- 『花色の雨』 作者:森中ひと / リアル・現代 お笑い
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全角4862文字
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原稿用紙約16.3枚
通いなれた通学路。見飽きるほど見つめた黒板と、窓の外。たわいない会話に、笑い声。 何でもない日々が急に特別に見える一瞬。棗が見た、最後の日。
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すずめのさえずりが、カーテンの隙間から漏れる光の中でチリチリと輝く。
棗は寝返りを打った。
制服、制服、制服。制服が世界征服している。
そびえ立ち、棗を見下ろす制服の大群。
それが街をどんどん踏み潰してゆく…。
夢。
うめきながら、携帯のアラームをとめる。
耳障りな電子音に叩き起こされて、棗は布団からはいでた。
「さぶ…」
部屋の外から、妹たちがばたばた今日の用意をしているのが聞こえる。
台所からは、母が作る朝食の香り。
まだ頭の芯がボーっとしている。
あくびをしながらのそのそと階段を降りて、妹の陽菜にぶつかった。
長いストレートヘアーに大きいパッチリした瞳。
我が妹ながら、腹が立つ顔である。
「いてっ」
「邪魔っ!」
狭い廊下で五つも年下の妹に押しのけられ、棗はいささか情けない気分になる。
ひでぇ。
洗面所の扉を開けると、何かの嫌がらせだろうか、と本気で思うほど冷たい風が吹きすさんでいた。
何も、こんな早朝から空気の入れ替えしなくてもさぁ。
母が開けたのであろう、窓を閉めて、ふと見た鏡に落ち窪んだ目の少女が映る。
「こっわー」
思わず口に出るほど、恐ろしい顔をしてこちらを見つめ返しているのは、自分だ。
棗は額に手を当てて、目を閉じ、深呼吸してからもう一度鏡を見た。
誰?この人。
じぶんだっつの。
やや呆れながら自分に突っ込みを入れて、棗は洗面台に手を突いた。
黒目だけが動物じみて妙に大きく、そのほかはこれと言って特徴のない顔。
棗はどうひいき目に見ても美人ではない。
背が高く、髪もしゃれっ気もなく首の辺りで切りそろえているので、かわいいという単語は、明らかにお世辞である。
蛇口をひねれば、夜のうちにキンキンに冷えた冷水が手の上にこぼれる。
寝不足で腫れぼったい顔に、冷水を叩きつける。
今日で最後なのに。
仏頂面でこちらを睨み付けている、鏡の向こうの自分にちょっと手を振る。
相変わらず仏頂面。怖いよおかあさーん。
一人遊びをしている場合ではないので、棗は制服に着替える。
「棗ちゃん、今日卒業式でしょー?」
いきなり声をかけられて驚いた。
振り返れば、もう一人の妹、幸美が教科書を手に立っている。
陽菜と幸美は一卵性双生児、らしいので(棗はその辺のことを詳しく覚えていない)凄く似ている。時々、どちらがどちらやら、わからない。
しかし、やっぱり我が妹ながら腹の立つ顔である。
みんな太ってしまえばいいのに。
心中でぼそぼそと呪詛を吐きながら、ブラウスのボタンを留めた。
「そうだけど」
「お母さんが、何時までに行けばいいのって言ってたよ」
シャツのボタンを留めていた手が止まる。
「…今更?」
「何時なの?」
「9時半までだったと、思うなー。確か。多分。恐らく。」
まだ中学一年生なのに、メガネでおさげという、何を狙っちゃっているのか今一掴めない出で立ちの我が妹が遠ざかる。
おかあさん。9時半だってー。
…知らないうちにでかくなったなあ。
なぜか自分が急に老けたような気がして、棗は慌てて手を動かした。
カーディガンを着て、あちこちに跳ね上がるおかっぱ頭を櫛で撫で付ける。
どうにかなれ、頭。
無理である。
10分自分の髪の毛と格闘したが、一向に勝ち目は見えないので諦めて朝食の席に着く。
ご飯と味噌汁と鯖の缶詰と納豆。
「いただきます」
毎日の習慣とは恐ろしいもので、朝食はかきこむものと体が覚えている。
ものの三分で朝食が片付く。
正面では陽菜と幸美がゆっくり朝ごはんを食べていた。
洗面所に入ると、家の中なのに物凄い風鳴りを立てて寒風が吹きすさぶ。
だから、窓開けるなよ。
寒さで切なくなりながら、歯ブラシを片手にダイニングへ戻る。
今朝から何度やったかわからぬ天気予報で、今日は一日穏やかに晴れるでしょうと、可愛らしさが癇に障るお天気キャスターが報じている。
別に、嫉妬なんかしていない。
いや、私は彼女のあの細い太ももに確かに嫉妬している。
いやいや、あんな鼻にかかった、こびるような声音の明らかに頭悪そうなキャスターに誰が。
いやいやいや、そこまで必死で卑下するところが明らかに…。
胸のうちで馬鹿馬鹿しい問答をしながら目線はテレビを越して、窓の外へ。
曇ってるぞ、天気。
庭では柴犬のライナスが伏せている。
日本犬なのに、名前外人。そして老犬。
ライナスは変わった犬で、えさを前にしても全く動かず伏せたままだ。
すずめが頭に乗っている。
…死んでるのか?
