- 『BROKEN=***/F』 作者:すて / リアル・現代 アクション
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全角10984.5文字
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原稿用紙約39.45枚
記継者。
何の干渉もしない。ただ“アトネ”を持つ者たち、“コヴィクト”たちの動向を記録し、次世代に引き継ぐのが役目。
記継者の家系に生まれた子供は、死ぬまでその使命を全うする。
親からもそれを何度も教えられ、それが当然なのだと生きていく。
一定以上の干渉をしないようにと、ただ見ているだけの人生。感情に動かされてはならない人生。
それはどんなにモノクロで、覇気のない世界なのだろう。
「ねえ、どう思う? “あの子を壊した”、兄様」
ハハサマも、チチサマも。いつの間にかいなくなっていた。
何をそんなに怯えるのかが判らない。宿命に怯えたから逃げたのだろう?
あんなに良い両親だったのに。私のことをいつも第一に考えてくれていた、のに。
……ああ、いけないな。また……病気だ。
感情を表してはいけない。感情はなくていいものなんだ。
(…どうして、逃げるんだ)
私は、貴方たちの子供は、使命を全うしているだろう?
怯えた素振りなど、嫌がる素振りなど、見せたことがあったか?……いや。ない、はずだ。
なんて脆弱で、貧弱な両親なんだろうか。
私はそんな貴方たちに模範を示す。示してやる。
(……ふん。立派な我が子を見て感激と後悔に打ち震えるがいい)
記継者の血筋帝門家の長子とは、どのように生きるべきなのか。
帝門妃織が、貴方たちの子供が、模範を示してやろうではないか。
……これが、私の生き様だ。
*** 第1章 ― 序章の2行目を書き出す日 ― ***
その日は雨が降っていた。
「おはよーひおりん!」
「今日もご苦労」
妃織が学校の門をくぐって2歩で挨拶してきたこの賑やかな女、彼女の名前は右安寺皇。
妃織の従妹に当たる人物である。
紺のブレザーは着用せず―今は7月なので着ないのがと当然だが―、ワイシャツだけを着ている。
スカートは夏服。水色のチェックだ。だが丈は、……若干短い。
(……チャラチャラした服装だ)
彼女はセミロングの髪を揺らしながら、ハシバミ色の瞳を妃織に向けた。
顔立ちが人形のように整っている。それはフランス人形のような愛らしさではなく、CUTEよりCOOLのほうだ。
だがその整った顔立ちで、物凄く賑やかに、煩いくらいに妃織に話しかけてくる。妃織を歩かせようとはしない。
「今日もブレザー着てさ……暑苦しいんだけど! もう7月だよ!? 判ってる!?」
「そうか。悪いな。
だが私はお前の格好が涼やかだから大丈夫なんだ」
そしてゆっくり歩き出す。下駄箱はなく土足だ。
そして歩くのが若干遅い妃織にも、皇は合わせてくれる。
本家帝門の長子より分家右安寺が前を歩くことなど、許されないからだ。
だがそういうしきたりやら何やらの堅苦しいものが、妃織は嫌いだった。
いつも賑やかで子供っぽい皇が、“右安寺”も人間だと思い知らされてしまうからだ。
「ひおりん、……?」
「もういい、下がれ」
毎朝6時ごろ学校に来て、教室を掃除し、8時に登校する妃織に朝の挨拶をする。
忙しいだろう。それはもう。
だから妃織は、そんな皇に感謝している。
だがそれでも、右安寺を受け入れることは出来そうもなかった。
妃織は体の底から湧き上がる吐き気を抑え、2つに結った長い黒髪を揺らして歩く。
(右安寺、神次。……思いださないと決めたのにな)
右安寺神次。皇の5最年上の兄。
人当たりもいいし、礼儀正しい、22歳。
だが、神次は妃織のナカミを崩した。壊して、ボロボロにした。
壊した男、神次の妹。皇のことをそう思うたびに、吐き気がした。
「ね、ひおりん」
「……ぁ、そうだな」
妃織の漆黒の瞳が揺れた。
神次によって広げられた、妃織の中に存在する“穴”。
