- 『We love you !!』 作者:kurai / 恋愛小説 お笑い
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全角47937文字
容量95874 bytes
原稿用紙約156.1枚
「……約束だよ」
そう言って目の前の少年は微笑んだ。
「……約束、だから……、待っててね……」
約束だから、と少年は何度も言った。そして目の前は真っ暗になった。
それが、八年前の約束だった。
「…………ふあぁ〜」
大きなあくびをして、綾音有紀は起きた。これと言って特徴のない、ノーマルな女子高生である。
「またあの夢か……」
八年前に少年とした約束の夢、約束をしてから何度も見た、あのときの夢、でも何を約束したのかは忘れてしまった。その時から大好きだった彼との、忘れられない約束をした事実、それだけを覚えていた。くるくるとそんなことに思考が回る。
「……ふふ」
「……面白そうだな、綾音……」
今でも好きな彼との夢を思い出して、思わず声に出してしまった笑い。そこで、有紀は空想から現実に戻された。目の前に、教師である飯島つかさの顔があったのだ。不機嫌そうな顔をしている。
「……ふぇ?」
有紀は辺りを見回してみた。不機嫌であることは必然である。今は授業中であり、その教師は前にいて、クラス中がこちらを見ていた。
「え? あっ、その……」
有紀は状況を理解するのに数秒かかった。有紀は居眠りをしていたのだ。そして、クラス中がそれを見ていた。笑いも出ない重い空気が流れる。
「…………」
有紀は顔が赤く染まるのを感じた。
「あ〜っひゃっひゃっひゃ、っか、あひぃ〜」
その後、なんとか重い空気の中授業を乗り切った有紀は、第二ラウンドに突入していた。
「くっ、はあ、ふう、ケッサクだったよ、ケッサク。ははっ」
床を転げまわって、奇妙な笑い声を上げる友人、竹島かなた。高校生としては人並みのスタイルに、整った顔立ちで、腰まで伸びたロングヘアーは四方へ広がり、無意味に周囲へ被害を拡大させていた。
「あはっ、ごめんごめん。そんなに赤くならなくてもいいのに。あはははは」
異常なまでに笑う親友を前に、有紀は赤くなっていた。
「う〜ん、でもまあ入学後ってことでつかみはいいかも。でもなあ、いくら可愛くても居眠り系天然キャラは幸薄で地味って決まってるから大変だよ?」
(ふわぁ、また始まっちゃたよ……)
かなたは、なにやらその手のゲームに精通しているらしく何故か人をキャラだの、萌え要素がどうのと言っていた。
「だからさあ、幸薄は萌え要素ではあるけど、幸せにはなれないよ? 属性少ないと思うし、あたし的には無しかな? でもさ……」
有紀はそこから聞くことを放棄した。
(入学か……、そういえばこの高校も、まだ三日か……)
そう、この高校に入学して、まだ三日しか経っていないのだ。入学三日目にして居眠りはどうかと思うが、夢の内容のおかげで、まったく気にならなかった。
(夢……か、そういえば……)
と、夢に出てきた少年を思い出す。そして、彼を探して教室内を見回した。
(居た)
彼は、数人の友人と話していた。優しそうな顔をした、有紀の好きな人、子供のころ大切な約束をした少年、咲白要はそこに居た。
(…………)
有紀は彼に見とれる。彼が都合よくこの高校にいるのは必然だった。唯一、要が好きであることを話したかなたの協力もあって要の志望校、学力相応の高校を(主にかなたが)彼の友人に訊き回り、彼の家からの距離などから計算し、たたき出したのが、この高校だからである。
「いま見つめている彼も、天然キャラで落とせるかな〜?」
有紀にはキャラ云々のことはよく分からないが、要の事となるとまた顔が赤くなってきた。そういえばさっき寝てしまった時、要はどう思ったのだろう。
「あははっ、動揺したね? う〜ん、そういうキャラの方が需要多いかも。」
「えっと、分かんないよ……」
「ははっ、でも頑張らないとね。ああ見えて要君、結構モテるからね。ほら、中学からのライバル、直情型娘の登場だよ」
直情型娘、有紀は彼女が好きではなかった。彼女のように素直であれば……と思ってもまねできないから自分が情けなくもあった。そして、その直情型娘は登場した。
「うぉぉぉぉぉ!! セーフか? 遅刻じゃないよな!?」
勢いよく入ってきた彼女は妙なハイテンションである。直情というより、なんかアレな熱血な人だ。身長が低く、小学生と言っても通じそうな体格である。顔にも幼さが残り、元気が視覚化できそうな勢いでもある。そして、
「おぉ、おはよう要、会いたかったぞ!!」
熱血?少女谷崎真直の言い放った言葉に、有紀はとてつもなく腹が立った。
そして、有紀がイライラしていた中で午前の授業は終了した。あまりに腹が立ったので、授業内容は覚えていなかった。いまは昼食の時間である。有紀がイライラしている中、例によって
「要、一緒に食べよう!!」
と真直は要に詰め寄った。しかも要も拒否したりすればよかったのだが、
「いいよ」
と笑って承諾したのが有紀には面白くなかった。まあ要は生来鈍感であるから、彼の友人であるその他男子生徒も共にいるので少しは安堵できた。
「いいのかなぁ〜? 安心して?」
安心が顔に出たのか、かなたが話しかけてきた。
「えっ……どういうこと?」
「だからさ、いまは入学三日目なんだよ?しかも実際二日間は午前までしか授業無かったし」
それでも有紀がわからなそうな顔をしているのでかなたは結論から言った。
「つまり、一日目から一緒に食事を取るんだよ? 一方的だけどいっつもベタベタしてる二人が。周りが誤解しないと思うかい?」
「ゴカイ?」
「つまり、他の人が二人を恋人と勘違いしちゃうかも、ってこと」
なるほど、気がつかなかった。確かにそう考えるのが自然かもしれない、いや、でも。
「えぇ〜〜〜!?」
「うん、そうなるべきだよっ、て言うか反応おそっ」
そう言って、かなたは有紀の手をとって歩き出した。
「ふぇ〜、どうするの〜?」
「決まってるじゃん、突破口を開くのさっ」
口調は変わらないが、かなたはいつになく真剣だった。
「かなたちゃん……」
有紀はかなたに感謝した。いつも、私が要の近くにいれるのはかなたのおかげだ。そして、近くにいながら、思いを伝えられない自分に憤りを感じている。
「でも、突破口ってどうするの?」
「あたし達も一緒に食べる」
「えぇ!? わ、私は、えと……」
無理だ、そうなればうれしい、でも怖い。有紀はそう思った。そして悔しく思う。また踏み出せなかった。一歩でいいのだ、一歩進むだけで変えられるのに、その一歩が恐ろしく遠かった。でも、そんなときにも手を考えているのがかなたである。
「あははっ、分かってるよ。有紀じゃ要君に言えないもんね〜。でも大丈夫、ターゲットは要君じゃないし」
そういってかなたは進んでいった、真直の方へ。
「ねえ真直さん」
有紀が何がなんだか分からないまま、かなたは真直に話しかけた。
「なんだ??」
相変わらずテンションは高めである。
「お昼ご飯一緒に食べないかな? 実はさ〜あたしらンとこの中学出身て少ないじゃんっ? だからさっ、一緒に食べないかな? ってねっ」
「むぅ、どうする? 要??」
何故要に振るのか理解できないが、要は有紀とかなたを見て、
「いいんじゃないかな? みんな同じ中学だし」
と他の男子生徒に同意を求める。いいんじゃない?俺は別にいいぞ?と皆賛成する。そこで
「当たり前じゃないか、こんなに可愛い女子ばかり、反対する理由が見つからんぞ?」
と一人の男子生徒が言いはなった。
「どうも、柿崎です。どうぞよろしく」
有紀は確信した、この男、柿崎悠二(その後、女子三人に丁寧にも自作の名刺を配った)はあきらかに変人だと。
「……さっさと食べないか?」
自分の弁当を前に待てと言われた犬のように弁当を凝視して、しっかりした、いかにも体育会系といった男子生徒がつぶやいた。直後、ぐぅ〜っと誰かの腹の虫が盛大に鳴った。
「……さっきはありがとう、かなたちゃん」
その後、全ての授業を消化し、下校途中で、やっと有紀は口を開いた。
「いいって、結構楽しかったしさっ」
あのあと、要とその他三名と有紀とかなたと真直の七人で昼食を楽しんだ。柿崎悠二は一人で五分ほど自己紹介をして(内容はほとんど無かった)丁寧にも自作の名刺を配り、最後に訊いてもいないのに携帯の番号とメールアドレスを教えてくれた。この男は、これと言って特徴もないくせに、一度会ったら忘れられそうもない。それは彼の性格のせいでもあり、彼いわく、元気で明るくて、そんでもって素直でロリ属性有りの美少女(よく分からないが真直のことらしい)と、内気だがおとなしくて、これまた素直で、問答無用で可愛い女子(有紀のことらしい、有紀はほめられてるらしかったがよく分からなかった)と、元気はつらつで何かと気が利いて、ユーモアのセンスもある、人付き合いの得意な発育のよろしい可愛い女子(かなたのこと、かなたは冗談ととったのか笑い飛ばしていた)と食事ができるとは、と軽く泣いていた。有紀が心配すると、メガネをかけた男子に、たいしたことは無い、と言われた。
「柿崎はいつもこの調子なんだ、気にしないでくれ」
そう言ったメガネの男子は橘英次というらしい。少しばかり難しい話し方をしていたが、こちらが分かりにくそうな顔をしていたらすぐに話し方を変えてくれた。くせ毛で、おとなしそうで、でもまあ、多少は格好良いと定評がある(らしい)この少年、英次にはメガネにありがちな少し知的な雰囲気があったが、別に嫌味な感じはなく、(主に柿崎だが)ボケに対し、的確で笑いを誘うつっこみをみせ、付き合いやすい印象を受けた。人付き合いがうまく、自分を表に出すことが少なそうでもあるが……。
「しかし、なにがあったのやら、我々のもとに可愛い女子が三人も、何の風の吹き回しであろうか」
と、柿崎じみたことを言ったのが体育会系の男子、本田翔平である。坊主頭気味、細目でしっかりした体格、愛嬌があり、ムードメーカーのような雰囲気を感じることが出来る。柿崎じみた口調は冗談らしく、たいていはテレビの芸能関係(ニュース系はまったくなし、政治関係はさらにありえないとのこと)などで簡単にボケやすく(柿崎が無理にボケたりする)女子三人にしても話しやすい内容だった。そんな感じで、それ以上は特に何も進展せずにその日は過ぎた。有紀以外にとっては。
有紀は帰宅後、家族との夕食、その他入浴などを何も考えず、いや、あることだけを考えて過ごし、早々と自室へと行った。
「また、かなたちゃん頼ってばかりだった……」
非常に悔しい。要と食事をして、会話をして、日常を共有して過ごせたことは嬉しかった。たぶん、今後も同じようになるだろう、要と一緒に弁当を食べて、思ったことを話して、笑って。今後も変わらないだろう、かなたの作った日常は。
「……凄いな、かなたちゃんは。私も……」
変わりたい、そう思えた。自分から言うはずだった、踏み出すはずだった一歩が、有紀を押しつぶしそうになる。
「……このままじゃダメだ。」
有紀は静かに決意する。
「変わろう、願うだけじゃ、ダメなんだ。かなたちゃんに頼ってちゃ、何も変わらない。」
やっと、分かった。
「強くなろう、好きです、って言えるくらいに」
何度目か分からない決意をして、有紀は眠りはじめた。
翌日、有紀はくじけることになる。
結論から言わせてもらうと、人がそう簡単に変われるわけがなかった。まして内気な有紀において、一日でそれほどに変わる確率は天文学的数字になる。だが、多少の変化は見られた、と言うのが今回の決意の結果だった。
「有紀〜、おはよ〜」
昨夜の決意を、覚悟を形に変えてみせる。登校中に何度も、何度も繰り返し、それでも後ろ向きな考えを捨てきれない有紀に後ろから誰かが声をかけた。
「……おはよう、かなたちゃん」
昨日も頼ってしまった友人、自分の情けなさの象徴でもあり、大切な親友、竹島かなたである。
「どうしたの〜? 元気がないぞっ」
そう言って背中をたたくかなた。それに対し有紀は、羨ましい、はっきりとそう思ってしまった、私は自分だけに手一杯なのに、他人に気をかけられるかなたを。だが、そんなんじゃダメ、と有紀は頭を振る。有紀は、決意をしたばかりだろうか、普段ならできない方向に思考を回転させる。思うだけではだめだ、思うだけでは変わらない、憧れるだけではいけない、そうありたいと願うならば変わるのだ。そう、私は……
「変わってみせる……」
声に出てしまった。有紀の言葉を聞いたかなたは少しきょとんとしたが、すぐに笑い出したかと思うと、
「またそれ?」
と一言口にした。有紀が少しムッとした表情になる。
「あははっ、ごめんごめん。でもさ、またそれか、と思ってね。だっていつかも言ってたからさっ。あれはいつだったっけなぁ〜。そうだ、中学のときはクリスマスのたびに言ってなかったっけ? あと卒業式もっ!! えっと、あとは〜、中三と中二のバレンタインと、それに修学旅行や〜、最後に入学式前にも!! 高校こそは、って言ってたよね!?」
うんうん、よく言ってたものだ。と言ってうなずくかなたのとなりで、有紀は顔を赤くしていた、だが、いつもとは何かが違っていた。赤くなる、という反応にこそ変化はないが、有紀の瞳には明らかに決意の光が灯っていた。次こそは、と。
「う〜ん、こんどは大丈夫かもっ」
そう言ってまた笑い出すかなたには、友人の変化に満足する様子と、それでも変わりきれない友人を笑う雰囲気を感じた。話しながら歩いていたからか、気がついたらすでに学校の廊下を歩いており、知り合ったばかりの同級生が痛い視線を向けてきたがかなたには気にならないらしく、笑いすぎで息も絶え絶えな(いつしか笑いは爆笑へ変わり、こういうキャラだと知らない人は脳がいかれていると判断しそうな勢いである)かなたを支えながら、有紀はまだ慣れない教室に入った。始業ベルが鳴るまでまだ時間があるにもかかわらず、生徒はほとんどそろっており、おのおのに友人と雑談している。そこで、昨日、一緒に昼食を食べた一団がこちらに気づいた。
「あっ、おはよう、綾音さん、竹島さん」
「お、おはよう、かなめく……」
「おはようございます、竹島さん!!」
普段なら緊張して真っ赤になってただろう状況を、決意の元に勇気を出してまで言った有紀の返事を遮ぎったのは。かなたのみに挨拶をして我が道を突き進んでいる男子、柿崎である。
「うん、おはよっ諸君」
と、柿崎からの挨拶を昨日のメンバー全員に返して、かなたは自分の荷物を整理しに自分の机に向かった、教室の入り口近くの要を中心に、その付近に席を構えるメンバー六人に対し、かなたの席は窓際の、ついでに言うなら柿崎とは真逆の場所にあった。
「…………」
男子メンバー三人が話している中、柿崎は寂しそうな目つきでかなたを眺めていたが、何故か有紀は違和感を感じなかった。そのあと、自分も鞄から机へ教科書を移し(有紀は当たり前だと思っているが、どうも持ち帰ることは少し特異なことらしい)有紀とかなたは男子メンバーの会話に参加した。
「あれ? 谷崎さんは?」
最初に気付いたのは英次だった。真直はまだ来ていない。真直の性格だから、早く要に会うためにそれこそ朝方三時、いや、二時くらいから登校しているだろうと思っていた有紀も、柿崎のせいで忘れていた。
「本当だ、どうしたんだろ?」
不審に思う有紀。
「遅刻じゃないかなっ? あはははははっ」
遅刻? まあありえなくはないかな?そう思って有紀も思考を停止させる。
「おや? どうしたのかな?英次?まさか真直さんに気があるのか?」
と翔平。そこに気づくのか。
「なんと!? あの英次が恋をするとは!? しかもあのロリっ娘谷崎真直に!?」
と柿崎。悪乗りが好きだなと有紀は感じる。
