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『――KARMA―― 第一章(修正)』 作者:蒼月 / 異世界 ファンタジー
全角51961文字
容量103922 bytes
原稿用紙約153.8枚
蒼き光を持って魔を制する者『ソーサラー』。その末裔のみが住み暮らすと言われる外界から逸脱した村。それがレオナとエリクの故郷だった。九年前にレオナが巻き込まれた悪魔の所業とも言うべき事件の真相を探るべく各地を回っていた二人は、理由あって隣国ローランとの国境へ赴く事になる。そこで二人が見た物とは――――――
…――プロローグ――――…

―――――生態学について極めた……?
―――――超能力者は本当にいるか……?
―――――世の中の全てを知っている……?
 色んな分野の偉い学者やら政治家やらがそんな大それた言い合いや議論してる所を、第三者としてバカにしながら高見の見物をする。
まだ小さい子供ですらそれができる非現実的社会の中に、"俺達"は生まれた。


A nineyears ago..............Winter    ラオ・フォリス共和国 白き首都 アルトフィア

 暮れに近いためか、いつもに増して行き交う人々の多いメインストリート。
一口に都会と言っても、大国ラオ・フォリスの首都であり、世界規模の経済や交易の中枢ともなるこのアルトフィアは周辺の都市と比べても桁違いに華やかだった。
何しろ昼下がりであるにも関わらず、そこらの飲食店のテラスには、大きな酒瓶片手にへべれ気になってしまっている者もいた。勿論年がら年中こんな風という訳ではない。
 今日はここ、アルトフィアで暮れ前の大きな祭典があり、世界中から観光客が訪れているのだ。
その名も、【白夜祭】。名の通り、と言っても本当に太陽が沈まない訳ではない。
この街はその特徴の一つとして、街の建造物の八割方が【白光石】と呼ばれるこの地方特産の鉱物を原料に使っているため、郊外から遠目に見ると街全体が白く見える。
そして今日の祭典から明日の夜にかけて街中の至る所に光源が置かれるため、夜になっても街中がライトアップされて文字通り街から光が消えないのだ。
 更にこの祭典の魅力は、何も美しい情景だけではない。
アルトフィアはセントラル街を中心に、東西南北に四つのエリアが区分され、それぞれ職人街や貿易港、学園都市の様に名所があり、その何処でも何らかのイベントが行われていて、その大半が大規模な物。それを目当てに来る観光客が年々大半を占める。

 ちょうど職人街を歩いていた幼い少年は、店の前に展示される数々のオブジェに目を取られては、感嘆の息を漏らしていた。
 中でも、今にも動き出しそうなくらいの狼の氷像。
 銀髪の少年は、思わずショーウインドウに飛びついた。
「父さん、見てこれ!すごい、本物みたいだっ!」
 少年は、すぐ隣の店のオブジェを見ていた同じ髪色の父親をありったけの声で呼んだ。よく透った少年の声に、道行く人々は次々と振り返る。
 父親と思われる男性は、少しばかり引きつった顔をしながら、身を小さくして我が子の元へ急いだ。
「ほら見てこれ……」
「しっ! 駄目じゃないか、こんな人の多い所で大声を出しちゃ…。すごいって叫びたい気持ちも分かるけど、静かに誉めなさい! ……な?」
 父親に今見た感動を伝えたかった。ただそれだけなのに、と叱られたことにしょんぼりした少年も、最後にぽんと頭に置かれた大きな手で笑顔を取り戻す。
「……わかった!」
「よし、いー子いー子! じゃあ、今度はいつも話すぐらいの声で、今言おうとしたこと父さんにも教えてくれな?」
 少年は、にかっと笑って頷いた。
「父さんも、父さんもこんなの作れるのかなって思って。俺はまだ上手く"力"使えないでしょ?」
「っ!?」
 純真無垢な顔で、父の顔を見上げる少年。だが、そこにさっきの優しい笑顔は無かった。
「父さ……」
「静かに」
 不安げに呟く少年を、突然父親は何かから守る様に抱き締め、辺りを見回した。
 それは道行く人々の全てを敵視するかの様に。
「父さん……?」
 どうしたの、と不安げに覗き込んで来る我が子に、父は我に返った様に気づき、再び安心を与える笑顔を見せた。
 そして体勢を屈ませると、彼は我が子にだけ聞こえる様に耳元で囁いた。
(父さんやお前、あと母さん達や村の人が持っている力は、ここを歩いているたくさん人達は誰ひとり持っていないんだ。だから、そう簡単に口に出しちゃいけないよ?変に思われてしまうからね)
(へん? 俺たちがへんなの?)
(変じゃないさ。俺達は俺達、この人達はこの人達だ。けれど、ここの人達には絶対に知られてはいけないんだ。なんせ村の秘密なんだから、村長のじっちゃんに怒られちまうぞ?)
「えぇ、嫌だぁ」 
 少年は至極嫌そうな顔をして、なら絶対言わない、と言い切った。
 その様子を見て、父親は安堵した笑みを浮かべて再びその頭を撫でる。  
「約束だぞ?」
「まっかせとけー!」
 背伸びをしながら自信満々に言う少年に、再び周囲の人々が注目を寄せてしまったが、今度はこの父親も気づいていなかった。
「さぁ、それじゃあそろそろ母さん達も言っているかもしれないから、出発しようか? ここはまた後で見に来よう。今度は四人でな」
「えっ? でも、今からセントラルで、父さんの知り合いと会うんでしょ? そこの子達は一緒に行かないの?」
「ああ、そういやそうだった。よく覚えてたな。向こうには確か、お前より三つ年下の女の子と、後その下の男の子……は何歳だったっけな………まぁ、行けばわかるだろ」
「うん! 俺も早く行きたい!」
 少年は、吐いた息で曇ったショーウインドウを袖で拭うと、父の腕をすり抜ける。
そして走り出す前に一度振り返ると、
「そうだ、さっきあそこの店でお菓子買ってくれるって約束してたよね?」
と、問い詰める様な口調で言った。
 対する父親は、げんなりした様子でそれに答える。
「はー……それも覚えてたか。……わかったよ、約束は約束だもんな」
「ぃよっし!」
「本当に甘いもん好きだなぁ、こいつ」

 その天衣無縫な様に呆気に取られ、やれやれと呟くと、我先にと自分より前を元気に進む我が子の後を追った。

 "おれ"は、この時はまだ何も知らなかった。なんでかって言うと、おれにとっての世界は自分の村一つであり、9つになって初めてその小さな"世界"から出たんだから。それまでは自分と同じ姿をしている人間という生き物は、みんなチカラを使えて呪文を唱えながら日々の生活をしていると、もう常識として覚えてた。だけど村から一歩出ると……まずは森だけど、一歩出てから外の町や村はどこに行ってもチカラも呪文もなかった。異世界に来たんじゃないかって思うくらい、だれ一人呪文を唱えてる人はいなかった。
 列車に乗る途中、家を建てている所があったけどこれも"違う"。木材を上に運ぶのに、紐に吊るして引き上げたり手で持って行ったり。なんでわざわざあんなに手間をかけてるんだろう。
だれか重力を使える人が浮かせてあげればいいのに。
風車だって、ストッパーも見張りもないじゃんか。あれじゃあ風使いの恰好のオモチャだろ。
 けれど、そう色んなことを思っても決して口に出しちゃいけない。そう何度も何度も教えられた。
いくらおかしいと思っても、違うと思っても、外の世界ではおかしくて違うのはおれや村の人たちなんだから、と。そしてこれが、何千年も前から変わらない血族としての運命だということを知るのはそれから少しだけあとの話。
 そして、自分自身の運命を呪ったのが――――――ちょうどこの日の夕方の事だった。

 大都市の大勢の人込みの中、行き交っているのは人間だけではない。
人より遥かに超越した能力を持ち、千の時を生きる【魔煌の民(ヴェリアル)】。

 そして、人でありながら人知れずその血に魔の燐片を宿す民――――――。


第一話 【(しろかね)のソーサラー】

 西に大山脈、北と東に海原、そして南端には小規模な熱帯雨林。東西南北全ての国境が自然によって出来ているという、こんなに恵まれた地形はアルヴァース中をくまなく旅した所でこの国でしか見られないだろう。古代の言葉で"永久の栄光"を意味するラオ・フォリス共和国は、数十年前からその名の通り国史上最大の繁栄期を迎えていた。
 この栄光の礎を築いたかつてまだここがフォリス王国であった頃。当事の主なるその原動力と言えば、世界的な中継貿易を担うブライアント貿易会社。そしてゴルベッツ株証を筆頭とし国内に数々点在する大規模な商業会社。そのまさしく国の名を具現化した様な経済成長には、かつて永久不滅とまで称えられ続けた北境リオーリアのトップ経済すらも、指を咥えて見ている事しかできなかった。
 その結果、遂に世界規模で物事が動き出したのが約20年前くらいの話。当事のフォリス王族承認の元に行われた議会で、王国は遂に共和制を行使する決定を下したのだ。その政治改正案のメリットとして提示されたのは、各国の代表者らの話し合いの下に新設を発案された世界政府の所在を、首都・アルトフィアに配置する事。つまりそれは、王政を無くす代わりに世界の礎となり、まさに永久の繁栄を約束される様な話。当事の国王マルセル五世は、国の安寧と他国からの客観論を思慮した後、すぐに自ら玉座を降りる事に賛同した。
 こうして王国の基盤の上に新生したのが、ラオ・フォリス共和国。
 当然ながら首都は王国の時と同じくアルトフィアに置かれ、以前王が君臨していたヴァレイス城は、そのまま世界政府の根城として生まれ変わった。
 これにより真に未曾有の先進国へと成り上がった栄光の国。しかしながら栄光の火はすぐに揺らぎだした。国際的な大きな問題が、連続して二つも発生したのだ。
 その内一つ目は、貧富の差や種族間による差別問題。こちらはもう常識として知られている社会問題だが、二つ目は問題は問題でもただ普通に一般的な生活を送っている人は知る由もない裏歴史に関わる事象。また、知っていたとしても公での口外は絶対禁忌で、不用意に言葉に出しただけでも知られれば政府や国軍からマークされる可能性があるもの。

 それは、"とある存在"が世間に表面化する程現れだしてきた事である。しかも何故か、とりわけ首都で発生するケースが多いその"存在"。別に魔族(ヴェリアル)の様に寿命が飛び抜けて長いわけじゃなければ、才色兼備でも凡人より眉目秀麗というわけでもない。どう見たって彼らは見てくれただの人間だ。
 ――――――ただ一つ。【魔術】が使えることを除いては。



 ――――大都市アルトフィア。北東ダグタ地区・ネロンストリートの裏路地。

「……さてと。アンタがジーク・スコットだな?」
 気だるさを含み、確実に相手の安堵を奪う声色が響く。
 だが質問は一方通行で答えは無い。答えるべき青年は、"焦燥"という語を見事に表現したような顔で、沈黙を保ち続けていた。
「……っ」
 建築物の影で四角く切り取られた狭い朱色の空には、段々と黒のベールが降り始めていた。ここは繁華街とも住宅街ともそこそこ離れた境地。勿論周囲に人の気配などあるはずがなく、静寂ばかりが飛び交った。極め付けに、まるで絶望色のコンクリの壁に囲まれた狭い路地。青年の逃げ道はすでに閉ざされていた。
「ケッ、背水の陣ってか」
 彼は、冷や汗を伴った笑みを浮かべると、咥えていた煙草をプッと吐き捨てた。
 ジーク・スコット――――――プロファイルによると年齢は22
 目に付くのは今にも弾け飛びそうな金髪と、やたら派手に着こなしている革ジャン。装飾品も随分と邪悪さを秘めたデザインのシルバー製ときたものだ。
 容姿のイメージを裏切らず、彼の肩書きはここらのチーマー達を取り纏めるリーダー的存在。つまり、オプションでがらの悪い仲間達を常時連れ歩いている様な輩である。
 が、今現在その仲間達の中で誰一人として彼の傍に立つ者はいない。否、立つことが"できる"者などいなかった。
「……リ……リーダー………すまねぇ」
 どこからか、弱弱しい声がジークの耳に入った。
 必死に彼に侘びる声の主を探そうとすれば、必然的に目に入るのが、目の前でかったるそうに振舞う青年。見た感じ、年齢はジークと大差ない。
 頭部を覆う漆黒のバンダナと銀髪が印象的な彼のその左手には、左頬が大きく腫れた青年の胸倉がしっかりと掴まれていた。
 ジークは、その様を見るなり激昂した。矛先は、言うまでも無い。
「……『レオナ』っつったか? てめぇ」
 名指しされた青年は頷きもせず、ただ一言"ああ"と呟いた。髪に色素が無い分、鮮明に見える二つの翡翠玉は、相も変わらず半分しか開かれていない。
「随分ハデにやってくれたなぁ? いきなりずかずかと俺らの領域に入り込んできたかと思えば仲間ボコすわ脅してエスコートさせるわ。……おまけに軍に出頭しろだぁ?」
「……は? いや、違……」
「ざけんじゃねぇ、この『白髪野郎』が。これだけやっといて無事帰れるたぁ思ってねぇよな?」
 レオナが即座に言おうとした不服も纏めて切り裂くかの如く、ジークは唸った。
だが一方でレオナは、その威嚇と牽制を込めた言葉に臆する様子はまったく無い。
「………無事に帰るつもりならハナからこんなトコ来ねぇっつーの」
 かったるそうに軽く挑発してみせる敵を前に、ジークは自中で何かが徐々に膨張していくのを感じていた。
「…てめぇも軍の人間ならちぃとぐらいは聞いた事あるんじゃねぇか?」
 ジークは鼻を鳴らすと、誇らしげに含み笑いをした。しかし、
「ねーな。軍の人間じゃねーし」
「そうでなくとも、この辺りの人間なら知ってんだろ。俺が」
「知らねーよ。だって俺、メジルカの出だし」
 聞く気の無さを露骨に表した突っ返しに、遂には膨張した何かがはち切れた。
「てんめェ端から聞く気ねぇだろ!? メイン言う前に否定してんじゃねぇかっ!!」
 だが、レオナは飽く迄も自分が折れる気はないらしく、アンタだってさっきそうだっただろ、と呟いて目を伏せる。
 しかしその飄々とした態度は、そう延々と続くわけではなかった。
「このエアスラッシャーを怒らせたこと、せいぜい後悔してくたばれや!」
 それは、怒りと共に"ある物"を発現させる瞬間。
「単なる被害者づらだろうが……とっ! ……来るか」
否、むしろ彼はそれが破られる瞬間を契機とし、ずっと待っていたのだ。
「血祭りだぁ!!」
 宣言したと同時に、唸りをあげて空中を飛来した透明な刃を、レオナは反射的に避けた。
 その前後から、ジークの身体の周りを縁取るように、きらきらと蒼光の粒子が揺らぎ出している。見た感じ、"オーラ"と呼ばれる気の一種に近い。
「やっぱり能力者だったか。それも『風』系統。確かにその通り名のとおり、切り裂き魔(エアスラッシャー)だな」
 まるで透き通った海の様なそれは、彼の怒りに呼応するかの如く、徐々に燃え盛る炎に姿を似せた。
 その様にレオナは、三白眼か半開きしかしていなかった両目を初めて丸くし、賞賛の口笛を送る。
(こりゃ予想通り、予備知識ゼロの状態か。つーかどうしよ、怒らせ過ぎたかもしんねーぞ。これ……)
 さっきまでとは正反対に苦笑いを浮かべつつも、レオナは切り裂き魔を見据えて静かに構えた。
 先の不可思議な力については理由あって予想範囲内だったが、まさかそれがここまで肥大するというのはレオナにとっても予想外だった事。
 とその頃、ふとジークの表情に視点を置くと、ある事に気がつく。
「……!? こいつ……」
 それは、先程の怒涛の表情とはまったく正反対。感情が一切無く、その双眸にはただただ虚無が漂う。
しまった、と即座に失態を直感した。
「まずい! ……おいアンタ!」
「あぁ?」
 呼んでみて、虚ろだが返事を返した事に、とりあえずと胸を撫で下ろす。しかし、油断は出来ない。
「それ以上力を引き出すんじゃねぇ! 決壊(バースト)を起こすぞっ!? 最初に言ったとおり、俺はアンタが"そう"ならなくするために来ただけ……アンタの部下だってそこで気絶してんの抜かせば全員無傷だ!」
「へぇ、だから? ……これが覚醒して以来何度かこうなったことはあるけどなぁ」
「おい……」
 不良の生半可な狂気が、本物に変わる瞬間を垣間見た。それは、明らかにさっきとは別人格の笑顔。
「今日のはどうもそう簡単に収まりそうにないぜ? ……クク! ………そうさなぁ? てめぇだけじゃ足りねぇ、全部ぶっ壊してやろうか」
 遅かったか。レオナは軽く舌打ちしてからそう呟いて、表情を険しく歪めた。
 徐々に近づこうとすれば、距離5メートルくらいのところでさえ前髪がふわりと浮き上がる。
 蒼い炎は、燃えるばかりで勢いが削がれる様子はない。そして、極め付けに言動や表情に含まれる静かな狂気。
「いくらなんでも、たったあれだけで決壊(バースト)はねぇだろ……! こいつも『服用者』か!?」
 ちらりと周囲を見回すと、先程ジークの居場所を吐かせる為に連れてきた青年が今もなお、気を失っている。
 部下を傷つけられての憤慨振りから判断すると、彼はこのような状況下でも彼らのために善処に努めるだろう。しかし正常でない今、それは望めない。
 そうこうしている内にも、風の刃が徐々に彼の近辺を鋭利な筋で飾ってゆく。まだまだ小型の真空波だからいいものの、こんな暗く狭い所で最大出力を出されれば、例え避わせたとしてもコンクリの土砂崩れが起きる。先の緩慢さがすっかり消え失せたレオナは、思わず2、3歩後ずさりした。
「ちっ……」
(仕方ねぇ、最終的に俺が煽ったのが引き金だしな……)
 惨事を防ぐため場所を変えようにも、今の彼は本能が剥き出しの状態であるためこちらを追尾してくるかどうか。はっきり言って保障はない。
 結果、やるべきことは一つに絞られる。
「"目には目を"の概念でいくなら、こっちもノーマルじゃ無理……か。悪いけど、強行手段しかねーな」
 言うなりレオナは順次の行動を再確認し、即座にバックステップ。同時に蒼い猛火も行動を始めた。
 ジークが一触即発の状態であると既に読んでいたレオナは、咆哮を挙げて突っ込んでくる切り裂き魔を目の端に捉え、笑みを浮かべる。
「まぁ、少しくらいの凍傷は覚悟な」
「ハハ! ……くたばりやがれ!!」
 最早会話すらも成立していない。レオナは、切り裂き魔が間合いに入る直前に右腕をかざした。刹那――――
 空中に虚空をつんざく様な音と共に青白い光が出現し、そのまま切り裂き魔の足元に吸い込まれる。
 間を置かずして、光の着弾地点から彼の足を捉えるように氷が伸び、爪先から足首までを覆いつくした。
「うおぁ!!?」
 当然、足を地に固定された切り裂き魔は、成す術も無く前のめりに倒れこむ。勢いがついていたため、生じた砂煙と音はそれは派手なものだった。
「……」
 レオナは、地に伏す"それ"を黙って覗き込んだ。それから間もなく、さっきまで猛々しく吹き上がっていた蒼光が完全に鎮静したのを見ると、ほっと一息。
 それから気を失っている事も念入りに確認した後、彼の足元に張る氷に手を触れ――――刹那、瞬く間に氷は空気中に霧散した。
「ふぅ、ミッションコンプリートってか……」
 そう笑み混じりに呟く彼の全身は蒼光に縁取られ、夕日に煌めく海のようだった。