不安定な部分、それはまだ、なくなっていない。
そして穴の奥底の心の傷、それもまだ、癒えていない。
「……またか、あの男」
「え、三神くん?」
三神清明。毎日のように妃織に手紙を書き、机に入れている人物。
彼も朝相当早く来ているらしい。皇はほぼ毎日教室で会うのだそうだ。
だが妃織が彼について知っていることは、字が汚い、ということくらいだった。
「……ふむ」
「どれどれ。……っひゃあ、今日も、また、……なんか、うん、キモいね」
「私の容姿について毎日手紙を寄越すのだが、
……たまに、意味がわからん」
「……読まないほうが、いーんじゃない」
確かに妃織は美少女だった。こちらもまた、CUTEよりはCOOLのほうだが。
だから、妃織と皇が並んで歩いていると壮観なのである。
妃織は手紙を鞄にしまい、ブレザーを脱いだ。今日は暑い。湿気がある。
着てこなければ良かったな、と漏らすと、皇が「だろーがっ」といって笑った。
(手紙、か。
好意は抱いてくれているのだろうが……いつ入れているんだろうな)
昨日のうちに入れているのだろうか。でも三神清明には友達がいない。一番に帰るのを良く見ている。
だが朝には、入れられないだろう。皇の目の前で入れるのには結構勇気がいる。
……本当に、いつ入れているのだろうか。
そう考えて妃織はふと三神清明の席を見た。
だが珍しく……彼は席についていない。鞄だけがそこに置いてあった。
「ひおりん、今日の英語の小テスト。勉強した?」
急な問いかけに少し慌てたが、妃織はすぐに返事をした。
「……、当然だろう?」
「失礼」
妃織たちの通う、私立來帝大学付属來帝高等学校は、武術を主体とした進学校だ。
今の時代、表向きは単なる進学校……入ってみると戦闘術を習わせられる学校も少なくない。
だが來帝高校は、武術が主体であることをおおっぴらに宣伝していた。だから、様々な流派を体得した天才なども通っている。
「おはようございまーす」
担任が入ってきた。大抵ここの教師はここの卒業生だ。
欠席者を特に確認することもなく、担任は授業の挨拶を始めた。
妃織はつい、斜め後ろの窓際の席に目をやった。
だが三神清明の席は、空席のままだった。
「くっ、つぅっ……!」
「出ておいでよひよこちゃぁん!
あは、ひひ、出てこれないかぁ! 怖いもんねぇ!?」
高らかに女の歌うような声が響く路地裏。
ひよこちゃん―三神清明は、鳩尾から大量の血を流して隠れていた。
勿論隠れる相手は、化け物のような……あの恐ろしい女だ。
三神清明は、人外の力を持つ相手を前に何も出来なかった。いくら武術がトップクラスだとはいえ、本物の暗殺技術を身につけ全力で殺しに掛かってくる相手に勝てるわけがない。
「ふふ。ひひ。えけけけけッ!!!!
わかる、わかるよひよこちゃん!!! そっちだよね!? そっちなんだよね!?
ひよこちゃんの震えが空気を通して伝わってくるものッ!!」
そっちだよね、と言われても、あの女がどっちを向いてそういっているのかはわからない。
だが確実に、三神清明は相手を恐れていた。
そして決めた。
すべての勇気を振り絞って、壁から背を離す。そして女のいないほうへ、走り出した。
……正確には、いなかったほうへ、になってしまったが。
「えけけッ♪ 動いちゃだめだよ、だって私は」
滑らかで、人を何人も殺したなんて信じたくないきれいな手のひら。
そこから生える5本の細長い指が、三神清明の顔に触れて、目の前が暗くなる。比喩ではなく、現実に暗くなっていく。
三神清明が感じたものは、女の吐息。笑い声。女の手からの体温なんて、感じなかった。
「空気なんだから、って……
最初に言ったよねッ♪」
三神清明の意識が一瞬にして遠くなっていく。何をされたのかは全くわからない。
三神清明の体は地面に落ちた。そして泥に沈んだ。
そしてその一瞬の間、ひとつの事柄が頭の中を占めていた。
ありえない、ありえないのだけれども。
“……この女は、人間では、ないんじゃないか……?”
