- 『ペーポ・コール【四回目】』 作者:rathi / 異世界 異世界
-
全角22050.5文字
容量44101 bytes
原稿用紙約66.9枚
一回目の話「戸締まりは? 鍵は? お弁当も忘れずに」
※
この世界は、真っ暗なお空に浮かんでいるドーナツしか無い。それも、かじられたドーナツだ。
ペーポは、その『かじられたドーナツ』という言い回しを気に入っていた。『女の子は甘い物が好き』に告ぐ格言だと思っている。なぜなら、ペーポは甘い物が好きで、そしてドーナツが好きだからだ。
そう教えてくれたのは、自分の歳すら忘れてしまうほど、そして自分の名前すら忘れてしまうほど長く先生をしている、ヒゲ先生からだった。
ヒゲ先生には、長くて白いヒゲが生えている。だから、ヒゲ先生。
ヒゲ先生は近所の人からもそう呼ばれ、本名を呼ばれることがなかったせいか、いつしかそれが自分の本名だと思い込んでしまっている。
ヒゲ=センセイ。または、ヒゲセン=セイ。
本名がセンセイで、お仕事も先生。一度で良いから、「名前とお仕事は何ですか?」と聞いてみたかった。何と答えるのだろうか?
ヒゲ先生の授業は、外で、椅子も、机もない、ゴツゴツした地面がむき出しになった場所で行われる。あるのは黒板と黒板消しと白いチョークぐらいなもので、他は何にもない。本当に、なーんにも。
そこに、近所の子供達がアリのように集まってきて、餌をねだる鳥のように口を開け、ヒゲ先生の授業を聞くのだ。
ペーポは、それがあまり好きではなかった。授業が、ではない。ゴツゴツした地面の上に座るのが嫌だった。お尻は痛いし、何よりも服が汚れてしまう。
それでも今こうしてヒゲ先生の授業を受けているのは、義務でも義理でも何でもない。『かじられたドーナツ』に告ぐ名言を聞きたかったからだ。
ペーポの横に座っていた子供が勢いよく手を挙げる。アホで有名な子供だ。飴玉の数だって数えられやしないぐらい、アホだった。
あんまりみんながアホアホアホアホ言うもんだから、ヒゲ先生と同じで、それが自分の名前だと思い込んでしまうぐらい、アホなのだ。
「ヒゲ先生、この世界はどうなってるんですあ? あのね、昨日ね、地面がない所にアメを落としたらあ、そのままぴゅいーんって落ちてっちゃった」
この質問も、いったい何度目だろうか。ペーポはうんざりしたため息を漏らす。同じように、あちこちからため息が聞こえてきた。
しかし、「そうだ、そうだ! 僕もアメ玉を落としたら無くなっちゃったよ!」という声もあちこちから聞こえてくる。同じく、アホで有名な子供達だ。そのアホで有名な子供達も、自分の本名がアホなのだと思うぐらいにアホだった。
アホと言うと、数人が一斉に振り返る。自分が呼ばれたのだと勘違いして。いったい、親から貰った名前はどこにいってしまったのだろうか? もしかしたら、家でもアホと呼ばれているのかも知れない。
ヒゲ先生は大きな咳払いをし、『かじられたドーナツ』の絵を黒板消しで綺麗に消し取る。
「静かに、静かに! いいか、この世界はだなぁ……」
ヒゲ先生は片手で白いヒゲを撫でながら、もう片方の手で再び『かじられたドーナツ』の絵を描いていく。消す必要はあったのかなぁ、とペーポは思ったが、口には出さなかった。
なにせ、これからあの名言が飛び出すのだ。それにチャチャを入れるほど、無粋な女ではない。名言は、何度聞いても飽きないのだ。だからこそ名言と呼べるのだと、ペーポはしみじみと思った。
「この世界は、真っ暗な空に浮かんでいるー……あー……えーっと……」
ヒゲ先生は、いつもと同じように黒板を叩きながら言った。
「視力検査のマークしか無い。それも、『下』のマークだ」
明日からここに来るのを止めようと、ペーポは心に決めた。
※
ヒゲ先生の授業に行かなくなってから、早一ヶ月が経った。
アホになるのが怖いのか、世間様の目線が怖いのか、ペーポの母親は『右の街』から家庭教師を呼ぼうかとペーポに言った。
ペーポは、絶対に嫌だと答えた。家庭教師を雇われるぐらいなら、ヒゲ先生の授業に行った方がまだマシである。
自分の部屋に知らない誰かを入れるのは嫌だし、この部屋で一対一で勉強するなんて想像するだけで頭痛がするようだった。
それに、勉強しすぎて頭が良くなるのも嫌だ。そうしたら、『右の街』の学校に通わなくちゃならないし、煙突のような格好悪い帽子を被らなくちゃならない。
飴玉の数をちゃんと数えられれば生活には困らないし、読み書きが出来れば絵本を読むのにだって困らない。これ以上何を勉強する必要があるのだろう?
ペーポはベットから起きあがり、帽子掛けから、お気に入りのカボチャの帽子を手に取る。
ペーポの身長と高さが一緒の鏡の前に立ち、ひさしを後頭部側に向けて被る。
これでお出かけの準備は整った。さぁ、外に出よう。
※
ペーポは外に出てから、何となく自分の家を見上げる。
例えていうならば、それは崩れたウェディングケーキ。そこに、アリが群がって所々に穴を空けていってしまったような形だ。
他の家も似たようなもので、違いといえばケーキの高さと、種類ぐらいなものだ。マロンケーキにチョコレートケーキ。チーズケーキにオレンジケーキ。食べられないのが残念なくらい、種類が豊富である。
ペーポは歩きながら、帽子のひさしを掴み、角度を調整する。お気に入りなのだが、今ひとつしっくりこない。それだけが、このカボチャの帽子の難点である。
ペーポは潰れたショートケーキの前で立ち止まる。
「コール! 行くよ、コール!」
幼く、でもどこか苛立った声で、ペーポは潰れたショートケーキに向かって大声で呼びかけた。
「ペーポ? あわわ……。早いよ! 約束の時間は三十分後だろ!」
くぐもった声が、潰れたショートケーキから聞こえてきた。
「じゃあ今約束して。三十分後じゃなくて、今すぐ図書館に向かうって約束して」
「えぇ〜!?」
信じられない、といった様子の叫びだった。
ペーポはそれに、ムッとなった。コールのクセに、生意気である。
「コール! 出てらっしゃい、コール!」
潰れたショートケーキに近付き、板チョコのような扉を強く叩く。
「分かった! 分かったよペーポ! 約束する! 今から三分後に行くって約束する!」
コールは観念したのか、悲鳴に近い声でペーポに約束をした。それにペーポは満足した様子で頷き、扉を叩くのを止める。
それからきっかり三分後。行く準備が整ったのか、板チョコのような扉がキィと音を立てて開く。
「もう、本当にいい加減にしてよ、ペーポ。約束の時間より全然早いじゃないか。昨日借りた『ライオンの歯』を読んでから行こうと思っていたのに」
ぶつくさと文句を言いながら、コールは潰れたショートケーキからアリのように出てきた。
