- 『悪魔と(仮)』 作者:kurai / ホラー ミステリ
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全角19219.5文字
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原稿用紙約60.65枚
私はいじめられている。何時からだかは、忘れた。私の記憶に、それ以外の記憶はない。
私はいじめられている。私の身体は傷だらけだ。右腕の傷は小学校、背中の傷は中学の時についた。
私はいじめられている。だが、憎しみはない。弱いから、いじめられるのだ。そう、この世は、弱肉強食なのだ。
私が強ければ、私が全てを喰らってやる。
「何度言ったら分かるの? 跪いて、許しを請いなさい。醜くてごめんなさいって」
私の前で、一人の女が喚いている。高校生になった私の記憶の中で、大半を占める記憶。この喚く姿はもう見飽きた。彼女の周りで、取り巻きの女生徒が笑いながら見ている。実に醜い。
周りの人間は無関心だ。いつの世の中でもそう、他人の様に振舞う。実際他人なのだから当たり前だ。
「ちょっと、聞いてるのっ?」
世間で言ういじめっ子のリーダー格、藤堂さゆかが無表情の私にイラついたのか私の髪を引っ張った。痛みはあまり感じない。これも、もう慣れた。
「……ふん、つまらない。いくわよっ」
ほら、反応しなければこれですむ。今までもそうだった。教師は見てみぬ振り、それどころか学校の名誉のために隠蔽する。だから、私は一人だ。
私はいつも無表情、感情は捨てた。友達も、いつの間にかいなくなった。親は、私を見捨てて海外へ行った。人間みな平等、この前テレビでそんな事を言っていたがそれはありえない、上があれば下がある。私は下だ。私よりも下はいないだろう。だが、逃げるつもりもない。自殺なんて馬鹿げてるとは思っていない。むしろすばらしいとさえ思っている。だが、私には勇気がないのだ、全てを捨てる勇気が。
そして、気づけば一日が終了している。何があったかは覚えていない。傷がいくつか増えている。これはいつもの事だ。だが、何故か今日は私は学校の校舎の屋上にいて、藤堂が目の前に立っていた。何故か取り巻きはいない。
「はは、ねえ、あなた何故ここにつれてこられたか分かる?」
もちろん、分かるわけがない。私は無言で答えた。
「あなたをね、ここから吊るすの。裸に剥いてね」
藤堂は笑っていた。私が無表情だったのを驚愕と取ったのか、藤堂は続けた。
「あはは、そうよ。きっとあなたの醜い姿が衆目にさらされる事になるわ。誰も手を貸そうとしなかったけどね」
日が、暮れている。
「先生は皆帰った。学校にはあなたと私だけ。何があろうとばれやしないわ」
そういうと藤堂はロープを取り出した。笑いながら歩み寄ってくる。無意識に手が震えた。震えているのは手だけではなかった。身体中が震えている。久しく感じていない、それは恐怖だった。
私はフェンスの無い屋上の端に容易く追いやられた。久々に見る私の怖がる姿を懐かしそうに、楽しそうに藤堂は詰め寄る。
「もう逃げられない―――」
「やっ!」
藤堂が飛び掛ってきた刹那の瞬間、私は目を強く瞑ってしゃがみこんだ。すると聞こえてきたのは藤堂の悲鳴だった。
「いやああああああああ……」
悲鳴のあと、グシャッという嫌な音が聞こえた。私は、屋上から落ちた藤堂を見ずにすぐに逃げ帰った。何故か冷静になった頭は特に何も考えず、そうした方が良い気がしただけだった。
翌日、私はいつもの様に学校へ行った。昨日の事はほとんど気にしていない。こんな私を、誰かは病的だといった。どうでもいい事だ。だが、今日の学校はやはり、いつもとは違った。
「……さゆかさんだっけ? 自殺なの?」
「……さあ? 事故かもしれないらしいけど……」
「……さゆかさんがいじめてた、霧花さんは?」
「……関係ないでしょ? あの子、感情無いみたいだし」
「……そうね」
校舎のちょうど藤堂が落ちた辺りに人だかりが出来ていて、そんな会話が聞こえた。警察が何人か来ているようで、結構な大事になったようだ。私は、胸の奥に何かを感じた。
その日は、一日事情聴取と現場検証、その他説明などでつぶれた。藤堂は即死だったらしい、そして、警察の調べでは自殺という事だった。
藤堂は何日か前、いじめの事で親とけんかしていた。その時、死ぬ事をほのめかしていたらしい。よって、藤堂さゆかは親とのけんかが原因で自殺となった。
事実とは違う。だが、日ごろの行いでこのような事になってしまうのだ。だが、私の関心は別にあった。人間は脆い、という事だ。人は脆い、この世の真理は弱肉強食、弱いのは罪だ。その罪は、神が許しても私が許さない。なら、私が罰を下そう、藤堂にしたように。
私が、神になろう。
―――――――――――――
『×××高校事件調査資料』
二ヶ月前の事件において、×××高校××組の生徒三十三人全員が、一ヶ月の短期間に死亡した。
三分のニの生徒は事故、または自然的自殺である。
だが残りの三分の一は他殺体、または奇妙な死に方をしている。
事件の背景には、最初の被害者、藤堂さゆかによる執拗ないじめが浮かび上がった。
彼女をはじめとして、不可解な死が多く見受けられ、この連続した事件に何らかの関係性があるのかは不明のままである。
まず、最初の被害者、藤堂さゆかについて。彼女の死は、一見して自殺であった。だがある数人の女生徒の証言で、彼女が事件当日何かをやると言っていたと証言した。しかし、その何かについては皆聞いていない、知らないと答えた。その他にも彼女の持っていたロープの意味、何故あの時間に、学校でだったのか等不可解な事が多い。