授業が終わり、全員が席を立った。
「せんせー、三神来ませんでしたぁー」
「はーいはいっ、と」
まるでいつものこととでも言うように、担任はあっさりと出席簿に「三神欠席」と記入した。
山に篭るため1ヵ月欠席、とかいうバカもいるくらいだからだ。
担任はさよーなら、と軽く挨拶をすると、早く帰りたいのか……さっさと出て行ってしまった。
誰もが特に違和感を抱かなかった。
だが妃織は、三神清明の欠席がそんな単純なものではない気がして……目を伏せる。
(なんだ、この、違和感は)
違和感。妃織が抱いた違和感の正体。
それは、とても簡単なことだった。
(なぜ、鞄が置いてある?)
鞄が置いてあること自体が違和感なのではない。
(なぜ、鞄が置いてあるのに、誰も欠席だという事実を疑わない?)
それだった。
それどころか、三神欠席を担任に伝えた生徒は、笑っていたようにも思える。
そしてそれを聞いたクラスメイトたちは、少しでも心配をしていたか?
(だれも、疑わない。だれも、心配なんてしない)
それは、完全なる無関心。
三神清明が欠席しようと、鞄を置いてサボろうと、どうでもいいということだった。
(友達がいないにしても……行きすぎじゃないか?)
なぜだ。なぜだ。なぜだ。
(祝祭司か? また現れたのか?
だがなぜ、学校の生徒を一気にコヴィクトにしてしまわないんだ。なぜ、三神清明、だけ。
祝祭司の目的は、コヴィクトの大量発生による秩序崩壊の筈だ……っ)
妃織は頭をフル回転して答えを導き出そうとした。
だがそれでも、不可能だった。
「ひおりん、あれ……」
皇も、違和感を抱いていたようだ。
帰る支度をした状態で妃織に話しかけてきた。
「朝、いたか?」
「ううん、いなかった、と、思う、よ。うん。鞄だけだった。珍しいな、っていうか……変だな、って思った」
彼女もそこまで三神清明を気にしたことがないのだろう。
皇の返答は曖昧で、よく覚えていないようだった。
「……不自然だ。考えすぎかもしれないが……」
「最近は、祝祭司が……頻繁に現れるから?」
「……そうだな。だが、私は、アトネが関わっていると明確に判ってからでないと動けない」
アトネ。罪を負った者たちに科せられる罰。
ナニカを失う代わりに、大いなる自然の力を得る。それは、狂人以外には嬉しいことではないだろう。
そしてそのアトネを、無理矢理作り出してしまうのが、“祝祭司”と呼ばれる者。
「まあ、いい。深癒を呼ぼう。あとは…」
「右安寺にも、広めておくね」
「一般人“三神清明”が、アトネを与えられる可能性がある、と」
「……承知致しまし、たぁッ」
そして皇は窓から飛び降りて、
消えた。
(三神清明……一体、どうして巻き込まれたんだ…?)
