- 『正義の味方』 作者:もろQ / リアル・現代 ショート*2
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全角2132文字
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原稿用紙約6.1枚
駅ビル内にあるこの喫茶店は、十二時を過ぎるとたちまち混雑する。
ぼんやり光る照明の下、お客や店員の足音が慌ただしく行き交う。壁際に置かれた観葉植物が、天井から流れるエアコンの風に震えている。禁煙席の一角には、休憩中のOLや平日の買い物に来た主婦仲間などが目立つが、奥の方の席では女子高生がひとり黙々と携帯をいじっている。鞄をテーブルに置いて。
彼もまた、このシックな雰囲気の店内には不釣り合いな人物だった。眼鏡をかけ、淡いイエローのパーカーを身に纏う彼はおそらく十四、五歳の中学生である。紫の大きなリュックから取り出した勉強道具が、高校進学を控える受験生を象徴する。少年は周りのお喋りには耳も傾けず、一心不乱に目の前の数式と格闘している。シャーペンの音が、ノートの上を忙しく滑走していく。
勉強に貪る彼の肩にはライトが弱く降り注ぎ、その傍らで水を注がれたコップの底は寂しげにテーブルの木目を浮き彫る。
「ちょっと……」
賑やかな喧騒のなかに、突如、剣幕を帯びたような鋭い声が咲いた。少年はひとり顔を上げ、おもむろに声のした方を振り返る。
ブレザー姿の女子高生が座っているところに、六、七歳位の女の子を連れた中年女性が睨みを利かせて立っている。女に気づいた女子高生は、着信画面から目を離し、まず子供へ、そして母親へと視線を伸ばした。
「この席、私が取ってるんだけど」
女が指輪を嵌めた左手でテーブルに触れる。暗く刺々しい彼女の声の調子に女子高生は怖じけることもなく、むしろ憎しみを込めた音とともに携帯を閉じた。
「そんなの知らないし」
「知らないって、ここにバッグが置いてあるでしょ。まさか気づかなかったわけじゃないわよね」
女の声にトゲが増す。鞄はどうやら彼女のものであったらしい。左手が二度軽くテーブルを叩く。二人の様子にようやく気づいたのか、周囲でペチャクチャ話していた他の客たちが、段々と静まり返る。この雰囲気をものともせず、女子高生も負けじと怒りをあらわにし、
「テーブルだけじゃん。おばさん、イス取ってないじゃん」
その途端、女の眉がぴくりと吊り上がり、それまで多少の冷静さを残していた彼女の表情が危険な方向へ崩れ出した。誰が見てもそれは分かった。
「テーブルに荷物が置いてあったら、普通席が予約してあるってことでしょう。どうしてそんなことも分からないの? これだから今の若い子は駄目なのよ!」
「うっさいなー。そんな言うんだったらさーおばさんの子座らしときゃよかったじゃん?」
「子供置いて離れるわけにはいかないでしょ! 全く本当に常識がないのね今の子は! 大体あなた制服着てるけど、学校はどうしたのよ学校は。こんなお昼時で授業やってないことないもんね。どうせ親御さんにはちゃんと行ってるふりして、いっつもサボってるんじゃないの?!」
「親の話とか関係ないじゃん!」
店の中は、ひどく険悪なムードに満たされていた。女同士の激しい怒号が飛び交い、壁に微かに反響している。他の客は口を開けてじっと見守っているか、あるいは仲間内でひそひそ囁きあっているかだが、いずれにせよ彼女ら二人が一番浮いているのに変わりはない。
その間、少年はテキストを置き、彼らと同様に事の次第を眺めていた。無言ではあるが、眼鏡越しの瞳には苛立ちの色を潜めていた。
どこからかウエイターの一人が飛んで来て、喧嘩の仲介に入った。
「お、お客様。他のお客様のご迷惑になりますので……」
「おばさんマジうざい。死んで」
「目上の人に対する言葉遣いが全然なってないわ!」
ブチ切れてしまったこの二人の女には、店員のマニュアルに乗っ取った注意などもう焼け石に水である。二人に強く押しのけられ、役立たずのウエイターは狼狽えながらすごすごと後ずさりした。
不毛な闘いはブレーキをなくして暴走している。互いに浴びせられる罵声の数々に、もはや座席を取るという本来の響きは残っていない。女子高生もいつの間にか立ち上がっていて、自分よりやや背の高い女の顔を下からなめるように睨んだ。中年女も若者相手に歯を剥き出しにし、突然拳骨でテーブルをだぁんと叩きつけた。外を行く通行人が思わず足を止め店内を覗き込んだ。ハンドバッグが飛び上がりフローリングの床に転げ落ちた。零れた水で、止めに入ったオーナーが足を滑らせた。鈍い音が響いた。コップが蹴り飛ばされ、壁に当たって割れた。破片が跳ね返った。粉々に砕け散った。
ダレニモトメラレナイ。他人の視線など構っていられるか。店の迷惑など。キヅケルモノカ。鳴り止まぬ着信音に気づけるものか。裾を引く不安げな娘の表情など気にしていられるか。ムリダ。騒がし過ぎて、互いの声すら届いていない。何もかもが騒音なのだ。もはや自分の発した言葉の意味さえわからないのだから。
空を引き裂くような金切り声が部屋の外まで溢れる。衝撃でガラス窓がびりびりと鳴った。
辺りを見回す。どこまでも澱んだ空気。間違った色をしている。
彼が動く。彼女らの取り合っていた椅子に腰掛けた少年は、燃え盛る店内を静けさに返した。シャーペンの音が「午後」の二文字を記す。
誠に勇気ある行動と言えよう。
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■作者からのメッセージ
やや難解、というか、作者の意図が伝わりづらい文章になっている気がします……。