- 『特異性コネクタ』 作者:サトー カヅトモ / ショート*2 恋愛小説
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原稿用紙約11.65枚
「じゃーね。後で電話かメールするから」
夕飯の買出しにでも行こうかとふらふら歩いていたらそんな声が聞こえてきた。ふと見ると女の子三人組が自転車を運転しながらこちらに向かってきている。そして曲がり道で二人がいなくなり、独りになった自転車ガールがこっちにきた。すれ違いざまにその横顔をちらりと見ると、その顔は仕事帰りのサラリーマンのようにげっそりしていた。
まだまだこれから遊ぶぞー、と意気込む二人の友人。だけど彼女のお腹の調子は絶不調だ。仕方がない。涙を堪えて今日はここでお開きにしよう――なんてストーリーは妥当ではないのだろうな、うん。
どちらかと言えば「おいおいもう充分だろ。空気読めよ、頭悪いなぁ。好き好んでこうしてるわけじゃねーって気づけよ、いい年してんだからよォ。ただの付き合いだよ、人間関係がややこしくなんないようにするための。ああ、くそ、何でテメーのそんなくだらねー話に付き合わされなきゃなんねーんだよ、俺は家帰ってパソコンいじりてーんだよ!」なんてどこかの上司の誘いに付き合わされるサラリーマンの愚痴みたいな台詞がしっくりくる表情だった。
べったりと顔に張り付いているのは疲れと嫌悪と呆れ。しかしながらサラリーマンは一旦お開きとなればそこでその日はおしまいである。だが、彼女はしっかりと「後で電話かメールするから」そう言ってしまっている。これはきつい。
僕が思うにこの台詞は深い。
まず「今日は折角誘ってくれたのに途中で帰ることになってごめんね」的なニュアンスを相手に思わせ、本心とは真逆の――や、彼女の置かれたシチュエーションなんて僕にはわからないから、これは単に僕の想像なんだけど――気持ちであることを相手にアピール。これによって「あの子付き合い悪いよねー、折角誘ってあげたのに」等という黒い噂が立つことを防ぎ、同時に「貴女と私は気軽に電話やメールをし合える仲です。これってつまりはトモダチってことだよね」と自分も相手も友達がいない寂しい人間ではないということをアピール!
……そりゃあ疲れる。あんな表情にもなるよ。
どうせ、風がふけば吹っ飛ぶような繋がりなのに、いや、そんな薄っぺらい繋がりだからこそなのだろう。彼女は数十億円もする精密機械を動かすかのような神経を削ぐあの作業を日々、繰り返しているのに違いない。
行きつけのスーパーで商品整理のバイト君に熱視線を送り続けた効果なのかどうかはわからないが、いつもより五分も早く登場した半額シールに僕の頬は綻ぶ。
国産鰻弁当と一リットルの紙パックジュースに、パスタソースを購入して帰宅。
夕飯を食べながら携帯を見てみる。するとバイト君に熱視線を送ることに集中しすぎていたのか、メールを着信していたことに気づけなかったようだ。緩慢な動作でメールを開こうとして凍りつく。差出人は高校時代のクラスメートで、当時の僕にはその辺の雑誌の中のグラビアアイドルなんかよりも数億倍は可愛いと思えていたあの娘からだった。
――マズイ!
時計を見る。続いてメール着信時刻を見る。十二分……。ギリギリだがまだイエローの時間帯だろう。僕はメールを開き、センター試験の問題文を読むときの数十倍の集中力でそれを読み解く。存在意義がいまいち見出せない絵文字に埋もれた、絵じゃない文字――ああ、僕何言ってんだろ――を繋ぎ合せ、絵文字に続いて特に意味がないと判断できる文を削り、意味を拾い上げる。
「映画を見た。子犬が飼い主の男の子がいないうちに死んでしまう内容だった。とても悲しくなった」
一通のメール容量を最大限に活かした大量の文章の意味はこんなところであるはずだ。僕は「それは悲しかったね」と簡潔に返信した。メール着信からここまでの時間は十八分。ふぅ……、二十分以内ならばギリギリ彼女も怒らないだろう。
蛸足状になったコンセントを見る度、僕は思うんだ。
僕らは皆、このコンセントみたいに他人と繋がっている。ぐさり、ぐさりと突き刺さる他人はいつだって痛くて怖いけれど、それでも独りよりはずっといい。だから何度も他人と自分を繋いでいく。時には風がふけば抜けちゃうくらいに浅く。時にはちょっとやそっとじゃ抜けないくらいに深く。
そして魅力的なケーブルを見つけては、飽きたそれを抜き捨てる。独りは怖いとわかっているのに、他人が独りになることは知らん顔。
そんな風に思ってしまう僕は、生物の授業で習った基質特異性というものに酷く憧れる。酵素は特定の基質としか繋がらないらしいのだ。他の誰にも見向きなんてせず、たった一人を待ち続け、追い続けられる酵素と基質の美しさに憧れた。
僕もそんなコネクタになりたい。他の誰との浅い繋がりよりも――や、両立可能ならそっちも欲しいけれど――、たった一人との深い繋がりを探し続ける特異性コネクタ。
そしてさっき僕にメールをくれたあの娘は、自分にとっての基質はこの僕なのだと思ってくれているらしい。誰かに好かれるということが、ここまで心を満たしてくれるなんて思ってもいなかった。メールや電話なんて毎日しなくたって、時々届くメールで彼女の僕への愛は充分過ぎるほどに伝わってくる。
高校時代、彼女と出会い、いきなりすぎる彼女からの愛の告白。
スポーツ万能で、頭脳明晰。加えて容姿も抜群で、寂しがり屋だけど、時々とても大胆で――。
そんな彼女が僕に告白したことが校内の噂になった時、僕は親友から、その涙と共に彼の彼女への思いを打ち明けられたりもした。
今、彼女は地元の大学に通い、僕は地元から電車で二時間くらいのこの町の大学に通っている。
彼女のメールに気づき、返信してから三時間近くが経つ。その間僕らは久しぶりにメールを交し合い、時を過ごした。そして今日、何度目かの彼女からのメールが届く。
「〜(略)〜、わたし、もしも貴方があの子犬みたいにいなくなったらって思ったら、〜(略)〜、あの子もせめて最後を看取ってあげられたら、〜(略)〜、だからわたし、今から貴方に会いに行くわ」
メールを開き、硬直。この流れはもしかしたら、もしかする。
……必要装備チェェェェェックッッ!
