- 『心之刃〜ココロノヤイバ〜』 作者:夜風 / 時代・歴史 異世界
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全角20451.5文字
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原稿用紙約66.55枚
〜其一、『門と人形』〜
どうして俺なんか生まれたんだ。
学校では陰湿なイジメにあい、教師は見てみぬフリ。
家に帰れば、飲んだくれの親父と、それに殴られアザだらけの母親。
何で俺なんかが――――――――――。
200X年。ある一つの学校。
「何でお前なんかがこんなところに来てんだよ!!」
「ハハッ、こいつ泣いてるぜ」
「いやぁね、気持ち悪い」
生徒達から罵声と暴力の雨が降り注ぐ。
「死ねよ、豚ァ!!!」
一人の生徒の蹴りが、モロに腹に入った。
「ぐほっ………」
「あははっ、死んじゃえ死んじゃえ♪」
廊下に蹲った男子の体に、蹴りを入れていく同じクラスの生徒達。
「コラッ!!! お前達!! 何をしている!!!」
少年の耳に、重くはっきりとした声が聞こえた。
「ヤベッ、見回りだ!!!」
「逃げろ逃げろ!!!」
「次は本当に殺してやるからな!!」
イジメをしている生徒のグループは逃げていった。
「大丈夫か、『黒末』君!!」
学校見回りの先生は被害者の体を起こし、揺さぶりながら語りかけた。
「う……?」
「また『白井f』達の仕業か。他の教師も田北の前では立場が逆転している様だし……」
「先生……俺、もう大丈夫です。」
「黒末君、あまり無茶をしないほうが……」
「いえ……毎日の事です。慣れてますから」
「そうか。気をつけて帰れよ」
見回りは、心配そうに言った。
「はい。有難う御座います」
少年は震える手で靴を履き、中学校の門を開けた。
「畜生」
傷だらけの口で、ボソッと呟いた。腕の甲で濡れた眼を拭くと、少年は家まで駆けた。
「ただいま、母さん……」
「お帰り、『轟』。今日も居残り?」
「うん」
彼は、嘘をついた。母親を心配させないが為に。
それから、一つと、半刻経った。
「ご免ね、轟。今日も家計が厳しくて……」
ちゃぶ台の上に並べられた、ご飯と味噌汁。あとは漬物が少し。
「良いよ、別に。結構美味いし」
轟は、ガツガツと夕食を食べ終えると
「ご馳走様」
の言葉とともに、部屋に戻った。
「明日、学校休むか」
彼はそう小さく呟き、寝た。
「ったく誰のお陰でメシが食えてると思ってんだ!! アァ!!!?」
「キャァァア!!!」
「騒ぐんじゃねえ!!!」
その叫び声で、轟は眼が覚めた。
「……」
声を殺し、ドアを「そ〜」っと開けた。
「酒はねえのかコラァ!!!」
「あなた…止めてください!!!」
「バシィッ!!!」という音と共に、母親の叫びが聞こえる。
(あのクソ親父…!!!)
しかし轟は、まだ様子を見ていた。
(親父、相当酔ってるな…)
床に倒れこんだ母を父が確認すると、何と台所から包丁を取り出した。
「!!! 貴方、止めてください!!! 私たちには子供が…!!」
「うるせえ!!! あんな『糞餓鬼』知ったことか!!!」
そう父親が叫ぶと、包丁を真直ぐに母の胸元に突き立てた。
「ガァアアアアアアアア!!!!!!」
轟は、父親に飛び蹴りを放った。不意打ちを喰らった為か、はたまたみぞおちに蹴りが入ったからか、父は床に蹲った。
「ぅあああああああ!!!」
彼は混乱していた所為か、いつも以上の力で父親を殴りつけた。何回も、何回も。
「ぐっ……止しやがれ!!!」
しかし父はそれを振り払い、再び包丁の柄を握り締めた。
「手前も後を追いな!!!!」
そう言うと包丁を振り回したが間一髪、轟はかわした。
「大人しく……死ねぇ!!!!!」
酔った父親は、包丁をまた轟に振り下ろした。今度は壁際、かわせる筈も無い。
(俺も死ぬのか……? 母さんみたいに。そりゃ良いや、ここよかずっと天国だ。)
轟は諦めかけたが、生への執着が不意に頭を過ぎった。
(死にたくない……まだ死にたくない!!!)
彼は傍にあったちゃぶ台の足を掴み、包丁を受け止めた。
「!!?」
飲んだくれは、またもしくじった、という顔をした。しかも包丁が複雑に刺さったか、抜けない。
「糞っ……抜けろコラァ!!!!」
「ぅおおおおおおおおお!!!!」
母親を無くした怒りから生まれた力か、轟はちゃぶ台ごと父を押し倒した。
「うおっ!!?」
「抜けろぉおおお!!!!」
怒りに満ちた彼は、馬鹿力で包丁を無理矢理抜くと、父親のお頭に刺した。
「ぐあああああ!!!」
父親は頭を抱えた。暫くした後、動きが止まった。
「あ……あああ……」
急に轟に理性が目覚めた。人を殺した。人を殺してしまった、と。
「うわあああああ!!!!」
彼は家を飛び出した。何をして良いか、判らなかった。
「はあっ……はあっ……」
轟は中学校に入ることにした。「見回り」の先生に話を聞いて貰おうと考えた。
「ゲホッゲホッ……」
尋常ではない速度で動く心臓を、手で抑えつつ校門を潜った。
「おーい!!!おぉーい!!!!」
(誰も居ないのか……?)
彼は気持ちを落ち着かせるため、教室に居て閉じこもることにした。
パチッ。
彼は教室の電気を付けた。時計は、午後十一時五十五分を指していた。
「ぅうう……」
轟の体はガタガタと震えていた。まだ気持ちは落ち着かない。すると向こうから、四人ほどの声が聞こえた。
「嫌だよ、帰ろうよ……」
「何言ってんだ、『学校の七不思議』なんて嘘に決まってんだろ。」
「そうだそうだ。正確には不思議は一つしか無いんだろ?」
「『年に一度、二年C組の誰かが【神隠し】にあう』、って話だろ? パチくせー!!」
白井のグループだ。本人もいる。
轟はこの声を聞くと、急いで電気を消した。それと同時に時計が十二時を指し、鐘が鳴った。
「ゴーン……ゴーン……」
(何だよ、鐘は昼にしか鳴らないだろ?)