いつもの通り、ダサい格好である。真っ白な布を頭からすっぽりと被ったような服で、上下の境目は無い。その服はコールの身体にはまるで合っておらず、袖はビロビロとだらしなく垂れ下がり、裾はズルズルと地面を擦って歩いている。
特に気にくわないのが、その帽子である。パフェの器を逆さまにしたようなそれが、一番ダサい。
「コール、あなたもいい加減、その帽子を変えろって言ったでしょう?」
「いいじゃないか、別に。僕の趣味なんだから」
コールは帽子のつばをつまみながら、口を尖らせ、不満そうな顔で言った。
「ダサい。ダサ過ぎるわ。見なさい、このカボチャの帽子を。可愛いし、格好良いし、そこはかとなく威厳があるのよ。良いでしょう?」
ひさしを掴んで帽子を脱ぎ、コールの目の前に突き出した。
「どうだっていいよ、そんなのは。それよりも、どうしてこんなに約束の時間が早まったの? 理由を言って、僕に謝って欲しいんだけど」
ペーポはそれに、ムッとなった。コールのクセに、生意気である。そして何よりも、このお気に入りのカボチャの帽子を無視した事が、一番ムッとなった。
「何? 何を言っているのコール? 今が丁度、その約束の時間じゃない。あともう少しで、あなたは約束の時間に遅刻する所だったのよ」
ペーポの言葉に、コールは大きく首を傾げる。それから少し経って、コールは砂糖の入っていないビターなチョコを食べたときのように、苦い顔をした。
※
ペーポはひさしをつまみ、何度も帽子を微調整しながら歩く。
一方コールは、苦々しい顔のまま、ペーポの後ろを付いていく。
こうして二人で図書館に行くようになったのは、ペーポがヒゲ先生の所に行かなくなってからである。
この『左の街』では、『右の街』とは違って遊べるモノが少ない。みんなで鬼ごっこして遊んでいた事もあったが、何人かが落ちて居なくなってしまったので、全面的に中止となってしまったのだ。
そうなってくると、ヒゲ先生以外で時間を潰せるモノは、一つぐらいしかない。図書館で静かに読書だ。
喜んでというよりは、ケーキが食べたかったんだけど、お店にはレーズンしか残ってなくて、しょうがないからそれを買って食べたような、そんな感じとよく似ている。要は、何も食べないよりはマシ、という事である。
コールとは、図書館に通い始めてから間もない頃に知り合った。第一印象はもちろん、変な帽子を被った変なヤツだと思った。第二印象は、服で足が隠れていて見えなかったので、お化けかと思った。でも、今考えると、そちらの方が面白かったかも知れない。
見たことのない子供だと思っていたが、どうやらコールは、ヒゲ先生の所には一回も行ったことがないらしい。理由は、「本を読んでいた方が楽しいから」の一言。
最初は、あのヒゲ先生の名言を知らないからそんな事を言えるんだ、とペーポは思っていたが、何度も図書館に通い、いろいろな本を読んでみると、今となってはその名言も、そんなに大したこともないような気がしてくる。
ともあれ、何度も通っているうちに、コールとはそれなりに仲良くなり、こうして二人で通うようになった。もっとも、コールは今も一人で行きたがっているが。
やがて二人は、目的地である図書館に着いた。
この『左の街』の中では、一番大きな建物で、一番おかしな建物でもある。周りのケーキ達とは違い、やけに真っ直ぐで、角張っている。まるで、お菓子の容器――カンペンのようだ。
ベッコウ飴色の扉を開け、二人は中に入っていく。
図書館の中は薄暗い。本の『日焼け』を防ぐためだと、いつだったかコールが言っていたような気がする。ペーポも日焼けはあまり好きではないので、その気持ちは何となく分かる。もっとも、今となってはその心配も必要ない気がするが。
何度見ても、この本の量には驚いてしまう。本棚に本棚が重なり、ペーポの何倍もの高さになっている。しかもそれには、手すら入りそうもないくらいにみっちりと本が詰められており、それが何百とあるのだ。これだけの本を、どこから集めてきたのだろう?
本のにおい、とでも言うのだろうか。図書館の中は、いつもこのにおいで充満している。
ペーポは、この臭いが嫌いだった。せっかく取っておいたクッキーが、しけってしまった時ような臭いがするからだ。でも本は借りたいので、いつも鼻をつまんで我慢している。
どうせなら、焼きたてのパンのような匂いがここに充満していれば良いのに。そうしたら、みんなここに通うようになるし、ずっとここに居たくなるに違いない。
だけどコールは、この臭いが好きだという。今だって、パン屋の前を通り過ぎるペーポのように、美味しそうな空気を吸うように深呼吸をしている。いつも変な帽子を被っているから、きっと鼻もおかしくなってしまったのだろう。
コールは嬉しそうに駆け出し、本棚と本棚の間に消えていった。これも、いつものことである。
ペーポも何かを読もうと、本棚と平行に歩きながら、本のタイトルだけを見ていく。
『ドーナツとおいら』、『食べられたピーマン』、『針の無い時計』……。
カラフルなタイトル文字に、素っ気のない文字。どれも面白そうで、どれも面白くなさそうに見えるから不思議だ。これがお菓子なら、見た目だけで決めるのに。
何か良い本はないかと、ノッポさんに聞くことにした。コールに聞くと、小難しい本しかオススメしないからだ。
カウンターに行くと、ノッポさんの姿はなかった。あるのは、『貸出、返却の方はお声を掛けてください』という書き置きだけ。どうせ、いつものようにカウンターの中で寝転がっているのだろう。もしかしたら、図書館が薄暗くなっているのは、そのためなのかも知れない。
カウンターはペーポの首ほどの高さがあるので、精一杯背伸びをしても、中を覗くことは出来ない。しょうがないので、足を掛け、行儀が悪いなぁと思いつつも、カウンターの上に上がる。
案の定、そこには真っ黒なパジャマを着たノッポさんが寝ていた。積まれた本の間を縫うように横たわっている。器用な寝方だ。
「起きなさい! 起きなさい、ノッポさん! いつも寝てばかりだって、お父様に言いつけるわよ!」
寝ていたノッポさんは驚いたように目を見開き、積まれた本を崩しながら、慌てて起きあがった。風がペーポの髪を揺らす。
「ヤァヤ、これはお嬢さん。いえいえ、寝てなんかいやしませんよ。ただちょっと、本の力にやられてしまっただけなんです。えぇ、特に両面ページに文字がびっしりと書かれた本の力は、それはそれは恐ろしいんですよ。私のお昼から夜までの時間を盗んでいくんです」
ノッポさんは、崩した本を直しながらそう言った。
「どうでも良いわ、そんなこと。それより、何か面白そうな本はない?」
