- 『死の情景』 作者:夜 / ホラー SF
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全角4419文字
容量8838 bytes
原稿用紙約12.8枚
己の異常に気づいた男がたどり着いた、猟奇な結末。十五歳以下の閲読は非推薦です。
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私は冷たい土の穴の底にいる。曇天の空が遠くに広がっていた。
綺麗に洗って貰った体は、肌触りの良い服装を着せられて横たわっていた。仰向きに空を見上げるのは、考えてみれば随分と久しぶりだった。
私の視界の先には、幾人もの人影が佇んでいる。子供から老人まで、みな一様に悲しげに表情を歪ませていた。涙の跡を頬に残しているものもいる。
誰かが私の名を呼んだ。否、私の名かどうかは分からない。とにかくその単語は、からんとうな穴の底まで響き、吹き抜ける風と合い重なって寂寞としたリズムを奏でた。
ざく、どさ、空虚な音と共に、何かが私の上に落ちてきた。
土だ。湿り気を帯びた、ずっしりと重たい黒い土。それが、私の腹の上に落とされた。
遠くで誰かのすすり泣きが聞こえた。そうしている間も、私の上の土はその重みを増し、徐々に四肢を埋め、胸を埋め、視界を埋めた。
黒い靄が視界を占領する最後の瞬間、鉛色の空が圧し掛かってきた。
私の父母は共に教師で、ことさらに私の教育に熱心だった。物心ついた時から、私は須らく精神的に清らかで正しいことを要求された。両親は私の近くから、粗暴で下品な振る舞いの元となり得るものを全て取り除いた。
それが苦痛とは別段思わなかった。私は過剰な保護と厳しい戒めの中で、極普通に成長した。
私が自分の異常な性癖に気づいたのは、数えで十二になる年だった。
その頃の私は、長らく両親に禁じられてきたマンガなる罪悪に夢中だった。中学に上がるに連れて自由になる時間が増え、それまで極めて狭かった私の世界は徐々に広がりつつあった。
やがて私は、毎日のように学校からの帰り道の途中にある古本屋に立ち寄っては、三十分そこらの時間を其処で密やかに費やした。
ある日、何気なく手に取った一冊の漫画本が私の人生を変えた。
それは性と暴力を題材にしたものだった。癖のある筆で描かれた女性の裸身が、激しく雄と絡み合い、仰け反り、奇声をあげた。
そして、次のページでは、女は男に殺められていた。黒い血と肉体の破片が視界を支配し、毒々しくおぞましい描写への慄きと共に、私は自分の中に何か異なる感情を覚えた。
こうして、両親の教育によって抑制されてきた私の肉欲は、暴力的な刺激を伴って、最悪の形で芽吹いた。
私はどこかのほの暗い場所にいる。
もちろん肉体の自由は無い。指先一本動かせない状況に、既になれつつあった。私が動く必要などあるまい。ただ黙して横たわっていれば、望む目的は果たされる。
黒い手が私の額に乗せられる。ほんのりと土の香りがした。その手は慈しむように私のこうべを撫ぜて、名残惜しげに離れる。
闇の中に、幾人もの気配がした。やがてそのうちの誰かが、何かのメロディーを口ずさみ始めた。厳かな声は一つ、二つと増えて行き、闇の空間はその古老で悲しげな歌に満たされる。
歌いながら、幾つもの指が私に触れる。肌を軽く掠めるように通り過ぎていくものもいれば、次の人に促されるまでずっと手を握っているものもいた。
そうして、儀式は厳正に執り行われた。彼らにとってこれは、余程神聖な行為なのだろう。
待ち望んだその時が来る。
力強い男性の腕が、すっかり脱力した私の体を抱き上げて、闇の片隅に置かれていた奇怪な装置へと歩み寄る。興奮の波が私の中でうねりをあげた。見慣れないそれが、私の欲望を満たしてくれるのだろう。両足を拘束され、うつぶせの体勢で私はその投石器のような仕掛けに横たえられた。