「ぬなっ、エージがロリコン!? うっひゃっひゃっひゃ。ま、まさかだよ〜」
とかなた。かなたちゃんまで……、と呆れる。
「なっ、そ、そういう意味じゃ……」
と英次。少し顔が赤い。
「あ〜、は、はははははは……」
「え〜っと……?」
とついていけてない要と有紀。こうした時間が来るなんて夢にも思っていなかった有紀に、一瞬強い恐怖が走った、そのとき、
「おはよう! 要!!」
うわさのロリっ娘、谷崎真直が登校してきた。
「おお、うわさをすれば影が差すとはほんとだったのか」
と大げさに驚く柿崎と翔平。真っ赤になっている英次を見ると、なんだかかわいそうになってきた。
「?? 何のことだ???」
テンションに比べ、知能はそれほど高くない真直は素直なことにたずねる。
「いやいや、なんでもないヨ」
半笑い状態で口調までおかしくなったかなたに言われても説得力がないような気がするのだが、
「ふ〜ん? そうか」
とあっさり引き下がる、そうそう、なんでもないヨ、と後ろでうなずく柿崎と翔平を不審そうにちらりと見て、真直も自分の席に向かう。始業ベルが高く鳴り響いた。
授業中、有紀は朝のことについて考えていた。確かに英次は真直を好いている。あれだけ赤くなるのは尋常ではない、おそらくは自分が要に対した感情と同じものだと有紀は感じていた。そしてかなたを眺めていた柿崎、こちらもおかしい。しかし、こちらには経験がなく、よく分からなかった。自分は好きな人を凝視することなどできない、と。そして一番大きな疑問である強い恐怖、いままでも、たびたび感じていたこの恐怖感。何故だろう?そう考えて、そして、やっと答えが出た。なるほど、いままでは分からないはずだった。有紀は要と離れるのが怖いのだ、嫌われるのが怖いのだ。いままで有紀は要と、笑いながらまともに会話したことなどなかったからだ。しかし、昨日からなのにいまでははっきりと分かる、そして分かったことで恐怖はさらに大きくなった。要との距離が縮まったために、さらに離れるのが怖かった。告白を拒否されたとき、自分は立ち直れるだろうか?無理だ、考えるだけでも耐えられない。長年の恐怖が形となって、いとも簡単に決意は崩れ去った。恐怖が有紀を支配した。
そうして、有紀が恐怖を確認している間に授業は終了した。しかし終わったことに気づいていない有紀は、
「なあ、綾音、話があるんだが……」
と言われて、授業が終了したのに気づく。そして、話しかけてきた人物を見て驚いた
「放課後、教室に残っていてくれないか……?」
柿崎だった。しかし、有紀も有紀で切羽詰っており、
「いいよ」
と直に承諾してしまった。
「ありがとう」
そうつぶやくと柿崎は教室を出て行った。有紀は恐怖が薄らぐまで疑問を感じることが出来なかった。
そうして(翔平が言うには)クソつまらない授業の午前の部を終了し、大きく変わった昼食時間となった。一日で定着してしまったメンバーは、要の席を中心に集まって昼食を食べ始める。
「そういえばさっ、真直はなんで遅かったのさ??」
一日にして呼び捨てにするかなたは遅刻をしたわけでもないのに疑問に思っているらしい。
「そうそう、なんでさ?」
翔平がくいついてきた、しかもちらちらと(しかもわざとらしく)英次を見て言うから、英次もつられて赤くなる。
「何故って……」
とコンビニのおにぎりを食べながら、これまたコンビニのあんぱんにかぶりつく要を見て、
「いつも要がコンビニ食だから、弁当でも作ってやろうと思ったんだが……」
「あれ? それおにぎりだけど、お弁当は……?」
と翔平。確かにおかしい、要の分しか作っていないとしても、出し惜しみでもしているのだろうか?だが、疑問はすぐにはれた。
「簡単だからチャーハンにしようと思ったんだが、何故か何度やっても真っ黒になるんだ。その後片付けをしていたら遅くなってな」
なるほど、とうなづく一同。
「あっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ、それは災難だったね〜」
当然のごとく爆笑するかなた。そしてつられて笑う一同。そんな中、有紀だけが笑えなかった。理由ならかなただって分かるはずだ。真直が要に弁当を作った、いや作ろうとした。でも、どちらも変わらない、有紀なら、そんなことは考えられなかった。作ってみようと思わないわけではない、でも受け取ってくれなかったら、と考えると実行など出来るわけがない。
(なんて、遠いんだろう……)
有紀は真直が恐ろしく思えた。巨大で、とても敵わない。しかし、でも、と思えることがあった。そう思って、やっと昨夜の決意を思い出すことができた。負けるわけにはいかない。そうだ、変わるんだ。そう思って有紀は昼食時間が終わると同時に真直に、
「話があるんだけど……、ついて来て」
と告げた。
「いいけど?」
真直は不審そうにしながらもうなずいた。かなたがついて来ようとしたので、
「二人で話したいの、ごめんね」
と拒否までした。一瞬とまどったが承諾して他の女子の輪に入っていった。かなたは満足げだが少し寂しげな顔をしていた。
大丈夫、いける、自分の思いを、伝えるんだ。有紀は心の中で何度もつぶやいた。他の生徒がいない場所を探して、屋上まで来ていた。四月とはいえ、まだ少し肌寒い。
「それで、話とはなんだ?」
呆気にとられていた真直も、有紀の真剣さにつられて真剣な表情をつくる。有紀は大きく深呼吸をした。
「……真直ちゃんは…………」
真直は小さく身構える。
「……真直ちゃんは……、怖く……ない…の?」
有紀にとって真剣な質問、しかし真直は理解できていない様子だった。
「怖い……? 何が? どうしてだ?」
有紀はもう一度深呼吸をする。
「要君に嫌われたらって、怖くないの」
言葉をつなぐのに苦労するほど大変で、でも有紀に迷いはなかった。しかし、
「怖い? そんなことがか? くくっ、くはははははは」
真直は少し驚いて、笑い出した。馬鹿にしているのではない、妙だ、と言った感じの笑いだった。
「怖く……、ないの……?」
有紀の問いに対して、真直は当然のように言い放った。
「怖いさ、怖いとも。でも、そんなことなんて気にならないさ。私はな、要に拒絶されることよりも、要と一緒に過ごせない方が怖い、私の思いが伝わらない方が怖いんだ。だから、私はどんなことがあっても、要と一緒にいたい。それに、黙っていても何も変わらない」
「…………」
それは、有紀が決意をするときの感情に似ていた。伝えなえれば、変わらない。だが、疑問に思えることがある。
「でも……、それじゃあ、それじゃあ真直ちゃんは」
もし、そうだったら。どうなるだろう?立ち直れるだろうか?しかし、そんなことはどうでも良かった。
「真直ちゃんは……、要君に……、好きって……、好きですって……、言った…の…………?」
言葉が切れ切れになる、身体が押しつぶされそうになる。それでも、言えた。有紀は、言い切ることが出来た。
「なっ…………」
真直も驚愕していた。驚いて目をそらした。それだけで分かる。
「まだ、言ってないんだ……」
卑しい感情だと分かったが、有紀は安心してしまった。そして、また有紀は一歩前進し、言葉をつなぐ。
「まだ……、まだ言っていないなら、そう。私も、要君が好きだから……」
それ以上の言葉は要らなかった。互いの感情は理解できた。
「真直ちゃん……」
「有紀……」
『絶対に負けないから』
二人は高らかにそう宣言した。
昼休みが終わって、教室に帰ると、かなたが、
「どうだった?」
ときいてきた。しかし、かなたもそうお節介過ぎてはいない。有紀の満足げな表情を見ると、
「少しは変われたみたいだねっ」
とだけ言った。かなたは、どこか寂しそうである。
放課後、真直との事で柿崎との約束を忘れかけていた有紀は、下校しかけたところで柿崎に呼び止められてやっと思い出した。
「ごめん、さき帰ってて」
「にゃっは〜ん、あやしいぞお二人さんっ」
予想どおりではあるが、かなたが絡んできた。先ほどの寂しさは感じない。
「放課後に二人っきりとは、あやし〜ぞ〜」
「なんでもないですよ、竹島さん」
と柿崎。やはりなにかおかしいのだが、よく分からない。
「うっしゃっしゃっしゃっしゃ、じゃ〜ね〜お二人さんっ、ごゆっくり〜」
なんとか帰ってくれたようだ、明日は誤解を解かなければいけないのかな、と有紀は考える。
「放課後にわざわざ残ってもらってすまない」
この柿崎も、何か変なのだ。が、さっきよりは違和感は少ない。
「俺は……」
柿崎は一息ついて言った。今日はいろんなことがあるな、と有紀は疲労感を感じていた。
「好きなんだ」
ええ!? と有紀は心の中で混乱する。唐突である、昨日あったばかりなのに、とあたふたする有紀に気づかない様子で続けた。
「竹島さんが」
「ふぇ……?」
有紀は状況を理解するのに数分かかった。
放課後の教室、すでに日が暮れかけているので窓の外に夕日が見えた。有紀はそれをぼんやり眺めている。そして目の前に立つ柿崎を見た。確か柿崎はかなたが好きだと言った。この私に。
「ええ!!」
「冗談じゃないぞ、俺は本気だ。」
「その本気を私にぶつけられても……」
「ああ、そのとおりだ。お前にぶつけているつもりはない」
「でも……」
「まあ話を聞いてくれ」
そして、柿崎は話し出した。まず、柿崎がかなたを好きになったのは、中二のときらしい、当時は一方的な一目惚れだったらしい。その後もちょくちょく見かけては、思いを募らせていたのだと言う。そして、この高校に入学して、正式にかなたと知り合った。と言うことらしい。
「それをなんで私に?」
「頼みがあるんだ。竹島さんは俺の事をなんとも思っていないだろう。この状態からでは竹島さん、いや、かなたさんが俺に振り向いてくれることはまずない。完璧にだ」
そこまで自分のことを悪く言わなくても、と有紀は少し同情した。そして柿崎は顔を覗き込んで真剣に言った。
「そこでだ、綾音、俺とかなたさんのパイプになってくれ、それとなくでいい、俺の評判をそっと上げる程度でいいから」
少し考え込む有紀、柿崎を褒めるのは、本人の前ならまだしもかなたの前で、となると途端に難しくなる。
「変わりに」
「何?」
「変わりに俺が、お前と咲白のパイプになる。交換条件だ」
有紀はあっけなく了解してしまった。
その日の夜、有紀は今日一日のことを振り返った。いろいろなことがあったが、昨日の目標は達成できなかった。それでも有紀は満足していた。一日でこれほど自分を変えられたのも初めてなのだ。しかも今日は、自分の手で。
「頑張ろう……」
今度こそ、誓う。今日、はっきりと宣言した、負けないと。せっかく変われたのだ、次へつなごう、絶対、負けない。
有紀は八年ぶりに前進した。一歩を踏み出すことができた。
そして、有紀が大きく変わった日は終わりを、告げる事はなかった。まだ一人、苦悩するものがいる。それは咲白要だった。
「あれは……なんだったのかな?」
と昼間のことを思い出す。
「谷崎さんと……綾音さん、だったよね?」
そう、要は屋上での、有紀と真直の会話を見ていたのだ。要も見ようとしたわけではなく目撃してしまっただけではある。また、会話の内容も聞き取れていなかったのは二人にとって幸運だったと言えなくもない。
「なんか重い空気だったけど、どうしたんだろう?」
自分のこととは夢にも思わず、少年は思う。昼間、屋上へ向かったのは、考え事があったからだ。要は中学のときに、近所の先輩に、屋上は人が少なく静かで良い、と聞いていた。実際、静かで、落ち着きやすく、なにより風が心地良かった。だから、一人で考えながら歩いていて、屋上へたどり着いたのだ。だが、そこには先客が居た。中学のとき、ある事件から仲良くなった(と要は判断している)少女、真直と八年前、約束を交わした少女、有紀である。正直要は混乱した。悩みの理由がそこにあったからだ。八年前の少女、綾音有紀。彼女は約束を覚えているだろうか、そして、二年後、自分は正しい判断を下せるだろうか、彼女を悲しませることはないだろうか、と。要は悩んでいた、そして、答えが出る前に寝てしまった。こうして、それぞれが変化を遂げた長すぎる一日は終わりを告げた。
翌日、昼食時、弁当を持ってきた人間は消えた。男子四人は当たり前であり、真直も同じくである。しかし、残りの二人までもコンビニ食であるのは異常と言えた。
「…………」
一同、沈黙してしまった。この異常事態にではない、有紀の機嫌の悪さにである。ただ、理由は明白である。有紀と真直が要のことが好きなのは要以外の全員が知っていた。そして昨日の会話である。
(要に弁当を作ってやろうと思ったんだ)
あの真直の一言が引き金であると、全員が確信した。事実、真直に負けまいと、有紀も要に弁当を作ろうと思い、そしてことごとく失敗した。要に食べてもらう、そう考えただけで赤くなり、意識が飛びかけていたのだから仕方ない。それを察してか、今日は全員が黙々と箸を進めていた。それよりも問題は、
「…………はぁ」
しきりにため息をついて、コンビニおにぎりを食べるかなたである。日ごろのかなたのテンションを考えると奇妙この上ない。東京が明日にでも沈没するのではないか、とかクラスの誰かが言っていたような気もする。だが午後にはかなたらしく、大笑いしながら校内を走り回っていたので、問題もないのだろう。有紀だけが、かなたが寂しそうにしている気がしてならなかった。
そして、まあ四月のうちにあった変化はこの三日間くらいであり、流れるように四月は過ぎていった。考えてもみれば八年間なにもなく過ごして、いきなり人格すら変わるわけもなく、他のメンバーも大きな変化がすぐに出るわけもない。日本史に置き換えて考えてみても、なんやかんや覚えることのある江戸時代よりも短期であるにも関わらず明治や昭和の方が戦争だのが多いし覚えることが多い。他にも貴族の時代と言うつまらん時が過ぎれば戦乱の世になったりと、常時変わり続けているわけでもなくて、恋にもやはり急展開はしても顔も知らんような二人が(この場合は違うが)付き合うにも一月二月では無理なわけで当たり前の状態と言えた。だが、変化は別の、しかしとても近いところで起きた。
五月のゴールデンウィーク明け、生徒の希望が多く、ついに最初の席替えである。有紀も要のとなりになれる可能性があるからと待ち望んでいたイベントである。しかし、そんなにうまくいくわけがない。有紀は窓際の最前列という地味な場所で、要は逆側、教室入り口横だった。有紀にとっては運よく、真直は(身長のせいかもしれないが)最前列、ど真ん中に位置している。その他のメンバーも見事なほどに散らばっていた。
「はぁ、いよいよだったのにな。くじ運ないのかも……」
と、正直に悔しがる有紀に後ろから声がかかった。
「……ぶつぶつとうるさい」
と、たいして声を出していないにも関わらず、不機嫌そうに後ろの女子が言ってきた。
「地味な人、他人の迷惑、考えなさい」
その娘があまりにも不機嫌そうにいうので思わず
「ご、ごめんなさい……」
と謝ってしまった。すると彼女は鼻を鳴らして窓の外を眺め始めた。不機嫌な様子は消えていない。有紀は
(本当にくじ運ないな私……)
と落ち込み、何事もないように祈った。
翌日、有紀は神の存在を疑うこととなる。
「…………邪魔」
要の机付近にたむろし、朝の雑談タイムを満喫していた一同に素っ気無く、しかしおそらく感情の全てを、包み隠さずぶつけてきたのは、昨日の少女である。彼女はそう言うと、自分の席へと歩いていった。昨日のように不機嫌な表情をしていたのだが、もしかしたらあれで素なのかもしれない。
「えっと……、何?」
教室の入り口付近に集まられてはさぞ迷惑であろうがその中心人物である要はそれに気づかない。それだけ周りに気を配るなら有紀や真直の感情にも気づくはずだから、と一同は呆れながらも納得するしかなかった。