 日も落ちかかり、辺りに夜気が押し寄せる頃―――ネロンストリートを出てすぐの交差路に、ビリジアングリーンの人だかりが出来ていた。
 先程危うく『呪力の決壊(バースト)』、いわゆる力の暴走を引き起こしそうになったジーク・スコットは、数名の聖衣を羽織った者達に連れ立たれてここを後にした。
 市街の風紀を乱すチーマーのリーダーである彼は、先入観で少年院辺りにでも送られたと思われがちだが、実はそうではない。
 彼が送られたのは、主に情報の収集及び操作、潜入捜査や護衛、時折暗殺などの表沙汰に出来ない様な任務を執り行うラオ・フォリス国軍の裏の顔、【国軍隠密機動部本部】。彼の様な突然能力者として覚醒してしまった人は、ここで"ある"分野について様々な事を学ばなければならない決まりである。
 ラオ・フォリスで発達しているのは、何も経済的な面だけではない。過去の経済成長の際に有り余った資産を有効活用するためのアイデア―――その一番手として上がったのが、軍備強化だった。おかげで他国に類を見ない軍施設が整い、今では"軍あっての婁国"とまで呼ばれた隣国のローランにも規模では引けを取らない。その中でも取り分け発達したのがこの隠密機動部。ここには、世界唯一の特殊部隊――――もとい【魔導能力者の教習所】が設置されているのである。
「ぃや―――ごくろうさんっ! 君ならきっとやってくれると思ってたよ、ハッハッハ」
「よく言うよ。弟を人質に取っといて」
「人聞き悪いなぁ。こちらの職務が停滞気味だったから、彼の頭脳をちょいとばかり拝借しただけじゃないか」
「嘘つけ。あいつの"やりだしたら止まらない"習性利用してタダ働きさせてんだろーが」
 レオナは、見るからに快活そうな若い金髪の男を睨みつけた。そしてその彼もまた、ビリジアンの人だかりの構成員である。正確には彼らの着衣は、深い緑の下地で左胸のポケットに金銀の糸で翼を象ったエンブレム、そして襟の付け根から肩にかけて伸びる青白ラインの襟章―――――早い話が軍服だった。
「何を言う! メシ二食、ジュース、おやつ、なら申し分なくいい物を出してるぞ? 少なくとも兄貴が無理やり止めに……ゴホン! 迎えに来るまではやってくれるもんなぁ、いつも」
「餌付けにしか聞こえねーんだけど。……それで、エリクがそれやってる時は決まって俺に時間かかりそうな任務が回ってくんだよなぁ? 摩訶不思議だな〜」
「う……」
 黒い微笑を浮かべながら詰め寄ってくるレオナに、男は冷や汗付きの微笑で迎える。が、状況に耐えかねたのか、すぐに男の方から折れて深く息をついた。
「わかったわかった、認めますよ。ま、ぶっちゃけ本音言うと、あの子が来てくれると残業がなくなってゆっくり寝られるし、何気に癒されるんだよねぇ」
「ったく、今日は特に早く帰んなきゃいけねーのに……。しっかし……16歳の男子見て癒される〜なんて言ってちゃ脳内末期だな、ペッツ少尉」
「は、そんな若い内から年齢詐欺なんてナンセンスでしょ? ありゃあどう見ても13、4歳だろうが。それに」
 言葉の合間に、ペッツと呼ばれた青年は、懐からライターと煙草を一本取り出した。
ライターは、今にしては珍しい火打石式の物だ。やはり随分使い古しているらしく、火が着くまでにカチッカチッという音が何度も鳴らねばならなかった。
「癒されるったってそういう癒されるじゃない。なんと言いますか、見てて自分が恥ずかしくなるくらい穏やかで天真爛漫でさ。……あの雰囲気がなんかいい」
 薄暗い空気の中に、一筋の紫煙が立ち昇る。
 レオナは、恍惚的な表情を浮かべるペッツにふぅん、と興味無さ気な相槌を打って距離を置いた。彼は煙草の煙が好きではない。
 安易に察したペッツは、軽く謝って煙草をそのまま手放そうとする。しかし、レオナはそれを止めた。
 そうした彼の意向には、自分の我が儘のために他人を制限することは可笑しい、というやたらと正義な意見が、無意識に常時配備されているため。
 元来の既知であるペッツは、もちろんその事もわかっていた。
(こいつもこいつで、ある意味ピュアだよなぁ。ちっとガラ悪いけど)
「なぁ少尉」
「へ?」
「もう戻らねぇ? ここってちょうど位置的に潮風が直撃だから、マジ寒ぃわ」
(正直自分が薄着過ぎると何故思わない……)
 寒い寒いと連呼しながら自分をしっかりと抱き締めるレオナは、端から見れば、そんなに薄着というわけではない。
 しかし、実際は黒いTシャツ一枚の上から茶色のそこそこ防寒できそうな薄生地コートを羽織っているのみなので、今の時期を考えれば寒いのは当たり前。
「こんな時に総長いたらなぁ」
「悪かったねぇ、"植物"使いで」
 そんなぼやきと一刀両断の漫才染みた会話をしながら、二人は帰路へ歩き出す。
 彼の言葉にあった『植物使い』。単純に言葉の響きでは、ガーデニングや農業を思い浮かべるが、本質を知る"彼ら"の中には、それともう一つ、まったく別の解釈が存在している。
 それは、地方により碧道士、アズール・ガイスト、類によっては錬金術師とも呼ばれる者―――――総称・魔導能力者、つまり魔術を識る人間の存在。ちなみに今ここにいる10人程のビリジアン集団は、全員その部類に入る。つまりマジュツという物が使えるわけだが、彼ら自体はこの力を言い表すのに魔術という言葉は一切使わない。
 一般的に知られている魔術と言えば、大体は神話から来るイメージによるもので、魔方陣やら聖霊やらを媒介として発動する非現実的パワーの事を指す。しかしながら、方陣を使うケースも無くはないものの、ほとんどの場合で実際に能力者が媒介として使用するのは己の体から発せられるオーラの様な蒼い光。おまけに理論については一応分析済みでもある。
 この力が果たして本当に魔術に対する認識に当て嵌まるかどうかは、個々が幼い時に抱いた空想への憧れのベクトルによって大きく左右されるだろう。
 そしてどうやらその力と言うのも、発動する人それぞれの個人差が大きく関係するらしく、その種類は実に千差万別。
時にペッツ少尉の場合――――
「言っとくけどね、植物系能力者は人間国宝に任命されてもいいくらい今の世の中では貴重なんだからな」
「自称だろ」
 言いながらペッツは、近くの民家の塀から道にはみ出し、かつ一部が茶色く変色して枯れそうな宿木に触れた。
 すると、たちまち宿木は生命力を取り戻し、同時に道からはみ出した己の体をくねらせて塀の内側へ収まる。まるで意志を持った動物のように。
 一部始終を半眼で見ていたレオナ。だが、起こった出来事を今一度頭の中に浮かべてみて仰天した。
「って、今の一般人に見られてたらどうすんだよ!? 総長に大目玉喰らっても知らないからな!」
「はは、大丈夫だって。俺の力はそんなに目立たないし……ていうかお前こそチクるなんて野暮な事はすんなよ?」
 そう言ってペッツは、小さい何かをレオナに放って寄越した。それは、キャンディ風に包んであるが中身はチョコレート。
「……口止め料ってか?」
「脱帽したいくらい甘党の君にはそれで充分だろ?」
 別段、そんなつもりはなかったレオナだが、ふっと笑った後に、"了解"と言ってそれを胸ポケットに仕舞いこむ。『甘党』というのは、周知の事実であると同時に自認している事なので、別に突っ返す理由もないからだ。
「ああ、そういえば」
「……ん?」
「さっきのジークみたいな奴ってどうなんの? ほら、少なくとも普通の奴じゃないだろ?」
「さぁ? 不良の頭なんて面倒な職業のヤツは俺も今まで見たことないからなぁ。ぶっちゃけ、できればお近づきになりたくもないし」
 ペッツは、さして興味無しと言った様子でぷかぷかと紫煙を燻らせる。
「え? じゃ、やっぱりアイツこっち関係の前科があんの?」
「いんや? エアスラッシャーだとか大層な事言ってるが、あれで殺っちまったっていうのは実をいうと無いんだな」
 一度そこで切ると、レオナと別方向を向いて、口から大量の煙を吐き出しながら続けた。
「そもそも俺らの仕事は、罪人をとっ捕まえることじゃなくて、何にも知らず覚醒しちゃった能力者が起こす二次災害を抑えることだけ。アイツが何人殺ってようが、それはもうこっちの行動範囲じゃないさ」
「でも、未然に抑えないとあのハゲから散々な事言われるだろ?」
「ああ、アレ? いいよ、別に。正直あれは"サル以下に退化した下等生物"だと認識してるから」
「……」
 笑顔を絶やさなかったペッツの横顔が軽く陰ったのを見て、思わずレオナの表情は引き攣る。
「まぁ、そんなくだらない話は水に流して……。結論から言うとジーク・スコットは、通常通り検査官の所へ回された後、一週間くらいで貰うもん貰って釈放だろうねぇ」
「……なんかアイツにライセンスやるの危なくねぇ? アミュレットだってぶっ壊しそうな気がすんだけど」
 さり気なく話を変えたのは無視して、レオナは呟いた。対してペッツは、"同感だ"と笑って再び紫煙を吐き出した。



 街道の至る所に設置されている煌学灯ですら、この時間ではただの鉄の塊になってた。
もう辺りはすっかり暗くなり、今は青白い月光のみが足元を照らす光。普通は徒歩で行ける距離じゃない所を、歩いて帰ってきたためだ。普段は月夜に綺麗だと思える白光石の街道も、なんだか逆に白すぎて煩わしかった。こうなったのも、今俺の隣でくたくたになりながら歩いてる軍人のせい。
「まったく、今日は何から何まで散々だなぁペッツ少尉……」
「悪い、レオナ」
 今日は何が何でも早く帰りたかったのに。謝られてもそう簡単に許せはしないが、怒る気力もない。悪態を突くのももう疲れてきた。普通ならば、こういう任務の時には国からパスが発行され、ただで交通機関が利用できるはずだった……なのに、あろう事かこのペッツ少尉は俺を迎えに来る際にそれを置き忘れてきてしまったらしい。
 おまけに無一文だって………いや、俺もだから。
「本当にすまなかった…。……エリクも悲しんでるだろうなぁ。まさか今日が君ら二人の誕生日だったなんて………」
 今日は1月21日。そう、俺と二つ年下の弟エリクの誕生日だった。別に日にちが近いから一緒にやってしまおうって訳じゃない。兄弟で珍妙な事に、本当に誕生日が同じ日なんだ。
(あ〜ぁ……こりゃ帰ったら思いっきりどやされるな…)
 今日でめでたく18歳になったこの青年――――名は、レオナ・アージェント。
銀灰色の髪に緑の瞳の彼はこのアルトフィアでは一見変わった出で立ちだが、服装がひどく時代遅れである以外見てくれは普通の青年。服装と言うのも、濃紺のジーンズに黒地のTシャツと頭に黒のバンダナ。ここまではいいのだが、その上から明らかに中年男性向きの焦げ茶のコートを羽織っている事がそう思わせる一番の要因となっていた。
 そして忘れてはいけないのが、彼もまた魔導能力者と呼ばれる特殊な人間の一人である事。





