- 『春の訪れ』 作者:渡来人 / ショート*2 リアル・現代
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原稿用紙約12.4枚
春が訪れる季節になりましたね。
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――西日の射す教室内には、一人の秀才が座っていた。
春の訪れ
午後五時。
春も近いこの季節のこの時間のこの地方は、だんだんと日が傾いてきている頃だ。西の空が、淡い蒼から綺麗なオレンジへと移り変わっていく。
生温い風が、頬を撫ぜていく。ちょっとだけ、汗を掻いていたから、その風が涼しく思えた。
ボクは学校の塀の横を、たったったっ、と走っていく。
「まっずいなぁ……」
なんで教室に忘れ物なんかしちゃったんだろ。
はぁ、と嘆息しながら学校の水色の門をくぐってすぐの昇降口へと移動する。
広い空間に、靴箱が六つ。
ボクはその右から二列目にある自分のスリッパに履き替えて、校舎内へと這入った。
もしかしたら鍵がかかってるかもしれないから、職員室によって鍵を取っていく。這入るたびに挨拶の居る職員室はあんまり好きじゃないけど、仕方がないや、今回はボクが悪いんだもんね。
ボクの教室は四階にあるから、階段を登るのも結構大変だ。一段飛ばしで階段を駆け上がって、ようやく四階に着いた。少しだけ息が漏れて、肩が上下する。
ちょっと急いだから疲れちゃったや。速く宿題持って帰って終わらしてご飯食べてテレビ見てお風呂に入ってそのまま寝ようっと。
階段のすぐ横の教室の扉を見ると、鍵が掛かってなかった。
「あり……?」
もう五時なのに、おかしいな。最後の人が鍵を閉めてなかったのか、それとも誰か居るのか。
後者だと、よっぽどの暇人ってことになるなぁ。
よっぽどの暇人。ボクのクラスにそんな人居たっけ?
「まぁいいや」
がらり、と扉を開けると、ボクの顔に風がぶつかった。
「うわっ……」
思わず声が漏れちゃうぐらいにビックリして、ボクは眼を瞑った。
風が止んで、ゆっくりと眼を開ける。
開けた視界には、まず教壇の奥のカーテンが、風に揺らめいている様が入ってきて、そのカーテンに隠れて、誰かの影が見えた。
やっぱり誰か居るや、誰だろう?
ボクが教室に脚を踏み入れると、その人は僕に気付いたらしく、靡くカーテンの向こう側から、ボクの方を見た。
黒の艶やかな長髪が風に晒されて揺れる、綺麗に澄んだ瞳、白くて煌びやかな肌、そして華奢な体躯――黒岸刹那さんだ。紺のセーラー服に赤のスカーフ、そして紺のスカート……学校指定の制服が、とてもとても似合っている(因みに男子は黒の学生服だ)。
「あら、珍しいわね、こんな時間に人が教室に来るなんて」
にっこりと笑いながら、ソプラノ調の声でボクに話しかけてくる黒岸さんに、ボクは「うん」と生返事しか返せなかった。
……正直、戸惑いが隠せない。
この学校一の秀才とも呼ばれる、黒岸さんが、こんな時間に窓際の席でぼーっと座っているなんて、思いもしなかった。うーわー駄目だ緊張する。
ちゃっちゃと忘れ物とって帰ろっと。
たかたかと早歩きで自分の席に移動して、机の中を探る。
えーっと……あったあった。
宿題を取り出して、持ってきた鞄に詰めて、さぁ帰ろうという時に、黒岸さんの横顔が眼に入った。
風に揺らめくカーテンの向こう側、窓の外の世界を切なげな瞳で見ている黒岸さんは、なんだか悩み事をしているっぽかった。
どうやら、こういうことに関しては、ボクは人一倍鋭いらしい。
「何考えてるんです?」
ボクが訊くと、黒岸さんはボクの方を向いてから、少し迷った風な仕草をして呟いた。
「ちょっとね、悩み事。……良ければ、聞いてくれるかしら?」
断る理由は何処にもない。
「ボクでよければ、いくらでも」
ボクは鞄を肩に掛けて、黒岸さんのすぐ隣の席へと移動した。
黒岸さんは微笑んで「ありがとう」と言い、寒かったからなのか靡くカーテンが邪魔だったのかはわからないけれど、静かに窓を閉めた。
もしかしたら、誰にも聞かれたくない話なのかもしれない。
オレンジの陽光が、明かりもついていない教室の半分を照らし出していた。
この教室には、ボクと黒岸さんの二人だけが、前から二列目の、窓際の近くの席に隣同士で座ってる。それ以外の人間は居ないし、多分この四階の教室の何処にも、ボクら以外の生徒は居ないだろう。
隔絶された空間で、黒岸さんはゆっくりと喋り始めた。
「貴方なら聞いてくれると信じてた……私ね、気になる人が居るの」
「へぇ……」
意外、といったらとても失礼だけれど、うん、とても意外。
恋愛沙汰には興味が無いと思われていた(ボクが勝手に思ってただけだけど)黒岸さんが、そんな思春期らしい悩みをするなんて、思っても見なかった。
顔が自然とにやけてくるや、ヤバイなぁ。
「何時頃からなんですか、その人が気になったの」
「この学校に入る前。正直言うと、その人を追ってこの学校に入ったのよ」
「……なんか、良いですね、それ」
愛する人を追いかけて同じ学校に入るとは、なんともロマンチックじゃあないか。
確かに、ボクは黒岸さん程の秀才が、こんななんの変哲もない公立高校に入ってきたことを疑問に思っていたけれど、そういう理由ならば納得出来る。
そういう人に、人生に一回は会ってみたいね、などとも思うけど、そう簡単には現れないんだろうなぁ。
