- 『Dear DIABOLOS. 1〜2』 作者:りあ / ファンタジー 未分類
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全角9153.5文字
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原稿用紙約25.35枚
気が遠くなるほど未来の地球の話。そこには"アンヒュマ"と呼ばれる人間ではない――しかし動物と呼ぶには易しすぎる――生物がはびこっていた。それらの討伐や街の平和を守るための治安維持隊は21世紀で言うなれば警察や消防と同様、もしくはそれ以上の役割を果たしている。そこに所属する青年2人のごくありふれた1日。想像すらしていなかった日々が始まる前のこと。
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1 クライヴ
いまはもうすっかり慣れてしまった――かつてはずっしりと重みのあった――剣を振り下ろす。
金色のぎょろりとした目に闇のような深い紫のガサガサした肌、とがった耳といやに滑らかな細い尾を持ったキィキィと鳴く「チャイルドデビル」と呼ばれる"アンヒュマ"。それの肩から胴体にかけて、斜めに刃が喰い込んでいく。剣が通り過ぎた箇所は切り口がはっきりと見え、見たくもないのに体の構造が細かいところまで見て取れた。血液だと思われる橙色の液体がスローモーションで傷口から溢れ出る。直後、世界は失っていたスピードを突然取り戻す。元々動体視力は良いのだが、それとは関係なくこんな風に見えることがある。断末魔は聞こえなかったが足元でどさりと、荷物を地べたに置いた時のような音はした。
その滑らかな時間に滞在している間は、おそらく無心だ。無心と言うのはまるで獣の足跡すらついていない積もったばかりで穢れのない雪。
クライヴは時折、景色を思い出す。あれはまだ砂遊びなんかが楽しかった頃のことだ。体中につけられた真新しい傷を抱えながら歩いていた雪道。足元に落としていた視線をただなんとなく前に向けた時、俺の目の前には真っ白な風景が広がっていた。いつも寂しげな葉の散った、か細い木でさえ白い装いをして喜んでいるように見えた。今思えばそれこそ「銀世界」という言葉がぴったりで、あの時俺はあまりの白さに目がくらんだ。
しかしそれは楽しいことも嬉しいことも何一つ存在しなかった、少なくとも俺の人生の中で最悪な時代の風景だ。そのことに気づいてクライヴはいつも後悔する。
(それにしても……あいつがいないと、いつもより時間がかかる)
臆することなく次々と飛び掛ってくるチャイルドデビルを――かれこれ10年以上も愛用している――剣で素早く、しかし確実に急所を斬りつけながら、クライヴはアレクのことを考えた。クライヴと同じくゴルトシュミット治安維持隊に所属しているアレクは、入隊して1年、クライヴとパートナーを組んで1年という新米隊員で、四六時中馬鹿高いテンションを維持している少年のような青年だ。今年で25歳を迎えるというのに一向に落ち着く気配はない。青春真っ盛りの学生のようでとてもじゃないが俺には真似できない――とクライヴは彼を見るたびに呆れながらも感心してしまうのだ。しかしそれ以上に、なぜ俺はあいつと妙にウマが合うのだろうと考える。今まで何度かアレク以外の者ともパートナーを組んだことはあるが、やたらとぎくしゃくしてしまいひとりで仕事をした方がよっぽど早く片付いた。結局俺は誰かと一緒にいるのは合わないのだと諦めていたが、アレクの登場はその考えを一新させるものであった。一人より二人、というのはこのことなのだろうと。
そしてそのアレクであるが、今日はたまたま別件の任務が個別に入ってしまい急遽そちらへ向かったのだ。クライヴ自身もそのようなことはよくあるし、なんら珍しいことではない。だがアンヒュマ討伐をひとりでこなすということはクライヴにしては稀なことで、いちいち話しかけてくる奴がいないのは不思議と落ち着かないものだった。
