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『ドラむすめがやって来て』 作者:kurai / 恋愛小説 ファンタジー
全角26924文字
容量53848 bytes
原稿用紙約81.8枚
「はじめまして。今日からお世話になります〜」
 丁寧に頭を下げる少女が目の前に立っている。母や父に助けを求めてみるも肩をすくめるばかり。この少女はなんなんだ。



 七月も始まったばかり、徐々に暑くなっていく季節である。そんな日の早朝、少女がこの家に来た。
「よろしくお願いします」
 玄関前、少女は深々と頭を下げている。何故だ、何があったのだ。
「ちょっと待ってくれ。人違いじゃないのか?」
 俺がそう言うと少女は顔を上げて首を振った。黒髪、黒目、服装まで黒だ、だが肌の色は対照的で真っ白であった。腰まで届く黒髪が揺れている。おとなしそうな顔立ちの少女で、華奢な体つきの、いかにももやしっ子な真っ白の病弱そうでもある雰囲気の血の気の薄い顔が変に違和感を感じさせるが、まあその部類ではとても可愛いものだった。
「人違いなんかじゃありませんよ〜。約束どおり、やってまいりました〜平井レイジさま〜」
「……なんで俺の名を?」
 こんな少女、俺は知らない。なのにこいつは俺の名を知っている。それ以前、この少女は何者で、何なのかすら分からない。俺の宙を泳ぐ目は、バツの悪そうな両親を捉えた。おいおい、隠し子、いや、生き別れの兄妹とでも言うつもりなのだろうか。
「誰なんだよ、こいつ」
 俺はあえて親父に聞いた。そんなマチガイを起こすような人間は家には親父しかいないのだ。
「あ〜、それは……」
 図星のようだ。目が泳いでる。隠し子か、兄妹か、なんでも驚かないぞ。そう思ったが、前言撤回、この親父はとんでもない事を言いやがった。
「……この娘は、お前の許婚だ。レイジ」
 …………。時は止まったかの様に思われた。俺は必死で日付を確認する。今日は四月一日ではない。
「どういう事だよっ?」
 当然の疑問だ。しかも母の様子を見る限り分かってないのは俺だけのようだった。
「あれ? 説明してないんですかぁ?」
 少女が戸惑った表情を見せた。うん、なかなか可愛いし、いいかもしれない。いやだが。
「ちょっと待てっ、俺は中二だぞっ? この娘だって俺より年上な訳ないし、同い年がいいとこだっ。なのに許婚ってどういう事だよっ?」
「ストップストップ。えっと、とりあえずあがってちょうだい」
 俺は母に制止された。訳分からん。だが促されるままリビングへ行って、もう一度聞いた。
「で、許婚って何だ?」
「え〜っと、多分許婚では無いと思いますよ〜」
 少女が笑っていった。よく聞くと少し英語じみたなまりがある。帰国子女かもしれない。ただぽ〜っとした感じでいった少女の言葉に少し残念な気がしたが、気のせいである。と思う、自信は無いけど。だが、続く少女の言葉にまたも俺は仰天した。本当に今日は四月バカではないんだよな。
「レイジさまはわたしの旦那さまですぅ〜」
「…………」
 俺は黙り込んでしまった。すると母が説明を始めた。その母の顔は笑いをこらえるのに必死そうだったのだが、そんなことはどうでもいい、と思えるような事態だ。
「えっと、説明するとね。ケイジさんのお父さん。つまりあなたのお爺さんね。お爺さんが外国に行ったときに機関車で旅をしていた時に事故にあったって話は覚えてる?」
 母がややこしい話し方をするのはいつもの事なので気にしない。だが内容を飲み込むには時間がかかるのだ。
「……あれのこと?」
「そう、その時に紳士な方に助けてもらったって言っていたわよね?」
「……そういえば、そんな気も……」
「その時にお爺さんがした約束があるの。ケイジさん」
 母のふざけた微笑を受けて、親父が待ってましたとばかりに答えた。
「ああ。それがこれだ。お主の子は我が孫が貰い受ける、確かにここにはそう書いてある」
 そう言って一枚の紙を取り出した。見ると丁寧に印鑑までしてある。契約書なのか、なんにせよ、めちゃくちゃだ。
「つまり、この娘があなたのお嫁さんの―――」
「―――ミリア・クライナス・タクテナ・ドラキュラです。あ、でもレイジさまのお嫁さんだから平井ミリアですかね〜?」
 はい、四月バカ決定。じゃなきゃありえない。なにせ。
「ドラキュラ……?」
 気のせいだ、バカバカしい。中二の俺に嫁がいるなんて。俺は彼女いない暦何年だと思ってるんだ。こんな平凡な男子に嫁が、しかもドラキュラだ。吸血鬼だ。夢なら覚めてくれ。まあこんな可愛い子を手放すのは悔しいがな。まあ嘘だろ、吸血鬼なんて。
「そうなのよね〜。この娘、吸血鬼なのよ。でもまだなりきってないとか聞いてるから問題ないわ。それに向こうの事情で、あなたが貰われるんじゃないんだからいいじゃないの」
 この母親はさらりと笑って言いやがった。もう俺には何がなんだか分からなくなっている。て言うか母は事情を全部知った上で言っているのか。
「…………」
「レイジさまっ」
 俺は絶句。同時にミリナは抱きついてきた。まあ悪い気はしないかな。
「なんなんだよ……」
 俺の日常は崩れた。ある日突然、美少女吸血鬼が嫁入りに来たのだ。分かったような親も怖い。だが俺の人としての道も、まだ救う手立てはある。
「……でもよ、吸血鬼だって証明できるもんはあんのかよ?」
「ありますよ〜」
 抱きついているミリアは笑って言う。
「ほら」
 そう言ってミリアはにっと歯を見せた。そこには異常に長い犬歯があった。八重歯にしては長すぎるそれは、確かに人ならざる者のそれである。
「さて、じゃあ朝ごはんにしましょうか」
「あ、わたしも手伝いますぅ〜」  
 母について、ミリアがトテトテと歩いていく。俺にとっての唯一の救いは今日が日曜日であると言う事だけになっていた。



 そして、朝食。いつもの風景のはずだが、何故だか俺の隣には美少女吸血鬼がいる。
「……でもわたしはお父さんと違って、まだ完全な吸血鬼じゃないんですよ〜。血が飲めないんです」
 ミリアが言っていることはどうでもいい。俺はミリアが持っているものが気になってしょうがない。それはケチャップだった。それもさっき空けたばかりで、もう半分も使っている。それが二本目なのだ。俺は目の前のオムレツが可哀そうになる。もはや真っ赤な何かに変貌しているそれを。
「あれ? どうしたんですレイジさま?」
 ミリアが俺の視線に気づいて怪訝そうに聞いてきたが、なるほどと言う顔をして言った。
「あ、ケチャップですか? もうこれしかないんですけど……。すいません、全部使ってもいいですよ〜」
 そう言って残り半分になったケチャップを差し出した。待て、俺は自分のオムレツまで赤く染め上げるつもりは無いぞ。
「いや、そうじゃなくて……。ケチャップ使いすぎじゃないかなって」
「はぅぅ、やっぱりそうですかぁ?」
 そう言って恥かしそうに今度は顔を赤くした。
「わたし、血が吸えないから気分だけでもって始めたんですけど……」
「けど……?」
「だって、ケチャップおいしいじゃないですかぁ〜」
 次はプリプリ怒り出した。なんとも言えないほど可愛いのだが、どうも調子が狂う。いや、俺の生活の調子は既に脱線しているが。とりあえず俺は疑問の前に朝食を片付けることにして、ケチャップを受け取り、オムレツにぶっかけて掻っ込んだ。
「……やれやれだ」 
 おい、それは俺のセリフだぞ親父。
「困った事になったな、部屋とかはどうするんだ?」
 ……なるほど、忘れていた。
「っぷぅ。どうすんだよそれ?」
 急いで食べきり、なんとか言えた。口の中がケチャップ臭いが気にしていられない。
「う〜ん、一応今空いてるのはあの部屋だけだから、やっぱりあの部屋ね」
「なっ。あの部屋は……」
「なら、あなたの部屋でもいいのよ」
 母がまったく怖い顔で言うから、俺の意見は黙殺された。俺の部屋はご免だ、断じてな。
「……分かった、それでいい。だが教えてくれないか? 完全な吸血鬼で無いなら、お前はいったい何なんだ?」
「……え〜と、半吸血鬼です〜」
「では、その半吸血鬼とは?」
「はぅあぅ〜。ムズカシイですけど、頑張って説明します〜」
 いかん、可愛すぎる。もういいか、どんなオプション付きでも美少女は美少女だ。もらえるもんはもらっとけ。不純だが気にするまい。
「吸血鬼も生物の一種です。子供はできるのです」
「……それは分かる」
「そして、吸血鬼は不老不死なのです。これでは矛盾がありますよね?」
「……ああ、生まれた子供はそのままと言う事になるからな」
「ですが、吸血鬼は成長するのですよ。正確には半吸血鬼のときに、ですけどね」
「なるほど、それで半吸血鬼か。なら、どうすると吸血鬼になるんだ? まさか自然にと言う訳ではないだろう?」
「それはですね〜」
 そこでミリアは少し言葉を切った。まあ内容が内容だからな。
「最も愛する人の血を吸った時です。それまでに他の人の血を吸うと拒絶反応が起きるのですよ〜。三日ほどは立つことすらできません」
「…………」
「えへへ〜。よろしくお願いします、レイジさま」
 ミリアの笑顔は妙に怖かった。多分俺の日常はこの日から脱線していったんだと思う。ていうか、俺の平凡な日々は積み木のように容易く崩れ去るものだったらしい。


