- 『密室さつじん事件A』 作者:もろQ / リアル・現代 ショート*2
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全角2957.5文字
容量5915 bytes
原稿用紙約7.8枚
このしょさいはあかるい。天井に提げられたペンダントライトは夜間にすら暗がりを誘うことはない。一日一年を通して、私の狭い書斎には同じ明るさの光が提供される。家の中央に間取られたこの部屋に窓はない。しかしここで仕事をする分には至って問題ないだろう。
私のたっての希望で、書斎の設計に際しては私のアイデアが十分に取り入れられた。適度に装飾を施した扉は北向きに嵌め込まれた。絨毯を敷いた床、シックかつ機能的な木製防音壁で六畳間を囲い、扉と向かい合わせた本棚に私の読みあさった書物を並べている。部屋の真ん中に、欅製の机とリクライニングチェアを置いた。仕事をする時は私は常にこの机を使っている。本棚に背を向ける形で椅子に腰掛ける。一切の音が消え、まるで原稿用紙の上で軽やかに滑るペン先のように、私の集中力は鋭く研ぎすまされるのだ。そう、あまりに静かなので、気がつくと眠りに落ちてしまうことさえある。
私には妻と息子がいる。息子は来月で三十一になる。
仕事がなかなか進まず私が一人で頭を抱えていると、妻は必ずコーヒーを入れたカップを盆に載せ私に運んできてくれる。そして一緒にコーヒーをすすりながら、いろいろな話をするのだ。夫はいつものように机に座り、妻は本棚に設置された脚立の二段目に腰を下ろす。世間話に始まり、家計の話、子供の話、ときにはぐちをこぼしあったりもする。そんな他愛無い会話からふとアイデアが浮かんだりもするわけだ。
また毎朝の朝刊は常に私が最初に読むことと決まっている。これは彼女の提案らしく、朝目が覚めると、家長である私の布団の横に、あるいはついつい眠ってしまった私の書斎机の上に掛け布団とともにぽんとそれが置いてあるのだ。推理小説家という職業のおかげで大半を家で過ごすから、新聞くらい朝でなくとも読めるのだが、それでも郵便受けからはみ出して冷たい外気に触れたあとの、堅く四つ折りになった新聞紙を見ると悪い気はしなかった。口に出して言うのはためらわれるが、気の効く良い家内だと誇りに思っている。
息子の和也はネット企業を立ち上げてかれこれ九年になる。詳しいことはよく知らないが、つい一昨年くらいまで難航していたが、最近になってようやく景気が上がってきたと聞いた覚えがある。無口が似たか、けっしてかいわはおおくないが、毎朝家族みんなで朝食を摂る習慣を続けている限りは、親子の仲が悪化することはないだろう。私は彼を良い息子だと評価しているし彼自身もまた父親に対する僅かな憧れみたいなものを感じてくれていたら幸せだ。
当然ながら、重鎮なる静けさでこの書斎は満たされている。部屋の外界からは物音ひとつない。これほどまでに静かだとむしろ寂しささえ感じられる。じかんがとまったとおもうこともある。絨毯も壁も本棚に揃えられた大量の書物も、凍結したかのように動かないでいる。天井から降る薄オレンジの照明が常に私の身体を照らし、鉛色の影をも象る。
さくやもわたしはうたたねをしてしまったらしい。唯一の救いは書きかけの原稿によだれを零さなかったということだ。担当は面白い奴だが人の些細な過ちを誇張してからかう悪い癖がある。以前も似たようなことがあり、どうしても染みを消せずにそのまま渡したところ、あの男はそれから一時間も笑っていやがった。全く、気を付けなければならないことだ。
ともかく私が寝ている間に、妻は机の右端に冷えたままの朝刊を載せてくれた。リクライニングチェアに座り直し、てにとっていちめんきじをひろげてみる。殺害現場となったアパートが撮影されている。黄色の封鎖テープの内側で、数人の警察官が白く濁った空を仰いでいる。