「やっと着いた………」
 アルトフィアのちょうど中心部に当たる、国家の政治や経済といった重役に関わる機関が多数置かれているエリア。その中でも、ラオ・フォリスの軍力の中枢となっている国軍総司令部は、一、二を争う程の巨大な建物だ。その国軍総司令部よりも少し先を行った所には道があり、ここから先は多数の軍の寮舎が立ち並ぶエリアがある。そしてその最奥にあるのが、二人の帰るべき場所、【フォルターオフィス】と呼ばれているこれもまた総司令部程ではないが大きな建物。これはいわゆる軍兵の修練場だ。
「エリク〜、悪ぃ遅くなったー……。………おーい……」
 自家発電装置を囲むフェンスの間を通り抜けた先に、壁と同じ色であまり目立たないドアがある。これは通いなれた者のみが知る建物の裏口。そこから中へ入って真っすぐ。そして突き当たりのメインコンピュータールームの隣の部屋を、レオナは静かにノックした。しかし返事は無い。
「あれ? なぁ小……」
 振り返ったが、尋ねようとしたペッツ少尉はいない。そういえばここに来る途中、少尉は一度自分の寮に戻ってから行くからと離別したのだった。
「そっか、いねぇんだよ……。つーか、えー……どうすりゃいいんだこれ?」
 これは困った。フォルターオフィスの中でも修練場を抜かせば大きい部類に入るこの部屋は、今は軍内の隠密機動に属する特殊部隊の一つが事務室として使っている場所なのだ。それを了承無しに開けてしまって、万が一重要な極秘会議などやっていたらどうしよう、とその不安がドアノブに手を掛ける勇気を削いだ。何しろ、いつもと比べて明らかに静か過ぎる。というよりも、もしそうならここにいるはずの弟は一体何処へ行ったのだ。
(……いや、待てよ。こりゃなんか企んでるに違いねえ………)
 レオナは少し考えた後、再びドアに向き直った。そして再びドアを二回ノックし、
「シロネコ便でーす。お荷物お届けにあがりましたー」
 言った直後、明らかに一瞬だけ中からくすくすと女性の笑い声が聞こえた。ビンゴだ、確信してレオナは静かに呟くと、ドアノブをむんずと掴んで一気に開け放つ――
「みんなして何ふざけてん―――――」
 そこまで言った瞬間、パァンと言う破裂音が数回なり響き、同時に顔に何かが降りかかった。大きな音にびっくりした事もあって咄嗟の対応が出来なかったレオナは、絶句してそのまま硬直した。一体何が起きたのかわからないが、誰かが銃でも乱射したのか辺りに硝煙の香りがする。
「……な……なな………っ」
 やっとの思いで搾り出した声すら言葉にならない。とにかく頭から被ってしまった糸状の何かを払いのけようと手を伸ばしたその時、パァっと一気に部屋の明かりが点いた。
更に眩しいと感じる暇も無く、再びさっきと同じ破裂音が響き……
『ハッピーバースデイ・ レオナ!』
「……へ?」
 レオナは唖然とするが、今度はすぐさま冷静になって周囲を見回した。落ち着いて見てみれば、降りかかったのは色とりどりのリボンの様な紙と小さな星型に切り取られた紙。どうやら火薬の香りの正体は、銃ではなくクラッカーだったらしい。改めて室内に視線を戻すと、いつもと変わらない無機質な銀灰色の内壁に青みを帯びた煌学灯の照明が一つ。そしていつものメンバーがいつものデスクに座り、拍手喝采やら口笛やらでやたらと派手に盛り上がっていた。
 その一番手前には……
「お……おかえりー」
「エリク!」
 最後のクラッカーの犯人、紛れも無い実弟のエリク・アージェントがいた。
 髪と瞳の色は兄弟揃って同じ、銀髪に翠眼。しかし彼の服装は、フリンジの入った若草色の半ズボンに上は暖かそうな茶色のフリース、と兄とは大分違った物だった。まるで野山を駆け回る少年がイメージできてしまうと言った点では都会ではおかしいかもしれないが、まだ普通に見れた物だ。この少年から感じる違和感を一つ挙げると、16歳という実年齢と外見年齢のギャップ。ペッツ少尉に言わせれば、明らかに13、4歳くらいとの事だった。
「いや、えーと……これはね、別に僕がみんなに頼んだわけじゃなくて……」
 空になったクラッカーの糸を引いた手を震わせながら、うろたえるエリク。そのすぐ背後から、いつの間に忍び寄っていたのか笑い声が聞こえた。
「ぷぷ……っていうかお前、シロネコ便はねーだろ、シロネコ便は!」
「そうよ……! 裏口から室内に入ってくる宅配便なんて聞いたこと無いわ……っ。思わず笑っちゃったじゃない!」
 眼鏡をかけている割に快活な印象を受ける茶髪の青年リカルド。その隣で破顔しそうになりながらも清楚な笑みを浮かべている金髪でそこそこ年配の女性はマリア・クラインだ。
「しっかりしろよー18歳っ! もう大人も同然なんだからなー」
「あんたが言うなって」
 続いてデスクに着いたまま、長い黒髪の青年グレイ・ガストと紫の短髪という代わった毛色のシン・サイフォンらが漫才の様にそこへ割って入った。
 なんだかお茶らけた雰囲気からは納得し難いが、彼らは30代半ばくらいのマリアを除けば三人とも10代後半から20代前半といった若い年齢層のれっきとした軍人である。
「や……えーと、とりあえずありがとう………? ていうか何、なんなんだこのドッキリみたいな状況は……」
「あら、まだわかんないの?誕生日のお祝いよ。エリク君にもこうやってお祝いしたんだけど、どうせ今日暇だし、帰ってくるあなたも待ち伏せてなんかやろうってことになったのよ。まぁ、と言っても資金をやたら使ったら参謀のリカちゃんが困っちゃうし、それに急だったから……こんな物しか用意できなくてごめんね」
「リカちゃんはやめてって言ってるじゃないですか、マリア隊長……。それに大丈夫ですよ、コイツにとってはスイーツ系なら十分ごちそうだと思いますから」
 なるほど言われて見てみれば、なんだか先程から香ばしいやらなめらかな甘みの空腹を刺激する匂いがしていた。もう一度室内を見渡して見ると、デスクの右側、室内の少し窪んだ一角に香りの元が並んでいるのが目に入る。本来ならそこはちょっとした仮眠や憩いの場に使っているスペースだが、今日はどこから持ってきたのか常より一回り大きなテーブルが置かれ、その上にはリカルドの言う通り色とりどりのデザートやらどちらかと言えばおつまみっぽい物、そしてエリクの好物であるクリームシチューが鍋ごと並んでいた。
「シチューは私が作った物なの。レオナ君が作るのより味は劣るかもしれないけど、とりあえず食べてみてね」
「い……いや、そんなこと……ないですって。あ、ありがとう。」
柔らかいマリアの笑顔に思わずたじろぐしかなかった。まさか自分達の誕生日をこんな形で祝われる事になるとは思いもよらない。しかも、自分達の故郷の村では無くこの大都市で。事実他人も混じって祝ってもらうのはこれが初めてだったので、レオナはどうもその雰囲気がこそばゆかったのだ。
「んな遠慮がちになさんな。エリクは情報整理、レオナは出張任務ってかなり頑張ってくれたんだもんな。いっそこのまま入隊して欲しいくらいでさ」
「そういや、もうすぐ契約期間も終わっちまうんだっけ……」
「あと一週間……かな」
 レオナは答えながら、一足先に祝われたものの何も食べずに待っていたエリクと一緒に少し遅めの晩御飯の席に着いた。するとすぐに、準備していたマリアが二人にシチューをよそって手渡してくれた。ふわり、と湯気と一緒に乳食品独特の自然な甘さを含んだ香りは鼻腔を突き抜け、二人のほぼ空の胃袋を刺激した。
「ありがとう、マリアさん」
 エリクは二つとも受け取ると、その一つを兄の前に差し出す。
「あ、どうもな」
「ホント、最初言われた時は唖然としたけど、考えてみればあっと言う間だったね」
 不意にエリクはそんな事を言いながら微笑んだ。そう、任期はあっと言う間だった。
 先程サイフォンが言った通り、実を言うと自分達はこの部隊に入隊している訳ではない。言うなれば仮初め軍人だ。任期は二ヶ月。グレイの言葉通り、それも間もなく終わる。



 きっかけは二ヶ月前、いつもと同じ『理由』でいつもと同じ西部口のウェダンストリートを通り、このアルトフィアに来ていた時の事――――――
 俺達は不遇にも、街に入って五分と経たない内にその事件に巻き込まれた。場所は、ウェダンストリートを通り抜けた先の噴水を囲んだ広場。
 それは、無知な魔導能力者による街中での【決壊(バースト)】――――つまり、破壊的衝動が最大限に引き出された状態になる事。この手の狂乱者への対策は、【魔導能力者の教習所】が任された特殊任務の一つ。彼らならば過去の前例からもデータが取れているため万全……のはずだった。だがこの時の狂乱者は、過去に採取したどのデータとも照合しない、不自然な形で決壊を起こした。
「いや……いやぁっっ!」
 炸裂し、大きく形を変えながら吹き上がる蒼い光。その中心に力なくしゃがみ込んでいたのは、エリクと同じくらいの年齢……と言ってもエリクを標準にするならおそらく13、4歳くらいであろう少女だった。蒼いフィルター越しに見える彼女の髪は命を吹き込まれたかの様にうねっている。
 これこそが決壊(バースト)の証だ。魔導能力者が使う蒼い光、一般にはミスティックと名付けられている物は、通常時の発動ならばそれによって髪が浮く事などまずあり得ない。それは彼らが無意識の内にミスティックを上手くコントロールし、自身とミスティックの間に隔壁を設けているためだ。ところが、決壊(バースト)が起きると同時に精神も大きく乱されるため、勿論その隔壁も保ってなどいられなくなる。
 決壊とは、定義上では破壊的衝動が最大限に引き出される状態―――などろくでも無い言われようだが、その状態になる事を自身が拒絶さえすれば抑制は簡単らしい。ただ、拒絶をすること。それはその巨大な衝動を能力者自身の中で無理やり鎮火させるも同然の行為。無論、全身に強烈な痛みと言うリバウンドが来る。
 この泣きじゃくっている少女も、今は必死にその痛みと戦っているのだろう。きっと彼女もまた、抑制をしなければ痛みからは救われる、という常識を知らない。と言っても、これは一部の間でのみ通用する常識で、彼女は今己の中から吹き上がる蒼い光の正体さえわからないのだろう。突然発現した謎の光に、わけも分からず無我夢中で押さえ込もうとした、というのが大方関の山だろうか。しかし、それにしてもおかしいのは決壊の直前―――
「ど、どうして平常時からいきなり決壊(バースト)になるの!? まだ解放すらしてないのにっ!」
 エリクは信じられないといった形相で叫んだ。普通なら能力者には、力を発現する上で手順と言うものがあるのだ。それは術者がいくらミスティックについて無知だろうが関係無い、言うなれば絶対法則。そのまず第一は、体内のミスティックを呼び覚まし具現する【解放】と呼ばれる段階。例えば術者が水の属性を持つとした場合、その力を用いてコップに水を注ぐなどの生活的応用の場合がこれに当たる。その更なる上にも段階があり、こちらは【昇華】と呼ばれる。この状態になった術者は、【術式媒体】を用いる事により【煌術】が使える様になるのだ。
 決壊(バースト)とは、この二段階目よりも遥かに大きな力を呼び起こそうとして失敗し、制御ができなくなってしまう事。
「………た……助け……て……っ!!」
 彼女はこの法則を明らかに無視して決壊(バースト)を起こした。解放すらもしていない状態から、突然大量の油に火種を落としたかの様に暴発したのだ。
 周囲には逃げる人々の奔流が出来ている最中、兄弟だけは立ち止まってその様子を危険とも言える程の至近距離で見守っていた。
『第三分隊と第二分隊は周辺市民の避難及び人避け、第一分隊はこれより圧制に掛かる! 各自速やかに行動しろ!』
 まるで嵐が来ているんじゃないかという轟音の中、引き締まった声がその場に響く。先行隊のみがその場の対応に急いでいた所に、ようやく残りの部隊が到着したらしい。中でも中心に立ち、あれよこれよと指示を出しているのが、この特殊部隊【エイデス】の総隊長。ちなみに顔見知り。
「あ、総長さんだ」
 一際目立つ赤髪の男性に気づいたエリクは、ほっと胸を撫で下ろした。彼の率いるエイデスは、隊員がたったの34人しかいないにも関わらず任務成功率は高い。と言っても正規軍は触れない様な特殊な任務しか扱わないので比較対照がわからないが。それでも任務時の速やかさと完璧さは相当だと言える。
「よかった。これなら僕達は何もする必要ないね。僕達も下がろう……え?」
 そう言って隣を見ると、そこにもう兄の姿は無かった。確かに……少なくとも一分前まではここで一緒に固唾を飲んでいたはず。それなのに一体どこへ?
『そこの銀髪の少年、下がりなさい! これより圧制にかかります!』
 場に佇んだままきょろきょろと兄の姿を探していると、女性隊員の一人に注意されてしまった。エリクは背筋を伸ばして返事すると、速やかにその場を退く。気がつくと、少女を中心とした蒼い竜巻の周りを10人近くの兵士が取り囲んでいた。これが圧制の準備だ。結局レオナの姿は見つけられないまま。
 間もなくして周囲の兵士全員が昇華状態になると、いよいよ圧制が始まった。
 その様子を、かなり離れた位置からまだ非難していない市民が固唾を呑んで見守っている。だがしかし、この一連の騒ぎの原因が少女である事は愚か、人為的に引き起こされているという事実すらも彼らは知らない。否、知るはずがない。
 "空気中に分散している有機化学物質【(こう)】が、人間の周囲の温度やその場の煌密度などの様々な条件照合の元に起きる自然現象"、それが蒼い竜巻(ブラウシュトルム)。これは既に世界の化学論議の場ですら通用する学識であり、煌学分野の中に取り入れられている単元ですらある現象。
 しかしその実態はと言うと、政府の裏ででっち上げられたに過ぎないもの。つまり、能力者の存在を公にしないため表向き用に作られた偽装事実なのである。
圧制と言うのは、蒼い竜巻(ブラウシュトルム)が起きた際複数の人間が抑制装置を用いて人為的に竜巻の勢力を妨げるための対策。……と言うのも飽くまで表向きの話に過ぎない。
「警戒レベルはB級だが、まだ属性変化は起こしていない上相手は少女だ。いいか? 加減に気を使え!」
 了解、承知、イエッサー。様々な返事が飛び交い、その直後。10人の体から揺らめいていたミスティックが一層強まり、四方八方から竜巻に衝突した。その勢いを削ぐ様に、竜巻の回る方向とは逆向きにストッパーを掛ける様に。決壊(バースト)にも段階があり、その内ミスティックが竜巻を形どっている物はB級と呼ばれる。これを抑制するには、能力者が自らのミスティックを竜巻と逆方向からぶつけ相殺しなければならない。10人もいればそれも十分可能だろう。
 エリクの読み通り、ミスティックによる竜巻は段々とその威力を落としていき、あともう一押しという所まで来るのにあっと言う間だった。
 しかしその時――――――
『ブリーズフォール!』
 紛れも無いレオナの声にエリクははっとなり振り向いた。一体どこから聞こえたのか。いや、その前に今の術名は……。考える前にエリクの顔から血の気が引いた。だがこれから何か対処しようと考えた所でもう遅い。間もなく強烈な破砕音と共に、裏路地とストリートを隔てる白塗りの壁の一部が吹き飛んだ。思わぬ所から出た二次災害に、傍観者から驚愕の悲鳴があがる。まさに最悪の予想通り。
「うわあぁ!」
 更に悪い事に、圧制に携わっていた兵士の青年がそれに巻き込まれ、一緒に吹き飛ばされてしまった。青年はそのまま気を失い、それにより彼の抑えていた角度から再び勢力を巻き返そうと蒼焔が吹き出した。一人欠いた事に気づいた他の9人の顔にも緊張が奔る。だが、助け舟はすぐに出された。もし他所で異変が起こった時のためと傍観していた、エイデスの総隊長―――赤髪の男性が代わりに就いたのだ。
「何やってんだ、あのくそガキは! 街中で術を使うなとあれ程言ってるのに……!」
忌々しげに見るも無残な隔壁を一瞥すると、赤髪の目に恐る恐るそこを覗こうとしているエリクが映った。
「おいエリク!」
「はぃっ!?」
「おまえ行って兄貴ぶっ飛ばしてこい! まったく裏路地で何をやってんだアイツは!?」
 飛んできたのは赤髪の怒号。自分に向けられている訳ではないと言えど、エリクは思わず身を強張らせた。そして今現在裏路地で何をしているかも知れない兄を恨んだ。本当に本心から言えばぶっ飛ばしてやりたいくらいだが、生憎腕っ節で兄に敵わない事は明白。その無念とこの先の事を考えると、自然と溜息が漏れた。