 
 奇天烈な花嫁が来訪した日の翌日。俺は学校に行けるのが嬉しくすらあった。その花嫁は吸血鬼なのだ、なんと言う事だろう。さらに、彼女が吸血鬼であることを否定できる材料は無くなっていた。結局のところ今は空いているあの部屋ではなくまったく使われていない親父の書斎に住むことになった吸血鬼は、その日のうちにその部屋の模様替えを完了させてしまったのだ、完成したのはどこから持ってきたのかは分からないがぬいぐるみだらけの部屋だったが。タンスを運び込み、本棚の処分整理、ベッドの移動。全てを一人でやってのけたその怪力。そして朝食時に見せられた牙。この二つを持って吸血鬼は俺を現実から引き剥がしたのだ。これで現実離れするほど可愛くなければどうなっていたかは自分でも分からない。
「じゃあ、行って来る」
 そう言って俺は家を出た。花嫁吸血鬼ミリアはまだ起きていない。半吸血鬼と言う事で本人いわく弱点らしい弱点は無いものの、やはり朝が弱いのは吸血鬼だからだろうか。ありがたい。
「いってらっしゃいね。ミリアちゃんのためにも寄り道はしない事、分かった?」
 この母親は自分の息子の人生ですら面白おかしくするつもりらしい。少なくとも、吸血鬼にやすやすと俺を渡す事はしたのだ。酷い親だな、人事じゃないが。
「…………」 
 それに俺は答えられない。ていうか答えたくない。いくら可愛くても吸血鬼だ。しかもどうやら俺に惚れてるらしい。別に自分がモテるとか言いたい訳じゃないがあれだけ抱きつかれれば誰でもそう思うはずだ。だが、俺に惚れていると言う事は、ミリアは俺の血を欲している事になる。そう考えると誰でも怖くなるものさ。さあ、安全な学校へ逃げようか。

 

 だが、俺は学校についてから、まともに授業を聞けていなかった。面倒だとか、ミリアのこととかに気を取られていたわけではない。だた、弁当を忘れた。それだけである。だが俺にとってそれは結構な問題なのだ。
「……ぐぅ」
 腹の虫も音を上げている。まだ午前の授業は半分しか過ぎていないのに、妙に空腹なのは理由があり、早弁しようと鞄を開けると、弁当が入っていなかったのだ。ちなみに空腹の原因とは、ケチャップフルコースの所為である。ひたすらにケチャップに合う料理のみ、これが昨日と、今日の朝食で行われたのだ、ケチャップ大盛りでな。食欲も失せるさ。おかげで死にそうに腹減ってるが。
「……大丈夫なの? レイジ君」
 うなり声を上げている俺を心配してか、声をかけてきたのは隣に座る女子、天宮レイだ。これもなかなかに可愛い。茶色がかった長めの髪、整っていて活発そうで、でも大人しさもあるような、矛盾した可愛さがある。嫁にするなら吸血鬼よりはこちらを選びたいものだ……。おい、何を妄想してるんだ俺は、ありえないな。吸血鬼でさえ奇跡なのだぞ。俺のバカ野郎、色ボケもいい加減にしろ。
「……あぁ………」
 元気の無い俺の返答を聞いてレイはさらに心配そうな顔になった。これが精一杯の声だ、情けないな。だが、レイも俺が大丈夫と言うなら仕方ないと言った様子で目を黒板に戻した。そして俺が自分の腹の具合を確認していると、窓の外に妙なものが見えた。ついに幻覚まで見え始めたらしいな。いや、幻覚であって欲しい。
「レイジさま〜」
 ……夢、だよな。何故ここにミリアが居るんだ。ここは、そう。三階のはず。その窓にミリアがしがみついている。なんてこった。幸い俺以外は誰も気づいていないようだが、どうしたものか。
「う〜、お弁当持って来ましたよ〜」
 ミリアは窓の淵に宙ぶらりんのまま。そりゃきついだろ。てか俺が窓際最後列の席でよかった。最高だなこの場所。いやいや、そんな事はどうでもいい。……う〜む、今できる事は……。
「……分かった。一回下に下りろ。後で取りに行く」
「分かりました〜」
 ミリアはスルスルと下りていった。問題は先延ばしになっただけだがな。さて、見つかったときの言い訳を考えるか。



 
 授業終了後。全速でミリアに、なるべく人気の少ないところで会おうと教室を出たが場所を伝えても伝えられてもいないので、どこを探したものかと考えるはめになった。だが、ミリアはよりにもよって教室前の廊下に姿を現した。
「…………」
 ミリアは辺りをキョロキョロと見回している。まだ俺を見つけていないようだ。頼む、見つかるな。屋上にでも逃げ切れればいい。そう思って、その場を逃げ出そうとしたのだが、まあこの展開で見つからないわけが無かったか。
「……あ〜、レイジさま〜。こっちですよ〜」
 ……そんなに大声出さなくてもいいだろうに。おいおい、手を振りながらこっち走ってくるな。
「……はうぅ」
 転んだ、やっぱり、勢いよく、俺の目の前で。ああ、思った事を口に出せたらどんなに幸せだろう。出せないのは俺の性格が良すぎるからかな。他の連中の目が痛い。まともな言い訳も思い浮かんでないのにな。
「痛い〜」
 赤くなった額を押さえて立ち上がった。
「あっ、レイジさま〜。お弁当です〜」
「……あ、ありがとう……」
 ミリアは俺に弁当を渡すと、トテトテと帰っていった。む〜う、死亡フラグだろうな。その辺の男子がニヤついてこっちを見ている。だが、俺はまだ絶望はしなかった。この時はな。



 で、昼飯。俺の席の周りにはさっきミリアを目撃した奴らの何人かが群がっていた。
「どうしたレイジ? 早く食ってやれよ」
 黙れ。
「あれ? お腹空いてたんじゃないの?」
 黙れ黙れ黙れ。
「ほら、さっさと食えよ」
 くそっ、バカ共が。茶化すのもいい加減にしろ。
「ほらほら……」
「うるさい、これを食えって言うのか?」
「せっかくあんな可愛い娘が持ってきたんだ。当たり前だろ。てかあの娘は何者?知り合いなら紹介してくれ。お前をレイジさまと呼んでいたのは目をつぶってやろう」
 どうせなら全部目をつぶってほしいものだがな。
「んなこと言ったって……」
 と、俺はミリアが持ってきた弁当を指していった。
「これ、ケチャップだぞっ?」
 そう、ミリアが持ってきた弁当とは、ケチャップだったのだ、未開封のな。……トマトすら嫌いになりそうだ。
「まあ、変わった弁当だよね」
「……あくまで弁当だと言うか」
「あの娘が弁当と言ったのだから弁当だろう」
 なあ、お前はミリアと初対面だったよな。何故そこまで言い切るのだろう。これが健全な男子だと言うのなら、そんなもの絶滅してくれ。……ニヤケ過ぎじゃないか、こいつは。



