- 『ある動物の話』 作者:泣村響市 / ファンタジー 未分類
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原稿用紙約13.15枚
キリン:きりん【麒麟】@肉食動物。数メートルにも及ぶ長い首と黄色い体に飛び散ったような茶色い斑点が特徴。好んで人を食べる事は無いが、危害を加えられると認識すると人を襲うこともある。首と同じように長く細い足をもっているが、足は速く無い。昔は動物園(同書1260ページ二十五行目参照)などで檻に入れられ、観賞用の動物としても扱われていた。現在、野生のキリンは五百頭ほどだといわれている。A伝説の生き物。文献が少ないため詳細は不明とされている。
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「きりんだ」
アオイがカナギの右手を握ったままでがりがりに肉の削げ落ちたような腕を持ち上げた。人差し指以外を握りこんで、少し向こうの地平線を指差す。
アオイの左手に引っ張られて持ち上がった右手を戻しながらカナギはかくりと首を落とした。ぱきぱき、と久しぶりの動作をした骨が気泡を吐き出す。
「……麒麟? 何処に?」
「あそこ。ほら、」
アオイはカナギの倍ほど優れた視力を持っている、というか、カナギの視力が悪すぎる。もともと良くない目つきを更に悪くしてアオイの差す地平線を眺める。ちょこん、となんだか小さな箱のようなものが見えた気がした。
「ね、ね、居た。居たよ」
「何処?」
あの箱が麒麟だとでも言うのだろうか。
しかしアオイの勢いは止まらず、カナギの腕をしっかと抱え込んだまま無言で飛び跳ねる。その衝撃に耐えられないカナギの体はふらふら揺らぐ。
一面、茶色とも緑色とも付かないスライムちっくな草原を踏みしめ、アオイはカナギを見上げる。
「ね、ね、見に行こう。見に行こうよ。きりん。きーりーん」
大きな大きな鋭い瞳がきらきらと砂漠の星空をぶちこんだように光っている。カナギは困ったように後ろを振り返った。
自分達兄弟が身をおいている組織のテント。其の中でもひときり幼い自分達(特にアオイの存在がカナギに重い)が、この地の生態調査に加われるわけが無く、確かに自分は酷く暇だった。
けれど、勝手にあんなに遠くまで、行っていいのだろうか。
「ちょ、っと待って」
今にも走り出して麒麟(らしきもの)のところまで行こうとしているアオイをつれたまま、テントの中にふらりと滑り込む。中には数名の研究員達が"博士"の周りを言ったり来たりしていた。アオイを入り口近くに立たせ、此処で待っているように言い聞かせる。
「"博士"、"博士"。アオイが麒麟を見つけました」
出来るだけ邪魔にならないようにと研究員達の間をすり抜け、"博士"の近くまで寄って行き自己主張の薄い音量で言う。もし此れで"博士"が気付かなければそのまま『駄目だってさ』とでも行ってアオイを宥めようと思っていたのだが、其れはどうやら失敗のようだった。
「何だと、麒麟?」
まだ四十歳後半でさえないはずの"博士"の妙に老練とした静かな瞳が見開かれた。
「野生のか?」
一瞬にしてその場に居た研究員達の動きが止まり、全員の視線がカナギに集まる。
「あ、いえ、何か、箱みたいなのは見えたんですけど。……アオイには麒麟が見えたって」
おどおどと視線を彷徨わせながら答えると、「何だ、『ドウブツエン』の名残じゃねーか」、と研究員の誰かが呟いた。
それに他の研究員達も呼応し、全体的になぁんだ、見たいな空気になって各々動き始める。
「あの、アオイが見に行きたいって言ってて、」
霧散していきそうな話題を取り戻すため、せめて"博士"だけにでも聞いてもらえるように必死でカナギは主張する。"博士"もその意図に気付いたのか、「ふむ」と一息吐き出して、髭の生えていない顎をさすった。
