- 『トンネルの中で』 作者:tomo / ショート*2 未分類
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全角3341文字
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原稿用紙約11.2枚
ナルコは気づくと四つんばいになって歩いていた。あたりは真っ暗で、そこがどこなのかまるで見当がつかない。
そしてどうやら、すぐ隣に何かいる。大きいもののようだ。シタ、シタという足音、呼吸が荒いうえに、時々低くのどを鳴らしている。ナルコは怖くて逃げ出したいのだが、背中が重くて四つんばいのまま体を起こせない。ソイツもまた、ナルコと同じ方向に歩いているようだった。
少し先に小さな灯がともっていた。明るさの加減で、ようやくこの場所がトンネル状だということがわかる。じきにぼんやりと周りが見え……。
「なんだ、亀だったか」
と、ソイツのほうが先に口を利いた。
ナルコは息をのんだ。巨大な黒い犬が、馬鹿にしたようにナルコを見下ろしている。ナルコが声を出すより早く、黒犬はうわずった声をあげた。
「ああッ、オレが、こんな」
自分の手足を見、腹をのぞきこんで、犬はウウウとうなった。相当驚いたらしい。
ナルコにしても声が出ないほど驚いている。なにしろ両手が汚れた皮手袋みたいに、そう、まるで亀の足みたいになっているのだ。一生懸命振り向いた背中には大きな何かを背負ってしまっている。おそらく、甲羅だ。
「まさか、亀、オマエも人間だったっていうんじゃないだろうな」
「人間です」
ナルコは泣き声になる。
「『でした』だ、『でした』。オレは人間だがな」
黒犬は鼻を鳴らしたが、ややあって、
「まてよ。オレも人間でしたってことか?」
と、つぶやいた。
「なんでこんなことになっちまったんだ」
二人は、さきのほうに次の灯を見つけた。振り向いても果てしない闇があるばかりなので、とにかく灯を指して二人はまた歩き出した。
「亀、名前は」
黒犬はあいかわらず横柄な態度で言った。
「ナルコ……だったと思います」
「女か」
「たぶん」
「オレはトキオ、のはずだ。男、だと思う」
そのとき二人が気付いたのは、自分については、ほかに何一つ思い出せなくなっているということだった。
何歳くらいだったのか、どんな仕事をしていたのか。なによりもどうしてこんな姿になってこんな所に追いやられたのか。
次の灯を過ぎると、こんどはきまった間隔を置いて灯がともされていた。お互いの顔はなんとか見える。
「このトンネルは何なんだ。延々と灯が続いていやがる」
あの、とナルコは重い口を開いた。
「もしかして私たち、死んじゃったんじゃないでしょうか。それでこんなトンネルに」
「けっ! ばかいうな。向こうが来世ってのかよ」
「じゃ、犬さんは」
黒犬がじろりと見下ろす。
「じゃなかったトキオさんは、これがどこに向かっているって思うんです?」
黒犬は口ごもり、かわりにガルルとのどを鳴らした。
「けど、このオレが死んじまうっていうのが、そもそも納得いかん」
「人間誰でも死ぬんですよ」
「オマエ、辛気臭い野郎だな」
犬はちょっと早足になった。ナルコはすぐに置いていかれる形になる。
「いいよな、オマエ。寿命長いんだろ、って、なんでそういうくだらねえことだけ覚えてんのかな、オレは」
そのとき後ろから足音がやってきた。にぎやかなひづめの音だ。馬だぜ、と、黒犬がつぶやいた時には、もう馬はすらりと二人を追い抜いていた。そしてたちどまった。
「あらあら、ゆかいなペアだこと。さっきからいろんなペアを見るけど、哺乳類と爬虫類って言うのは初めてだわ」
「ペアだと。オレは亀に知り合いなんざ、いなかったんだぜ」
人間です、とナルコが口に出す前に、馬は黒犬のほうを笑った。
「ばかねアンタ、なんにも知らないようだけど、一緒に目が覚めたっていうのは、前の世で一緒に死んだって言うことらしいわよ」
「死んだ……? やっぱりオレは死んだのか」
黒犬ががっくり肩を落としたのに、馬は平気で続ける。
「一緒に死んだって言えば、たいがいは恋人とか夫婦じゃない?悔しいわ。あたしも蛇でも蛙でもいいから、ペアがよかったわ。あらあら、ムダ口たたいちゃったわね」
馬が再び駆け出そうとするのを、黒犬が引きとめた。
「アンタ、向こうに何があるのか知ってんのか」
「やだあ」
馬は文字通りおなかを抱えて笑った。
「天国でしょ、当然じゃない。きれいな花園で永遠に幸せに過ごせるわ。じゃ、お先に」
