- 『ダウトシティ・ライフズ』 作者:呪炎 / SF ファンタジー
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全角13601.5文字
容量27203 bytes
原稿用紙約40.85枚
それは、ありとあらゆる異能者が集う町。 白浜市で引き起こる途方も無い事件の数々。 そこは……今よりも魔法が一般化された世界。 しかし人の心は何一つ変わらず、日常には何の片鱗もない光景が広がり二十一世紀の町並みには変化も変異もない。それらの技術や神秘は一部の産業方面に置いてのみ実装され、人々の生活には障害も生じず、時は今までと同じように平穏の秒針を刻んでいた。 世界で初となる魔科学を特化として扱う専門機関。通称『白浜アカデミー』に在籍している数人の学生達。各々の目的とその影に隠された組織との因果関係。 僅かなに傾き始める綱渡りにも似た均衡状態は、たった一つの事件において脆くも崩れ去る。 一人の少年が発見したアカデミーでも一部の存在しか口外されていない謎の地下施設。 そこで彼は鎖に拘束された魔動装置を目撃してしまう。それはか弱い一人の少女。不幸中の幸いか、それとも少年の不可解な運命が導き出した必然なのか。少年は少女との会話を通じて、日頃から思い描いていた一つの計画を実行に移す為、行動を起こすことになる。 封じられた彼女……魔道装置の一時的解放。その意味するものとは? 異状の事態により事件の処理へと行動を開始する国家特務機関『ヴィジョンズ』 町に跋扈する人を襲う異形の数々。 ついに、ひとりの少年の欲望によって町は変貌を開始した。
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誰も見つけることが叶わなかった場所。
噂では何通りもの伝承が伝わっているが、実際にこの聖域を発見できた者が一体何人いたのだろう?
地下へと緩やかに伸びる階段を降り、数人のガーディアンに守られた分厚い鉄の扉を抜けた頃。
その空間がやっと目の前に広がる。
少年は見つけ出した。
町の悪を封じるために用意された神殿を……それは一人の少女を閉じ込める為の場所。
一人の人間を拘束するためだけに作られた秘密のフロアだった。
左右にロウソクの明かりだけが点在し、それらは微かに……だが暖かくその場所を照らしている。
誰も訪ねることが無い腐敗した礼拝堂。そこに居たのは鋼鉄の十字架に貼り付けにされた少女。
そして、それを見つけたのは……世界を自分の力で変えようとしている少年だった。
ダウトシティ・ライフズ
壊れた礼拝堂で見つけた彼女の姿は俺の心を貫いた。
何も感動的は出会いでもないのに。
それは衝撃的であり、俺の今までの生き方を全て否定されたような狂気に気持ちが洗われた。
俺の中で永眠したはずの狂犬が僅かに胎動を開始。
体中に流れる血潮が俺の意思とは反して外に出でようと暴れ、震えが冷たい感覚と共に電撃のように小さな人間の身に走り、感情がサディステックに高ぶる。
何度みても奇怪としか言えない魔術文字と合金で作られた仰々しい鋼鉄の十字架。
十字架の棺は彼女を縛り、何があろうとも束縛する対象を放すまいと、無言の圧力を俺の全身に投げかけてくる。
これ以上近づくなと……これ以上それに触れれば後戻りは出来はしないのだと、俺に問いかけているような気がした。
だが……
「ここから外に出たくはないか?」
俺にはそんな物関係ない。
問いかけが耳に届いたのか、それとも外界からの初めての刺激に興味が沸いたのか。
彼女は十字架に身を委ねていた体に力を入れ、力なく俯いていた頭を静かに上げた。
数百年の長い時を重ねた吸血鬼のような白い肌。
魔力と妖力に満ち溢れた人々を見下す人の形をした魔女を称える紫水晶の瞳。
鍛えられし艶やかで全てを切り裂くが如く洗礼された剣を連想させる冷たく鋭い輝きを放つ長い銀の髪。
一つの工芸品は、俺の言葉に反応して一滴の涙を流した。
雫がどんな意味を持つのか俺には分らない。