「ジャマだったんじゃないかな? ここ、思いっきり入り口の前だし」
「でも、あそこまで不機嫌になることはないんじゃないか?」
かなたのまっとうな意見に対し、真直もまっとうだが対となる意見を返す。
「いや、あいつはああいう奴だ。どうにも、この世の全てが気に食わないらしい」
と、実は入り口を封鎖していた張本人、柿崎は言う。
「この世の全てが? なんとも電波な奴だな、脳に異常はないんだろうな」
「さあ? 脳までは知らないが。ともかく、あいつはああいう奴だ。眼鏡、ショートヘアー、無愛想、その他要素によって中学時代そこそこ人気があったんだが、告白した奴らの話によると無愛想なのではなくこの世を嫌っているような口ぶりらしい」
「あれ? うちの学校にあんな娘いたっけ?」
「いや、別の中学だが」
「じゃあ何で柿崎が知ってるんだ? 俺らは同じだったじゃないか」
「文句あるか? こちとら一定以上の女子の情報は入手済みだ。黒木舞華、見た目のみの人気度なら学年上位をマークしてる。先月の俺主催アンケートでも堂々の五位だ。実際にコクった奴らも例外なくふられているがそれでも隠れファンは耐えない。ちなみになにやら怪しい宗教の教徒らしいがこちらは情報ナッシングだ」
気持ち悪いくらい調べ上げている。そして、その理由を有紀は知っている。かなたに、どんな手、どんな道を使ってでも近づくため、と柿崎は言っていた。
「あははっ、よく調べてあるなあ。まさかっ、だけどさ、もしかして好きなの〜?」
結局はこうなるのがオチであるのだが……。
違いますよ、いやいや、ほんとですって、本当に〜?……不毛なやり取りが続いた。いや、不毛なやり取りだからこそ、こうして毎日話題が尽きないのだが。
「でも有紀も災難だよね〜」
「えっ?」
不意に話題を振られて有紀は驚く。
「いや、だってさ、アレの前でしょ〜? だいじょぶなのかナ〜? ってねっ」
「うん、って、それじゃあかわいそうだよかなたちゃん……」
「そっかな〜? あははははっ」
この時、有紀が本心では同情していないのは言うまでもない。昨日のことを考えれば当然、でもないが。
「うぃーす、ホームルームはじめるで〜」
飯島つかさが教室へ入ってきて、朝の雑談は終了した。本日の遅刻者、橘英次。
「……であるから…………このことから…………これが後に原因となり……………」
授業内容は適当に聞き流していた有紀は、先ほどから痛すぎる視線を感じていた。視線の主はもちろん……。
「…………」
黒木舞華である。あきらかに敵意を含んだ視線、有紀はそれから逃げるために逃避行動をとる。
(そういえばさっき、柿崎くんが言ってたアンケート結果。あたし達はどうだったんだろ? 後で聞いてみようかな。たぶんかなたちゃんは上位にきてるだろうけど……、無理だよ〜)
無視できなかった。続いて次に移ってみる。
(橘くんどうしたんだろう? 遅刻なんて珍しいな、あの後走ってきたけど、理由聞いてみようかな……、駄目だぁ〜)
どうしても無視できない、背中に悪寒が全速力で駆け抜ける。もう二十五週目くらいだろうか。
「……つまり…………結果として…………これが後の…………」
今は日本史の授業である、はずである。しかし、視線を浴びる有紀、視線を向ける舞華、それを見て笑うかなたと翔平。彼らにとっては最早授業ではなかった。有紀がどうすればよいのか考えている内にチャイムは高く鳴り響いた。
「う〜し、今日はここまでや。来週、小テストを行うから各自で復習しとくよ〜に」
いつの間にか関西弁口調になっていた教師、つかさがそう言って有紀は胸をなでおろした。もちろんテストのことは耳には届かない。
「あなた」
舞華は授業が終わるなり有紀に詰め寄った。
「うじうじしていて、気持ち悪い。授業中、迷惑」
そう言って立ち去る。原因は自分だと気づいてはいないようだ。
「……なんなの……かな……?」
有紀には疑問しか残らなかった。
そして、昼食である。一同は朝の教訓を生かして窓側の有紀の席付近で食べる。他に隅に位置したものがいないため仕方にともいえるが、
「うるさい」
当然、自分の席で食べていた舞華を怒らせてしまった。
「はぁ、この世には他人の迷惑を考えられる人間はいないわけなの?まあ世の中なんてモウラ様でも変えようのないものだから仕方ないとしても人間くらいちゃんとしていて欲しいものね」
そう言って教室を出て行った。
「…………モウラ様?」
当然だが疑問に思う翔平。確かに、なんだろね〜、と英次にかなたの二人が続く。
「モウラってのはあいつが信仰してる神様のことらしいぞ」
柿崎が言う。この男は本当にかなたが好きなのかと言う疑問はきっと全ての人間が抱くだろう。
「かみ……サマ…………?」
有紀には信じれないものがあった。あの舞華がそんな神秘的なものを信じるとは思えなかったからだ。
「ああ、神様だ」
「なんかあやし〜ねぇ、どこの宗教なんだいっ?」
「それは分からない、ただひとつ分かっているのはだな」
柿崎が息をついて、皆を見回す。
「なんなんだ、もったいぶらないでくれ」
真直を含めメンバー全員が興味を向け、聞き入る。
「それは、あいつが開祖ってことだ」
『え〜〜っ???』
見事に、ハモった。
「開祖ってあの?」
「ていうか、あれが?」
正しい疑問ではある。
「ああ、あいつが開いた宗教で、あいつの親を通じて結構広まったとか広まってないとか」
「あいつの親は何者なんだ?」
「どっかの神主」
「…………」
「まあ、結論として、奴には一般常識は通じない。それだけは確かだぞ」
「……もうひとつ分かったことがあるよ」
要が意外なことに気づいてしまったという表情で言った。
「……僕たち、仲間内だけで会話しすぎ」
…………。痛い沈黙が流れた。
「ま、まあ確かに」
「そっかな〜? あたしは結構話す方だけどっ」
「竹島はあたりまえだろ、俺なんか心当たりが多いね」
「英次は無口すぎる」
「ま、真直に言われたくないなぁ」
「あ、あの……」
「有紀はしょうがないって」
「でも……、あんな目立つ人が一緒のクラスなのに気づかないのは……」
「気をつけようか、今度から」
要は笑っていた。この生活がまんざらでもないらしい。この時、彼らの付近に、つまり窓際に生徒がほぼ全員集まっているのに誰も気づかなかった。
そして、一日の授業は終了して、皆が帰路に着いた。教室には何故かいつものメンバーしか残っていない。
「なあ、みんなついてきて欲しいところがあるんだが」
翔平がいきなり言い出した。
「どこに?」
「内緒だ」
翔平は笑っている。まあ、全員どの部活にも所属していないので断る人間はいなかった。
「よし、じゃあ決まりだ」
そう言って、学校を出た。翔平は黙って、しかし楽しそうに歩く。
「どこ行く気だろっ?」
かなた が英次、柿崎に聞く。
「さあ?あいつの家だったりしてな」
「そういえば、あいつの家知らねえな」
「何か家庭の事情でもあるんですか?」
「さあ? 聞いたこともないがね」
「本当に、あいつの家の事は何にも分からないんだ」
「謎、なのか」
「うん、うわさは多いんだけどね」
「うわさ?」
「ああ、そういえば多いな。親父が社長だとかヤーさんだとか。母子家庭だってのもあったし、挙げたら星の数でも足りねえ」
謎は深まる。歩き続けて住宅地の大通りに出た。
「もしかして、本当に家?」
「なら、何故いまさら? 女子組を連れて?」
「だよね〜。ん? あれって」
かなたがあるものに気づいた。
「……黒木さん? 家こっちの方なのかな? って、あっ」
横断歩道を渡る舞華に大型トラックが近づいている。舞華はそれに気づいた、が。
「…………」
無表情に、いや、視線に何かを込めて見た。それだけだった。
「えっ?」
「あぶなっ」
「馬鹿者!!」
「うわっ」
「げっ」
「…………」
見ていた全員が声を上げただけだった。一人を除いて。
「あ、おい!要」
要が走り出した。横断歩道まで十数メートル。間に合うわけがない。
「くっそっ!!」
だが、要は追いついた。追いついて、舞華を助けることができた。
「はあ、はあ、はあ、ふう」
息も絶え絶えな要。舞華は驚いたように要を見ている。
「なっ……、なんなのあなた……?」
「クラスメイト」
要は当然のように笑って答える。その際、かなた、英次、柿崎は有紀と真直の殺気に耐えるしかなかった。
「おかしい……、時空断絶が効かなかった? それでもこの人は? モウラ様の力を上回るとでもいうの……?」
ひとりでぶつぶつ言っている。完全に自分の世界に入る舞華。
「けがはない?」
要の問いに舞華は笑顔で答えた。
「はい、大丈夫です。要様」
世界は(少なくとも有紀と真直の世界は)止まったかと思われた。
「……あれっ? 翔平はどこだいっ」
かなたがごまかすように言った。のだが翔平は消えていた。
「さあ、先に行っちまったんじゃねえか?」
「う〜ん、そうかもねっ。じゃ、帰ろ帰ろ〜」
こうして、メンバーは分かれた。かなた以外は翔平を哀れんだだろうが有紀と真直にそんな余裕はない。
「…………」
二人は要の後姿をぼ〜っと見つめる舞華に全力の殺意を送っていた。
翌日、生死の境を彷徨ったにも関わらず、舞華は元気だった。
「おはようございます! 要様!」
いや、舞華なのかどうかは疑問である。
「お、おはよう」
戸惑いつつ返事をする要。かなた、柿崎、英次、有紀、真直は沈黙。今日は昨日あれだけ言われたのだからと窓側最後列のかなたの机付近を陣取っていたのだが、それでも、舞華は来たのだから驚きだ。
「いい天気ですね」
気持ち悪いくらい微笑を浮かべる舞華。もはや別人と化している。
「そ、そうだね……」
驚きで要は青ざめる。それに気づかず、舞華は立ち去った。
「……ぷはぁ〜、空気重かったぁ〜っと」
最初に音を上げたのはかなただ。
「なんだありゃあ? ついに神でも乗り移ったか?」
続いて柿崎、もしそうでも違和感無しの変化だと有紀は思う。
「なんなんだろねっ?」
「さあ? 少なくとも……」
「うぃ〜す」
柿崎の、たぶん無駄な話を遮り、翔平が現れた。
「どうしたんだよ昨日は〜?」
翔平が問う。昨日とは彼が消えたときのことだろうか。
「どうしたって、消えたのはお前じゃねえか」
「そうか? まあいいさ」
会話が途切れそうになる。ここで、一同が気になっていることを真直が訊いた。
「それで、昨日はどこへ連れて行こうとしてたんだ?」
少し考えるかと思っていたが、翔平は笑って即答した。
「ゲーセン」
…………。重すぎる沈黙が流れた。
「はあ?」
最初に声をあげたのは、なんと英次だった。
「お前、まさかまたたかる気だったのか?あん時が最後だって言ってたじゃないか」
珍しく、英次が感情を出しているような気がする。
「いやあ、最近ピンチでさ」
「ふざけるな!」
これは本気で怒っている。だが英次がここまで怒っているのに疑問を持つのは有紀の他に真直だけのようだ。
「おぃ〜す。お? 喧嘩かぁ?」
教室に入ってきた担任つかさのおかげで、英次は掴みかけていた胸倉を離す。
「わあったって、反省してるから」
「もちろんだ」
英次も落ち着いたようだ。クラス中が注目していたようだが、全員席に着く。英次が行く前に有紀が聞いた。
「ねえ、いくらくらい貸してるの?」
すると英次が苦笑しながら答えた。
「十五万六千五百ニ十円」
有紀の気が遠くなった。
英次に聞いた、翔平という人間。ムードメーカーであり、人を助けられる人。いつも人を助け、陰から応援していて、茶目っ気のある人間。彼が困っていると、思わず恩を返したくなる。そんな人間。だが。と英次は続けた。いつも一歩下がった場所にいて、後ろから観察しているような奴。と有紀はそう聞いた。そう、聞いていた。
そして、昼。いつものメンバーの、いつもの会話。
「えっと、悠二君。それで、昨日のなんとかアンケートって、他の人はどうだったの?」
有紀が気を紛らわすために聞く。
「へぇ、綾音がそんなことを聞きたがるとは」
柿崎が、引きつった顔で、答える。
「私も聞きたい」
そういったのは真直だった。
「じゃあ発表するぞ。対象は同学年男子、内容はこの高校に入ってよかったと思わされた女子だ。ベスト三まででいいか?」
柿崎が横をちらちら見ながら言う。
「いい」
真直が答えた。
「じゃあまず、ベストスリー、これは、まあ驚きだろうな。いや、当たり前か?竹島かなた。俺らのよく知るかなたさんだ」
この会話はかなたには聞こえていない。
「だがこの場合、俺達の知るかなたさんで無い場合が非常に高い」
「どうして?」
「うちのクラスの奴は、あまりかなたさんに入れていないからだ」
「だから、どうして?」
有紀は混乱してくる。心当たりが無いわけではないが……。
「笑い上戸なところはプラスで見られているが、テンションの高さについていけない、と言うのが多い意見だな」
「なるほどね」
真直は納得しているが、有紀は安心していた。
(オタク趣味じゃなくてよかったね、かなたちゃん)
と。
「続いて二位、これは、発表していいのかねぇ?」
と言って真直を見る。当の本人は。
「もったいぶるな」
と言っているが、柿崎が遠慮しているのだ。なにかあるはずである。
「じゃあ、二位。あ〜、綾音有紀」
「はあ?」
「な、なんで?」
真直、有紀は驚く、当然だ。内気な有紀が何故?グループの全員が思うであろう。
「いやいや、これがなかなか人気あるんだぞ、お前は」
「どうして……」
動揺する有紀のとなりで、真直が口をパクパクさせている。なかなか珍しい絵面だ。
「まず、容姿。見た目は控えめそうだが可愛い。このレベルはなかなかいないね。それに加えて、一番多かった意見が守ってやりたくなる、ってのが全部物語ってる」
「ふぇ……」
有紀はさらに動揺した。可愛い、と確かに柿崎に言わせたのだ。
「負けた…、有紀に…」
真直がなにかぶつぶつ言っているが有紀には聞こえない。
「そして一位、これはお前らは知らないだろうな。宮門希澄、となりのクラスの女子だ。どこかの社長令嬢らしいが、とにかくぼ〜っとしている感じでな。なんというか、現実離れしてるというか、不思議な奴なんだよな。そのくせ、めちゃくちゃ可愛い。まあ俺にはどう頑張っても中二くらいにしか見えない程度なんだよな」
「宮門希澄……、ミヤカドグループの令嬢のこと?」
ここで口を挟んできたのが、この会話を始めた原因である。かなたや要たちと話していた人間、黒木舞華だ。何故か分からないが、無理やりこのグループに入り込んできたのだ。
「知っているのか?」
意外そうな顔をする柿崎。無理も無い、舞華が自分から話に入ったのだ。ここまで(主に要のみだが)人を巻き込み一人で喋り続けていたのだから。
「うん。ミヤカドグループって、いろんな分野でやってるグループ企業でしょ? なんかこの前もうちのお父さんとこに来てたみたいだけど、うちみたいな神社で何の商売しようとしてるんだか。とりあえず、多方面ってだけじゃなく海外にも支社があるくらいだし、会社としての規模は相当なものなはずよ。なにせ、私んちよりお金持ちだから」
一部自慢があったようだが、誰もそのことに気づかずにただただ驚いていた。
「…………」
「何呆けてるの?」
「いや、凄いなあってっ。そんなに他の人のこと知ってるなんて、ねえ?」
「うん、確かに。でもそれって僕たちのせいじゃ……」
「ストップ、昨日の話はごめんだよっ?」
彼らの人付き合いの狭さの話はかなたによって止められた。
「でさっ、さっきは何の話してたのさっ?」
「えっ……」
話を逸らすために言ったのだろうが、言って良いのか有紀は迷った。が、柿崎が直に答えでしまった。
「俺が昨日言ってたアンケート結果を発表してたんすよ」
「へえ。っで、どうなんだいっ?その結果はさっ」
本当に話を逸らすためだろうか?