バイクなんて持ってないのに買ったフルフェイスヘルメット、良し!
空手サークルの友達から流してもらった急所ガード、オーケイ!
野球部から失敬した金属バットも前回の傷は癒えずとも、まだまだ現役ィ!
そして虎の子の切り札。防犯目潰しスプレーは新品が戸棚の中にゴロゴロしてるぜ!
ぶるぶると震える携帯。僕は覚悟を決めて届いたメールを開く。
「そしてわたしあなたをころすわ。それならあのこたちみたいなわかれはないもの。だいじょうぶ。なんかいもなんかいもなんかいもなんかいもれんしゅうしたもの。ぜったいいたくしないわ」
僕は無言で携帯を閉じ、フルフェイスヘルメットを装着して――ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポォ〜〜ン――、ちょっとだけ泣きそうになった。
「ね、いるんでしょ? メール見てくれたよね? わたし、あいにきたの。あなたにあいにきたの」
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ、ガギィ……ッ。
「ねぇあけて? ここあけてよ、ねぇ、ねぇったら!」
もしもウチのアパートのドアに悲鳴機能なんてものが付いていたならば、今頃僕と悲惨なコーラスを奏でていただろうな。僕は完全に武装を終えてから深呼吸。そして今までのメモリーを思い返す。
スポーツ万能で――僕に絡んできた街の不良を数名病院送りにして、そのことがトラウマになって引き篭もってしまった不良もいるらしい――、頭脳明晰――彼女が僕に告白した次の日、廃部寸前だったはずの新聞部がまるで僕らの将来を祝福しろとでも脅されたかのような必死さで号外新聞をばら撒き、教師たちも何故かその行為を黙認していた――。
容姿も抜群で――なのに彼女に誰かが告白したという話は一度も聞いたことがない――、寂しがり屋だけど――彼女の告白から二年間、毎日深夜の二時に僕の家を訪れ続けた。怖くて独りじゃ眠れないのと叫びながら。僕の母と姉はノイローゼになったが、何故か父は部長に昇進していた――、時々とても大胆になる――二ヶ月に一度くらい、彼女は今日みたいに本物の殺意と一緒に僕のアパートを訪れるのだ――。
そんな彼女が僕に告白したという噂が流れたとき、僕は親友から、その涙と共に彼の彼女への思いを打ち明けられたりもした(ごめん。俺、この噂聞いたとき、俺じゃなくて本当に良かったってマジに思っちまった。許してくれなくていいから、逝くときはしっかりあいつを道連れにしてくれ)。
親友だと思ってたヤツに涙を堪えた眼差しでそう言われたときは、彼女の前でお前に告白してやろうかと本気で思った。
ドアを開けようとする音、ドアを殴る音、チャイムの音、俺を呼ぶ彼女の声がこの世のものとは思えないハーモニーを奏でていた。地獄の鬼でさえ「こりゃ、俺でも無理だわ」と匙を投げそうなくらいに禍々しく。
彼女は特異性コネクタ。
ぐにゃぐにゃに曲がり歪んだその愛は、僕以外のコンセントには突き刺せない。
そして多分――
「ちょっと待ってよ。来るならもっと早くそう言ってよね、僕だって色々準備があるんだから」
彼女を受け入れられるのもきっと僕だけ。
だって僕らは特異性コネクタ。
大好きな人に本気で殺されかけるのはとても悲しいことだけど、それでも引き抜きたいとは思えない。僕を深くまで突き刺していいのは、きっと彼女だけ。他の誰にも理解できない、他の誰とも繋がれない基質と酵素のように、彼女と僕にはお互いしか存在しない。
ぐにゃぐにゃに歪んではいるけれど、それでも僕と彼女を繋ぐ配線は愛情だって信じてる。
目を閉じ、ゆっくりと開く。
憂鬱な表情を蹴飛ばし、満面の笑みを作る。
――さぁ、今夜も深く繋がろう。でも、接続の際には漏電での感電死にご用心。
僕は自分に言い聞かせ、ゆっくりとドアの鍵を開けた。
了
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2007/06/23(Sat)22:05:47 公開 / サトー カヅトモ
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■作者からのメッセージ
スーパーのバイト君に熱視線を送っているところはノンフィクションです。