馬は、あっというまに駆け去ってしまった。
「失礼なヤツだ」
「そうですね」
黒犬は鼻づらにしわを刻む。ナルコはそっと見上げた。
「あの。爬虫類って、私そんなタイプだったんでしょうか」
ナルコは沈んだ声になる。結構傷ついていたのだ。
「オレも、犬みたいなヤツだったのかね」
二人は口ごもり、お互いに顔を見合わせた。
「ペアねえ」
ナルコははずかしくなってちょっとうつむいた。
「しかし、この先天国が待ってるってのは朗報だな。おい、亀、さっさと歩け」
「あの、でも」
あん? と犬は立ち止まった。
「あーあー、亀かよ、まったく。あんまりのろいと先に行っちまうぜ」
「……本当に天国なんでしょうか。だったらどうしてこんなトンネルを――」
「おまえ、ほんっとうに辛気臭いな。どんな女だったんだよ」
黒犬はあきれたのか、小走りになった。が、はたとたちどまった。
「おい、前を見てみろよ」
犬に言われて、ナルコが首をあげると、灯の連なりの向こうに白い点が見えた。
「なんだか、今までの感じとは」
その言葉を言い終わらないうちに黒犬は、
「出口かあ!」
と、叫んでいた。
「天国だ、行こうぜ、行こう、ほら、はやく、いそげよ」
息遣いが荒くなり、よだれをたらさんばかりだ。
「あの、先に行っていいですよ」
仕方なくナルコが言うと、さすがに犬はぎょっとした顔になったが、ちょっと考えて、
「そうかあ、そうだよな」
と、ひとりうなずいた。
「向こうで、ほら、また会うだろうし。な、じゃ、気をつけてこいよな、な」
そういって、駆け出した。ナルコは小さくなる後姿を見送りながら考えている。
「短慮」。
死ぬ直前にこの言葉を聞いたような気がするのだけれど、なんだったのだろう。
一人でほつほつ歩いていると、ナルコは人間であったことすら遠くなってしまう気がする。ずっとこうやって歩いてきて、これからもこうやって歩いていく気がする。
天国なんてあるんだろうか。
それでも、白い光は見る見る大きく――。
ナルコは首をかしげた。立ち止まった時でも、光が大きくなり続けるのはなぜだろう。
と、そのとき、
「うわああ」
と、叫び声がした。叫び声はこっちに向かっている。
「い、犬さん?」
「亀!」
犬は猛烈な勢いで行き過ぎ、すぐに戻ってくると、前足でナルコを激しくはじいた。ナルコは大急ぎで甲羅に体をひっこめる。
「なにするんですか。どうしてあともどりさせるの」
「トンネルの向こうは行き止まりだ。壁だよ、光ってんのは。それがすごい勢いでこっちに向かってくるんだ」
「…………」
「その壁にちんけな花畑が映ってやがった」
「でも、それが天国かも」
「やかましい、オレは信じるもんか」
黒犬の前足がさらにナルコの甲羅を蹴る。
「目が回ります」
「るせえなあ」
犬はナルコを今度は口にくわえて走る。ナルコが甲羅のすきまからみると、白い光はもうすぐそこまで迫っている。
「ガロロ……」
犬は、立ち止まった。
「どうしたの」
道がスッパリ切れているのだった。向こうに崖が見えている。下は底知れぬ闇だ。
「あそこまでとぶの?」
犬は返事をしない。
「むりだよ?」
犬ののどが鳴る。
「ね、私重いから、ひとりで――」
犬は数歩あとずさってから、猛然と助走をつけてジャンプした。
「幸田先生、山田ナルコ、大丈夫か」
瓦礫の向こうから声がする。ナルコの上に誰かの巨体が覆いかぶさっている。さらにそのうえにどうやら壁やロッカーが倒れているらしい。
「だ、だいじょうぶ、です」
「なに、が、あったんだ」
と、上の誰かが息も荒く問う。
「生徒指導室にダンプが突っ込んできたんです」
ようやく助け出されたQ中学生徒指導部の幸田教諭と茶髪にピアスの2年生山田ナルコ
は、気恥ずかしくお互いをみた。
「生きてたか」
「はあ」
……亀
……犬
互いに心でそう付け加えながら。
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2007/07/18(Wed)23:25:35 公開 / tomo
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■作者からのメッセージ
初めて投稿させていただきます。状況がわからないところからスタートして、読む方にちゃんとわかっていただけるようなストーリーにしたかったのですが、どうだったでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。