「三位かなたさん、二位綾音、一位宮門希澄です。だからいま宮門の話になったんですよ」
ひとりひとりさまざまな反応を示したかなたは、最後には口をあけていた。
「凄いなぁ。でもほとんどあたしの予想とおんなじ順位だ。やっぱ控えめ系の方が人気出るのかなっ? 有紀に負けちゃったよ。でもあたしがここまで上かぁ。まあ希澄さんは当たり前かなっ? お嬢様属性は希少価値だしねっ。でもさ〜、これってある意味統計にならないかな?」
「なにがです?」
「男子の属性の統計だよっ。いやね、これでもあたしは普通の女子高生だと思ってるんだ。だから普通でも結構上だけど、やっぱ最後は萌え属性かな〜って」
「なんとっ? そこまで分かってるのか? 確かに上位ランクは萌え属性なるものが多いと言う意見は多々あったのだが、五位と六位の黒木舞華に坂石鏡子はいわゆる元祖ツンデレ系、なれればデレっとしてくるタイプ。さらに七位の谷崎真直は直でロリだから間違いは無いね」
「そこまで来てるならクールでスレンダーなのにどこか抜けてる娘もいそうじゃないっ? 無反応、いや無関心っていうか、感情表現が苦手っていうかそんな感じの娘っ」
「この調子なら八位か四位にきているはず。確か八位は氷室麗奈、四位は桜戸歩。その二人の可能性は高いっ!」
「よし、調査を頼むよっ、柿崎軍曹!!」
「アイアイサー!!」
言うや否や柿崎は弁当をかっ込み、教室を飛び出していった。幸いにも、かなたのオタク属性に気づいたのはいつものメンバーだけだった。
「なんていうか……」
要が笑ってつぶやく。
「今日も平和だね」
まったく、有紀も同感であった。というか全員、それ以外に考えられないほど二人の勢いに押されていた。世界は今日も平和である。
放課後、翔平が話しかけてきた。
「お前に話したいことがある、ついてきてくれ」
唐突だった。しかし思い当たることならある。
「……いいよ」
少し考えて、有紀は承諾した。ちなみに授業風景がないからといって、彼女らが勉強していないわけではない。勉強が得意なものは多くないが。
「…………」
有紀は黙って翔平のあとをついて歩く。ついたのは見たことのない神社だった。この間きたことのある住宅地を抜けた所にあって、とても大きな神社だった。よくみると住宅地と商店街の境目に位置する土地にある神社は、どこか古くからある建造物特有の時代を超える雰囲気を漂わせている。
「さて、何から話そうか」
そう言って翔平は振り返った。振り返った翔平は見たことのない表情をしていた。
「じゃあ、まず俺達の正体からだな。あっ、俺達っつっても、要や英次とかは関係ないぜ?」
どういうことだろう、と有紀は思っていた。何もかもが繋がらない。
「俺達は、なんていうんだろうな。この神社の神主の部下っていうか……、まあ意味合いは間違いじゃ無いはずだからそうだな。神の使い魔ってモンだ」
「神の…使い魔……?」
「そう。詳しいことは分からないがな。それを前提として話させてもらう。別に理解されようとはしてないからな。知ってもらえればいいんだ。そんなものだとね」
有紀は、訳が分からなくなってきていた。
「まず、この神社の神主は酷く親バカなんだ。それから全てが始まる。この家はすげぇ金持ちだ。だから娘には全てを与えてきたんだ。神社ってだけで金持ちなのは驚きだが、それも俺達神の使い魔の存在と、祭っている神の能力のおかげだ。それで、その娘はその全てを継承する資格があった。だからなんだが、その娘は命を狙われることが多くなった。だがバカの付くほどの親がほうっておくわけも無い。そして娘の命を狙うものは娘に気づかれる前に始末されていった。神の使い魔によって。だがその組織力にも限界があったんだ。一度、娘は本当に死に掛けた。その時、一人の男が神がかり的な力で娘を助けた。娘はその男を好きになったが、その男は神父だった。宗教の壁は大きい。はずだったんだがな、親バカの神主はそれすらもまげて、しかもそれを利用してさらに自分の神社を広げようとした。異なる宗教の合併によってな。事実、西洋と東洋の神の融合とでも言うべき、っていうかこれが歌い文句だったんだが、当時も話題になっていた。だがそんなときだった。神父が死んだんだ。娘の知らない所でな。いきなり現れて自分を助け、いきなり消えた神父のことを神だと思うようになった。そして、月日は過ぎて娘は高校生になり、親に少しだけ反抗するようになった。反抗期だな。それのおかげで神主の親バカは直ったんだが、娘の方に問題が出てきた。既に神の使い魔は組織としてはとても巨大なものになっているから命の方は問題ない。問題は少し前から、神として崇拝し続けてきた神父をいまだに追いかけていたってことだ。さすがに危ういと思った神主は神の使い魔を使って、神父を忘れさせる芝居を打った。ここまでで質問は?」
有紀の思考は少し混乱しながらも、翔平が伝えたいことだけは分かった。
「……その神父の名前は?」
「モウラ・ウェルヴィルト」
「……やっぱり」
「ははっ、そうかい?」
「じゃあ娘っていうのも……」
「黒木舞華だ。さて、そこまでわかったなら、次は芝居についてだ。芝居というのは昨日のトラックのことだ。全部こっちで仕組んでいたことだからな」
「……なんで私たちをそこに連れて行ったの?」
「お嬢が言ったからさ。俺達に邪魔だとね」
「なんでそれが……?」
「お嬢は、そうそう人と話さない。モウラを神と信仰、いや崇拝していたからな。関わることも稀なんだ。それなのにお嬢は自分の意思を伝えた」
まるで引きこもりの思考だと有紀は思ったが、口には出さない。
「だから、俺達、この場合は学校のな。俺達の中にお嬢を現実に引き戻せる奴がいる可能性が高かったから、モウラと同じように命を助けさせた」
「待って、もし誰も助けようとしなかったらどうなるの? それにあなたの存在は舞華ちゃんにはばれてないの?」
「ああ、それはどっちも心配ない。神の使い魔の存在はまだお嬢には知られていないからな。知られてるのは側近やボディガード位だ。それで、それを利用して運転手も使い魔だし何よりもしものときは能力が働く」
「……能力って?」
「企業秘密だ」
翔平は笑った。本当に面白そうである。有紀の気も知らずに。
「それで、なにが言いたいの?」
有紀は少し恐怖している、新たなライバルの背後にちらつく組織の力に。
「何も。ただ知ってもらえればいいんだ」
「どうして……?」
「俺の存在意義は、組織の俺にはほとんど無い。だが本当の俺は組織の中にある。だがお前には俺には無い存在する意味がある。そして、そんな人間に働く能力もある」
有紀には何がなんだか分からない、ついに有紀の脳の許容量を超えてしまった。
「ははっ、少し難しすぎたか? まあいい。俺達は要から手を引けって言ってるわけじゃない。うちのお嬢と、正々堂々勝負してやってくれ」
そうして、翔平は歩き出した。
「要のことは頼んだぞ。個人的には、つまり学校の俺はお前を応援してるからな」
最後にそう言い放って翔平は消えた。有紀は、しばらくその場を動くことができなかった。
「うぃ〜っす」
翌日、有紀は登校中、ちょうど商店街の辺りで翔平に声をかけられた。朝方なのに何故だか人が多い商店街は、かなたと合流できる前に通る場所だ。おそらく狙いだろうと有紀は考える。
「……おはよう」
「なんだぁ?元気ねぇな。……あぁ、昨日の事、まだ考えてるのかよ?」
当たり前である。有紀はそれほど前ばかり見ている人間ではなく、当然、あのような事を忘れられるわけもなかった。
「……悪い?」
「いやいや、そうじゃねえって……。でも気にしても仕方ねえぞ?お前はいつも通りに振舞えばいいんだ」
「でも……、黒木さんとか……」
「だぁから、気にすんなって。俺ら使い魔は手ぇ出したりはしねえからよ」
「そう…か……、ありがとう……」
有紀は昨日の、翔平の言葉を思い出し、心から感謝した。たとえライバルの部下だといえども。
「だが」
「えっ?」
「注意はした方がいいかもな。今の所問題は無いはずだが我らが神の力がいつ発動しないとも限らないからな」
昨日は言われなかった事だった。
「え? えと……。つ、つまり……?」
「……神は実在する。もしかしたらモウラもそうなのかもな。そんで、お嬢はそれを、自覚無しで。いや、神はお嬢の願いを聞き入れるってとこか?とりあえず、お嬢には神の力がある」
およそ現実離れした話は、商店街の雑踏にかき消されている。
「…………」
そして有紀は驚愕していた。確かに信じがたい事である。
「ふう……。まあ心配すんな。俺らの神は悪霊じゃねえからよ」
そう言って、翔平は笑った。昨日のように。
「ほら、今日の話は終了だ。楽しい学校生活といこう」
そう言って翔平は前方を指差す。見ると商店街の出口の先、学校へ続く坂道が見えた。
「……あっ」
そして、その坂を、こちらに手を振り、駆け下りてくるかなたが。
「おっはよ〜有紀ぃ〜っ」
「お、おはよ。かなたちゃんっ」
「うのわっ」
止まりきれなかったかなたが翔平を突き飛ばした。
「あっはっはっはっ。おはよう翔平っ。ついでにごめんっ」
悪びれた様子も無く詫びるかなた。
「み、みぞ……、入った……」
何故かわき腹を押さえて言う翔平。有紀は、確かにそこに日常を感じて、静かに笑った。
「それがね〜、昨日は大変だったんだよ〜。いつもの道で事故があったみたいでね〜、遠回りしたら知らない道へ!!なんとか家にたどり着いたけど、びっくりしちゃったな〜」
元気そうにしゃべっているのはかなただ。登校中、翔平を突き飛ばしたのに、やはり悪びれた様子は無い。
「そうそう、昨日と言えば……」
「よぉっす」
舞華が話しかけて、それを遮ったのは、最早定番となりつつある柿崎だった。
「おっ? 柿崎軍曹。昨日の結果はどうかなっ? 言われたとおり、一日待ってあげたよっ?」
昨日、とはアンケート結果のことだろうか。有紀は、すっかり忘れていたが。
「もちっスよ。十位まで、ファイルにまとめてきました」
「ほほぅ、どれどれ……」
――――――まる秘!!柿崎調査ファイル――――――――
一位 宮門 希澄
宮門グループの令嬢。緑がかった長髪。碧眼気味の瞳からハーフであると予想される。とても背が低く、中学生と言われても違和感有り。普段からどこか抜けていて、宙を見つめている事が多い。たまに不思議な言動にて、周囲を唖然とさせるも彼女の笑顔にて流される事となっている。校内に大規模な親衛隊もどきのファンクラブ有り。何故のこの高校なのかはいろいろうわさがあるが学力の必然と言うのが最も有力である。
二位 綾音 有紀
なんの変哲も無い女子高生、のはず。容姿は人並み以上。スタイルは以下気味でいわゆる貧乳。だが内気すぎるその性格は活発系とは違い守ってあげたいと言う意味ではとても高得点。一途な恋を見守るのは天然のアニメ視聴気分との声もあり。入学直後の居眠り姿に萌えたとの声も多い。
三位 竹島 かなた
活発な少女。一部活発すぎるとの声もあるがそれもプラスとして見られることも有り。とにかく美人、見た目に言う事なし。強いて言うなら長すぎる髪が周囲への被害を広げるとの事。
四位 桜戸 歩
姿、確認できず。聞き込みの結果可愛いとの声が多い。図書室、保健室にいる事が多く身体は弱いらしい。
五位 黒木 舞華
黒髪ショート、目立たないが地味ではない容姿。と言うか可愛い。性格面で他人と関わる事は少ないため、この順位は見た目がほとんどであるほど。現在振った男は累計三十八人現在進行中。モウラ崇拝の電波系。他人をあまり信じていない模様。
六位 坂石 鏡子