男がねじ式の仕掛けを回し始めると、固定された私の両足が徐々に背骨の方向へと向かって曲げられた。それは、人類の脊椎が正常に機能する角度を超えても、容赦なく続けられた。
ギジギジと筋肉が軋み、圧力を加えられた骨は悲鳴を上げる。私の踵はいまや、後頭部に近づきつつあった。
体内で軽やかな音を立てて、背骨はその機能を失う。私の体は綺麗に二つに畳まれた。
再び男の腕が私を抱き上げ、棺おけと代わりとなる壷に押し込む。美しく折り曲げられた私の肉体は、これから土の中で安寧の眠りにつく。
己の異常さに気づいてから、私は苦悶の中に日を過ごした。幼い私に性の知識は無いに等しかったが、少なくとも血や悲鳴といったものに欲情するのは正常ではないことは知れた。
それでも、成長につれて性欲はいよいよ抑えがたいものになり、私は両親に隠れてしばしば罪悪に及んだ。禁を破る密やかな快楽は、何時の時代も子供を堕落へと導く。
レンタル・ビデオ店で借り受けたB級のスプラッター映画が、私の悦楽を呼び起こす道具だった。激しい人体破壊を含むものになればなるほど、私の中で熱が昂ぶった。画面の中で、少女は獣に引き裂かれ桃色のはらわたをぶちまけ、青年は殺人鬼に首を切り落とされ痙攣しながら倒れた。単調な音楽が狂気の音色を奏で、景色は迷彩色に塗りつぶされる。
その全てが、私の快感には必要不可欠であった。懊悩に喘ぎながらも、私の肉体は成長するにつれより一層に猟奇を好む色彩を濃くしていった。
私は山の上にいた。空が酷く近い。
荒涼とした景色はモノクロ。黒い空に白抜きの雲の形がゆっくりと流れていく。世界は色彩も時間も失っていた。
嗚呼、まさしく死の情景だ。もし私の筋肉がまだ動くようなら、ほくそ笑んでいたのであろう。
ぱさり、視界の隅に何かが降り立った。黒い羽がふわりと風に踊る。
それは羽音を立てて、私の腹の上へと乗る。濡れた瞳を持つ、美しいカラス。見開かれた私の目は、まっすぐそいつを見つめた。
そうして、どれほどの時間見詰め合っていたのであろうか。時の概念を失った世界では知れないことだった。やがてカラスは、緩慢な動作で私の眼球にくちばしを付きたてた。ぶちゅ、脳裏に音が響き、とろりとした冷たい水晶体が頬を伝わった。ぐちゅ、ぶちゃ、既に空になった私の眼窩を、カラスは飽き足らず貪欲に何度もついた。
こうして、私の視界は奪われた。ついて、周囲に羽音が増える。私の四肢を、はらわたを、脳を、幾つもの小さなくちばしが突っつき、貪り、啄んだ。
視覚を失った闇の中で、私は何百というカラスに食い尽くされる己のヴィジョンを思い描いて、恍惚の中絶頂に達する。
私の少年期は、悶々とした苦悩のうちに終焉を迎えた。
成熟するのに連れて、私は世間の広さを知り、何度か挫折を味わい、そのうちで密やかに異質な情感の芽を育むのと同時、それを隠蔽する方法をも無意識のうちに学び取って行った。
私は極普通に人を愛すふりをした。普通の男性と同じように、何人かの女と恋愛感情と呼ばれるものを装った。だが、断じて床を共にすることは出来なかった。激しい暴力や蹂躙の刺激なくしては、私は完全に不能であった。
それ故、付き合いは何れも長続きしなかった。虚しさを覚えると、私達はどちらからとも無く関係に終止符を打った。
自己が異常であるという認識は、穏やかに積み重なる日常の中で、少しずつ私を追いつめた。心底打ち解ける相手も無く、私は次第にぶっきらぼうで寡黙な人間になっていった。同僚と正常な交友関係すら築けない私は職を転々とし、やがて両親とも音信不通になった。