次に、四人ほどが一度に自殺していた事件について。この事件は、事件として警察が調査中に起きた。日常として日ごろ仲の良くなかった四人が一斉に自殺、しかも集団自殺として効率の悪く、生き残る可能性のある投身自殺を行ったことが大きな疑問だ。遺書は見つからなかったが自殺者特有の行動は見受けられた。その他集団で自殺した例は多い。
最後に、この連続的事件において、最後に起きた事件。被害者は、いじめの対象となっていた関内霧花と波賀麗の二名の死である。彼女らも共に投身自殺、それらしい痕跡もあった。動機もこの事件自体が原因のパニックと考えられる。彼女らの関係については幼馴染で家は近所、最近関わる事が少なかったようだが、現在海外に出張中の関内霧花の両親と波賀麗の両親に交流はあり、両名の関係性についても不可解な点は無しと判断される。関内霧花の遺書を発見。内容は、怖い、どうせみんな死ぬ等事件に対する恐怖がノート数ページに渡り書かれていた。
しかし、三十三人中、関内霧花の死体のみがいまだ発見されていない。
この連続した怪死事件の処理についてだが一学級が消え去るこの事件は政府の意向によって秘密裏に処理される事が決定となった。メディアやマスコミに対し秘密裏に捜査されてきたこの事件は全国のいじめ問題を触発させかねないためである。
事件の起きた×××高校において、現在研究中の催眠療法の応用にてこの学級を無かったことにする案を通し、この事件の捜査は打ち切りとする。
そして、一連の事件発生から三ヵ月後、この事件は完全にもみ消された。しかし予想外の形でこの事件は話のタネになり、×××高校近辺にてうわさとして広がった。それが都市伝説である。
この都市伝説は周辺の高校などで話題となった。意外な形で事件は世間に広まったのだ。だがやはり都市伝説。様々な憶測が飛び交い、もう一ヵ月後には事件ではなくある祟りとして語られる事になった。
この事件が発生近辺で恐れられる祟り。それは『心の弱いいじめっ子は鬼に食べられる、心の弱いいじめられっ子も鬼に食べられる、そして全員食べられる』というものだった。
そして事件隠蔽から半年後、都市伝説は風化し、人々の記憶から消え去った。
―――――――――――――
「転校生だって、どんな人だろうね」
「……僕には関係ない」
「友達になれるかもよ?」
「そんなことしたら迷惑かけることになる」
「あら? じゃあ私はいいの?」
「梨嗚なら平気」
「失礼しちゃうね〜」
梨嗚は、すねたようにそっぽを向いた。でも僕には分かる、笑っていると。
こんな会話もいつもの事だ。僕は梨嗚以外の人間とは話さない。僕は、いじめられている。
テレビで見たのと同じだから分かった。みんな僕と話さないで、避けてる。最初の内は気にならなかった、でも僕は避けられてる。きっとゴミのほうがあつかいはマシだろう。
そんな中でも僕を見捨てないでくれたのが梨嗚だった。梨嗚は幼馴染で、幼い頃からよく遊んでいた。本当はもう一人いて、よく三人で遊んでたのは覚えてるけど、もう一人は離れていった。それに、梨嗚もなんだかんだ言って自分が一番かわいいのだ。僕がいじめられてるのを知らないふりをしてる。表立っていじめられてないから、そういうふりをして、自分の身は守りながら僕に接してくる。そんなものだけれど、僕にはそのつながりでさえ嬉しかった。
そしてホームルーム、転校生はやってきた。
「始めまして、名前は関内霧花です。どうぞよろしく」
その自己紹介に、クラス中がざわめいた。その理由は僕にも分かる。名前を聞いた瞬間思い出した、あのうわさの事だ。
「あ、同姓同名だからってあの都市伝説と一緒にしちゃやだよ? 僕は僕なんだから」
だが、うわさとは違う明るい性格に、もう都市伝説を気にする人はいなくなった。
彼女はニコッとして教室を見回した。そして、僕と目が合って、クスッと笑った。
「先生、あの窓際の席。空いてるならあの席がいいです」
「あ、ああ。問題ないぞ」
霧花が指した席は、僕の隣の席だった。
「よろしく、ふふふふふ……」
「…………」
何故僕の隣なのだろう、迷惑かけるだけなのに。いきなり僕と関わらないでほしかった。一人でいるのは、ほとんど慣れたのに。
その翌日、クラスの人が一人死んだ。死んだのは僕をいじめていた人たちのリーダーみたいな人だった。
「ねえ、これって……」
「うわさの通りだよな?」
そうなれば都市伝説と転校生は一気に話題の的になる。都市伝説上の人と同姓同名の人が来た途端、いじめっ子が死んだ。死因は事故死。昨日の下校途中、トラックに轢かれたらしい。轢いたトラックの運転手はいまだ逃走中ということだった。
「……残念ていうか、かわいそうだよね」
「梨嗚か……、別に」
「でも、人が死んだんだよ!!」
「それは理解できてる。でも、僕はあいつの事を知らない。それに―――」
「―――僕とは関係ない。かな?」
いつもとあまり変わらない会話に、口を挟む奴がいた。
「……霧花か?」
「こらっ。転校してきていきなり呼び捨てはないでしょっ」
「ううん、別にいいよ。それに、他人行儀よりはいいと思うしね」
転校生の関内霧花だった。うわさの中心にいるというのに飄々と明るくしている。人が死んでも変わらない雰囲気で、僕は霧花に親近感すら感じた。
「……当たりだよ。僕がいじめられていたとしても、あいつに僕自身は興味が無いからね」
「そう、僕らには関係ないことなんだよね」
「二人ともドライ過ぎでしょっ。ま、まあ私には零ちゃんの気持ちは分からないけどさ……」
「零? 忘れてたけどお二人さん、名前は?」
「あ、そう言えば自己紹介まだだったね。私の名前は空鷺梨嗚、よろしく」
「……僕は寺崎零」
「ふふっ、私は関内霧花、改めて、よろしくね」
「でも、二人とも考え方がおかしいよ。命って大切なんだよ?」
「……どうせ理解されるとは思ってない」
霧花が、今までに聞いた事の無いような何かのこもった声で梨嗚に反論した。霧花の目が血走っている。