轟が疑問に感じた瞬間、
「バシュッ!!!」
という音と共に、和服を着た人形と門が現れた。
「な…何だ、何だ!!?」
「ケタケタケタ…」
何と人形が喋りだした。轟は後ずさる。
「コノ学校デ一番哀レナ奴、見〜ツケタ。ケケケケケケッ。」
「な、何だお前は?」
轟は人を殺してしまった事と、この世には絶対にありえない存在が目の前に有る事で動けなかった。
「あっちだ!! 何か大きい音がした!!」
「ほら、行くぞ!!」
「嫌だ!! 怖いもん!!」
白井の仲間達が二年C組に入ってきた。轟の眼に映ったのは、四人。ボスも含めてである。
「サテ、ト。オ前名前ハ?」
人形は轟を指差し、問いかけた。
「……」
轟は体が強張り、動けなかった。歯は「ガチガチ」と鳴り、様子は誰が見ても混乱している。
「オカシイナ。オイ、人間ノ子供。モウ一回聞クゾ? 名前ハ?」
「……ご……う。『黒松 轟』」
精一杯の力を振り絞り、やっとの事で彼は、自分の名を告げた。
「う……嘘じゃ無かったのか!?」
「だから言ったじゃない!! 『もう止めよう』って!!」
「う……うわああああああ!!!」
イジメグループは、ボスの白井一人を残し逃げた。
「あ、おい待てよ!!!」
白井も孤独感が募ったのか、後を追って逃げ出した。
「良シ、『轟』ダナ。轟ヨ、今ノ人生ガ詰マラナイ、マタハ逃ゲ出シタイ等トイウ願望ハ有ルカ?」
「え?」
彼はやはり落ち着けない様だ。
「何ラカノ理由デ此処ノ世界ニ居タクナイ、ソンナ願イハ無イカ?」
(……逃げたい!!! 此処に居ても人殺しなだけだ!!!)
彼は心で叫ぶと、無言でしっかり顔を縦に振った。
「ナラバ、其願イ叶エヨウ。オ前ハ『哀レ』ダガ、『世界一ノ幸セ者』デモアルゾ?」
未だ状況が飲み込めないのか、轟は口を半開きにしたまま呆然としている。
「ジャ、人生ヲ『りせっと』サセタイナラ、コノ『門』を潜レ。オ前ノ性格ニ合ワセタ時代ニ行ケルゾ」
轟はやっと全てを理解した。
(逃げよう。行こう)
もはや好奇心だけが、彼を動かしていた。轟は体を起こすと人形の元へ、ゆっくりと歩き出した。
「デ? 行クノカ? 行カナイノカ?」
人形は、鍵を指で「ジャラジャラッ」と鳴らしながら言った。
「行く」
轟は即答で答えた。
「ソウカ」
人形は一言言うと手にしていた鍵を使い、「ガチャリ」という音と同時に門を開錠した。
「ケタケタケタケタッ、マ、ダッタラ楽シンデ来ルト良イ。精々『死ヌナヨ』」
人形の表情は変わらないが、声はにやけているようにも思えた。
「へ!? 『死ぬなよ』って……」
轟は問い質そうとしたが、もう遅かった。
「オ一人様、御案内〜♪」
人形が門を開けると、轟は吸い込まれて行った。
「うわぁあああああ!!!」
門の中は虹色のマーブル模様のトンネルだった。少年は奥に吸い込まれる様に、先へと進んだ。
「上等だ!! また別の人生が始まるんだ!! 何が有るんだか知らないけど何でも来い!!」
彼は豪語したが、後悔することとなる。何故なら行き先は
一五九九年の江戸――――――――――。
其二、〜三人〜
「いでっ!!」
轟は「ドスンッ!!」と尻餅をついた。当たった所が大きな岩であったので、彼は暫く尻を押さえながら悶絶した。
「どこだ、ここは…?」
轟が辺りを見回すと、そこは砂浜だった。後ろには草木が生え、一つの掘立小屋がある。現代のビルが立ち並ぶ東京では、絶対に見られない光景だ。いつの間にか彼の心も落ち着いていた。
「……ふうっ」
彼は当ても無しに砂浜を歩き始めた。元々当ては無いが。
(そういえばあの人形、俺の性格に合わせた時代に飛ばす、とか言ってたな。じゃ、ここは何時代だ? 場所は変わらない筈だよな? あの小屋は現代でも良く見かけるし。)
彼がそう考えながら、小屋に近付いて行った。
轟は小屋の戸を開けたが、何も無いがらんどうだった。ただ作られただけのようにも見える。見た目の割りにしっかり作られていた為、日の光が入らず暗かった。
「……」
彼は興味本意で小屋内に入ると、白い、木の様な棒状の物が無造作に置かれていた。何故か少しだけ、湾曲している。
「何だ、コレ?」
轟は正体を確かめるべくそれを掴み、外へ出た。眼に映ったのは、白鞘の「日本刀」だった。鍔は付いていない。
「凄いっ……」
彼は柄に手をかけ、抜いてみた。青黒い刀身が、轟を見つめる。その存在を確かめるように。抜いた本人は、暫く動かなかった、いや、動けなかった。魂を吸い取られる感じがした。日本刀は、半刻ほど彼を見つめた。
「おい、オメエ!! そこで何してんだ!?」
轟は「ビクッ」として、慌てて刃を鞘に収めた。声の主は女だということが聞いて直ぐに判った。口調は男だが、男にしてはやけに声が高い。しかし、女性にしては低かった。振り返ればなるほど、乱れ和服に太刀を腰に差した若い女が、こちらを睨んでいた。
「早く答えな!! 『その刀』で何してんだ!?」
彼女はいきり立っている。
「は、はい、すいません!! そこの小屋から見つけました!! 興味が沸いてしまって……」
「とにかくそこで待ってろ!!」
彼女は一言叫ぶと、早足でこちらに迫ってきた。
「見せてみな」
良く見ると彼女は片目を失っていた。斬られた痕が見える。そんな彼女の言葉と姿に圧倒されたか、轟は無言で刀を差し出した。
「そうか……コイツを持てるってのか?」
「え? はい、まあ……」
何がおかしいのかサッパリだった轟は、とりあえず返事をした。
「振ってみな」
「はい?」
「だからその刀を振ってみろ、て言ってんだよ」
轟は言われるがままに片手で振ってみた。刀は重く、力の有るものでないとしっかり振れないとどこかで聞いたが、意外にも軽く、「ひょうひょう」を音を立てて刃は舞った。
「遂に選んだみてえだな。じゃなきゃこんな軽々コイツを振れねぇ」
彼は悪いことをしてしまったかのような気持ちになり、
「すいませんでした、これ、返します!!」
と、また刀身を鞘に収め、女性につき返した。
「ハッ!! いらねえよ、テメーが持ってな!!」
「へ?」
轟は何が何だか、という表情をし、気持ちもそうだった。
「それってどういうこと……」
「俺にゃ、その刀は振れねーんだ、試しに貸してみな」
彼女は刀を引っ手繰ると、いきなり肩が落ちた。
「くっ……の……」
彼女が必死に持ち上げようとしているのを見て、轟は悟った。これはほかの誰にも振ることは不可能だ、と。彼女が刀を「ガシャッ」と砂に落とすと、言った。
「ま、こういうこった。てめー以外この刀を振れねえよ、持ってきな」
彼女は落とした刀を指差し、言った。
「有難う御座います」
彼は刀を拾い上げた。敬語を使っていたが、眼の光は刀に注がれ、輝いていた。