(ん…? 小さいが…ダイヤモンドダストが起こってるな)
倒れて時間が経過したアンヒュマは、まるで砂のようにさらさらと銀色の粉になっていく。アンヒュマといっても実に様々な種類のものがいるのだが、どんなものであっても不思議なことに最期は一様に銀色の粉になる。この醜い姿がこんな美しい色になるのかとアンヒュマ討伐に出る人々はよく思う。特に、大勢で討伐に出かけた時は息を呑むほどに美しい光景を目の当たりにできるだろう。多くのアンヒュマを片づけると、風に舞いあがった銀色がきらきらと輝いて、まるでダイヤモンドを空気中に散りばめたようになるのだ。それを"ダイヤモンドダスト"と呼ぶ。それを見たいが為に討伐に参加する者もいるほどだと言う。
現在そのダイヤモンドダストが小規模ながらも発生していた。アレクと共に討伐している時もきっと起こっているのだろうが、なぜか視界に入っていないのだ。たったひとりでこうしている時にだけその光景が目に留まる。確かに美しいには美しいが、ひとりでこれを眺めたところで一体何に感動すれば良いのだろう。それに、そんなことより俺はさっさとこの仕事を終わらせたい。
(まぁ、今日のところはこれくらいで充分だろう)
ぱさぱさに乾いた地面に視線を落としてクライヴは切り上げを決めた。じんわりと額に汗が滲んでいたので手の甲で乱暴に拭った。もうチャイルドデビルは襲ってこない。
アンヒュマは人間の体温を感知して襲い掛かってくるとも、動くものを狙ってくるとも言われているがどちらにせよ人間に襲い掛かってくることに変わりない。一度アンヒュマの縄張りに入ってしまえば遠慮なしに奴等は次から次へと襲ってくる。
ところがある程度倒すと警戒してか、奴等は襲いかかるのを突然やめる。賑わった食堂で皿を割ってしまった直後のような、気味が悪い静寂すら訪れる。その静けさは戦い慣れた者でさえも「奴等を全滅させたのか」と考えてしまう程だが、その隙に帰らなければまたアンヒュマ地獄だ。弱いアンヒュマであっても幾度も戦っていれば確実に体力はなくなっていく。だから切り上げのタイミングというのはなにより重要で、それを逃すと命さえ落としかねない。事実、熟練の討伐隊員であってもそうして死にゆく者もいるのだ。
(そういえば、アレクに昼飯を奢らせるのを忘れてた)
先日の賭けポーカーで大敗したアレクが「生活費がなくなるから、昼飯だけで勘弁してくれ!」と泣きついてきたのを思い出しながらクライヴは服のポケットを探った。上空に止めてあるヴィーダルの鍵が入れてある。
ヴィーダルとは21世紀頃存在したバイクのような乗り物で、治安維持隊にとって必要不可欠な移動手段である。動力は"浮鉱石"という人工鉱石で、ヴィーダルのボディや部品など全てにそれが練り込まれている。最近では浮鉱石自体の大量生産も容易に出来るようになり、昔に比べてだいぶ安く手に入れられるようになった。しかしそれは他の乗り物に比べてということであり、購入するとなればやはりそれなりのお金は必要だ。ちなみにヴィーダルは地面を走ることも可能だが、基本的には空を飛ぶための乗り物で地上のアンヒュマが手出しできない高さを飛ぶ。当然空を飛ぶアンヒュマも存在するが、そいつに出会う確立は晴れの日に落雷に遭うようなもので相当運が悪くなければまず無い。
また、ヴィーダルの機械的な見た目は一般の若者にも人気があり、特に若い男たちは競ってヴィーダルを改造し、より自分らしいかっこよさを取り入れている。一体どこからその大金が出てきているのかと首を傾げたくなるが、その資金稼ぎの仕方はきっとまちまちなのだろう。そんな資金稼ぎ方法不明な若者たちのなかにはルールを守らず街中で暴走するような輩もおり、大概どこの街の治安維持隊も彼ら暴走族の取り締まりに追われている。しかしゴルトシュミットは絵に描いたように平和な街なので、過去に数える程度しかそのようなことはない。他の街の治安維持隊にとって暴走族取締りはなにより面倒な仕事らしく「ゴルトシュミットに転勤したいよ」と羨ましがられるのはしょっちゅうだ。