「……今日の弁当、あれは何なの?」
 家に着いた俺は、真っ先にだができる限りの感情を抑えて母に問いただした。落ち着け、相手は母親だ。……感情抑えすぎかな、俺は。
「あら、食べなかったの?」
 この母は笑って言っている。全て承知の上と言うわけだ。自分はまったりとお菓子食べながらテレビ見てるのに、息子はお構い無しですか。
「……食べたよ」
 思い出しても吐き気がする。いや、ニヤケ面のあいつらの方がウザいかな。だがこの母はどう勘違いをしたのか笑みをさらに広げた。
「じゃあいいじゃない」
 何がいいのだろうか。家でもケチャップは食材ではなく調味料だったはずだがな。
「ケチャップのどこがいいんだよ?」
「ふえぇ、ダメなんですか〜?」
 ……例の吸血鬼のお出ましだ。お〜い、何故泣きそうな顔をしている。謝った方がいいのかこれは。
「い、いや。大丈夫だよ……」
 俺って人が良すぎるな、反省しよう。反省すべき事ではないだろうが。
「ならいいじゃないの」
 この母親は……。笑っていやがる。本当にこれでいいのかよ、親父はほとんど家にいないからケチャップ尽くしもないし。ああ、俺に幸あれ。
「それに明日からは……」
「ああ、ダメですよぅ」
「あ、そうだったわね。ごめんなさい」
 ふむ。これを怪しいやり取りと言わないなら、世の中から怪しい事の大半は消えるだろう。と言うことで一応聞いてみる。
「何の話?」
「内緒ですよ〜」
 ミリアは笑って返した。……やっぱりな。まあ、その天使のような笑顔に免じて許そう。こいつは吸血鬼だけど。



 その日の晩飯。少しは勢いに衰えを見せたが今日の晩もケチャップ三昧。かろうじて視覚的にもオムライスの卵の部分が多かったのが救いである。ケチャップライスが予想外にきついが、昨日や今日の昼に比べたら全然ましだな。この時は全く気づきやしなかった明日に控える何かも、相当恐怖すべき事なのだろう。まあそれは明日に考えよう。



 翌日。またも朝早々と俺は家を出た。朝は眠いが、どうもミリアと居ると気を使って仕方ない。いや、下心とかは無いぞ。さてっと、弁当確認。鞄に入っている、問題なしだ。
「じゃ、行ってきます」
「は〜い」 
 そろそろ俺にとって鬼畜となりつつある母が笑って返す。この笑顔が怖く思えるのは条件反射だろうな。
「いってらっしゃい」
 俺は走って学校まで行く。特に意味はないが日課と言うものなのだ。……空は晴天だった。吸血鬼にはきついと思われるくらいにな。



「あっ、おはよう。レイジ君。今日も走ってきたの?」
 俺が教室に着いて息を切らしていた所に聞いてきたのは、実はこのクラスの学級委員でもある天宮レイである。いろいろ仕事があるらしく、いつも朝が早いのでレイはいつも俺より早い。よって、このような朝の会話も日課になっているのだ。もう一度言うがこれはただの日課だぞ。
「ああ」
 ……さて、教室には二人しかいない。いつもの事だがどうしたものか。今の俺にはケチャップの事しか語れないからな……、ケチャップに合う料理ならどれだけ語れるかね。語るつもりは無いが。
「ねえ、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
 レイが深刻な顔で聞いてくる。なんだろね、嫌な予感もしないでもないが、話題があるなら乗っかっていくしか無いな。
「何?」
 俺はできる限りの笑顔を作って言った。窓が鏡になってどんな顔かは見えたが、あまり言いたくないな。
「あのね……、昨日の女の子の事なんだけど」
 レイは俺の表情に気づいていないようだ。……はぁ、ミリアのことか。こう言う予感は何故当たるのだろうか。たまにはいい事も当たってほしいよな。
「……ううん、なんでもない。ごめんね」
 何を思い直したのかそう言ってレイは教室を出て行った。色々と疑問は残ったが、今回は良しとするか。まさか嫁とは言えないしな。



「なあレイジ、今日転入生が来るって聞いたが何か知ってるか?」
 レイとの気まずい時間も過ぎてだいぶ経ち、教室にもあらかた人口が増えたところで昨日の男子。え〜っと、村田、いや室田ケイだったな。が聞いてきた。いかん、前から付き合いのある奴なのに忘れていた。
「……知らないね」
 転入生ね。心当たりならある。ミリアだ。だがまだミリアが来てから三日。色々と早すぎるのでありえん。だとすると誰だろうな。
「ふうん。僕は可愛い女子って聞いたよ」
 そう言ったのは室田のおまけと言うか影と言うか、いつも一緒にいる高良……、あ〜、すまん忘れた。とりあえず高良だ。影薄いからな、こいつ。いかにも美少年って面してるのに。
「何? 女子だとっ? 聞いてないぞ。しかし、それなら一層楽しみではあるな」
 ……何なんだ。多分鏡を持ってくれば俺も自分の呆れた顔が見えると思う。この、なんとも言えん中途半端な顔立ちの野郎は女子と聞いた途端テンションを上げやがった。
「この時期に転入なんて、難儀な奴だな。そろそろ一学期も終わるって微妙な時期になんてな」
「ふん、そんな事関係ないな。むしろ好都合だ。右も左も分からん、そして時期的に変な時期なので回りに溶け込めない。そんな美少女を助ける。最高の設定じゃねえか」
 …………会話中止。妄想なら一人でやってくれ。俺はお前らにはついていけねえよ。……とまあ俺が言える訳もないね。出来たのは無言を押し通すだけだな。



「…………」
 さて、ホームルームの時間だ。そして、いつもの無言状態となっているのは俺ではない。まあ俺自身話せる雰囲気じゃないが、なっているのはレイで原因もレイだ。ここまで不機嫌そうな顔は始めてみるな。黙って前を見ているレイの不機嫌そうな面を見ていたらなんか申し訳なくなってきた。俺の所為じゃないのに何でだろうな。
「さて、みんなの中にはもう聞いた者も居るかもしれないが、転入生を紹介する」
 俺はこのパターンでの常套句を吐いた教師に目を向けた。うわさ程度だと思っていたが転入生とは本当だったのか。クラスも予想通りざわざわし始めた。だがそれほどの余裕はないのだよな。
「さあ、入っておいで」
 教師が廊下までその転入生を呼びに言った。レイはますます不機嫌そうな顔をする。何か関係があるのだろうか。ああ、この席でもマイナスな事があったらしいな、気まずすぎる。
「はい〜。……わたっ」
 黒髪の転入生が転んだ。同時に昨日の記憶がよみがえる。……はぁ、もう嫌だ。いや、もうむしろどうにでもなれ。
「痛たたっ」
 転入生が鼻頭をさすりながら立ち上がった。はぁ、この前もあったじゃないか、これ。
「えっと、始めまして〜」
 転入生はペコリと頭を下げた。これもデジャヴ。いや、もう引っ張りすぎだな。もう目線が痛いっての。
「平井ミリアです〜。よろしくお願いします」
 ミリアは満面の笑みを浮かべて言った。……いや、クラス中からの目線が痛い。俺に穴が空くかもしれん。そりゃあ昨日あんな事がありゃあ気になるわな。しっかしよりにもよって平井と名乗りやがったか。いやいや、三日後に転入させるあの母親の用意周到さもなかなか……。
「……平井君、どういうこと?」
 レイの言葉に俺は思考世界から立ち戻った。レイは視覚化できそうな不機嫌オーラをまとっている。ふん、言い逃れできないのは分かってるさ。何故なら俺は。視界の端にこちらへ走ってくるミリアが見えたからな。
「旦那さま〜」
 走ってきたミリアが抱きついてきた。……泣いていいよな、こんな時ぐらい。この時、妙にクラスメイトの目がきつかったのは覚えてる。ふう、俺、この勢いだと今年死ぬかもな。



「ミリアちゃん、旦那さまってどういうこと?」
「旦那さまは旦那さまですよ〜」
「つまり、……嫁?」
「はいっ」
「へえ。すごいね〜」
「えへへ〜。そうですか〜?」
「っでも、それって法律的に……」
 俺が落胆、いや驚愕、どちらでもいいか。少なくとも最悪の気分でいる時。ミリアは、まあ当然だろう、質問攻めに会っていた。転入生の女子がいきなり旦那さまと叫びながらクラスの男子に抱きついたらどうなるか、想像してみてくれれば分かるだろう。その女子が可愛かった場合の抱きつかれた男子への対応もな。だが、まあそれより問題と言うか、さらに問題を悪化させていると言うか、俺はもっと面倒な事態に陥っていた。
「…………」
 レナが睨んでいる。俺を。何故だ、何が起きた。何故レナは人をも殺せるその迫力こもった目で俺を見る。しかも無言。読心術の心得は俺には無いぞ、意思表示をしろ……、って言えるわけねえよ。すごく怖え。……はぁ、俺は何もしてねえぞ……。