「居たぞ、『銀』だ!!」
「おお!! やっと見つけたぞ!!!」
大人数の叫び声が遠くから聞こえた。その数、遠目で見ただけでも三十人はいる。
「チッ、『奴等』か。おい、餓鬼!! テメーも手伝いな!!」
「え? でも俺人を斬ったことなんて……」
「有んだろ」
彼女の片目が、ギロリとこちらを睨む。
「その返り血を見りゃ判る。冗談は着替えてから言いな。ホレ、鴨がやって来たぜぇ!!!!」
彼が返り血の付いた服から先ほどの集団に視点を変えると、何と集団全員が抜刀している。
「一つ教えといてやらぁ。俺ん名は『銀』、『シロガネ』だ。よ〜く覚えときな。じゃあ行くぜぇ!!!」
銀は腰の愛刀を抜くと、襲い掛かってくる侍集団へ走って行った。
〜其四、『刀の舞姫、十字蟲槍』〜
「オイオイ、話になんねえぞコラ!! もっと強いのいねえのか!?」
銀は六人目の人間を斬ると、残りの集団をギラリと睨んだ。暇を通り越して腹が立ったらしい。
「おえぇ……」
轟は吐き出してしまった。人を一人殺したとはいえ、免疫がついたわけでは無かった。血肉の鮮血と、父を殺したことの意識が、リンクして頭を駆け巡っている。
「コラッ、子供!! 早くオメーも来いや!!」
突然銀は轟に活を入れるような声で、叫んだ。不思議とその声が心地よい。彼は体がフラフラではあったが、刀を持って何とか立ち上がることが出来た。
「抜いて、振ってみな!! やんなきゃ、やられっぞ!!」
彼女は一振りで四人を斬り伏せながら言った。
「……」
轟は震える手で柄を握り、刃を露にした。不思議と心が静まり返る。
「未だだ!! まだ数では我等が勝っている!!」
「村の為じゃ」
「石田三成様に、手柄を報告せねば」
大衆は再び剣を構えた。
「ペッ!! やっぱり手前等、徳川か石田か、どっちかのクチかと思ってたが……」
銀は砂浜に唾を吐き捨てた。そしてそれから一時もない速さで、十一人目の村民を斬り捨てた。
「ひいい!!」
「怯むな、囲え!!」
銀は、敢えて大衆に囲まれた。轟の血を呼び覚ますために。
「ホレ、来てみな。それとも俺が怖えか?」
彼女はその後も、色々な言葉で挑発する。人影が足元にしか見えなくなった、南中である。その時だった。
「……ぁああああああ!!」
轟の剣筋は、一人の人間を両断するときに見ることが出来た。見事なまでの「一刀両断」である。円の陣は、欠けた月のように崩れた。
「おう! 遣れば出来んじゃねえか!」
銀は感心したように言った。その次には、真剣な眼で刀を構え、大衆の全体を見回した。
「だがな、そいつを連発出来れば本物の一人前だ。よ〜く見てな。」
彼女は眼にも留まらぬ足捌きで敵の懐に潜り込み、掛け声もせずに十人斬った。もはや叫び声も聞こえなかった。一瞬でカタがついたのだ。残りの村民は刀を捨て、声すら上げずに逃げ出してしまった。
「良いのか?逃がしても」
轟は服で血糊を拭いつつ聞いた。
「別に何の問題も無え。来たらまた、斬っちまえば良いさ」
彼女は血糊を舌で舐めながら答えた。視線は死体に向けられている。
「そういえばお前は何て名だィ?そういや一方的に俺が名乗っただけだったか」
銀は思い出したように尋ねた。
「……『轟』です。」
「ゴウ……って、車三つ書く奴か? 面白い奴だな。『蟲』みたいな奴だな」
刀を鞘に収めつつ、銀は呟いた。無論、轟は何を言っているのか判っていない。
「で? お前これからどうすんだよ。その服装じゃこの国のモンじゃ無いみたいだが」
彼女は物珍しそうに彼の服をまじまじと見ている。
「別に、行く充ては無いです。ただ歩くだけ……」
轟は俯きながら答える。眼は暗く、沈んでいた。
「じゃあ、俺の家に来いや。その刀を持てたからには、俺もソレを見張らねえといけねんだ」
「は……?」
彼は完全に混乱状態に陥っている。訳が判る筈もない。
「訳ァ言えねんだが、俺も色々有ってな。その刀を見張らなけりゃならんのよ。ホレ、ついて来な」
そういうと彼女は、砂浜を上がっていった。何だか良く判らなかったが。
「おぉ〜い、待ってくれ!!」
好奇心で彼は付いていってみる事にした。
二方が浜辺から歩くこと二刻。江戸まで辿り着いた。
「ここァやっぱり活気が有るな。轟、見ておけ。此処が俺が住んでる町だ」
「ほ〜。コレが江戸……か」
そこは江戸城が見え、城下町は活気に満ちていた。野菜に酒、中には得体の知れない物まで売っている。轟は銀について行きながら、江戸を見学していった。
「おう、着いたぞ。轟、そんなキョロキョロすんな。ここが俺の家だ。」
彼女が指差す先は、何と「遊郭」と堂々と書かれたものであった。流石に轟は唖然とし、持っていた刀を落すところだった。
「な〜に、ビビるこたねぇ。家ァこの奥だよ」
そう彼女は言うと、暖簾を潜った。
(すげぇ不安……)
彼も続いて暖簾を潜った。
何と銀と、この館の女将と思わしき女性が話している。見た目からして銀と同じぐらいの年だろう、彼は二十一、二歳と踏んだ。銀は女将から部屋の鍵を受け取っていた。
「貴方が轟さん……ですよね? 私はこの遊郭の女将、『比奈』と申します」
いきなり深々とお辞儀をされた轟は、どうして良いか判らず、とりあえず頭を垂れた。
「それにしても『天国【アマクニ】』さんが選んだ方がこんな可愛らしい方なんて……でも服に血が付いてますよ。銀さんの部屋に服をお持ちしますので、風呂にでも入ったらどうでしょうか?」
「ああ、そうさな。町の連中にも怪しまれてたぞ、お前。早いとこ入れ」
「(そうだな、俺も気持ちワリいし)じゃあ、借ります」
遠慮がちに言うと比奈は手拭を手渡し、左の風呂場へ案内した。風呂場は誰も居らず、貸しきり状態であった。物凄く広い。誰も居ないせいでもあるが、やはり大きかった。理由は「混浴」にあった。流石遊郭である。轟は入り口に刀を置くと、桶を掴み、お湯を入れて体を流し、洗った。こびり付いた血が見る見る落ちてゆく。風呂に入ると、丁度良い温度だった。
「……」
手拭で「クラゲ」を作りながら、彼は考え事をしていた。現世のことである。いじめられた。父親からの暴力の雨。人を殺した。逃げた。ここに来た。また人を殺した。不思議と心が落ち着いているのは、人を殺して、それ以上の恐怖を無くしたからだろうか。それとも、あの刀と出会ったからだろうか。本当に強くなってしまったら。銀のように人を斬るのが楽しくなってしまうのか。
「……行ける所まで行ってみるさ。あの人形のことは良く判んないが」
突然「ガララッ」と戸が開いた。この風呂は混浴である。混浴など轟の経験からいって皆無に等しい。彼は浴槽の端に身を潜めた。
「ありゃ? だ〜れもいね〜の? 外に剣が置いてあったが……」
(……?)