しかし、今の俺には一滴の気持ちだけでも十分だ。彼女が俺に反応した。それだけで十分すぎる。
彼女が俺の瞳を見つめ返してくる。これは快挙だ。彼女が俺に言葉を返そうと唇を動かす、それは革命。
一挙動のそれぞれが新鮮で彼女の行動の全てが、俺の回りを囲む世界を動かし始める為の動力となるのだ。
そして、俺はその一部となる歯車の一つ。
「あなたは誰?」
小鳥の囀りか、それとも死肉を啄ばむカラスの囁きか。
「俺の名は理伊戸 渚」
「りいと……なぎさ?素敵なお名前ね。綺麗な響き……」
「俺と一緒にこい。俺の物になれば、世界を見せてやろう。それば美しい天国か、醜い地獄であるか、それはお前が自分で決めればいい。だが……後悔だけはさせない」
「いいわリイト。私を連れて行って……私をあなたの物にして」
「交渉成立だな」
「ええ。私が本来見るはずだった世界を、あなたの隣で見てみたい。とても楽しみにしているわよ。連れて行って頂戴」
「いいだろう。名前は何がいい?被検体ナンバーでは味気ないだろう?」
「そうね……偽名っぽい名前がいいわ。リイトが決めてくれない?」
「それはとても難しい注文だ。それにネーミングセンスの保障はしないぞ?」
「あなたの付けてくれた名前なら、私は始めて私を認めることができるような気がする。だって私を認めてくれた人が与えてくれる初めての物なんですもの。それが私にとって大切な物にならないわけが無い。さぁ……教えてくれる?私を指し示す記号を、あなたが私を呼ぶ言葉を……慎重に選んでね」
「そうだな」
彼女の傍に近づく。一歩一歩と距離が狭まるにつれて彼女の吐息が聞こえてくる。
高ぶった感情に体が答えてくれているが心配だった。
ちゃんと正常に俺の脚は地面を蹴っているか?目の前にいる女は本当に幻影ではないか?感じる冷たい空気は本物か?
俺の手が彼女の頬にそっと触れる。
大丈夫だ。これは現実だ。俺も彼女も確かに遍在している。
さぁ幕開けだ。嘘と虚像が入り混じった世界の崩壊劇。キャストは狂った監督の自作自演。共演する女もダウトな世界が生み出した汚点。世界に向けた最大規模の皮肉。
「ダウトか……」
「それが私の名前?」
「ん?あぁ……良いかもしれない」
「違うの?」
「ただの一人言のつもりだったんだが、気に入ったのなら構わない」
「自然に口から出たのね。とても運命的なものを感じるわ。うん、ダウトで決まりね」
「それではダウト。ようこそ世界へ」
十字架が壊れる。彼女を世界から切り離していた鎖が、名残惜しく彼女を残して砕ける。金属音が礼拝堂に細部に渡るまで轟き、マリアが描かれたステンドグラスが僅かに打ち震えた。
「これからよろしくリイト。あなたに気に入ってもらえる玩具になれるように一生懸命頑張るからね」
俺に胸に倒れこんでくるダウト。何も纏っていない華奢な体を難なく受け止め、小さな肩に俺は上着を脱いで着せた。
遅れて聞こえてくるサイレンの音。少々耳障りで苛々するが、今は時間が無い。
「この音は何?」
「さぁな……行くぞダウト」
「うん。行きましょう」
これが俺とダウトとの始まり。
さぁ嘘の世界をぶっ壊してやろう。俺たちならば、命果てるまで壊れかけの世界で生きていける。何でもできる。否定はさせない。
誰かを犠牲にして平気な顔をする人間でいるのは……終わりだ。
地下の礼拝堂を出るとそこには無限の闇が広がっていた。包むものを同じ色に染め上げる暗黒が冷たく周囲に展開され、俺の片隅で服の袖を掴むダウトの体が僅かに震えていることが分る。
思えば不可解なことだが、彼女はごく普通に俺の隣で一緒に歩いている。
何が不可解なのかと言えば、彼女はあの礼拝堂で十数年にも渡って投獄されていたはずなのだ。体も衰弱しきっていたし、手のひらには薄っすらと細い骨が浮き出ていた。とても普通に歩ける状態には見えなかった。
だがこの通り彼女は俺の想像と反して、当然のように俺の後についてくる。
これが、町の怪異を鎮め…厄災を回避されるために用意された生贄の力なのだろうか?