 それから数分後。
 ミスティックの暴走は完全に抑えられ、術者であった少女は過度の体力消耗でぐっすり眠ってしまっていた。彼女はそのまま回復術を使える兵士がどこかへ連れて行き、場に残ったのは、10数名のエイデス隊員と総長さん、それから僕と兄貴。エイデスの人達は、いわゆる事後収集というやつでその場の破損部位や事件の取調べなどに当たっていた。その破損部位と言うのが主に兄貴の壊した塀なものだからどうにも居た堪れないんだけど、第一発見者でもある僕達はここを動くわけにもいかない。それに、一応兄貴が裏路地で暴れたのには正当な理由があった。だからと言って塀を壊した事を帳消しにして下さい、なんて口が裂けても言えないけれど、ここはどうにか総長さんに頼み込んで弁償だけは無しにしてもらえないかなぁ、と僕は今痛切に思っている。だって全額弁償なんてなったら、どれだけ払う事になるのさ。5000リル? 8000リル? 10000リルでもきかなかったらどうしよう。そっちを考えるとどうにも兄貴を責めたくなってしまうんだけど、本人も落ち込んでさっきから一言も喋らないくらいだしとてもできない。何せあれから僕が壊れた塀の向こうに行った時、兄貴は自分のした事に呆然として動けなくなって、それで逃げられちゃったんだから。そう、逃げられた。兄貴の話では、あの子が決壊(バースト)を起こす前、彼女に接触していた男がいたらしい。らしいとしか言えないのは、僕はこの場に兄貴を待たせて近くの店で買い物をしていたから。そしていざ事件が起きたその時、その男は笑み交じりにその様を傍観していて、兄貴は怪しく思ってそいつを追いかけて行って……その後かくかくしかじかで挑発されて思わず中級煌術を街中でぶっ放しちゃいました、みたいな。それは、うん。ウチの兄貴の性格上あり得ないことじゃない。
 一応総長さんはこの話を信じてくれたんだけど、最終的に判断を下すのは総長さんじゃなく別の人らしい。何でもエイデスが属する隠密機動部の総司令官だとか。しかも今からご本人が来るとか……。
「総司令官、ってどういう人かなぁ」
「………」
 水道を止められ、今は単なる白光石のアートとなっている噴水の淵に僕と兄貴は座って、あちらこちらへ勤しむ兵士達を傍観していた。しかし、一緒に座って待機している兄貴はそっぽを向いて無言のまま。これは相当落ち込んでるなぁ。
「ねぇ、ちょっと。黙ってるとなんか怖くてどうしようもないからなんか喋ってよ…」
 本心だ。頭の中ではこれから現れるであろう総司令官とか言う人のイメージ画が次々と浮かんでいる。それも大半が強面で、血の気の多そうな。これはたまらない。
「……血の気の多そうな奴じゃねぇの?」
 聞かなければよかった。なんていうか、怖くてどうしようもない、って言ったの聞いてなかったのかな。それともわざと?
「だってな、総長があんなだからその上をいく総司令官なんていったら……」
「お呼びですか?」
「……」
「……」
 いきなり頭上から降ってきた声に、何分かぶりに兄貴と顔を見合わせた。そして同時にゆっくりと顔を上げる―――
「こんにちは」
 そこには、後ろから覗き込む様な形で長い緑髪の軍人の男が立っていた。年は20代後半くらいだろうか。とにかくそのわりと端正な顔に浮かぶ満面の笑みが不気味でしょうがない、というのが強く印象に残った。
「あなたは……?」
「おやおや、これは申し送れました」
 彼はコホンと咳払いを一つすると、その場にしゃがみ込んで僕達の肩に手を添えた。
「ラオ・フォリス国軍隠密機動部総司令官、ルーク・ゼッド・ダークアルグです。以後お見知りおきを」
 至近距離だったため耳にまともに入ったその名前、と言うより肩書き。なんだって……?
「あ……あんたが、総司令官……サマ?」
 僕は何も言えずに押し黙り、代わりに兄貴がカチコチになりながらも尋ねた。でも、その軍人さんはただ楽しげに微笑むだけで何も答えない。もし相手が本当に総司令官という人なら"あんた"なんていい方は失礼千万にあたる……けど、正直僕も信じられない。だけど……
「今回は早かったじゃないか、総司令官殿」
「おや、スカーレットではありませんか。いやですね、私はいつもちゃんと急いでますよ? ただ今回はまた特例の件だった様ですから、いつもよりも急いだというだけです」
 合間を見つけてやってきた赤髪のスカーレット総長。僕達はひょんな縁から彼のことを良く知っている。それでその彼が"総司令官"と呼んだのだから、きっと本物なんだろう。まさかこの人の人柄的に僕達を謀っているとも考えにくいし……。でも、それならそれでまた困る。
「それで、さっき連絡で受けたのがその子達ですか。今回の件の第一発見者であり、内一人が隔壁を壊した……と」
 僅かに見せた突き詰めるような視線に体が強張った。
「その事なんだけどな。どうやらそいつは、【イラプター】所持者と接触したらしい」
「それで、追跡中に誤って壁を破壊した。というわけですか?」
 総司令官の遠慮ない突き詰めに、最終的には総長さんも頷くしかない。それはまぁ、合ってる事に首を横に振るわけにはいかないだろうしね。というか、本来ここは僕達が弁解しなきゃならない所なのに(主に兄貴が)総長さんが焦燥としてるのはなんか釈然としない。そう思っていたその時、突然兄貴が立ち上がった。
「その……壁を壊したのは、俺です……。とりあえずできる事ならなんでもしますから、全額弁償だけは勘弁してください………お願いします」
 これには驚いた。まさか兄貴が、こんなに真剣に頭を下げるなんて。こんなの前に煌術の練習で村長の家の屋根を破壊した時以来かもしれない。もちろん、僕も兄貴に習って頭を下げた。必死に許しを請ったのが通ったのか否か、頭の上で総司令官はクスリと笑った。
「できる事ならなんでもします……ですか。そういえばあなた達は、両親ともいなく兄弟で二人暮しと聞いてますからね。元々全額弁償なんて頭の片隅にも置いてませんでしたよ」
「それじゃあ……!」
「そうですね。できる事をなんでもしてもらいましょう」
 兄貴と見合って喜んだ矢先、総司令官の笑顔が妙に怖かった。兄貴はできる事の範囲を指定してないし、"なんでも"って……。無期限とか言われたら激しく困る。
「スカーレット、この子達の年齢は?」
「兄の方は17、弟は二歳年下の15だ」
「ほぅほぅ……。ちょうどいいですね。おまけに能力者で戦闘能力もそこそこあるとなれば……」
 まるで品定めするかの様な眼差しに不快感を覚えながらも、嫌とは言えない。それに、なんだか総司令官が言おうとしてることに段々見当がついてきた。その予想が当たってれば、それならそれでも困らないんだけど。
「スカーレット。この二人をエイデスに期限付きで擬似入隊させましょう」
「……言うと思った」
「あなた達も、軍とは言えど顔見知りならまだ安心できるでしょう?それに、お兄さんの方はイラプター所持者と接触していますから、どの道事情聴取を受けないといけませんからね」
 予想は当たった。それに期限付きなら安心だ。まだその詳細ははっきり言われてないけど、たぶん1、2週間程度だろう。
「ちなみに、期限は二ヶ月です」
 うん、そう二ヶ月。やっぱり予想は当た――――
「「二ヶ月ぅっ!!?」」
 前言撤回。予想は一部外れていた。



「で、エリクはその後どうにか免除してもらったってのに……」
 レオナは、隊員達には聞こえない様にぼそっと呟いた。そしてエリクにだけは聞こえる様に。
「べ、別にいいんだよ。だって僕だけ何もしないでいたってつまんないし、それにちょっと楽しかったし……」
 そう微苦笑する弟を見て、レオナは深く息をついた。本人がこう言ってしまっては、デスクワークに引き込んだ張本人であるリカルドを追及できるはずもない。
「煌術の制御は確かに難しいよな。俺だっていまだに制御できないことあってさ〜。この間なんて煌術の練習中にリカルドの髪をジャキーンとやっちゃってねーははは!」
「笑い事じゃねえ! あんときゃ一歩間違えりゃ首無くなってたんだぞっ!」
 やけに楽観的に語るグレイの属性は風。これは確かに、一歩間違えればまずい事になっていたこと間違いなしだ。だからこそ今日のレオナの任務は急ぎだった訳で。いつもならああいう無知な能力者に対しては交渉に重点を置いて説得するのだが、ジークの様な風使いの場合はもう相手の意思とかお構いなしにその場解決も許されるのだ。
「風系統や炎系統……攻撃系の属性を持った子は練習ですら危険だから大変ねぇ。私なんてベテランとか言われても光属性。主に治癒術だもの」
「いや、ミリ・フォンテは十分危険だと思うんすけど? 威力で言ったらエクレーラスと同じくらいっしょ」
「あら、そうかしら?」
 何か嫌な思い出でもあるのか、顔が強張っているグレイ。マリアはそれに対して何故か恥ずかしがっている様な、まるで見当違いの対応をした。
 しかしこの一連の流れ。属性やら煌術やらという単語を除けば特に普通の会話になるが、それらの単語が入っても場の雰囲気は至って普通な事に、レオナは不思議な感覚を覚えた。なんだかここにいると、世間に蔓延っている一般常識を忘れそうになるから。
 ここには今兄弟と軍人四人、合わせて総勢六人の能力者が同じ場所に居合わせている。しかし、世間一般論では彼らは一つの街に一人いるかいないかの頻度と言われているくらいであり、当然総人口も少ない。それは今現在は徐々に増えつつあるとも言われてるし、ラオ・フォリス国においてはほんの数年前の集団覚醒などで能力者数が増加した。しかし、それを踏まえた上でもどうにも不思議な感じだった。故郷の村で習った一般常識では、能力者は外ではあまり歓迎されず存在を知っていたとしても大体の人は忌み嫌うという話で、特にこのアルトフィアで正体を明かすのなんて以ての外とまで言われていたのだ。まぁ、それがこの場所が場所であるから、とでも言えばそれまでかもしれない。隠密機動部の特殊部隊――――エイデスというのは、総勢34人全員が魔導能力者で編成されているのだから。
(国家が認めた能力者……か。なんか政府ってのも色々滑稽だよな……)
 そんな事を思いながら、レオナはほんのりとしたキャラメル色のケーキを一口含む。
 魔導能力者の存在は現存社会では空気も同然であり、正式にその存在が確立されたのすら50年前くらいの話。それも一部の極秘機関に近い所で、だ。当事の政府の決定論によると、異質な力を持つ存在の表面化は将来的に差別暴動を起こす起源と成り得る、という事から極力公にはしない事になっていたらしい。それでも公の目を完全に憚る事は難しく、万が一一般人に見られた際の対処方として、煌学に基づく偽装事実が用意されている。それでも何か感づいてしまう者がいた時、方法はわからないが場合によっては隠密機動部が動いてその記憶を何らかの方法で消去しに行くらしい。
 しかし、それだけ知られる事を危惧しているにも関わらず政府は隠密機動部に能力者による部隊を発足し、公に触れる機会を増やした。明らかに矛盾している。
(もしも政府がラジェッタの存在を知ったら――――――)
 そこで思考はストップした。突然ドアが開く音がしたからだ。大体入ってきた人物は予想できるが……
「お待たせー。どうだ、サプライズパーティーは成功した?」
 やはり紛れも無くペッツ少尉の声だった。それも、今の発言によるとどうやら彼も仕掛け人の一人だったらしい。彼は四人の嬉々とした表情を見て作戦の成功を悟ると、そのまま上機嫌に兄弟の元へ歩いていった。そして―――
「楽しげなとこ悪いけど総長から伝言。明日から最後の任務に掛かってもらうから、パーティーが終わり次第すぐ戻れってよ」
「……了解」
 咀嚼は止めず、レオナは渋々頷いた。
 しかし表面上では不満を隠さずとも、内心には僅かに喜悦があった。残りの期間は一週間だ。その一週間の中で次が最後の任務なのだ。これは一ヶ月半以上も体を張って任務に努めてきた自分への見返りなのかもしれない。どうやらエリクもこの事に気づいたらしく、目が合うと小さく片目を瞑ってみせた。
「最後……ねぇ。あのエアスラッシャーとか言うヤツの次なら何がきても驚けねーな」
 レオナは勝気な笑顔を浮かべると、ケーキの最後の一口を頬張った。




 一つの甲高い汽笛が、ようやく活気づきだした朝の街に木霊した。少し遅れて、遠くから時を告げる半鐘の音がそれに応える。凍てついた空気を震わす事でさながら楽器に姿を変えるその壮大な音色。悠々と舞う翼達は、時計塔で羽を休めると口々に森の歌を口ずさむ。どうやら音色は小鳥達の聖歌の伴奏だったらしい。朝とは言えど、もうそろそろ空が淡い朱色から青へ成り代わる時間だ。漆黒の車体は、蒼穹から降り注ぐ白光を照り返しながら、その聖歌に導かれるように町並みを突き進んで行く。

第二話 【隣国からの来訪者】(仮)

 しばらくすると、窓に映る景色は止まってはいないものの地面の小石まで明確に見える程の速度に落ちていた。次の駅に着いた証拠だ。ふと対になった茶色い座席の向かいを見やれば、窓際に頬杖を着きながらエリクが寝息を立てていた。レオナはその年のわりにあどけない寝顔を見てまったく、と微笑しながらずれ掛けた毛布を直してやる。
『シェルクロー駅ー、シェルクロー駅ー!』
汽車が完全に止まり窓の外へ目を向けると、先程の旋律は何処へやら。大勢の人込みによるざわめきと、駅員の男性がメガホン片手に張り上げている大声しか聞こえなかった。駅のホームに着いたのだ。色とりどりの広告が掲示された宣伝版の隣には、『シェルクロー駅』と書かれた案内板がぶら下がっていた。
『えー、こちらは国境行きの快速列車にございます! ノイエダラス行きの方は三番線にてお乗換えください!』
 間もなくして外に待機していた駅員達が扉を扉が一斉に開き、外にぎっしりと並んでいた人込みが待ってましたと言わんばかりに車内へ流れ込んで来た。時間的に恐らくこの中の大半は出勤者だろう。その考えを裏付けるかの様に、いかにも工場等で働いていそうな作業服を着た人ばかりがそこらを右往左往している。座れる席を探しているのだ。兄弟それぞれの隣にも二席空きがあるが、もちろんこれを見逃す人は少なくともここにはいない。
 懸賞にでも当たったかの様に嬉しそうな表情でここを確保したのは、作業服を着た二人組みの男達だった。
「兄ちゃん、ここ空いてるかい?」
 「はい」も「いいえ」も言うまでもない。この時間帯、それも国境行きの列車はすぐに人で一杯になるため、相乗りも日常茶飯事。レオナは黙って頷くと、隣に置いてあったコートを除け、エリクの隣にあったトランクを足元へ下ろした。
「ありがとな。……あっちに女二人が座ってる席もあったんだけどよ、女ってのは自意識過剰な生き物だからな。すーぐ見た触った言うから相席する気にゃなれんのよ」
 まだ割りと若い部類に入りそうな工場働きは、声を小さくして彼女は欲しいけど、と言うと笑い声をあげた。すると一緒にいた不精髭の男も釣られてくつくつと笑う。その饒舌っぷりに、気がつけばレオナ自身までもが笑わされていた。
「ははは、さっすが商人の町シェルクローから来るだけあって明るい人達だ。そちらはどこまで行くんで?」
「国境にあるローラン大使館さぁ」
「へ?」
 予想外の答えに思わずレオナは次の句を断たれた。大使館と言えば、国境を越える際の重要な手続きやら政治的交渉やらで大変厳粛な場所であったはず。しかし目の前の二人の服装はスーツや法衣などの正装には百歩譲っても見えない。灰色のつなぎ―――これは絶対作業服だろう。工場か何かの間違いではないだろうか。
「し、失礼。別にあんた達が嘘言ってる……なんて、あんまりそんなに………たぶん思ってないんだ……けど……」
 自信の無くなり具合に連れてどんどん小さくなる言葉に、饒舌は再び豪快な笑い声をあげた。
「無理しなくていいんだぜ兄ちゃん、 そりゃこのナリで大使館に行くなんて言われたら冗談に聞こえてもおかしかねぇさなぁ?」
「だ……だよなぁ」
 そう控えめに苦笑した所で、突然ガクンと強い衝動に見舞われた。思わず腰から持ち上がってしまったレオナは、慌てて近くの吊革を掴みしめる。辺りには同じ様に見事にバランスを崩した乗客達のざわつきが飛び交った。その時に垣間見えた車間へ続く扉の上に掛かる時計の針は、なんともう出発の時刻を五分も過ぎた所を指していた。
「……てて。何なんだよ、遅れたからって急発進させんなよな」
「毎度のことだよ。どの車掌も、このシェルクローでは時間を食わされる事を知ってるから出先に少し慌ててやがんだ」
 確かにこの乗客でぎゅうぎゅう詰めの中、周囲を見回してみても自分の他に文句を吐いている者は誰もいなかった。どうやら不精髭の言うとおりだったらしい。
「時に、そちらさんはどこまで行くんだい?」
 突然思い出した様に、饒舌がオウム返しの様な質問をしてきた。
「そっちと同じだよ。大使館までは行かないけど」
 レオナは曖昧な笑みを浮かべると、静かに答えた。その時不意に、昨日の夜から今朝にかけての一連の流れがフラッシュバックした。