 その後、昼食。さて、良い事と悪い事が一度に起こったらどうする。悪い事からの方がいいだろ。って事でまずは今の最悪の状態から何とかしたいと思う。
「う〜。どうしたのですか〜?」
「……なんでもない」
 今、俺はほぼミリアと二人っきりだ。何故なら面白がって他の奴ら、主に室田の差し金で。でもって唯一俺とミリアの近くに居るのは……。
「…………」 
 いまだに沈黙を保っているレイだ。こいつは相変わらずの不機嫌オーラをまとっている。能天気なんだか知らんがミリアは気づいてないようだがな。しかし、今思えば天宮レイとは何者なのだろう。俺に分かるのは学級委員で、みんなに愛想がよく世話好きな奴って事だけだぞ。いや、俺に何かと気をかけてくれる気もするが、いやいや、クラスでも地味な位置を保っていた俺にそんな事もあるわけが無いだろう。なら何故怒っているのだろう。て言うか怒っているのか、わけ分からん。……さてと、状況整理終了、そして放棄だな。世の中逃げるが勝ちと言うわけだ、俺に出来ない事はどうしようの無えこと。ってことで、唯一の救いに逃げるかな。
「……さてと………」
 このきつい空気の中俺はなんとか動いて弁当を手に取った。三日ぶりのケチャップ無しのな。昨日の内に親に言っておいて良かった。この程度の幸せも今の俺には十分すぎるのだ。そう安心しきっていた俺に、さらなる仕打ちが重なった。
「……ふぁ、こ、これって……?」
 うん、ミリアも驚くほどだからな。いや、あの母親はいったい何を考えているのか。
「……これ、食べれるのか?」
「え〜、食べれますよ〜。わたしの大好物です」
 ふむ、さらに驚いた表情を作るミリア。これも計画通りらしいな。って、他人事じゃねえぞ、大丈夫か俺。
「それ、もらっていいですか〜?」
 ……それは確かにケチャップ無しだった。だがこれは無いだろう、親としていいのかね。とりあえず俺はうなずいてそれをミリアに食べさせる。するとミリアはそれを本当に美味しそうに食べる。すまん、がまん出来ないぜ。見てもいられない。
「おいしいですね〜、このわさび寿司」
「そ、そう」
 う〜ん、ミリアが普通に食べているので誤解しかねないがこのわさび寿司は通常の八割り増しほどわさび量が多くなっていて、さらにすでにかけられたしょうゆはなんか緑色っぽく見えるほどわさびが溶けている。俺が思うにそれはわさび寿司ではなくわさびそのものだ。んっ、赤く見えるのは唐辛子なのかね、……なんなんだこれは。ここまできたら、あの母親は調味料と食物の違いも……、いや、薬味なのか、いかん俺も混乱してきた。
「……それ、もらえる?」
「えっ? あ、はい。いいですよ〜」 
「……ありがとう」
 こうして俺はミリアの弁当、ケチャップライスを食べる事にした。……わさび、嫌いなんだよな俺。
「…………」
 そしてレイはさらに不快指数を上げているようだ。何の拷問だよこれ……。明日からこれ、続くのか、いや、続かないでくれ。でないと俺の正気が続かなくなるぞ。


 
「……ただいま」
「ただいまです〜」
 その日も学校での活動はなんとか終わり、やっとの事で俺は家に帰ることができた。俺は疲れるだけ、レイは不機嫌なままで、ミリアは妙に元気なままだがね。
「おかえりなさい、今日、学校どうだった?」
 ……あなたのおかげで最悪でしたよお母さん。とまあ、内心幾つもの悪態をつきながらも冷静でいられるのはまさしく俺の良すぎる性格のおかげだろう。この母親の他人事のような笑いを前面に出した顔を見て感情を抑えられる人間など稀に違いない。
「楽しかったですよ〜、お友達もたくさんできましたし、レイジさまも……、いえ、なんでもないです〜」
 う〜む、この調味料が好物らしい吸血鬼が幸せそうに語る中で俺はとりあえず、本当にとりあえずだな。無駄な事だろうが、母に食事について意見してみた。死活問題だしな。
「……あのさ」
 ミリアの話を聞いていた母はやっぱり、と言った感じで俺を見据えた。……すいません、あなた本当に俺の親ですよね。何ですかそのオモチャを見る子供のような目は。
「……なあに?」
「飯、いや。……ご飯の話なん、ですけど」
 っく、すごい威圧感だな。母の目が妙に怖い。だが俺は負けんぞ、……どんな口調になっても。
「もう、ちょ、調味料だけって言うのは、やめてくだっ。……やめてください………」
 い、言えた。自分でもちょっと驚きだな。この状況に気づかないで隣で喋り続けるミリアも驚きだが。さて、母親は多少思案するような表情を見せたが、やはり内心では笑っているようだ。母の肩は震えている。
「……うん、分かったわ。じゃあ昔と同じでいいのね?」
 母親はこうなる事を決めていたようだ。いつもと同じ計画通りを意味するであろう笑みを浮かべている。と言う事で俺は頷いて自室に逃げ込むことにした。背後に笑い声が軽く聞こえたのは気のせいであって欲しい。

    

「……ふぅ〜。何で自分の親相手でこんなに緊張するんだ?」
 早々と自室に戻り、久々のまともな晩飯を楽しみにするばかりとなった俺は、机の上を整理して、適当な漫画を手にしてやっと一息つくことが出来た。今日は厄日だな、うん。俺は漫画をパラパラとめくってみたが、どうにも読む気になれない。変に疲れる一日だったからな。
「…………」
「お疲れ様です、レイジさま〜」
「……なっ」
 俺が漫画を放り投げ、今日の晩飯が何かと考えながら宙に目を泳がせていたらベッドの上からミリアが声をかけてきた。さて、俺の部屋は一応鍵付きだ。いろいろ、用心する事があるんでね。そして、俺は今入ったばかりだし、俺が来る前も来たあとも鍵はかかっていたはずだ。では、なんでここにミリアがいるのだろうね。
「……どこから入った? いや、いつから居たんだ?」
「え〜っと、入ったのはさっきですよ〜。ついさっき、漫画を読んでたあたりからですね〜」
 ニコニコと言うミリアには冗談めいたものは感じられない。全部本気なのだろう。鍵はかけてある、そして入ったのはついさっき、俺に気づかれずに入るのは人間には不可能で、そしてミリアは人間ではないのだから、思い当たる事が無いでもない。
「……どうやって入ったんだ?」
 ……もうそろそろ俺の辞書から現実的という言葉は消えるだろうね。驚ける気がなくなっている。
「それは、あ〜……。言えないです」
 気まずそうにミリアが言った、言えないと。ふむ、つまり何かしらの謎パワーがあると言う事か、それはどんな能力か……。てかこういう考え方ができるなんて、俺も慣れてきているのか、非現実に。
「え〜、じゃあ吸血鬼特有の能力って事でいいのか?」
 こういうことでとりあえず納得できると思ったのだが、ミリアはさらに困った顔をした。おいおい、まだ何かあるのかよ。
「えと、あの、う〜。が、頑張って説明しますか?」
 ははは、ミリアは多少混乱してきているみたいだ。俺のほうが困った状況でいいはずだが。
「あのですね、これはわたし達夜の住人の力です。わたしは半人前だから今のみたいな中途半端なものしか出来ないんですけどね……」
 これは……。話が繋がっていないし突拍子もないな。それに中途半端と言われてもそれを見ていないから分からないし。そんな苦悩する俺の表情を見て取ったのかミリアは話を続けようとした。
「え〜っと、夜の住人って言うのは……」
 ミリアの口はパクパクと動いているものの音は出ていない。するとやはり、といった様子でミリアはしょぼくれた表情を作った。哀しいのは俺の方だ。だが、まあ……。
「……すいません、言えないみたいです」
 ミリアは哀しそうに言う。う〜ん、話がこんがらがってきたみたいだな。頭がこんがらがる事が無いのが惜しい。分かってるさ、冷静な俺が異常だってのはな。
「……これは、えっと……。言えない事になっているんです。あ〜……、掟? みたいなものですかねぇ。……ふぅ〜」
 何度かパクパクと口だけを動かしたりしながらなんとかミリアは言い切れたみたいで一息ついた。俺は息つく暇も無いがね。
「……なるほど」
 こう言って会話を終了させるしかないだろう。……しかし、謎しか残らないぞ、この吸血鬼は。
「………ごめんなさい……。いつか、言える日が来ると思います。それまで、待っていてくださいね……」
 そう笑ってミリアは俺の部屋を出て行った。今度はちゃんとドアからな。でも俺は唖然とするしかなかったね。ミリアの様子が変だった気もするが、それも無理やり納得するしかないだろ。
「はぁ……、なるほどね」
 窓の外には満月が見える。空に雲は無い。吸血鬼だからって安易過ぎやしないか、そんなもんなら仕方ないけど。って事で、今日もまた俺は現実から遠ざかったわけだが、もう少しゆっくりでもいいんじゃないか。俺だからついて行けるようなもんだぞ、他の奴なら狂い始めるだろうね。な〜んて事を考えながら俺は満月を見ていた。そうしてると本当にどうでもよくなって、俺の頭の中は晩飯の事だけになっていた。