「ヤァヤ、それはそれは難しい質問だ。ここにある何万という本は、全て面白いですよ。面白いからこそ、本になるんです。ただ、それを全てお嬢さんにオススメするというわけにはいかない。かといって、一冊だけ選んでお嬢さんにオススメするとなると、これはとても骨が折れる作業だ。なにせ、何万という本から一冊選び抜かなければならないのですから。せめて、お嬢さんが読みたい本のジャンルを教えていただけますか?」
「分かった。そうねぇ……。お菓子、お菓子の本が良いわ。とっても美味しそうなお菓子の本」
「ヤァヤ、了解しました。管理人の名にかけて、お嬢さんが喜びそうなお菓子の本を選んで差し上げましょう」
ノッポさんは積まれた本を崩さないように立ち上がる。ペーポは、カウンターの上からその様子を見上げた。
ノッポさんは、立ち上がるとペーポの何十倍もの高さになる。だから、ノッポさん。
遙か頭上にある本も、ノッポさんなら簡単に手が届く。だから、ノッポさんがここの管理人になった。ケーキ屋では邪魔な腕の長さも、パン屋では意味のない身長の高さも、この図書館なら思う存分生かすことが出来る。
ペーポの真後ろから、ノッポさんの頭上から、霞んで見えるほど遠くにある本棚から、一冊ずつお菓子の本を抜き取り、ペーポの横に置いた。
「ヤァヤ、まずは一冊目。『美味しい美味しいお菓子の作り方』だ。これには、『左の街』の伝統的なお菓子作りから、『右の街』にある百星レストランのデザートまで全て載っている。親切にイラスト付きで、手順も事細やかに書いてあるので、見ながら作れば、あっという間に美味しいお菓子が出来上がってしまう優れもの。お菓子屋が泣いて喜ぶこの一冊、借りますか?」
「いらない。そんなの、いらないわよ。だって、私はお菓子は作らないもの」
ノッポさんはがっくりと肩を落とし、その本を元の本棚に戻した。
「ヤァヤ、めげずに二冊目。『美菓子』だ。これには、かつての芸術家達が精魂込めて作った芸術作品ともいうべきお菓子が、たんまりと載っている。まるで生きているような形をしたお菓子。動物の形をしたお菓子。大きな手の形をしたお菓子。これにもイラスト付きで、芸術家達の顔写真、プロフィール、それを作った時のインタビューまで書かれてある。芸術家なら泣いて喜ぶこの一冊、借りますか?」
「いらない。そんなの、いらないわよ。だって、そんなのお菓子じゃないもの」
ノッポさんは再びがっくりと肩を落とし、その本を元の本棚に戻した。
「ヤァヤ、最後の三冊目。『お菓子大全典』だ。これには、今ではもう作ることの出来ないお菓子や、世界最古と言われているお菓子。生きているお菓子など、珍品名品がイラスト付きでみっちりと載っている。更に、ただでさえこの本は発行部数が少ないというのに、初版本のみに付属したという『お菓子な家系図』付きだ。美術館なら泣いて喜ぶこの一冊、借りますか?」
「いらない。そんなの、いらないわよ。だって、今はないお菓子を見て、食べたくなったらイヤだもの」
ノッポさんはまたがっくりと肩を落とし、その本を元の本棚に戻した。
「ヤァヤ、お嬢さん。結局、何の本が良いのかな?」
「もちろん、お菓子の本」
※
ペーポは部屋に戻り、ベットに向かってダイブする。昨日よりは、少しだけフワフワしているような気がした。父さんが布団を干しておいてくれたのかも知れない。もっとも、暗闇の中で布団を干した所で、どれだけの効果があるのかは不明だけど。
ペーポはうつぶせのまま、図書館から借りてきた本の表紙を見た。
トッピングされたドーナツのような色合いで、『ドーナツとおいら』と書かれていた。その下には、その文字に負けないぐらいカラフルなヘビが描かれている。頭はとても大きく、そこからシッポに向けてどんどん小さくなっていた。頭と身体があべこべだが、その大きく開いた口は、何でも飲み込んでしまいそうだった。
いかにも子供向けの本ね、と思いつつ、ペーポは本を開いた。
>
『ドーナツとおいら』
「ここはどこだ? おいらは、どこに居るんだろう?」
目がさめたら、こんなところにいた。
「ここはどこだ? おいらは、どこに居るんだろう?」
まわりには木がいっぱいで、じめんには草がいっぱいだ。
「ここはどこだ? おいらは、どこに居るんだろう?」
ねていた場所がどこか、思い出せない。
おいらがすんでいた場所が、思い出せない。
「あぁ、それにしてもおなかが空いたなぁ」
ずっとなにも食べていなかったから、おなかはぐぅぐぅだ。
目の前にある木は、とてもとてもおいしそうだった。
「こんなに木がいっぱいあるんだ。一本ぐらい食べてもいいだろう」
大きな口をあんぐりとあけて、ムッシャムッシャ。ゴクン。
でも足りない。まだおなかはぐぅぐぅだ。
「こんなに木がいっぱいあるんだ。もう一本ぐらい食べてもいいだろう」
大きな口をあんぐりとあけて、ムッシャムッシャ。ゴクン。
でもでも足りない。まだまだおなかはぐぅぐぅだ。
「こんなに木がいっぱいあるんだ。もう一本ぐらい食べてもいいだろう」
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
でもでもでもでも足りない。まだまだまだまだおなかはぐぅぐぅだ。
目の前にある草が、とてもとてもおいしそうだった。
「こんなに草がいっぱいあるんだ。一本ぐらい食べてもいいだろう」
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
でも足りない。でもでも足りない。まだおなかはぐぅぐぅだ。まだまだおなかはぐぅぐぅだ。
目の前にある地面が、とてもとてもおいしそうだった。
「こんなに地面がいっぱいあるんだ。一粒ぐらい食べてもいいだろう」
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
ムッシャムッシャ。ゴクン。
「あぁ、おなかがいっぱいだ。もう食べられやしない」
おなかがいっぱいになって、おいらはまんぞくだった。
いっぱいあった木はなくなって、いっぱいあった草はなくなった。
でも地面は、すこしだけのこっていた。
のこっている地面は、おいらをグルリとかこみ、ドーナツの形をしていた。
目の前にあるドーナツが、とてもとてもおいしそうだった。
「食べのこしはいけないな。せっかくだから、食べてしまおう」
ムッシャムッシャ。ゴクン。
「ペッ、ペッ、ペッ! なんだこりゃ! 苦いじゃないか!」
ドーナツは、苦くて苦くてとても食べられやしなかった。
「こんなに苦くちゃ、食べられない。食べるものがないなら、ここをはなれよう。おいらのねていた場所をさがそう」
おいらは目の前にあるドーナツをあきらめて、ここをはなれることにした。