「僕は僕なんだ。君たちに理解されるとは思っていない。……価値観なんて一緒じゃないから、私は自分を信じることしか出来ない」
背中に悪寒が走る。クラスの人は自分らの話で誰も見ていなかった。霧花は、微笑している。変化を見たから分かる、この霧花は、さっきまでの霧花ではない。
「死んだ奴が、悪いんだ」
それが、惨劇の始まりだった。
最初の犠牲者が出て三日、さらに二人の犠牲者が出た。クラスメイトなのに僕の知らない名前だったから多分無視していただけの人間だろう。
「お前なのか?」
「さあね?」
早朝、朝の会話である。だが、こんな事件が起きているのに学校に来る変わり者は少ないらしく僕と梨嗚、霧花しかいなかった。当たり前ではある、恐怖すべきところだとも思う。つまり、平然としていられる自分は少し異常で、いじめられているのも当たり前だったかもしれない。
「気になるの?」
「それは……、気になるよね、零ちゃん?」
「別に」
「だよね、うん」
何故かは知らないが、僕らは容疑者と親しくしている。三日前、一瞬出てきた霧花の内に眠る鬼、その存在は否定できないだろう。
「……証拠も無い、言っても私が狂ってるだけになると思う」
また、目が変わった。雰囲気も。霧花は鬼、鬼は霧花、この変化だ。
「何の……事?」
「……梨嗚には理解できないだろうけど、零は分かってくれると思うな」
「…………」
「どっ、どうしたのかな? 二人とも目が怖いよ……?」
「本当に一人の人間には、どんな人が味方になると思う?」
この霧花は、まだ霧花だ。笑っている。そんなことは気にもとめずに僕は考えて、気づいた。僕には梨嗚がいる、一人じゃなかった。
「……僕には分からない」
「ふふ、だよね。これだけは分からないと思ったよ」
当の梨嗚は、完全に置いてきぼりであるが。
「友達も、教師にも、親にも、全部に見離された人間にはね。悪魔が味方につくの」
霧花は、ゆっくり微笑を広げた。
「悪魔がね、全部食べちゃえって囁くの」
「悪魔だと? ……何を言っているんだ?」
「悪魔は悪魔。僕であり僕じゃない。今の僕が非情に見える?」
「……ああ」
「ちょっと零ちゃん、それは……」
「否定できるのか?」
僕がそう言うと理嗚黙って俯いた。感覚的に、そう感じているのを分かっているからだ。
「僕より悪魔の方が酷い」
霧花は続けた。
「……君たちは最後、憎んでる人間がみんな死んでから死ねるんだよ」
「……命を軽く考えてはいない」
「あっそ、でも死ぬのは変わらないよ。僕が、悪魔がここにいるんだから」
そう言って、霧花は立ち去った。
「次の獲物は誰だろね? 逃げても無駄なのにね」
「…………」
「ちょっと関内さんっ」
理嗚が霧花を追って廊下に飛び出したがすでに姿は消えていた。
「……あいつを呼んでくれ」
「あいつ? あいつって?」
「六道だ」
「えっ? 鈴ちゃん? なんであの子を?」
「あいつの親父の力が必要だ」
「……分かったよ零ちゃん」
理嗚が携帯で連絡を取った。
「……勝てる………」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
右手が震えていた。でも、感覚で分かる。これは武者震いだ。生死をかけた戦いだなんて馬鹿げた事が頭を埋め尽くしている。僕もとことん非情らしい。
「珍しいですわね。まさかあなたから連絡を取ってくるなんて」
「…………」
六道鈴は、下級生の生意気な小娘だ。僕がいじめられている時、面白半分で近づいてきた。親が警察の上層部の人間らしく、上品を装っていても高慢、高飛車な印象を受けた。だが、一人の苦しみを知る人間ではある。だから僕も気が許せるのだろう。
「都市伝……、いや、あの事件を覚えているか?」
「三ヶ月前のあの事件の事ですの? 当たり前ですわ。あの時お父様が隠蔽工作なんかしたから私も酷い目にあったんですもの」
昔の事だ、だが訳が分からないと鈴は言った。
「その事件の最後の死体が見つかった」
「なんですって!? どこで? いつ?」
予想通り、目を輝かせて聞いてきた。知りたがりの性格は変わっていないようだ。
「……奴は転校生として現れた」
「…………へっ?」
「うん、四日前に転校してきたばかりで、もう三人……犠牲者が……」
「なっ、なっ……」
鈴は驚いた表情を作っている。だが数秒後には天使の如くの笑顔で。
「一大事ですわ!!」
と叫んだ。分かりやすい性格だ。こう言うことを面白がるのは。
僕はペンと紙を取り出し、事態を整理し書き込みながら言った。
「この事態を打開したい、協力してくれるな?」
「喜んで、ですわ」
「なら、状況を整理しよう。まず、奴の狙い。それはこの学級の生徒を殺す事だ」
紙の一つ目の事項に丸をつける。
「奴の性質上、例の事件と同じなら僕と理嗚は一番最後に殺されるはずだ。つまり、一番足掻けるのも僕たちだ」
「……ずいぶん平然と自分が殺されると言えるんですわね」
「殺されるつもりは無いからな」
僕は二つ目に事項に丸をつけた。
「それで、だ。僕らの最終目標は全生徒を救う事」
理嗚は黙々と聞いていた。だが、じきに喚くのは分かる。僕は丸の上にバツをつけた。
「だが、それは無理だ」
「なんでよ!?」
ほらね。
「僕らは守る側だ。どうしたって後手にまわざるを得ない。ならば、少しの犠牲を出してでも優位に立たなければ、全員殺される」
「で、でも……」
理嗚は黙りこくった。まあ、隣で鈴は顔を輝かせて聞いているのだが。
「ならば、僕らの最低目標は何か……」
「……ちょっと。もったいぶらないで言ってくださいまし」
「……関内霧花を救う事」
「……? 話が繋がってませんわよ?」
「奴の言動から、奴は二重人格と考えられる」
「どういうことですの?」
「事件での霧花の性格、分かってるかぎり教えてくれ」
「……少し待つのですわ」