 昨日の夜、突然ドッキリも同然で行われたバースディパーティの後、俺達はペッツ少尉に言われた通り真っ直ぐに(別に他に行く所もないし)帰宅した。帰ったと言っても自分達の家じゃない。この二ヶ月のペナルティ期間の間は、ずっととある人の家に居候していた。
 ていうか住み込みの家事手伝いみたいになっていた感じがしたのはきっと俺の気のせいではないと思う。
「おかえり。どうだ、パーティーは楽しめたか?」
 玄関に出てきたのは、やたら長い赤髪を後ろで結わえてて、海みたいな真っ青な目をしたおっさん。この真っ黒いパジャマみたいな格好の人こそが俺達の居候先の家主だ。
「あ……もしかして、僕達の誕生日のこと言いふらしたのって総長さんですか?」
 据わった目を更に切れ長くしながらエリクが言った。なんか今にも玄関で寝そうな勢いだ。無理も無いな。こいついつも就寝時間が子供と同じレベルの早さだし。……ってこいつ子供か。
「言いふらしたなんて人聞きの悪い、兄弟でダブルバースデーなんて珍しいから話題に使っただけだってぇの。それよりも、寒いだろ? 早く中に入んなさい」
「……へーい」
 砕けてるんだか真面目なんだか、よくわからない口調でその人は俺達を玄関先から引っ張り入れた。
 このだらしない黒パジャマみたいな格好のおっさん、スカーレット総長は実は俺達の両親の古くからの知り合いらしく、俺達も元来からの顔見知り。――って、こんな説明入れてからだと正直説得力が半減どころか無に帰してる気がするけど、一応軍人なんだよなこの人。それも単なる一般兵士じゃない。俺達がいつもこの人の事を『総長』と呼ぶ通り、実は隠密機動部属の部隊を一つ率いている総隊長……なんか本当に自分で言ってて嘘に思えてきた。毎度毎度もう見慣れたけど、この家は普通過ぎる。何が普通過ぎるって、普通お偉い軍人さんの自宅って言ったら、こう庭先に池みたいのがあって、そこに石像みたいのがあって、玄関入ってすぐに高級毛皮の敷物やら割ったら取り返しのつかない事になりそうな壷やらが所狭しと並んでいるもんだろ。
 ところがどっこい。この家ったらそんな物何処にも見受けられない。唯一おぉスゲェ、と思えたのが玄関先や廊下の照明に最新型の煌学灯が取り付けられてるくらい。それ以外は、友好的ご近所付き合いが成されてそう。その一言でかたが付くくらい平凡なんだよな。正直初めて見た時は逆に驚いた。
「とりあえず、いつも飯食ってる所に座ってろ。ちょっと資料取ってくるから」
 俺達を、これまたごく一般的なリビング(と言っても見慣れた)へ通すと、総長はそのまま玄関前にある階段から二階へ上がって行った。俺とエリクは、とりあえず総長の言った通りいつも飯食ってるとこ、つまりそれ程大きくないガラスのテーブルを囲んだ二対のソファーの一つに座った。
 一分後か一分満たずか、そんなに待たない内に総長は戻ってきた。たった一枚の髪っぺらを持って。これが資料なんだろうか。
「さてと、まぁペッツから聞いたとは思うが、明日からお前たちに就いてもらう任務について……だな。めでたい事に次で最後だってぞ」
 二度目でしかも総長直々の最終確認が取れた。これは間違いなく本当だ。俺はもう心躍る気持ちで、総長の前だからって対して気を揉んだりしてなかったから、絶対顔が笑ってただろうな。気づいてなかったか気づいてても無視したかどうかは知らないけど、総長はそのまま向かいのソファーに腰かけた。しかしその視線は、キッチンのある方側の壁注がれていた。そこには、あんまり古くもなさそうな白い柱時計が掛かっている。
「あと1、2分で日付が変わるな。とりあえず俺からも言っておこうか。二人とも、誕生日おめでとう。それと、まだあと一つ残ってるが二ヶ月間ご苦労だったな」
「え……」
 不意打ちでこそばゆさが込み上げた。
 別に特別変わった事は言ってないのに、こうなんか言う人と状況によって言葉って多面性を持つんだな。特に総長に改まってこんな事を言われたのは初めてだ。なんせ通常時のこの人は、やたらつっけんどんで荒っぽい物言いばっか。それこそ絶対若い頃は不良の片棒担いでたんじゃないかって程の発言も少々。
「こら。なんだその珍妙な物見るような眼差しは? なんか言えよ」
「あ、いや……なんか意外で」
 エリクは何も言わず、ただこくこくと俺に合わせて頷いた。
「ああ、そうかい。ガラにもねぇ事言って悪かったな」
 総長はそのしかめっ面を更に仰々しくすると、持っていた紙っぺらをテーブルに放った。
俺はそれを自分とエリクの間辺りに引っ張り寄せると、上下をひっくり返す。そこに記されていたのは、性別、年齢、生年月日、特技―――履歴書? また紙の右上には、写真が貼り付けてあった。少しはねっ気のあるまっ黒い髪に、まっ黒い目。年は俺とそう大差なさそうなヤツ。それにしても、なんだってこんなつまんなそうな表情してるんだ。仮にも履歴書の写真なのに無愛想にも程がある。
「これは、誰ですか? 見た感じローランの人っぽいですけど……」
 エリクは文末で言葉を濁した。まぁ、ローラン人の特徴として黒髪に黒い瞳。そこまでは言いとして、この写真に写ってるヤツの肌の色やら顔の作りは俺達みたいなフォリシャンと大差ない。となると総長と同じハーフか……。いや、今はそんな事よりも、俺もこいつが誰だか気になる。大方今回のターゲットとかそういうノリだろうけど。
「まぁ後々説明すっから待ってろ。とりあえず本題に入る」
 さっきの事をまだ根に持ってるのか、眉間に皺を残したまま総長はテーブルの上で両手を組み合わせた。
「お前らに明日から……うーん、早くて三日くらいだな。今回やってもらう任務は、大きく分けて三つある」
「まずはその人をマークしろってことですか?」
「ちょっと違うな」
 言うと総長は、もう一つ何かをテーブルの上に置いた。手の平で隠されてしまう程、小さい物。長方形のその中心にはラオ・フォリス国軍の翼を象った紋章が薄っすら描かれている。
「これって、軍で発行されてるフリーパス?」
「その通り。お前達には、これを使って国境に行ってもらう」
「は……!?」
 言われた瞬間耳を疑った。国境だって? このラオ・フォリス国があるストレシア大陸で国境と言えば、隣接しているローラン帝国との関門しかない。俺達の故郷、ラジェッタ村から行けばそう遠くないものの、ここから行けなんて言われたら片道で半日近く掛かるくらいの距離。そんな所に俺達を飛ばして……一体今回の任務ってなんなんだ。
「それからこの写真に写ってる少年。名前はローラン名でラウ・ゼオンって言うんだが、まぁ、色々掻い摘んで言うと入隊希望者だ。まずはこの子と合流する事が一つ目」
「つまりお出迎え、及びエスコートってことかよ。んな俺らが行かなくたって、17歳なら一人で列車乗ることくらいできるだろ……」
「話は最後まで聞け。大きく分けて三つあるっつっただろうが。まだ一つ目しか言ってねぇ」
「へーい……」
 もし総長にこんな態度取っている所をリカルド中佐に見られたら、またもの凄く叱られるなぁ、と内心俺は苦笑した。もう三年前くらいになるか、初めて総長の所に遊びに来た時、ちょっとした挨拶のためにエイデスの事務室に一緒に顔を出した。その時確か総長に対して明らかにぶっきらぼうな態度を中佐(当事は中尉だったけど)に咎められたんだ。本来この人はそういう態度で接していい人じゃないってな。
 そういえば当事、俺はわけあって中佐が大嫌いで、あと性分がちょっと似てるせいかケンカ腰になってばかりだった。今思えば、何も悪い事をしてない人に対してあんな悪態ばかりついてホント申し訳ない。
「次に二つ目。まぁ、これはいわゆるお使いだな」
 総長はそう言うと、ゼオンの履歴書のある一部を指差した。そこにはゼオンに関するパーソナリティが記されていて、『タイプ』と言う項目に【碧道士】と記されている。碧道士とは、つまり魔道能力者の別称だ。あとその下にずらずらと複雑な書体が書かれてるけど……読めない。たぶんあっちの文字なんだろうな。……ん? 待てよ。ローランってフェレキア語じゃないんだったよな、確か。
「総長、ちょっと質問。そいつってフェレキア語話せんのか?」
 ローランは、ラオ・フォリスと隣接した国でありながらも独自の文化と言語を培ってきたってどっかで聞いた事がある。当然俺達の使うフェレキア語なんてローランじゃまったくもって普及していないわけで。かと言って俺らがローラン語ペラペラなわけでもない。万が一意思の疎通すらできないなんてことになったら、この先どうなることやら。
 しかし総長は、なんだそんな事か、と微笑んで再び履歴書に指を這わせた。どうやら杞憂だったらしい。
「ほら、ここに使用言語についても書かれてる。ちゃんとフェレキア語も話せるよ」
「ならよかった……」
「それじゃ、説明に戻るぞ。ここには……旨だけをまとめて言えば、ゼオンの能力についての事が記されている。この子はどうやら二属性具有者らしくてな」
 その言葉に、俺もエリクも驚いて目を瞠った。二属性具有者、つまり二つの属性を持ち合わせている魔道能力者のことだ。
 能力者の持つミスティックには属性というものがあり、今は確か水、風、火、地、雷、光、闇、音の八つが確認されている。この八つは八大属性と呼ばれ、その中から能力者一人に与えられる属性は、通例では一つのみ。俺とエリクの場合は、それが『水』だ。けれどこの力というのも面白いもので、同じ水と言えど俺とエリクでは力に少し違いがある。もちろん俺達二人とも水を扱う事はできるけど、俺は『氷』という水から分岐した更なる属性を使える。けど、エリクの場合はこれが『霧』。
 これについての詳細は前に習ったことがあった。まず一つの主属性、俺らの場合で言う水があって、力に覚醒したばかりの人はまずこの基本属性が使える。それで力が成長するにつれて、個人差やら親からの遺伝やらで決まるのが、『氷』や『霧』だ。ちなみにうちの村では、この事を適正変化と呼んでたっけ。
 二属性具有者なんて、実例すらも見たことなかったからいまいちどんな物かわからないけど、つまりその適正変化も二種類起こるってことだろ? 俺、実は二属性持てるんなら電気使ってみたいなぁとか思ってたけど、なんだかそれを考えると面倒くさそうだよなぁ。いいや、俺は氷を極めよう。
「実はその情報も曖昧なもので、一つは闇って判明しててもう一つがまだ何かわからないらしくてな。そのための検査と、もう一つ。二属性具有者用の【アルカナ】なんて滅多なことじゃ需要ないし、教会の方にも置いてないんだ」
 ちょっと待て。能力者の適性検査にアルカナ……? その話の流れによると、つまり――――
「ゼオンと一緒にエベノスに行く事。これが二つ目」
「……大聖堂に行けって?」
「察しが早くて結構。まぁ全体的に見て、お前らはエイデスからの使者ってことになるかな」
「なんかまたエライ役職を……」
 総長はこちらの反応を見て楽しむように呟くと、そのまま立ち上がった。そして大きく背伸びをすると、そのまま廊下へ続くドアへ――――っておい!
「総長、三つ目は!?」
「あ?」
 振り返った顔は、なんだかあちこち腑抜けた感じで明らかに寝る気満々だった。
「だから―――」
「三つ目は実はまだあやふやな所があってな。……まぁいい、明日出る前にちゃんと話すから、お前らも早く寝ろ。明日は6時前には叩き起こすからな。」
 総長はそれだけ言うと、ひらひらと手を振ってそのままドアの向こうへ消えた。
まったく……ホンット時々わけわかんねぇんだよな、あの人は――――――