でも、出られなかった。かじられていないドーナツには、出口なんてなかった。
「あぁ、こまった。ここをはなれることができない。またおなかが空いたら、どうしよう? こんな苦いドーナツなんて、食べたくない」
おいらはドーナツの中をぐるぐるとまわる。
すると、一本だけ木がはえている地面があった。
「木がトッピングされているなら、苦くは感じないだろう。やった、出られる。もう食べるところのないこんな場所なんて、早くオサラバしたいよ」
大きな口をあんぐりと開けて、木と苦い地面をいっしょに食べようとする。
「食べちゃダメだよ。これは、ボクの木なんだ」
一人の少年が、その木の前に立つ。
「どいてくれよ。おいら、その木と苦い地面を食べないと、ここからはなれられないんだ」
「でも、食べちゃダメだよ。これは、大事な木なんだ。ボクがうえて、ボクがそだてたんだ。何年も何年もかかって、やっとここまでそだったんだ。だから、食べちゃダメだよ」
「おいらはたくさんの木を食べた。いっぱい、いっぱい。のこっているのはその一本だけだよ。でも、ダメなのかい?」
「ボクにとってほかの木は、どうだっていい。ボクにとって大事な木は、この一本だけ。この木があれば、このなにもなくなった世界でも、ボクは生きていける」
「でもおいらは、その木と苦い地面を食べないと、ここから出られないんだ。やっぱり、ダメなのかい?」
「だったら、ボクと木と苦い地面をいっしょに食べておくれ。苦い地面だけがのこっているこの世界になんて、ボクは生きたくない」
「本当に? おいらの胃の中は、とてもとてもあついよ?」
「かまわない。この木といっしょなら、きっとあつさもわすれられるから」
少年は木を抱きしめる。
「どうせなら、全部食べていってほしかった。なにもかも、全部。食べのこしたこの世界には、しあわせなんてないんだ」
大きな口をあんぐりと開けて、ムッシャムッシャ。ゴクン。
あとにのこったのは、かじられたドーナツだけ。
苦くてだれも食べない、ドーナツだけ。
「あぁ、苦い」
>
ペーポは本をパタンと閉じる。
なるほど、ヒゲ先生は、これを見て『かじられたドーナツ』なんて言ったのね。ペーポは、怒りながらそう思った。
名言が盗作だと分かった今、ペーポの中でのヒゲ先生は、イチゴの乗っていないショートケーキよりも下になった。
※
今日の夜ご飯は、父さん特製のハンバーグだった。でもペーポは、このハンバーグが嫌いだった。じっくりと焼きすぎて、ビターなハンバーグになってしまっているからだ。
ペーポは父さんにばれないように、煙突掃除でもするように周りの焦げをすす払いする。中身だけなら食べられるだろう、と淡い期待を抱いたが、いくら掘り進んでも炭しかない。これが炭坑なら大喜びだが、あいにくここは食卓で、今必要なのは炭ではない。ペーポは引きつったように笑い、食べるふりをしてそっと捨てた。
「ペーポ。アンタ、あのコールと仲が良いんだって?」
母さんがビターなハンバーグを食べながら、唐突に、そして不機嫌そうに言った。ハンバーグが不味くて不機嫌なのか、コールと仲良くしているから不機嫌なのか。もしかしたら両方なのかも知れない、とペーポは思った。
「丁度良いわ。アンタ、コールと一緒に『右の街』に行きなさい」
「コールと? 別に『右の街』に行くのは良いけど、どうしてコールと一緒なの?」
砂糖をまぶしたパンを食べながら、ペーポは聞き返した。父さんはこんなに美味しいパンを作れるのに、どうしてハンバーグは不味いんだろう?
「そういう決まりなの。二人でなきゃダメなのよ。お城に行けば、理由は分かるわ」
「え〜……」
ペーポはいかにも嫌そうな声を出した。砂糖をまぶしたパンを食べているのに、思わず苦々しい顔になる。なんだか、美味しかったパンがとても不味く感じてきた。
「旅のお金はいっぱい出してあげるわよ。ケーキも、パンも、持って行き放題。それでも嫌?」
「行く! 勿論行くわ! あぁ……なんて素晴らしい旅かしら!」
コールとの旅はつまらないけど、そんなのは気にならないぐらい素晴らしい条件だった。あれも、これも、それも、どれも、持って行きたいだけ持って行って良いのだという。
ショートケーキも、マロンケーキも、チョコレートケーキも、オレンジケーキもチーズケーキも持って行きたい。
クリームパンに、チョココロネ。ミルクパンも、バターパンも、メープルパンも、フルーツのサンドイッチも持って行きたい。
勿論、ドーナツも忘れちゃいけない。ケーキドーナツに、フレンチドーナツ、オールドファッションにイーストドーナツ。
ケーキの箱が、お弁当代わりだなんて素敵過ぎる。
我慢しきれなくなって、ケーキの代わりに砂糖をまぶしたパンを口一杯に頬張る。きっと気のせいだけど、ケーキの味がした。
>
二回目の話「チックタックボーンボーン」
※
ペーポはカボチャの帽子をひさしを掴み、調整しながら上機嫌に歩く。
後ろに居るコールは、パフェの器を逆さまにしたようなダサイ帽子を深く被り、不機嫌そうに歩いていた。
『右の街』に行くには、このドーナツをグルリと左回りに歩いて行かなければならない。それなりに距離があり、いくつか危険な場所もある。だから、『左の街』と『右の街』にはあまり交流はなかった。
「コール! 遅いわよ、コール!」
「だったら持つのを手伝ってよ! だいたい、こんなに甘いモノなんて要らないよ。すぐに病気になっちゃう」
母さんが言ったように、ペーポはケーキもパンも好きなだけ持って行った。お店にある分だけ荷物に詰めた。それを見た母さんは、ビターなチョコレートを食べたように、苦い顔をしていた。ざまぁみろ。
でもその結果、リュックサックはペーポを半分に割ったぐらいの重さになってしまった。大きさは、コールの身長と同じぐらい。コールを後ろから見ると、巨大なリュックサックが動いているように見える。
ペーポは、荷物持ちはコールに決定ね、とベットに入っている時に既に決めていた。ケーキは、誰かが運んできたモノを食べるからこそ、美味しいのである。
「間違ってるよ、絶対。もっと保存食とか、栄養高いのとか、旅に向いているモノを持ってこようよ」
「お菓子は万能なの! 美味しいし、甘いし、これ以上旅に向いているモノはないわ」
コールは傷んだケーキでも食べたように、顔をしわくちゃにさせた。コールのクセに、生意気である。
「じゃあ食べちゃダメよ。ケーキもパンも、ドーナツも全部私のモノ。コールにはあげない」
「えぇ〜……。分かった。分かったよ、もう……」
今度はお腹を壊したような顔になる。それでも文句は言わなくなったので、許してあげた。
コールの唸り声をバックミュージックに、ペーポ達はどんどん進んでいく。