鈴は鞄からノートパソコンを取り出した。
「何をするんだ?」
「黙って見てると良いのですわ」
鈴はカカカカカっと凄まじいタイピングを見せながら、あるファイルを開いた。
「繋がりましたわ。お父様のパソコンに繋ぎましたの。お父様のおかげでお父様の情報を盗むなんてお笑い物でございますわね。……関内霧花。事件が起きた学級でいじめられていた少女。他人と関わることが少なく、クラスでは陰気と言われていた。動機もあり容疑者の一人だった……。警察の質問に何一つ答えなかったそうですわ」
「見事だ。理嗚、奴が転校してきた日。あいつの性格はどうだった?」
理嗚は少し悩んで答えた。こう言うのはやはり分かってない人間がいたほうが楽しい。
「えっと……、明るかった、かな? なんて言うか、うわさとは違うなって……。それでみんな安心して……」
「そうだ。鈴の情報でうわさが本当だという事が分かった。そして、昔と今で奴が全く違う事も分かった。殺人を犯した陰気な人間が明るくなると思うか? 答えはいいえだ」
鈴は、だんだんイライラした表情になってきている。
「だから、なんだって言うんですの?」
「つまり、人が違うんだ。事実としてではなく、精神的に。同一人物とは言えないだろう」
「だからって、何で二重人格なの?」
「……いや、二重人格も正しくないかもな。奴、いや、霧花の言葉で悪魔という単語が出た。これは多分霧花の精神部分の事だと思う。つまり、日常として生活している人格と別の何かがあるという事だろう。その別人格が二つ目の人格であれ科学的に説明できない何かであれ、奴の殺人衝動はその人格のものだ。それに、いじめられている状況下では陰気になるものだよ。その上一人では二重人格になってもおかしくない」
二人とも、よく分かっていないが分かったような顔をした。理嗚は実物を見ているし、鈴は面白ければ何でもいいのだろう。
「……でも、それなら零ちゃんも……?」
「僕には理嗚や鈴がいるだろう? それに―――」
僕は不敵に笑ってみせた。
「―――饒舌じゃないか」
僕も異常だ。そういう意味を込めて。
突然、ピピピピッと鈴のノートパソコンから機械音がした
「!!! 新着情報ですわ。……新たな犠牲者………、死因は……また事故死……」
予想通り、僕にとっては。
しかし奴は確実に殺していっている。傍観はしていられない。
「誰が殺された? 前回の事件との関連は? 警察はどこまで調べている?」
「ちょっ、ちょっと待つのですわ。一度に言われても混乱するだけですわよ?」
「急げ」
「は、はいっ」
鈴は再びカカカカと音を立て始めた。さて、ここからが勝負だ。
今必要な情報は前回の事件との関連性。今回の事件と同じものなら奴の行動をレールに乗せることができ、それが可能なら僕たちが大きくリードできる。次の犠牲者の特定もある程度できるようになるだろう。もしこれが関連の無い無差別のものなら生徒がある程度殺されなければ何も出来なくなる。だが、今回の事件と前回の事件は同じものであると、僕には確信が持てた。
「悪魔、か……」
悪魔、この存在は大きすぎる。もしも、悪魔が実在するなら奴の行動は機械的に一定のものだと言える。だが、それは同時に悪魔の存在を認めることになる。悪魔はただの人格か、言葉通り悪魔なのか、この疑問は大きい。
不意に、理嗚の微笑が目に映った。
「……懐かしいね」
理嗚の微笑は、理嗚の性格を考えればこの場に不自然だった。この言葉も。
「どうしたんだ?」
「……昔を思い出してね………。まだ、私たちが三人の頃に……」
僕には思い当たる節があり、苦い顔をして見せた。
「父を思い出す話だな」
「父? そういえば零さん、あなたのお父様はどんな方なんですの?」
僕はますます苦い顔をして見せたが、鈴はパソコンから目を離さないので効果は無いようだ。
「……探偵だよ。ただ、鈴が想像するような探偵じゃないぞ? 主な仕事は素行調査に浮気調査。ドラマみたいなのは一切無しだ」
「それが何故今の零さんに繋がったんですの? 理嗚さん」
「それは……」
「父が原因だったからさ。僕がいじめられていたね」
「どういうことですの?」
「最初に殺された奴がいるだろう?」
「確か……。田中悟、トラックに轢かれた方ですわね? 彼がいじめっ子の主犯格でしょう? その程度なら私にだって分かりますわ」
「そう。じゃあ何故田中は僕をいじめ始めたか、それが父のとばっちりでね」
「……あら、なら逆恨みでありませんこと?」
「正解だ。知っていたのか? つまり、父の調査によって田中家の主人の浮気が発覚、即離婚になった。それで、僕への逆恨みが始まったと言うわけさ」
「ふうん。なら、その方、とんでもないチキン野郎ってわけですわね。そこまでされてやっていた事は無視程度。弱虫にも程がありますわ」
「それが、僕の力というわけさ」
「……はい?」
「そうそう、零ちゃんを完全に敵に回すと怖いからねえ」
「……田中悟、最後のおねしょは半年前」
「なっ、なんですとぉ。高校生にもなっておねしょを!?」
「これで、黙らせた」
「そ、それは恐ろしいですわね……」
鈴はとても無理のある作り笑いを浮かべていた。思い当たる節があるようだな、少しつついてみるか。
「この学校の人間の弱みならだいたい握っているぞ? 校長がかつらなのは周知の事実だな、実は教頭もだ。新任の体育教師の笹山、あいつの部屋見たことあるか? 吐き気がするほどの少女趣味だ、写真はどこやったかな……。それに三年の室井、この前荒れてただろ? この学校に入って二十人目告白、即答でフラれたからだ。二組の本田、とんでもないマザコンで今でも母と寝てるそうだ」
鈴の頬がひくついている。
「あなた……嫌われて当然でしてよ……」
「そんなこと言っていいのかな? 六道り―――」
鈴が悲鳴を上げた。