迷惑な話だな、と妃織はため息をついた。
彼女の仕事は記継者の役目。それはこのように干渉することではなかった。
彼女、帝門妃織には、もうひとつの称号……同時に、もうひとつの使命がある。
(……本当に、迷惑だ)
妃織は三神清明の席を見つめた。そして、その奥、雨の降る外を見つめた。
窓ガラスは開いていない。自分が映っている。
妃織の視線は自らの姿に移り、そして、三神清明の席に移った。
何も考えてはいなかった。
(……見ているか、懐かしき、私の親)
空を見上げれば何かが通じるかもしれないと、バカバカしいことを考えた。
同じ空を見ているなんていう、クサいことだって考えた。
だが、やっぱり、直接会って、ぶん殴りたい。
(立派に役目を果たして見せよう。……それでも、もう一回も会う機会を与えてはくれないのか)
誰に言っているのだろうか。
誰が機会をくれるというのだろうか。
いつから自分はこんなに……腑抜けてしまったのだろうか。
(……何なのだろう、この気持ち悪さは)
「ぁ、う……」
清明が目を覚ましたとき、そこは真っ暗な部屋だった。
真っ暗といっても、前が見えないほどではない。電気をつけていないという程度の暗さで、部屋の間取りも認識できる。
窓から光も差しているようだった。カーテンで遮られていたが。
「あの、女ぁっ……!」
「ん、何かよんだぁ?」
……いた。
目の前にいる女を目で確認し、絶望。どうやら夢ではなかったらしい。
そして徐々に暗闇に慣れてきた目で、女の容姿を確認して、驚いた。
「お、お前!? よく帝門さんと一緒にいる…っ!」
「帝門さん、ね」
女はつまらなそうに首をかしげた。
そして口元だけの笑みで、清明の言葉を遮る。
清明は女を見上げている。どうやら自分は座っているようだ、と考えて、気付いた。
「あんな子、死んじゃえばいいのにね?」
「おま、ぇ、あ、痛っ!」
判ってはいながら、体を動かさずにいられなかった。
清明の体は木製の椅子にぐるぐる巻きにして縛られていたが、どうしても女の発言が許せなかったのだ。
だが椅子は相当古いようで、清明が少し動くだけでぎちぎちという古びた音がした。
「ま、いいや」
清明は相変わらず暗い部屋で女を見上げ、強気な態度は崩さない。
そして体は痛んだが、女のほうに身を乗り出して言った。
「よくねえ! 何なんだよ、お前、何がしたいんだよ!?」
俺んちは金持ちでも何でもねえぞ、と最後に付け加えた。
普通の誘拐事件でないことは判っている。身代金なんて要らないだろうとも思っている。
だがそれでも、清明は“普通の範囲内の事件”だと思いたかった。
「ねえ、コヴィクト、って知ってる?」
「コヴィクト……? なんかの漫画か? ごっこ遊びなのか?」
清明はそういって女に蹴られた。それは本気で怒ったらしい。
椅子ごと蹴られ、床に転がる形になった。
「あたしにしてみれば、ごっこ遊びはあんたたちだよ。何、青春って?
そっちのがごっこ遊びじゃん。あたしたちは、命懸けなの。スポーツって命懸ける? 懸けないよね」
馬鹿にし腐ったような口調だった。
清明は何も言うことが出来なかったが、反抗的な瞳だけは揺らがない。
そして女は清明の縛り付けられた椅子を大きな靴で踏みしめる。
「アトネ、っていう罰があるの」
清明は初耳だった。
というか、漫画の中の世界としか思えなかった。
「私たちの一族はね、神様を殺したから…その罰を負って、生きていかなきゃいけないんだって。
もう13代も前の人たちが犯した罪なのに。
で、その罪を負った人たちの総称が、コヴィクト。まとめないでほしいけど。あたし何もしてないし」
女は泣きそうな声だった。
「あたしもさ、詳しくは知らないんだけど。アトネって、ナニカを失う代わりに、自然の力がもらえるんだって。
私は希望を失ったんだけど。
でもその力は、罪を犯した人……つまり私の家族を殺すための力として授けられるの」
女の足から力が抜けていく。それもそうだ。
自分の負う宿命の話をして楽しい人は、あまりいないだろう。
「20歳を越えたら、兄弟で殺しあわなきゃいけないんだって。意味わかんないよね。
自分より5歳も年下の子供でも、20を越えたらそれは殺す対象なの」
本当に罰だよね、と言って、女は自嘲気味に笑った。
「でもその殺し合いはね、3人生き残るの。
その3人の中の1人が、帝門家の長子」
忌々しそうに、その単語を吐き出す。
「帝門の長子は、絶対に死なない。だって元々殺し合いなんてしなくていいんだから。
なんで? ねえ、なんで? 私の兄弟はもうすぐ18になる。もう3年もないの。なのに、なのに、なのに!
なんで帝門の兄弟はのうのうと生きていいの!?」
感情が高ぶり、女の声もところどころ裏返る。
正直を言うと、清明も、可哀想だな と思った。
「帝門の、長子以外の子供はね。ある意味では死ぬの。だって別の人間になるんだから。
名前を変えて、経歴をすべて変えて、帝門家に仕える人になるの。確かに人生微妙かもしれない。
だけど、だけどだよ!? 私たちみたいな分家の子供は、20歳で死ぬかもしれないんだよ!?