 シェルクロー駅から二時間くらいは経っただろうか。当初はぎゅうぎゅう詰めだった客も、今となっては数える程度。時計を見てみると……なんと、予想を上回り既に三時間近くが経過していた。
 別にレオナが時間間隔に疎いわけではない。ただ単に、一緒に乗り合わせた饒舌の話があまりにも楽しすぎたのだった。彼の工場で最近発明された煌学製品について、シェルクローの昔話や都市伝説、不精髭の家の隣に住むこんこんちきなおばさんについて、など。そうこう話をしている内に、いつしか長年の知り合いの雰囲気になってすらいた。しかし話題はたくさんあったにしても、まさか三時間も話していたとは。もしかすると彼は、『時』を操る能力者なのではないだろうか。否、それなら『雰囲気』の方がしっくりくるか。レオナは声には出さず饒舌に似合う力を詮索しては苦笑した。どちらも実際には存在し得ない。
「……さてと、弟君も起きたことだし、も一つとびっきり面白いのをしてやるかね」
「おっ! まだなんかあんのか? ……ていうかさ、休み無しによくそんな喋り続けられるよなぁ」
「なんのなんの、喋ることは特技の一つでさぁ」
 エリクはつい先程起きたばかりで、まだぼーっとした緑の瞳を瞬かせながら兄と饒舌を交互に見た。隣では、彼が起きる少し前にほぼ入れ替わりで寝に入ってしまった不精髭が規則正しい息を立てている。それがなんだか汽車の定期的に来る振動と所々合っていたので、少し面白かった。
「……眠い」
「コラ! もう昼近いんだから起きてろっつの! ちょうどいいや、こいつの眠気覚ましにもなんか一つしてやってくれよ」
 レオナは、起きたとは言え今にも再び眠ってしまいそうなエリクの髪を掻き回しながら言った。それに対しても嫌がって止める訳でもなく、エリクはただ呆然窓の外の景色を見ていた。
「こりゃ重傷だぁ。よし、任せな。 今度の話はなぁ――――」
 エリクは大きな欠伸をし、半眼で兄を盗み見た。すると、なんだか本当に楽しげな表情で小机に頬杖を着いている。
「―――……兄ちゃん達、【ソーサラー】って聞いたことあるかい?」
『っ!!』
 丁度その時、列車がトンネルへ差し掛かった。風圧によって轟音がうるさく聞こえる中、それでも反復して響いてくるたった一つの言葉。
 ただそれだけによって、兄弟二人の様子は一変した。話の内容をするまでもなく、エリクの眠気さえもすでにその言葉の中に霧散してしまったらしい。
「何つー顔してんだ、二人して」
 饒舌にとっても二人の驚き方は想定外だったらしい。彼は珍しく声を細めて心配そうに尋ねてきた。
「……あ、いや……なんでも……」
「知ってますよ。確か、レーヴァ教聖霊神話の中に出てくる魔術師のことでしたよね」
 エリクはわざとらしい声高な口調ですらすら述べた。聞いたことある、なんてそんなレベルじゃない。少なくとも、今から自信満々に"その"話題について語ろうとしている男よりは知っているという自信はあった。
「そうそう、よく物語とかに出てくるアレのことな」
 こういう切り出し方の話は、以前にも何度か聞いた事があった。しかしその内の大体は、次に繋がる言葉が同じになる。
「んじゃ、そいつらが実在するって噂は聞いたことあるかい?」
 饒舌は悪戯っぽく笑みを浮かべた。これは聞いた事がないはずだ、という絶対的な自信を持っているらしい。レオナは、答えに困る様子も見せず少し考えてから首を横に振った。
「いや、ねーな。ていうかソーサラーって、魔術を使って水とか火とか何でも操るんだろ? そんな人間が存在するわけねーし、ヴェリアルに関する諸説が適当に捻じ曲がっただけだと思うけどな、俺は」
 レオナははっきりと否定を交えて言うと、ふいと窓ガラスに視線を向けた。トンネルの暗闇の中、透明なガラスにはくっきりとした虚像が浮かび上がっている。その中で目が合ったエリクは、何か物言いたそうに苦笑いしていた。その表情だけで、訴えたい事は分からんでもない。いや、その内容をきちんと理解しているからこそ彼はこんな言い方をしたわけで。何しろ、今饒舌からされた質問は、正直に言えば少なくとも否定はできないのだ。
 今に実在する"ソーサラー"――――それはつまり、魔導能力者を差す言葉に他ならないのだから。
「はは、なんだ、都市伝説は面白がって聞いてたわりにゃ現実的なんだなぁ」
「じゃあ、あんたはその噂を信じてるのかい?」
 そう呆れた様に尋ねたレオナは、内心自分自身に呆れていた。正直この状況では自分が意地の悪い事この上ない。知っている――――在存事実を理解すらしているのに、知らんふりをして相手を貶しているのだ。確かに世間一般の"普通"の人々の間では、『ソーサラーが実在する』なんて異論に対してはこれが一番普通の態度らしい。しかし、カモフラージュのため仕方無いとは言え、明らかに滑稽な自分がやるせなかった。これだから"外"でこの手の噂に立ち会うのは嫌なんだ、とレオナは心の中で嘆いた。
「うーん、そうさなぁ……。信じてるとも言えねぇし、かと言って全面否定してるわけでもねぇんだ。ほら、世の中って一般常識わきまえてりゃ基本的に全部見えてるように見えて、実は見えてないことっていっぱいあるだろ?」
 兄弟は思わず顰蹙した。世界中のどの学者も見ようとしない物がこの男には見えているというのか。
「俺らが知らないだけで、実際でかい町一つに一人くらいはそういう存在がいるかもしれねぇし、いないかもしれねぇってことさ。もしかしてこの車内にいたりしてな」
((――っ!!?))
 饒舌はからからと笑いながら、座席から通路側へ身を乗り出した。隣と斜め前で今の発言に至極仰天した者がいるとも知らずに。今のは本当に偶然の発言なのか、それとも何らかのお告げみたいなものが彼の口を突き動かしたのか。どちらにしても、兄弟二人とも願う所は一つ。……早くこの話題を打ち切りたい。
「まぁ、なんにせよだ。先入観に頼ってばっかだと、人生つまんねーぞって言うアドバイスだな。……あ、ちなみに俺はソーサラーの存在を信じてるぞ」
 饒舌は話題が話題なだけに周囲の視線を気にして小声で言うと、人差し指を立てて微笑んだ。
 思い起こせば、先程都市伝説などを楽しく語ってくれた時にもこうして指を立てていた。そしていつも意味する所は、説話の終わり。
「……一つ噂話があったんだけどよ、それじゃ聞いててもつまんねぇな。俺もちょい疲れたし、ここらで休むとすっか」
「そんな事ないですよ、ありがとうございます。……って僕はほぼ寝てたけど」
「あんたのおかげでしばらく退屈しなかったよ。あと――――ちょっとだけソーサラーを信じる気になれたかな」
 再び車内に光が差し込んできた。饒舌ははにかむレオナを見て満足そうに頷くと、眩しさから逃れるように通路側を向いて座席に寄り掛かる。
 直後に聞こえてきたのは、快活な声ではなく寝息だった。
「寝付き早ー……」
 そう呟くとレオナは突然席から体を起こし、饒舌を起こさないように通路側へ身を乗り出した。
「何してるの?」
「ん〜? ……いや、実際この汽車の中には何人いるのかなーと思ってさ」
振り返ったその表情には、饒舌の真似でもしている様な悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
 間もなくして前方に緩やかな曲線が見えてくると、汽車はそれに従って少し車体を軋ませる。レオナは、四方を遊泳しているむせ返りそうなスモッグから逃れるためにほんの少しだけ窓の木枠を持ち上げた。外には外でまた別のスモッグが止めどなく流動しているが、こちらは毒性も無ければ鼻腔から肺の粘液まで侵されそうな刺激臭も無い。レオナは出来るだけ外の空気を吸えるよう窓枠に顔を近づける……と、微かだが汽笛に混じって超高速で振り回されている鈴の様な音が二人の耳たぶを打った。これはきっと間もなく汽車が来ますよ、という注意を促すためのホイッスル。
「もうすぐ次の駅みたいだな」
「あと五つだね」
汽車はまた新たに甲高い雄叫びをあげると、青空にどんどん雲を浮かべていった。



第三話 【リンミィ】

 ラオ・フォリス共和国とローラン帝国。この二つの大国を隔てる国境は、別名で【砦の関門】とも呼ばれていた。
大陸を二国に分けるアルケネス山脈からは北にぎりぎりで外れた所にあり、別段天険の影響があるわけではない。それでもそう呼ばれる理由は、敷かれている軍事態勢の強度にあった。場所が砦ならば住民は軍人とはよく言ったものである。駅から降りた所で顔を赤くしながらホイッスルを吹き鳴らしている駅員――――彼も黒い軍服を着ていた。
 ここが国境として成立したのは、20年前の国家改定の時。当事両国は冷戦状態にあった事から、各国の国境への警戒態勢は火花が目に見える程であった。それから幾年月経ち、両国の平和条約が承認された事で友好的国交が成立したが、この国境街の雰囲気や大変厳粛な空気は当事と変わっていないという。
 それは大使館等の国の重要施設が置かれているのだから警邏の人員として適度にいた方がいいのも頷ける。しかし――――――
「通行証を」
 駅の改札口から出る際、切符切りとして立っていた見るも体格の良すぎる筋肉質の男が手を差し伸べてきた。その手はよく見れば全体的に浅黒く、所々指紋が白く浮き出た箇所がある。それも男の黒い軍服の裾から垣間見える使い古された剣鞘を見れば容易に納得できてしまった。
「……はい」
 頭上の強面から突き刺さるような視線を感じながらも、レオナはコートのポケットを弄り白い小さなカード状の厚紙を取り出して手の平に乗せた。切符切りを右手にしかと容易していた男は、手の平に乗せられたのが橙色の切符ではないと見て眉を顰めた。
「これは隠密機動の……。確認させて頂こう」
 男はレオナの手の平からそれを取り上げると、まずはじっと表を見てから今度はひっくり返して裏側に目を這わせた。
「借用書はお持ちか? もしくは名前を」
「俺はレオナ・アージェント。それでこっちが、弟のエリク。一応任務って事で来たんだけど、連絡なりなんなり来てないかな……」
 男は少し考えてから思い出した様に着ていた土色の外套を弄ると、四角とも縮れて折り曲がった黒い手帳を取り出して、付箋の付いた所を開いた。
「……銀髪の……緑の瞳……兄弟。それに――――オッサンくさい茶色のコート……これだな。よし、通っていいぞ」
 男は無表情のまま改札口の道を開けた。しかし二人ともすぐに出ようとはせず、レオナは俯いて立ったまま。エリクは緩む頬を必死に両手で隠しながら体を小刻みに震わせていた。
「ははは。電話口が誰だったかすぐ分かるなぁ……。ていうか、少なくともアンタに言われたかねーよ……」
 レオナは無理やり頬を持ち上げ、腹の底から搾り出している様な声で笑った。それに対しても男は眉一つ動かさない。それ所か、話をきちんと聞いていたのか疑いたくなってしまう程の淡々とした動作で敬礼をすると、さっさと持ち場へ戻ってしまった。
「……まったく、駅の改札にあんなゴツイのが立ってたら普通の旅行者ならビビるぞ、マジで」
「仕方ないよ。だってここは、大使館とかに携わる政治関係の物以外は軍人で運営されてるらしいし。ハリスさん達だって大使館内外の軍施設の技術指導に来たって言ってたでしょ?」
「そういやそう言ってたっけ。まったく、そういう説明系のだったらまさにあの兄さんの天職だよな」
 眉間に深く刻まれた皺は何処へやら。レオナはつい先程まで相席していた二人組を思い出して苦笑した。
彼らの話によると、ここ砦の関門の丁度中心位置にあるローラン大使館では、最近何者かによるテロ的な工作によってしばしば館内の重要機関がフリーズしたり警備員が重傷を負う事件が多発していたらしい。それらを少しでも軽減するため、今回はシェルクローで開発された最新の防衛システムが導入される事になったとか。
 饒舌なハリスと不精髭のデビット。彼らは工場員ではなく、その設置の手助け兼技術指導役として派遣された腕利きの技師だったのだ。
「……にしてもテロか……。よくもまぁ、こんな軍人の巣みたいな所でやるよなぁ」
 レオナは、目を細めて道の先に聳える淡い青塗りの大使館を仰いだ。続出して起きるテロ活動に、軍がのんびりと対応するはずはない。少なくとも風の便りによると、少なくとも一月は常時警戒態勢のはずである。だが、ハリス達の話では一番最近のテロ事件はほんの一週間前だと言う。
 終点駅で降りたのは自分達を入れて約30人くらいだった。兄弟がこの境の地を訪れたのは今回が初なため比較対照と言う物がわからなかったが、あくまで国と国との窓口ともなるべき重要施設のある場所。通常時なら、これだけという事はないだろう。
「ホント。でも、テロの犯人については聞いてびっくりだね。まぁ、第三者の意見からすればいつかはやると思ってたけど」
「銃で心臓打ち抜かれたって死なねぇ体を持つ奴らだぜ? あれだけあのハゲから挑発まがいのことされてて反撃の一つもしない方が逆に不思議だろ。軍の連中も皆言ってたぜ」
エリクは確かに、とはにかむと、歩調の違いから開いてしまった距離を埋めるために小走りした。
 その時、駅の方へと歩く人混みの中、突如立ち止まった者がいた。自分の後ろを歩いていた人が寸での所で身をかわし、言葉として聞こえないくらいの文句を投げ捨てて行こうが気にも止めない。どうやらその男には聞こえないらしかった。
 男は灰色のフードを脱ぐと、今来た道の方を振り返る。その星雲の様な深い紫髪と同じ色をした眼光は、酷く放埓であった。
「………」
 兄弟が通りざまに刻んだ足跡を踏み潰すが如く、漆黒の紳士靴が延々と続く石畳を打ち鳴らす。



 青屋根のホームから一足出れば、足の下からずっと続いていく茶白の市松模様が広がった。緩やかな楕円形に展開する、今は土だけだが中心に丸い花壇があるこの広場は、飲食店や武装具屋が立ち並ぶ駅前通りの始点。二人は他の降車客に紛れて通りの方へ歩いて行く最中、何度か店の呼び込みに声を掛けられたが、彼らも軍服は着ていなかったがやはり軍人だった。
 そう断定できる理由は、彼らの首元にある。ラオ・フォリスの国軍では、存在さえも機密と扱う隠密機動部を抜かした正規軍の兵士に、軍服を着ていなくとも身分を示す証として軍のエンブレムが入ったチョーカーを常時着用する事を義務付けている。そのデザインは至って自由な物で、エンブレムさえあれば色・形を一切問わないため一部の兵士の中ではおしゃれの基点ともなっているらしい。言われてみれば、ここに来る間にリボン風やらスカーフ風やらエスニックな模様の木彫り。果ては"これは絶対に首輪だろう"、と思える物を着けて歩いている人。これが通った時は、二人とも思わず目を皿にして立ち止まってしまった。
「なんかこういう所だと、自然と人の首に目が行っちまうな」
「うん。でも、探さなきゃいけないのはチョーカーつけてない人だし問題は無いっしょ」
「だな」
 二人はひとまず黒山の波から離れて、丁度目に入った質素なカフェの外壁に寄り掛かった。
 すぐにエリクはしょっていたリュックを手元に降ろし、中から一枚の地図と一枚の写真を取り出す。そこに写っている人物こそ、ここで見つけなければならない黒髪の少年ラウ・ゼオン。
エリクは地図を広げると、今寄り掛かっている壁に書かれていた茶色のポップなゴシック体を小声で読んだ。そして再び地図に目を戻すと、ある一点を指差した。
「カフェ・ブラウニー。ここが現在地で、この先このまま行くとローランの大使館があって……」
「この緑の四角がそれか?」
 レオナが指差したのは、この街の全景地図の中でも一番大きく描かれている建物だった。その周囲も中の上くらいの建物に囲まれていて、そのいずれもが緑色。おそらく緑色の表示はみな政治関連の建物だろう。
「そう。で、ラウさんとの待ち合わせ場所が大使館より少し手前の――――ここは…… あれ?」
「どうした?」
 待ち合わせ場所は事前の説明では詳しく話されず、地図を頼りに行く手筈になっていた。地図持ち当番になったエリクは、本来なら真っ先に目的地を確認する様な性分だが、生憎眠気に敵わず車内では爆睡。起きた後も、なんとなく行き先と言えば検討が付いたのでわざわざ地図を広げて見る気にはならなかった。
 彼の予想では、目的地はやはり任務として赴くくらいであるし、場所が場所だけに国軍国境支部。しかし実際は……
「婁爛風レストラン、舞鶴……だって。てっきり支部かと思ってた」
「まぁ、表の世界にゃ出まくりだけどエイデスも一応隠密関連だし、なるべくノーマルな方がいいと思ったんじゃねぇの?」
 レオナは楽観的に呟くと、エリクの手から地図を取り上げてそのまま歩き出した。
「ちょっと……! ……まぁ、行けばわかることか」
 エリクは溜息を着くと、物言いたげに兄を目で追った。約2メートル置きにずらっと立ち並んでいる街灯の、自分から数えて三つ目分くらい。歩くのがやけに早い上に止まってくれる気配はなく、結局少しばかり走って追いつくしかなかった。