「やめてくださいましぃ〜。すいませんすいませんすいません。あの事は言わないでくださいましぃ〜」
「……ビンゴか? すごいうろたえぶりだが……」
「私がまだオムツをして寝ている事はぁぁぁぁ」
ぽつり、と鈴がもらした一言に、僕らの時間は停止した。
「……あれ?」
頭を抱え、教卓の下に潜っていた鈴は、急に大人しくなり、かと思ったら恐ろしい剣幕で詰め寄ってきた。
「れ、零さん!! 引っ掛けましたわね!!」
「……っく、くくく。あ〜はっはっはっはっは」
「ぷっ、くふふふふ」
「笑わないでください零さんっ。ちょっと、理嗚さんまで、許しませんわよっ!!」
「はっはっはっは、分かったから、今夜もオムツは忘れんなよ〜?」
みるみる鈴は赤くなっていく、まるでゆでだこだ。
しかしキッと眼光を鋭くすると薄ら笑いをしながら言い放った。
「あら……。なら仕方ありませんわね。私の力が必要でないならしょうがないですわ。黙秘権を発動するのですわ〜。お〜っほっほっほ、これで二人の野垂れ死には決定なのですわ〜」
鈴の高笑いはさておいても、これは少しいじめすぎたようだ。茶番は終わりにするべきだろう。
「はいはい、すまなかった。それで、結果は?」
人が死ぬだの殺されるだのというところだったのによくこれだけ騒げたなと、我ながら呆れつつだった。
「酷い落差ですわね……。……被害者は広野明日香。階段から転落、落下時後頭部を打ち付けたのが死に至った大きな要因のようですわ。現場は自宅マンションの非常階段……。なんですって!!」
「どうした?」
「……事件時の目撃者がいるようですの。証言も取れているのですわ」
「それだ! 証言の内容は?」
「……階段は清掃中で滑りやすかったそうですわ。階段から下りていた広野明日香が足を滑らせ転落。当時周辺には証言者しかいなかったようですわ」
「証言者以外いない? その証言者は誰だ? どこで見ていた?」
「証言者はマンション管理人、彼がいた場所は……」
鈴の表情が険しくなった。
「彼女と同じ階、清掃をしていたという事ですわ。さらに監視カメラでも、彼女がひとりでに落ちたところが撮影されているのですわ」
「なんだと?」
「……言ったとおりですわ。でもこれじゃあ……」
そう、奴は何も出来ない。出来るはずがないのだ。
理嗚と鈴の表情はおびえている。当たり前だ。
物理的に犯行は不可能、だがこれは確実に奴の仕業なのだ。都合が良すぎる。
「……関内霧花は容疑者だったんだよな?」
「え? えぇ」
なら何故前回で捕まらなかったのか、こう言うことがあったからだ。どうやら敵は想定よりも強大らしい。
僕は信じるしかないのか? 悪魔という存在を。
とりあえず、僕たちが事件を解決しようとして一週間が経った。当たり前だが学校ごと閉鎖になり、僕らは一日自由な状態で行動できている。
だが、それは奴にも同じ事だった。一週間、自由に動く事が可能なら奴にも有利であるのに違いなく、また三人の犠牲者が出ていた。
それに、学校が閉鎖になった事は僕らにとって予想外の事態を招いた。僕らの行動の基となる情報源は鈴である。つまり、他の生徒は事件の情報が知らされていないのだ。学校が始まらないことで事件が終わってないのは伝わっているはず、だが他の連中はそれ以外を知らされていない。警察の考え、生徒を怯えさせ、パニックを起こすのを防ぐ点では賛成できる。だが知らせない事で恐怖心を押さえ込むと、出てくるのは油断なのだ。そうして生徒は自分は大丈夫と勝手気ままに行動する。それで守る事は一切出来なくなっている。物理的にしか殺せないと思っている警察にはどうする事もできないでいるのだ。
だが、事態は確実に動いている。だが、そんな事はどうでもいい。
「……やりましたわ!」
鈴がいきなり大声を上げた。僕らがいるのは鈴の部屋である。
鈴の父は捜査の指揮なので家に帰ってくる事は無いといってもいい。それに母は別居、家には鈴一人と都合が良すぎた。
「駅前の大通りの監視カメラのハッキングに成功しましたわ。駅前を押さえれば大体の生徒の動きをつかめるようになる。これでよいのですわね?」
鈴の部屋には様々な機械が設置されている。僕には分からないが鈴には使い方が分かるらしく、その機械はハッキング等の犯罪めいた事を可能にしていた。鈴が言うには世界を相手にしても勝てる設備らしい。これが全て鈴の父、祖父が与えたものだというから、親バカにも程があると思う。でも、そんな事もどうだっていい。
「…………」
「……でも………」
鈴の顔には無力感めいたものがあった。無駄な事をしているといった諦めの感情が。それが何かを僕は分かっている、だが認められない。馬鹿馬鹿しい、だからイライラしている。
「こんなこと意味があるんですの? カメラを押さえていても映らなければ……」
「うるさい!!」
分かっている。だからこそ腹立たしい。
「ありえないんだ!! 事故だって? そんな訳あるものか!! でも証拠が無いんだよ!! なんでカメラに映らない? 悪魔の仕業とでも言うのか? くそっ」
僕はついに抑えられなくなって、喚いた。
「何故事故死なんだ? みんな勝手に死にやがって! 少しは情報を残して死ねよ! なんでなんだよ……」
「お、落ち着くのですわ零さん。あれから一週間ずっと考えているから疲れてるのですわ。少し休まないと……」
「……ふん」
僕は一通り喚いた後ソファに倒れた。確かに体力に限界が来ているらしい。頭がボーっとして集中できなくなってきている。でも、休んでいる場合ではないのだ。
この一週間、広野明日香が死んでから、鈴の情報網を使い他の犠牲者の死の状況を調べて分かった事がある。ここまで他殺体は出ていない。全て事故なのだ。一人はトラックで轢かれ、一人は階段から転落、他の人間も似たような死に方だ。つまり、霧花は物理的に何もしていない事が立証されているのだ。
何らかのトリックだと僕の脳は告げている。だがそれが分からないのだ。