私たちは必死に生きてる! なのに、どうして帝門妃織はあんなに貪欲なの!」
可哀想だった。哀れだった。
確かにこの女は、少しずれてしまったかもしれない。だけれども、必死に生きようとしているのだ。
「生きる権利を与えられているのに! どうして! どうして! どうして!
生きられるのに、どうして感情はいらないとか言い出すのっ!?」
彼女の足が清明の腹を突き刺す。痛い。物凄く痛い。
もしかしたら、死んでしまうかもしれない。けれど、別にどうでも良かった。
元々人生そんなに楽しかったわけでもない。未練だって特にないから。
「記継者って、なんなの? どうして私には、何も教えてくれないの?
私はどうせ死ぬから!? 弱いから!? 20歳になった弟にどうせ負けるからッ!?
だから私は祝祭司様についていくって決めたの!!」
祝祭司?
清明の脳がまた少し動き出した。
どうせ知るなら、とことん深いところまで知りたい。深くまで足を踏み入れたい。
想い人が、どんな環境におかれているのか、知りたかった。
「右安寺も、左慰寺も。何人兄弟だったとしても、1人しか生き残らない。
そんなのおかしいよ。そうだよね? だって人間だよ。生きる権利って、誰だってあるよね?」
誰かに肯定してほしいような口振りだった。
でもきっと、誰に言っても肯定してもらえるだろう。彼女は正しいことを言っているんだから。
「だから、あたしは、祝祭司様についていく。
あの人たち言ったよ? 僕たちの考えが正しい。僕たちが力を合わせれば、絶対みんなが生きられるって」
子供のようだった。
子供のように、泣いて親にすがる子供のように、清明を見ていた。
「だから三神清明、君なの。君は、何を失ってもよさそうだったから」
女がしゃがみこみ、清明に目線を合わせた。
本当に哀れで、可哀想だと思う。
実際自分は何を失ってもいいのだ。彼女の手助けをしてあげたい、とすら思った。
「失うものと、力の大きさは比例しない。だからギャンブルなの」
「……それは、さ。俺にその、アトネとやらをくれるってことなのか?」
「うん、そう。でも、アトネは決していいものじゃないよ。
与えられる前はそう思えないかもしれない。だけど、後悔するようになる」
女の声は先ほどまでより大分落ち着いていた。
路地裏で追いかけられていたときとは全く違う印象を受ける。あの時はただ恐ろしくて、とにかく怖かった。
「……なんのために?」
「え?」
「俺に力を与えると、何の得になるんだ?」
女は少し考えるような仕草をしてから、静かに口を開いて、言った。
「知らない」
……え?
清明の頭の中が真っ白になった。
あれだけ興奮して、固くしたはずの“祝祭司様についていく”という決意。
しかしついていく相手である“祝祭司様”の目的を、何も知らないとでもいうのだろうか。
「……祝祭司様は、言ったよ。ついてくればそれでいいって。そうしたら救われるって」
……この女は、確実に間違ってしまった。
信じることは切実で、確かに正しい。けれどついていく相手を間違えた。
そして、完全に方向を間違えてしまったのだ。
清明は確信した。
……この女は、騙されている。
「やめろ。……やめてくれ。俺は、アトネはいらない」
「なんで? みんな死ねばいいって? ……ふざけないでよ。あたし真剣なんだよ。
あたしは命が懸かってる。君はそれを、どう思うのッ!」
彼女の感情が爆発した。
清明の腹はさっきのように鋭く抉るように蹴られる。というか実際抉られているのかもしれない。
刃物でも、靴につけているのだろうか……?
「ふふ、ひひ、えけけけけッ……!
もう1人のあたし、喋りすぎたねッ!? もう君も寝る時間だよッ!」
それはさっき追い詰められたときのような、あの、恐ろしい女、そのものだった。
悪魔のように笑い、自分の体の奥底を締め付ける。
怖い。こわい。こわい……!