「ここはどこなの?」
「アカデミーと呼ばれている組織の地下施設だ」
「アカデミー?」
「魔術のことは知っているな?」
俺は当然のことだと言うように問いかけた。彼女も自信を持って頷く。そして、苦虫を噛み砕くような不快な顔をして言った。
「魔術とは大気に充満し拡散しているマナ粒子と呼ばれる至極純粋なエネルギー原子を独自の術式に統合、または急激に収縮することによって実現できる自然現象を跳躍した超現象の呼称。それはいくつかの小組織に若干の違いはあれど、根源的な法則は変わらない。それは、マナと式によって構成される全く新しい科学技術」
この程度の情報しか与えられていないとは……だがそれでも十分すぎるかもしれない。
彼女はあの十字架に拘束され、町全体に張り巡らされた術式を維持するためだけの存在だ。
むしろ魔術の根本概念だけ知っているだけでも驚くべきなのだ。
「それだけ知っていれば十分だな」
「そうなの?」
「話を戻すぞ。アカデミーというのは過去の人類大戦以降、発足された魔術を専攻する人間を組織的に育成するための機関だと言って良い。今だから魔術は一般社会に受け入れ始めているが、それでも自然界の常識から見ればそれは怪異であることには変わりはない。必ずそれを認めない頭の固い奴らが存在するのさ。そんな馬鹿から魔術学を学ぶ上で極めて優秀な人材を守護し見守る……簡単に言ってしまえば社会の影に隠された魔術士の名門校のことをアカデミーと呼ぶ」
説明は極力簡潔に、それでいて理解が容易な内容でなければならない。
彼女の理解力が常人とは比べ物にならないことは分っているが、今はそれよりも時間が無い。
全身の神経を研ぎ澄ましながら口を動かす。
周囲に充満する僅かのマナを辿りながら、自分とダウト以外の人間が常に存在するかを確認し、それと同時に自分の体に刻まれた術式を敵の襲撃に備えて瞬時に発動できる臨戦態勢で構築しておく。
ここに忍び込む段階で俺は数名のガーディアンを撃退している。
その時点で管制塔には地下祭殿に何者かが侵入していることが明らかとなっているはずだ。
時間は大して経過していないとはいえ、あと十分も経てば数十人単位で高位にランクされている魔術師が押しかけてくるだろう。
決してそれらに遅れを取るつもりはないが、やはり現状での戦闘行為は俺にとって不利なものとなる。ここは彼らのホームであり、こちらは無力同然のダウトを守りながらの攻防ともなると、想像しただけでも頭が痛くなってくる。
そもそも俺がアカデミーに忍びこんだ目的はダウトだ。彼女を容易く渡すことだけは避けなければならない。彼女の死守は俺の目的には必要不可欠なのだから……
「どうしたリイト?質問ばかりするものだから疲れてしまった?とても怖い顔をしているわよ」
「お前は何の心配もしなくていい。黙って俺に身を任せていれば無事に外の世界を拝ませてやるさ。それとも俺が信用できないか?」
「まさか。私はリイトの所有物、あなたが私に飽きない限り、常にそばに共にいる玩具なのよ。自分の所有者を信用しないで、一体私は誰を信用すればいいの?私に迷いなど一切ない」
真顔で矢のような双眸を向けてくるダウトの言葉に俺は何も言えなくなり、それに答えるように繋いでいる手に力を入れた。
彼女が怖がっていないはずがない。見ず知らずの男に自分の存在を預けて、見たことも無い世界に足を踏み出そうとしているのだ。知らない物と自分を関わらせることは、それだけで決意と勇気を必要する行為。必死になって隠そうとしているようだが、彼女の小さくか細い肩はまだ微かに震えて止まらない。無理をしているのが一目瞭然だった。
俺には彼女を解放した責任がある。
彼女の期待に添える人物でいる必要がある。
泣かせてはならない。守らなければならない。
不安に飲み込まれそうになる心を押し殺して、必死に自分の世界を開こうとしている彼女を、俺は全身全霊を持って支えなければならない。それがどんなに無謀なことだとしても、どれだけの物を犠牲にして敵をどれだけ作ってしまったとしても……彼女が共に生きようとしてくれる限り、俺が逃げ出して良いはずがない。だから……
「そこまでだ!大人しく手を上げて投降せよ!」
そこで無神経が大声が広い空間に響き渡った。
暗黒の大ホールに大勢の魔術師が俺たちを取り囲む。それぞれが白いローブに身を包み影に隠れた顔からは一つとして表情など読み取れない。
魔術によって呼び出された光りなのか。閃光がホールの暗黒を刹那にして奪い去り、辺り周辺が光りに包まれていた。逃亡者の姿を映し出す無情の光り。逃げ場を失った逃亡者に突き刺さる敵意の視線。
「随分な歓迎だな。だが……」
俺は、理伊戸 渚は彼女の前では最強の魔術師となる。
「あと百人は用意すべきだったな。これでは食い足りない」
それは三ヶ月前に遡る。
春一番が俺の体を拭きぬけると、誰も居ない殺風景な公園にようやく音が生まれた。
昨日ようやく「ペンキ塗りたて」と書かれた注意書きが取れたばかりのベンチに腰を下ろして、俺は先ほどコンビニで購入した新作の缶コーヒーの縁に口を付けた。苦味が際立つ独自のブレンドが口内で一気に広がり、先ほどまで閉鎖的な空間に閉じ込められて陰鬱になっていた気持ちを少しだけ穏やかな物に変えてくれた。
アカデミーの抗議を抜け出して、荒野町の郊外に位置する公園で時間を潰すことは俺にとって日常の一部と言っても良い。
そう……俺はお世辞にも模範的な生徒とは言えなかった。
抗議が決して面白くないわけではない。魔術に対する興味が欠片も無いわけでは無いし、寧ろ逆だ。積極的に魔術書は読んでいたし、自分が魔術師の血統を引き継ぐ家に生まれついたことも誇りにさえ感じていた。
だが、心のどこかで俺は物足りなさを感じていたんだ。
このまま魔術を追求し探求し研究に身を埋めても良い物なのか、その先を歩んでいった先に俺が満足した未来が果たして存在しているのだろうか?