「しかし、『ドウブツエン』の名残とは言え、麒麟に子供達だけで近寄らせるわけにはいかんし……」
「そ、うですよね」
カナギは息を吐きながら夢現に答えた。
麒麟が見れないのが残念では無いとはいい難かったし、アオイを残念がらせるのも気が引けた。けれど何よりも十五歳になったのに未だに子ども扱いされる自分がなんだか嫌だった。確かに子供だけど。子供だけど子供なりに大人ぶりたい。
「分かりました。えっと、アオイに行かないように言います」
不機嫌な声音にならないように気を使って頷く。"博士"は少しだけ気まずそうな表情をしてカナギを見下ろした。
「うーん、そうだな。……おい、オオツキ!」
「なんすかぁ」
研究員の青年の名前を呼ぶ。ずれた眼鏡を外しながらオオツキは徹夜続きで覚束無い足をゆらゆらさせて"博士"の声に返事をした。
「カナギとアオイが檻に入った麒麟を見つけたらしい。付いていってやれ」
しょぼしょぼと細まった瞳を擦りながら、他の研究員達と同じようになーんだ、とカナギを見る。カナギは少しだけ身を引いてオオツキを見つめ返した。"博士"がカナギの背中を押した。
「『ドウブツエン』の名残なんじゃないすか?」
オオツキはカナギを通り越して"博士"に視線をやっていた。カナギより二十センチも高い長身を見上げて、カナギはぼそぼそと呟く。
「アオイが見に行きたいって言ってて……」
「あ、……ん、ん、んー……社会勉強?」
こくりと向こうで"博士"が頷く。
「……」暫くオオツキはカナギを見つめた「……じゃあ、行くか」
がしがしと赤毛を掻いて、ぎしりと陳腐な椅子から立ち上がる。
ゆらゆら揺れる長身を追い越し、カナギはアオイの元へするすると研究員達をすり抜けた。追いついてきたオオツキを兄弟揃って見上げ、アオイの頭をがっしと掴んで無理矢理下げる。
「ありがとう、ございます」
「あがががが、痛い。いたいー」
「……うん、どう致しまして……」
困ったように口の端を下げながら、オオツキはがしがしと頭を掻く。
「じゃあ、いこか」
数分歩いて、檻のようなものの中に幽閉されている麒麟を見上げてアオイは大きな歓声をあげようとした。が、直にオオツキにその口をふさがれる。
「むがー」
「喰われるぞー」
カナギはびくりと麒麟を見上げた。え、何に? 麒麟に? とアオイが口から手を外してオオツキに問うている。
「麒麟は肉食だから……でも、人も食べるんですか?」
カナギもオオツキに問う。オオツキは檻に入って悲壮な姿を晒しているやせ細った麒麟を見上げたまま答える。たべるよ。あっさりと告げられた。あまりにもあっさりしすぎていて、アオイもカナギも恐怖さえ感じなかった。
「人間だってヒト科ヒト属ヒトで一動物だからな。きちんと肉と血で出来ているし。食べて食べないことも無い」
実際昔は何人か麒麟に殺されてるんだよ、人。と付足した。序にまぁ人間て雑食だから美味かないだろうけど、とも付足した。
アオイは黙ってカナギの後ろに引っ付いた。カナギは後ろに引っ付いたアオイを引き剥がした。また引っ付く。剥がす。五回ほど繰り返してカナギが折れた。アオイは黙ってカナギの後ろに引っ付いた。カナギは黙ったまま引っ付かれた。
そんな二人の様子を見てオオツキは少し笑った。
「大丈夫。こいつは多分、檻を破る所か人を食う力さえ残ってない。多分、この檻の中で一生を過ごすしか出来ない。それを、こいつも分かってる」
そういわれて、カナギは麒麟を見上げた。寂しそうな瞳。少しだけカナギはこの麒麟に同情した。
目の前に居るちっぽけな餌にさえ同情される、哀れな麒麟に同情した。
「一生、出られないの?」
カナギの後ろでアオイが小さく呟いた。多分其れはオオツキに向けられた問いだったのだろうが、どうやらオオツキには聞こえなかったらしく、返答が聞こえてこないので、カナギが答えた。