それに、犠牲者の順番がまだ分かっていない。犠牲者の特定も出来ていない。
あきらかに、こちらがピンチだ。
僕がソファに座りなおすと、不意に今まで黙って前回と今回の犠牲者のリストを見ていた理嗚が喋った。
「……今まで死んじゃった人ってさ。……やっぱり、いじめられていた人から遠い人から死んじゃってるみたい」
それは、僕が待ち望んでいた情報だった。
「犠牲者の特定方法が分かったのか? 見せてみろ」
理嗚は部屋の中央、作画などに使えそうな机の上にリストを広げた。
「まず、最初に殺されちゃう人。これはいじめていた人だって言うのは間違いないみたい」
ふむふむ、と顔を輝かせる鈴の顔が視界に入った。
「次に殺されちゃう人は、いじめられっ子と距離を置いていた人。でも、これは私たちの場合」
理嗚は初期に殺された人間達の名前を指した。
「昔の事件ではいじめっ子のグループが先に死んじゃってる。でも私たちの場合はいじめっ子も無視を先導しただけ。昔のようにグループでいじめてないから一人が殺されちゃって終わってる」
理嗚は次に今回の方で殺された人間を指した。
「だから、次はいじめられっ子から距離を置いていた人になってるみたい。零ちゃんこの子の知ってる?」
理嗚が二人目の犠牲者を指差す。
「……いや、名前を聞いても顔が出てこないからな。弱みなら出て来るんだが、同じクラスとは……」
「でしょ? 他の人も零ちゃんから距離を置いていた人ばかり。つまり次に殺されちゃうのは……」
「僕が顔を連想できない人間だな? いくら僕でもそれほど人付き合いは悪くないから残っているのは数人だな」
おかしなことだが、僕の頭は喜んでいた。
「鈴、こいつらの近辺情報を調べてくれ」
「分かりましたわ」
「出来るだけ急げ。もしかしたらリアルタイムで死ぬところが見れるかもしれな―――」
バチンッ。僕が言い終わる前に、奇妙な音がして僕は頬に痛みを感じた。
しばらく頭が働かなかった。目の前に涙目の理嗚の顔がある。それを見て、やっと気づけた。
痛みの原因は理嗚のビンタだ。泣いている理嗚の。
「……おかしいよ」
理嗚がポツリと、かすれた声で言った。
「なんで? なんでそんなに人が死ぬとか言えるの? おかしいよ……、みんな……」
それは、よく考えれば当たり前の事だった。確かに普通の精神の人間ならそう考える。僕や、鈴は特別らしい。
「……まったく、一体どうしたんですの? 零さんも理嗚さんもおかしいですわよ? 疲れているんではなくて? 少しピリピリし過ぎですわ」
「……いや」
言うべき事は分かる。理嗚のなだめ方は。
「悪かった。命は軽く考えていいものじゃない」
理嗚は、少し和らいだ表情になった。
「……でも―――」
そして、僕は続けた。恨まれると分かっていても。
「どうしたって犠牲は出る。死んでも仕方ない奴はいる」
「そんな……」
理嗚が反抗してくるのも分かっていた。
なんだかこの会話もつまらないと、そう感じている自分がいた。
僕は、作業として理嗚をなだめる。
「もちろん人が死んでいいとは思わない。でも、全部なんて欲を出したらその全部が手から零れ落ちていくものなんだよ。二兎を追うものは一兎も得ずだっけ? まあそれは置いておいても、僕は出来る限りの命は救いたいと思ってる」
予想通り、理嗚の表情が和らいだ。あとは話をうやむやにすればいい。
「……ごめんなさい。私……、取り乱して……」
「一週間もほとんど休み無く考えていたから疲れてるんだろう、少し休むといい」
「でも、鈴ちゃんも……」
僕は無視かよ、とは言わない。
今の状況では理嗚はいては困るから下手にはつつけない。しかし、と僕は困った。今、鈴が使えなくなるのは困る。
僕は鈴に視線で伝えようとした。だが、鈴は笑って答えていた。
「私は大丈夫でしてよ、あなた方のように取り乱したりはしてませんわ。私の事はいいから休むといいですわよ」
「そう、ありがと」
「隣の部屋が空いてるはずですわ。案内するから、自由に使っていいですわよ」
そう言って、鈴が理嗚をつれて部屋を出て行く。
「……ふう」
反応が分かっていた。だからこそ、その通りになるか冷や冷やするものらしい。手のひらに冷や汗が浮かんでいる。
「……まったく、取り乱したらああなるとは思ったし、あの言葉も、理嗚を刺激するには十分すぎたな」
僕は苦笑しながら平手打ちされた頬をなでた。
「まだ痛いぞ……、ふふ」
僕がどうでもいい人間なら多分あんな反応はしない。僕は理嗚の中で思っているより深い場所にいるらしい。不思議なものだ。
僕はいじめられてから出来る限り人を避けてきた、というわけでは無い。
始めから人とはあまり関わらなかったのだ。物心ついたころから。
人との付き合いが嫌だったわけではなく、他人を理解したくないわけでもない。僕が思っていた事を人の話した事がある。その人は僕に言った。それって秘密主義過ぎない、と。
そうかもしれない、と僕は思ったのを覚えている。でも、その時の僕の考えは今でも好きだ。
「……ん? いけない、僕は何を考えている? 今は事件に集中しろ」
さて、と僕は重い腰を上げた。
「本当ですわ。少しはご自分の状況を理解して欲しいものなのですわよ」
「ん? 鈴か……、理嗚の様子はどうだ?」
「部屋に入るなりバタンキュ〜、熟睡ところか爆睡していますわ」
「そうか」
「……大丈夫、なんですの?」
「何がだ?」
「あら? 分かっているんではなくて?」
僕はむう、と肩を竦めて見せた。
「はぁ、本当に? 今日まで全く休んでないのはあなただけですのよ」
「睡眠は取ってるんだが」
「仮眠程度じゃないですの? 私達はあなたが寝ているところを見ていませんわ」
「ふむ、それもそうだ。しかし鈴には敵わないな」
「当たり前ですのよ。理嗚さんと一緒にしないで欲しいのですわ」
