- 『ハローモンスター』 作者:藤野 / 未分類 未分類
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全角3036.5文字
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原稿用紙約8.5枚
ナボコフ『ロリータ』を題材に。義理の娘になる(予定)の子供に執心する男の話です。
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(ロリータ、我が生命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌のさきが口蓋を三歩すすんで、三歩目に軽く歯に当たる。ロ。リー。タ。)
さて諸君、此処に置いては僕はいかなる教訓、モラルもひきずってはいない。
あの子供を初めて見たときの僕の衝撃を誰が知るだろうか!あの衝撃は僕以外実感しようがない。僕にそんな圧倒を与えた張本人であるあの子だって知らないだろう。割れるように僕の頭蓋は氾濫し喉はひび割れ体中を包む震えを止める事にどれだけ苦労したか!僕の目の前で彼女の母親に当たる女に自分を紹介され困ったようにその小さな頭をぴょこんと下げ、「初めまして、」小さな声であの子は言った。あの子、制服姿の16の子供。あどけなさの残るその顔に困惑を載せて、「あの、…さん、」、僕を呼ぶ慣れない戸惑ったような声。あの時確かに僕は、まるで砂漠で迷い果たした旅人が目の前に差し出された水を一心に注視するみたく、気が狂ったようにあの子を見つめていた。この圧倒、驚愕、衝撃!急に黙り込んだ僕に驚いたのか、その後続いた彼女の母親のいぶかしげな僕を呼ぶ声に(ああ、彼女が僕を呼ぶ声を聞いた後の、その声の何とひび割れ醜いことだったか!)、何とか力づくで体裁を取り繕うまで、果たして僕は内心の荒嵐を誰にも気づかれずに居られたのだろうか。尋常ならざる身のうちの熱を。しかしそんな不安は確かにその時は、おどおどと僕を見上げる彼女の目をまた見た瞬間僕の中で吹き飛んでいたのだ。
もう一度名を呼んで、いや、触れたい。そんなことすら考え虚ろな目で手を伸ばしかけた僕を、それを理性で無理やり押さえ込んで結局それを振るわせただけだった僕の所作を彼女が不信がったりしなかっただろうか。心配だ。今の僕に彼女に否定されることはとてもじゃないが耐えられない。彼女に出会ってしまった僕にとって。
ああ、あの子供を初めて見たときの僕の衝撃を、誰が!
勘考する、懐疑する、心慮する。かつてあれほど愛らしい生き物を見たことがあるだろうか!
僕はあれから何度も何度も同じ問いを煩悶し或いは己に自問し続けている。ひとり。しかし答えは常に一つと決まっている。否だ。僕は嘗てあれ程の僕を魅了する人間にあったことがない。
唯一であり至上。彼女は可憐且つ妍艶且つ婀娜且つあえかだ。彼女に全ての美の形容は当てはまり或いはすべてが当てはまらない。強すぎる光はもはや光とは認識されないのと同じことだ。彼女はそれほどまでに美しく愛らしくいやもはや凄まじいと言う言葉さえ当てはまる。人の嗜好の問題だと或いは誰か笑うかもしれないがたかくそんなことは僕にとってどうでもいい。万人に彼女の魅力が分からずとも僕にとって彼女は確かに完成された崇美を持つ神であり勇烈な性を持つ女神でありふわふわと儚く笑う天使であり或いは愛らしい子悪魔だった。肩より少し下に伸びた栗色の髪は日本人にしては珍しい程の明るい色彩で彼女を彩り、その下覗く濡れ羽色の瞳は野をかけ水溜りを踏み越す子供そのものの純朴を持ちながらたまに酷く濡れて女そのものの様態で艶めかしく何かをいざなっている。すっと通った鼻梁は母親そっくりの整い具合で、下に絶妙なバランスで位置する唇は真っ赤な果実の汁を塗りたくったようにあどけなくふっくらと柔らかい。体つきも手足もどこもかしこも白くまろく、造詣は女としての魅力を感じさせるほどのものを持っては居ないはずなのにどこか新雪を踏み汚したいような倒錯した気分に陥らせる。美しい、隅々まで柔く愛らしい。どこもかしこも僕が愛するその身体はまるでオーダーメイドで作らせた取って置きの人形のよう。