すると、ティラミスのような家が見えてきた。その前には、机と、必死に何かを書いている学者が居た。
「おんや? 珍しいな。子供二人で『右の街』に行くなんてさ。五秒」
学者は机の上にある紙に、<+5>と書いた。
「こんにちわ。ちょっと大事な用事があって、行く事になったんですよ」
「あぁ、そうか。そろそろそんな時期か。まぁー頑張ってくれ。四秒」
学者は机の上にある紙に、<+4>と書いた。
「何? 何をしているの?」
ペーポは興味深そうに聞いた。
「時間を計算しているのさ。君たちと話し始めてもう四十七秒経過しているよ。七秒」
学者は机の上にある紙に、<+7>と書いた。
「計算? 計算してどうなるの?」
「空き時間を作るためさ。三秒。おっと一分過ぎたな」
学者は長い横線を引いた後、紙の右上に×印を付けた。
「作る? 計算して、どうして空き時間が作れるの?」
「おんや? そんな事も分からないのかい。いいかい、一日というのは、二十四時間しかないんだ。面白くないティーパーティーに参加しても、とても面白い本に熱中しても、一年に一日限りにしか会えない恋人同士でも、一日は二十四時間なんだ。1440分で、86400秒なんだ。二十一秒」
学者は机の上にある紙に、<+21>と書いた。
「でも私達は、その二十四時間を全部使えるワケじゃない。ご飯を食べるのに消費した時間、寝るのに消費した時間というように、一日で必ず消費されてしまう行動があるんだ。他にも、水を汲んで飲む時間、トイレに行く時間、くしゃみをする時間、今日は何を食べようかと悩む時間、ボーっとする時間。おっと、忘れちゃいけない。あくびをする時間、背伸びをする時間を忘れていたよ。他にも、いっぱいあるんだ。三十二秒」
学者は机の上にある紙に、<+32>と書いた。
トントントン、とペンで紙を何度も突く。どうやら何か悩んでいるようだ。
「七秒」
ため息混じりにそう言ったあと、学者は長い横線を引き、紙の右上に×印を付けた。
「ここまでは理解してくれたかな? 二秒」
「うん、理解したわ。二秒」
ペーポは学者の真似をして、喋った時間を計って言ってみた。なるほど、これは楽しい。
「君は実にかしこい。私の話をこんなに早く理解したのは、君が初めてだよ。六秒」
「勿論よ。アメ玉を数えられるし、絵本だって読めるのよ。アホの子よりも、コールよりも頭が良いわ。八秒」
「じゃあ話を続けよう。二秒」
「うん。一秒」
「そうした必ず消費されてしまう時間をどんどん足していくんだ。ご飯を食べるのに二十三分十七秒、寝る時間は七時間三十五分八秒、水を汲んで飲む時間は三十八秒、トイレに行く時間は十八分五十一秒。今まで消費した時間の合計値を、二十四時間から引くんだ。そうすると、ここでようやく空き時間が出来る。分かるかい? 空き時間を作るというのは、こんなにも大変なことなんだ」
学者は疲れたようにため息をはく。ハッとなり、
「二十八……いや、三十二秒」
と、付け加えた。
「空き時間を作るって、とっても大変なのね。作った空き時間は、どうしているの? 六秒」
「計算し直すのさ。せっかく作った空き時間が、実は間違っていたらイヤだからね。そうだろう? 実は二十四時間一秒で、一秒余分に過ごしていたり、実は二十三時間五十九分五十九秒しか過ごしていなくて、もう一秒余裕があったら悔しいからね。君もそう思うだろう?」
「ううん、思わない」
ペーポは、あっさりと答えた。
「どうして? 君は一日を有効に使いたくないのかい?」
「だって、ケーキを食べる時間がないんだもの。カボチャの帽子を調整する時間も、服を着てポーズを決める時間も、ケーキ屋さんで今日食べるケーキを悩む時間も、なーんにもないんだもの。そんな一日、要らないわ」
「なんだって!? 君はそんな無駄な一日を過ごすのが好きなのかい? あぁ、残念だ。せっかく分かり合えたと思ったのに、残念だ。四分と二十九秒も時間を無駄にしてしまったよ。十八秒。……いや、今のを入れて四分と四十七秒だ。五秒。……あぁ、違う違う。四分と五十二……いやいや、それも違う。あぁ、勿体ない。時間がどんどん無駄になっていく」
学者は机にペンを投げつけ、頭を抱えて伏せてしまった。
「行こう! コール、もう行こう! 時間の無駄だよ」
学者は勢いよく顔をあげ、ショートケーキのイチゴを落としてしまったような泣き顔になり、そしてそのまま泣いてしまった。
ペーポはカボチャの帽子のひさしを掴み、調整しながら歩き始める。
コールはエーンエーンと泣く学者を横目に見ながら、服とリュックサックを引きずりながらペーポの後に続く。
「もう少し進んだらお弁当にしましょう。なんだかお腹が空いたわ。三秒」
もう一度学者の真似をしてみたが、今度は楽しくなかった。
「ねぇ、コールは空き時間を作ったらどうする?」
「僕? 僕は本を読むよ。それ以外に、何があるっていうんだい?」
>
三回目の話「暗い牢屋の中で、僕は燃え続ける」
※
ペーポはドーナツを食べながら歩く。味ではケーキに負けるけど、いつでもどこでも食べられるから、ドーナツも好きだ。
コールは、大きなリュックサックを引きずって歩く。日が何日か過ぎ、朝、昼、晩とケーキやドーナツを食べてきたおかげか、出発した時よりはだいぶ軽くなっていた。だがそれでも、コールを半分に割ったぐらいの重さはある。
なだらかな上り坂を越えた所で、道ばたに男が倒れているのが見えた。
「ペーポ、人が倒れているよ。ちょっと様子を見てきてよ」
「ドーナツが食べ終わったらね」
コールはその言葉を信じて待った。しかし、ペーポは同じペースでドーナツを食べ続けている。三十分前からずっと食べ続けているのに、まだ半分しか食べていなかった。
コールは、取って置いたおやつを食べられた時のように、深いため息をはいた。
「いいよ、もう……。僕が見てくる」
コールはリュックサックから抜け出し、男に近付く。
「もしもし、もーしもし? 大丈夫?」
コールが声をかけると、男はビクンッと短く身体を動かした。
「待て……待ってくれ、行くな……僕は君が必要なんだ……」
うっすらと目を開けながら、男は呟いた。
「ここはどこだ……? 彼女はどこへ行った……?」
男はゆっくりと起きあがり、周りをキョロキョロと見る。動くたびに、後ろで束ねている長い髪の毛が揺れた。
「アンタ誰だ……?」
「僕? 僕はコール。倒れていたみたいだけど、大丈夫?」
男は大きく口を開け、右手で目をこすりながら、左手で頭をかく。
「何だよ何だよ、何だよもう……。起こすなよぉ……もう。せっかく良いところだったのにさぁ……。分かるかぁ? 『右の街』に住んでいる大金持ちの僕と、『左の街』に住んでいる彼女との遠距離恋愛。身分の違いから結ばれることのない二人。何年間も密かに会い続けて、様々な障害を乗り越えて、さぁ二人は結ばれました……って時にさぁ。邪魔すんなよぉ……」