ちら、とライナスは目だけをこちらに向けて、また閉じた。
すずめがライナスのえさをついばんでいる。
妹どもよ、見よ。
歯ブラシを口に突っ込んでいるので、棗は黙したまま、妹たちが繰り広げる醜い争いを眺めた。
「絶対、陽菜の方が多く食べた」
「何言ってんの、幸美の方が多かった。あたし見てたもん」
云々。
一欠けの鯖を巡って箸が火花を散らす。
ライナスは再び、そんな室内をチラッと見やって、フン。鼻を鳴らす。
しかし、えさを前にして喜ばない犬って一体どうなっているのだ。
いつの間にやら数を倍ほどに増やしたすずめが、ドッグフードを食い散らかしている。
ライナスよ、それは慈善事業か?もしや、動物愛護運動ではあるまいな。
心の問いかけが聞こえたのか、ライナスは室内に背を向けて伏せた。
いやみなやつである。
「行ってきます」
玄関を出れば、目の前に自転車。
母のお下がりで、何年乗っているのか知らないが、さびている。
赤い塗装が剥がれ、鉄が露出しているところはすべてさびている。
つまり、殆どすべてさびている。
ブレーキを掛けると甲高い、耳障りな悲鳴を上げるので、棗はあまりこの自転車を気に入ってはいなかった。
しかし、この自転車で学校に行くのも今日が最後と思えば。
胸に迫る切ない気持ちを、棗は何気なく目をやった携帯の液晶で吹っ飛ばした。
やべぇ、遅刻。
勢いよくペダルを漕ぎ出す。
校門前には立派な桜の木が一本、その門をくぐる者たちを見下ろしている。
まだ蕾が膨らむ気配すらない骨ばった枝。
入学式のときは、この桜、咲いてはいなかったが新しい芽吹きで枝が赤く霞をまとったようだった。
自分が一年生だったときの、三年生はかっこよかったな。
棗は、がやがや笑いながら下駄箱に向かう後輩たちを見て思う。
自分は後輩に憧れられるような先輩になったのだろうか。
はて、生まれてこの方文化部の棗には今一後輩からの尊敬の念を感じた覚えがない。
確かに、家庭部なんて、調理実習と編み物ばかりやっている部で一体何を尊敬されろというのか、棗自身にもわからない。
料理も、裁縫も、できて当然なのだ。
「おはよー棗ー」
「うい、おはよう。玉ちゃん」
下駄箱で靴を履き替えていると、頭上から妙に高い声がした。
玉沢君である。
彼とは部活が同じで、三学年になって初めて同じクラスになった。
黙っていれば、長身でなかなか男前だ。
しかし、物事がままならないのは世の常で。
「ねえ、式で胸に飾る造花、あるじゃない」
玉ちゃんは、オネェ言葉でしゃべるのが趣味だ。
「あの、カーネーションみたいな赤いやつ。今年、違うらしいよぉ」
「ああ、あれか。つか、玉ちゃん、あれクラスで何色の花つけるか、みんなで決めたじゃんか」
教室へ向かいながら、何人かの後輩と挨拶を交わす。
三学年の教室がある、二階の廊下は人でごった返していた。
最後の別れを惜しむ、先輩、後輩、学友。
「そうだっけぇ?」
「若年性痴呆症…おっ、真奈美!おはよう」
どうにも思い出せないらしい玉沢に冗談を言いかけて首を絞められそうになった。
あわてて、人ごみの向こうに知った顔を見つけ、手を振る。
「あっ、先輩探してたんですー。」
人ごみに、その小さな華奢な体をもまれながら、真奈美は棗の元へ何とかたどり着いた。
真奈美は長い付けまつげだか、つけすぎのマスカラだかを瞬いて、棗を見上げた。
わー風が、風が来るから瞬きやめてー。
真奈美はそこそこかわいいが、ことごとく校則を破ったような格好をしているせいで、魅力が大分微妙な方向へ向かっている。
なんていうか、フェロモン?
