- 『たかちゃんのわしづかみ 【かんけつへん】 』 作者:バニラダヌキ / お笑い 未分類
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全角25858.5文字
容量51717 bytes
原稿用紙約79.6枚
たかちゃんシリーズ第8作の、最終回になります。実は先般完結した『たかちゃんとさんた』の、前の話だったりします。夏の終わり頃からだらだらと続き、とうとう全編300枚近い分量になってしまいました。なお、前編はふたつ前のログに、後編の途中まではひとつ前のログに残っております。
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【そのご】 わしづかみの、たいさく
はーい! 全世界数十億のよいこから完璧にシカトされつつある最下層のよいこのみなさん、こんにちはー! お久しぶりの、せんせいでーす! みなさん惨めな負け組なりに、充実した年末年始をお過ごしになりましたか?
楽しいクリスマス、おめでたいお正月、プレゼントやお年玉、雪合戦に雪だるま――なにかと放蕩遊惰に流れてしまいがちな冬休みというこの時期に、あえて皆さんの精神を正しく引き締めるため、しこたま出させていただいた小山のような宿題は、無事にこなしていただけましたか?
あらあらみなさん、なにやら夜間作業明けの日雇い労働者のごとく、疲れ切って辛いんだか日銭稼げたんで嬉しいんだか判らないような、微妙なお顔で呆けていらっしゃいますね。あるいはゲリラの掃討作戦に連夜いそしみ、「民間人もちょっとばかりコミでシマツしちゃったけど作戦全体は成功したからまあいいよな」とうなずきあう某国のアーミーたち、そんな悲愴かつ虚しい微笑を浮かべている馬鹿正直なよいこの方も、一部いらっしゃるようですね。
はい、それでは宿題を、後ろの席から順番に、前に回してくださいね。
――あらあら、あまりにブ厚すぎて回しきれないですか? それでは、はい、この季節に腰みのひとつでとっても寒げな土人さんたちも、ブツの回収に手を貸してあげて下さいね。
あ、いけません。宿題を忘れたよいこを、いきなり槍で突き殺してはいけません。お肉を食べてあったまるのは、女王様、いえ失礼、せんせいの許可を得てからにしてくださいね。あれだけ女王様、いえ、せんせいに忠誠を誓っていただいたよいこの方々ですもの、あえて宿題を忘れたからには、土人さんの槍などではなく、まずわたくしのこのスルドいヒールの先で、充分にいたぶってさしあげないと可哀想です。
あらあら、よいこのみなさんも、このわたくしの美脚にわらわらといざりよって、みずから折檻をもとめてはいけません。いけません。そのようなあさましいお姿は、犬畜生にも劣りますよ。
――え? 犬とお呼びください? くうんくうん?
まあ、そこの美ショタのよいこのかた、なにやら可憐なチワワのようにぷるぷると、被虐の悦びを期待なすって。
うふ、せんせい、とーっても優しいおんな教師ですので、そーいったイジメラレ型のよいこを拝見いたしますと、もーちからいっぱい、ご期待に添いたくなってしまいます。美少年の最も敏感な部分をヒールに貫かれ、悶絶しながら昇天する覚悟はよろしいですか?
えぐりっ。
――さて、全年齢対象の場では到底描写できない美少年の身も世も有らぬ歓喜の慟哭も、しばしピクピクと途絶えたところで……前回は、どこまでお話しいたしましたでしょう。
なにしろ枯れ葉舞う秋以来の『よいこのお話ルーム』、それも冬休み中みなさんがこの宿題の山に喘いでいらっしゃる間にも、せんせい、苗場プリンスホテルでスキーウェアも凛々しいイケメンの方々と日夜情痴の限りを尽くしたり、熱川温泉の海岸露天岩風呂で渋めのチョイ悪親爺の方々と夜明けのコーヒーならぬ年明けの吟醸酒を飲み交わしたり、まあとってもなんかいろいろ忙しくしておりましたので、前回までのしゃべくりなど、きれいさっぱり忘れてしまいました。またお話づくりのぶよんとしてしまりのない方も、貧しさに負け世間に負け町を追われ、いっそきれいに死のうか状態の昭和枯れススキと化しつつありますので、もはや筋道の通った台本など、期待できません。
はいはい?
人食い土人さんたちの島で、せんせいが『宗教的洗脳法』を駆使し、名実ともに女王様として君臨した――そこまでですね。
……ふう。
せんせい、その後の経緯に関しましては、語るべき事象をさほど多く持ち合わせておりません。
なんとなれば、みなさん、よっくとご想像くださいね。
たとえすべての土人さんたちから、神よ女王よと崇め奉られたとしても――結局その王国には、タロイモとイモムシと鼠さんくらいしか、まともな食料がないのです。海流の関係か、お魚もほとんど捕れません。ならばタコ鍋で一杯やろうかと、土人さんたちに大ダコ怪獣スダールの捕獲を命じてみましたが、慢性的栄養不良でフンバリが効かないためか、逆に片っ端からあちらさんの餌になってしまうありさまです。まあある種のイモムシはけっこう生食にも堪えるお味ですし、鼠さんは鼠さんで国産の鼠さんとは違い体長三十センチほどありますから、ヒラキにして焼けばけして不味くはなく食べでもあるのですが――みなさん、このわたくしが、一生鼠のヒラキとイモムシとタロイモの蒸し焼きで我慢できるおんなだとお思いですか? まあ機会さえあれば、土人さんたちそのものとゆー食料も存在するわけですが、さすがにわたくし、その手の優良動物性蛋白質に関しましては、赤の他人の皆様にならば自信をもってお勧めできても、自分や身内がナニするのはぺぺぺのぺーです。
――そう、わたくしは、その時初めて、己という器の意外な小ささに、否応なく気づかされてしまいました。
たとえそれまでの人生で、いかように刻苦研鑽を重ねていても、しょせん長万部のビンボな八百屋に生まれ育ったこの身には、真の貴婦人たるべき『悟り』が、決定的に欠けていたのです。
そう、モノホンの貴婦人というものは、けして世俗的高ビーや虚栄心によって、『貴』たりえているのではありません。たとえ己がどんな風土や経済環境に置かれようと、あくまでそこにおいて『貴』たりえれば、不満など抱かないのが真の『貴夫人』です。たとえば下僕たちが自分たちはこっそり鼠のヒラキを食いながら、女王様にはイモムシやタロイモしか差し出さない――これは、万死に値します。即刻その下僕たちの首を吊ったり切ったりしないと、世間様への示しがつきません。しかし、下僕たちがあくまでタロイモとイモムシで餓えをしのぎつつ、女王様にだけは貴重な鼠のヒラキを差し出す――そんな精神風土さえ保たれていれば、たとえ下僕たちとともに餓死しようとも、最後まで優しく慈しみ続ける――それが真の『貴婦人』の生き様なのですね。
修行が足りない――。
やはりわたくしは、生まれ育った俗世に戻り、あらためて真の女王様を目ざさねばならない。
そして渋谷あたりのイケメンと自称する毛のない猿どもや、麻布あたりのチョイ悪親爺と自称するアブラ中年どもをたぶらかし、銀座の高級寿司も赤坂のウン十万ディナーも他人の金で思うさま貪り食い、そうしていつかは西太后のように、臣民の血税を湯水のごとく費やした満漢全席をほんの一箸ずつこれ見よがしにつっついて、その果てにある真の『貴婦人』の次元まで、なんとしても解脱しなければならない。
――わたくしは、旅立ちを決意いたしました。
未熟な自分がこれ以上その島に君臨していても、誰のためにもなりません。
筏を作って海に還る――そう島民たちに宣言しますと、「お願いですから行かないで下さい哀れな衆愚をいついつまでもお導きくださいねえねえねえ」と涙ながらに懇願する純朴な視線にまじり、「でもそろそろなんかちょっと助かったような気がするわなあ」などとこっそり安堵する表情も散見されたような気がしてすっげームカついたので、死なない程度に二〜三人シメてやったのは、まあ女王様の最後の勤めとして当然のことですね。
そうして筏を作らせありったけのタロイモと鼠のヒラキと真水を積ませ、
「しかしわたくしはいついつまでも海の彼方から皆さんのなりわいを見守っております。ですから百年先か千年先か、わたくしがふたたびこの地に降臨するまで、あなたがたは毎朝毎晩きちんきちんとわたくしを思い出し、海に向かって礼拝しなければなりません。たとえ一日でもそれを怠れば、大津波やら大嵐やら毒虫大発生やら、それはもーとんでもねー祟りがありますからね」
などと厳かな神の言葉を残し、わたくしはただひとり、船出いたしました。
そしてまた、いつ終わるとも知れぬ果てしない漂流生活を続けること無慮一泊二日――命からがら南太平洋航路の貨客船にすくい上げられた時、筏の後ろからこの土人さんたちがぞろぞろ泳いで来ていたのには正直仰天いたしましたが――あの月の夜、崖の上で拝ませてさしあげたわたくしのナイス・バディーに、未だ未練を残していらっしゃるようです。哀しい男の性《さが》なのですねえ。ほんとうに、なんていじらしい方々ですこと。――ぐりぐりぐり。
さて、そーゆーわけで、わたくしは無事帰国いたしました。しかしあのぶよんとしてしまりのない愛しいお方は未だに行方知れず、生命保険の名義書き換えもまだでしたし、天井知らずの資産もあくまであのお方の『会社』名義ですから、わたくしは事実上着の身着のままで、冷たい世間に放り出されてしまいました。
それでも、運命の女神様は、やはり同程度に美しいこのわたくしを、お見捨てにはなりませんでした。渡る世間に鬼はなし――たまたま旧職の縁故を頼ってみたところ、私の後任となっていたあの先輩がなぜか突然逮捕拘留されてしまったとのこと、「まあお姉様なんとしたこと!」と嘆き悲しみつつ、もっけの幸い、職場復帰させていただいたわけですが――
はっ!?
