間を食べた。若い人間は少ないから、肉食動物たちは気を使って年寄りの順に腹に入れる。本当なら上手いはずの腹も、年寄りほどが黒く固くて不味いから、やむを得ずカラスたちがそれを食べることにした。羊が上着を食べ、ヤギが下着を食べ、目玉は蛇が飲み込み、したたる血はコウモリが飲む。骨は犬たちが齧りきったから何も残らなくなった。自然の摂理にしたがって、弱いものから順に、罪深いものから順に、この世から消していった。
「殺すのね」
「違うよ」
「死んでしまうよ」
「大丈夫だって、立派な大人になれるさ」
僕が煙草を吸うと立派な大人にもなれた。立派な大人は汗水たらして働いて、たくさん子供を作って育てた。僕の子供はそのうち10人にもなり、20人にもなり、40人にもなった。とうとう1000人にもなったから僕は世界中から認められ、国をひとつ貰えることになった。
僕の産んだ1000人は瞬く間に1人づつ1000人の子供を作るから1000000人になり、その1000000人がまた1000人作るから、1000000000人になった。10億人の国家は世界で類を見なかった。生産と消費の規模が違うから、アメリカも中国も、僕のやり方に従わざるを得なくなった。
「死んじゃう」
「…」
「あ、いく」
「…」
「いく」
世界を牛耳った僕は、母国ではあっても、セックスは快楽であって譲らずに子供を作らない非生産、非消費国家の日本を解体することにした。日本だけじゃない、人口を減らし続ける国には経済制裁を与え、つまり援助をストップすることにした。何故、僕たちはがんばって子供を増やして生産と消費を重ねて世界の発展に貢献しているのに、やることもやらないでグズグズと、まして独身なんていうかたわを貴族とまで呼んでいる国を僕らの身銭を切って助けなければならないのだろう。そういう怠慢から過疎に向う国々は見捨てることに決めた。日本はもう終わっても仕方ないと思う。消費量も少なければ、生産量も自ずと減るし、生産性に欠けるから、あまり世界発展の役にはたたないと見捨てた。
「いく」
「…」
「いく」
「…」
ある時、僕は日本の国家主席とトップ会談をした。人口を増やせと警告しても全く動じない日本に、最後の引導を与えるためのものだった。日本の国家主席は、「日本人は人口が少ないとはいえ、そのひとりひとりは優秀だから見捨てないで欲しい」と泣きついたが、僕は「何をもって優秀とするのですか」と訊き返した。「文化国家であってオリンピックでも金メダルを多産し、科学技術も高度であって、模範となる人材を多く輩出しています」僕は呆れて涙が出てきた。こんな国が母国だと思うと情けなくなった。
「あなたがたの国は、自国以外の国々は全部が裸族なんだと嘗めているきらいがある。ひとりひとりが優秀であってもひとりはひとりでしかないというということが分かっていないのだと思う。あなた自身、日本でもっとも優秀な人材に違いないが、テレビを100台も持っているのでしょうか。持っていないのなら、結局はテレビをたった1台しか持ち得ない人でしかない。あるいはテレビを1台しか消費しない人でしかない。どういうことが分かりますか。あなたの国はあなたしかいなくて1台しかテレビの売れない国。私の国は私のほかに1000人もいて、1000台もテレビが売れる国。あなたの優秀さなど何の価値もない。1人と1000人と、どちらに商機があって、勝算があると他の国々は考えますか? あなたがたは他国を裸族だと馬鹿にしている。だから嘗め返されれば拉致もされるし戦争に巻き込まれるのです。万に1人の天才も、10万人いる私たちには10人いるってことになる。あなたの国と私の国の天才たちで会議をしましょう。戦争をしましょう。いくら私たちがあなた方のモラルで間違っているとしても、多数決ならあなたがたが負ける。素手で喧嘩してもやはりあなた方は私たちにはかなわない。人口を減らすことを目指そうなどというのは愚かなのです。滅びに向う間違いなのです。どこが優秀なのですか。あなたがたは優秀さを誤解しているのです」
僕は言った。
――何もできない年寄りばかりの国。
――何でもできる若者ばかりの国。
――体力でも集中力でも、私たちはあなた方には負けませんね。
それでも日本の国家主席はポカンとして何も分かっていなかった。
「……」
怜奈は気絶したままもう平手をしても意識を戻すことはなかった。僕はようやく怜奈を縛っていたベルトやタオルをほどいて開放することにした。静かに眠る怜奈はたぶん今、月にいるのだと思う。それとも火星か木星にいて、くだらない地球をぼんやりと眺めているのだと思う。怜奈にタバコを吸わせすぎてもう僕の分はなくなって、段々イライラが募って我慢できなくなると、そんなことはお構いなしに眠る怜奈と、いくら問いただしてもお父さんのせいにする怜奈が許せなくなってきた。おなかが空いて、だから僕はいっそ怜奈を食べてしまうことにする。机の引き出しから自慢のサバイバルナイフを出して腹の上をひとまず突いた。ホラー映画みたいに勢いよく血が吹き出るはずがそうでもないからがっかりした。ナイフを腹からワギナまでさばき、多分胃だろうと思える臓物を食べてみたがやっぱり美味しくはなかった。噛み砕けないスポンジみたいで、噛めば噛むほど血が滲み出て、そのうち血で咽喉が痛くなるから、あきらめて怜奈の意識の戻るのを待ってみようと思った。下着をつけて上着を着せた。いつまでもいつまでも玲奈は目を閉じ、ベッドから起き上がろうとはしなかった。
「そろそろ、家に帰るよ」
「……」
「おやすみ」
「……」
怜奈の目の覚ますのはあきらめて、怜奈の家を出るとすっかり外は暗くなっていた。夜道を歩くとなんだか急に力尽きて、月明かりの差し込むコンクリートの家と木造の家の隙間に少しの間だけ腰をおろして休むことにした。もう一度ポケットを探る。タバコが一本だけ、ラッキーにも見つかった。取り出して口にくわえた。ライターの火をつける。ライターの火を消して、またつける。
消して、またつけて、また消して、つける。
つける。
消す。
もう一度つけて、もう一度、消す。
つけた。
消した。
またつけた。また消した。
もう一度、つける。
もう一度、消す。
「もう一度、つける」
「消す」
火は人間の火だ。何もかも燃やし尽くせ、僕は神に成り変り、その聖火で愚か者のすべてを消滅させようと思った。生まれ出てくるものに価値を見出さない愚か者。すべて消し去って無くなってしまえ。ライターの火をつける。ライターの火を移す。聖火に灯された路地裏の残材の大きく燃え広がっている様が、いつか見たアフリカの太陽のみたいでやけに綺麗だ。
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2007/10/27(Sat)17:59:56 公開 / 宝積ハコ
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■作者からのメッセージ
暗い話ですが最後まで読んでいただければ幸いです。宜しくお願いします。