茶髪気味のツインテール。派手な感じの可愛い娘。なかなか元気なタイプ。普段から氷室麗奈と共に行動していて、性格はおよそ真逆と言っても良い。強がりな傾向があるらしいが、甘えん坊な一面もあり。俺こと柿崎の中では一般的ツンデレ。大食い。
七位 谷崎 真直
超絶直線ロリ娘。感情に正直、と言うわけではないが自分の気持ちは隠さず伝える。超チビ、童顔、長髪。しかしどこか威厳の漂う不思議な少女。家事について、驚くべき事に料理以外は得意。
八位 氷室 麗奈
あまり感情を出しそうに無いクールな少女。冷静沈着、容姿端麗、男共には言う事なし。坂石鏡子とセットでいる事が多く、常に他人の事を考え、自分は二の次になりがちな性格。ショートヘアー。
九位 安藤 奈々姫
どちらかと言うと格好いいに部類される。性格、言葉遣いが男のそれであり、本物の男より強気で短気。しかし情に厚いという事が高人気。
十位 高柳 あおい
少し大人びて、美人、と言う言葉がよく合う感じ。生徒会所属。典型的優等生タイプ。普通にもてるが普通なだけに十位止まり。
―――――― 終わり ――――――――
「あっはっはっはっ」
読み終えて、真っ先に笑い出したのは、当然かなたである。
「なにこれぇ〜、属性無しほとんどいないじゃん」
意味不明なことを言い出すものだ。
「属性?」
「そう、属性。全員今あたしがやってる美少女ゲーの……」
「それ以上は言わない方が……」
とりあえず、有紀は止めておいた。続けさせるとまた暴走しそうだと思ったからである。
「あははっ、そうだったね」
てへへ、と笑うかなた。恥ずかしがらないかなたの分恥ずかしがっている有紀は顔がだいぶ赤くなっている。かなたのゲームに立ち会ったこともあるのだから当然ともいえる。
「……私が、料理以外は、だとぉ?」
「いやいやいや、聞き込みの結果ですって」
結果に不服そうな真直。なるほど、正直ではある。
「ふぅ〜ん、いろんな人がいるんだね。それで二位か。綾音さん、おめでとう」
微笑みながら要が言った。さらに有紀は赤くなる。
「っそ、そんなことっ、ない……です」
「この中の人間はマークしておけ、校内トップテンだからな」
「う〜ん、四位の桜戸って娘、結局情報無しなんだ」
「っていうかさっ、親衛隊って凄すぎだよ〜」
「あ〜、まあお嬢様だから……」
お嬢様、そう聞いて有紀はドキっとした。
「いいえ、そんなものよ」
舞華が言う。もしや気づいているのか、と思ったが翔平は気にしていないようだ。
「わたしにもそういうの付いてるし、ボディガード?みたいなのがね」
「へぇ、舞華も凄いんだ〜」
「っていうか、そんなに儲かるものなのか?神社って……」
「さあ? まあ少なくとも、神社だけじゃああれだけ稼げないわね」
「…………」
あれだけ、と言う言葉に一同は妙な重みを感じた。
「こっ、この大食いって言うのは、なんなんだ……?」
空気に耐えられず、勇気を出して話題を変えたのは英次である。有紀も内心褒めた。
「……大食いは大食いだ」
「……知らないのか?」
「……大食いだ」
「ああそう」
英次は呆れていた。確かに有紀も気になる事ではあったがそれよりも問題は、要を好きな人間が全員(と言っても三人、有紀含む)ランクインしていることだ。とても競争率が高い事を物語っている。
「なに見とるんや?」
そう言って、つかさが割って入ってきた。
「先生っ、なんですかいきなりっ?」
つかさの顔の真下に居た有紀が驚きの声を上げる。
「何って……」
そう言って親指で背後の時計を指差す。
「時間や。ほいっと、ホームルーム始めるでぇ〜」
タイミング良く、チャイムが鳴り響いた。
「……、うっし。ホームルーム終了〜。綾音、職員室ついて来い〜」
「……はい?」
有紀は驚いた。まさか授業中ぼ〜っとしているのが問題になったのか、と考えてドキっとする。
「びくびくせんでええよ〜、ちょいと話あるだけやし」
「は、はい……」
少しにやけ気味の表情が怖かった。そして、職員室。
「さて、なんや知らんがありがとな」
「はい……?」
またも有紀の時間は止まった。自分が異常なのか、周りが異常なのか分からないと思えるほどである。
「いや、綾音のおかげやろ?黒木が学校来るようになったのは」
「はい?」
有紀は、何の事だか分からなかった。いつも突拍子のない事ばかりである。
「あ〜、気づいてなかったんか? お前らんグループ行くまで、そない学校来る奴やなかったんやで?」
有紀の時間はまだ動かない。疑問ばかりが増えていく。舞華は不登校だったらしい。そして。
「私たちのグループ?」
「そうや。なんや?綾音中心のグループやと思っとったんやが違うんか?」
「いあえっ? ち、違います、よ?」
なんという誤解だろう。有紀に人を集める能力がある分けない。
「ふ〜ん、まあええか。とりあえずありがとな」
つかさの視線は変わらない。このまま誤解され続ければ、どんな大役を押し付けられるかわからない。そう思って、思った事を有紀は聞いてみた。
「そういえば先生。先生は関西の人だったんですか?いつの間にか関西みたいな言葉遣いになってますけど?」
そう言われて、つかさは恥ずかしそうに頭をかいて言った。
「いや、この県。つまり神奈川県民やし、関西なんていったことも無いわ」
「じゃあなんで?」
「……聞きたい?」
「はい」
「あ〜……、一つは、ワシが阪神ファンやってこと」
いいつつも、つかさの目は泳いでいる。
「……もう一つは、漫画」
「……はい?」
「そやから漫画。その漫画のフレンドリィな教師が関西弁やったから」
「…………」
有紀は、呆れた。
「はぅ〜、そんな目で見るなぁ〜」
顔を真っ赤にしているつかさ。内心笑いながらも有紀は職員室を後にした。
そして、下校。その後もつかさの視線を感じながら過ごした有紀は、心の中で大いに笑って過ごし、授業に集中できていない事に気づいた。
「はぁ〜、またテストダメかもなぁ〜」
そう思いつつ、一人で帰っている有紀は、背後に視線を感じた。
「……誰?」
だが振り返っても、居るのは黒猫だけだった。人影はどこにも無い。
「……?」
有紀は気のせいだろうと、しかし早足で家に帰った。
「さっきのなんだったんだろう?」
お風呂にも入り、自室にて宿題をやっていた有紀は下校時のことを思い出した。
「ストーカー、かな?」
ありえなくもない、が信じる事はできない。
「ストーカーとは酷い言われようだね」
有紀以外誰もいない部屋に、聞いた事のない声が響いた。
「誰っ?」
と、二階なのだが一応窓の外を見る。しかし、誰も居ない。
「こっちだよ」
振り返ると、ベッドの上に黒猫が居た。
「どうも、お嬢さん」
猫が喋っている。
「ひゃっ……」
「おっと、静かに。家の人に知られたら面倒だ」
そう言う猫には確かな威厳というか威圧感のようなものが存在した。
「始めまして、ボクの名前は、そうだな……。モウラ、そう呼んでくれないかな?」
有紀は、これが夢であると思った。
「ふふ、これは夢じゃないよ」
「っ! なんで?」
心を読まれている。
「ボクは神様だからさ」
最近変な事ばかり起こっている気がする。柿崎にしても、翔平にしても、一体なんなのだろうか。そして今、有紀の前には黒猫が一匹、喋りだして、自分を神だと名乗った。ありえない。
「……まあ信じてくれないのも無理ないけどね」
そして、この猫は有紀の心を読んでいるのだ。
「……ふぁ〜」
有紀はめまいがしてきた。
「いったい何なの〜?」
もう、泣きそうだった。
「いやいや、泣くほどのことでもないでしょ」
この猫は平然と言っている。
「いやっ、あっと。だって、猫が喋るって……」
「信じられないよね?」
コクン、と有紀は頷いた。
「でもね、この姿がボクの真の姿なんだよ?」
「真の姿……?」
翔平のおかげだろうか。いや、諦めからであろう。有紀はもうどうにでもなれ、と言った感じになっていた。
「そうそう、とりあえず受け入れてくれれば後は楽だからね」
「……真の姿って、何……?」
「ボクはいくらでも姿を変えられるのさ。黒木の娘を助けたときは人の身体を借りたりもしたしね」
「…………」
「信じてくれる?」
「……できませんよ、そんなこと」
「あっはっは、つめたいなぁ〜」
「…………」
なんかもう、有紀はどうでも良くなってきた。と言っても、有紀のレベルでなのだが。
「とりあえず、ボクは君のために来たんだから、その辺りは感謝して欲しいね」
「私の…ため……?」
「そう。八年前、要と言う少年と交わした約束を覚えてる?」
とりあえず信じてみるか、と有紀は思えた。
「……約束をしたことは」
「あれ……? 内容は?」
「それが……。すいません」
「忘れたの? あちゃ〜、ボクの仕事増えちゃうじゃないか〜。くそっ、あいつに見られたら大笑いされるな〜。腹抱えて転げまわったらどうしてくれよう……」
「…あいつ……? 仕事……?」
「えっ? いや、こっちの話」
「……そう」
これで猫が喋っているのでなかったら、神様だとは思えなかっただろう。この自称神様の猫は、どこか少年的な雰囲気を感じることができた。
「とりあえず、時間もそれほどあるわけじゃないし、約束の内容を思い出してもらわないとね」
「えっと、私って要君とどんな約束をしたんですか? 大切な事だって言うのは分かるんですけど……」
「それは自分で思い出さなければならない。そういう誓いになっているからね」
「……はぁ。ではどうすれば?」
「う〜ん。ボクにできるのはきっかけを与えるくらいだけど、まあ焦らないでいこうか」
「……はい。あの……、よろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げる。ここまで来ると夢でも神様なら、と有紀は思っていた。
「じゃあ、今は自分で努力していて。そうすれば、君の願いは叶うから」
そう言って猫は窓の外に跳ぶ。
「ああ。あと最後に、ボクをモウラと呼びたくないなら、ディス、そう呼んで。神様だと堅苦しいからね」
最後の最後まで、有紀は心を読まれていた。
「……はぁ」
そして、翌日。昨日の不思議体験からまだ抜け出せないまま、有紀は登校していた。ちょうど昨日翔平と会った商店街の入り口である。
「よぉ〜っす。ん? どうかしたのか?」
声をかけてきたのは、やはり翔平だ。どうもこの辺りか、有紀の家の方面に住んでいるらしい。
「……翔平君」
「ああ? まだ何かあるのか?」
「神様って……、猫?」
「はぁ?」
翔平は大きな声を出して驚いた。周囲の人たちも驚いて翔平を見たが直に自分達の目的へと戻る。
「なんだそりゃあ?」
反省し、声を小さくする翔平も、まだ動揺している。
「猫が……」
「……夢じゃねえか?」
だが、それは自分が話した神についてのことだからの驚きであった。翔平の表情は心底心配しているものだ。
「夢……かな?」
「たぶんそうさ。猫がどうのなんか聞いた事もねえ」
有紀は、頭の中で納得した。確かに昨日の記憶は曖昧なものになっている。事実と言う確信は、今では持つ事が難しい。
(何度言えばいいんだい?現実だよ。ボクは存在する)
「あひゃあ」
唐突だった。なんの前触れも無く昨日の声が頭に響いて、有紀は妙な悲鳴を上げた。またも雑踏の目を引く。そろそろ視線が痛いものとなりつつある。
(ど、どこに……)
(ここだよ)
なんとなく考えた事が、思念としてディスに伝わっているらしく、向こうから飛んでくる思念で会話が成立してしまう。有紀は一瞬恐怖した。こちらの考えは筒抜けである。
(ははっ、まあ思念はボクの意思でやり取りされるから慣れないときついけど、その内慣れるよ)
(うぅ〜、どこにいるんですかぁ〜?)