「二重人格、ってやつかッ……!」
「そ、正解。まあこっちがほんとだけどね。
さあねんねの時間だよ♪ 今日から序章の2行目を書き出すんだから!
三神清明、次目が覚めるのは、君が同類になったときだ♪」
そしてまた、“何かを”された。
何をされているのか、全く判らない。
ただまた、清明の意識は暗闇に落ちていった。
「お帰りなさいませ!」
「……なんだ、騒がしいな」
平安貴族の住むような立派過ぎる屋敷は、確かに今騒がしかった。
その騒がしさの音源は人の声ではなく、足音。次から次へと、人が流れるように歩いていく。
「お忘れですかっ?」
「明日、弟様が帰ってこられるのですよっ!」
息を荒げながら、妃織に言葉を返して説明してくれた。
本当にご苦労様だ。
妃織には2歳年下の弟がいた。だが彼が軍人の養成施設に入れられたのはもう遠い昔だ。顔すら覚えていない。
それ故に、弟が帰ってくるなんてイベントは実にどうでも良かった。他人のようなものだからだ。
だから妃織はそれを気にすることなく、女王のように木造の廊下を歩いて書斎にたどり着いた。
(三神清明)
パソコンを立ち上げる。
そして衛星での画像・動画を表示。地道な作業だったが、三神清明が最後に映った場所を探した。
「……路地裏か。
……おい、安齋! 聞こえているか?」
すぐそこにあった電話の子機を使って、使用人の中で一番高い地位にいる“安齋”に電話をした。
2コールほどしてやっと出た安齋に心の中で文句を言いながら、今は忙しいから仕方ないと自分に言い聞かせる。
『は、はい。何の御用でしょう』
「今から送る画像の場所を調べろ。來帝のすぐ近くの路地裏だ」
『え、ええ!? 妃織様もご存知のように、あし』
ブツン。
言うべきことだけ理不尽に伝え、妃織は電話を切った。年寄りは話が長い。
そしてパソコンの画面に映るボタンをワンクリック。
それだけの動作で、安齋にとてつもなく難題の仕事が増えた。
(さて、次は。……ないか)
特に出来ることはなかった。
そして妃織が呆っとしていると、物凄い数の足音が聞こえた。使用人全員かもしれない。
それと同時に無駄に大きな入り口の扉が開き、閉まる音もした。
どうやら全員が出かけたらしい。全く音が聞こえなくなった。
(まあ、どうでもいいが)
そして再び1人の世界に入ろうとすると、今度は誰かが来たようだ。
古びたインターホンの音が響く。
(……煩い。誰か早く……いないのか)
自分の間抜けさに少し落ち込みながら、妃織は立ち上がって書斎を出た。
迷いそうなほど広い屋敷の廊下を歩いて、3分ほど歩いてやっと玄関に着く。
「誰だ」
愛想の欠片もない、全くもって無愛想な声で相手に問う。
この相手が全く面識のない宅配便なんかだったら、確実に相手は不快になっていただろう。
だが来た相手は、幸いなことに知りあいだった。
「相変わらず偉そうだね……
……私だよ。わかるかな?……あ、わかるわけないよね、私なんかが人に認識してもらうなんておこがましいよね……」
「……深癒だろう?」
左慰寺深癒。世界の終わりとでも言うようなネガティブな女。
妃織は黙って扉を開けた。その先には、190はありそうな黒ずくめの女がいた。
妃織に“認識”してもらえたのが嬉しいのか、深癒は気味悪く笑う。変な笑い方だ。皇も言っていた。
皇が深癒の笑い方を真似して、それが癖になってしまったと言っていたな。
妃織はその平凡で平和な昔を思い出して、薄く笑った。
「……正解……個性がなさ過ぎて個性なのかな……?