そんな途方も無い疑問を抱く毎日。
漠然として明確でない心の暗部。
俺の心は幾ら考えても思考を巡らしても答えを出せない。濁った雨水のように土の色を吸って鮮明にはなりえない不安定な物だった。
いつも誰も通らない公園でそんな自分に呆れて、ただボォ〜と時間を浪費する日課が自然と生まれていた。
だけど、その日だけは変化が起きた。
「こんな寒空の下では、風邪を引いてしまうぞ」
俺に声を掛けてきたのは、とても美しい女性だった。肩まで伸びたミドルロングの穏やかな表情を浮かべた少女は、少し丸みを帯びたお腹を庇いながら俺の隣に座る。
そう、彼女のお腹に新しい生命が宿っていることは一目見てすぐに分った。
「あんた…誰だ?」
なんて白々しい言葉だろうか……俺は彼女のことを知っている。
「うむ、私は神埼チグサだ。その制服……お主は三京の生徒ではないのか?」
第三京欄学園。それが俺の通うアカデミーが隠れ蓑とする表の名前だった。
彼女は学園でも特に有名人で、演劇の名門高としても名高い、我が学園に置いて百年に一人とまで言われた演劇部で一際輝いていた才人だった。俺も一年の頃に良く彼女が主演を演じる劇を何度か見たことがあったが、それはとても素晴らしいもので、今も俺の脳裏に彼女の演技は焼きついて離れないほどだ。
卒業前から彼女を目に付けていた劇団のスカウトは両手でも数え切れない。
そんな雲の上の人物が、まさか妊婦になって俺の前に現れるとは、その時の俺には衝撃が強すぎて……正直やられた。ビビって声が素直に出ていたかも怪しい。
「授業をボイコットすることに何も言うつもりは無いが……サボるにしても、場所を選んだ方が良いぞ」
「あ、よよ、余計なお世話だ」
「はは、そうだな。久しぶりにこの公園で後輩を見つけたものだから、つい嬉しくなってしまったのだ。許してくれ。良ければ名前を聞いても良いか?」
「………理意戸」
「ん?なんだ、良く聞こえんぞ」
「理意戸 渚だ」
「ほぅ、良い名だな。どこか品格を感じる名前だ。うん、お主にはとても似合っている」
俺の名前を聞いて何が可笑しいのか、彼女は顎に手を当てて初老の婆さんのようにクックックッと外見とは不相応な笑い方で喉の鳴らしてみせる。
その屈託も無い態度が少し以外で、俺の中に存在していた気品溢れるお嬢様的『神埼チグサ』のイメージは一瞬にして破滅してしまう。だが、何故か嫌悪感など浮かばなかった。
「では渚。先ほどからずっと何をするでもなく座っていたが、何か悩み事でもあるのか?」
「ずっと?アンタ……俺を見ていたのか」
「散歩が最近では唯一の楽しみでな。些細な変化があると気になってしかたがない。それに、そなたが拙者の友人にあまりにそっくりだったもので……思い切って声を掛けてみたという訳だ。先輩として、何か困っていることがあるのなら相談に乗るが?」
「関係ない」
俺は素っ気無く立ち上がると、何だか自分の顔が無意味に赤くなっている気がして、それを彼女に晒すのが恥ずかしくなった。その場をさっさと立ち去りたくて背を向けた。
それに……彼女は学園サイドに通学していた普通の人間だ。アカデミー生としての俺が抱えている悩みを打ち明けたところで迷惑するだけだろう。いや、それ以前に理解できるはずもない。
「拙者は同じ時間にこの公園を通る。たまには話し相手になって欲しいと嬉しいな」
歩き出す俺に向かって彼女はそれだけ話かけてくれた。高鳴る心臓がどうにも五月蝿い。どうにか喉から声を絞り出して俺は……
「気が向いたらな」
と、それだけ返す。彼女はそんな俺の言葉を聞いて笑ったのだろうか?