有紀は、周囲を見回すが、人ごみの中に黒猫は見当たらない。位置のつかめない相手からの声はとてつもない恐怖である。まあ猫相手なので、居場所をつかむのも気休め程度だが。
(下だよ、下)
言われて、下を見る。
「…………」
「おっ、黒猫だ」
居た。そして、忘れていたが翔平も猫に気づく。
「にゃあ〜」
ころころと有紀の足に擦り寄ってくる。こうしてみているとそこらの家猫より可愛いのだが。
「へぇ。お前の家の猫か? ずいぶんなついてるみてぇだな」
「ふぇっ? あ、うん……」
有紀は、とりあえずうなずいてしまった。この猫の事について聞こうと思っていたが、どうも本当に知らないらしい。
「まさか猫ってこいつのことかよ?」
そう言って翔平は笑った。
「じゃあ、俺寄るとこあるから先行くわ」
そう言って、翔平は走り出した。
「……ふぅ」
有紀は、やっと一息つけた。
「……どういうつもりです? こんなことして……」
「う〜ん、それが思ったより状況が厳しいみたいでね。君から五メートル以上はなれられないみたいなんだ」
もう思念を飛ばしてこないところを見ると、ディスは周囲の人間など気にしていない様子だった。
「どういうことですか?」
「有紀の八年前の約束のせい。って言うのが正しいかな?」
「……すいません」
「あ〜、別に謝る事じゃないけど、受け取っておくよ」
ディスは冗談めいた口調で言う。
「って、学校はどうするつもりですかっ?」
「ついてっちゃ駄目?」
「当たり前です」
猫をつれて学校なんて冗談ではない。周りの目も気になるし、教師に何を言われるか分かったものではないからだ。
「じゃあ。ん〜。そうだなぁ。好きなアクセサリーは?」
「っえ? え〜と、指輪……、かな?」
一瞬、要の顔が過ぎった。婚約指輪を連想してしまった有紀の顔は赤い。
「分かった。ちょっと待って」
そういうと、ディスは有紀の肩に乗り、目をつぶった。
「ふわぁ」
その瞬間、ディスが光りだした。と思ったら、それは指輪になっていた。
「…………」
そして、有紀は驚く事を忘れた。その指輪があまりにも美しかったからだ。宝石などの無駄な飾り付けの無い簡素なつくりだったが、その銀色の表面に刻まれた幾何学模様がそれに芸術を加え、さらにその指輪には太古の物品のような独特の雰囲気がある。不思議な指輪だった。
「これで大丈夫だよね?」
声がするのは手のひらの上の指輪からだ。
「えっ? あっ、はい」
「あ〜、忘れてた。商店街ももう出口だから遅いかもしれないけど、一応教えとくよ。ボクの姿は君を知らない人には見えないし、声は聞こえないけど、それだけだからね」
「……えっ?」
「……鈍感だな、有紀は。周りを見てみなよ」
辺りを見回すと、人々が、有紀を見ないようにしている。あからさまに。
「まさか……」
「…………」
つまり、周囲には有紀の声のみが聞こえていたのだ。変な少女の独り言のみが。
「…………」
「……ごめん」
有紀は、今までで一番顔を赤くした。
(あ〜、大丈夫?)
商店街は抜け、様々な生徒が共に歩いている坂道で、まだ薄っすらと顔の赤い有紀を心配してディスが心配して声をかける。この登校路は有紀を知っている生徒が多いので、思念によるものだ。
(…………)
有紀は無言で、ディス―――指輪を睨む。ちゃっかり左手の薬指にはめたそれを。
(……怒ってる…………?)
(…………)
またも無言の返答。これはついさっきだが、有紀がディスにそうさせたもので、相手に送る思念は自分の意思で送れるようになっていた。有紀の不機嫌は変わらないがディスにできる精一杯の償いである。
(……ま、まあ大丈夫だって)
(大丈夫じゃないですよ〜。もう歩けません、あの商店街)
するとディスが仕方なさそうに言った。
(しょうがないか、まあボクの所為だしね。明日、もう一度通ってみなよ、それまでになんとかするから)
(……当然です)
本当ならここで礼を言うべきだっただろうがそんな余裕は有紀には無い。他の生徒にも独り言の少女くらいは見られたかもしれない。
(ふぅ。……後ろ、気をつけておいたほうがいいよ)
ディスがそう言った直後、後ろから何かが飛び掛ってきた。
「おっはよう有紀〜っ」
「あひゃう」
有紀は驚いて、飛び掛ってきた者を見て、さらに驚いた。
「ご、ごめん。なんか元気なさそうだったから……」
飛び掛ってきたのは、舞華だった。当然、有紀は動揺する。だがそれを舞華は別の意味で受け取ったらしい。
「……本当に元気なさそうだけど、大丈夫?」
舞華は心配そうな顔で有紀の顔を覗き込む。
(……誰?)
(さあ?)
舞華は、有紀はともかくとして、神様まで疑問に思わせる変容振りだった。
「おはよ〜、みんな」
舞華は、いつものメンバーで朝の雑談をしていた一同を沈黙させた。かなた以外は誰?と言う疑問を持ったであろう。
「おはよっ、舞華っ」
平然と返せたのはかなただけである。
「……よぉ、黒木…………」
あと、一応返せたのは柿崎くらいだった。
「……どうしたんだ?少しおかしいぞ?」
そして、平然とこんな事を聞けるのは真直である。
(まあ、ボクは分かるけどね)
(ふぁっ。み、みんなと居るときは黙ってるって約束じゃないですか〜)
声を上げそうになった有紀は、ディスに怒る。
(ああ、ごめんごめん)
すでに有紀が、ディスの思念に慣れているのは驚くべき事だ。
「あ、やっぱりおかしいかな……?」
ショックを受けたように舞華が言う。
「……ああ」
真直の正直さに、一同は肝を冷やされる。
「……いや、もう大丈夫かなって思ったんだけどね」
舞華が、窓の外を見て寂しそうに言った。
「わたしさ、みんなと会ったとき、実は怖かったんだ」
既に舞華の空気はいつもと違っていた。
「要様が助けてくれる前から、楽しそうで羨ましかった。それから、あの日、あの事故から助けられて、もう我慢できなくなった。でも、みんなと付き合って、まだ少し怖かったから自分を隠してた。だから、もう大丈夫かな?って思って、本当の自分を出そうと思ったんだけど、まだ早かったのかな?」
そうか、と有紀は思った。そうか、だからあんなに強く当たったんだ、弱い自分を見せるのが怖かったんだ。っと。でもそれは逃げである。
「……馬鹿かお前は?」
空気を読まず、このような爆弾発言ができるのは、真直くらいである。
「…………」
舞華は泣きそうだ。最早別人である。
「怖がることに意味なんてないぞ?」
だが、舞華は真直の言葉に泣く事は無かった。真直のそれは、馬鹿にしているのではなく、何故だか知らないが怒っているものだったからだ。
「本当の自分を出さないでどうする?思うだけでは、何も変わらない」
有紀は、いつかを思い出した。真直に宣戦布告をした、あの日だ。あの時も真直は、同じような事を言っていた。そう、真直は本気なのだ。心からそう思って、伝える。
「自分を隠していたら、自分を見失うぞ。どんな時でもだ、自分は正直でいろ」
真直はどこまでも本気である。とてつもない説得力だ。
「……そう、か。じゃあ、今日から、本当の自分を出す。もう一人のわたしは、捨てる」
「捨てる?」
「なんていうのかな? 二重人格みたいなものなんだよね、わたしは」
「ふっ。不思議な奴だな、お前も」
「それは御互い様だよっ。それにありがと。でも……」
「……ああ、分かっているさ」
この時は有紀も、舞華が言いたい事は分かった。
「要様は渡さないからね」
「う、うるさい。要は私のものだ」
「わ、私も負けませんよっ?」
思わず声を上げていた三人は互いに見合っていた。
「っく、ははははははは」
「あはははははははは」
「ふふっ、あはははは」
そして、三人は笑いあった。三人目の、ライバルの誕生だ。
「あ〜……、もうええか?」
そこで、つかさが遠慮しつつ声をかける。チャイムが鳴ってから五分が経っていた。
そして、翌日。昨日、つまり舞華が吹っ切れた日は、あの状態の舞華のまま、一同笑って過ごしていた。舞華は、一際積極的にみんなと話していた。そして、今日。
「……おはよう」
戻っている。むしろ以前より暗くなっていた。他人を無視しつつ、普段のメンバーにのみにうつむいて挨拶をして、舞華は自分の席へ向かう。
「……何?」
「さ、さあ?」
一同は困惑する。そんな中有紀は、ディスの笑い声を聞き、何か知っているのか聞こうとしたが、やめておいた。笑ってあしらわれるのは目に見えているからだ。
「……何? その目?」
一同の困惑の表情、と言うか柿崎の馬鹿面を見て、舞華は怪訝そうに言った。どこまでも不機嫌そうな、あの舞華である。
「……まさか、あの子、いや、え〜と、昨日のわたし、何も言ってなかったの?」
舞華はややこしそうにややこしい事を言った。
「えっと、本当の自分がどうとか……だよね?」
有紀は言って、周りに同意を求めたが、さらに不機嫌になる舞華に黙殺された。
「……あ〜あ、説明したって言ってたのに。何やってんだろあの子、全然伝わってないし。まったく、久々に出てきたんだから仕方ないけど、もう少しシャキッとして欲しかったな〜。あっ、舞華の事だから無理に決まってたか」
陰鬱につぶやく舞華?の言葉に一同、さらに困惑。
「え〜と、わたしが二重人格とか、聞いた?」
舞華?は面倒臭そうに話し始めた。今までの舞華とも、昨日の舞華とも違う雰囲気がしている。その気配に、一同はビクつきながらも逃げる事はできず、黙することもできない。
「は、はい。二重人格とは言ってましたよっ」
翔平が上がり調子で返答、どうやら想定外の出来事らしい。
「じゃあその先か……。え〜、とりあえず信じて、わたしは二重人格なの。昨日のわたしは、わたしの主人格」
有紀は雰囲気に流されつつも内容は冷静に理解できた。もっと不可思議な事はこの世のどこにでも存在する。その事はディスとの出会いで完全に分かっていたからだ。だが、他のメンバーは違う。
「……は、はぁ。そうですか」
全員、内容がいまいちつかめていないようだった。翔平すらも、おそらく知らされていない事なのだろうが、困惑の表情がはっきりと分かる。
「っで、今のわたしはもう一つの人格。でもあの子は引っ込み思案で人前に出たがらないからわたしが出てたけど、昨日は伝えたい事があるってんで昨日は一日、わたしは寝てたわけ。細かい質問は受け付けないわ。ここまでで理解して」
高圧的態度である。これ以上何か言おうものなら、この世が破滅しかねないオーラが出ている。だが、一同はただ納得していた。確かに説明が通ってはいるが、節々に穴だらけのこの説明で納得できるのは、やはり頭の程度が低いからである。有紀以外は、素で信じている。
「なるほど。それで、お前は舞華なのか? それとも、別なのか?」
そう言ったのは英次だった。
「……黒木美闇、家の人間はそう呼んでいる」
美闇は面倒臭そうに答えた。
「今日はわたしだけど、明日からは舞華か来るはず。でも、あの子が極度に恥ずかしがったり緊張したらわたしが出るから、その辺はよろしく。あとわたしはわたしとして存在するから、別人、て言うか姉妹みたいなものだと思ってもらうと楽。わたしは消えない。それとわたし達は片方が起きてたらもう片方は寝てるから、わたしが出てきたら多分その時の状況を聞く事になる」
言い終えると、美闇はこれ以上言う事はないと言った様子で、窓の外を眺め始める。黙っていれば舞華と変わらない見た目だがよく見ると昨日の舞華より髪がクセ毛である。いままでは無理をして直していたのだろうが今は寝癖すら直していないようだ。と言う事は舞華はストレートの可能性があるので、見分ける方法はそれかもしれない。
「……二重人格、か……」
要がつぶやいた。
「不思議な人もいるんだね」
笑ってつぶやく要。もちろん英次は呆れている。何気に英次は現実主義なのだ。まあ二重人格は信じざるを得ない、と言った様子だが。
「受け入れられるお前も十分不思議だよ」
英次はやれやれと言った感じに首をすくめて言った。
「だいたいお前は鈍感すぎる」
と英次は、有紀、真直、美闇を見て言う。何故美闇も、と有紀は思ったが、直に分かった。舞華は美闇の中にいるし、美闇も要を見るときは顔を赤らめていたのだ。
「……負けないよ、美闇……さん」
「えっ?」
美闇の気持ちに感づいて有紀が漏らした一言に要は首をかしげる。確かに鈍感だが、マイペース、と取れば聞こえはいいし、三人(四人?)はそう受け取っているはずである。この時、有紀は美闇が怖くてさん付けで呼んでしまった事は、有紀の胸の奥にしまわれることとなった。あの威圧感を忘れる事はなかったが。
そんなこんなで、今は授業中である。あの後の雑談は、要がいかに鈍感であるか、と言う事のみ語られていたが、男子対女子で司会進行かなたによる論争といった方がよいものとなった。無論、結論など出ていない。そしていつものパターン、会話(論争)中につかさによって中断され、ホームルームの後に授業といった流れで現在に至るのだ。最早これが一日の流れになりつつある。
(それにしても退屈)
授業中、いきなりディスが思念を飛ばしてきた。思念には前触れが無いのにそれを平然と受けられる有紀は、少し自分に呆れていた。
(黙っていてください、今は授業中ですから)
言いつつ、黒板に書かれているところを必死にノートに写す。自分なりの解釈や説明まで加えているので非常に遅い。
(あっ、また間違えてるよ)
(う、うるさいっ)
有紀は思念を飛ばしつつ、消しゴムを手に取る。すると、同時に薄らハゲの教師が黒板消しを手に取った。そして有紀が書き直して黒板を見上げ、続きを書こうとしたら黒板は白紙、もとい真っ黒になっている。
(……もう泣きそうです………)
(あっはっはっはっは)
(笑わないでくださいっ、しかもバカにしたようにっ)
言い合っている内に、一時限目は終了している。
(ほら、授業は終わったみたいだよ〜?あのハゲ、なんか言ってたみたいだけどいいの〜?)
本当に退屈らしい。このようなディスを有紀は見た(聞いた)事が無かった。禁断症状だろうか。
(……もう遅いです)
これで有紀はまた授業をまともに受けられていない。これが続くようなら、有紀の成績は相当危ういものとなる。ただでさえ普段も(主に妄想で)勉強に身が入らない事が多いのだ。そして、妨害が入るのならさらに絶望的になる。しかも、まだ問題はある。
「…………」
有紀は感情を隠せない。つまり、ディスとの念話による一喜一憂は、変人のように百面相を見せていたと言う事だ。いやでも人目は引くものでハゲ教師からはもちろん、周囲数人から白い目で見られている。もちろん有紀は気づかないのだが。
「……狂ってるのか……?」
有紀の背後で、美闇がつぶやいた。どうでも良いことだと感じているのだろうが、それでも妙に感じている様ではある。
「……でも、もういいや」
有紀は唐突に喋りだした。混乱しているらしい。それは小声であったが、美闇に聞こえる程度の呟きであった。
「……うん、きっと大丈夫ですよね。なんだかんだ言っても神様なんですから、そうでなくては困ります」
(神様……?)
美闇には聞こえた。有紀は確かに神様と言った。一人での呟きに聞こえたが、それにしても妙なものだ。
「……綾音」
「ふいっ?」
美闇が話しかけると、有紀は奇声を上げた。ますますおかしい。だが美闇は、自己の性格からそれ以上の追求はやめた。
「いや、いい。面倒臭そう」
「えっ?」
訳が分からず、有紀は目が点になっている。
「…………」
動揺する有紀の前で、どうでもよいと言い張るように美闇は居眠りを始めた。
(……なんなんですかぁ〜?)