ポケットから取り出した鍵の、丸い頭の部分にある小さなスイッチを押すとカチリと上空で微かな音がして、ヴィーダルは地面へ垂直に降りてきた。少し砂埃を立てながら地面へ降りたヴィーダルにまたがり、ハンドル部分あたりにある鍵穴へ鍵を差し込む。鍵を時計回りにひねると静かにヴィーダルは起動した。そしてそのままハンドルをわずかに上へ持ち上げ、クライヴはヴィーダルと共に空に上がる。視界が高くなり目の前に青が広がるこの瞬間がなにより気持ちいい、とクライヴは思う。
上空で態勢が安定するとクライヴはハンドルから手を離し、思い切り背伸びをした。パキポキと背骨や肩が心地良く鳴る。仕事終わりの儀式のようなもので、最後は空を吸い込むように深呼吸をし、気分を切り替えてハンドルに向かう。完全に脳がリフレッシュしたのを確認して、クライヴはハンドルを強く握る――瞬間――それに応えるようにしてヴィーダルは驚くほど滑らかに加速した。強い風が髪を掻きあげ、服を激しくはためかせる。治安維持隊員がスピード違反をしているだなんて、見つかったら隊長はなんて言うだろうと悪びれも無くクライヴは考えた。
(多分、あの人は笑って言うだろうな)
――治安維持隊のくせになにスピード違反してんだ! いいか? 今度はバレんじゃねーぞ!
ここからゴルトシュミットまではそう遠くはない。
今日はなにひとつ変わりない、いつも通りの平和な日だ。
2 アレク
ゴルトシュミットの街はいつもと変わらず賑わっている。美しい色をした伝統的な石造りの建造物があちらこちらに建ち並び、パルディア大通りには露店が軒を連ねている。客寄せの甲高い声や人々のざわざわとした話し声が心地よく耳に入り込む。新鮮な野菜や思わず手に取りたくなる細かい装飾物、不思議な見た目の雑貨などありとあらゆるものが存在している。ひとつずつ丁寧に見て回ったら日が暮れるどころか、朝になってしまいそうだ。
「それでじいちゃん、そいつは大体いつ頃現れる?」
お腹が空いていなくとも、嗅覚は食欲をそそる匂いをキャッチする。ああ、あれはゴルトシュミット名物のカルメア焼き。ほどよく焦げ目のついたきつね色。食パンを縦半分に切ったような形をしていて、薄くてカリカリの生地が具をしっかりと包んでいる。その具というのは季節によって変わる新鮮な野菜とランナ牛のサイコロステーキ。なにより美味いのはそれと一緒に包まれた特製ソース! 一口食べると口の中にじゅわっと広がる桃源郷…。具と絶妙に絡み合う甘辛い味…。思い出すだけで涎が溢れて――いや、いやいや…まだ仕事中だった。
「もうすぐじゃあないかのぅ。わしがいつも昼飯を食ってる時にささーっと」
「ささー、ね」
地面に薄い無地の布が敷かれ、隙間なく様々なものが並べられている。きらきら光を弾くネックレスや目がチカチカするくらい細かい装飾の指輪。へんな形の置物。薬瓶に入った蛍光イエローの液体なんかもあるし、呪われそうな不気味なランプまで。妖しい雰囲気がぷんぷんしているがちゃんと営業許可を取っている雑貨屋だ。アンティークものを置いているので、値段は他の露店に比べたら少々高め。それでもモノ好きは多いようで、ひっきりなしにお客さんがやってきては布の上の隙間を広げていく。またひとつ、またひとつ。よっこらしょ、とオレはじいちゃんの隣にしゃがみ込んだ。
ついさっきまではじいちゃんの店から少し離れたところにちゃんと立っていた。腕を組んで、少しごつごつした壁に体を預けながら、目的の奴が現れるまでそこから様子を見ていようと思っていた。ところが日が当たり過ぎる場所だったので無駄に体力を消耗してしまった。このままじゃ仕事に支障が出ると思い、オレは急遽、ボロいがきちんと屋根のついたじいちゃんの露店に避難した。もちろんただ避難するだけじゃない。避難ついでに話も聞いている。