どうやら声の主は男らしい。轟は眼を細めて見ると、十字槍を肩に担いだ少年が辺りを見回していた。年は轟と同じ位だろう、十四、五歳と見受けられる。十字槍の少年は、視力が良いのか此方の方を見つめたと思えば、湯船に飛び込んできた。あっと言う間に轟は居場所がばれてしまった。
「何だ居るじゃん。よっ、お前誰だ?」
少年は語りかけたが、余の唐突さに腰を抜かしている轟は、舌が思うように動かなかった。
「あ〜そうか。名を聞くなら自分から、とか言うもんな。オイラは『十字槍の蟲【むし】』ってんだ。宜しくな!」
己を「蟲」と名乗る少年は、ケラケラ笑いながら名乗った。
「……おいおい、折角名乗ったんだ、お前の名も教えてくれよ」
蟲は軽い口調で話しかけてくる。最近轟はこの時代に来てからと言うもの、驚いてばかりであった。何とか緊張を振り払うと、彼は名乗った。
「『ごう』。車三つで『轟』だ」
と。きり返すように蟲は、色々なことを話し始めた。
「なあなあ、風呂場の入り口に置いてある剣、あれお前のだろ? あの剣オイラには重すぎて持てなかったよ! 見かけによらず強力だな!!」
実は轟本人もその事については良く判っていない。あの刀の玄人銀でさえも持つことが出来なかった刀を、何ゆえ自分は軽々と振る事が出来たのか。
「俺も良く判らない。銀さんでもあの刀は持てなかったんだ」
「じゃあやっぱしお前は『天国【アマクニ】』に選ばれたんだ。銀さんがオイラに言ってたよ、『天国は特別な剣だ、自分の意思を持っている』ってさ」
先刻から「天国、あまくに、アマクニ」と皆が言う理由が、今やっと分かった。
「あの刀、『天国【アマクニ】』って言うんだな?」
一応、確認の為に彼は蟲に問いかけた。
「当たり前だろ、柄の先の部分に『天国』ってキッチリ彫ってあったろ? その位見とかないといけないぜ?」
蟲は持っている槍を指先一つでクルクル回しながら、常識のように答えた。背は低いが器用である。勿論轟は刀の知識の事等皆無なので、少し恥ずかしくなった。
「この十字槍、『鯉登龍【トウトリュウ】』って言うんだ。『鯉が登って龍に成る』、文字道理の名前だけど、オイラの相棒さ。見てみ!」
彼は長槍の刃に近い柄を「クイッ」とねじ込むと、見る見る柄が縮まっていく。忽ちナイフのような長さに成った。
「コレが、『鯉』の状態さ。さっきのが『龍』の形。さっきちょっと喧嘩をしてきちゃってさ、長さを戻すの、忘れちゃった」
「ほぇ〜」
轟はすっかり感心している。槍を小さく持ち運ぶなど、頭には無かったからだ。
「……さてと、結構長く話しちゃったか。もう出よう」
蟲はそういうが、そんなことは無い。彼が風呂に浸かっていたのは僅か七、八分ぐらいである。が、轟は一人でかなりの間葛藤していたので、もう出たい、とも思っていた。
「そうだな(コイツ風呂嫌いか?)」
「風呂は嫌いだよ」
轟は見透かされた気分になり、ぎくりとした。
「常に気配をよんでるんだけど、風呂に入るとその緊張が緩んじゃうんだ。そういうことだよ」
これはたまたま蟲が言ったことであったが、轟は
(油断出来ない)
と、数分警戒したが、どうでも良くなった。戸を開けると服が二着、綺麗にたたんで置いてあった。
「ここはさ」
またも突然蟲は語り始めた。
「表は遊郭だけど、裏は銀とかオイラの訳有りの人間を泊めてくれる宿でもあるんだ。しかも金は必要無い。比奈さんが遊郭で入った金を、一部こっちに回してくれるんだ。何で其処までするかは分からないんだけど……」
轟は妙ではあるとは思っていたが、やはり裏があった。
「そっか……」
そういうと彼は、例の剣、「天国」を持った。
「! やっぱり持てるのか、轟! ちょっと抜いてみてくれない?」
「え……まあ、良いけど」
彼は鞘から刃をすらりと抜いた。黒々としていて、刃の部分は真逆に白い。
「綺麗だな……君はこの剣に選ばれたんだね。ちょっと羨ましいよ」
二人は服を着ると、廊下に出た。なにやら玄関で揉め事が起こっている。二人の大男が、比奈に怒鳴りかかっている。
「いいから『ムシ』とかいう小僧を出せや!! もう我慢なんねえぞ!!」
「あ、いっけね……さっきの奴等だ」
蟲は舌を少し出しながら言った。
「さっきって……喧嘩したってアレか!? あんなのとやったのかよ!?」
轟は二人の背丈を確認した。轟は一七〇cmであるのに対して、向こうは二〇〇cmはある。自分より小さい蟲は、一体どうやって奴等に勝ったのか。
「ちょっと轟、手伝ってくれない?」
「手伝うって、あの巨体を!?」
轟は拒否気味であったが、体は疼き出していた。自分でも以外だった。こんなに喧嘩沙汰が好きだったとは。
「頼む!!」
彼は合掌し、頭を垂れた。
「……分かったよ、やりゃいんだろやりゃ」
轟は室内に関わらず、鯉口を切った。もはやこの状況を楽しんでいる。
「恩にきる! ちょっとあいつ等面倒だからさ」
蟲は手に持つ十字槍を、「龍」の形にした。
「じゃ、ちょっくら行くよ!」
「待て待て待てぇ〜い!!」
蟲は威勢良く駆け出してしまった。
(あんのバカ!! 正面から行くなって!!)