 まあ、そんなこんなで一週間位後の休日明け、月曜日だ。俺の生活が狂い始めてそれだけ経ったんだな。でもって、この一週間はレナの機嫌最悪で原因も不明で続行、ミリアの半吸血鬼の性質が少し判明、母親の昔のあれの復活などなど。日進月歩で遠ざかる俺の日常など何処へやらで数々の出来事が起こったわけだ。どういう事だと言う質問は無視して、そういう事でその出来事を話す事にする。まあそんなに他意はないぜ、この状況は俺一人で抱えるのはしんどいってだけからな、同情を求めるとかも無い、断じて。ふ〜、さて、まずはミリアの事から話そうか。



「あの〜、レイジさま〜?」
「ん?」
 ミリアが妙な顔で聞いてきた。今はミリアが少し狂ったように感じたあの日の翌日だ。そして今は登校中。なんでまた俺がミリアと一緒に登校しているかと言うと、あの母親が一緒に行けと言っただけで、当然俺に逆らう勇気も逆らう明確な動機も無いため今に至る。でもニコニコ笑うミリアと一緒に歩いている所が周囲にどう見えるかは、少し心配だな。……正直に言おう。こんな可愛い娘と一緒に歩けるのは至福のひと時ではある、と俺は感じていた。
「あの……、その……」
 だが今はミリアもいつものスマイルを忘れたかのような表情だ。昨日の続きか、口調はまだ戻っているほうだが。
「昨日のわたし、何か変な事言ってませんでしたか?」
 ……変な事、と言えばその言葉だと思うが、一応俺は昨日の記憶を振り返る。俺の記憶からあの事を思い出すのにあまり時間はかからなかったな。
「確か……、掟がどうとか言ってたな。様子も変だった気がしたがどうかしたのか?」
「あっ、やっぱりですか〜……。忘れてください、その事は」
「……話が繋がらないな」
「あの、そうです。昨日はあんなに天気が悪かったから少し変になっちゃったみたいなんですよ〜」
 悪い天気ね。確かに吸血鬼にはきついくらいの晴天だったが、それが原因か。こんどオカルト本でも読んでみることにしよう、ミリアのこと全部分かる気がするね。あと、ちなみに今日の天気ははいまにも雨が降りそうな感じの曇り、吸血鬼には良い天気だろう。
「ふぅん。っで、結局昨日のはなんなの?」
「なんでもないですよ〜。ただのバグです〜」
 ミリアは、多少強引に感じるが、そう言って話題を終了させて、学校の事を話し始めた。その時俺は上の空で昨日の事を考えていたので内容は覚えていない。ああ、裏があるね。俺も覚悟を決めといたほうがよさそうだ。次の出来事の舞台は学校ではないだろうからな。……夜の世界ね………。




 以上。ミリア関係は終了。この日にはもう特に妙な事は無い。レイの不機嫌オーラと戦うのも母の不気味スマイルに耐えるのもいつもの事で、大切なのはこれだけ。まあ、この話はこれくらいにして次、母のあれについて話そうか。この話は結構重要だ。俺の生死がかかったことだからな。



「なんだこりゃあっ?」
 そう、それは思わず声を上げざるを得なかった。
「なんですかこれ〜?」
 ミリアも驚きの声を上げる。目を丸くしてそれを覗き込み、匂いをかいでしかめ面をした。悪い事は言わん、やめとけミリア。吸血鬼と言えどもうかつに手を出すべきではないぞ。
「ぐふぅ、これは……」 
 悲痛そうな声を上げたのは親父だ。苦しそうにするのはこれにトラウマがあるわけで、苦しそうにする親父を見ていると俺の心が躍るような気になるのは俺以外の被害者がいるという安心感から来るのだろう。まあ、そんな余裕ねえけど。
「なあ、親父。これって……、もしかして」
「ああ、あれだな……」
 ミリアがきょとんとしてるが気にするものか。これがあれであると、確認してしまったんだからな。あ〜もうっ、最悪だ。助けてくれ、いや、許してくれ我が母よ。ん? ああ、この親父は使えねえよ。
「どうしたの? 召し上がりなさいな」
 はい、黒幕登場です、俺の母です。そして、さっきから言っているこれは食べ物です。いえ、食べ物でした。と言う事だ、今ではなんだか分からない形のそれは、あえて言うなら黒い色の液体に赤い何かと紫の何かと青い何かが浮いているものなのだ。これについてはこれ以上の説明は俺にはできないぜ。さて、これが何の産物かと言うとその説明ももう少し待っていただきたい。まあ、予想はつくかもしれんが。
「……これは………、もしかして……。あれ、なのか?」
 ほうら、親父が無謀にも母に聞いた。母は親父のその困惑する様子を楽しむように笑みを大きくした。ああ、やっぱいいね。俺だけが被害者じゃないのは。
「何言ってるの、我が家の伝統、闇なべ風びっくり料理じゃない。今日のは身体にはいいはずよ、入れたのは……。あれ? 何だったっけ? まあ気にしないで食べてみて」
 どこが身体にいいんだろうね。あの事件の事は忘れちまったのか、親父は覚えているらしいけどな。顔面蒼白だ。俺は……まだ大丈夫だろう。あんな事にはならないさ、きっと。
「あれ〜どうしたですかおじさま?」
 置いてきぼりをくらって混乱するミリアが顔を白くする親父に聞いた。……ん? ミリアか、忘れていた。まあ食べてもある程度なら大丈夫だろう、吸血鬼だし。
「いえいえ、なんでもないわよ。ほら、ミリアちゃん、食べないの?」
 きついな、この母親。有無を言わさぬ微笑をたたえ、全ての他のものを黙殺するこの母は。さて、ここで無駄知識、忘れていたがこの母親、三十歳、なんと十六で俺を生んでいるのだ。しかもこの人はとんでもなく若作り。見た目は二十五歳前後でとても美人なのだ。俺としても姉にいじめられている気分なのだがね、姉居ないけど。あと完全に余談だが親父も三十二歳。こちらは見た目も相応、中の上くらいの容姿だ。っと、視界の端でミリアがあれを食べようとしているので現実逃避は終わりにしよう。
「いっただっきま〜す」
 さて、無邪気に意味不明物体哀れなるもと食物を食べようとするミリアを見て、俺と親父はどうしたと思う? 正解は観察した、だ。ある経験則で一応まともな味を見せたことのあるびっくり料理を食べた人間のリアクション、これは重要な情報なのだよ。覚悟を決めるべきかどうか、とてつもなくな。さて、ミリアがそれを口に含む。スプーン一杯分、謎の具有り。それだけでも十分な致死量を持つ事もありうる量を、ミリアは食べた。
「おっ……」
「おっ……?」
 ミリアがスプーンをテーブルに落として硬直した。やはりと言う表情の俺達にある意味衝撃の言葉をミリアが放った。
「おっ、おいしいですう〜」
 頬に手を当てて、悶えるようにミリアは味わった。そして落としたスプーンを拾い、すぐさま次の一口を口に運んだ。
「はぅ〜、この味っ。これっ、これなのですぅ〜」
 本当に美味しそうに食べている。このさまにも恐怖すべきなのか。いや、ミリアも一応普通の味覚の持ち主だったはず、調味料が好きなだけで。
「これは、当たりか?」
「ミリアが食べてるんだ、大丈夫だろ」
 と言う事で、俺と親父もそれを食べる事にした。その瞬間だったさ……。
『あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
 俺達の悲鳴は見事重なった。舌が焼けるような感触がする。その味は辛いとも甘いとも苦いとも渋いとも酸っぱいとも言えないような強烈なものだった、と思う。すまないが詳しくは覚えていない。俺と親父は直後、昇天したのだからな。半日ほどあと、起きた直後の母の言葉にもう一度夢の世界への逃げを強制されたのだが。母の言葉? 分からないか?
「じゃあ、毎月一回、びっくり料理の日を作るわ」
 母の笑顔は怖い。本当に人なのだろうか、何が「じゃあ」なのだろう、ミリアなんかよりよっぽど悪魔に近いと思うのは俺だけではないはずだね。あ、一つ言わせて貰おう。俺と親父だからこそこれを食っても気絶で済んだのだと言う事を理解してくれ。まともじゃないんだ、本当に。あ、まともじゃないのはついででミリアもな。