な、何事!?
突如としてわたくしの頬をかすめ黒板に突き立った、巨大なアーミー・ナイフ!!
こ、このこんじょ悪げにカスタマイズされたグリップのぶっとい指がかりは――そして地上三階の窓から逆さに覗く、そのゴリラのように節操のない筋肉のカタマリは――――せ、先輩!?
せ、先輩……あなたは現在未決囚として、極寒の某拘置所に勾留中のはずでは……。
←→
……ふっふっふ。
いちおくにせんまんのモヤシのように惰弱なよいこのみなさん、こんにちはー! おひさしぶりの、二代目せんせいでーす!
なんじゃやらしばらくお休みさせていただいていた間に、ケバいだけが取り柄のクソ小娘が生蛮どもを引き連れ、いつのまにやらこの場を仕切っておられるようですが、ふっふっふ、なんのご心配もございませんよ。こうしてわたくしが地獄の釜の縁から舞い戻って来たからには、これ以上好き放題、語らせるものではございません。
先日脱走ついでに担当検察官を軽ーくシメさせていただいたところ、どうやら私の緊急逮捕自体、あるおんなからのタレコミが契機だったとのこと――おやおや、どなたか心当たりがおありのようで、青やら赤やらネズミ色やら、しきりに顔色を変えていらっしゃるようですねえ。
←→
せ、先輩!
あなたは何か誤解していらっしゃいます!
あなたのこの素直でいたいけな可愛い後輩が、そんな卑劣な密告などいたすはずは――――はうっ!!
……ふっふっふ。
――殺す気ですね?
ただ今の二本目の投げナイフは、明らかにわたくしの下顎――投げナイフで唯一相手の即死を狙えるツボに、向けられておりましたね?
……よござんす。
こーなってしまった以上、もはやわたくし、逃げも隠れもいたしません。
しかし先輩、わたくしを昨年までのわたくしと思っていらっしゃるなら、それは致命的な誤りですよ?
今のわたくし、パプア・ニューギニア近海の孤島で、過酷なサバイバルを生き抜いた身です。仮にも一度は女神を張ったおんなです。おのが体力だけを頼りに投げたり蹴ったりシメ落としたり、そんな脳味噌スカスカの前時代的武闘派ババアなど、すでになんら脅威を感じないのですよ。
さあ! 人食い土人のみなさん! 食いでのあるでっけーゴリラが出現いたしました。久方ぶりの焼肉パーティーのチャンスです。無事解体調理してくれたお方には、女神様からなんかいろいろナイス・バディーを駆使したご褒美が出るやもしれません!
そら行け!!
――しかしまあ、このまま決着を待ったのでは、いったいいつになったら『よいこのお話ルーム』が始まりますやら。この話ほんとに終わんのかよ、おい。
←→
ふっふっふ。だからあなたはまだまだ雑魚だと言うのです。
来なさい!!
このわたくしの琥珀色にシブく輝くブ厚い鼈甲縁眼鏡、拓○大学教育学部首席卒業、陸上自衛隊四年在籍、そしてロス近郊の傭兵学校に二年留学した経歴は、けして伊達ではありませんよ。生蛮どもの五人や十人、束になってかかってこようと、応戦しながら立派に一席語ってみせましょう!
はいそれではみなさん、虚飾の女神や生蛮どもの槍に惑わされるのも、今日が限りです! この清く正しいわたくしの声に、よっくと耳をお澄ましくださいね。さあて『よいこのお話ルーム・たかちゃんのわしづかみ』、いよいよ、最終回の始まりでーす!
★ ★
「くーくー」
「ぐーぐー」
「すやすや」
さて、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんは、いつものように長岡履物店の卓袱台をかこみ、お話づくりのひとのヤケクソ気味な混迷など知るよしもなく、やすらかに眠りこけていらっしゃいます。異常なほど元気いっぱいのともこちゃんのお世話を毎日毎日くりかえしているうち、ちょっぴり疲れてしまったのですね。
くにこちゃんのおとうさんとおかあさんは、今日も職人芸ドキュメント番組の打ち合わせで、赤坂の放送局にお呼ばれしています。
ともこちゃんは、さきほど自分の質量と同程度のミルクを飲み干したあと、卓袱台の横のちっこいおふとんにくるまって、やすらかに眠っておりますが――なんといってもくにこちゃんのいもうとですから、その程度のミルクは、またたくまに消化してしまいます。
おなかが、ぐう。
「……ぱちり」
まんまるおめめをみひらいて、
「きょろきょろ」
表向き、まだはいはいもできないはずなのに、ごそごそとおふとんからはいだします。
そして、がしがしと卓袱台によじのぼり、たかちゃんたちが食べ残した堅焼き塩せんべいを、ちっこい両のお手々でかかえこみ、
「ばりばり、ばりばり」
しっかり噛み砕きながら、おいしくいただきます。
「おっく、おっく、おっく」
にほん茶ののこりも、おいしく飲み干します。
「……けぷ」
満足したのか、もとどおりおふとんにはいもどり、ふたたびやすらかなねむりにつきます。
「くーくー」
まあ、世の中などというものは、一般市民がだあれも見ていないところで、想像を絶する陰謀や超常現象なども、なんかいろいろ起こっているわけですね。
そこに、店番をしていたふたごのおとうとたちがとことことやってきて、
「ねーちゃん」
「ねーちゃん」
「くにねーちゃん」
いきなり起こすと致命傷を被る恐れがあるので、遠巻きにつんつんとつっつきます。
「……あんだあ? きゃくが、いちゃもんでもつけてきたか?」
「ふるふるふる」
「つりせんなら、てきとーに、やっとけ」
「ふるふるふる」
そんな会話を聞きつけて、たかちゃんやゆうこちゃんも、めをさまします。
「ほわあああ」
「……ぽしょぽしょ」
おとうとたちは、なぜだかたかちゃんに、めくばせしています。
「うーんと」
「たかこねーちゃんに」
「おきゃくさん」
「おう!」
たかちゃんは、いきなし覚醒し、ぴょこんと跳ね起きます。
「♪ おっきゃくさん〜、おっきゃくさん〜 ♪」
生まれつき、ありとあらゆるお客様を、大歓迎してしまう性質《たち》なのですね。
ととととととお店に走りますと、なんだか見覚えのあるおねいさんたちが、きゃぴきゃぴ囀っております。
「すっごーい。日光江戸村みたい」
「えーと、貧乏なめくじ長屋って感じ?」
「あんたそれなんぼなんでも失礼やん」
「うっわー、昭和レトロ昭和レトロ」
「見て見て。あれなんか、なんでも鑑定団モノだよね」
それぞれ竹刀袋を肩に下げた、例の女子中学生御一行様です。
「やっほー! どどんぱっ」
たかちゃんは、さっそく元給食のおねいさん・トシコさんにダイビングします。
「うりうりうり」
「はいはい、元気してた?」
「うり」
あとから出てきたくにこちゃんやゆうこちゃんも、トシコさんとは旧知の仲ですし、ほかのおねいさんたちのお顔にも、見たことのあるお顔がまじっております。
「おう、きゅーしょくのねーちゃん。 ひさしぶりだな」
「……ぽ。おひさしぶりで、おげんきでございませられ……」
「はいはい、おひさー」
きちんとごあいさつしあうトシコさんたちに、あの吉本タイプの浪速女・ミハルさんが、目を細めます。
「おうおう、さすがはトシコお母はん、お嬢ちゃんがた残らずようシツケとるねえ」
「だから産んでないってば」
きゃぴきゃぴとかしましいおねいさんたちが、それぞれ抱えたりぶら下げたりしている大きな紙袋を見て、くにこちゃんのお目々が、きらりんと光ります。たべもののにおいを、かぎつけたのかもしれません。
「……もしかして、きゅーしょくの、のこりか?」
昔のように、残り物の食パンやジャムくれるのではないか――そう期待したのですね。
トシコさんは、一瞬とまどいます。実はそれらは、たかちゃんへの贈り物だったのですが、たかちゃんちに寄ったら長岡履物店にいるとママさんが教えてくれたので、こっちに回ってきたのですね。でも、優しいトシコおねいさんのことですから、仲良し三人組を分割扱いにしたりはしません。
「ふっふっふ。もっと、すっごく、いいもんかも」
「……ぐびり」
「じゃじゃーん! 苺ミルフィーユ!」
ほかのおねいさんたちも調子を合わせて、一斉に袋を掲げます。
「ハーゲンダッツのバニラアイス!」
これは、凸凹コンビの内の、凸型リカさんです。
「大阪名物ビアードパパのシュークリームも、仰山あるでえ!」