暖かい風が、一回だけ吹いた気がした。
それが……彼女との出会いだった。
「残念ながら、お前らを殺している時間もない。一気に突破させて貰うぞ」
体が軽い。空間を無差別に漂うマナの本流が手に取るように理解できる。
これが俺の手に入れた新しい力の効果か!
ダウトを抱きかかえる俺の後方で炎柱が舞い上がり、鼻先を焦げた匂いが通り過ぎた。疾風の如く変化した俺の体は稲妻のように大広間を駆け抜け、フードを被った集団の攻撃を体に内臓された術式をフル活動して掻い潜る。
初撃を回避したことを油断だと決め付けていた熟練魔術師の皆様も、一介の学生に過ぎない俺の予想外の動きに焦りを隠せなくなっているようで、今は自分達が現状で使用できる全ての魔術を持って、追撃を仕掛けて来ているようだ。
雷撃を繰り出す魔術師の頭上を飛び越え、水流を操る術者には味方の魔術師を巻き込む可能性が残るルートを選択して疾走。味方殺しが大罪である彼らにとって、それらは最大限の効力を発揮する。
何より彼らが攻撃に全力を注ぐことができないのは、それだけに留まらない。
こちらにはダウトがある。彼女が俺の傍を離れない限り、絶対に彼らは強硬手段に打って出ることはできない。彼女には外に出るにあたって、このような事態に備えて「俺の着ている衣服を絶対に離してはならない」と一言伝えてある。
ホールの出口に向かって一気に速度を上げ、ダウトが俺の首に回している腕の力を強くして俺から離れないようにしがみつく。
「ダウト。ここを抜ければ狭い通路に出る。そこまで行けば敵は火力を集中することは不可能となるはず。苦しいだろうが我慢してくれ」
「うん!大丈夫よ。私に構わないでリイト。……後ろだ」
ダウトの声に反応した体が横っ飛び気味に進路を変更。さっきまで俺たちが居た場所に凍りの粒がマシンガンのように飛んでいった。
彼女も良く分かっている。いや、マナを読み取る資質だけ取ってみれば俺より優れていると言って良い。生贄として最低限の知識しか持っていない彼女だが、俺の立ち回りを数秒目撃しただけで危険と判断したマナの流れを……しかも自身に宿った新しい力で翻弄され、俺が読み間違えた部分も補正して伝えてくれていた。
さっきまでの見解を訂正しなくてはならない。
俺は彼女が足手まといになると勝手に決め付けていた。戦闘を経験していない彼女が敵の前では全くの無力だと、魔術を行使できない、それだけの理由で無意識に定義していた。
だが実際どうだ?
彼女が居なければ、ここからの脱出は愚か、逆に俺は自分の力をろくに発揮できず、拘束されていたのが目に見える。
助けを必要としていたのは彼女だけでは無かった。俺の方にも彼女の手助けが必要だったのだ。自分の力を過信していた責任ではあるが結果オーライ。このまま強行してやる。
出口までの距離が徐所に短くなってゆく。増援がくるまで時間をかなり消費しているが、問題はこの場を凌ぎ、最初に決めておいた脱出ルートに到達することだ。そのために一刻も早くホールを通過しなければならない。
強固な合金のゲートは封鎖されてはいるが、問題ない。閉じているならばぶち壊して退路を開く。
今の俺ならばそれができる。無力ゆえに黙って見ていることしかできなかった…大切な人が泣いているのに何もできなかったあの時とは違う。
右腕に刻み込まれたタトゥーが僅かに胎動する。早く解き放てと俺に訴えかけているのか、それとも俺の支配から開放されたいと抵抗しているのか…自分の身に起こっていることが把握しきれない。実践で使用するのはこれが始めてだ。試運転通りに作動するかどうかも怪しい。だが、選択肢は他に用意できていない以上、今までの自分の努力を信じる他はないだろう。
体内に巡るマナを一定量で固定。算出された生命維持に必要とされる許容数を一気に頭の中に叩き込む。その範囲内で使用可能とされたマナで右腕の食欲を満たす。
術式が動き出し体に熱が宿ると、右腕の胎動は収まる。その代わりなのか、月光にも似た静かな光が浮かび、激痛が駆け巡った。暴れ馬め。大人しく俺に従っていれば良いんだ。誰の腕だと思っているんだよ。
ゲートとの距離は後僅かだ。
風を纏いながら立ちふさがる最後の一人の攻撃を瞬く間に回避すると、顔を歪ませたダウトは言った。
「大丈夫。ゲートの向こう側にマナの反応は無いよ」