急いで轟も後を駆ける。
「ヴォウ!! やっと出てきたか!!」
「……」
眼の前には巨漢二人が並び立っている。とは言え、風貌が両者全く違う。左の男は丸坊主で腹が出ており、唇が厚いのが印象的だが、右の男はほっそりとしているようで良く見ると、足の筋肉が異常に引き締まっている。眼は両者とも鋭く、両者肩に何かを担いでいる。
「ヒョウッ!! やっぱでっけ〜!!」
槍を肩に担ぎながら蟲は感心したように言う。
「お前……」
細い男が、轟を指差した。
「俺と……やれ」
「へ?」
どうやら細い方は、轟と試合いたいらしい。
「ケッ、俺はさっきのこの小せぇ奴か。さっきは手加減してやったが……」
「悪ィ悪ィ。あんな鈍臭いとは思わなくってさ!!」
「このヤロウ!! 表ェ出やがれ!!」
巨漢の男と蟲は一斉に外に出た。もう金属音が聞こえてくる。
「五月蠅い奴等だなぁ」
「あの……轟さん」
比奈の声だ。小さい声だが、割と聞き取れる。
「何ですか?」
「死なないで下さいね。銀さんも今回は手を出さない、って言ってました」
「大丈夫、死にゃあしませんよ。おっとそういやお前、名前は?」
轟は話を切り替え、細い男に名を聞いた。彼は少し黙りこくると、口を開いた。
「『夜奇丸【ヨキマル】』……お前は?」
彼もまた名を告げるのを少し遅らせた。その行動自体には余意味は無いが、何故か周りの空気がそうしたらしい。
「『轟【ゴウ】』。姓は捨てた。」
そうなのである。風呂に入っているとき轟は、名を名乗るとき自分の姓を告げないことを誓ったのである。余異界の者であると判らせたく無いらしい。全く無駄なことなのだが。
「轟……良き名良き名。表出る」
二人はその言葉を合図に一斉に入り口から飛び出した。轟は実は天性で足が速い。授業では手加減していたようだが。夜奇丸は遊郭の屋根に跳び上がり、悠々と着地した。
「なっ……!?」
「……」
夜奇丸は轟が驚いたことに満足の表情を浮かべると、背に担いでいた袋の中から大振りの太刀を取り出した。それを片手で振り回しつつ飛び跳ね、轟に襲い掛かった。
(南無……)
轟の心に、謎の声が響いてくる。その声が聞こえる時だけ、世界が止まっているような気がした。彼は気付けば、鞘から刃を抜き、襲い掛かる相手の刃を受け止めていた。
(上出来よ。次は足を狙えぃ)
「誰だお前は!!」
叫びながら、夜奇丸の足目掛けて刀を振り下ろす。彼は間一髪避けたが、確実に刃先は敵の足に当たっていた。血が噴水の如く溢れる。
「……痛い」
(之が限界か……)
また少しの間、刃を突き上げてくる敵の動きがスローになった。轟は深く考えず、その手に持つ羽のような軽さの剣を、相手の剣に振り下ろした。何と厚紙を切る鋏のような切味である。
「カィン!!!」
と音を立て、夜奇丸の剣は真っ二つに折れた。轟の「天国」は、曇一つ無い。
「強い、お前」
折れた刃を見つつ彼はそう言った。
「でも……俺負けない」
何と未だ袋の中には太刀が眠っていたようだ。夜奇丸は最後の二本の太刀を取り出すと、再び襲い掛かろうとした。その時である、三日月の様な小さな鏃が彼の太刀の鍔を割ったのは。
「!!」
彼らは矢が飛んできた方向を急いで同時に振り向いた。道の真ん中に弓を構えた人間が居る。身形からして女のようだ。
「喧嘩は嫌いです。家にも……人にも迷惑がかかる。止めては頂けませんか」
口調はさながら女性、と言った感じだが眼と弓を構える手だけは強張っていた。怒りでもなく、覇気でもない、そんな印象を轟は受けた。
「邪魔。お前……邪魔」
夜奇丸は鍔の折れた太刀を捨て、残りの方の刃を、彼女に振り下ろさんとした。
「貴方には刀の叫びは聞こえないのですか? ほら、あれだけ苦しそうに……折れてしまった剣は
『早く直してくれ』
今私が鍔を割った方の剣は
『未だ刃は残っている。未だ戦いたい』
そういう魂の叫びも届かないのですか……」
彼女は悲しそうに言うと、矢を放った。
「鈍い!!」
夜奇丸はしゃがみ、避ける。
「貴方が……見捨てられたらどんな気持ちになるか……考えたことは有りますか?」
彼女は弓の両端についている「鞘」を取った。何と槍の穂先が顔を覗かせた。
(何だありゃ?)
轟がそう思った刹那、夜奇丸の右腕が鮮血に染まっていた。
(速い!!)
一コマ飛ばしたような速さで闘いは終わった。
「がぁぁぁぁああああ!!」
腕は縦に浅く斬り裂かれていたが、血だけはこれでもか、と言うほど出ている。
「剣を預かります。貴方は今、之を持つ資格は無い」
そう彼女は弓の両端の刃を鞘に収め、落ちている剣を拾い集めながら言った。
「敢えて傷は浅くしています。ですがこのままでは貴方は血を失い、死にます。早急に手当てを行ったほうが身の為ですよ」
「……轟、又今度だ」
夜奇丸は既に多量の血を流しているにもかかわらず、屋根を飛び越え去っていった。
「さて、貴方」
「……?」
良く見ると彼女の服には返り血一つ付いていなかった。相当な使い手である。
「危ないところでしたね。銀さんから鷹の手紙の使いが来て、城から急いで出てきました」
「城?」
「はい。そうだ、自己紹介が未だでしたね。私は徳川家の三女、『振姫【フリヒメ】』です」
(えええええぇ!?)
轟は「徳川」の響きに多少驚きはしたものの、やはりこの町の反応同様、余気にはしなかった。何が彼の心を静めているのかは判らない。
「俺は『轟【ゴウ】』。お蔭で助かった」
「『ごう』ですか……良いお名前。『蟲』さんが居ないようですが……」
振姫は辺りをキョロキョロと見回している。この話し方といい、他人を心配する性格といい、そこらの物事を家臣に任せている姫とは違うようだ。
「あっ、そうだ!! あいつもう一人の方と闘ってるんだった!!」
「大丈夫ですよ、あの人は闘いにおいてはかなりの強者です。遊郭に行きましょう。もう蟲さんも着いている筈です」
「ふ〜ん。まあ弱くは見えなかったけど……」
ふと見ると、彼女は夜奇丸が所持していた太刀の具合を調べていた。
「可哀想に……こんなに荒い使い方をされて……」
「何でそんなに人の剣を気にするんだ?」
「父が言ったんです。『物を大切にする者、即ち者を大切にする者。意識すれば自ずと武器も人もついて来る』って。あの人は将軍故、そんなことを重んじていたんです」
「そうか……良い父親だな」
轟は自分の剣を見つめながら言った。良く良く考えれば彼女の父親はかの「徳川家康」である。この時代は「豊臣秀吉」が死して数年、「徳川派」と「石田三成派」が対立していた。これから大きな戦、「天地分け目の戦い」が起こることは未だ彼は知らない。
〜其四、『そして』〜
(でも男と女、二人で遊郭に入れば傍から見りゃ確実に勘違いされるよな……)
と轟は思いつつ、戸を開けた。比奈が玄関に待っていた。
「大丈夫ですか!? お怪我とか……」
「ああ、はい。一切無いです。返り血は腐るほど付いてますが……」
「良かった……今変わりのお召し物を用意します。振姫様も上がって下さい」
そういうと比奈は奥に駆けて行った。最早ここは宿なんじゃないか、と思った。轟達以外人間が居ない。
「さて……私は銀さんの処に居ます。部屋は直ぐに判ると思いますよ。探す必要が有りませんから」
振姫は彼に微笑しつつ草鞋を脱ぎ、彼女もまた、奥にひたひたと歩いていった。暫くすると比奈が変わりの着物を持って現れた。
「これです。風呂でお着替え下さい」
「……有難う」
風呂場の広い更衣室で轟が着替えていると、棚の上に一つの鍵を発見した。
(何だこれは?)