「何だよ、紛らわしいよ。道ばたじゃなくて、ベットで寝てよ」
「ベットじゃ眠れなくてなぁ……。気分転換に道ばたで寝てみたら、意外と心地よくてさぁ。あぁ……もう、くそぉ。もう目がさめちまった。眠気もないし、どうしてくれんだよぉ……もう」
男はもう一度大きく口を開け、右手で目をこすりながら、左手で頭をかく。
「何? 何の話?」
ドーナツを食べ終わったペーポが、コールの近くに来た。
「そうだ……おい、僕を思いっきり殴ってくれ。ここだ、ここ。みぞおちを思いっきり殴ってくれ。そうすりゃ、また寝られる」
「うん、分かった」
呆気にとられているコールをよそに、ペーポは何のためらいもなく男のみぞおちを殴った。
「ちょっ、ペーポ!?」
「どう? 眠くなった?」
男はみぞおちを抑えたまま、ふらふらと動く。
「痛たたたたたぁ……。痛い、痛い。ダメだ、痛くてよけいに目がさめちまったよぉ……」
「じゃあ、もう一回」
腕を上げて準備するペーポを、コールが必死で止める。
「待って! 待ってよ、ペーポ! ダメだよ、人を殴っちゃあ」
「どうして? この人が殴ってって言ってるのに?」
「そうだそうだ、僕が良いと言っているんだから良いんだ。さぁ殴るんだ。そして僕を夢の世界に連れてってくれ。ここはつまらない。ここに……面白いことはもう何もない」
「だから、また寝るの? 夢はそんなに面白いの? 僕には分からないよ」
「アンタは悪夢しか見たことがないからそんな事を言うんだろ? 夢の中で空を飛んだ事はあるか? 美女とデートをしたことはあるか? 自分が勇者になって、悪と戦った事はあるか? 好きなものを好きなだけ食べたことはあるか? この世界より広い家で暮らしたことは? アンタは無いだろ? 僕は全てある。全て、体験してきた。うらやましいだろ?」
「うん。少しだけ……本当に少しだけ、うらやましいよ。僕は、一つだけしか夢を見たことがないんだ。そこでは、何にも思い通りにならない。だから……僕は寝るのが少し怖い。夢を見るのが……怖い。だから……少しだけうらやましい」
「そりゃ勿体ないなぁ。あんなに素晴らしいものを体験できないなんて。……まぁ、アンタの事はどうでもいいよぉ。僕は僕の見たい夢を見るからな。もしも夢に観客席があったなら、アンタを招待したいけど、あいにく僕の夢は僕だけしか見られないんだ。僕がつくりだす夢は、とても面白いのに……もう、それだけが残念よぉ」
男は頭を左右に振った後、大きなあくびをした。長い後ろ髪がはたきのように揺れる。
「いつからこの世界は、こんなにつまらなくなったんだろうなぁ……? もっと面白ければ、僕だってこんなに無理矢理寝ないのにさぁ。……あぁ、でもね、アンタ達との会話は面白かったよ。アンタ達自体も、なんだか面白そうだしな。そうだなぁ……もしもアンタ達が、僕の夢の中に出てきたらとても面白いだろうなぁ。たまには思い通りにならない夢を見るのも、きっと悪くないんだろうなぁ」
男はあくびをかみしめながら、みぞおちに手をあてた。
「さぁ……殴ってくれ。もういい加減、僕は夢の世界に行きたいんだ」
「僕は嫌だよ。ペーポも、殴っちゃダメだよ」
「さぁ、早く。早く早く! 僕がこの世界に愛想を尽かしてしまう前に!」
ペーポは男の望み通り、腕を上げて準備するが、コールはそれを止める。
「さっさとしろ! このカボチャ頭!」
しびれを切らせた男が怒鳴った。
それに、ペーポはカチンとなった。こんなにもカチンとなったのは、誕生日にお祝いのケーキが出てこなかった時以来だった。
「ペーポ、ダメだよ!」
止めるコールをよけて、ペーポは男のみぞおちを殴る。
「良い感じだ……。あぁ……フラフラする。もう……大丈夫だ。もう……おやすみなさい……」
男はみぞおちを押さえたまま、地面におでこを付けて寝てしまった。
「カボチャ頭なんかじゃないわ! カボチャの帽子を被っているだけよ!」
男に向かって大声で言うが、反応はない。
「コール! コールが持ってきた本をちょうだい! とびっきり怖いヤツ!」
コールは何をするのか分からなかったが、すでに読み終わっていた『食べられたピーマン』を渡した。
「何? これは何? これが怖いの?」
「うん。ペーポはピーマンの中身を知ってる?」
「バカな事を聞かないでよ。空っぽよ。中身はスッカスカよ」
「そうだね。ピーマンに中身なんてない。でも、どうしてこんなにも空っぽなんだろう? って疑問に思ったことはない? もしかしたら、本当は中身があるんだけど、誰かがその中身だけを食べちゃったのかも知れないよ。ミカンのように、甘い甘い果汁がたっぷりだったのかも知れない。とっても美味しかったから、ガマン出来なくて食べちゃったのかもね。……そして僕らは、その誰かが食べ残していった皮を食べているんだ。とっても苦い皮をさ」
「よく分かんない。でも、とびっきり怖いのだったら何でも良いわ」
ペーポはそれを、男のおでこの下に挟んだ。
しばらくすると、幸せそうだった男の顔が、ビターなチョコを食べたときのように苦い顔になっていった。
「ざまぁみろ」
それで気がすんだのか、ペーポはまた進み始める。
コールは慌ててリュックサックを背負い、ペーポの後を追う。
「ねぇペーポ。ペーポは夢を見続けていたいと思う?」
「私は嫌い。だって、ケーキに味がないんだもの」
>
四回目の話「今日のおやつは何かな?」
※
コールはドーナツを片手に、不安そうにペーポを見つめる。
ペーポは、コールを半分の半分に割った重さのリュックサックを、両手で持って引きずっている。
少し前から、こうして荷物係と食べる係を交換していた。どうしてこうなったのかといえば、ペーポから言い出したことだった。
軽くなったとはいえ、半分近くの道のりをコールが背負ってきたのだ。その分文句も多かったが。
ほんの少し。本当にちょっぴりだけ、可哀想かなぁと思ったペーポがコールに交換を持ちかけたのだ。
「……なにかたくらんでない?」
交換を持ちかけてからずっと、コールは心配そうな顔をしていた。
「なに? どうしたの? 変だよ? 変すぎるよ」
「うるさい! 黙ってて!」
さっきからずっとこの調子である。うるさいったりゃありゃしない。そんなに手伝いする姿が珍しいのかな?
「食べあきたー! とか言って、横のなんにもない所に投げないでよ?」
「しないわよ! ケーキは食べあきないの! あーもう! 知らない! あとはコールが運んでよ!」
ペーポはリュックサックから手をはなし、そっぽを向いた。せっかく手伝ってあげようと思ったのに、もう知らない。もう二度と手伝ってやるもんか!