棗の視線は、自然と胸元へ引き寄せられる。
ボタンあけすぎだって、何度言ってもだめなんだな。
華奢なネックレスチェーンの先に、小さなハートのモチーフ。
さらにその下のピンク色のレースと玉の肌…、棗の背丈になると丸見えである。
「見えてる。見えてるよー」
やだー、破廉恥―。と、棗は目を覆って恥ずかしがって見せた。
しかし、真奈美には効力ゼロである。
ちょっと襟元を手で触っただけで、
「あのねー、先輩」
と甘えた声音で夏目を見上げた。
「何かな後輩」
「これ、旬ちゃん先輩に渡してほしいの。それで、ボタンもらってきてほしいの」
敬語はきっと春霞の向こうへ忘れてきてしまったのだ。
棗は押し付けられた手紙と小さな箱を見た。
「あ、先輩、見ないでね」
なにをだ。見ないのはいくらなんでも無理である。
「読まないよ。鳥肌がたつもの」
「ひっどーい」
言いながら、真奈美は笑ってい、短すぎるスカートのすそを両手で引っ張りながら、よろしくですしたからねー、と何処の国の出身なのか疑われそうな敬語で去っていった。
「それ、旬に?命知らずって言うか、身の程知らずって言うか、恥知らずっていうかー。ま、なんにしても、その自惚れは尊敬に値するわー、あの子」
辛辣。
棗は死んだ魚のような目で、ふふふと笑う。
色恋沙汰、とでも言うのか。
女らしさがところどころ欠如している棗には、なにやらむずかゆい話だ。
「ダーリンは、ダーリンと呼ばれるだけのゆえんがあってダーリンなのにねぇ」
「女の勘は鋭いって言うけど、あの子には備わってないのねー」
いやぁ?もう勘を働かせる間でもなく、一目瞭然だろ。
棗はやる気もなく、そう無言で教室内をあごでしゃくった。
棗たちのクラス、4組は男女半々の41人編成で、そのうちの半分くらいが今教室にいるようである。
その教室の真っ只中に、
「ダーリンのばかー!もう、りこんよー!!」
「おー、勝手にしろー」
と痴話げんかのこえ。
ダーリンと呼ばれたのは、先ほど真奈美が旬ちゃん先輩と呼んだその人で、ヒゲでメガネのギター部だ。
一見、怖いおっさんか、やーさんにしか見えないが、笑うとかわいい。
一方、痴話げんかの相手は花ちゃんだ。
こちらは背が低く、とにかくミニマム。
しかし、その口から出る言葉はいつも何らかの一線を踏み越えている。
何せ、欠席の理由が恋わずらい。
原理を説明せよ、という問題のテストの答案が、愛のため。
彼女自身の自己紹介は「愛のハンター小町花子です」。
棗は花ちゃんのことを、いつも限界に挑戦する、強い女性だ。と思うことにしている。
「おはよ」
「おはよう」
「おー」
遠巻きに夫婦漫才を見学していたクラスメイトに適当な挨拶。
玉沢は花ちゃんと
「きいてーっ!ダーリンったらひどいのよー!!」
「まー、信じられない!旬ちゃん、あんたがこんな冷血漢だなんて知らなかったわ!!」
と、二人でキャアキャア言っている。
間に割り込むのは非常に心苦しいが、
「ダーリン、我が後輩から愛のプレゼントだ受け取れー!!」
ほぼ攻撃名を叫びながら技を繰り出す正義の味方のようだった。
旬は投げつけられた包みをどうにか受け取る。
「え、なにこれ?」
「お前、人の話を聞いているの?」
言いながら手紙も手渡す。
「そんで、式終わってからでいいから、ワイシャツのボタンよこせ」
「はあ?!」
いよいよ訳がわからないといった調子で、旬が聞き返した。
すかさず、花ちゃんが身を乗り出す。
「えっ、じゃあ、あたし残りのボタン全部ほしいー」
「あたしもあたしもー」
玉沢までもが悪乗りして、二人の乙女に襲われた旬の姿は巻きあがる埃の中。
笑い声の絶えない教室。
誰が持ってきたのか、夏に窓辺に掛けられた風鈴が冬空の下で静かに鳴った。
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2007/03/17(Sat)00:34:53 公開 / 森中ひと
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■作者からのメッセージ
読んでくれる方がいらっしゃるか、かなり心もとないのですが、楽しんでいただけたら幸いです。
ここまでが前編で、次回、中篇後編へ続きます。
誤字脱字、不適切な表現、ストーリー展開の不備などありましたらどうかご指摘ください。