彼は鍵を見つめた、なるほど複雑な形をしている。鍵職人でも作るのには骨が折れそうだ。轟はそれと血だらけの服を持って比奈に渡した。鍵については興味が沸いたか、持っていることにした。
「ま、持っても損得無いしな……」
轟は銀達の居る部屋を探すことにした。とりあえず振姫が向かった方面に行ってみる。が、本当に探す必要が無かった。一つの部屋の戸に、大きな文字で
「銀の部屋」
と書かれてあったからだ。銀か、或いは比奈が書いた字かは判らなかったが、字は誰が見ても達筆であることは間違いなかった。しかし轟は、
(看板の『遊郭』の字と言い、少々センスがズレてんじゃねえのか?)
そう思わざるを得なかった。
が、引き戸を引くと轟は困ってしまった。その部屋の中に、また引き戸が三つある。
「当たりより、ハズレが気になるな……」
彼は無差別に中央の引き戸を引いた。何も見えない暗闇である下の方から糞尿の臭いがする。中に入ろうとした瞬間、足が地に着かなかった。底抜けだったのだ。
「うわった!!」
何とか片手を入り口に引っ掛け、上った。此処は、糞尿の総始末場所だった訳だ。
(うえ……命が幾つあっても足りない気がする)
轟は余に臭うので、中央の引き戸を閉め、一旦落ち着いた。中央は糞沼、残るは左右の引き戸だが……左の引き戸をガラッと開けた。今度は対照的に日の光が入っており、明るかった。彼は捜索を始めたが人の気配は一向に無い。ここではない、そう油断したのが悪かった。轟は畳ごと床を突きぬけ、先ほどの異臭漂う悪夢の沼に突き落とされた。畳が下にありクッションになったので糞塗れにこそ成らなかったが、彼は心底腹が立った。
「銀さん……随分糞がお好きなようで……もう構うか!! 部屋を汚してでもいいから這い上がってくれる!!」
素足で沼に突っ込むと彼は刀を抜き、今落ちた部屋の光を頼りに壁に傷を付け、徐々に登った。何と登りきるのに日は暮れていた。遊郭は何時しか、客で賑わっていた。
(ああ、そうだったな。ここ、遊郭だったっけな。当然といえば当然……だが、何か悶々する)
比奈が酒を運んでいたが、轟の異臭を確認すると仕事を他の人に任せ、すっ飛んできた。
「だ……大丈夫ですか!? ……っ臭い!」
「残すは右の引き戸かい……待ってろ銀さん。流石に怒った」
「先ずは風呂です!!」
比奈に無理やり引っ張られながら、外の裏風呂に突っ込まれた。轟は唖然としている内に体の糞を全て落され、洗い流され、すっかり元に戻った。不思議なのは、轟の刀が全く汚れていないことだった。
「侵入者用の罠なんだけど……最初は誰でも引っかかるわよ。蟲君だって真ん中の扉に一直線に進んで、落ちて。私が縄を降ろして助けたっけ。懐かしい」
「? ここは訳ありの人間を泊めるのは知ってるけど、あいつもやはり何か……」
「比奈さ〜ん!! 氏名ですよ! 鳥之助さんです!!」
「は〜い! 常連さんだ。じゃ、轟君。右の部屋よ。間違えないようにね」
「あ……あの!」
彼は比奈を呼び止めた。
「何?」
「う……やっぱ良いです。また後で……」
「うん。じゃあね」
轟が聞きたかったのは他でもない、蟲のことだ。蟲は雰囲気こそ違うが、何か自分と同じ感じがした。過去を聞けば何か判るかもしれない、そう思ったが今日は色んな事が起こりすぎた。浜で人を沢山斬り、夜奇丸と争い、数々の人と出会い、糞に塗れ、風呂には三回入った。疲れる。この位やると誰しもが疲れるだろう。何と心の広い世界だ。平成の世では人を一人殺す、その出来事のみで大沙汰になる。しかしこの世ではその位じゃ揺るぎもしない。轟の心は、たった一日で当たっているとも、間違っているとも判らぬ世界へ行こうとしていた。
「流石遊郭だな。酒が多い」
入り口に入るなり、日本酒独特の匂いが充満していたが余悪い匂いでは無かった。そこ等じゅうで女の喘ぎ声が聞こえる。轟は顔を少し赤くした、初心である。そして彼は問題の部屋の前に差し掛かった。
(右、だったよな……)
轟が取っ手を引こうとした瞬間、戸の向こうから刀の刃が顔を横切った。
「遅ぇっ!!」
銀の声だ。恐る恐る戸を引くと、銀に蟲、振姫、それと先刻蟲が闘っていた大男が座っていた。
「どれだけ待たせて……て、轟かよ。酒が来ないからイライラしてたんだよ」
「あの、待たせてすいません」
彼はとりあえず銀の投げた抜き身の刀を抜き、眼を見ず渡しながら言った。
「待っちゃいねえよ。蟲は糞置き場から這い上がるのにエライ時間掛かったからな」
(知ってたのか)
轟は自分が少し恥ずかしくなった。
「……で? 貴方は蟲とやりあってた人だよな?」
彼は大男に言った。
「おう。負けて此処まで連れてこられた。お前さんを待ってたんだぜ」
「待ってた?」
「そうだ」
不意に銀の方から声が聞こえた。
「いいから座りな。話し難いだろ」
そういうと銀は突っ立っている轟を強引に座らせ、話し始めた。
「此処に居る全員知ってると思うが、俺は石田、徳川に狙われている。理由は二つ、一つは俺を自軍に引き入れようとしている。二つ目。さもなくば殺す。こう言うのも何だが、俺は五十人抜きを達成した故、とは言わんが強い。戦力にはなるだろう? 名うての者達を集めてんのさ」
「このままでは戦です」
振姫が続けて言う。
「豊臣秀吉が死に……天下統一者が居なくなりました。そこで家臣の石田三成、そして私の父、徳川家康が話し合いでどちらがその位を継ぐのか話し合いましたが、解決に至らず戦をすることになったんです。どちらが強いかなんてどうでもいいのに……多くの民を犠牲にしてまで自分の地位が大切らしいんです、あの人は」
「期間が無ぇ」
続けざまに蟲。
「轟。お前が江戸に来て、戦の準備期間が一年切った。そこら中で『天下分け目』だ何だと大騒ぎさ。自分たちが闘う訳でも無いのにな」
「蟲。話題が逸れてる」
銀は眼を閉じながら言った。
「ああ、すいません。で、だ。俺らはそれを止めたい訳だ。理由はそれぞれだが言うことも有るまい」
「良いじゃねぇか蟲。言っても」
銀が眼を開けた。片目は切り傷で開いていないが、明いている眼は黒に瑠璃色をかけた様な色だった。「綺麗」。それはこの眼のことを言うのではないかと、轟は心にそっと思った。
「おっと待ってくれ。俺はどうなる。俺はお前等の敵なんだぞ?」