「どうやら主力部隊が到着する前に通過できそうだな。右腕を自由にしたい、俺の首にしっかり捕まっていろ」
「うん」
言い付けに従いダウトは俺の首に回されている両腕にこれまで以上の力を込める。多少呼吸が苦しくなるが、必要なのは一秒でも右腕を振るえる瞬間。俺を阻む者はいない。
利き足で地面を蹴り、体重を乗せたまま鉄の扉に力の限り拳を叩きつけた。
右腕が唸りを揚げて破壊の限りを尽くす。
腕から飛び出した無数の口が、刹那をもって合金を噛み砕き、ドリルのようにそれらは拡張しながら伸長すると、丁度半径二メートル程の穴が見事に完成した。
ゲートを突破するとTの字に分かれた通路に到達。
さっきまでのホール内部とは違い電極が煌々と照らされ、先に進むほど細くなってゆく奇妙な構造。ゲート正面にだけ確保されている目の前の広い空間だけがやけに際立って見えた。侵入者を監視する魔術的な意味合いを持った建造となっているのだろう。だが俺の右腕の前ではそんな物など無駄になる。興味など沸かない。
「随分と若いことしてるっすね」
突如として現れた男は俺から見て右側の通路から飄々とそれだけ言った。
気配などまるで感じなかった。まるで最初からその場にいたかのように、男は壁に背を預けて笑う。そして古い友人に対して行うような穏やかな笑みを向け、それがとても気味が悪い印象を受ける。
「そんな……マナの反応をまるで感じない」
ダウトが驚愕の表情を浮かべ。服を握る感触が強くなった。
「何時からそこにいた」
「ずっと……理意戸君がホールで暴れ初めてからずっとっす。待ちくたびれて首が長くなるかと思ったっすよ」
嘘を付くな。それならばダウトが男を感知できなかった理由が説明できない。人間は魔術師でなくとも、普段通り生活していても血中から一定以上のマナが産出される。それを隠しきれるヤツなど、それこそ人間じゃない。
「紅殿。さすがですね。もうご到着なされましたか」
「うんや、始めからこの子がこうすることを予測できてたからさ。未然に防ぐよりも邪魔をして完膚亡きまでに叩きのめしてやった方が効果はでかいと思って。また同じことされると俺としても面倒だからね」
立ち呆けてしまった俺たちの後方に、先ほど振り切った魔術師達が合流する。
畜生。これ以上の逃亡は無駄だ。この男は恐らく高等魔術師。
俺が立てた逃亡プランは奴らが到着するよりも先に指定のルートに身を潜め、予めアカデミーに潜伏させている協力者との合流。その後に幾つかの陽動を仕掛け、混乱に乗じて姿を眩ますという物だった。
だが、これで全て水の泡になってしまった。
それほどに高等魔術師というのは厄介で危険な存在なのだ。
「残念だったっすね。俺っち……君の計画、随分前から知っていたんだよ。いけない子だなぁ〜世界を崩壊寸前まで追い込んだ寄生体を開放しようなんて。下手したら君のせいで人類滅亡するところだ」
「誰から聞いたのか知らんが、ご苦労なことだな」
「教えてくれたのは神埼チグザだよ」
「……………」
黙りこんだ俺の横顔をダウトは心配そうな顔で見上げていた。神埼チグサが誰なのか聞きたい様子だったが、俺が問答無用で睨み返すと俯き、開きかけた口を閉ざしてしまった。苛々しているのは自分でも分っている。
彼女を下ろし俺は改めて男と対峙した。こうなってしまった以上、俺に選択肢は無い。
「貴様、一体何者だ」
「神埼マキ。チグザの兄貴っす」
その名前を聞いた瞬間。俺の中で欠けていたパズルのピースが音を立ててハマリ、頭の奥底で、目の前の男に対する敵意が沸々を湧き上がるのを感じた。
この男が噂の…チグサがずっと待ち望んで、そして彼女を裏切った男。
『拙者にはたった一人の兄上がいるのだ。不器用なお人で、ずっと前から行方知れず。今…どこで何をしているのやら……』
過去にチグサが言っていた言葉が俺の中で反芻した。腸が煮えくり、留まることがない怒りの感情を、理性で無理やり押さえ込む。今俺がやるべきことは、この場で感情を爆発させることでは無い。現状の打開策を模索し、実行することだけに思考を巡らせろ。
マキはそんな俺の心情など知ってか知らずか、不敵な笑みを浮かべて、俺の背後に隠れているダウトに視線を向けてくる。保護対象の安全確認でもしているのだろうか?