 鮮やかな光沢を帯びた赤い布地に、金銀の細やかで絢爛な鳥の刺繍。二対の鳥に挟まれるようにして書いてあった文字は、"舞鶴(ぶかく)舞鶴"。独特の神秘さと迫力を持つ看板に、一時二人は目を奪われた。しかし、左右に行き交う人々は誰一人として振り向きもしない。二人は周囲からの目線で自分達の位置づけが"お登りさん"である事をすぐに察し、わざとらしく咳払いをしてみせた。
「ここだよな」
「うん、でも……定休日って書いてあるよ?」
 エリクが指差したのは、入り口になっている正面のガラスのドアの取っ手。そこには"定休日"と大きく赤文字で書かれた札が下がっている。言われて改めて見てみれば、どこもかしこもブラインドが掛かっていて店内がまるで見えない上に、本来ならあるはずの芳しい香りも無い。あるとすれば、それは斜め向かいにあるカラフルな屋台店舗のポップコーンの香ばしいものだった。
「うーん……。ま、でも約束の時間まであと20分くらいはあるし、ここで待ってりゃ来るだろ」
「じゃあ、ただ待ってるのもなんだしあれ買わない?」
"あれ"と指し示された方向を見て、レオナの時は硬直した。
「――――………………お前いったい何"ちゃい"なの?」
 エリクが指差した方向を辿りレオナが見据えたのは、ポップコーンの屋台の隣にある、これまた彩色豊かな風船の屋台店舗。しかも今店にたくさん並んでいるのはウサギ型の風船だった。言葉の意味をすぐに理解したエリクは、顔を真っ赤にしながら隣の兄の脇腹に一発くれた。
「ぐぇ……っ」
「もう昼だし小腹にポップコーンでも入れて待ってようって言ったんだよ! それにうさぎの風船なんて欲しがるわけないだろ! 子供じゃあるまいし……」
「……ってて。 ………"子供"だろ……って、いってぇ!! わかったもう言わない、言わないから!」
 最後にぼそりと言いかけたのは本人の前ではご法度の禁句。脇腹にめり込んだ一発は、そのまま強力な洗濯バサミへと姿を変えて更に追撃する。焼ける様な局部的な痛みに耐えかね、レオナは慌ててその腕を引き剥がした。
「ったく……これでも気にしてるんだからね!」
 未だ声変わりの無いアルトボイスで懸命に怒鳴った後も、エリクは両目で縛り付けるくらいに兄を睨み続けた。新たに興味を引かれる物が現れるまで。そしてその間は、非常に短かった。突如注視を向けていた兄の目が大きく見開かれ、すぐに切れ長く研ぎ澄まされたのだ。
「……伏せろっ!」
 "それ"が現れる刹那の直前に、エリクは強引に頭を押し下げられた。酷い事を言われた挙げ句に殴るに近い衝撃を後頭部に叩き込まれる。エリクに芽生えた衝動は、怒りでも興味でもなく、ただ疑問だらけの驚愕だった。しかし何かを言葉にする前に、一瞬頭上を通り過ぎたおぞましく冷たい感触に唇が凍りつく。
 直後に強く耳たぶを打った大きな破砕音。思わず後ろを振り返ってみると、レストランの前面に出っ張った入り口を支えるための白い柱の一部が黒く変色し、ブスブスとどす黒い煙を撒き散らしている。おまけに先の破砕音の正体だろう、初見で見惚れた看板が衝撃で落ち、市松のタイルを砕き割っているではないか。ようやく彼は疑問の真相と、同時に現時点の自分の状況を察した。
「……ま、まさか……テロ……!?」
「まさかな……今の確実にこっち狙ってたぞ……?」
 "テロ"という言葉を聞いた瞬間、周囲で唖然と現場を見つめていた歩行者達の時間が一斉に固まる。
 次に動き出した時に彼らがまず取った行動は、顔を蒼白にして駅前の方へ全力疾走あるのみ。異変は異変を呼び、恐怖に引き攣る表情は次から次へと感染してゆく。岡目で見ていたポップコーン屋台の店主もいつの間にか忽然と消えていた。これだけの人が悲鳴をあげながら駅前へ突っ込めば、わざわざ通報に行かなくとも商売に就く兵士がきっと状況を察するだろう。しかし、それでも駅前とはそこそこ距離があるため時間は掛かる。
 兄弟はたった今、犯人に繋がる可能性のある情報を耳で得ていた。悲鳴、幾多の足音などの騒音が響きだす直前、二人には小さいけれど不審な音が確かに聞こえていたのだ。それはまるで、木が軋んで鳴る様な細く耳障りな音。
「聞こえたよな?」
「うん、レストランの裏方の方から」
 明らかに自分らを狙った犯人は、この今の間にも逃げる算段をしているかもしれない。兵士が来るまで、なんて待っていられない。目配せと身振りのみの相談を終えた後、二人はまったく別方向に動き出した。暗黙の内に決まった事とは、"誰がどっち周りで進むか"。
「あーあ……これ、まさか俺らのせいになんねぇよな……?」
 看板が落下した方を回ったレオナは、店の惨状を見て二ヶ月前の記憶をぶり返した。不意に壁をぶち壊してしまったという、衝撃的だがふとでも思い出したくない記憶。なるべくその現場を見ないようにして裏へ続く隙間へ体を滑らせる。コンクリ色の狭い道を通り抜け、まず目についたのは細長い棒の先に小さな櫓が乗っている様な形のオブジェだった。
「うわぁ……ここの店主、凝ってるなぁ」
 黒や白の斑状模様の材質で出来ているこれは確か、"灯籠"というローラン独特の街灯……と断定できる自信はない。それ以外にも小さな池の上に掛かる小さなアーチ状の橋など、風流的文化を携えるローランを見事に凝縮して模した仕様になっていた。
「あの……」
 感嘆の息を漏らしながら左見右見しているレオナの耳たぶを、か細く震える様な声が打った。
 少なくとも、今自分の視界に入る範囲は今穴が開く程見渡したばかり。だとすれば声の出所は……。
「え……?」
 眉を顰めて背後を振り返ってみると、目に飛び込んで来たのは真っ黒い――――否、日を受けて煌めく青み掛かった黒髪だった。
それとは対称的に肌は白く、針葉樹の葉の様に長く揃った睫毛の下には、灰青色の双眸が覗く。着ている赤褐色の服に着目すればえらく地味だが、それすらも些か目立たない程の端整な少女だった。何を思っているのか、壁に寄り掛かったまま彼女はこちらを凝視しながら首を傾げたり眉を顰めたりしている。
(……コイツ……なワケねぇよな……)
 レオナは、少女を横目で一瞥するとすぐに目を背けた。すると丁度そこには、逆方向から回って来たエリクの姿が。
「……お、エリク」
「……ルゥシェン!?」
「うわ!」
突然目の前にいた少女が怒鳴る様な声で叫び、思わずレオナは背筋を張った。
「ゴズルゥシェンヤオウェ?」
 少女は、わざわざレオナと向き合える位置に立つと、上目遣いで睨みつけた。早口で滑らかな発音の言語は、明らかにこちらのものではない。そもそもいきなり怒鳴る様に言われたので頭から飛びかけていたが、"ルゥシェン"というのはローランで使われている言語の中でも結構よく知られている挨拶言葉。レオナはごくりと唾を飲み込むと、必死で何かを思い出すようにこめかみに指を当てた。
「えーと……ルゥシェン。ミィるゥシァ……ヤオ、えーと何だっけ? なぁエリク、ローラン語で自己紹介って」
「ローラン人かフォリシャンかはっきりしてください」
 少女は、今度ははっきりとこちらの言葉で言った。言葉の訛りも何も無く、普通に自分達が話すのと同じ様に。
「……見りゃわかんだろ。ていうかそっちこそはっきりしろよ、一言目からローラン語で来たくせに」
「最初にあの、って話しかけたのにあなたが無言でスルーしたんじゃないですか」
 レオナは腕を組んだまましかめっ面で見下ろし、対する少女は不服を露にした眼差しでそれを受けている。
どちらも引かずに終わりそうもない睨み合いを止めさせたのは、ちょうどその中間に立たされたエリクだった。
「二人ともこんなことしてる場合じゃないでしょ! さっき攻撃してきた奴がまだこの辺にいるかもしれないのに!」
「攻撃!? では、さっきのすごい音はやっぱり……」
「ああ、たぶんテロの類いだろうさ。んで、こっちの方から物音が聞こえたから怪しく思って来てみたんだけど、あんた何も見なかったか?」
 少女は、難しい顔で少し考えてから首を横に振った。
「そっか……」
「はい。ところで、テロの犯人かもしれない人物をたった二人で追いかけようとするなんて、随分勇気ありますね。それともあなた方は、チョーカーを付け忘れた軍人ですか?」
 少女の的を射た質問に、兄弟は二人で顔を見合わせ苦笑いした。確かに、一般の人ならテロの犯人を追いかけようとなんて絶対にしない。そうです、とも言えないし、否定も仕切れないのだ。こういう場合は、話をそれとなく流すのが一番。大役を買って出たのはエリクだった。
「あ、えーと……正規ではないですけど、同じ様なものです。ところで、お姉さんはどうしてここに?」
「いえ、ちょっとワケがありまして………そういえば、自己紹介がまだでしたね。私の名前は凛魅(リンミィ)といいます」
「リンミィさん? ていう事は、やっぱりローランの人ですか?」
 落ち着いた動作で頷く少女に、エリクは思わず感嘆の息を漏らした。
リンミィ――――。見た感じ顔立ちは兄弟とそう大差ないが、名前の語呂は確かにローラン独特の物。実を言うと、彼らにとってローラン人とまともに会話したのはこれが初めてであった。
「それにしても、随分とこっちの言葉が上手いんだな」
「はい。以前こちらで生活していたことがあるもので……」
 リンミィは、それ切り言葉を飲み込んだ。
「どうしたんだ?」
 彼女は答えず、黙ってレオナの背後に広がる庭園の中心――――橋の架かる辺りを指差した。
「あの人……いつの間に入って来たんでしょうか………?」
「あの人って……」
 レオナは、首を傾げつつ後ろを振り返った。
そこには、確かに一つの人影が突然湧き出たかの様に佇んでいた。少なくともレオナよりは頭一つ分くらい飛び出た長身からして、きっと性別は男だろう。
否、そんな事よりも、その人影が放つまるで周囲の空間その物を拒んでいる様な威圧感に三人は釘付けになった。
 先程ここに入り込んだ時、確かにそこには誰もいなかったはずだ。かと言って庭園とは言えこの狭いスペース、誰かが入ってきて気づかないはずはない。残るルートは庭園とその向こうの林を隔てる高く築かれた壁だが、幾ら長身で身体能力に優れていようとこれは容易に侵入できるものではない。少なくとも、人間の常識では。
「……誰?」
 焦りが感じられるエリクの声にも男は微動だにせず、ただただその大きな灰色のフード越しにこちらを見つめるだけ。まるで聖職者が羽織る物を灰色に染めた様なボロボロの衣服。そのフードの下から少しだけ覗く男の顔。そして長く放埓に垂れる紫雲の髪。無駄な説明文句などいらない。ただ、それは不気味の一言に尽きた。
「……まさかとは思うけどな………」
 レオナもまた、焦りを含んだ声で呟いた。まさかとは思うけれど――――つまり杞憂であって欲しい。その願望とは裏腹に、脳裏には先程のおぞましい衝撃の感触が。そして、灰色のフードの奥に隠された想像の"赤"ばかりがよぎっていた。
そう思っていた次の瞬間……
「あっ!?」
 突如悪戯に吹いた風により、想像の赤はそのまま現実となった。
魔族(ヴェリアル)……!」
「……やっぱりか、ちくしょう!」
 はためくフードの間から垣間見えたのは、くっきりとした鮮血を思わせる紅の双眸。それは人間にも、能力者と呼ばれる類にもありえない。孤高の魔族にのみ許された色。一瞬にしてその場の空気は張り詰め、庭園内を緩やかに巡る人口小川の静かな音でも耳にうるさかった。
「……あんたがさっきの犯人か?」
 レオナは焦りを押し殺すように尋ねた。すると、フードの下から見える男の口元が、僅かにほころんだ。
「いかにも。少々頼みたい事があったものでね」
 声も割りと若さを思わせる滑らかな低音。男はフードに手をかけ、ゆっくりとそれを脱いだ。やはり、20代前半くらいの男――――そして人外の者である。
露になった端整な顔立ち。その表情はまるで無機質で、彩色ばかり鮮明な瞳は確かにこちらを見ているのに虚ろに感じられた。
「頼みたいこと? そのワリにゃさっきの攻撃、加減間違えてねぇか?」
まるでレオナのその言葉を待っていたかの様に、男はこちらへゆっくりと歩みだしながら不適に笑った。
「それはそうだ。元気に暴れまわられるよりは、動けぬくらいの手傷を負わしておいた方が扱い易いではないか」
そう言った瞬間、男は視界から消えた。いや、それすらも一瞬。
「中央の司令部へお目通り願いたい。同行してもらおうか」
「なっ!?」
 レオナが気づいた時には、紅の双眸はもう至近距離に来ていた。男がいた場所からは少なくとも池に一歩は踏み出さなければこちらへ来れないはずだが、橋の下の池に波紋はない。咄嗟に足元を見てみても、ローブはおろか、靴すらも濡れている様子はなかった。
「瞬間移動かよ……!」
 男がかざした両手の間に白い半透明の渦が出来ていくのを見据えながら、レオナは即座に退いた。同時に目配せで呆然としていた二人に、退避の合図を送る。
直後に彼がたった今まで立っていた場所を何か透き通った塊が通り抜け、建物の外壁に激突した。
「避わしたか。やはり、それなりの訓練はしている者のようだな!」
「兄貴!」
「大丈夫だ。大丈夫だから、お前らは表へ出て誰でもいいから軍所属のヤツを呼んでこい!」
 自信を強調する様に言って見せながらも、その瞳には焦りが見えた。その合間にも男は次々と術を練り、レオナはそれを避けるばかりで攻撃には出ない。レオナは、建物の脇道に消える二人を確かに見届けながら、小さく舌打ちした。
(ていうか、無詠唱で魔法術(ヘルヴィレ)とかありかよ……!?)
 魔族の男が先程から放っている空気を凝固させた様なものは、おそらくヘルヴィレと呼ばれる術の一種。ヘルヴィレとは、能力者<ソーサラー>のミスティックとは発動方法も形式も、またその仕組みも根本から異なる術である。だが、術式を組み立てるための呪文はこちらも同様に必要なはずだが……。
 しかし、だからと言って何が変わるわけでもなく、レオナは功には出ないが容易に当てさせないよう努めるばかり。そうした状況の中、男の方も業を煮やしたのかいったん手を降ろした。
「ここまで避けてくれるとは、なかなか素早しっこい。時間を考えるならば、こちらも力ずくで掛かった方が賢明か」
「いい加減にしろよ……! 言っとくけど俺達は軍属なんかじゃない。アンタが何をしたいかは知らねぇけど、力ずくで掛かるよりかは他を当たった方が賢明だと思うぜ?」
 男を瞳孔から逃がすまいとする様に、レオナはただその真紅の双眸を睨みつけた。すると、どういうわけか男は、虚ろだった目を僅かに見開いてふっと笑った。
「なんで笑ってる?」
 レオナは、半身で手前に突き出した手刀により力を込めた。ヴェリアルは常人よりも身体能力が遥かに優れている。いくら常人よりは格闘術に自信があろうとも、彼らが相手では先手を取られれば間違いなく………一瞬で決められてしまう……!
「人間は大体この目を見れば足が竦むものだと思っていたが、お前はそれを睨み返すか。……面白い」
 男はすぅと目を細めると、着ていたボロ布の様なローブの胸元にある、奇妙な形の止め金に手を置いた。
 しかし、男はそのままローブを脱ぐ事はせず、まるで翼でもはえているかの様に高く飛び上がって後退した。その時、呆気に取られて曲状の橋へ舞い降りる男を目で追うレオナの横を、真冬の北風よりも遥かに冷たい空気が横切った。
「へ?」
 パキリと音を立てて、つい今の今まで男の立っていた石畳が、白い花びらの様な形の物に覆われていた。しかしすぐに花びらだけは蒸発する様に消え、後には透明な氷だけが残った。
 氷――――魔導能力者である自分の属性はまさしくそれである。しかし今、何かしらの術を使った覚えは毛頭無く、万が一無意識に使っていたとしても白い花びらが出るものは習得した覚えが無い。一体なんだったと言うのか―――――思いながら、レオナは後ろを振り返った。
 するとそこには、さっき弟と共に救援を呼びに行ったはずの、まだ記憶に浅い少女の姿があった。
「リ……リンミィ!?」
 名前は知っていたが、実際口にしたのはこれが初めて。それに気づく僅かな余裕も無いほど、レオナは驚いていた。彼の目は、今や完全にリンミィの重ね合わせた手の中に集束していく蒼い粒子に釘付けになっている。全ての粒子が消えると、彼女は突き出した腕を引っ込め、咎める様な視線を何故かレオナに向けた。
「あなたが体術の才に富んでいることは、今弟さんから聞きました。けれど、相手はヴェリアルですよ? 一人で対峙するなんて、命を落としたらどうするのですか!?」
 はっきりと不意を突かれた叱責に、レオナは口をぱくぱくさせる事しかできなかった。リンミィはそれに更に上乗せして言う事はなく、今度は視線を男へと移した。
「この人は一般人です。あなたの求める"国軍へ交渉するための人質"にはなれませんよ?」
「ならば君は何者だと言うのだ? 先程の力……見たところソーサラーの様だが」
 男は、鮮血の様な冷たい視線でこちらを見下ろした。
「さて、何のことでしょうか? これは人間の知恵が生み出した煌学兵器に過ぎません。私は………まぁ、今日から軍人、とでも言っておきましょうか」
 リンミィは、男に聞こえる様に一段と声を大きくし、堂々と言い放った。後ろで見守っていたレオナは、驚いて目を見開く。
「バカ野郎! んなウソついたらおまえが狙われるんだぞ!?」
「ウソじゃありませんよ」
 視線を動かす事無く静かに言ってのける彼女に一時言葉を失くすが、レオナはすぐに彼女を押しのける様にして前へ出た。
「俺は軍属ってわけじゃねーけど、国軍に知り合いはたくさんいる。人質の器には匹敵するだろ?」
 レオナはさせねーけどな、と付け加えて笑みを浮かべた。
「………」
 その様を男はしばし黙って見つめ、やがて再び灰色の大きなフードを被りなおした。魔族の証である赤は隠され、来た時と同じく幾らかみすぼらしくなった男はぼそりと何か呟いた。
「は?」
 耳に不慣れな言葉の羅列。リンミィも顔を顰めている所からすると、どうやらラオ・フォリスでもローランでも通じない言葉だろう。最初の一言が何かを見当できないまま、更に男はつらつらと言葉を繋げた。もちろん何かわからない。が、最後に――――――
『ヴィオラーレス』
 男が一段と声高に言い放ったこの言葉のみは、はっきりと耳が捉えて記憶に残った。しかし、それが最後―――――最後と言うのも、男がその言葉と同時に背後に闇を背負い、まるでフェードアウトするかの様に姿を消してしまったからだった。そして消える瞬間に再びフードから垣間見えた緋色が、強く目に焼きついた。
 直後に慌しく石畳を蹴る音がバラバラと雨音の様に聞こえてきた。
「全員構えーっ! 取り逃がすなぁっ!!」
 脇道から搾り出される様に先頭切って出てきたのは、顎鬚が立派な細面の軍人。濃紺の軍服の左胸に見える、シルバーのエンブレムからすると、恐らく佐官クラス以上の地位を持っている。息を切らしながら妙に震える右手は、腰に下がるわりと真新しそうなレイピアに掛かっていた。
 彼に続いて他にも5人の軍人らしき人物が入ってきた。"らしき"としか言えないのは、その中の内三人くらいがチョーカーはしているものの、花のイラスト入りのエプロンを着ていたり、煌々と金箔が光るど派手な帽子を被っていたりと完全な商売人のままだったからである。
 ふと、レオナの目はその内一番後ろに佇む黒い軍服の男に引き寄せられた。間違いない。駅の改札口で切符切りをしていた、あの強面の男である。彼の方もまだレオナの顔はしかと覚えているらしく、こちらを見ては眉を顰めていた。
「テロ犯は!? ヴェリアルはどこにいる!!」
 もう一人、きちんと憲兵の証である濃紺の軍服を着込んだ青年は、今や遮二無二持っていたライフル状の銃をあちこちにかざして喚き散らした。レオナは隣の少女とやれやれと言った様子で顔を見合わせ、この中では一番地位が上であろう顎鬚の男の前に進み出た。ちょうど脇道をスラリと抜ける様に戻ってきたエリクを見据えながら……。