「わしが"泥棒!"って叫ぶと、そこらにいる若者が奴の後を追いかけるんじゃが、いつも逃げられちまう。しばらくすると"足が速くて敵わんかった"と申し訳なさそうに若者が、わしのところに来るんじゃよ。悪いのはおまえじゃあない。そんな顔をするなって言ってやるんじゃが、まったく…心優しい若者ばかりでわしも困るよ。品物を盗まれるのは痛いが、それ以上に若者たちのあの表情を見るのが辛いのぅ。いや、わしが"泥棒"なんて叫ぶからいけんのかもしれんが、泥棒は泥棒じゃし、メルポメネさんのとこもベローナさんのとこも、あと誰のとこじゃったかな…いや…とにかく被害者も多いからなんとかせんといかんくてなぁ」
日焼けした肌にくっついた真っ白な長いひげを、困った顔で撫でながらじいちゃんはつぶやく。今朝、治安維持隊で受理したばかりの依頼だ。
――こういう小さな犯罪こそ後回しにしちゃダメだ。小さなものがいずれ大きなものを呼び起こしてしまうからな。…ま、それよりおまえ、そいつがどのくらい速いのか知りたくてうずうずしてんだろ? 思いっきり走ってとっ捕まえて来いよ。この仕事、おまえには朝飯前のはずだ。
出勤してきたアレクを見かけるやいなや、隊長はニコニコしながらアレクに駆け寄ってきて今回の任務を与えた。子供にお菓子をあげているような気分だったろう。
「心配すんなよ、じいちゃん。オレに任せてくれればぜーったい大丈夫だからさ!」
「わかっとるよ。おまえ結構有名じゃからの」じいちゃんはゆっくりと、こっくりこっくりうなずいた。「ひったくりやら泥棒やらをとっ捕まえたりしとるんじゃろ。ダフネ隊長が言っとったぞ。あいつは"光速のアレク"だってのぉ」そう言ってしわだらけの顔を更にしわしわにして笑った。立派な名前つけよる、と。
そんな風に隊長が言っているだなんて、アレクには初耳だった。驚くべきなのか、照れるべきなのかわからずに、とりあえず柔らかい金色の短髪をがしがしと掻いた。
「そういうわけで、おまえさんの事は心配しとらんが泥棒の方は心配じゃの。どうしてこんなことをするんか、わしにはようわからん。相当お金に困っとるんじゃろ。毎日ちゃんとまんま食えてるんかの」
「じいちゃん、ちょっと人が良過ぎだよ。相手は泥棒なんだからさー」
呑気にひげを撫でているじいちゃんを見て、アレクは少し呆れた声をあげた。ゴルトシュミットの住民――特にお年寄り――はみんなこんな感じで平和ボケしている。国の首都というのは人が多い分、治安が悪くてみんなせかせか生きているようなものなのに、ゴルトシュミットは田舎よりよっぽど平和でのんびりしている。治安維持隊に就職する前はゴルトシュミットから少し離れたアルタエアという町に住み、大学に通っていたが、あの町は暴走族が多かったし夜中に出歩けば高確率で犯罪に出くわすようなところだ。町中はどこかピリピリしていて、息苦しさがあった。だからこそ、この街の平穏さが不思議でならない。
「そうは言ってものぅ。泥棒はどうも大人じゃないみたいなんじゃよ。捕まえてないんでわからんが、背ぇは高くないし、子供なんじゃないかのぉ」
「…子供の泥棒?」
アレクがふぅん、と感心するように言って、暇つぶしに商品の指輪を手に取ろうとした時だった。まばらな人混みの向こう、じいちゃんの店の丁度向い側から「どろぼ―!」というばあちゃんのしわがれた大声が聞こえた。
「おや、今日はリンさんのとこかい」
慌てる素振りもなく、平然とじいちゃんはつぶやく。やっぱりこの街は平和ボケしちゃってるよ、とアレクは一瞬仕事を忘れて、泥棒が店の前を過ぎ去るのをのんびり目で追っていた。
「…やべぇ! オレあいつ追いかけなきゃ!」