「うん……」
怒らせてしまったことに気まずさを感じながら、コールはいつもの位置に付く。
「なにたくらんでいたのかは知らないけど……運んでくれてありがと」
「知らない! もう知らない! コールなんか、ずっとリュックサックを引きずっていればいいんだわ!」
なんだか、嫌な気分だった。どちらのケーキを買おうかと、迷ったあげくにハズレを引いてしまった時よりも、ずっと嫌な気分だった。
ペーポは、急に走り出した。胸にあるこのモヤモヤを晴らしたかった。こんな風に走り出したのは、食べようとしていたケーキを、くしゃみで落としてしまった時以来だった。
※
走るだけ走った後、ペーポは疲れて立ち止まった。
胸のモヤモヤは消えたが、今は胸が痛くて息がうまく吸えない。
振り返るが、コールは見えない。道は一直線なのだ。ここで待っていれば、いずれ来るだろう。
「おやおや、こりゃ珍しい事だ。お嬢ちゃんがこんな所にまで来るなんてな。しかも、こりゃまた珍しいカボチャの帽子を被っとる」
前を見ると、麦わら帽子を被ったヒゲ先生が居た。――いや、違った。よく見ると、ヒゲが黒く、そして短かった。
「この先に面白いものなんてないのに、元気な事だ。元気を余してるなら、手伝っていかんかね?」
黒ヒゲ先生は、手に持っているクワを振り上げる。
「何? 何をしているの?」
「木を植えているのさ」
そして、クワを振り下ろし、ザクリ、という音と共に地面を削った。
「木? 木ってなぁに?」
「木を知らないのかい? それはな、地面からニョキニョキと生えて、儂の身長よりも高く伸びる、葉っぱがいっぱいあるのを木と言うんだ」
ペーポは難しい顔で首を傾げる。ややあって、手をばたつかせながら、うれしそうな顔で言う。
「あ! 知ってる! 知ってるわ! 図鑑で見たことがある!」
黒ヒゲ先生は首に巻いたタオルで、顔の汗をふいた。
「ほぅ、お嬢ちゃんはかしこいな。もうなくなったものを知っているなんて、えらいぞ。みんながみんな、お嬢ちゃんみたいに木を知っていたら嬉しいんだがなぁ」
「そうでしょう? 私、かしこいのよ。アメ玉を数えられるし、絵本だって読めるし、木だって知っている。コールよりも、ずっとずーっとかしこいわ」
「ほぅ、お嬢ちゃんは儂よりもかしこいなぁ。儂はアメ玉を数えられるが、絵本は読むことが出来んのだ。お嬢ちゃんが木を知っているなら、儂よりもずっとずっとかしこい。でも、木のことなら負けないぞ? 儂は木のことなら何でも知っている。姿も、形も、匂いも、味も風味も、全部知っている」
「なら私だって負けないわ。『左の街』のケーキ屋さんと、ドーナツ屋さんのことなら何でも知っているもの。姿も、形も、匂いも、味も風味も、種類だって全部知っているわ」
「はっは、こりゃ負けた。お嬢ちゃんにはかなわんよ」
そう言って、黒ヒゲ先生は手に持っているクワを振り上げる。
「ねぇ、どうして木を植えているの?」
「木を植えたいから植えているのさ」
そして、クワを振り下ろし、ザクリ、という音と共に地面を削った。
「木って美味しいの?」
「食べることは出来るけど、食べ物じゃないよ」
「食べることは出来るのに、食べ物じゃないの? 変なの」
「木は……そうだなぁ。お嬢ちゃんにとっては、ケーキ屋さんみたいなものだな。そこにあったらとてもうれしいモノで、なくなってしまったらとても寂しくなるモノだ」
「寂しいどころの話じゃないわ。ケーキ屋さんがなくなったら、私、生きていけない。あんなにも美味しいものがなくなるなんて、考えたくもないわ」
「そういうモノなのさ、木っていうのは」
「でも、木がなくたって、私は寂しくもなんともないわ」
「……羨ましいなぁ。儂も、木のない時代に生まれたかったよ。お嬢ちゃん達みたいに、木がなくても寂しくないようになりたかったよ。土と水で固めたアレを、木と呼ぶことが出来たなら、どんなに楽だったろうなぁ……」
黒ヒゲ先生は首に巻いたタオルで、顔の汗をふいた。
「ねぇ、木ってそんなに良いモノなの? どうしてそんなに良いモノなのに、なくなっちゃったの?」
「お嬢ちゃんの通うケーキ屋さんには、美味しいケーキが売っているのかい?」
「バカにしちゃダメよ。全部美味しいわ」
「木も同じなのさ。全部美味しいんだ。全部美味しいから、みんなこぞってケーキ屋さんに行って、そのケーキをいっぱい買っていくんだ。ケーキ屋さんはとてもうれしいだろうな。作ったケーキが大人気で、みんなよろこんで食べてくれるんだからなぁ。でも……そのケーキはな、作るのにとても時間がかかるのだ。一つ一つ、じっくりと時間をかけて時間を作っていくんだ。だからだろうな、とても美味しいのは。だからだろうな、みんなが、飽きることなくそのケーキを食べてくれるのは」
黒ヒゲ先生は首に巻いたタオルで、強く顔の汗をふいた。
「一日に店頭に並ぶケーキの数は決まっている。なのに、みんなそれが美味しいから、もっと、もっと、ってケーキ屋さんに言うのだ。しょうがないから、ケーキ屋さんはまだ未完成のケーキを店頭に並べるんだ。それでもみんな買っていく。けれど、またケーキはなくなる。そして、また言うのだ。もっと、もっと、って……」
「ケーキ屋さんは大儲かりね。良いことじゃない」
黒ヒゲ先生は首に巻いたタオルで、何度も何度も顔の汗をふいた。
「でもな、ある日、ついにケーキを作る材料がなくなってしまうんだ。もちろん、ケーキ屋さんでもその材料を作っていた。でも、その材料を作るのにも時間がかかるのだ。だけれど、みんながみんな、ケーキを食べることしか頭になくて、誰も材料を作ろうだなんて思っていなかった。それで、ケーキ屋さんは……ついにケーキを作るのを止めたのだ。材料がなくちゃ、ケーキは作れないからな。みんなショックだったなぁ。まさか、ケーキ屋さんがなくなるなんて誰も思っていなかったから」
「私だって、そんなの考えたくないわ。ケーキ屋さんがなくなったら、私は何を食べて生きればいいの?」
「そうなんだ。まさに、お嬢ちゃんの言う通りなのだ。でもな、そのとなりに、新しいドーナツ屋さんが出来たんだ」
「ドーナツ屋さん?」
「そう、美味しいドーナツ屋さんさ。ケーキ屋さんには劣るけど、でも、ドーナツはドーナツで美味しいんだ。だからみんな、ケーキ屋さんのことは忘れて、ドーナツ屋さんに行き始めるんだ。みんな、美味しいものは好きだから」
「うん、ドーナツは美味しいよ。でも、私はケーキが良いわ。だって、ケーキの方が美味しいんだもの」
「儂もそう思う。ドーナツよりも、ケーキの方が美味しいに決まってる」
「それにしても、みんなバカね。どうして誰も、ケーキを食べるのをガマンしなかったのかしら? 店頭に並んでいるケーキだけを食べれば良かったのにね」