 あれから、とりあえず一通りの事情聴取を受け終えた三人は、エリクの切望により、真っ先に近くのカフェテリアに入った。とは言っても、その事情聴取が簡単にパスできたわけではない。事件当時の状況と『主犯のヴェリアルは逃亡しました』。この二言だけあればいい、と思っていた考えが甘かったのだ。
 当件の責任者であった髭面の憲兵――――名前はアンドレット・クーデル。レオナとエリクも名前だけなら聞いた事があった。確か以前中央の軍警の重役を担っていた人物で、数年前にここに左遷されたのだ、と。つまり、今は再び上へのし上がる為に相当躍起になっている野心家である。その彼に先の二言を証言して真っ先に返って来たのは、疑いの視線だった。とにかく、どうにかしてテロの件を自分の手柄として報告書を書きたいらしく、彼は次々に質問してきたのだ。三人の経歴(それも明らかに信用していない)、何故ここにいたのか、挙げ句の果てには、ヴェリアルの混血であるとの容疑を持ち上げてまで三人をテロの共犯としたいらしかった。あの時、偶然にもあの駅の改札口で切符切りをしていた軍人がいて証言してくれなければ、きっと今頃は取調室にて見に覚えの無い質疑の嵐に晒されていただろう。
 あの胡散臭そうな髭面の言葉が今でも鼓膜を震わしているのか、コーヒーを啜るレオナの眉間には、くっきりと不機嫌の皺が見て取れた。
「でも、なぜ私も一緒に来なければならなかったのですか? ――――奢っていただけるのは結構ですけど」
 赤レンガの鉢に植えられた広葉の観葉植物を物珍しそうに弄っていたリンミィは、唐突に懐疑の目を向けた。
 レオナは、予想していた言葉はようやく出てきた、とばかりに大きく息をついた。先程同じ危機を共有したとは言え、まだちゃんとに名前も名乗っていない者―――――しかも男二人にカフェに誘われるなんて、明らかに顰蹙してもおかしくない。それどころか、傍から見ればこれは、"ナンパ"に見えるのではないだろうか、とそう思ってしまうと居た堪れなかった。
 だが、彼女をこうして連れてきたのにはきちんと理由がある。
「エリク、いいと思う?」
 隣で夢中になってパンケーキを頬張っていたエリクは、いったん咀嚼していたものを嚥下すると、小さく頷いた。レオナも慎重に頷き返すと、椅子から少し身を乗り出し、店内を一望する様に見回した。このカフェは案外広く、それに今日は平日である事も功を奏して人はあまりいなかった。いたとしても、大半は常連客らしくカウンター席で店主と話し込んでいる。そんな中、一番奥の壁の窪んだ所にある目立ちにくい席をわざわざ選んだのにも理由があった。
「じゃ、いっか。――――――まず最初に、自己紹介だな。俺は、レオナ。レオナ・アージェント。それからこっちが弟の……」
「エリクです」
 エリクは静かにナイフとフォークを置くと、小さく会釈した。
「まずは、………なんだ、さっきあんたが使った白い花びらみたいなアレ―――」
 レオナが言いかけると、少女は言葉を遮るように手を上げ、懐から何か小さな物を取り出した。複雑な円状の紋様が描かれた、手の平くらいの青いプレートだ。
「まだ開発されて間もなく試験段階なので使ってはいけなかったのですが、これはつい最近軍用に開発された煌学兵器の一種で……」
「アミュレット」
 素っ気無く呟きながら、レオナはまたコーヒーを一口啜った。一方リンミィは、非現実的な何かに恐怖する様に顔を強張らせていた。
「突然覚醒しちまった"チカラ"を抑えるために試験的に開発された、擬似術式媒体。それから、そのウソは俺たちについたって無意味だからそこん所よろしく」
 リンミィは相変わらず目を見開いたまま、そのプレートを抱き締めるように両手で包んだ。
「あなた達は……まさか………」
「ああ―――」
 レオナはカップをソーサーへ置くと、彼女の目の前に右手を出し、ゆっくりとそれを開いた。
「―――同類だ」
 豆電球くらいの、小さな蒼い光が立ち上り、揺らめいていた。その瞬間リンミィは弾かれた様に、さっきのレオナと同じく店内を見回し、明らかな作り笑顔を形成しながら座りなおした。
「あ、相変わらず"手品"がお上手ですね……」
「それ程でも」
 動揺を押し込めるように声高に言った脈絡もない文句に、レオナはとやかく言わず調子を合わせた。それからぱっと炎を揉み消す様に手を閉じると、何事もなかったかの様に再びカップの取っ手を握る。『手品』の前後変わり無く落ち着いている兄弟とは対称的に、リンミィは前後の帳からいやにそわそわし始めた。
「自分以外の、その……―――同じヤツに会うのは初めてなのか?」
 何気ない問いに、リンミィは左見右見するのをいったん止めた。しかし、レオナの方を見るその眼差しは、どうもまだ焦燥とした感情がある。いや、僅かに口元を動かしている辺り、答えようと言う気は少しでもあるのかもしれない。ただ、当たり前だがまだこちらを信用し切れていない。きっとそうだ。
「親、兄弟に一人はいる―――か?」
 リンミィはテーブルに置いた両の手に、白む程の力を入れながらコクリと頷いた。それから、レオナを、そしてまたパンケーキを頬張っているエリクの方をもちらちらと観察し出した。その様は、なんだかまるで彼女にしか見えない大きな恐怖と視線で戦っている様である。
「そうか。それなら、それだけ警戒して怯えるのもムリないな……。で、話を次に移すけど、アンタ今日から軍人だとか言ったよな?」
「ええ……」
「所属は……?」
 リンミィは、いったん言葉を鵜呑みにして考えるような動作をしたが、すぐに強い、咎めるような目線を返した。
「そこまでは機密事項です……。 そもそも、いくら数少ない共通点を持ち合う者だとしても、そこまで色々話す義理はありませんよ?」
 言うとリンミィは、即座に椅子から立ち退こうとした。
「待ちな」
 再び勢い良く振り返った灰青色の瞳には、さっきよりもくっきりとした怒りが見て取れた。その視線が自分を貫く前に、レオナはコートのポケットから取り出した何かを目の前に掲げた。
「そ……それ、魔翼のマーク!」
 白い、手の平大のカード状の何か。しかし、それだけでも彼女の目を釘付けにするには十分過ぎる代物だった。釘付けになった――――つまりたった今、一つの事実が明らかになったのである。
「まったく、フリーパスじゃカッコつかねぇなぁ……。総長ももう少しいい身分証明証をくれりゃよかったのに」
「総長? ………スカーレット総隊長……!?」
 レオナはご名答、と言って笑みを浮かべると、カードを元の所へしまった。
「その名前知ってるならもう確実だな。それに加えあの場所にいて、ローラン人で、しかも俺らと同じで――――アンタがあの場所にいたのは、軍からの……エイデスからの使者を待っていた。違うか?」
 そうだ、これこそが本当に彼女に聞きたかった事だった。
 先程クーデル隊長から様々な事を尋問された後、ラウ・ゼオンと待ち合わせた規定時間をもう20分もオーバーしていた。にも関わらず、舞鶴の周囲広範囲を幾ら見回っても、それらしい姿は結局見つけられなかったのだ。その時はリンミィについてはまだ色々不鮮明だったため敢えてゼオンの事は一言も喋らなかったが、どうやらチャンスさえあればその時に尋ねてしまった方が早く事が済んだらしい。
「……はい」
 "やっぱり"、そう言いながら、レオナはエリクと顔を見合わせた。と同時に、大きな溜息が漏れた。
「はぁ……ったく、何がラウ・ゼオンって名前の17歳の少年だよ。年齢しか合ってないじゃんか」
「そういえば、その事も説明しなければなりませんね」
「あんた、なんか託ってるのか?」
「はい。実際の所今日ここに来るはずだったのは確かにゼオンだったのです。けど、少しばかり都合が悪くなってしまって……本来なら先にゼオンの入国手続きが済んで私も二日後くらいに入国する予定だったのですが、急遽私が先になったんです」
 レオナは一瞬その話の内容に疑問を覚えたが、先程の記憶が鮮明に蘇ってすぐに納得した。
「そっか、入国手続き一つでも今は二日三日かかっちまうんだっけ。ここでもまたテロの影響かよ……ったくあのヤロウ」
「はい……。おまけにその件数は以前と変わらず多いままですし、やはり国交関連のものの方が最優先されるので姉弟でも一件ずつなんて有様ですよ」
「あれ、姉弟って……」
 きょとんとして再び食べる事を中断したエリクに、リンミィは言ってませんでしたっけ、と聞き返した。
「私の本名はラウ・リンミィ。ゼオンは私の双子の弟です」
「はぁ……!?」
 予想外な程の大袈裟さで驚愕するレオナに、リンミィはびくりと身を震わせた。その向かいでレオナはそそくさとリュックの中を弄り、あのゼオンの履歴書を取り出して目の前に掲げた。
「双子って、全然似てねぇじゃん」
「え、ええ……私達は二卵性ですから……」
 レオナはああ、そうなのかと納得はしなかった。口の中で小さく二卵性という言葉を反復しながら、その目は履歴書に向けられている。リンミィは何となく不安な感じがして補足説明を入れた。
「あの、二卵性双生児です……。双子でも卵が別なので……」
 不意にその隣で緩く首を振るエリクが視界に入った。この時はリンミィにとっては何を意味しているのかが全くわからなかった。そもそも、何故こんな簡易な会話の間に補足説明をしているのか、それすらも彼女には理解し難かった。次の一言までは……
「なんでいきなりソーセージの話になるんだ? 腹減ってるなら遠慮しないでなんか頼めよ」
「……は?」
 何故今の話でそうなるのか。まるでオウム返しの疑問しか浮かばない。困った様にエリクに目を向けると、彼は頭を抱えて気まずそうな顔をしている。それでもリンミィは馬鹿にされたのだと思い、即座に言い返した。
「ちょっと、何ふざけてるんですか!?」
「な! ふざけてるのはそっちだろ!? いきなりソーセージとか言い出して……」
「食べ物のソーセージなわけないでしょう!? 双子の事を双生児って言うじゃないですか! あなたそんな事も知らないんですか!?」
「知らねぇよ!」
 もし本当にふざけていたのだとすれば、ここまで本気で怒鳴り返したりするだろうか。それに我に帰ってみるとカウンター席の方から客と店主が揃ってこっちを向いているのに気づき、彼女の怒りの勢いは唐突に廃れた。
「………」
「……リンミィさん」
 黙り込んで困惑している彼女に、エリクはおずおずと話しかけた。
「兄貴は謀ってるわけじゃないですよ。……根がコレですから」
 ちらりと横に動いたエリクの目を、リンミィも追った。その先には、当然レオナがいる。しかし、驚いた事に今さっきの激昂は何処へやら、すでにこちらの話など何処吹く風でコーヒーを啜っていた。遠回しに馬鹿にした様な弟の発言も、聞こえなかったはずはないだろう。まさかその言い回しの真意が分かっていないのか、それとも割り切っているのか。どちらにしても考えがたい結果というのは同じだ。
「はぁ……」
「どうした?」
 考えがこんがらがって思わず出た溜息に気づき、ようやくレオナはこちらを見た。眉一つ動かさず不思議そうに見つめてくるその様に、リンミィは急に笑いが込み上げてきて思わず目を逸らす。するとそれを追う様に何かが視界に入ってきた。開いた状態で渡されたそれは、このカフェのメニュー。『ランチタイムにちょっぴり贅沢 ブラウニーオリジナルステーキ』……きっとわざわざこのページを探して開いたのだろう。
「いいえ、いりません。私はもう昼食は済ませてますから……」
 厚意を突っ撥ねる事はできないと考えたリンミィは、とりあえず愛想笑いをするしかなかった。

2007/09/17(Mon)23:09:56 公開 / 蒼月
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■作者からのメッセージ
長らくあけてしまって非常に申し訳ありません。3話【リンミィ】を全て更新しました。

6月26日 更新&修正しました。

7月9日 修正しました。

9月17日 3話を全てアップ
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