しかし彼がダウトに投げかけた言葉は俺の予想を裏切る。
「久しぶりっす。ゼロナナ」
「マキ……もう私はゼロナナじゃない。ダウトよ」
ダウトのやつ、この男と面識があったのか。
「随分と可愛げの無い名前っすね〜」
「リイトが始めてくれた大切なものを馬鹿にしないで頂戴。それはいくらマキでも許さない」
真っ直ぐな敵意を向けるダウトにマキの表情が始めて不満の色を見せる。そして彼の矛先はすぐに俺へと変わった。
これは俺にとって好都合。待ってやる必要は無い。
俺の方から仕掛けてやろう。
「余計な御託は沢山だ」
「俺っちは投降してくれれば手を出すつもりは無かったのに…どうしてもヤル気か?」
「くどい」
右腕にマナを集中させ、術式の稼動を感覚で把握した。
相手の手の内が分らない以上、普通こちらから攻撃を仕掛けることは得策ではない。
が…それは普通の魔術師戦での定石だ。俺の力には必要ない。
全力を注いだ俺の右手が咆哮を挙げた
体中に駆け巡るマナというガソリンが熱を帯びて、右腕に刻まれたタトゥーに注がれた瞬間。片手から四本の長い肢体を持つ獣が現れる。それらは尾の先端が俺のタトゥーに結びつき、影絵から飛び出したように立体を持ち具現化した。この俺、理意戸 渚が所有する紋章術式の成果。四つの属性を持つ伸縮自在の四匹の大蛇だ。
黒い大蛇達が鎌首をもたげて俺とダウトを守護するように、とぐろを巻いて包み込む。
「ヤマタと呼ばれる神々を知っているか?」
俺の頭の上で『五の首』がマキを威嚇するように、先端が二つに分かれた短い舌をチロチロと覗かせる。
それを見た高等魔術師は敵意を宿した眼差しを細く光らせた。獲物を定めた獣の瞳。どうやら俺の持っている術式の力を一目で見抜いたか。
「まさか神様を持ってくるとは思わなかった。だが……それ如きで勝ったつもりとは、まだまだ青いな」
しかし相手は余裕を崩さない。さすがはアカデミー最強を誇る舞台の一人といった所。
「青いかどうか、その身を持って思い知るがいい!」
俺の手に入れた武器にはまだムラが多い。さぁ試運転に付き合って貰おう。
思考をシフトした刹那、四匹の大蛇が神速を持って目の前の男に向かって襲い掛かる。『五の首』が稲妻の属性を持つ長い胴を眩い光を放ちながら、マキの足を拘束し、水の属性と氷の属性を併せ持つ『六の首』が同時に両腕を捕縛した。
残った『四の首』と『七の首』はマキに生まれた隙を逃すこと無く波状攻撃を仕掛け、二つの真紅の顎を開口。なす術もない男の両肩に長く伸びた鋭利な牙を食い込ませた。
万力を持ってマキの四肢を粉砕せんと、瞳をギラギラと光らせる。
「どうした、ご自慢の術は使わないのか?」
宙吊りになったマキを傍観しながら俺は笑う。
最高の気分だ。体中が高揚し神経が研ぎ澄まされる感触を噛み締める。右腕のエンジンが俺のガソリンを受けて最大限の効力を発揮してくれているようだ。
戦える。俺はもう大切な物を失わなくて済む。この力さえあれば、俺は眼前の敵に臆することなく戦うことができる。これで俺は本物の魔術師だ。出来損ないではなく、知識に溺れただけの偽善者でもない。実行できる力と遂行すべき思想を持った本物の魔術師。
チグサ……これで俺はお前と対等だ。
「どうかな?」
絶対零度の空気が、瞬時に、鮮明に、背筋を駆け抜けた気がした。
「チグサが噂するお前が、どんな魔術を行使するのか興味があったから少しだけ様子を見てみたが、興ざめだな」
「強がりだけは認めてやろう。しかし…」
紅の光が全身を包む。俺の大蛇達の姿が一瞬にして凍りつき。その場に縛られた水晶の工芸品に成り果てる。人の体内を流れる血潮にも似た紅の水晶。
それが……四匹の蛇を完全に無力化してしまった。
結晶の増殖は留まらない。空気中のマナを吸収しているのか、自然界には存在することがありえない水晶は尽くその体積を増長させてゆく。なんなんだコレは。
蛇の体を伝い、水晶が術者である俺を捕らえようとする矢先で術式を解除。最悪の事態をまさに鼻先で回避する。その処理速度は俺の扱う術とは比較にならない。いや、桁違いだと直感で理解できた。
だがそれでも水晶群は鋭利は切っ先を突き出して追撃してくる。終わりじゃない。これからが宴の始まりだと言わんばかりに無情は攻撃に拍車を掛け、しかも正確にコンビネーションを繋げて四方を囲む。
天井にも氷柱は張りめぐり、地面には針の山が、左右へ回避しようにも無駄だ。マキの術式のスピードは身体強化した俺の体を僅かだが上回る。
畜生。このままじゃ……
「リイト右上三十度方向。そこが一番手薄」
ダウトの一声が耳の奥で静かに響く。この女、この状況でもマナの流れを冷静に分析しているのか?