有紀には訳が分からない。そんな時はディスに聞けばいい。そんな流れもできている。人に頼ってばかりで実に情けないが、有紀では仕方が無い。
(さあ? 美闇の方は怠慢だからね〜。自分の意思を伝える事も少ないし、不思議な娘なんだよね)
(心は読めないんですか?私みたいに)
(……う〜ん。面倒だからボクと有紀の関係も説明しておくかな)
(……お願いします)
有紀は時間を気にしながらも聞いておくことにした。
(まず、有紀が八年前にした約束がボクを縛っているんだ。その内容を言うのはボクにはタブー)
(だから思い出せ、と言う事ですよね)
有紀もある程度はついて行ける。その様子にディスも気を良くしたように話し続ける。
(そう。で、その期間が今から約二年後。それまでに約束を思い出して、さらにそれを実行する事。これがボクらのやるべき事だよ)
(なるほど)
(でもって、その契約が神様たるボクを縛って有紀から離れる事ができなくなっている。禁止事項に触れないようにするとこの程度の説明が限界だけど、その約束が世界を巻き込んでいるんだよね〜。早く思い出してもらわないと)
(もふぅ。大変ですね〜)
(ま〜とりあえず、神にも法律があるんだ。だからボクを使った近道はできない。それでも要が好きなんでしょ?なら頑張らないとねっ)
「はいっ」
思わず声に出てしまった。毎度ながら有紀は要の事となると頭のネジが数本はずれてしまう。だが、今回はタイミングが悪すぎたようだ。
「……まだ問題は出しとらへんよ〜………?」
授業中だ。つかさが、いやクラス中が有紀を見ている。最早またか、と言った様子になりつつある空気だ。
「はわわ。す、すみません……」
顔を赤くする有紀。無意識に握っていた拳は隠しようも無く、頭にはディスの笑い声が聞こえている。
「最近おかし〜よ有紀、大丈夫かいっ?」
そして気づけば昼食。有紀の奇行に心配してかなたが顔を覗き込んでいる。かなたの表情は笑っているが。
「本当に最近変だよ?いろんな事があって大変だったから気づかなかったけど」
そう言ったのは要である。もちろん彼に神様がどうとか、組織がどうとかあるはずが無い。だが確かにそれを抜いたとしても最近は変わった事が、正確には変われた事が多い。今までの八年に比べると妙である。
「……心配ないだろ。疲れてるだけさ」
素っ気無く言ったのは美闇だ。彼女は基本怠慢らしい。食事をパン一つで済ませていたのも、やはり面倒、の一言で片づけられてしまった。
「…………」
話題終了。普段ならこんな事は無いはずなのだが、皆黙々と食べ続けた。
なんだかんだ言ってこの日の学校活動は終了し、多くの生徒は帰路についている。その中に有紀はいた。空は朱色に染まり始めている。そんな空の下、有紀はいつもの商店街を歩いている。
(……大丈夫なんですか?)
ディスに思念を飛ばす。この時は流石に有紀も感情が出ないよう気をつけている。
(大丈夫って、成績の話だよね?)
(違いますよっ)
本当に神様なのかと疑いたくなる。まあ、喋る猫相手にこれは普通の猫ですと言う方が無理ではあるが。
(……要君の事ですよ。こんなんで私、大丈夫なんですか?)
自分と他の人を比べると、そう思わずにはいられない。
(ふふっ。大丈夫だよ、そういうものだからね)
そういうもの、その意味が分からないがディスが言うなら大丈夫だと有紀は思えた。何故なら、一応有紀は商店街を歩けるのだ。商店街の住民に何らかの事をしたのか、誰も有紀を覚えていないようすだったからだ。
(大丈夫、ですか)
有紀は、なら頑張ろう、と思い、安心感からかそんな事などどうでも良いと思えていた。きっと大丈夫だと。
そこには闇が広がっていた。どこまでも続く闇。その中の一筋の光の中、美闇は立っていた。
「……舞華ぁ〜、そろそろ起きなさいよ〜」
「あっ……。美闇ちゃん、学校、どうだった?」
闇の中から舞華が出てきた。
「あんた、ちゃんと説明してなかったじゃない。面倒だったわよ、あいつらに説明するの」
「ふふっ。でも楽しかった?」
ここに二人以外の人間はいない。ここでしか二人は会話できない。だからこそ、本音が言える。
「……うん。身体自体はあんたのものだからね。これ以上わがままは言わないわよ」
「でも、最後に一回だけって言われたときはわたしも驚いたよ?」
「わっ、私にだって未練はあるさ……」
美闇が少し赤くなった。こんな表情を見せるのは、ここにおいてもまれな事である。
「へへっ。でも、要様は渡さないよ?」
「……っふ。困った時は私を呼べよ? 面倒臭いのも嫌だが、ずっとここでも退屈だ」
「分かってるよ〜」
二人が笑いあう。対照的なようで、どこか似ている。姉妹が笑い合っているような光景だった。
翌日。
「おはよ〜みんな〜」
舞華は元気よくメンバーに挨拶した。予想どうり、不自然ではない普通のストレートヘアーである。
「えっと、おはよ舞華っ」
さっとかなたは返す。多分かなたならどのような状況においても適応できるだろうと思えるほどに不信感は感じられない。
「さ〜って、みんな揃ったことだし、次のイベントに進行しますかっ」
唐突、かなたが言い出した。他の人の発言を許さないほどすばやかったので、全員呆気にとられる。舞華の問題は、既に消え去っている。
「さぁ〜て、五月もいい感じに過ぎたし、そろそろ来たるイベントとはなんでしょ〜?」
一同沈黙。かなたは唐突に何を言い出すのかと、長い付き合いの有紀ですら疑問に思う。
「……ゴールデンウィークが過ぎた五月に何かあったっけ?」
「う〜む、六月にも何も無いよな?」
「……一体なんなんだ?」
真剣に考え込むメンバー。いや、それほどの事でもないと有紀は思っているのだが、ノリのいい面子である。
「……まさか、だよね」
そして、有紀には心当たりもある。と言うか、この先のイベントはそれしかない。
「ふっふっふっ。正解は出ないようだねっ」
かなたは精一杯笑うのを堪えた顔で言った。
「正解はっ、七夕だよ〜っ」
「…………」
やはり、と有紀は思った。それもそのはず。中学三年の時は無かったので忘れていたが、今までもこのような恋愛シュミレーションもどきのシチュエーションでバカ騒ぎをしたことがあったのだ。
「……それって、まだ全然先じゃなグェ」
文句を言いかけた翔平が拳を受けて悶絶。こうなっては最早手のつけようが無いのを有紀は知っていた。
「それでは、七月七日までに願い事を考えておく事。その日何曜日だっけっ?まあいいや。平日でもあたしんちでパーティーやるからよろしくねっ」
イベント開始。拒否する権利は最早無い。メンバーは流れに流されていくだけとなった。
(やれやれ、どうしましょう?)
(いいんじゃない? 楽しそうだし)
ディスまで乗り気である。有紀もどうでもよくなって、ディスを猫の姿でパーティーに出席させようか迷っていた。英次はこの時、驚く事は無かった。
そして、五月、六月は流れるように過ぎた。かなたにはディスのような能力や美闇と舞華のような不思議設定は無いはずだが有紀は自身が持てない。それほどに時は流れるように過ぎた。あっと言う間というのをこれほど実感できる事は少ないだろう。分かったのは徐々に上がるかなたのテンションのみである。それで今日は七月六日、七夕の前日だ。
「おはよっ。さあみんな、七夕はついに明日だよっ。準備はできてるかなっ? 明日が休みで良かったよねっ。あっ、明日は九時から家に来て。これ、家までの地図。有紀は分かるよねっ?さあっさ、明日が楽しみだぁ〜」
竹島かなた、テンション最高潮である。手にはタコができている。昔のようにゲームにてあらゆるパターンやシチュエーションをチェック済みなのだろう。何者も寄せ付けない満面の笑みが有紀には怖かった。
「ではっ、今日はこれにて解散。今日中にはあたし達一緒にいないほうがいいよっ。楽しさはできる限り我慢した方が大きいものなのさっ」
かなたがそう言い放ったのはお昼休みのことだった。
七夕当日。有紀は自転車でかなたの家へ向かっている。ママチャリのかごに入っているのはディスである。もちろん猫の姿で。
「……どういう風の吹き回しかな? ボクを参加させてくれるとはね」
皮肉気味の口調だが、楽しそうである。やはり精神は子供なのだろうか。
「……っで、この道は長い壁ばかりだけど、いつになったら家に着くんだい?」
そう、有紀はずっと壁伝いに自転車を走らせてきたのだ。
「……待って、ください……。もう少しで……門なはずです……」
有紀の方はバテバテである。もうかれこれ二十分は自転車を走らせている。
「あ〜。家、大きすぎない?」
「そういう、訳じゃ、無いん、です」
有紀は息が切れ切れになっている。
「ただ、ここ、坂道だから、時間がかかって……、ふぅ」
やっと、正門に着いた。まあ門があるような家だから、尋常でない事は分かる。と言っても、有紀の家の三倍程度だ。舞華などの真正お嬢様には及ばない。
「おお、来たね。もうみんな来てるよっ。さあ入った入ったっ」
門ではかなたが待ち構えていて、休む暇なく中へ通される。一応、西洋風の豪邸と言った趣ではあるのだが、神社である舞華の家に比べると見劣りする。ただおかしいのは有紀の感覚であり、豪邸である事は変わりない。
「さあ、ここが今日のパーティー会場さっ。と言ってもただの応接間だけどね。まあ少し模様替えはしたから大丈夫だよっ」
そう言って、なにやら大きな扉の部屋に入った。ここにたどり着くまでも四、五分かかっている。なのに、人はどこにも見当たらなかった。
「ん? ああ、綾音さん、おはよう」
ニコッと笑って言ったのは要だった。その所為で数秒、要に見とれていたが有紀は部屋を見回す。すると、その部屋には何も七夕らしいものは無かった。クーラーの効いたその部屋にあるのはテーブルの上に置かれた食べきれないほどのお菓子類、ジュース類、床の上に各種ボードゲーム。そして大型過ぎるテレビに。
「テレビ……ゲーム?」
そう、テレビゲームである。しかも新作から旧作、あらゆるメーカーのもの、有紀の知っているもの全て。いや、知らないものまである。
「よぉ〜し、始めるよ〜。星が出る夕方までゲーム大会だぁ。今日は一日雲ひとつ無い晴れらしいから安心して楽しんじゃってちょ〜だいなっ」
少し遅れて部屋に入ったかなたが言った。なんとまあ、七夕とまったく関係ないイベントである。流石の有紀も脱力した。
「じゃあまずは格ゲー大会っ。このゲームならトーナメントモードあるから大丈夫っ」
そう言ってガチャガチャとゲームの準備を始めた。
「……どうしたのこれは?」
「さあ? 夕方にはきちんと七夕らしいイベントがあるらしいがな」
真直は肩を竦めてそう言った。他のメンバーはやはり乗り気である。そういえばこの団体は何の集まりだっただろうか。
「じゃあ第一回戦、あたし対英次っ」
「俺っ?」
急な指名に驚きつつも、英次はコントローラーを握った。
「負けないからねっ」
そして、始まった。巨大な画面で繰り広げられる戦闘は、ワンパターンである。
「……夕方って何やるんだろうね?」
要がスナック菓子を食べながら聞いてきた。有紀、要、舞華の三人は既に離脱して、お菓子との戦闘となっている。
「なんでしょうね? お祭か、天の川を見に行くか、予想はいくらでもできますし……」
言いながら有紀は、この団体が何の集まりだったのかを考えていた。いつしか人が増え、有紀にとって驚きの設定を持つこの団体は、最初は要に近づくためだけのものだった。だが今ではこうして、有紀には大切な仲間になっている。この変化も大きい。要ばかり見ていた有紀があまり持っていなかった、人とのつながりだ。
「ふふっ、そう思えるのはいい事かもね」
その部屋に、ノックも無しに少年が入ってきた。金髪でクセ毛、碧眼で、猫のような雰囲気の少年である。
「おおっ、来たかいっ? 有紀の親戚なんだってっ? さっきはびっくりしたよ〜。金髪少年、なかなか可愛いじゃないかいっ。」
「えっ?」
(そういうこと。この姿のほうが楽しめるじゃないか。変身するのは少し疲れるけど)
有紀に思念が飛んできた。あきらかにこの少年からである。
「どうも、始めましてみなさん。ディスと言います。日本語が正しいか分かりませんが、ご了承を」
と、ディスは言った。完璧な日本語である。有紀は状況を悟り、呆れた。
「いいのいいの。さあ、その辺座って、適当にくつろいでっ。っほ、やるな〜英次」
かなたはゲームに夢中で辺りを気にしていない。
「へぇ、外人? 親戚ねぇ」
興味津々で翔平がディスに話しかけた。
「はい、欧州の方から来ました。日本に来たのは六年くらい前ですかね」
それを聞いて舞華は嬉しそうに言った。
「そうなんだ。わたしもね、その年に大切な人に会ったんだ」
「へえ、今はその人、何してるんですか?」
ディスが聞く。答えは分かっているはずだが。
「……死んじゃったよ」
「……そうですか、お気の毒に……」
「……ううん。こんな時にそんな事は考えないほうがいいよ。楽しもうよ」
舞華が精一杯感情を隠した笑顔で言うとディスは無言でうなずき、お菓子を食べ始めた。
そして、午後。今ゲーム大会の結果は、格ゲー、レース、二人プレイのシューティング、クイズゲームはかなたの圧勝であった。あまりにもかなたが強すぎるため、チートを使ってもかなたに勝てるレベルのゲームスキルを持った者はいなかったので、仕方なく午前のゲーム大会は終了。ボードゲーム大会へと移行した。ボードゲーム大会は全員に公平であった。と思われたが、どこにでも不運な人間はいるものだった。それが、柿崎である。
「なっ、また一かよっ。ふおっ、振り出しに戻るだと? 三回目だぞ……」
かわいそうですらある負けっぷりである。これで四回目の最下位は決定であろう。ここまで不運だと、悲惨なものだ。
「……ね〜、今何時〜?」
かなたがサイコロを振りながら誰とも言わず聞いた。ゴロゴロと寝転がって、ビリだけ決定ボードゲームを続ける。
「あ〜、三時半だね」
ゲーム大会で、珍しくかなた相手に善戦した英次が答える。すると、かなたはさっと立ち上がって、しまったと言ったような顔をした。
「もう時間の三十分前じゃんっ。急いで準備してっ、祭の時間だよっ。ああ、片付けはいいよっ。家でやっとくからっ」
そう言って、どこから取り出したのかかなたはリュックサックを持って、準備万端と言った様子である。用意周到、と言うか事前に知らせて欲しいものだ。そして、唖然とするメンバー全員の準備が終了するには十分かかった。
「それで、どこへ行くんですか?」
かなたの次に準備を終えた要が聞いた。
「この家の坂道を上がったとこにある広場だよっ。この辺じゃあ結構有名だけど知らないのかいっ?」
「知らないね……。う〜ん、聞いたことはあるかも」
「そんな事はどうでもいいさっ。用は楽しめればいいんだからねっ」
と、なにやら話している。有紀は、やっとチャンスが来たとディスに事情を聞いた。
「……なんのつもりですか?」
「ふぅ、言葉のままさ。楽しもうとしただけ」
微笑して答えるディスに有紀は少しイライラした。
「気まぐれはやめて欲しいですね。しわ寄せは、私に来るんですから」
「大丈夫。て言うか有紀よりうまくやれるよ。この姿での設定はあらかた紹介してあるし、つじつまは合わせてる」
「なっ……」
ディスは微笑をさらに大きくした。声を出さないのに精一杯と言った感じだ。むしろ顔では大爆笑。それほどに楽しかったのか、いや有紀をバカにするのが楽しいのだろう。
「……っ、ふぅ。まあボクも疲れたし、あとは指輪で参加させてもらうよ。人型は疲れすぎる」
そして、ディスは指輪に変化した。今回は何故か光は出ない。
(あ〜あ、疲れた。しかし、あいつはどうしてるんだろ? まあまだ登場ではないけど)
ディスの独り言であろう。有紀には訳の分からない内容である。
(……何の事ですか?)