「多分、一生出られない」
その檻は、酷く錆び付いて腐食していたけれど、でもそれでも頑丈で、とてもじゃないけれどその目の前の痩せ細った、見上げるほどに大きく、そして包めるほどに小さな麒麟がそこから出るのは絶対に無理だと思えた。
そういえば、小さな頃、まだ記憶に引っ掛かっている母親が、テレビに映っている麒麟を指差し、麒麟はとても怖い動物だと教えられた覚えがある。きりんはねぇ、とっても強いの。だからね、人だってたべちゃうのよ。
冗談だと思っていた。
本当のことだったんだ。
だってテレビに映っていた麒麟は、あんなに。
「昔は」
オオツキが唐突に足を踏み出した。檻に近づく。
「危ないよー!」
アオイが焦って言う。カナギも「危ないですよ、オオツキさん」と呼びかける。
オオツキは笑って大丈夫だと首を振る。
「麒麟はな、人なんて喰わなかったんだ」
また一歩。アオイが力を込めてカナギの服を握る。ぎゅう、と服ごと引き攣られたように、カナギの背筋も引き攣る。冷や汗がでる。
「アフリカのサバンナっていう草原でな。悠々と歩いて、草を食んでてさ」
更に五歩。ぱす、ぱす、とオオツキが歩くたびに草が空気を巻き込んで潰れる柔らかい音がする。
「ライオンだって適わなかったんだぜ? 動物の王者にだぜ?」
「何を、」
ライオンは、あんなに大人しくて、人に順従で、温厚な生き物なのに。
「信じられないよなぁ」
更に三歩、それでオオツキは檻のまん前に到着した。太い柵を握る。
そんなことしたら、幾ら弱っている麒麟だからと言って、オオツキは食べられてしまう。案の定麒麟はオオツキに向かって長い首を伸ばす。オオツキはなんでもないように笑っている。
ぎゅ、と咄嗟に瞼を閉じた。
アオイの手は離れていた。どうやら自分の目を塞ぐのに手を離したらしい。
少しの間、カナギは目を閉じて、開けた。
やっぱりオオツキはにこにこ笑って柵を握って生きていた。
ぱっと柵を離す。なーにびびってるんだ。そんな風に笑って。
アオイが半泣きになって怒っている。其の手は、またカナギの服を握っていた。
「いや冗談冗談。昔っから麒麟は肉食だったよ。草食なんて、そんな訳が無い」
けれど黙ってカナギは麒麟をもういちど見上げた。でも、草食というよりもやっぱり肉食が似合うと今は認識してしまうその動物。
あ、でも、目はなんだか優しいんだ。
ぽたり、と頬に水が落ちた。麒麟の涙だと思った。違った。
「雨だ」
「ありゃあ、こりゃ早く帰らないと」
オオツキとアオイが手を取り合ってテントに戻りだす。其れを追いかけてから、一度振り返った。
麒麟は寂しそうに濡れていた。
「姉ちゃん、早く帰らないとぬれちゃうよー」
「あ、うん」
それでも、少しだけ麒麟を見つめてから、オオツキにも呼ばれ始めたので前を向きなおして、テントへ戻るため三人で並んで走った。
麒麟はそれを独りぼっちで濡れて見つめていた。
何時までも見つめていた。
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2007/07/08(Sun)18:37:01 公開 / 泣村響市
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■作者からのメッセージ
私はどうやら麒麟が好きなようです。今気付きました。
カナギの性別はどうでもいい引っ掛けです。男の子だと思っていたら女の子だった、という供述トリックです。本当はあっても無くてもいいんですが。
起承転結が分かりづらいのが反省点です。
挑戦点は三人称です。
ご意見ご感想在りましたらどうぞお願いします。面白いと言ってくれる方も面白くないと言ってくれるかたも嬉しいです。けれどあんまり辛口だと正直凹むので出来ればオブラートに包んでいただきたいです……。
勝手ですみません。