 さて、これも以上で終了だ。月一回という回数設定は一ヶ月に一回だけと思うべきなのか、一ヶ月に一回死に掛けると思うべきかは結果次第だな。いくらなんでも死にはしまいと思ってるが、母の事なのでいろいろ怖い事が残る。だが、まあそれも後で考えよう。ふぅ、では何故俺が回想なぞをしたかと言うと、レイの件について進展があったわけで、その事態からの単なる現実逃避といってもいいだろう。事態が進行したのは今日、つまり月曜日だ。



「おはよ〜、レイジ君」
 にこやかに、笑いかけてきたのは天宮レイだった。だが何事もなかったかのようにレイは学級委員の仕事を続けている。さて、また状況整理だ、俺の頭はワンテンポ遅れているらしいな、今のとこ訳わかんねえ。
「……? 何か変ですね〜レイさん」
 ふむ、俺はミリアと一緒に登校しているものの時間は変わっていない。つまり早朝の教室に居るのは俺、ミリア、レイの三人、これは先週と変わっていない。その他探してみても何一つ変化した事は無いはずだ。では、何故レイの機嫌は直っているだ。まず俺がレイの気持ちになって、レイの心情、つまり俺が好きなら、俺はこの状況を良しとするか。答えはいいえだ。では何故……。
「なるほど……」 
 頭の中で結論が生まれた。これしかないよな。
「はい? 何がなるほどなんですか?」
 疑問に思うミリアは仕方ないだろう、だがミリアには関係ないことだ。俺にもな。
「……なんでもねえよ」
 本当、なんでもないんだ。まったく、俺は一週間越しで勘違いをしていたらしい。レイの機嫌は俺達には関係ないんだ、何かがあったとすれば土日。だが、これ以上考えるのはやめよう。他人の家庭の事情に首突っ込むほど俺はヤボではないんでね。あ〜あ、ちょっと残念だな、なんてね。



「はははははははは……、はぁ」
 何も問題ないはずだった、今日一日、レイは昔のレイだ、世話好きの学級委員だった。では、この手紙は、なんなんだ。
『放課後、誰も居なくなった後の教室に来てください。平井ミリアと一緒に   天宮レイ』
 下校しようとして、俺の下駄箱で見つけたその手紙には、何度も目を通したが、そう書いてある。何故? 何故俺? ミリアの名前で俺宛だと言うのは分かる。……やはり何かあるのだろうか、まあ、俺の日常がラブコメじみてくるのなら歓迎なんだよな。ミリアが吸血鬼じゃなきゃもっといいね。
「えっと、なんですかそれ」
 ミリアが横から覗き込んできた。ラブレターと勘違いしたのか少しふくれっ面になっている。ラブレターだったらどんなに良かったか、文面を見る限りそうではなさそうだからな。と言う事で、教室前だ。放課後の教室と言うのもなかなかに怖いものがある。夕方近くであることは間違いないし、空は雲が覆っており、薄暗い。おいおい、変に雰囲気出ているじゃないか。
「あれ? うぅ……」
「どうした? 大丈夫かミリア?」
「なんでもないですぅ。ただ何か妙な……、何かを感じるです」
 何故だろうな、ミリアの表情は強張っている。確かに妙な気配だが、天気の所為だろ。
「……入るぞ」
 ただの学校の、クラスの女子に放課後呼ばれただけだってのに妙な感じだな。何か、こう、違和感がな、頭の奥に引っかかる感じだ。ミリアも同じような表情をしている。そして、俺はドアを開けた。
「遅かったわね、お二人さん」
 俺達を迎えたのは、レイの赤い双眸だった。




「遅かったわね、お二人さん。あれ? どうしたの、さっさと入ってきなさいよ」
 レイの赤い目がこちらを見ている。雰囲気も少し違うな。……ていうか誰だ? レイ、の姿はしているが。
「あなたは……。そうですか、まさか、とは思いましたが」
 ミリアは表情を強張らせているが状況にはついていけているようだ。顔に少し余裕があるのもそのせいだろう。俺は置いてきぼりだが、もう慣れたな。じっと見てりゃあその内解決するさ。そんな軽い気持ちだったのがいけないのかね。
「黙りなさい、半吸血鬼風情がっ」
 薄暗い教室にレイの怒声が響いた。半吸血鬼? やれやれ、何がどうなっているのやら。
「どういうことだ? ミリアが吸血鬼だと? あまり妙な事は言うもんじゃねえぞ」
 勘違いはよせ、少しおかしいぞレイ。そう続けようとした俺は頬に何かが掠るのを感じて黙った。それに、ミリアもレイも、俺の存在を忘れているかのような雰囲気だった。
「……やる気ですか?」
「もちろん」
 驚愕している俺の目の前で、吸血鬼たちの戦闘は開始された。
「でもっ、何故あなたがっ?」
 ミリアが手をかざした。するとその手から黒い羽が出現、凄い速さでレイへと飛んでいく。
「あら、あなたが不思議に思わないの? 心当たりが無いとでも?」
 レイは羽を笑いながら、軽々とかわす。ミリアを嘲笑するような笑みで。俺はその笑みに小さな憎しみを感じた。別にどうと言う事ではないのだが、どうにも俺は蚊帳の外のようだからな。
「くっ……」
 ミリアは首にかかる簡素な首飾りを取り、前に突き出す。すると首飾りは長剣へと変化した。
「……それもお父様のもの?」
 レイの表情に、はっきりと分かるほどの憎しみが浮かぶ。ミリアはレイの問いに、軽く頷いただけだった。
「何故あなたばかりに……、何故あなたなの? 私は……、私はお父様のために、月下に堕ちたというのにっ」
 レイの手にも気づけば西洋の長剣が握られていた。
「何故? 何故なの? お父様っ。どうしてっ?」
 激怒、まさにそれである表情を浮かべてレイがミリアに斬りかかった。ミリアはそれを辛くも受けきる。ミリアは横薙ぎを繰り出すもレイには掠りもしない。
「あなたは、何も分かっていないっ」
 叫ぶミリアは苦しそうですらあった。いやはや、この状況では俺の脳も冷静ではいられないぜ。見ているだけで精一杯だ。
「黙りなさいっ」 
 レイがまたミリアに斬りかかる。だが今度はミリアにも余裕があったようでそう簡単にはいかなかった様で鍔迫り合いになった。
「あなたは所詮っ……」
 レイが叫んでいる。悲痛そうなんだかなんなんだか、完全に感情に流されているように見えるな。
「あなたは所詮っ、捨てきれていない半人前じゃないっ」
「…………」
「かっ……」
 刹那だった。レイが言い切った瞬間。ミリアが無言でレイを切り捨てた。鮮血が飛び散り、俺の目の前を染めた。くそっ、まだ身体が動かねえ。
「おいっ」
 ミリア、レイが同時に俺を見た。完全に忘れられていたようだ。身動きの取れなかったから仕方ないか。って、そんな場合じゃねえだろ、俺。
「何が起こってるんだ? いったい何なんだ?」
 くそ、まだ頭が混乱してやがる。言いてえのはそんな事じゃないだろ、赤い水溜りができてるのに。だが、そんな俺の様子を見た二人は、呆れたように言った。
「少し黙ってて」
 そう言ったのがミリアだったら感情を押し切って怒鳴ってただろう。だが言ったのはレイだった、だから俺は何も言えなかった。
「あ〜あ、やっぱこんなものかぁ」
 レイはスッと立ち上がって、ケロッとした表情でそういった。気づくと、もう斬られた腹部は完治している。
「ふぅ、身体中ギチギチだわ。脱ぐしかないわね」
 ……いろいろ分かんない事ばかりだな。黙ってみてるミリアとかな。その時、レイが倒れたりしたが、それと同時に聞こえた新たな闖入者の声に俺は驚いた。
「まあ、今日が曇りでよかったわ。この娘では入れ物として役不足だったのは想定外だったけれど」
 いきなりどこからか、本当に気配無く、一人の少女が現れた。金髪のツインテール、紅い目、生意気そうな面、よく分からんが気に入らない奴だった。あとついでに、まあミリアも無いが、こいつも面白いくらい平坦な胸をしている。それを誤魔化すためであろう、全体的に黒色だが赤いフリルの多い派手な服を着ているのは、胸付近のフリルが微妙に多いのが笑えるね。そして、またかよ……、白すぎる肌をしていやがる。
「……お前も、吸血鬼か」
 言いつつ、俺はレイに駆け寄った。呼吸もしているし、目立った外傷は残っていない。とりあえず安心してよさそうだな。
「ええ、その通り。この半端者と違って、私は完璧な吸血鬼」
 ニヤリと笑ってそいつは言った。ミリアは顔を逸らして黙っている。こいつは確かお父様がどうとか……、ややしいな、たくっ。
「ふぅん、あなたが例の? ……笑わせるわ。この程度の物なら、半端者にはお似合いね。でしょう、ミリア?」
 俺の顔を覗き込んでそういったこいつは、またも嫌味な笑みを浮かべた。……はぁ、嫌な奴ではあるらしいが、それ以前、こいつの設定が全然読めないぞ。またあんたの差し金か、我が母よ。
「まあいいわ、私の名はスクラ・デルテノル・グロウトラス・ドラキュラ。全てを継承するべく生まれた、本物の吸血鬼」
 またやたらと長い名前だが、なるほど、ドラキュラね。状況を考える限りレイはスクラに操られていたと考えていいだろう。何時からかは知らんがな。と言う事は、こいつの方が吸血鬼としてミリアより上、なのか? この前の魔法だかなんだかの力的にはそうっぽいがね。
「吸血鬼ねえ、また現れやがったか。一体俺をどうしたいのかね、世界は」
 やれやれだよな、本当に。
「あら、物分りがよいのねえ。少し気に入ったわ」
 今度はスクラが少し上機嫌に見える。一番訳の分からん性格だなこいつ。
「あ〜あ、今日は顔見せだけのつもりだったのに、この娘の感情も流れてきたのかしら? まあいいわ。あなたとはまた会うことになるでしょうね、嫌でも。あと……」
 笑いながらスクラは言っていたが、最後の一言はあきらかな憎しみが浮かんでいた。
「ミリア、あなたは許さない。いつか塵にしてあげるわ」
 そう言ってスクラは窓から飛び出した。今度は背中から羽まで生えてやがる。何でもありなのか、吸血鬼って。
「……ふぅ」
 スクラが消えた途端。すっと表情が和らいだかと思うとバタッとミリアが倒れた。駆け寄ってミリアの身体をよく見ると、なるほど、俺の目がいかに節穴だったかを思い知らされるな。もう治りかけているが先ほどの戦闘の傷跡が所々にみえる。血は……流れる暇も無かったのか、血痕は全くないな。
「さてっと、どうしたものか……」
 俺は頭を掻いた。うむむむ、戦闘後の荒れた教室には倒れた女子二人。どうすりゃあいい? 半端だが吸血鬼もいるし救急車及びその他公共の何かは使えないと考えていいだろう。教師は……、どうやって説明する? ふぅ、校内に人がほとんど残っていないのは幸運かもしれないな。とりあえず、助けが必要だろうと思い俺は携帯を取り出した。使える駒は少ないが、この際仕方ないさ。
「よう、俺だ。今すぐ教室に来てくれないか? ああ、俺らの教室だ。誰にも言わず、出来る限り急いでくれ。説明はあとでするから」
 早口にそう言って俺は携帯をしまう。さて、現状がばれないように祈りがなら奴への言い訳を考えるとするか。ふう。やれやれ、面倒だな。俺はニヤケながらそんな事を思っていた。どうやら満更でもないと思い始めているらしい。って、人事じゃねえっ。俺くらいは正気でいてくれ、頼むからっ。




