- 『上半分の猫』 作者:水芭蕉猫 / ショート*2 リアル・現代
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全角2328.5文字
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原稿用紙約6.4枚
弟を兄さんと呼ぶ兄とナルシストな弟の話。電波。
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古臭いアパートの玄関を一歩入ると、お帰り兄さん。という声が聞こえたのでふとそちらを見ると後ろ手に両手と両足をビニールヒモで縛られた俺より年上のはずの暫定弟が床の上を尺取虫のように体をもぞもぞ動かしながらこちらへやってきた。
ふさいでいたはずの口のガムテープは、俺が仕事に行ってるうちに剥がれたのか自分でどこかにこすり付けて剥がしたのか、彼の頭の方に丸まった感じでべったりついていたので、そういえば今朝はいつも以上に朝鮮の陰謀がどーのとか宇宙からの電波がこーのとかぐちゃぐちゃと五月蝿かったので手足を縛りあげるついでに口もふさいでおいたんだということを思い出した。
「ただいま兄貴。大人しく良い子にしてたかい」
靴を脱ぎながら、床の上に転がって顔だけを俺に向けてにへらと笑う暫定弟実質兄にそう言ってやると、彼は今朝方自分が俺にされたことを忘れてるのか、労うような言葉を俺にかけてきた。
「もちろんだよ。それより兄さんお仕事お疲れ様でした。本当なら風呂か食事でも用意しておこうかと思ったけれど何故か出来なかったから兄さんには申し訳ないけれど自分でやってもらうしかないけれどそれでも良い?」
切れ間の無い長々とした文章を紡ぐ兄貴だけれど、意味は何となくしかわからない。もちろんそれは今に始まったことではないから「別にいつものことだから問題無いよ」と答えてやると、あぁそれは良かったと言ってから兄貴は「ありがとう」を連発した。
「本当は俺も兄さんと一緒に働いて家計に貢献したいところなんだけれども生憎俺は馬鹿だからそれは出来ないからとても心苦しいよ」
そういう彼に、俺は包み隠さず「良いよ別に。兄貴なんか働いたら俺までキチガイみたいに思われるから兄貴は部屋で大人しく待っててくれれば良いんだよ」と言ってやると、兄貴はそうだねぇそうだねぇと意味がわかっているのか解ってないのか大仰に何度も頷いた。そうして床の上で何度も頷いている兄貴の服の襟首を猫みたいに摘み上げると、俺は玄関から居間まで兄貴をずりずり引っ張っていった。
兄貴がおかしいのは何も今に始まったことではない。
俺がまだ幼稚園で、兄貴が小学生くらいのときから兄貴は既におかしかったように思える。一番思い出深いのは、猫事件だろうか。
今は既に兄のキチガイぶりに痺れを切らして出て行った両親がまだ一緒に住んでいた頃、兄が猫を拾ってきた。
但し上半身だけ。
その上半身もカラスかなんかに突っつかれたのか目玉は取れかけウジは沸き放題。汁なんだか体液何だか血なんだか肉なんだかよく解らないものをべちゃべちゃと滴らせたそれを大事そうに胸に抱いて帰ってきた兄は、母親に向かって開口一番「これ飼って良い?」とハエがぶんぶん飛び回る中それをキラキラした目で突き出した。
もちろん兄貴はしこたま怒られ、上半分の猫は兄貴が責任を持って、当時あちらこちらにあったどこかの畑に母親の厳しい言いつけどおり埋めてきたようだ。後で恐る恐る猫の下半身はどうしたのかと兄貴に聞くと、下半身は道路にへばりついてて取れなかったとか何とか聞いた覚えがあるが、何で猫の上半身なんぞを拾ってこようと思った兄の思考を俺は今でも理解する事が出来ていない。まぁ、理解できれば毎朝毎朝放っておけばどこぞへふらふらと出かけてしまうような放浪癖のある自分の兄を縛り上げて仕事へ行くということなどしなくて良いのだろうけれど。
兄貴は今、となりで眠っている。
手足の縛めは夕食の時に既に解いてあるから、前みたいに朝起きたときにヒモが食い込んで両手が壊死しかけてたとか言う事故は起こらないだろう。代わりに朝起きたら居なかったという事故なら起こりそうだが。
布団で寝転がりながらぼんやりいろんなことを思い出していると、暗闇で肩まで律儀に布団をすっぽり被った兄貴が隣で「兄さん」と俺を呼んだ。
俺はもう既に兄貴は寝ていると思っていたから、ほんの少し驚いた。黙っていると、「兄さん、兄さん眠ってしまったかい?」と兄貴が尋ねてきた。
兄貴が俺を兄さんと呼ぶようになったのは、親がどこぞに出て行って、俺がアパートを借りてやって、言動がおかしい兄の代わりに俺が働いて兄を養い始めた辺りか。
女よりも自分と同じ性別の男が好きで、尚且つ誰より何より自分が一番好きな俺は別に兄なんて存在はどうでも良かったが、誰かと結婚する決定や予定は過去も未来もさらさらない上、兄が自分に少し顔貌が似ているのが好きなのと、自分の足元で這い蹲る兄貴の姿が滑稽で面白かったのと、自分に似てる存在を手元に置いて飼うという行為が酷く楽しそうだったので、自分が家を出て働き始めるのを機にどこかの施設に入れる予定だった兄貴を半ば飼うつもりで強引に養うことにしたのだが、ある日仕事帰りにどっちが弟か解らんなと皮肉交じりに言ってやったら兄貴が「じゃあ、俺は今日から弟になるよ」なんてわけの解らんことを言い出して、それから兄貴は俺を「兄さん」と呼ぶ。
「起きてるなんだ?」
と、すこしタイムラグをおいてごろりと寝返りを打ち向き直ってそう尋ねると、彼は「あのときの飼えなかった猫は畑になったけれど、俺は死んだら何になるんだろうね」と突然真顔で尋ねてきた。あのときの猫というのは、多分あの上半身しかない猫のことなんだろう。確信はないが。
「墓石になるんだよ」と適当に答えてやったら「さすが兄さん」と兄貴は偉く満足げに笑った。それからいきなり「俺は兄さんと居れて幸せだよ」と何の脈絡もためらいも無く言ってきたから、「兄貴は墓石になるまで俺が一生飼ってやるから安心しな」と少し自分に似てる兄に笑いながら言ってやった。
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2007/05/29(Tue)23:57:45 公開 / 水芭蕉猫
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■作者からのメッセージ
お久しぶりですそして始めまして水芭蕉です。
一回投稿して下げてそしてまた投稿するというポカをしでかしましたが、多分これで大丈夫です。
猫の上半身だけを拾ってくる話のと、MとSとナルシストがない交ぜになった人物とのほんのりボーイズラブチックなのが書きたかったのです。そんな感じが出ていれば、幸いです。
お手柔らかにお願いします。