鈴はふざけた口調だったが、言葉には本気さが感じられて僕は苦笑した。
その様子を見てか、鈴が微笑んだ。
「楽しそうですわね」
「僕が? そうかな?」
「ええ。少なくとも学校にいた頃よりは。あの時のあなたは本当に廃人のようでしたわ」
「はは、酷い言われ様だな。あの時はあまり人と関わりたくなかっただけさ」
「でも、今のあなたは笑っている」
本当に敵わないと僕は感じた。そして、僕の望むものがこういった会話だという事も。
「一体なにがあったんですの? 生死の境にいるというのに、あなたは笑っていられるなんて」
「……生死の境、だからこそだよ」
僕はそう言えば怪訝な顔をすると思った。だが、鈴は違っていた。この、一般とは少し外れた感覚、これが僕の望む答えでもあった。
「素敵、ですわ」
「素敵?」
「ええ、だってそうでしょう?」
鈴はいつもの輝くような笑顔ではなく、心が安らぐような、どこか深い笑みを浮かべた。
「……そんないいものじゃあないさ。一寸先は闇、これだけで僕は幸せになれる」
鈴の顔に疑問が浮かんだ、でも笑みは消えない。
「どういう事ですの?」
「僕は一般的な人の感情くらいなら推理できる。理嗚の反応も予想できたし、静め方も分かった。だからいつもつまらないんだ、無味乾燥な生活がね。考えてもみなよ、物事の進み方が分かる状態をさ。例えば一つの小説があったとすると、一度目に読むのとと二度目に読むのとは感じ方が違うだろ? ストーリーを楽しめるのは一度目だ。どうなるかは分からないからね。比べて二度目はどうかな? 新たな発見がある程度だと思う。これは読書と言う概念で考えると面白いけど、人生で考えると酷くつまらないんだ。文字通り、レールの上を歩く感じだね。しかもレールの先が分かるんだ。僕の選択肢はいつもどうしたい、ではなくどうなって欲しいになるわけ。他にいい例があるとすれば……、そうだね。答えの分かった問題を解くのと同じなんだよ。分かってもらえたかな?」
「……酷くつまらない………。なんとなく分かる気がしますわ」
鈴が答えたときの表情が、僕にはまったく予想できていなかった。
鈴の顔には、心底からくる同感が表れていたのだ。
「私の場合は、少し違っていますが、だいたいは同じものでしたわ」
「どういうことだ?」
「……お父様やお爺様が私の望むとおりにしてきたのが原因ですわね、きっと。だから、私はまったく悩まずに今までを生きてきた。この感覚がつまらない。そういうことですわよね? 零さんが言っているのは」
「くっ、あっはっはっはっはっは」
「な、何がおかしいんですの?」
僕にも何故僕が笑ったのか分からなかった。不思議で、心地よい感覚だ。
やる事が分からない。だからどうなるかは分からないから悩む。それは予想以上にいい。でも、僕はなんとなくそれを言いたくなくて、とりあえず笑い続けてみた。
「はっはっはっは、はぁ。僕も疲れてるらしいね。少し休もうか」
「あら? いいんですの?」
「大丈夫さ、心配ない」
僕はそう言ってソファに寝転んだ。こうして寝てみると、本当に疲れが溜まってるらしい、集中力を感じられないし、何より頭がぼーっとしていた。
鈴はそんな僕の様子を見て少し怪訝な顔をしたが、寝たふりをしてみると静かに部屋を出て行った。おそらく自分の寝室へ行ったのだろう。
それから数分も経たずに、僕は眠りについた。
僕は暗闇の中にいた。夢、の中なのかもしれないが、とにかくそこは真っ暗だった。
声を出そうとしてみたが、音は何も出ない。僕の思考、小説で言うモノローグみたいなものがこの暗闇にある唯一のものらしい。
夢、そう考えてしまえば何もおかしなことはない。ただ僕が思うだけの世界、そこにあるのは僕の思考だけ。
でも、待て、と言う言葉が浮かんだ。そして、こう思う事が夢なのか、夢なら何かを意味するのだろうか、そんな疑問が浮かんできた。
疑問に呑まれて、そして僕は気づいた。今の僕は満たされている。この何をすればいいか、答えの見つからない飢餓感、僕の求めるものがそこにあった。
理嗚にも、鈴にも、今なら全てに感謝できる。こんな思いを感じた事はなかった。僕はドライな人間だったみたいだ。
僕の形のない顔は苦笑を浮かべて、そしてまた深い眠りに落ちていった。
「……そろそろ起きなさいよ」
言葉は聞こえていても言う事の聞かない身体を、何かが揺さぶった。
「……ん? ああ、理嗚か。おはよう」
重いまぶたを開けて、部屋を見回すと驚いた事にもう朝になっていた。仮眠のつもりが熟睡していたらしい。
僕はぼやけた目をこすってもう一度部屋を見回した。鈴が大型のパソコンの前に座って何か作業をしていて、理嗚は僕の目の前に立って含み笑いをしていた。
「何がおはようなのよ? まったく、さっさと目を覚まして。捜査を始めないと」
あれ、と僕の中に取っ掛かりを感じた。どこか昨日の理嗚とはどこか違う。
その取っ掛かりもうやむやに消えたので、とりあえず朝の口の運動に理嗚をからかってみる事にした。
「……おや? ここはどこだい? 何で僕はここにいて、理嗚や鈴と一緒にいるんだい?」
「……にやけて言っても冗談にならないよ」
「あれ? おかしいな? にやけたつもりは無いんだけど」
「……ふん。まあなんでもいいけど。ところで鈴ちゃん、さっき頼んだリスト出来た?」
「もちろんですわ。今、印刷しているところですわよ」
「………? 何の話だ?」
「まあ座って見てなさいよ」
ガタガタと音を立ててプリンターが動いて、一枚の紙を吐き出した。
「それは?」
「ふふん。知りたい?」
理嗚は含み笑いを大きくして言った。
「これは零ちゃんの友好度から作ったリストよ。私の判断でだけど、だいたい合ってると思う」
見るとそのリストには、自分のクラスメイトの名が書かれていた。上の方に書かれた名前などは顔も連想できない。