唐突に、デジャヴを覚えた。昨日の新聞を探して読んでみるといい。同じような風景が紙面のどこかに刻まれているはずだ。いや、昨日といわず一昨日、先週、先月そして去年よりずっと前から、その錯覚は連動し繰り返されているのだ。
一日のうち最低一人は殺人犯と化すこの国家。その二十四時間の間に、どれほどの人間が刃物を突き立て、どれほどの人間が唐突な死を受け入れるのだろうか。一日に何リットルの鮮血が地面に滴り落ちるのだろうか。いくつの命が命としてみとめられなくなるのだろうか。もはや猟奇的殺人、少年犯罪などはごく当たり前になってしまった。恐怖だ。わたしたちのたましいはどれほどかるくあつかわれるようになってしまったのか。
しかし最も恐れるべきは、人がその事実を忘れてしまうことだ。誰かが殺し、誰かが死んだことを忘れてしまうほど、この「死の年月」は早く過ぎてしまう。メディアの報じる事件の数々は、人の記憶の中で見る見るうちに擦り切れ、色褪せてしまう。そしていつしか彼らの記憶から死の感覚が消え去ってしまうのだ。わたしはそのじたいがおそろしい。それゆえ私は、この書斎において常に自分の小説に気持ちを込める。ひとつの他愛無い事件をピックアップして、一冊の本として表現するのだ。血文字で描かれた作者の暗号を読み解いてもらいたい。そんなおもいとともにわたしはしょうせつをかきつづけてきた。
君は私を覚えていてくれるだろう。例えば私がこの書斎で眠り惚けている間に誰かがあの重い扉を開き、私の頭を何かで殴りつけ、眠りから気絶へと変わった私を死んだと思い込み部屋を出たとしても。たとえ私がその一撃で脳をやられてかはんしんふずいと軽いげんごしょうがいをともなったとしても。だいじょうぶだ。この程度ならば私の意思を十分な正確さで伝えることができよう。
欲を言えばこの部屋を出て玄関を飛び出し、町の交番へ駆け込みたいものだが、この両足は到底動く気配を見せない。まあ、これを作家生命の一環として捉えれば楽しいのだろう。電話が机の前に落ちていて、ベルが鳴っても応対できない私を不審に思ったあの嫌味な担当者が、私の預けた合鍵で家に入り私を訪ねるまで。あるいはつまかむすこが正面の重い扉を開くまで。そして私がこのまま飢えて死ぬまでが締め切りだ。殺人と呼ぶには遠回しな気もするが、容疑者によって歩行の自由を奪われ、そしてそれが私をいずれ死に追いやる点から納得できるだろう。
自分が被害者の事件をそのまま小説として描くのだ。
天井に提げられたペンダントライトは、私にいつも変わらず穏やかな薄オレンジの光を与えてくれる。しかしいずれ電球は切れる。何も無かったかのように、この書斎はあじけないやみのいれものとなるだろう。このくうかんが単なる殺害現場となる前に、君に私を思い出して欲しい。わたしのおもいをこめたすいりしょうせつとしてきみにとどけたい。原稿に指で書いた血文字の暗号から、「しのねんげつ」をさとってほしい。
つまがいない。むすこがいない。たんとうしゃがこない。誰がどのように殺したか、あれほど優しかった彼らがどういう理由で私に手をかけたか。そんなことはもはやどうでもいい。命を畏敬すべきだ。殺すことの残忍さ、死ぬことの痛みを理解すべきなのだ。
きみがしょてんへいき、またはコンビニやふるほんやへいき、このほんをてにとるときがくるだろう。わたしはここからいなくなるが、きみはきっとわすれないでいてくれるだろう。さようなら。
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■作者からのメッセージ
ぶっちゃけ推理小説を書くのは苦手なので、犯人、犯行手順云々は丸投げにしてしまった感満載。