「ガマン出来なかったのさ。他の人が美味しいケーキを食べているのに、自分だけが食べられないのを。自分だけがガマンして、甘いケーキを味わえないのに、どうしてもガマン出来なかったんだろうな。お嬢ちゃんの言うとおり、みんな店頭に並んでいるケーキだけでガマンしていれば、ケーキ屋さんはなくならなかったんだ」
「私だったらガマンするわ。だって、ケーキ屋さんがなくなるよりはマシだもん」
「他の人が食べているのに? お嬢ちゃんだけが、あの甘いケーキを味わえないんだよ? それでもガマンするかい?」
「う〜……それはイヤ。じゃあ、少しだけにするわ。クリームを一舐めするぐらいなら、良いでしょう?」
「みんな……みんなそう思っていたのさ。少しぐらいなら、少しぐらいならって。そして誰かが少しでも多く食べると、自分もそのぐらい食べたくなって、結局なにも変わらないんだ。結局みんな……ガマン出来ずに食べてしまうのさ」
黒ヒゲ先生は、クワを振り上げ、そして振り下ろす。
「ねぇ、どうして木を植えているの?」
「木がもうないからさ。それが……諦めきれないからさ」
「ケーキ屋さんはもうないのに? それとも、手作りするのかしら? だったら、私も食べたいなぁ」
「儂には……ケーキを作ることは出来ないのだ。ケーキを作るというのはね、とても難しいことなんだ。ほら、みんながみんなケーキを手作り出来たら、ケーキ屋さんは商売あがったりだろう?」
「商売あがったり?」
ペーポは首を傾げる。初めて聞く言葉だった。
「商売にならない、って事さ。誰もケーキを買ってくれないから、ケーキ屋さんは赤字になってしまうのさ。赤字は知ってるかい?」
「うん! 父さんが口ぐせのようにいつも言っているわ。『あぁ今日も赤字だ。あぁ今月も赤字だ』って。きっと、悪い意味なんでしょう?」
「まぁそうだな。大人にとって、赤字はとっても怖いのさ」
「じゃあ、父さんも商売あがったりなのね」
「はっは、まいった。こりゃまいった。お嬢ちゃんは本当にかしこい」
黒ヒゲ先生は、振り上げたクワをゆっくりと降ろし、首に巻いたタオルで顔をふいた。
「ねぇ、木を植えてどうするの?」
「どうもしないさ。ただ……儂は材料を作っているだけだ」
「材料?」
「そうだ。材料だ。いつか帰ってくるケーキ屋のシェフのために、儂はここで材料を作り続けているのだ。そのぐらいしか……儂に出来ることはないからなぁ」
※
「ペーポ!」
クワを振り上げたところで、ペーポは振り向く。本当は無視するつもりだったけど、つい、うっかり振り向いてしまったのだ。
もちろん、見なくても誰が呼んだのかは分かっている。あの、生意気なコールだ。
「……なにやってるの、ペーポ? クワなんか持っちゃって。今日は変だよ。変過ぎるよ。もう全然ペーポっぽくないよ」
「うるさい! 私はここで黒ヒゲ先生と一緒に木を植えるの! そんで、シェフの帰りを待つの! もう決めたの!」
「何言ってんだかさっぱり分からないよ。木を植えてどうするの? シェフって何? 僕たちは『右の街』に行かなくちゃいけないんだ。これだって、もうとっくに決まっていることだよ」
「うるさい! 黙ってて! 私は木を植えるの! ケーキ屋さんは絶対になくさないわ!」
ペーポはムキになってクワを振り下ろす。ザクリ、という音はしなかった。
「あわ……あわわ……」
寝相が悪かった寝起きの時のように、手がビリビリとしびれる。とてもじゃないけど、クワなんか持っていられなかった。
「何? 何なのよこの地面は!? 変だわ。固すぎるわよ、この地面」
「はっは、普通の固さだよ、お嬢ちゃん。どうやらお嬢ちゃんには、この仕事は向いていないようだなぁ」
「ペーポには無理だよ。クワなんか、一度だって使ったことがないんだろう?」
「バカにしないで! ちゃんと使ったことがあるわよ。クワを使って、父さんが作った料理をちゃんと花壇に埋めたのよ」
ペーポは地面からクワを拾い上げ、もう一度振り上げた。よろよろとしながらも、力一杯振り下ろす。サクリ、という小さな音がした。
「あわ……あわわわ……」
手がビリビリとしびれる。さっきの倍近くビリビリしている。クワどころか、ケーキだって持てそうもなかった。
「やめときなさい。手を痛めるだけだ」
「だって、ケーキ屋さんが……」
「ケーキ屋さんが来るまで、多分もっとずっと時間がかかるのさ。お嬢ちゃんがお嬢ちゃんでなくなってしまうぐらい、長い時間がかかってしまうんだ。だから……お嬢ちゃんはその子と先に進みなさい。これは、儂の仕事だ。お嬢ちゃんの仕事じゃない。この仕事は儂に出来て、お嬢ちゃんには出来ない。でもきっと、儂には出来なくて、お嬢ちゃんには出来る仕事がきっとあるハズだ」
「よく……分かんない」
「少し難しすぎたかなぁ。すまん、お嬢ちゃんがあんまりにもかしこいんで、つい大人な話になってしまったよ。つまりな、お嬢ちゃんがこの仕事を続けると、赤字を出してしまうことになんだ」
「赤字が出るの?」
「今も赤字だが、それよりもっと赤字だ。きっと、いちごよりも赤くなってしまうだろうな」
「それは、商売あがったりね」
「そうだ、商売あがったりだよ」
ペーポはしびれている手をぶらぶらさせながら、ため息をはいた。
「わかった。赤字が出ちゃうなら、仕方がないわよね。もういいわ、コール。先に進んであげるわ」
「え? あぁ、うん。僕がいうのもなんだけど、本当にいいの?」
「しつこい! 私がいいって言ったら、それでいいの!」
「じゃあな、お嬢ちゃん。気をつけて進めよ。またいつか会おう。儂は、まだまだここで仕事をしているからな」
「じゃあね、黒ヒゲ先生。帰り道までには、私よりも黒ヒゲ先生よりも身長の大きな木を見せてね」
黒ヒゲ先生は、振り上げたクワをゆっくりと降ろし、首に巻いたタオルで顔を強くふいた。
何かを言おうとして、やめて、もう一度顔を強くふいた。
>続
-
2007/10/29(Mon)02:38:39 公開 / rathi
■この作品の著作権はrathiさんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
約二ヶ月ぶりの更新となってしまったrathiです。
いや、本当に申し訳ない。
さておき、いやはや忙しくて思わず物書きを一時停止してしまいました。
まぁ、今回更新分がやや多いってのも原因の一つなワケで。
おいといて、なんだかこの小説、新たな新ジャンルを切り開いているような気がします。
『甘党にオススメな小説』という、なんだか良く分からん新ジャンルです。
もう胃もたれするぐらいケーキだドーナツだ、と出てくる始末で。
甘いモノ嫌いな人には辛いかも。(水芭蕉猫さんは某ドーナツ店が嫌いで最初は見ていなかったと語っていたし)
まぁ、それはそれ、という偉大な名言を信じて、このまま突き進んでいく所存です。
久々更新の所為で、変なテンションでゴメンナサイ。