「大丈夫よリイト。マキには私も負けるわけにはいかない。信じて」
全く、どっちが守られているのか分らない。
光りの速度を纏った『四の首』を始動させ、まだ侵食されていない部分が残る天井に食らい付かせた。マキの力が相手側のマナを取り込む能力であることは先ほどの反撃で立証されている事実。ならば……
「四式術式『同化空間転移』起動確認」
突如として俺とダウトの姿は掻き消える。蛇は俺の一部であり術式が生み出した神秘だ。媒介と術式、そして成し得るエネルギーがあれば魔術は形を成す。
「何?」
初めて意標を突かれたマキの顔が浮かんだ。
理意戸 渚とダウトの姿は『四の首』が噛み付いた天井の座標に一瞬にして瞬間移動を遂げていた。そこは丁度マキが支配した空間で唯一範囲が及んでいなかった一点。
彼の頭上二メートルの場所に至る。
「ま……マジっすか?」
「くらぇぇぇ!」
朝日が昇る。
地下室から飛び出した神埼マキは、あれから脱走に成功した二人のことを考えていた。
三京の広大な中庭に隠された一つの森林。学園の生徒たちの目には決して触れることは無い特殊術式によって保護された独自の空間がこの森には存在している。数多の魔術師達が町の中心に位置する学園を、魔術に長けた者を養成すると同時に、とある災悪を封印管理する為に用意された巨大な祭壇として形成した結果誕生した不可侵領域。それが先日までダウトが縛り付けられていた十字架がある……あの礼拝堂だった。
しかしそれは深い歴史によって築かれたにも関わらず、たった一人の学生の思惑によぅて簡単に崩壊させられてしまった。
「これだから魔術ってヤツは無力なんだ」
意とも無く苦笑がマキの口から漏れた。
風が吹き、木々に生い茂った若葉が揺らめく。周りを取り囲む木々も自分と同じように、この状況を嘲笑っているように思えてならない。
穴だらけのダメージパンツ。黒皮のジャケットを着込んだ一人の男。
見た目としては少年で通じるほどの童顔で、しかし瞳には力強い輝きを秘めている。
ヴィジョンズ第七高等魔術師『魔術殺しの紅』と呼ばれる神埼マキは、どこにでもいる一人の少年を演じていた。
普通にこの学園に通い。授業には殆ど出ていないが、それは彼の周りに配置された情報操作を得意とされている部隊に対する嫌がらせだ。結果病気がちだと噂が流れているが、本当は図書室に篭っているのが現状。
もっとも、そんな日常もヴィジョンズからの命令があれば覆される世界だ。
神埼マキという人格は五年前に死んでいるのだから。
「理意戸渚か。まさか本当にゼロナナを奪って逃げるとは…おっとダウトだったっけ?」
随分と理意戸渚に対しての印象は変わってしまった。
良い方向に。
マキは自分の妹。神埼チグサが言っていた情報から、理意戸渚の人物像を予測していたが。どうやらそれは大きな間違いだったようだ。彼女がロクな人間を好きにならないことは初めから分っていたことだったのに、変わらない。
「先輩ったら。いつまでそうして立っているつもりですか?」
茂みの奥から歩いてきたショートカットの少女。彼女は堂々とした足取りでマキに近づくと、軽く彼の肩を叩き微笑みかける。マキを監視する部隊『沈黙』の統治者であり彼がもっとも信頼を置く魔術師。第二高等魔術師である藍空美鈴がそこに居た。
「いくら大学生って言ってもフリーターじゃないんですから、講義に遅れてしまいますよ」
「そんな物、お前達でどうにかしてくれよ」
「沈黙は便利屋じゃありません」
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2007/06/15(Fri)02:37:32 公開 / 呪炎
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■作者からのメッセージ
誰かのために戦う男の子は好きですか?
えぇ!私は大好きです!!メッチャ好きです!
ですからこんな小説を書いてみました。誰かが足を止めてこの文章を読んで頂けるのなら、それは私にとって最大の幸運ですw
これは、馬鹿野朗が描く一つの物語です^^