大男が口を挟む。
「あっ……忘れてました。えっと……」
「『助六』だ。困った譲ちゃんだな」
「すみません、『助平』さん。以後気をつけます……」
「違う! 『助六』だっての!!」
振姫の口元がニヤリと笑う。ワザトだ、絶対ワザトだ、と轟は少し怯えた様子で見ていた。
(撤回だ。大人しいって思ったこと、撤回だ。)
「で、もういいから『助平』、さっさと石田の最近の行動を……」
「だからっ、俺は『助六』だっての!! しつけえっ!」
蟲の口元もニヤリと……。ああ、こいつら何なんだ、もういやだ。彼はちょっとヒいた。
「ああ、もういいから。助六話してくれ。一年は案外短い」
「それにしてもよく話す気になったな。オイラだったら絶対秘密は漏らさないけど」
蟲が如何わしげに言った。
「武士として死ぬより俺は命を取っただけだ。ほれ、まず何が聞きたい?」
「兵力数、兵糧、城の堅さ、そんなところだな。後注意すべき武将」
「良いか、一回しか言わないから良く聞きな」
助六のその言葉と同時に銀は筆を取った。
「大体兵力数は徳川と合計ではかわり無い。しかも徳川は255万石に対して石田は20万石にも満たない。だが注意しな、怖いのは毛利と上杉だ。奴等は両者共々120万石と聞いてる。更に結束力が強く、挟み撃ちや『鶴翼の陣』等を得意としている」
「……」
銀は無言で紙にメモをとっている。物凄く筆速が速いが、全て達筆であった。轟本人には読めないのは別として、だが。
「兵糧も十分、むしろ徳川派より多いと思って良い。城も申し分ない堅さで、大きい」
「なら、勝てるな」
彼女は筆を休め、そういった。
「毛利と上杉が其処まで兵力があるのは予想外だったが、何、そいつ等を徳川に全て回しゃいける。ここにいる奴、轟も含めて各地方から人を集めて十人程度で首を取ってきてやるよ。俺の目的はあくまで石田だ」
「応援してるぜ、五十人斬りさんよ」
「貴方は石田の下に居るのに、どうしてこうも敵の内政を暴くんですか?」
振姫は、いや、此処に居る銀以外の全員がそう思っていた。
「何、あんまし石田も好きではなかったしな、俺は面白そうだと思った方向へ動く、それだけだよ」
「判らなくもないがな」
銀がフフッと笑いながら呟いた。轟には、理解できる日が来るのだろうか。
「じゃあ大体吐いたことだし、また『兄貴』と合流することにするぜ……」
「待った、助六。あっちに妙に強い剣豪が出てきたと聞いたが、お前はそれについては知らねぇか」
立ち上がった助六は暫くの沈黙の後、それを破った。
「……一人、心当たりがある。そこの『天国』を持った奴と大体同じような奴だ。髪が白くてな、異常に剣才がある。一ヶ月でそこ等の兵を三十人ほど一斉に倒せるほどだそうだ」
その時蟲の目が俄かに歪むのを轟は確認した。
「話にならねえよ。その位オイラが叩き斬る」
蟲はそう言い残すと窓の障子を開け、外に飛び出した。手には「鯉登龍」。その背中は、妙に妖しく悲しい印象があった。同時に助六も引き戸を開け、出て行った。
再び沈黙が宿る。
轟は手元の「天国」に眼を移す。
何故助六は「天国」を知っていたのか。何れ自分も戦に……?
「銀さん」
振姫の言葉で思考が止まった。彼女は正座のまま、質問する。
「これから……どうするんですか? まさか本当に十人前後で戦など……」
「当たり前だろ。やるに決まってる、大将を取れりゃいいんだからよ。それに目的はあいつだけだ」
「しかし」
銀は不適の笑みを浮べ、こういった。
「不安か? 心配すんな、俺らは最強。元々多人数相手に遣りあった奴ばっかだろ?
五十人斬りの俺に、
父親の血を受け継ぎ、弓に長け尚且つ槍が巧いお前、
十字槍のあいつに、
今日また最強の剣が使える奴も集まった。
此処まで都合がいいと、勝てる気がしねえか?」
ああ、俺もやっぱり戦うのか。まあ、死んでもあっちにゃ問題無いよな。上の空でぼんやり轟が思いに浸っていると、銀はこう言い出した。
「お前等、いつも言ってると思うがよ〜く肝に銘じとけ。『絶対に死ぬな』。理由は人それぞれだが、死んじゃいけない。判ったな」
彼は心に刺さったような気持ちになった。
死んじゃいけない。
理由が無い言葉は初めて聞いたような気がした。温もりよりも温かいものを感じた。もし、この言葉に自分の「理由」をつけるとしたら、それは
自分を必要としてくれる人が居る。だから死んじゃいけない。
ではないのだろうか。
夜が過ぎ。部屋に朝日が差し込む。妙に外が慌しい。
轟は起きて辺りを見回した。視界に入るのは酒で酔っ払い、良く寝ている銀と、幾つか倒れた酒瓶と杯が二杯。そうだ、振姫と銀は昨日酒を飲みまくって顔を赤くしたまま銀は寝、振姫は帰ってしまった。自分はただただ見ているだけだったが。蟲は帰ってきていなかった。
「嫌に冷静だな、俺……」
そうだ。おかしい話である。
『何故今まで人を殺したことの無い人間が人間を殺めて、こうも普通に過ごせるのか?』
父親を包丁で刺したとき、あれだけ殺した自分に怯えていた自分が、この時代に来た瞬間全てのことに対して柔軟にことを受け止め、行動した。驚きというものも無く、感情が無いのでは? と思った。
手には「天国」。無意識に掴み、外を見る。何やら木材を運んでいる用だが、何をやっているのかわからなかった。
後ろの引き戸がすっ、と開く。比奈だ。
「あら、もうお目覚めですか?」
「おはようございます……」
寝ぼけ眼で比奈にそう言うと、また外を見返した。
「何やってんですか、あれ?」
「『お祭り』ですよ、お祭り。夏ですから。銀さんも出るんですよ?」
「出るって?」
比奈は朝食を置き、散らばった酒瓶などを片付けている。
「何でも……『試合』だそうです。木刀で相手の頭にある杯を打つとか」
彼女は杯を拾いながらそう言った。それにしても何と元気な人だろうか。昨日の夜、男と寝たであろうに自分より早く起き、仕事に励むとは。
「誰でも参加できるらしいです。賞金も出て、罪人の場合は今までの悪事をチャラにして、更に徳川の下で働く権限が得られるとか。詳しくは今夜行われるので銀さんに聞いてください」
比奈は微笑して戸を閉めた。同時に半ば着物が肌蹴た(昨日の酒で)銀が起き上がった。
「……ん、まだ蟲ァ帰ってきてないのか」