これは当然、浪速女のミハルさんですね。
それから、あのいいんちょ眼鏡タイプのちーちゃんさんと、この前はあんまり目立っていなかったちっこい凹型おねいさんが、なにやらひときわうやうやしく、お手製らしいラッピングを差し出します。そのふたつだけは、とりあえず、たかちゃん手渡し専門みたいです。
「……ありがとう、たかちゃん」
ちーちゃんさんのお礼の言葉に、たかちゃんは、ハテナ顔です。
「ソフト・クッキー焼いてみたの。みんなで、食べて」
なんでありがとうなのかはちっともわかりませんが、でもやっぱしこんな時にはげんきよく、
「ありがとー!」
まあ、あっちもこっちもどっちもありがとう、世の中それで無問題ですものね。
凹型おねいさんも、たかちゃんにぺこりとお辞儀をします。
「手作りのチョコ・ケーキなんだけど、たかちゃん、チョコも好きだよね?」
にっこし笑って、また、ぺこり。
なんでそんなに感謝されているのかはやっぱりわかりませんが、どうやら百年に一度くらいのお菓子の大津波が、いきなしどどどどどと押し寄せてきているのは、まちがいありません。
たかちゃんは、すかさず脳内でぺこちゃん印のサーフボードを抱え、迫り来るお菓子の大波を、きりりんと見据えます。
「――どどどんぱ!!」
このおそるべきビッグ・ウエーブには、遠い青春の日々の夢を賭けて、いのちつきるまでたちむかおう――そう決意するたかちゃんでした。
「なまんらぶなまんらぶなまんらぶなまんらぶ」
卓袱台に小山をなすお菓子を前に、くにこちゃんは粛然と合掌します。
ただし、口いっぱいに甘味をつめこんでいるので、お念仏はやや不鮮明です。
「いんやー、ほれははるれ、もんほしょーがつほくりふまふほはんじょーびほひなはつりとほどもろ日が、いっひょにきたよーだ」
たぶん、『これはまるで、盆と正月とクリスマスと誕生日と雛祭りと子供の日が、いっしょに来たようだ』、そう言っているのですね。
四畳半にぎっしりつまったおねいさんたちが、けらけらと笑います。くにこちゃんもけらけらと笑います。まあ笑われた相手がハンパな男子中学生で、おまけに手ぶらだったりしたら、くにこちゃんも残らずシメてしまうところでしょうが、この家ではめったにお目にかかれない高級洋菓子持参のおねいさんたちですから、なんの遺恨もありません。
「んれも、たかこのほっぺたが、ほんなにありがたいものとはなあ」
くにこちゃんはそう言って、やっぱり夢中でお菓子を食べまくっているたかちゃんのほっぺたを、うにゅう、とわしづかみます。
「ふは、はひほふる」
たかちゃんのお口から、クッキーやチョコレートのかけらがとびちります。
「こらこら、はしたない」
トシコおねいさんが、ハンカチでふいてくれます。
「んへも、ほっへた、あひふへほ」
何を言っているかは不明ですが、怒ってはいないようです。
ミハルさんが、お隣のゆうこちゃんのくるくる巻き毛をくるくるしながら、
「まあ、ほっぺたむにむにが効いたんか、わしづかまれが効いたんか、わからへんけどね。通天閣のビリケンさんよりは、よっぽど霊験あらたかやね」
ゆうこちゃんはお上品にちまちまと、ビアードパパのシュークリームをめしあがっております。
なんだか今まで食べたどんな高級洋菓子店や高級ホテルのシュークリームよりも、ずうっとおいしいみたいな気がするので、
「……ぽ」
思わずミハルさんに向かって、頬を染めたりします。
「うーむ、こっちの『ぽ』も、なんや、ごっつー効きそうやわ」
「ぽ」
凸型グラマーのリカさんは、ちょっとちょっかいを出すだけのつもりだったともこちゃんが、豊かな乳房を求めてふんふんふんふんと懐いてくるので、恥ずかしがったり嬉しがったり、微妙な抵抗を見せております。
「ケチせんと、お乳やりいな」
「出ねーよ」
「とにかく、トシコとワイが、いきなり新人戦でパンパンパンっと連勝やろ。まあ、そこんとこは気合いの問題としてもな、このリカさんは、数学のテストで、いきなりクラスで二番目や。乳でかいぶん、脳味噌スカスカのはずやのになあ」
「ほっとけ」
「ま、それはなんかたまたま一発芸、これっきりとしてもなあ」
ミハルさんは、ちいちゃんさんと凹型おねいさんを示します。
「こっちのふたりは、ちょっと、奇跡越えとるわ」
たかちゃんのおつむを、ちいちゃんさんが、ぽんぽんとなでてくれます。
その控えめな微笑と知性的な眼差しは、この前会った時と変わらないのですが――確かになにやら、少女としての存在感が、ひと皮もふた皮も剥けております。
そう、あれからわずかひと月にして、昭和レトロたいぷのぺたんこ中一さんが、お腰の細さはそのままに、その上と下だけ、驚異的な成長を遂げていたのですね。
たかちゃんは、んむ、とうなずきます。
――やはりじぶんのわしづかみ感は、ただしかったのだ。んでも、もうひとりのちっこいおねいさんは、ただふつーに、わしづかみあっただけのはず。
凹型おねいさんは無言のまま、チョコ・ケーキでぷよぷよにふくらんだたかちゃんのほっぺたを、ぷに、とつっつきます。
「……ぷにぷに」
「もふ?」
★ ★
人の心というものは、それが目立たない人であればあるほど、あんがい複雑だったりします。
これ見よがしに外に向かってキレてしまう人、あるいは懊悩をひたすら内に溜めこみ首を吊ってしまう人、そんなのは、まあ心理学的な深層はどうであれ、いわば単純な『ビョーキ』なのですね。たいがい脳味噌に物理レベルでなんらかの異常が生じてしまっているので、それが治療可能な段階か末期的段階かは別として、明らかな疾病であることに変わりはありません。
しかしたとえば、凹型おねいさん――これだけ賑やかな集団の中でもめったにお名前が出ないタイプのユミコさんの場合、たとえ外的存在感がとても薄く、また特に内向的性格でもないからといって、けして精神的に浅く単純なわけではありません。
ユミコさんのご両親はごく普通の共働きの会社員ですが、実は数年前からお互いの心は離ればなれ、たまには双方浮気っぽい言動なども漏れ聞こえ、夫婦生活は事実上の家庭内別居、つまり社会的対外的な部分でのみ存続しており、多感なお年頃のユミコさんは、無論その事実に気づいております。しかしユミコさんは生まれついての平衡感覚によって、かろうじてそんな家庭内に生きることを受け入れ、あえて「愛がたんねー」だの「大人は汚ねー」だの、己の心の容量不足を理由に、精神のブレーカーを飛ばしたりはいたしません。
そしてまた、そのお年頃としては家庭に次いで重要な精神的フィールドである『学校』、ここでもユミコさんは、ちょっとちっこくてずっこいなりに、己のキャラクターが周囲から導き出す反応をしっかり受け止めつつ、ナイス・バディーな凸型リカさんの相方として、漫才で言えば「そやね」「そーそー」「んなアホな」、そんな目立たない相方を、イジメもイジメラレもせず、日々務めていたりします。自分にピンで立てるほどの芸はない、そう己の器を把握しているわけですね。
ただひとつ、ユミコさんに分不相応な欲望があるとすれば、それはリカさんにつきあって入部した剣道部、その副主将である凛々しい二年生男子に、ほのかな、いいえ、お年頃なりにしこたま悶絶級の恋心を抱いたりしているわけですが、それもまた歯痒いほどに平衡感覚に溢れて育ってしまったユミコさんですから、内心の悶絶すら淡い夢に置き換え、その副主将とリカさんがいつのまにかタメ口で会話したりしているのを、その隣で無難に微笑みながら、見上げていたりするわけです。
こーゆー人を、今の世の中では、しばしば『偽善者』と呼びます。しかし見方を変えれば、『正直者』などというシロモノには、はっきり言って、バカでもチョンでもなれます。バカでもチョンでもなれるものですから、よいこのみなさんのようなあんましかしこくない方々は、ついついそっちに惹かれたりなろうとしたりしてしまって、精神単純化の末に、複雑な隘路に対応する平衡感覚を失ってしまい、精神のブレーカーを飛ばしたり、ビョーキになったりしてしまいます。そしてそっち方向の方々が多数派を占め始めますと、『偽善者』――むしろ平衡感覚と隘路対応性に優れた方々が、なにがなし住みにくい世の中になってしまって、『痩せ我慢』だの、果ては『負け組』などと呼ばれてしまいがちです。