認識してもらうのは嬉しいね……ああ、でも多分、明日には忘れられてるね……」
妃織が黙って歩いていくのについて、深癒はしゃべりながら縮こまって廊下を歩いていた。
話すのは結構好きだと思うんだがな、と妃織はぼんやり考える。
そして客間に着くと、ソファにどかっと座った。
いつもはちゃんと礼儀をわきまえ帝門の名に恥じないよう心がけているのだが、身内相手だとこうなる。
「ね……早速本題だけど……なんか連れて行かれたんだって……?」
「そうだ。三神清明という、私と皇のクラスメイトがな」
「どうやって、見つけるつもりなの……?」
「三神清明の靴は特殊なうえに、足が結構大きいようなんだ」
「だから見つけやすいんだ……いいなあ……私も連れて行かれたい……」
早速話題がずれ始めた。深癒とだと会話にならない。
だが2人は結構仲がよく、妃織の学校帰りに深癒が現れて買い物に付き合わされることもしばしばある。
といっても近場のショッピングモールなので、先生や生徒に見つかることもよくあるのだが。
「あのね、祝祭司から、この前……手紙届いてたんだ」
「早く言え、無能」
妃織は軽く深癒を罵った後、深癒に内容を聞いた。
深癒は罵られたことに特に苦痛は感じていないようで、にやにやと笑いながら口を開いた。
「お前たちの先祖は、序章の1行目に過ぎない、って……
つまりこれってこれからが本番ってことかな……? 私、殺されるのかなあ……?」
深癒は楽しそうだった。
妃織はその祝祭司の言葉に若干イラっときたが気にしない。眉根を寄せ、不敵に笑う。
「お前は殺されない。殺されるのは、祝祭司だからな」
「え……戦闘になるってこと……?」
「まあ、そうだろうな。
三神清明が私のクラスメイトだと知らないわけはないだろう。だったらこれは……私に喧嘩を売っているんじゃないのか?
そうなれば、アトネを持つ私に何の対抗策もないとは考え辛いぞ」
深癒は不安そうだった。それもそうだ。
なぜなら、深癒のアトネは戦うための能力ではないからだ。
「まあ、大丈夫だろ……ぅ、と」
そのとき不意に、妃織の携帯が鳴った。
着信は、安齋。実に仕事が速い。こういうのを有能というのだ。
「どうした、何かわかったか?」
『……は、い。……それが』
安齋の動揺も、躊躇も、何も気にしない。
妃織はただ、「早く言え」と先を促した。
だがその数秒後、妃織も、電話から漏れる声を聞いていた深癒も、驚きに目を見開くことになる。
「報告が」
「妃織様からか?」
「はい」
皇は右安寺の屋敷の最奥部にある、当主の間にいた。
無駄に派手な装飾が施された玉座のせいで顔が見えない母親に、膝を突いて敬意を表している。
「一般人“三神清明”が、アトネを与えられる可能性がある、と」
「……そうか。わかった。もういい」
当主、右安寺皇深は、少し考えるような表情をしてから皇にそう言った。
皇は言われたとおりに顔を上げ、立ち上がって、扉を開ける。
そして大きな扉から出ると、扉を閉めてもたれかかった。
「それは、嘘だろう」
妃織も、冷静さを失った。
三神清明が連れて行かれた場所=祝祭司の本拠地
という等式はごく当然のように出来上がっていた。
だからこそだ。
「どうして」
誰に話すわけでもなく、妃織は呆然としていた。
深癒も、何も言うことは出来なかった。
「どうして、……右安寺なんだ?」
三神清明の足跡が示した場所。
それは紛れもなく、右安寺の屋敷だった。
「右安寺なわけが、ないだろう……っ」
今日雨が降っていて、
路地裏の地面が土で。
どっちか欠けていたら、疑うことなんてなかったのに。
……というか、これはもう疑うというレベルじゃない。
ほぼ、確信だった。
皇は扉にもたれかかって、笑った。
「えけけッ」
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2007/07/11(Wed)16:15:06 公開 / すて
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■作者からのメッセージ
はじめまして、すてです! 初投稿になります。
初で長編は無謀でしょうか…? でもすごい頑張った気がしてま、す。はい。
アクション分類のくせに1話で全くアクションなくてごめんなさい。次は入ります、多分。入れます。
誤字脱字はないように読み返したつもりですが、もしあったらごめんなさい。よければ教えてもらえると助かります。
ご感想・文句・エトセトラ。あればぜひレスを下さい! すてでした。