もしもこれが休日や祝日だったなら、人混みに紛れて泥棒を見失ってしまうところだった。まだ背中の見える泥棒を、しっかりと視界に捉えてアレクは立ち上がり、走り出した。両腕のバングルがカシャカシャ鳴る。後ろでじいちゃんが「気をつけてなぁ〜」と孫を見送るようにして手を振っている気がした。いや、多分そうしているだろうが、振りかえらずにアレクは人混みを避けながら大通りを駆けて行った。
泥棒は大通りを過ぎて、突き当りのT字路を左に曲がる。時折何事かと街の人が怪訝そうな顔で泥棒とアレクに視線を向けるが、一体何事なのかよくわからないままに視線を逸らしていた。追いかけっこでもしているのかなと思われていそうだった。
アレクは視線に構わず泥棒を追い続ける。
「おい! こら少年! そんな細い道通るな!」
ゴルトシュミットは現代にしては珍しく乗り物禁止の街なので、人々は専ら徒歩で生活している。なんでも事故防止と治安維持のためだそうだ。だから乗り物が通るような道は一切ない。人口も多く、それなりに広い街なので慣れない者にとってはかなり大変な規則であるが、抜け道が多く存在しているので1ヵ月も住めば生活に支障はなくなる――が、それはただ単に住むにあたっての話であって、今のオレのように泥棒と追いかけっこをしなければいけない者は、生涯不便を感じそうだ。かれこれ1年近くもこの街に住んでいるが、こうやって街中を走りまわるたびに新しい通路を発見する。入り組んだ迷路の中を走っているような感覚。方向音痴でないことが、唯一の救いだろう。
「うーん、やっぱり子供…だよなぁ?」
まだ背中を追っている状態なのではっきりとその姿はわからないが、背は確かに高くないようだ。泥棒というより、顔だけ出した、てるてる坊主。てるてる坊主とは、大学で受けた講義のひとつ『エイジアの文化と歴史〜ジヤパンという国〜』で時折教授が話す豆知識の中のひとつにあったものだ。一般家庭に広く普及している、晴天を願うアイテムらしい。教授が実際に作って持ってきたが、泥棒の姿はまさにそれだ。頭からすっぽりと被ったぼろ切れのような布が風になびいてひらひらしている。その怪しげな姿以外にわかることと言えば、先ほどから小道という小道をセレクトして突き進んで行く点から、この街の地理に通じているだろうということくらいだ。
「あーあ。さっきボケっとしてなきゃなぁ〜」
じいちゃんの言っていた通り、泥棒は足が速かった。想像以上に速く、アレク自身の計画では現在地より200メートルほど手前で捕まえるつもりでいた。ところが未だに30メートルほど差がある。子供相手に本気を出していないとは言え、足に相当の自信があるアレクにとっては屈辱的なことであった。子供相手に本気を出すなんて大人気ない。こうやってだらだら独り言をつぶやきながら走れるくらいの余裕がなくてはいけない。いや、これは仕事だから、本気を出さないでいることの方がダメなのかもしれないが。
などと考えていても仕方がないので、アレクはしぶしぶ本気を出すことにした。久しぶりに街中で全力疾走をする。多分、半年前にクライヴに追いかけられた時以来だ。あの時は、足が速くて良かったと心の底から感謝した。まさかクライヴがあんなに足が速いなんて思ってもみなかった、とまで考えて、またこれが余計な思考であるのに気がついた。
「集中力ないなー、オレ。くそー、泥棒! 今追いつくからな!」
地面を蹴るつま先に力を込める。走るというよりは、跳ぶようなつもりでアレクは地を駆ける。本気で走り出すと、体が羽で出来たように軽い。風が脇をすり抜けていく。自分の為だけに作られた特別な空間が出来上がる。呼吸は全く乱れない。まばたきをする度に泥棒の背中が少しずつ大きくなる。あっという間だ。あっという間にオレは泥棒に追いつける。オレが本気を出せば、どんな奴が相手だってオレには絶対敵わない。
「ほらっ! 捕まえたぞ!」