愛おしい。しかし何より素晴らしいのはその心、性情だ。
常に快活であり見るものすべてに光のような暖かさを与えるその精神は、太陽の放つ光のようにすべてを焼き凪ぎすべてを浄化するほどの強さを持っている。熾烈であり温柔。恐らくはあらゆる人間に好意をもたれるだろう暖かさ明るさを彼女はその身に宿している。しかしまた、それだけがすべてではないと僕は知っていた。彼女が時々見せる弱弱しい笑顔、その中包まれた魂。脆弱で弱くまるで怯える小動物のように被虐を誘う。僕はその片鱗を見る度に自分の欲望を抑える事に酷く苦労した。
つまりは今にも彼女を捕まえて檻の中に押し込めて僕だけがそれを見つめることが出来るようにしたいと言う熱病じみた欲を。
直ぐにでも彼女の唯一の身内であるあの女を彼女から引き剥がし僕の腕の中に連れ込みあの子の全部を喰らいたい。僕が彼女しか見ていないように、彼女も僕だけを見るようにしたいのだ。それこそ人形の目がただ唯一の方向、一つものしか見れないように、僕は彼女を僕それだけで覆ってしまいたい。彼女に喋るのも見つめられるのも触れるのも彼女を犯すのも全て僕だけが。僕だけのものに。彼女を。
ああ、僕は彼女の体が、彼女の心が、彼女のすべてが欲しいのだ。
この思いを歪みと嘲笑うか。罵るか。そんな愛は異常であり唾棄されるべきものであると。こんな僕の思考が誰かに漏れたのなら大方の御婦人は卒倒するかもしれないし或いは野太い罵りの声を投げかけられるに相違ないんだろうな。しかしながら大方愛とは胡乱であり愚昧であり惨烈であり無頼だ。過去の妄執を追い続け結局は死に喰らわれたどこかの男も儚げに語ったろう、恋は罪悪ですよ、と。それは常に狂気を喰らって歪みを孕んで、どうしようもない闇を身にまとってただ唯一を求める醜悪の行為だ。皆が幸せになれる愛など御伽噺の中にしかありえない。だって愛なんて何かを喰らい続けるものだろう。例えば言葉であり行為であり優しさであり嫉妬であり、何かを持続して得ないと満足しないこれに不偏の幸福を懐胎できるものか。きちんとあった歯車同士だってその仕事の果てには何時かはお互いがお互いををすりつぶしすぎてボロボロになって脆くも崩れ落ちるものだ。平安に見せかけても実は水面下で何かを殺し続けている。つまり愛は結局、終焉を喚起して崩壊を予見するものなのだ。求めるものに手を伸ばして喰らいつくして。
ただ唯一の為に、死さえ臨んで引き千切るように希求する。なあ、それが愛だろう?
それではこれが愛情といわずに何と言うのか。僕があの子を求め捕え閉じ込め誰にも見せたくない、そう思う欲求を。僕だけのものにしたいという、僕のこの身を切るような切なる願望を。
彼女を喰らいたいという欲を。
そうだ。僕は、あの子を、愛している。
…ちゃん。…、…。ああ、言葉に出すのすら惜しい、これが彼女の名前。呟くだけでも口の中に蜜を含んだみたいに甘い。僕の生命のともしび、僕の肉のほむら。僕の罪、僕の魂。僕の全て。彼女は近々僕の娘になる。僕が浮薄に好意を持つ女(僕と彼女を引き合わせてくれたという感謝の念以外僕はあの女に抱いたことはない)が僕と婚約を結ぶ時に身内になる子供。僕達は親子になる。僕はあの子の父親に、あの子は僕の娘に。義理であってもそんな子供に対して今僕が抱いている心情は罪過であり許されるものではないが、さて諸君、此処に置いては僕はいかなる教訓、モラルもひきずっていないのだ。愛に置いて。
(ロリータ、我が生命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌のさきが口蓋を三歩すすんで、三歩目に軽く歯に当たる。ロ。リー。タ。)
この意味を?
(ロ。リー。タ。)
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2007/03/31(Sat)04:09:52 公開 / 藤野
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■作者からのメッセージ
括弧内の引用はナボコフのロリータからです。狂人の狂気とは正気である、そのむちゃくちゃな論理のごり押しを表現してみたくなり書きました。足りないところなど、推敲していただければ幸いです。