「ふふ、ありがと。親の反対を振り切るのには苦労したわ。最終的には、母は良いって言ってくれたけど、父は納得してないみたいだからね」
黒岸さんは、天井を見上げながら、残念そうに言った。
多分、お父さんにも納得して欲しかったんだろうな、と思う。
黒岸さんのお父さんは、きっと黒岸さんの将来とかを見据えて、一生懸命頑張って豊かに生きて欲しいと願ってたんだろうな。でも、その意思に背いて黒岸さんはこの学校に来たのだ。
完璧理系である黒岸さんのお父さんには、到底理解出来ない話だろうなぁ、なんて思ったり。
「まぁ、肝心のその人は、私の事には気付いてないみたいだわ。……で、迷ってるの。この気持ちを伝えるべきか、それとも伝えないべきか」
…………。
「この気持ちを伝えたら今の関係が崩れそうで怖いのよ。実際今の関係でも十分に満足しているし、これ以上望むのもどうかなぁ、ってね……。貴方なら、どうする?」
黒岸さんはボクに訊く。本当に、心の奥から迷っている表情だ。今にも泣き出しそうな、儚くて脆い心情を露わにしてる。……出会って一年が経つけれど、こんな黒岸さんを今まで見たことがなかった。
それほど、迷ってるんだろうと思う。
ああ、この人に思われている人は本当に幸せだなぁ。
「ボクはそんな人に出会ったことがないから、こんな事しか言えません。だけど、多分、黒岸さんにはこれが一番最善だと思います」
そうだ、言う事は決まってるんだ。
やらないで後悔するよりも、やって後悔する方が、断然良いに決まってるから。
「その人が何処かへ行く前に、気持ちを伝えるべきだと、ボクは思いますよ」
ボクが言い終えると、黒岸さんはにっこりと笑って「有難う」と呟いた。
どういたしまして、とボクは応える。
「貴方ならそう言ってくれると思ってた……これで、決心がついたわ」
凛とした表情が、黒岸さんの顔に戻る。
達成感と安堵にボクはほぅ、と息を吐いた。
ボクは笑顔で黒岸さんを見た。今の黒岸さんは、最高に輝いている。
本当に、こんな素敵な人に思われる人は、幸せだろうなぁ。
「貴方が好きよ」
かちん、と何処かで音が鳴った気がした。
あれ? 今の何の音?
ああ、そうか空気が凍った音か。なーんだ、その程度……じゃないよッ!
全然その程度じゃないよ、超重大! 超重要!
突然の告白にあわてふためいて、餌を求める鯉のように口をパクパクさせるボクを見て、黒岸さんはくすり微笑みながら、立ち上がり、ボクの横を通り過ぎていく。
「街角で貴方の姿を見たときびびっときたわ。運命っていうのかしら。其処から調べてこの学校の理数系に入ったわけよ。父親が理解してくれなかったけれど、母親のお陰でなんとかなったわ」
ボクはブリキ人形のように首を回して、黒岸さんの嬉々とした表情を見る。
……ああ、こんな顔もするんですね。だけど何処か策士が入ってますよ。
「そして一年、貴方の事をリサーチして、こうやって実行したわけなのよ」
くすり、と微笑う黒岸さん。大抵の男子ならばイチコロだろうと思うその表情を、ボクに見せられても少し困ります。
「ごめんなさいね、貴方の宿題を鞄から抜き取って帰ったのを見てから机に戻したの。ごめんなさいね、嵌めるような真似をして。そうすれば貴方なら、来ると思ってたから」
だからその笑顔をボクに向けるのは止めてください。
なんか背筋がゾクゾクするのは気のせいでしょうか?
そんなボクなんて気にしないで、黒岸さんは扉に手を掛けた。
「最後に。だぁーいすきよ、天見沢春(あまみざわ はる)さん」
それを最後の台詞にして、黒岸さんは教室を出て行った。
ばたん、と音が鳴って、漸くボクは正気に戻る。
もう教室の大部分は暗闇に閉ざされかけている。時間というものは早いなぁ、と思いながら立ち上がって、窓を開けて西の空を見る。其処にはもう沈みかかっている太陽が、このボクの着ている制服にも似た紫の燐光を放っているように見えた。
そして、無い胸を触って、はぁ、と溜息を吐いた。
生憎と、ボクは同性愛主義者じゃないのだ。
一体、黒岸さんはこのボクの何処を好きになったんだろう。真相は闇の中と言ったところだろうか。
兎にも角にも、これからが大変になりそうだぞ。
と、ボクは最後にもう一度だけ、大きく溜息を吐いた。
〜了〜
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2007/04/04(Wed)16:43:07 公開 / 渡来人
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■作者からのメッセージ
解ってる……解ってるさ、ボクっ娘なんてそうそう居ない事ぐらい……っ。
どうも、渡来人です。皆さんには春は訪れていますか? 私には訪れていません、永遠に訪れません。今は季節的に秋です。これから長い永い冬が訪れます。だけど春は来ません。永遠に来ません。私の心の中には夏秋冬の三つしか在りません。虚しくなってきたのでこの無限ループはこれでお終いにします。
目標は十枚以内にするつもりでしたが、私にはこれ以上描写を少なくする事は出来ませんでした。むしろこれでも足りないぐらいだろうと思います。
これまでに頂いた皆さんの貴重な意見を、生かせてないな、と深く反省するしだいであります。
なにわともあれ、この作品を読んでくださった方々に最高級の感謝を。
・脱字修正。