「……なるほど、ざっと見た限りは合っているな。しかし、何でこんなものを?」
「……次の犠牲者が特定しやすくするため。そして、出来るだけ多くの人を救うため」
「あくまで理嗚は人を救うと言うのか?」
「もちろん」
そう答えた理嗚の顔には少なくとも迷いを感じる事は出来なかった。
「……何か吹っ切れたみたいだな」
「分かる?」
「ああ」
「はいっ。トークタイムはそこまでですわ。リスト上位の者六人の監視は出来る環境になっていますから、しっかり捜査に集中してくださらないと。お父様とは別口で彼らの行動スケジュールを入手するのは大変でしたわね」
鈴がイライラした感じで言ってきた。
「……分かった。監視カメラの画面はこれか? 全員まだ寝ているようだが……、これは避難しているのか?」
「いいえ。直接彼らの自宅の寝室にカメラを仕掛けさせてもらいました」
「……誰がそんな事を?」
「私が直接雇っている者たちに指示したのですのよ? この事件が始まった時点ででしたわ。やはり必要になったから、無駄にならず済んだのですわ」
「そいつらは信用できるのか?」
「ええ、もう五年は私に仕えてますし、皆完璧な仕事人ですわ。任務中は何があってもその任務をクリアする事に専念するのは保証付きですわよ」
「そうか。ならそいつらを僕たちの手足として使えそうか?」
「……報酬の上乗せが必要でしょうけど、何とかなると思いますわ」
「なら、僕たちがここから出る必要も無くなった訳だな。それでこいつらの中で一番上の奴はどいつだ?」
「えっと……、第三カメラの方ですわ。名前は小岩崎早沙羅。駅前の一番大きいマンションの一階に住んでいて、最近は散歩ばかりしていますの。カメラは散歩ルートに仕掛けてあるですから気分しだいでは監視不可になるやも……。とりあえず、顔を見ても名前すら出てきませんでしたでしょ?」
「哀しいことにな」
「じゃあこの人中心で見て行こっか」
「この人? 理嗚、も知らないのか?」
「うん、実は近寄りがたい人で……。いつも一人でいたし……。でも零ちゃんみたいなんじゃなくて、何ていうのかな?」
「……まあいい。他の奴は?」
「次が剛田鉄男、むさくるしい名前ですわ。でも名前で人は判断できなくてよ? だってこの四番カメラのひょろい小僧ですわよ? 名前からはまったく想像できませんわ」
「冗談はいらない」
「むう、厳しいですわね。……他は、まあ今はよいでしょう。この六人に関連性は無いので一度に狙われる事は無い筈、つまり上二人を重点的に監視していればいいのですわ」
「……そうだな。それにこいつらの個人的情報に興味は無いし、どうだっていいことだ。必要なのは狙われる順番、それさえあれば僕たちには十分だ」
「それもそうですわね」
そうやって鈴が渋い顔をしてかえしてから、僕たちは無言で監視を始めた。
二十分後、最有力被害者小岩崎早沙羅が起床した。そして母親と共に朝食を食べ、無意味な言葉を数回交わしたあと彼女は部屋に戻り、八時になった頃鈴の情報通り散歩に出かけた。
カタカタと鈴が何かを打ち込む音がして、画面が外の道へと切り替わる。外は明るかったが、人通りは皆無だった。
早沙羅は、人気の無い道を歩き始めた。感情のこもらない足取りで、ぽつぽつと。
「……なんて言うか、暗い奴だな」
「零ちゃんが言う?」
「…………」
そんな会話の中、他の人間達も起きて、各々の行動を始めた。
「こいつら、自分の置かれている状況が分かっていないのか? 殺されるかもしれないっていうのに……」
「そういうものですわよ。自分は大丈夫、そんな甘い考えをもっているからこそできるですわ。本当に、お馬鹿な人たちですわね」
そうして監視を始めて、どれだけ経っただろうか。僕は画面を見ながら、昔の事を考えていた。
特に何も無い、ただ一人だけでいた頃の事を。
集中力が切れているのを感じ、脳に気合を入れなおした時だった。
パチッ、と音がして、画面が、そして部屋が真っ暗になった。
「何があった?」
鈴も理嗚も、動揺している。
「わ、分かりませんわ。ブレーカーが落ちたのかも……」
「わたた、あいたぁっ。なんか踏んだぁ」
「…………」
理嗚の混乱ぶりのおかげか、僕は呆れつつも冷静でいれた。この部屋の事は鈴がどうにかしてくれるはずだったから、僕は画面が復旧したときの事を想定した。
誰かが殺されているはずだ。ならば誰? 小岩崎か? 殺し方を見れないのは残念だが、それにしてもどうやってブレーカーを落とした? いや、トリックなら想像できる。問題は何故この場所を知っているのか? 僕らを殺さないのは順番ではないからか? ……くそっ、一体誰が殺された?
三分ほど経った頃、鈴の安堵のため息と共に部屋の電気は復旧した。
そして、画面に映っていたものを見て―――
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
理嗚の悲鳴と共に、僕は机を叩かずにいられなかった。
「……そんな」
鈴の驚愕も感じる。それもそのはずだ。
「クソ野郎…………」
画面には、六つの人影が映っていた。
五人は先ほどから監視していた人間で、死んでいる。首を吊っている者、頭から血を流している者、死因は様々だ。
そして六人目、小岩崎を監視していたカメラには―――
「残念でしたぁ。今回も僕の勝ちだよぅ」
狂気に犯された少女、関内霧花が映っていた。
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2007/09/13(Thu)18:07:16 公開 / kurai
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■作者からのメッセージ
恐怖系からだいぶ変わってきてしまいましたが……。
いえ、まだ頑張りますよ。
感想等お待ちしております。