「お待たせ〜。ありゃ〜、これは確かに人には言えないね。どうしたのこれ?」
 数分後到着したそいつは、実に率直な感想を漏らした。俺が心配していたように騒がしい連れはいないようだな。助かった。
「いきなり呼んで悪い。それでだ高良、どうしたらいいと思う?」
 普通ならしつこくこの状況を聞いてくるだろう。だが高良はヘラヘラと、楽しんでいるかのように答えた。
「……あまり人に言える状況じゃないし、出来る事は限られているよね」
 高良はレイを抱え上げた、俗に言うお姫さま抱っこのような形で。今は仕方ないが、あとでぶん殴っていいか? いや、殴らせてもらおう。
「レイジ、君はミリアさんを運んできてくれないかな?」
 おいおい、どこに連れて行く気だ? そんなとこを見られたらいろいろ犯罪的に見えるぞ。
「大丈夫、心当たりがあるんだ」
 ふぅ、やれやれだ。だが、ここは久々に人に頼るのも有りかもしれんな。でっ、渋々、かは俺にも分からんが抱き上げたミリアの顔を見たら、心安らぐ心境になったのは何故だろうね。うん、こいつは寝てるだけだったからか?



「……おいおいおい、何を考えている」
「ん?何って、特に何も」
 終わった。ヘラヘラしやがって、高良を頼ったのが間違いか? どうするどうするどうする? 何故何? いや、何かあるのか? 一度も利用した事無いからな、この――
「――保健室ねえ」
 学校において、頼れる施設としてしか、しかもドラマとかでしか見たことないからかね。本当に何かあるのか保健室って。いや、何かあっても困るわけだが、吸血鬼がまた増えたら最悪だ。
「大丈夫だよ。入って」
 高良がレイを抱いて入っていった。もうどうしようもないのかもな。
「何が大丈夫なのか分からんね。何かしらあったら責任くらいは取ってもらうぞ」
「あはははは、ご自由に」
 と、まあ俺はヘラヘラした高良について保健室に入った。消毒液のにおいがする部屋を見回すと、やっぱこんなもんかと言う感想がピッタリの普通普遍の保健室だったが、俺としては安心半分心配半分ってんで気が安らぐ事は無いがな。
「あれ? いないのかな、先生〜?」
 レイを椅子に寝かせると、高良はキョロキョロしてそう言い出しやがった。ばれないに越した事は無いのだが、よく考えりゃあもうこいつも同罪だよな。無実の罪きせられても。むしろきせると腹を決めて高良を放っておいたのは俺のミスなのかカーテン越しにベッドの方からのんきな返事が聞こえた。
「眠い、だるい、用件後で」
 ……いやいやいや。声だけで言われると説得力あるような無いような……、とりあえず変人だな。むしろ俺が異常なのか? 高良も困った顔を……するわけも無く、ヘラヘラと
「じゃあ、ベッド借りますよ」
 とだけ言ったなのがむかつく。早く帰りたいな、もう完全にが暮れているし。


  
「……ってなんなのこれっ?」
 俺達が保健室に来てニ十分ほど経って先ほどからベッドにて惰眠を貪っていた保健医であろう先生が起床と同時に怒声を上げた。多分若作りなだけであって、それなりに保険医としての経験がある、いやあってほしい。ただ、とても若く見える女性である事は確かだ。俺の周りにも、例えばお隣さんとかちゃんと老けてる人もいる中、若く見える人口の方が多く感じなくも無いのは俺の環境が特殊だからであろう。そして、彼女が怒鳴り声を上げた原因は
「…………」
 正座をして申し訳なさそうで真っ赤な顔をしているレイと
「…………」
 布団で縛られながらも能天気な顔で寝ているミリアである。
「これは……、いろいろありまして……」
 この状況に流石の高良も困っている。俺もこうなるとは思わなかったさ。ざっと見回す限り、その保健室はもはや怪我がどうの等と言えるような代物ではなく消毒液や包帯等などが……、簡単に言って散乱している。こうも簡単にまとめてしまうと多少伝わりにくいと思うが、ああなんだ、空き巣に入られた家を想像してくれ、物色後のあの感じだ。
「……ふん。想定外、なんて慣れちまったな」
 俺はあれだこれだと言い訳をする高良を横目に俺は諦めていた。何故こんな状況になったかというと、ミリアとレイの寝相の悪さといっても良いだろう。少なくともレイは先ほどの後遺症と考えてもいいだろうがミリアの寝相はどれだけ悪くとも違和感を感じる事は出来なかった。ミリアの部屋を調べれば核でも防げるレベルの防御壁なんてものがあってもおかしくない訳で、むしろ何かしら無ければ逆に妙だと感じるほどであるのだからな。
「―――と言う事です」
 ここで高良の言い訳も終了したようだ。さて、もう帰り支度をしてもよさそうだ、何故なら俺は高良の言い訳能力に関しては絶大な信頼を置いているからだ。この辺りは我らの黒い歴史を振り返らなければならないのでもう流させてもらおう。まあ、と言う事で先生の納得顔を見た俺は保健室を出ようとドアに手をかけた。
「待ちなさい、どこに行くつもり?」
「は?」 
 だが俺はいきなり保健医に呼び止められた。しかも振り返った俺はある種のトラウマによってその場を動けなくなってしまった。そこにあったのは最近かなりの頻度で見るオモチャを見る半笑いの顔だった。
「な、なんですか? せっ、先生?」
 緊張する脳内でリピートするのは、お経みたいな言葉。
「少し、話を聞かせてくれる? 教室であった事を。関係ないみたいだから高良くんは帰っていいわ」
「はは、ではお先に」
 喋ったな高良あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。俺の断末魔はすっかり暗くなった空、ではなく俺の心でのみ響いた。俺のチキン野郎。