さて、そうした生きにくい世間を、けなげに渡り続けるユミコさんでしたが、このところちょっとばかり、己のアイデンティティーに疑問を生じつつあったのも、確かなのでした。ついこないだまでの小学校生活とは違い、中学生になりますと、その先にある『社会』『人生』といった盤面が、受験や進路問題にオーバーラップして、かなり近いところまで迫ってまいります。まあそんなシロモノもまた、実はやくたいもない社会が設定したせせこましいルールブックによる『人生ゲーム』にすぎないわけですが、あくまで弱冠十三歳の多感な乙女としては、己の人生、はたしてこのまんま『流される』だけでいーのだろーか、そんな疑念が生じてきます。
あの両親はやっぱりクソなのではないか。
自己の将来を見据えた場合、家庭やガッコにおいて、己というキャラを、たとえ実質を越えてでも、より立てるべきではないのか。
外向性リカさんに対する劣等感や嫉妬心を、自分は生涯心に秘めて生きねばならぬのか。
たとえ玉砕してでも、副主将にはっきりと恋慕の情をコクってしまえばどうか。
とまあ、実際のところ、かなりプッツン寸前まで来ていたというのが、正直なところなのですね。
そしてそんなとき、あの公園で、みんなでよってたかってたかちゃんを玩具にしたり、たかちゃんの玩具になったりしたわけですが――
★ ★
「……ぷにぷに」
ユミコさんはたかちゃんのほっぺをつっつきながら、あの日の思い出を反芻します。
たかちゃんにお乳やお尻をわしづかまれながら、脳内に流れこんできた感触と、言葉ではない会話――。
『とっても、いー』
『………いいの?』
『すっごく、いー』
そう、ユミコさんは、ただあるがままのユミコさんとして、『とっても、いー』存在だったのですね。
そしてたかちゃんちで別れるまぎわ、たかちゃんのほっぺたを思うさまわしづかみひきのばしたとき、「うぃ〜」というおまぬけなお声とともに、確かに心に響いてきた言霊――。
『そのうち、なんとか、なるだろー』
ユミコさんがいつまでも恍惚とぷにぷにし続けているので、たかちゃんとしては、なんらかのたいさくをこうじないと、このまんまいっしょーぷにぷにされ続けてしまうのではないか、そんな危惧に囚われます。
「たべる?」
もしかしたらこのおねいさんは、じさくのとってもおっきいチョコ・ケーキのうち四はんぶんほどを、たかちゃんがいちどにほっぺたにつめてしまったことにかんして、なんらかのみれんをのこしているのではないか――まあ、そんなふうに推理してみたわけですね。
「はい、はんぶんこ」
ユミコさんは、ついついたかちゃんを、力いっぱい抱きしめます。
「ぎ、ぎぶ、ぎぶ」
そんなふたりを、ほかのおねいさんたちも、ほのぼのと見守ります。
「まあ、気が済むまでお礼したらええわ」
ミハルさんが、ビアードパパのシュークリームを頬張りながら、笑います。
「ありゃあ絶対、たかちゃんのほっぺのご利益やわ。なんぼなんでも、副主将のほうからユミにコクってくるなんてなあ。ワイはてっきり、リカ狙いだと思っとったもん」
リカさんも、あっけらかんと笑っております。ユミコさんの遠慮とは別状、リカさんは自分が肉体派なせいか、実は副主将のような筋肉タイプより、クラスでトップの知性派男子に憧れていたのですね。
★ ★
さて、そんなこんなで短期間に三キロほども肥えてしまったたかちゃんは、ダイエットのためにあさましく納豆を買い占めたりすることもなく、狸のようなじぶんのおなかなど気にもかけず、きょうも元気にらんどせるを玄関にほうりだし、くにこちゃんちに向かいます。
それは、ともこちゃん養育のためでもありますが、
「♪ おかしおかしおっかっし〜 おいしいおかし あまーいチョコに さくさくクッキー はーやくたべたい おっかっし〜 ♪」
あの日なりゆきで大量のお菓子がくにこちゃんちに備蓄されることになったため、その豊かなあまみをもとめての行脚でもあります。
「♪ チョコレートもあんまりたべると きもーちわるく なっちゃう〜! でもたっべる〜 ♪」
さっきから歌っているむちゃくちゃ脳天気なお歌は、たかちゃんのオリジナルではありません。『かーどきゃぷたーさくら』のなかで、なくるが歌っていた名曲(?)のカバーですね。
「♪ いいの〜 たべてるときは シアワセだっからぁ〜 ♪」
じんせいのしんじつをうたったお歌でもあります。
そうして、おうちのある住宅街から、くにこちゃんちのある旧青梅街道に曲がろうとしたとき――
――むにゅ!!
いきなし、なにものかが、はいごからたかちゃんのほっぺをわしづかみます。
「ひうううう。な、なにほふるう」
わたわたとふりはらい、はいごをかくにんしますが、
「…………?」
だあれも、いないみたいです。
ねんのため、お空やじめんもかくにんします。
「……からすさん?」
「かーかー」
「……ねこさん?」
「なーご」
どっちも、ちがうよ、と言ってるみたいです。
――きのせいだったのかもしれない。
まさか『きのせい』が、ちからいっぱいほっぺをひきのばすはずもないのですが、そこはそれ脳天気なたかちゃんのこと、あっさり気をとりなおし、ふたたびくにこちゃんちをめざします。
「♪ いっちっごーのみっるふぃっいゆ〜 しょーひきげんー きっれてもへっいきぃー おっいしっいの〜♪」
こんどは作詞作曲ともに、オリジナルみたいです。某ふじやの社長さんが聞いたら、泣いてよろこびそうなおうたですね。
そうして、昭和レトロ商品博物館というちょっと見え見えの小物件の前を通りすぎ、そろそろ長岡履物店が見えてくるころ――
――うにゅにゅう!!
ひときわちからづよく、ほっぺがひきのばされます。
「はふはふ。ほっへ、ひぎえう」
必死にその手をふりはらい、わたしのほっぺたはつきたてのおもちではないのでひきちぎってはいけない、そうつよくこうぎしようとふりかえりますが、
「…………?」
やっぱり、だあれも、おりません。
でも、こんどは耳をすませると、横っちょの路地の奥から、なんだかごにょごにょと声がきこえるみたいです。「ラッキー」「やったやった」「こんど、あたしね」、そんな囁き声です。
ぬきあしさしあししのびあし――こっそり路地に近づき、
「どどんぱ!」
ぱ、とのぞきこみますと、
「あ」
すうにんのおねいさんたちが、アセって身を引きます。
「めーっけ!」
もくひょうをはっけんしたよろこびに、
「つぎは、たかちゃん、かくれる?」
たちまち当初の課題を忘れてしまうたかちゃんでした。
そこにいたのは知らないおねいさんたちだったのですが、みんな見慣れた制服姿なので、『お遊びモード』、そう認識してしまったのですね。
これは思いのほか、与しやすい幼児――おねいさんたちは仮面の笑顔を浮かべ、たかちゃんを「おいでおいで」とさしまねきます。
「やっぱし、じゃんけん?」
むぼうびにあゆみよる、いたいけでおまぬけな幼児のほっぺたを、
「わしっ」
「むにゅ」
「びろん」
おそるべきわしづかみの嵐が襲います。
「ひうううううう!」
さしものたかちゃんも身の危険を察知し、
「ほ、ほりは、はふない」
ひきのばされるほっぺたをいのちがけでひきもどし、どどどどどと表通りに逃れます。
が、しかし――すでに行く手の舗道のそこかしこに、見慣れた制服やら見慣れない制服やら私服やら、ルーズやら折り返しやら三つ編みやら茶髪やら、不穏な気配が集っております。ランドセルも窮屈げなおっきいおねいさんから、てさげかばんのもっとおっきいおねいさんまで、むすうのおねいさんのアヤシゲな視線が、あちこちの路地から、たかちゃんを窺っております。
「……来た来た」
「あのほっぺた」
「メジペコほっぺ」
「わしづかみさえすれば」
「ラブラブ必至」
「あらゆる願い事が叶うとゆー」
「千年に一度の」
「究極のほっぺ」
たかちゃんは、たじたじとあとずさります。
「あうあう」
しかし、なにやら背後から追ってくる気配も、さっきのなんじゅーばいも増えているみたいな感じです。
「あうあうあうあう」
あやうし、たかちゃん!!