「ええ、なにやってんだろ……」
「大方祭りの様子でも観察してんだろ?」
ぼけたつもりらしいが、彼には通用しなかった。蟲の眼が歪む瞬間を見逃さなかったからだ。しかしそれについては触れなかった。自分には自分の、他人には他人の都合というものが有るだろう。比奈に出された飯を無言で食べながら思ったその時であった。
旨い。
ここは現代と違って冷凍という文化が存在しない。冷蔵位はある限定された地域ぐらいしか出来ない。しかもここ、江戸にはそんなものは在りはしないだろう。保存といっても精々塩漬けにするか位だろう。従って、米は立っているし、魚は新鮮そのものだ。まあ簡単に言えば今まで彼が食ってきたものより旨いということなのだが。
暫く今まで腹に収めてきた食い物を彼は思い出していたが、プツリと。途絶えるようにその感情は消えた。轟自身は気にしなかったが、後々大変な自体を招くことになる。
そもそも。この「天国」と呼ばれる刀、大昔名工「天国」が造ったとされる剣で、室町時代前後、盗人がその刀を盗ろうとした時、暗雲が立ち込めたちまちの内に雨が降り、その盗人に稲妻が直撃したという話がある。今は白鞘で包まれているが、元々金箔で包まれていた。
もしこれが本当に「天国」であれば、誰かがこの剣を白鞘に収め、切れ味まで修正している、ということになる。
何故それが言えるか? 今は戦国時代。どれほどの月日が流れたというのか? 何故轟しか持つことの出来ない剣を、収め直したり出来ようか?
とにかくそれが判るまで、彼にはもう少し時間が掛かりそうである。
「さて。俺はちょいとあいつを探して来るとするか」
飯を食い終わった銀が、そういって立ち上がった。
速い。何がというのは飯を食う速さだ。一分もかかってないだろうに、米、味噌汁、魚、漬物等を一斉に食ったらしい。轟は半分も食い終わってない
(なんつう口のでかさ……)
今まで、何に対してもどうしてか動じなかった彼は、やっと少し動揺した。
「轟、お前は適当にぶらついてな。昨日みたいなゴロツキ共には絡まれんな。この一角にはそういった輩が多い」
「……はい」
魚を解しながら轟は答ると彼女は一言
「今日祭りがあるが来るように。夕方頃会場に来い、多分比奈が案内するぜ」
そう言い、戸を閉めて出て行った。
その時である。
「ケエッ!」
鳥の鳴き声だ。聞く限り、聞き覚えのあるこの泣き声。カラスのようだが、窓から覗くとやはりそうである。一人の男の周りに、カラスが我先にとばかりに男の肩にとまりたがる。長身の刀を一丁ぶら下げて、
「ふあ……」
とあくびをして、まるで「タイタニック」のシーンのように両腕を伸ばす。すると不思議なことに、カラスたちは一斉にその腕にとまる。
口のすぐ横に飯粒を残したままの彼は、そのまま歩く男の姿を滑稽に思ったか、
(何だありゃ)
と思いクスリと笑った。その瞬間、男はハッとしたようにこちらを振り向いた。一瞬だが、男の眼は紙よりも薄くなった気がした。
男はすぐに眼を元の大きさまで残し、口の横に指を当てた。自分のいる腕のスペースが無くなったか、カラスが一、二羽、飛び立つ。
轟が頬についている飯粒を舌で舐めとると、男はまた腕を伸ばす。そして奇怪なポーズをそのままに、また笑顔で歩いていく。今気づいた事だが、この男、この遊郭から出てきたらしい。証拠に比奈が男に頭を下げて見送っていたからである。
「『鳥の助』とかいう奴か。不気味だな」
そうポツリと言うと、轟は茶碗に残っている米を、腹の中に納めた。彼が「鳥の助」と推測したのは、実はまぐれ。そんな気がしただけである。
「其の五、『チャンバラ祭り』」
「あら、どちらへ?」
比奈が下駄を履いている轟に言った。
「そこ等へ。街の様子でも見てこようかと」
「あら、余りそれはお勧め出来ませんね……」
比奈の顔が曇った。
「今日は『祭り』ですよ? そこら中にならず者やお尋ね者が出回っているんです」
「祭りってそんなに危険なものなんですか?」
「危険も何もあれは半殺しあいのようなものです! どうしてもというなら……仕方ありませんが……外をご覧ください」
そう言われると彼は、玄関の戸を引いた。開いた瞬間、殺気のようなものが一瞬にして漂ってきた。瞬時に轟は理解した。
(外のゴロツキってのはこれらか)
目つきの悪そうな男、薄ら笑いを浮かべた目元の暗い女に、抜いたままの刀を肩にしょってる山賊らしい大男等、見ただけで分かる剛の者がずらりと列になっている。
「……何なんですかこれは」
不思議に思うのも当然。何せ何羽のもカラスを身に纏っているあの男が来たときにはまだ誰一人としてそういう類の者は居なかったからである。
「見ての通り、罪を犯した人間や、他の訳ありの人間達です。祭りというのは『犯罪免除』、『富』、『仕事』を欲しがる人間が集めて、兵を回収したいという徳川の考えのもと、こういう催しを設けたんです」
「? 良く分かりませんが……」
「いいですか?」
比奈は戸をぴしゃり、と閉めると話し始めた。
「この祭りは最近近づいてきた大戦の下準備の為のものです。元々は自分の強兵を増やすために設けられたものだったのですが……」
「何故?」
轟はとりあえず履いていた下駄を脱ぎ、段差に座った。同時に比奈も座る。
「兵は、強いほうがいいでしょう? だから人一人の剣才を認めるためにも、これがある。どんなお尋ねものでもとりあえず引き入れて、今までやってきた悪行も免除し、働く場も与え、金も貰います」
「何かそれがいけないんですか?」
「問題はそのやり方です!!」
比奈は少し黄色い声をあげた。
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2007/11/07(Wed)15:05:37 公開 / 夜風
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■作者からのメッセージ
暗いです、のっけから。不快な印象を与えていたら、すみません。この小説は、主人公の心の変化を描くものです。日本の昔にタイムスリップして、色んな物を得て。少年は強く成ってゆく、そういうものを目指しています。轟の心の変化を、最後まで見てくれると嬉しいです。では。