「もう行ったかしら?」 
 保健医は高良が帰ったのを確認すると、寝ているミリアの方へ歩み寄り、頬をつねりだした。
「さっさと起きなさい。太陽はとっくに沈んでるわ、いつまでも寝てると牙が泣くわよ」
 片手から両手になり、ミリアの顔を爆笑必須の変顔に変化させたところでミリアは目を覚ました。
「痛っ、痛い〜。って、あ、おはようございます。あれ? なんでそんなに笑ってるんですかレイジさま? レイさんまで……、ってあなたは誰ですか? なんでわたしをつねってるんですか?」
 いやはや、どうでもいいが笑ったのは久しぶりかもしれないな。しばらく続いたミリアと保険医の不毛すぎるやり取りがひと段落ついたところで、俺のきても欲しくない出番のようだ。他の奴はそうそう話を進行させてくれないからな、嫌な役回りだよまったく。
「さて、ミリアで遊ぶのはもういいか? 呼び止めたのはあんただが、質問は俺からさせてもらうぞ。と言うか、俺の質問にあんたが答えるまで俺は質問に答えるつもりはねえ」
「どうぞ、質問は?」
 保健医はミリアの顔を笑いながらいじるのをやめずに言った。それを拒まないミリアもミリアだが、それは別の話だ。
「あんたさっき牙と言ったな? あれはどういう意味だ、あんたは何者で、何を知ってる?」
 保険医は、ミリアをいじるのをやめ、立ち上がり、俺を見据えた。視界の端で、レイは呆気に取られている。雰囲気が変わった、と俺でも分かる感じに、何かが変わっていた。
「へえ、あれだけで分かるんだ? そうね、私はあなた達のような人間じゃない」 
 保健医はその言葉の効果を試すように言葉を切ったが、レイが少しだけ驚いただけだったのを見ると少ししょぼくれた。
「あんまり驚かないんだね。もう慣れたのかな? 確かに最近大変そうだったから」
「ああ、おかげで感情が欠落したような気分だ。予感はしてたよ、吸血鬼がいくら出てきてもおかしくないとね」
「吸血鬼? 私は吸血鬼じゃない」
 ならばと俺は記憶の奥から記憶を引っ張り出す、なんとなく聞いたことがあって良かったな。
「なら夜の住民か? いつかミリアが言っていたが、実物が出てきてはっきりしたな」
 いまさらだが、ここまで現実離れしてくると俺まで現実離れするらしいな。口が軽く感じる、俺が俺でないようだな、日常と比べると。
「いい加減にしろ、俺はミリアで精一杯だ。もうこれ以上俺を現実から引き離させないでくれ」
「うん? 無理、不可能、あなたに選択権もなければ、あなたの意思が尊重されることもない。人間程度で、わがままが言えるわけないじゃない」
 俺の意見は即却下された。人間程度ねえ、泣きたくなってきた……。
「でも……、見たところあなたとは関係ないところで事は進行してるみたいね。関係しているのはミリアと―――」
 保険医はレイを指差して。
「―――その娘に憑いたあの吸血娘辺りね」
 しまった。忘れていた、俺がここに来た理由を。
「そうだ。あいつは何者だ? 何故俺の前に現れた?」
「あなたの前に現れた、と言うのはお門違いよ。彼女はミリアに会いにきただけ」
「訳が分からんぞ? 会いにきて、何故あそこまで取り乱す? 物扱いなのはムカツクが、そんな奴がくるか普通?」
「……驚いた」
「何がだ?」 
「あなた、本当に人間? こんなに物分りがいい人間は初めて見た。そうよ、まあ、あなたが目的でもある」
「……言ってる事が矛盾してるぞ」
「ああ、そうね。つまりは、ミリアが貰った彼女達のお父様からのプレゼントの、あなたを見に来たのよ」
 むう、頭では分かっているつもりだが言葉にされるとやはり釈然としない。
「……それで、あんたはい―――」
「あ、あの。わ、私はどうすれば……?」
 俺の言葉を遮ったのは、忘れていた、レイだ。何も知らないようで、完全に混乱しているようだ。俺達の会話と、牙をいじるミリアとを見て目を白黒させていた。
「…………」
「ふぇ、ひえぇぇ」
 保健医は無言でレイに歩み寄った。無表情で見下ろされるレイはさぞかし怖いのだろう。何をされるかは分かったもんじゃないからな。
「黙ってなさい、うっとおしいっ」
「ひゃっく」
 見事な手刀が一発、レイの首に決まり、倒れた。一瞬の出来事で、悲鳴が響く事はない。月に照らされた散らかりっぱなしの保健室に転がるレイの身体は死体の雰囲気を漂わせる……、こいつ、学校教員か? 保健医なのか? ともかく、奴はレイに手刀を当てたまま、仁王立ちしていた。俺が恐怖に驚き、ミリアは無反応だったのは多分言うまでも無い。

 

 
 さて、状況を整理しようか。レイは倒れた。ミリアは使い物にならない。謎の保健医は仁王立ち。以上、泣きたくなるような状況だな。
「それで、結局あんたは何者なんだ?」
「……人外」
「おいおい……、はっきりと言うな……」
 頭おかしいんじゃないか? とは言わないでおいた。
「う〜ん、事実は事実だし」
「じゃあ質問を変えてやる。お前は何故ここにいる?」
「監視と手助け、あなた達のね」
「なるほど……、聞く人間と質問を間違えたようだな」
 俺はミリアに向き直った。きょとんとしてやがる。俺はミリアがバカである事を再確認した。
「ミリア、スクラとは何者で、お前のなんなんだ?」
 予想通り、ミリアは四苦八苦しながらも答えた。
「えっと……、スクラさんは吸血鬼です。それも完全な。そして私の……兄妹の一人です」
「……姉妹?」
「はい。えっと……、わたし達兄妹はお父様の二世代目にあたるのです……。お父様は真の吸血鬼で……わたし達はその血脈を受け継ぐもの……なのです。そして、今、私は何故か平井家に貰われて……、でもおかしいんですよね。人間界とこんなに干渉するなんて。…………。すいません、わたしに言えるのはここまでです」
「……と言う事はだ、お前は必要以上の俺、つまり人間とミリア、そうだな、吸血鬼より夜のほうがいいか? その二つの干渉、情報の伝達を防ぐためにいる訳だ」
「ご名答」
 ……ここまで来たら俺の存在理由が分からなくなってきた。普通ってなんだっけかな?
「……待てよ? 情報がどうのって言うのは大丈夫なんじゃないか? ミリアや、おそらくあんたも必要以上の事は言えないんだろ? 問題ないじゃないか」
 俺が思った事は核心であるはずだった。まあ、ただの疑問だがな。
「そう言うわけにはいかないんだよね」
 それでも、予想通り予想外の返答が返ってきた。日本語的にはおかしいが問題はそこではないから無視しておく。
「あなたに対する制御が弱まってるのよ。つまり、うっかり口を滑らせる事もありうるのね。それが掟に反するとかで至急私が監視に置かれたわけ。正直とってもめんどくさいんだからね、この仕事。それにあまり喋ったらクビにされるし」
 それで、と続く質問を口にしかけて、俺はある事を思い出した。まったく、バカな野郎だよ俺は。と言う事で俺は一息置いてから、気づいた事を伝える。
「ふう、まあいい。お前らの事情は知らん。俺は俺な訳だ。そっちで騒いでくれるのはかまわんが、俺を巻き込むな」
 これだけ言って、俺は言い切ったとばかりに保健室を後にした。
「いくぞ、ミリア」
「は、はいっ」
 こうして、既に夜と言ってもいい時間に帰った俺とミリアは、例の母に怒られるどころかニヤニヤ顔で迎えられたわけだが、それすらもそれが俺の普通であり日常であるから何故か心地よい気がして、でも母の視線はやはり怖くて、ついには親父が俺の肩を無言で叩き頷くものだから居心地が悪くなって、でもそれが俺の家族と思うとやっぱ……。ああ、もうっ。わけわかんなくなってきた。とりあえず、俺の居場所はここだと感じる事が出来た。新たな家族と、ぽっかり空いた部屋も、俺の世界になっていたって事で。はいっ、今日の俺、お疲れ様でした。本当に。
2007/09/14(Fri)18:47:34 公開 / kurai
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■作者からのメッセージ
やっと更新できました。
さて、いかがなものでしょうか? 細かいところがネタ詰まり気味だったので、心配ですが……。
感想、お待ちしてます。
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