おそるべし、欲に狂いイロケづいた衆愚ギャルの盲動!!
とほーにくれるたかちゃんのお目々に、街道はるか、長岡履物店の絵看板『名もなく貧しく美しく』が映ります。
なんだかちっともよくわかんないけども、ゆくもじごく、もどるもじごく。
しかしわたくしたかちゃんは、あえて、まえにむかってはしりたい――。
「…………だっしゅ!!」
さてそのころ、くにこちゃんちの居間では、連日のお菓子消化でちょっぴりふくよかになったゆうこちゃんと、いくらお菓子を貪り食ってもそのぶん昼夜を問わず飛んだり跳ねたりしてしまうためちっとも太れないくにこちゃんと、誰も見ていない時にこっそりつまみ食いをしているのでひときわ巨大に育ったともこちゃんが、のほほんと、たかちゃんを待っておりました。
「たかこは、やけに、おそいなあ」
「こくこく」
「あー」
「なんだか、おもてが、やかましいぞ」
「……こく」
「だあ?」
そのとき、店の方ではなく横手の窓が、こんこん、と音をたてます。
「……どぱんどん」
そんなささやきも聞こえてきます。
……これは、きんきゅー事態のあいことば。
くにこちゃんは、なるべく音をたてないように、用心深く横手の窓を開きます。もちろん、しゃれた路地などはありません。窓にくっつくように迫ったお隣の壁に、よれよれになったたかちゃんが、さかさまにはりついております。
「……へるぷ」
「おう、ぱぱんどん」
はんしゃてきにあいことばを返したちょくご、くにこちゃんは、いきをのみます。
「――なんとゆーことだ」
かさかさとごきぶりのように這いこんできたたかちゃんのお顔を見て、ゆうこちゃんも、いきをのみます。
「……おたふくかぜか?」
「ふるふる」
たかちゃんはおびえた表情で室内の安全をかくにんし、それでもねんのため、ごそごそと卓袱台の下にもぐりこみます。
「わたしは、ねらわれている」
くにこちゃんの瞳が、なぜか精気を帯びます。
「そーなのか? おうし、まかっとけ! いんぼー団か? ぎゃんぐ団か?」
ゆうこちゃんは、おびえてくにこちゃんのお背中にひっつきます。
たかちゃんは、お外のようすをうかがいながら、
「……おねいさん団。……とっても、きょーぼー。……ほっぺ、もがれる」
なにがなんだかわからないくにこちゃんたちに、たかちゃんもなにがなんだかわからないまま、とりあえずここまでのきょーふ体験や、艱難辛苦の逃亡生活などを、せつせつとうったえます。
「んーむ。なにがなんだかわかんないが、これは、ただごとではない」
くにこちゃんは、たかちゃんのかわりはてたありさまを、じっくりと検分します。
「みろ、このたかこのほっぺたを。すでに、『ぺこちゃん』になってしまっている」
ゆうこちゃんも、ごくり、とつばをのみます。
「このままでは、いずれ、『だよーんのおじさん』になってしまう」
たかちゃんは、はんしゃてきに、自らのゆるんだほっぺを両手でひきのばします。
「だよーん」
それはやだなあと心の底から思いつつも、ついついウケを狙ってしまう、業の深いたかちゃんなのですね。
ゆうこちゃんは、ふるふるとなみだぐみます。
「ふるふるふる」
くにこちゃんが、障子の向こうのお店に声をかけます。
「おい、おまいら」
ふたごのおとうとたちが、ああ、またなんかつらいパシリを命じられてしまうのか、そんなお顔で集合します。
「そとにいるねーちゃんたち、あたまかず、ちょっとかぞえてこい」
ああ、ラクそーなパシリでよかったよかった――ほっとしてうなずきあったおとうとたちは、さっそくお店の外にとととととと駆けていきます。そして数分後、なんだかとってもシヤワセにゆるんだお顔で、とととととと戻ってきます。
そう、純スパルタ式くにこねえちゃんや、お話づくりのろりのおたくやろうなどには常々邪険な扱いをされがちなおとうとたちでも、妙齢のおねいさんたちから見れば、おんなしお顔のちっこいチワワが二匹並んでお散歩しているようで、ついつい母性本能をくすぐられてしまうのですね。
「あっちに、じゅーにんくらい、やさしいおねいちゃん」
「そっちにごにんと、むこうにごにんくらい、きれいなおねいちゃん」
「はくぶつかんのまえんとこに、ひーふーみーよー……」
「……ななにんかはちにん、やーらかいおねいちゃん」
くにこちゃんは拍子抜けしたように、
「なんだ、それっぽっちか」
たった三十人弱なら、たとえその全員が朝青龍であっても、歯牙にもかけないくにこちゃんです。
「んじゃ、ちょっと、シメてやるか」
おとうとたちは、おそれおののきます。
たかちゃんとゆうこちゃんも、ちょっとばかし人類の平和を危惧します。
たしかにたかちゃんのほっぺの敵、推定寸足らずのアーパー集団ではありますが、といって、いきなしそのいのちまで、うばってしまってもいいものでしょうか。
くにこちゃんは、のっしのっしと、なぜか縁側にむかいます。
「……おふどーさん、よぶの?」
たかちゃんが、おずおずとおたずねします。いつかのしかばねさんたちのように、ふみつぶさせてしまうのでしょうか。
「……くじゃくさん、よぶの?」
ゆうこちゃんも、びくびくとおたずねします。いつかの怪獣さんのように、つんつんと食べさせてしまうのでしょうか。
「みょーおーを、たのむほどではない」
くにこちゃんは軽く笑って、ぴいいいい、と、指笛を鳴らします。
待つこと数秒、どこからともなく、
「ばう、ばう」
あの獰猛な土佐犬さんたちのむれが、せまっこい裏庭――と言うより、くにこちゃんちの縁側と奥の家の塀のすきまに、せいぞろいします。
「おし、きたな」
「ばうわう」
「いいか、食っちゃあ、だめだぞ」
「ばう」
「噛んでも、ぺけだぞ」
「わう」
「あじみするだけだ」
「ばうわう!」
★ ★
まあ、その後夕方の青梅を狂乱の巷と化した騒動は、ちょっとこっちに置いといて――ここで、ねんのため。
こうしてたかちゃんのほっぺに危機が訪れてしまったのは、あの剣道部のおねいさんたちが何か学校でいいふらしたとか、そんな単純な理由ではありません。
まあ少しはきっかけになるようなきゃぴきゃぴ会話とか、うれしはずかしメールとか、なんかいろいろあったのかもしれませんが――結局は『世間の噂』という、あのやくたいもない無責任情報歪曲増幅伝播現象なのですね。
たとえばちょっと古いところでは、『口裂け女』。ネットもメールもない時代から、ふとなんか面白げで耳目に残りやすい話を思いつき、もっともらしく情報の海に放つ方がおりますと、それが何ヶ月も何年もかけて、日本全土に『事実』として伝播したりするわけです。そんなのはあくまで小学生レベルの駄菓子のような噂話だろう、と決めつけるのは早計で、あんがい中学高校、果ては大人の一部まで、面白がったり本気にしたり、なんかいろいろその伝播に協力してしまいます。大昔から連綿と途絶えることなく存在し続ける『不幸の手紙』や『幸福の手紙』――そんなのも、ネットや携帯メールの普及に伴って、ときおり情報の海で加速度的な増殖を繰り返したりしておりますね。
一小学生のほっぺたをわしづかむだけで願い事がかなう――そんな馬鹿な、という大人たち自身、クソバカな儲け話を鵜呑みにして何百万をネズミ講に投げ捨てたり、ありもしない御利益を夢見ながら、妄想狂あるいは詐欺師野郎の教祖様たちに、いっしょーけんめー酒池肉林のための『浄財』をくれてやったりしているわけです。