(ん? いや、こっちの話。……あれ? 今のが聞こえたの?)
さらに訳が分からないので、有紀は無視しておく事にした。どっち道、内容は有紀にとって意味を成さないからだ。
「有紀〜っ。早くすれ〜っ」
かなたが呼びかけてくる。見ると全員準備は終えていた。
「あれ? ディス君は?」
「……疲れたって先に帰っちゃいました」
「ふうん。残念だねっ。これからが楽しいのにっ」
かなたに不信感は感じれない。本当に信じているようだ。いきなり人が消えても動揺しないものなのだろうか。
「まあいいよっ。さあ、岡の上の広場まで行こうっ。祭は四時からだし、時間もぴったしだよ」
いまだ三時四十分なのだが、まあ気にする人間はいなかった。かなたの勢いに逆らえなのが本音だろうが、全員そんな素振りを見せないので本気で楽しみにしている可能性もあるのが有紀には怖かった。少し異常なテンションだと感じるのは、有紀がドライ過ぎるからだろうか。
「うひゃあ、やっぱ人が多いねぇ〜。普通の出店ばっかだけど、なかなかな規模なはずだよっ」
かなたは相変わらず高いテンションのままである。この広場まで、三十分かかったと言うのに、体力的な疲れを感じさせない。
「うわぁ〜、すごいな〜。うちのお祭と同じくらいだねっ」
舞華が感嘆かどうかは分からないが感想を漏らした。舞華の家に比べられたら、上に回るものはほとんど無いだろう。だが、かなたの言うとおりなかなかに大きな規模で、舞華の神社での祭になんら劣っていないほどのものではあった。どこを見ても人、人、人。坂道の下ではあまり有名ではないとしたらどこからわいて出たのだろうか。
「さあみんなっ、楽しんでよっ」
かなたはそう言っているが、どう楽しめと言うのだろう。とりあえず一同はぶらぶらと歩き回ってみる事にした。
「……むぅ」
しばらく歩いていると、真直がある出店の前で止まった。それほど興味を惹かれるだろうか。
「おっ、それやりたいのかい?う〜ん、ちょうど良いか。ではっ、誰が一番取れるか競争しようっ」
その出店は、金魚すくいである。群がっているのは子供だけだ。見た目相応、真直は小学生のように水中を泳ぐ金魚を見つめていた。
「……金魚すくい、ね」
英次がなにやら呟いていたが、金魚すくいはスタートした。当然、有紀は一匹もとれない。と言うか、とれたのはかなたと英次だけである。かなたが数十匹、英次が一匹という結果だった。
「…………」
真直がうらめしそうにとれた二人を睨んでいる。それほどに欲しいものだろうか。すると、英次が真直に金魚を差し出した。やはり英次は真直を好いているらしい。
「あげる」
「……は?」
真直はよく分かっていないようだ。呆気にとられた表情をしている。
「この金魚、あげるよ」
「あ、ありがとう……」
真直はそれを受け取り ニコッと笑った。その様子は、とても幼い少女に見える。
「う〜ん、じゃっさっ。あたしのも貰ってってよ。皆好きなだけ持ってって。いい加減毎年こんなに取ってたら家の池もいっぱいになっちゃうからねっ」
かなたは、全員に三匹ずつ配って、残りの二十匹ほどを子供たちに配り始めた。それでも残ったのは持ち帰るようだ。
「……う〜ん、お腹空いてきたな〜。ねえ、焼きそば食べよっ」
あれだけお菓子を食べたのに、有紀も確かに空腹を感じていた。あの坂道の所為だろうか。
そして、夜は更けていった。出店で適当な食事を取った後、人通りは少なめのベンチで休む一同の手には金魚、水風船、頭にお面、さらにかなたの用意していたビニール袋の中には射的の景品が詰まっている。真直はりんご飴を食べており、英次も同じく。その隣で柿崎、かなた、翔平、舞華はたこ焼き争奪戦を開催している。ベンチには有紀と要だけ、有紀には絶好のチャンスだ。
「……ふぅ、楽しかったね」
要が話しかけてくる。今が夜でなければ有紀の顔が赤い事はばれていただろう。
「そう、ですね」
うまく言えない。有紀は自分が情けない。自分はこんなものかと。
「花火が無くて残念だよ。夏休みは楽しみだけど」
「……はい」
この状況だけで有紀はいっぱいいっぱいで、他の事など考えられずに生返事である。
「……大丈夫? 疲れたの?」
要が心配する。その顔を見て、有紀は頭が白くなってきた。
「だ、大丈夫……です」
そう言ったら、要は笑った。
「そっか」
「取ったぁっ」
良い雰囲気だったのだが、いきなり発せられた大声に有紀は驚いた。見るとかなたがニヤケ顔で最後のたこ焼きを食べているところだった。
「ふぅ、有紀っ、そろそろ家に戻るよっ。短冊は用意してあるから、戻ったら願い事を書くのさっ」
そう言って、たこ焼きを取られて泣いてすらいる舞華の手を引いて歩き出した。
「真直っ、いくよ〜。ほらっ、英次もっ」
真直は、もう一つりんご飴を買おうか、隣のわたあめにしようか悩んでいたらしかったが言われて渋々両方買って来た。代金を払ったのは英次だったが。
「さあっ、ラストイベントだよっ」
かなたは自転車で坂道を駆け下りた。一同も急いで追いかける。空には星が出ていた。輝く天の川、雲ひとつ無い空は本当にかなたの所為ではないのだろうか。
かなたの家に戻ると、広い庭には笹が数本、植えられていた。昼間は無かったはずである。
「人数分あるはずだからさっ。好きなの選んでっ」
言いつつかなたは、一番近くの笹に自分の短冊をかけようと奮闘していた。皆それに習って各々の願いを笹に託した。
「有紀っ、なんて書いたんだいっ?」
なんとかかかって、一息ついているところにかなたが聞いてきた。楽しそうに笑っている。
「私は、自分に素直になれますように。そう書いたよ」
「へえ、要君が好きになってくれるように。じゃないんだ」
かなたは少し意外そうな顔をしている。
「うん。好きになってくれても、今の私じゃダメでしょ?自分の思いを伝えないとね」
「ふ〜ん。他のみんなはなんて書いたのかなっ?」
かなたは、みんなのところを走り回る。有紀は、それに何か違和感を感じた。
夜十一時、祭が終わり、皆が帰った後。かなたは一人空を見ていた。
「……くやしいね………」
かなたの目には、涙が浮かんでいる。それは人前では決して見せない姿、人前では見せない感情だ。
「……いや、まだまだだよ……」
かなたは袖で涙を拭いて、拳を空に突き上げた。
「まだ……、終わらない……」
かなたの、自分が課した自分の存在理由。それももうすぐ消える。だが、まだ終わっていない。
「でも……」
存在理由。それよりも強い、だがそれにつながる願望。それがかなたの中で渦巻く。だが、自分の今のために、自分の意味を追ってしまうのだろう。
「……今が、続けばいいのにな……」
涙が一滴落ちる。月を雲が覆った。
「……有紀………」
ぽつり、と雨が降り始めた。だが、かなたは気づかない。
「大丈夫かな?新しいのも見つけたし……」
次、その次へと続けられるのだろうか。いや、続けなければならない。
「…………」
かなたは虚空へと目を向けていた。
祭、そういう表記もいいかもしれない。用は騒げればいいのだ。今出来るのはこの程度なのだ。まだ、時期は早い。
「……そろそろ出番かい?」
有紀宅の屋根の上、黒猫のディスが満月を見上げていっている。
「……いや、そう意味じゃないさ」
思念による会話である。おっくうな表情なディスは、不本意ながら仕方ないと言った感じだ。
「……分かってる。その辺は予想外だったよ」
そう、有紀が約束の内容を忘れているとは予想外な事である。神にあるまじき事態と言えた。その契約から言えば。
「じゃあ頼んだよ、テイニン」
そう言って部屋に戻ったディスは不機嫌そうな顔をしている。
「まあ、流れは戻ってきてる。大丈夫さ」
大丈夫、ディスは何度も呟いた
そして終業式の日。やはり時は流れるように過ぎた。だが時の流れは気のせいだとしても、有紀が全く勉強した気がしないのは気のせいではなく、相応の成績が出て、期末テスト同様に有紀へと帰ってきた。
「…………これって……」
有紀が黙りこくるのも無理は無いだろう。この成績では。
「あっちゃ〜、ひどいねっ。あたしの方はそこそこだったよ」
かなたは肩を叩きつつ笑った。何気に頭の良いかなたである。有紀以上に勉強しているようには見えないのだが学力も学年トップクラスでテストの結果も十六位くらいであった。人に努力を見せない性格なのか、もしくは金のかかった英才教育か。おそらく後者だろう。かなたと努力をつなげるのはゲームくらいである。
「……最悪だ」
苦虫を噛み砕いたような顔をする柿崎はもうお決まりなので誰も気にしない。
「ぐむむ……。ま、まあ良い、成績だろう……な?」
真直は苦しそうな顔をするほどだ。作り笑いが痛々しい。が、真直も当たり前の成績ではある。まあ真直は運動系の体力バカの表現が正しいような少女なので、その異常な運動能力でなんとかしているようだがそれも部活をやっていない今では無駄かもしれない。結局ダメダメさんなのだ。
「まあこんなもんだろ?」
「う〜ん。今年はチョイ危なかったが安全区域か」
とりあえず涼しい顔をしているのは英次と翔平だ。この二人は、微妙な位置で英次が中の上、翔平は中の下くらいである。ちなみに現在のんきに昼寝中の要は完全に真ん中あたりである。そして。
「……やった〜。学年三位だぁ」
黒木舞華、学年三位。これにはみな閉口してしまった。
「……なんというか、なぁ?」
「う〜ん、凄い、のか?」
柿崎と真直には最早理解できる範疇を超えているようだ。
「ありゃりゃ〜。負けちゃたかっ」
言いつつもかなたは気楽に笑っている。
「お〜し。じゃあ来学期まで、さいならや。ほんに頼むでぇ〜、くれぐれも問題起こしてうちの休み減らさんでくれよ〜。おっし、解散っ」
適当な雑談を中断させたつかさの言葉で一斉にみなが帰り始めた。有紀はやはりつかさの関西弁モドキを聞くと笑ってしまう。笑いを堪える有紀をつかさがチラリと見た気がした。
有紀は覚悟していた。この夏休み、どれだけの出来事が起こり、何がどう変わるのか。ディスの言葉からもいろいろとやる事を匂わせていたし、これで何も無い方がおかしいとも思っていた。だが予想を反し、夏休みは何事も起らずに過ぎ去った。そしてまた、いつかのように時は流れるように過ぎた。気づけば夏休みも最終日である。そして、有紀の宿題は終わっていない。
「……あれ〜? うう、分かんないよ〜」
「……まだ終わらないのかい?」
今日はまだ始まったばかりだ、本当に。ディスにバカにされながらも有紀は忘れていた宿題を片付けている。今は一応夏休み最終日だ。一応。
「もう、少しなんです……」
「今日ももう少しだけどね」
ディスが言うと同時、いや、コンマ数秒後だが、時計が零時をさした。夏休み最終日も終了だ。
「……まだ、朝まで時間があります……グスッ」
有紀の目には涙が浮かんでいる。まあ、一学期があれで、二学期も開始早々こんなではかなり成績は危ういものとなるからであるから、仕方ないと言えば仕方ない。
「無駄なのに……」
「なっ、無駄なんかじゃないですよっ」
ディスの言葉に有紀は立ち上がって反論した。図星だからこその、オーバーリアクションである。だが目に浮かぶ涙がなんとなく悲壮感を漂わせる。宿題程度と言ってしまえば終わりだが。
「無駄だね」
ディスは非情であると、有紀は感じた。だがディスの表情にある表情はあきらかに呆れだ。
「……そろそろ起きなよ」
「ふわぁいっ?」
気づけばもう朝だった。知らない内に有紀は机に突っ伏して寝ていたらしい。
「……え?」
もちろん、宿題など終わっているわけも無い。
「無駄だって言ったじゃないか」
「黙っててくださいっ」
有紀は急いで準備をして学校へ向かった。
そして、有紀はディスの言う無駄な事、の意味を知る。その一年目が、いつの間にかに過ぎ去った、その後に。
(ええ〜)
(何だよ有紀? 大声出して)
驚愕する有紀をよそにディスは淡々と言う。過ぎ去った時間などどうでも良いが、それでも早すぎた。
(いえ、だって、もう一年経ったなんて、何で? 何も無かったのに……?)
(そういうものなんだよ)
気づけばまったく勉強すらした覚えの無い有紀がてんやわんやしているよそで、当たり前のようにディスは言っている。神様だから当たり前と言えば当たり前だが。
(今年一年は、七夕で終了したの。有紀は自分が無力に思えたでしょ?)
全てを悟りきった口調でディスは言う。これも契約がどうのと言う事、と有紀もなんとか着いてはいけている。
(……はい、本当に私、何も出来てないなぁって、すごく思いました)
半年間を無意識の内に過ごしていたのだから、事実何も出来ていなかったのだが。
(次の学年からは大変だよ、やる事は多いからね。むしろ去年は準備期間さ。今年からが本当の勝負だから、あまり遊ぶ時間は無いかもね。やる事は決まってるけど)
「以上、これで式を終了します」
なんだかんだで、次の学年はスタートしてしまった。置いてきぼりなのは有紀だけである。
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2007/07/31(Tue)22:33:33 公開 / kurai
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■作者からのメッセージ
更新しました。
急な展開で大きく時系列が進んでしまいましたが、これは一応仕様なので……。
感想お待ちしてますよ。