がっしりと布を掴んだ。その反動で中の人間が、滑るように後ろに倒れこむ。「うわぁ!」とてるてる坊主が声をあげた。頭を打たれてはまずいので、オレは布を掴んだ手を離すまいと手に力を込めた。少し前のめりになってしまったが、オレは慌てて体勢を立て直した。掴んでいたのが丁度フードにあたる部分だったので、てるてる坊主は足が下がったハンモックのようにぶらりとなった。
「このぼけっ! はなせよ!」
声変わりの前の甲高い声。先ほどまで見えなかった顔がフードから覗いている。ぼさぼさの黒髪に、まんまるい茶色の目。まだ10歳くらいだろうか。じたばたと手足を動かすと布がもこもこと盛り上がった。怯えた子犬のように少年は吠えている。
「おい少年。泥棒はいけないことだぞ?」
逃げられてはまずいので、フードを掴んだままアレクは少年を立たせた。向かい合うようにしているが、少年はアレクから顔を完全に逸らしていた。年長者らしく説教のひとつでもかましてやろうかと考える。
「だまれ金髪ナナフシ!」
逸らしていた顔を戻して、てるてる坊主が叫ぶ。
ナナフシ――どこかで聞いたことがある。いや、見たことがある。確か図書館で借りた『絶滅した昆虫たち』という図鑑の中にあった、木の枝に擬態するという、木の枝そのもののようなひょろりとした虫。身長181センチ、体重57キロ。褐色の肌。筋肉のつきにくい体質で、手足が少々細くて長い。病的なわけではないし、当然ちゃんと筋肉もついている。そりゃそうだ。毎日筋肉トレーニングは欠かさないんだから。
そんなオレの姿を身軽と言えばプラスになるが、ナナフシはさすがにちょっと傷ついた。いくらなんでも的確すぎるキツイ表現だ。
「いいか、少年」
てるてる坊主はじたばたと暴れなくなったが、眼光をぎらぎらさせながら歯をむき出しにしてアレクを見ていた。子犬から子ライオンくらいにはランクアップしたかもしれない。小さく息を吐いてから、アレクはてるてる坊主のぎらぎらした目をじっと見ながら口を開いた。
「……いいか、まずおまえを依頼主のじいちゃんのところに連れて行く。それから、盗んだものをばあちゃんに返して、それからまたじいちゃんのところに連れて行く。なんで今まで盗みを働いていたのか話して、きちんと謝ること。今まで泥棒した人たちみんなに謝ること。そんで最後に治安維持隊の本部に連れて行く。子供だから刑罰はないが、みっちり説教してもらうからな!」
「えらそーにしてんじゃねーよ、したっぱのくせに!」
吠えるのを止めないてるてる坊主をしっかりと掴んだまま、アレクは大通り近くに建てられている――町で一番大きな建物の――時計台に目を向けた。針は昼過ぎを知らせている。クライヴの仕事が終わった頃だろう。オレが本部に帰っていないのに気づいたら、多分こっちに向かうはず。そして、てるてる坊主とオレを見て笑うに違いない。
――アレクの仕事はいつも楽しそうだな。
そう言うに違いない。
てるてる坊主を掴みながら、アレクは青空を仰いだ。明日も空は曇りそうにない。
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■作者からのメッセージ
なかなか上手く書けず試行錯誤しています。どこかで読んだ事があるようなありきたりなストーリーになってしまい、現在唸っているところです。ボキャブラリーが少ないために表現も単調になりがち・・・。小説を書くこと自体がほぼ初めてなのですが、やはり上達するにはひとつのものをきちんと書き上げることが初心者には大切なことなのでしょうか。アドバイスをいただけると嬉しいです。
また、気づいた点を指摘していただけると助かります。少しでも良くしたいのでどんどん言っていただきたいです。(0903 りあ)
◇サイト内とこちらの両方で掲載していきます。物語の設定などをご覧になりたい方は、お気軽に当サイトまでお越し下さい。
0829:一部訂正 0831:一部訂正/サブタイトル変更 0903:2話目UP 0904:一部訂正