もしたかちゃんのほっぺに、本当におねいさんたちの夢に通じるなんかいろいろの裏技があったとしても――それはきっと、たかちゃんによるわしづかみとたかちゃんへのわしづかみ、そんなどっちもどっちの、一方的な流れではない彼此混沌の交歓によって、生じたものなのでしょう。
でも、しかし――いちど青梅近辺に広まってしまった『マジペコ伝説』は、たかちゃんのほっぺに、まだまだなんかいろいろ、波乱をもたらしてしまうのでした。
★ ★
「――えぐちひろこさん」
「はーい」
「おかざきたつひこくん」
「はーい!」
「かたぎりたかこさん」
「…………」
ある晴れた朝、すずめさんたちのちゅんちゅく囀る声を聞きながら、いつものように青梅市立××小学校二年四組で出席簿をチェックしていたせんせいは、うに、と眉をひそめます。いつものような「はい」も「ほーい」も「どどんぱ」も、返ってきません。しかし片桐貴子の席には、まぎれもなくたかちゃんがすわっております。
「えと、あの……」
せんせいは、ことばにつまります。
サングラスをかけ、でっかいマスクで口やほっぺをおおいかくし、さらにパパさんの衣類と思われる黒いウインド・ブレーカーのフードを深々とかぶったたかちゃんは、もしかして、変装でもしているつもりなのだろうか――。
「えーと――かたぎり、たかこさん」
ねんのため、もういちどお呼びしてみますと、
「…………たかぎり、かたこ」
鼻をつまんだような、含み声が返ってきます。
「は?」
「……たかちゃんの、いとこの、かたこ。だいり。たかちゃんは、おやすみ」
ああ、やっぱり。
なんか新しい芸でも思いついたのかしら――そう思って、一蓮托生のくにこちゃんやゆうこちゃんの様子をかくにんしますと、
「たかこは、はやりやまいで、やすむそーだ」
「……ぽ」
自称たかぎりかたこも、こくこくとうなずいております。
「――はい、それでは、たかぎりかたこさん」
「ふぁい」
せんせいは、へーぜんと次に進みます。
「きじましんじくん」
「はーい!」
「きのしたまゆみさん」
「はい」
クラスのほかのみんなも、なんら、惑乱した様子はありません。
みなさん、たかちゃんの担任や同級生を長くやっておりますので、もはやこの程度の出来事では、驚けないからだになってしまっているのですね。
そうして自称たかぎりかたこは、いつものように午前中の授業を、二勝一敗一引き分けくらいで、ぶなんにこなしていきます。
お給食の時間、机をくっつけたぐるーぷで、くにこちゃんが話しかけます。
「なんとか、ぶじに、すみそうだな」
「こくこく」
たかちゃんは、マスクをちょっとずらしてスパうどんをすすり、またあわててマスクをもどして、もぐもぐともぐもぐしたりしています。
ゆうこちゃんは、牛乳ぱっくのストローを、たかちゃんのマスクの下から入れてあげます。
「はーい」
「ろーも」
たかちゃんは友情のありがたさをかみしめながら、ちゅるるるします。
ちなみに同じ机くっつけなかまの男の子は、暗黙の了解で、「ここにいるのはたかちゃんのだいりのかたちゃんである」、そんな視線を一途に保っております。
さて、おなかがいっぱいになってしばらくすると、どーしても、しもはんしんがせつなくなってきたりします。
「……おしっこ」
「といれは、あぶない。いえまで、がまんしろ」
「………………あ」
むりですね。
「んむ。しかたがない。ついていって、やろう」
ゆうこちゃんも、しんぱいなので、おつきあいします。
おひるやすみのおといれ近辺は、どーしても、公共のスペースです。いちおう大雑把に学年ごとの校舎分けがあるわけですが、おっきいおねいさんなども、体育館をめざしたり校庭と行き交ったり、多数徘徊しております。
たかちゃんたちは廊下の角に身を寄せて、安全そうなタイミングを見計ります。
「こそこそ」
「まて」
「…………あ」
「まつのだ」
「あっはん」
「いまだ」
ととととととととととととと。
おおあわてで、こしつにとびこんだたかちゃんが、
「……あー、いきかえる。ぷるぷるぷる」
ひと仕事終えて、お手々を洗っておりますと――おとなりのおねいさんが、ぴくりと硬直します。
あ、いた、そんなつぶやきも聞こえます。
たかちゃんは、すざざざざとおトイレの壁にあとずさり、おねいさんに背を向けて、まあるくうずくまります。
「………………」
ぶよんとしてしまりのないパパのウインド・ブレーカーはとっても大きいので、たかちゃんがすっぽりかぶってまるくなると、ダンゴ虫状に擬態できるのですね。
「ぷるぷるぷる」
「――たかちゃん、だよね?」
「ぷるぷる。いとこの、かたこ」
おねいさんが、ぶ、と吹いてから、外のお仲間を呼ぶ声が聞こえます。
そんなひょーきんな反応を示す幼児は、噂に聞く二年四組名物片桐貴子――伝説の『マジペコほっぺ』以外に、考えられません。
ざわざわとせまりくる、おねいさんのむれ――。
「たかこ! こっちだ!」
くにこちゃんが、お外への窓から手をさしのべます。
たかちゃんは、ももんがかむささび、あるいは大怪獣ばらんのごとくつっぱらかって、おおぞらめざして飛翔します。
「しゅわっち!!」
まあ実際のところ、さすがに上昇能力はありませんので、くにこちゃんの手を借りてがしがしと壁をはいのぼり、一階おトイレの窓から、ちょっぴり滑空しただけなんですけどね。
★ ★
さて同日同時同分、青梅市立××小学校の三階、校長室――。
大河原優吉さん(五十五歳)は、きわめてゆったりとした気分で愛妻弁当を食べ終え、引き続きとても安穏と、湯飲みの玄米茶をすすっておりました。
数年間、謹厳実直に教頭職を勤め上げ、昨年ようやく念願の校長職に昇進した――そんな、純地方公務員型の校長先生です。
窓から見下ろす校庭では、今日も平和な子供たちの歓声が、きゃぴきゃぴと響いております。のどかな世界の果ての小学校のこと、世間にかまびすしいイジメ問題や変質者の侵入などは、まだ一度も起こっておりません。
このぶんなら、日々の仕事を真摯に務めてさえいれば、定年まで、何事もなく時が流れてくれるだろう。その後は、妙な再就職先であくせくするのはやめて、独り立ちした息子たちの空き部屋をリフォームし、近所の子供たち相手の小さな書道教室でも開いて、静かな余生を送ろうか――などと、実直だけが取り柄の優吉さんは、自分が属しているこの『よいこのお話ルーム』における非常識な世界観を、まだ悟りきっておりません。
どどどどどどどど。
校舎の裏から、なにやら地響きのような音と振動が、校庭に向かって回りこんでくるようです。
「?」
優吉さんが、怪訝そうに目をすぼめますと、
「あうあうあうあう」
黒いマントのようなものを翻したピンクの小型物件が、校舎の陰から校庭に踊り出てきます。
なぜサングラスをかけてマスクを付けているのかは不明ですが、
――あ、あれはもしや、二年四組のちょんちょん娘。
優吉さんの脳裏に、なんだかとってもいやあな予感が走ります。
どどどどどどどど。
ちょんちょん娘を負うように、地響きはますます激しくなって――
「げ」
優吉さんは、信じがたい光景を目の当たりにしてしまいます。
ちょんちょん娘を負うように、それはもう全校生徒の半数を越すのではないかと思われる児童の大群が、全速力で校舎裏からぞろぞろぞろぞろと走り出てくるではありませんか。
優吉さんは、ぼーぜんとたちすくみます。
――ぜ、全校規模のイジメ!?
一件平和な小学校生活の深層で、音もなく浸みだし続けていた陰惨な齟齬の底流が、いきなし地表に噴出してきてしまったのでしょうか。
にげまどうちょんちょん娘を、先頭の一群が、わらわらと虐待(推定)しております。
そしてそれらの一群があっちこっち蛇行するたびに、後に続く大量の児童たちも、さながら河の流れのように校庭にゆるやかな孤を描きつつ、われ先にちょんちょん娘を虐待(推定)しようと――。
――ああ、砂の器が、崩れてゆく……。
立ちすくむ優吉さんの背後で、いきなしドアが開き放たれます。
「こーちょー、ごめん!」
「げ?」
躍りこんできた長岡下駄屋の娘が、
「ちかみちするぞ!」
「げげ」
優吉さんのバーコード状の頭髪を踏み台にして、
「とうっ!!」
猿《ましら》のごとく、三階の窓から校庭にむかって弧を描きます。
「あうっ」
優吉さんはなかば失神しながらも、続いて駆けこんできた白いフリフリ児童を、あわてて羽交い締めにします。
無意識の行動とはいえさすがは校長先生、長岡下駄屋の娘ならサンシャインの屋上から落下しても無傷で済むだろうが、三浦さんとこのご息女は階段ひとつでもヤバい――そんな、正しい判断を下したのですね。
ゆうこちゃんも夢中で飛び出そうとはしたものの、校長先生にからくも抱きとめられて、みおろす眼下が地上三階と気づきますと、
「……ふ」
小栗鼠のように失神してしまいます。
ちなみにくにこちゃんとゆうこちゃんは、校舎裏で群衆にまきこまれ、たかちゃんとはぐれてしまい、高所からの俯瞰情報をもとめて駆け回っていたのですね。
優吉さんはゆうこちゃんを抱きととのえて、再び校庭に目をやります。
あの超強化児童なら、この事態を沈静化できるのではないか―― 。
「きなさい!!」
くにこちゃんは烈火のごとき気迫で、たかちゃんと衆愚の間に、立ちはだかります。
しかし――どどどどどどどど。
「あうっ」
無惨にも、衆愚の足元に踏みにじられていきます。
それを見てしまった優吉さんは、ゆうこちゃんを抱いたまんま、狸のように失神してしまいます。
「……ふ」
つ、ついに死者を出してしまった――だ、大事な預かり児童を――。
根本的に小心な優吉さんなので、群衆が駆け去った後に散乱しているいたいけな児童の体液や肉塊、そんなのをちょっと想像しただけでも、脳味噌の血が引いてしまったのですね。
まあ実際には、鋼鉄よりも強靱なくにこちゃんのことですから、
「あだだだだだだだだ」
なにしろ大量の脚の間に巻きこまれてしまったので、なかなか抜け出せないものの、しっかり急所を庇って転がりながら、反撃のチャンスを狙っていたりします。
そして、かんじんかなめのたかちゃんは――
「ひゃうひゃうひゃうひゃう」
すでにマスクもむしりとられ、『ペコちゃん』から『だよーん』化しつつあるほっぺたを必死にかばいながら、寄る辺ない迷走を続けております。
しかしまた、たかちゃんがたかちゃんであるがゆえに、なんかちょっと、おもしろがったりもしてしまっていたりします。
たとえば、このまんままっつぐ逃げるとプールの金網にへばりついてしまうので、
「うせつ」
右に進路をとりつつ、うしろのグアイをかくにんしますと、
「……おう」
たいりょうのしゅうぐが、なにやらうねうねと右に蛇行しつつあったりするわけです。
そしてまた、そのまんままっつぐ逃げると体育館のかべをちょくげきしてしまうので、
「また、うせつ」
ちょっぴりきたいしてうしろのグアイを再かくにんしますと、
「むふ」
きたいどおり、しゅうぐのむれは校庭に渦を巻きつつあったりします。
いっそこのまんまみんなを引っぱって多摩川を渡り、御岳山まで駆け上ってはどうか、などと、ユダヤ人を率いるモーゼのようなノリになったりもしますが、
「ふーふー」
さすがに、息が切れてきます。
しかし、立ち止まったらさいご、もはや冗談ぬきでつきたてのおもちのようにほっぺがひきちぎられそうなので、
「あうあうあうあう」
――ああ、これはきっと、みりょくてきでかわゆすぎる、わたしのそんざいじたいがつみなのだわ。
もはやランナーズ・ハイ状態のたかちゃんでした。
そんなとき、たかちゃんのゆくてに、とってもありがたいおすがたが浮かびます。
「はーい、たかぎりかたこさん、こっちこっち」
朝礼台の上――晴れたげつようの朝、こうちょうせんせいやえらいせんせいが昇るあの台の上で、あのやさしくていっとーしょーな担任のおんなせんせいが、手を振っております。
「おう!」
そう、なんかいろいろ特殊児童なたかちゃんでも、しょせん弱冠小学二年、いざとゆー時にはママやパパやたんにんのせんせいに、ゲタをあずけてしまうのがいちばんですものね。
わたわたと演台によじのぼり、
「はーはー。じつは、たかちゃん。はーはー」
サングラスをはずして、ついに正体を明かします。
「せんせー、へるぷ」
せんせいは笑いながらしゃがみこんで、たかちゃんの両肩に手を置くと、追いかけてきた大量の子供たちにも、にっこしとほほえみかけます。
日頃から優しいせんせいにそう出られてしまうと、まだまだ学級崩壊も縊死もダイブも流行っていないのどかな小学校のこと、みんなざわざわと疑問の声やブーイングを残しながらも、立ち止まるしかありません。
せんせいは、よしよしとうなずいて、それからおもむろに――むに、と、たかちゃんのほっぺたを、わしづかみます。
「な、なにほふるう」
ま、まさか、このすばらしーせんせいまでが――いっしゅん、ぜつぼーのふちにたたずんでしまうたかちゃんでしたが、それはどうやら形だけのわしづかみみたいで、ふんわりとやわらかく、ちっともいたくありません。
せんせいは、「先生だけずるいずるい」とさえずる他の子供たちをふりかえり、
「はーい、ざんねんでした。『マジペコほっぺ』は、これで、おしまいでーす」
きょとんとしているたかちゃんと子供たちの両方に、にんましと満面の笑顔を浮かべてみせて、
「なぜなら、せんせい、たったいまたかちゃんのほっぺに、こうお願いしてしまいました。――『ふつうのほっぺに、なあれ』」
――ん?
群集心理で我を忘れていた子供たちは、ふと、先生の言葉を脳内で反芻します。
もしたかちゃんのほっぺに、本当に願い事をかなえる力があるとしたら――今はもう、ただのほっぺになってしまったはずです。
また、半信半疑の内に、ただ面白いから追っかけていた子供たちにとっては――どっちみち、ただのほっぺたですものね。
ざわざわと沈静化してゆく子供たちのはしっこから、ようやくくにこちゃんが這いだしてきます。
あしあとだらけの悲愴なすがたで、
「きなさい!!」
びしっとファイティング・ポーズを決めますが――きんこーん。
午後の授業の予鈴によって、むなしくタイム・アウトを食らってしまう、悲運のくにこちゃんでした。
★ ★
さて、そうしてふつうのおんなの子、いえ、ぜんぜんふつうではないいつものたかちゃんに戻れたたかちゃんは、ごごのおしゅーじのじかん、いっしょーけんめー、おしゅーじをしております。
「かきかき」
ごきんじょ席のゆうこちゃんは、せんせいにいわれたとおり、
「ちまちま」
しっかりお手本をなぞっておりますが、
「うぬぬぬぬう」
くにこちゃんは墨痕も雄々しく、以前おししょーさんに習ったいみふめいのことばを、したためております。『けんどちょうらい』――まだ漢字も知らないなりに、さきほどの無念をまぎらわすにはその言霊にたよるしかない、そう感じているのでしょう。
たかちゃんも、のんびりおてほんなど、なぞっているばあいではありません。
「かきかきかき」
あのありがたいおんなせんせいの、おんぎにむくいるには、わたしじしんが、めめしいかこをのりこえて、おとなのおんなへのかいだんを、ふたたびのぼりはじめねばならない――まあさすがにそこまでは考えておりませんが、
「……かんぺき」
じしん作をためつすがめつしたあと、んむ、とうなずいてたちあがります。
せんせいは、ちょっとはなれたところで、ちびっ子たちのみみずのようなお習字を見捨ても嘲笑もせず、やさしく助言して回っております。
たかちゃんは例によってとととととと駆けていき、
「はーい!」
毎度の挙動ですので、せんせいもほかのみんなも、もはや気にしません。
どれどれ、と、せんせいが、そのじしん作らしい墨痕をあらためますと――『わしづかみ、じしゅく』。
せんせいは、たかちゃんのにこにこににこにこで応え、
「はい、とっても、よくできました」
ぽんぽんと、たかちゃんのおつむをほめてくれます。
「えへへー」
「でもね、たかちゃん」
せんせいの笑顔が、たかちゃんのお顔まで、おりてきます。
「あんまり、気にしないで――てきとうで、いいのよ」
本来、児童教育において『程々』『適当』と言った曖昧な指示は避けるべきなのですが、せんせいとしては、この子ならきっとだいじょうぶ、そう感じていたのですね。
「こくこく」
たかちゃんも、しっかりと、うなずきます。
でもしっかりうなずきながら、ないしん、ほんとうは世界中の人が、痛くない程度に、わしわしと思うさまわしづかみわしづかまれあえる、そんなよのなかだったらいいのになあ――などと、ちょっぴり夢見ているたかちゃんでした。
その日の放課後――。
校長室で、無事に息を吹き返した大河原優吉さん(五十五歳)と、二年四組担任のベテラン女先生(三十二歳・独身)が、いっしょに玄米茶を飲んでおります。
「いやはや、ご苦労様でしたなあ。一時はどうなることかと」
「きっと、みんな、遊んでいただけなんですわ」
女先生は、いつものように穏やかです。
「低学年の子供たちなんて、ほんとうに、ただいっしょにわいわい駆け回っていただけですもの。まあ一種の、『ガス抜き』みたいなものですわ。近頃は、子供たちも、なにかとストレスが多いですから」
朝にたかちゃんのおかしな言動に接してから、休み時間にあっちこっちで情報収集に努めていたことなど、わざわざ校長にアピールするような野暮はしません。そうした活動はあえて『当然』として、己の職務を生きる女先生です。
「しかし、あの子のほっぺたをわしづかむと、なんでも願い事が叶うとは――」
校長先生は、安穏とほほえみます。
「近頃の高学年は、妙に所帯じみた子が増えたと思っておりましたが、あれでやっぱり、子供なんですなあ」
しかし女先生は、微妙に目を伏せます。
「それは、わたくし、違うように思います」
「ほう?」
「……美しい夢を見る大人が、少なすぎるんですわ。醜い夢ばかり見て、美しい夢も、そして『現実』も見ない――子供が大人に近づけば近づくほど、そんな大人に似てくるのは、しかたがありません」
校長先生は、ちょっと、目をみはります。
「おやおや……意外に、ニヒリストでいらっしゃる」
女先生は、笑顔を返します。
「ニヒリストなんて、とんでもない」
放課後の校庭で遊んでいる子供たちを、優しくながめながら、
「美しい夢を見られる子供たちが、増えてくれれば――きっと、美しい現実を見られる大人も、増えてくれますわ」
★ ★
はーい、さいごのさいごまで耳をかたむけてくださった、絶滅危惧種っぽいよいこのみなさん、ほんとうにおつかれさまでした。
ひときわ長々とはてしなく続くかに思われた、こんかいの『よい子のお話ルーム』も、ぶじにしんみりと、大団円をむかえたようですね。でもちょっと尻切れトンボっぽいわなあ、などというぜーたくなご不満をのべていらっしゃる、そこの底意地悪げなよいこのかた、がっこうがおわったら、ぜひ最寄り駅までせんせいとごいっしょしましょうね。白線の外側でまのあたりにする特別快速通過電車は、それはそれは脳漿が飛び散るほど、すばらしい迫力だそうですよ。
さて、ここで、みなさまに質問です。
今現在、こうしてシメを語っているのは――うふ、うふふ、うふふふふふふ――本当に、脱獄を果たした二代目せんせいなのでしょうか。
ならばなぜ、ここにこうして人食い土人さんたちが、あいかわらず「うっほっほ、うっほっほ」と、元気に踊り狂っていらっしゃるのでしょう?
しかしまた、もしわたくしが、あの長万部の八百屋の娘から女王にまで成り上がった初代せんせいだとすれば――ここに取りいだしましたるコンクリート・ブロック十二段重ね――――とうっ!!
なぜ、これこのように頭突き一発、きれいに最下段まで割れてしまうのでしょう。
かわゆいたかちゃんたちの活躍のはいごで、いったい何が起こっていたのか!?
はい、一見『語り物』のようでありながら、実はテキスト情報でしかない『よいこのお話ルーム』、もはやみなさんに、その真実を悟る術はございません。そこはそれ、なんかいろいろ、いがみあったり馴れ合ったり、おとなのおんなふたりのふくざつなじじょうがからみあっておりますので、もーみなさん、ひたすら次回をご期待いただくしか、真実を知るてだてはございません!
それではさいごに、なんとなく、ハモっちゃったりなんかしてみちゃったりして――それではみなさま、 ♪ ごっきっげ〜ん〜よホぉぉ〜〜〜〜 ♪
《おしまい》
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2007/01/28(Sun)16:25:38 公開 /
バニラダヌキ
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■作者からのメッセージ
データがありがたいご感想ごと消えてしまったので、せめて仲良し三人組によるご感想へのお礼(?)のみ、ここに再録させていただきます。
>水芭蕉猫様
「……むにゃ。……おう、ねこさん。……だきまくら……ぬくぬく……くーくー」
「……んーむ、なんか、やかましーぞ。……めが、さめてしまった。……げ。たかこが、ねこをしたじきにしている。ふぎゃーふぎゃーと、だんまつまで、もがいている。こらこら、たかこ、ねこは、たたるから、つぶしてはだめだ」
「……むにゃ。……そふとちょこれーと……かぷ」
「やめろ、たかこ! それは、ちょこではない! おい、ゆーこ、おまいもいっしょに、ひっぱるのだ!」
「……ぽ? ――ひええええええ! ね、ねこさん、たべちゃだめぇ!」
「……もぐもぐ。……ちょこ、けぶかい。……ちょこ、にげるな……むにゃ」
>甘木様
「やっほー! かんぼくのおにーちゃん! うんちく。たかちゃん、うんちく。うーんとね、さくらの、うーんと、うしろのほーのおはなしで、がっこーで、おかしばざー、やるの。んでもって、なくるさんがね」
「こらこら、たかこ。そんなんじゃあ、ちっとも、わかんないぞ。きちんと、なんかいめで、たいとるとか、うんちくするのだ」
「むー」
「……ぽ。あの、あの、ごじゅーろっかいめ? でね、でね、だいめいが……さくらとケロのおかしなであい?」
「そーそー」
「……ふむ、しらなかった。ひとは、みかけに、よらないものだ。ゆーこは、じつは、おたくのなかまだったのだな」
「ふるふるふるふる! ……かばうまさんが、うしろで、こっそり、おしえてくれたの」
「おう、かばうまさん? あ、いたいた」
「なんだ、かばうま。いるなら、おもてに、でてこい。ありがたいかんぼくに、きちんと、おたくしてやるのだ」
「……ttp://www.youtube.com/watch?v=res-IAln9T8。h追加はお約束。そこんとこの、パート1から2にかけての部分で、聴けると思います。まあ挿入歌と言うより、メロディーのいいかげんな鼻歌なんですが」
「んむ、かばうま。おまいは、やっぱし、にんげんとして、おたくなのだなあ」
>メイルマン様
「どどんぱ! めいるまんのおにーちゃんだかおねーちゃん、やっほー。ねらわれていた、たかちゃんだよ! んでもやっぱし、ねらわれると、こわい。だから、笑っちゃだめなの。ぷんぷん。んでもって、ばれんたいん、りくえすと、ちょっとおこまり。たかちゃん、ちょこ、あつみきよしのおじさんと、きんげんていばしょうのおじさんに、あげたいの。んでも、みーんな、てんごくにおひっこししちゃったの」(やたらと好みが渋いらしい。)
「うっす。けんどちょうらいの、くにこだ。つぼにはいって、なによりだ。んでも、けんどちょうらいって、なんだ? まあいい。とにかくおれは、じかいこそ、どどどどどとぎゃくしゅーするのだ」(言葉のニュアンスだけは感じているらしい。)
「……ぽ。……あの、あの、かばうまさんと、おすしやさんにいくと、ねた、いーっぱい、あるの。おーとろさん、しまあじさん、かんぱちさん――とーっても、おいしーの。めいるまんさんも、こんど、いっしょにいくの」(『価格』という概念のないお嬢様だけに、かばうまだけでなく、読者の銀行預金も道連れにしようとしているらしい。)
>走る耳様
「やっほー! みみさん、みみたぶ、わしっ! ぷよぷよ〜。んでもって、あっちこっち、おさんぽ、ちょろちょろ〜」
「こらこら、たかこ。はしっているみみの、みみたぶを、いきなしわしづかんではいけない。かわいそーに、じたばたとアセっているじゃあないか――んでも、これはこれで、なんだか、とってもおもしろいな」
「……ぽ。……ぷよぷよ」(ゆうこちゃんも、ようやく走って来る耳に慣れたらしい。)
なお、本文中に、青島幸男氏・作詞『だまって俺について来い』の一部、そしてアニメーション『カードキャプターさくら』の挿入歌の一部(作詞は脚本担当の大川七瀬氏と推定されますが、未確認)を引用させていただきました。