都会の闇の片隅で、空虚な快楽だけを日々追い求めながら日々を生きていた私の自己嫌悪は、肥大して精神を蝕み始めていた。寂寞は私の魂から輝きを奪い去り、理性を突き崩した。
ある日の夕方、私は丈夫なロープをアパートの天井から下げて、首を括った。
人生最大の不幸はその時に起きた。
気管を圧迫された息苦しさと、体重全てがかけられた首の骨が折れる音。力を失い、ただぶら下がるだけの肉塊に成り果てる体躯。部屋の寒さに同化していく体温。弛緩した膀胱から滴る尿液。
その時、私が感じたのはかつて無い悦楽だった。
永久にこの快感を味わいたいと願いを喚起するくせに、次の瞬間には終末を運命付けられた究極のオーガズム。
それは、死そのものだった。それを悟るのと同時に、意識は闇へと沈んだ。
私は海底へと沈んでいく道程にいた。
水面へと差し込む光が、深度が増すにつれて屈折し、乱反射し、やがて余りにも深い蒼に埋もれて見えなくなった。
私は限りなく沈んで行く。海水は冷たく、皮膚を貫いて体内まで染みてきそうだ。時折周囲を通り過ぎていく魚影は私に見向きもしない。この体が、まだ彼らの食欲を刺激するのに至らないのであろう。腐敗が足りないのだ、と私の思考は思いのほか冷静に分析する。
やがて、何処かの海底近い場所の岩場に私は行き着いた。両足に縛り付けられた鉄の塊が唯一重力を主張しているのを除けば、体躯は完全に浮力に弄ばれていた。
私は漂う海藻のように、上も下も無い海の中で直立していた。体の細胞の一つ一つが光を渇して水面へと上り行こうとするが、足首のおもりはそれを許さない。
私はこの海の底で、静かに朽ちていくのであろう。魚に食まれ、波のうねりに洗われ、この体から少しずつ肉がそぎ落とされ、やがて骨すらも風化して、海に同化する。
嗚呼、なんという幸福なのだろうか。かくも静かな終わりの景色もある。
自ら選んだ終焉は、終わりにはならなかった。
再び目覚めると、私は自分の肉体にはいなかった。目覚めたのはどうやら、魂だけのようであった。
おまけにその体は酷く不自由で、自分の意思では全く動けなかった。更に奇妙なことに、まるで体温を感じないのだ。呼吸によって生み出される熱が、私の体には存在しなかった。
至極唐突に私は気づいた。この体は死んでいるのだ。私は死人の中にいた。
そして、私の魂を宿した死人の肉体は、かつてそれを愛した人々によって丁重に葬儀に付される。その間中、私は何度と無く絶頂に達する快感を味わった。魂だけに成り果てでも、私の歪んだ欲望はなんら形を変えなかった。
やがて、肉体が完全に朽ち果てて世界から消えると、私の意識も途絶える。
目を覚ませば、其処は異なる死の情景、という塩梅だ。時空の概念を超えて、私の意識は様々な死に入り込んだ。怪奇な風習を持つ土着民族の元に至ることもあれば、流行の宇宙葬とやらで、星の上からばら撒かれたこともあった。
私の魂は半永久的に虚空を漂い、途絶えることの無い悦楽に何度も晒されるだろう。その度に自我の矜持を粉々に打ち砕かれ、懊悩のうちに激しい自己嫌悪に苛まれる。
解脱は無い。終わりは無い。輪廻の中で繰り返される様々な人間の死の瞬間を渡り歩いて、私は永久に存続する。
尽きることの無い快楽と責め苦、それは果たして神が与えた罰なのか、それとも許容なのか。
考えはそこで潰える。私の魂は、骨格すら消えうせた誰かの肉体から引き抜かれて、次なる煉獄と天国が共存する場所へと向かう。
次の死は、どんな色なのだろうか。
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2007/01/06(Sat)00:54:22 公開 / 夜
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■作者からのメッセージ
テスト迫る中、現実逃避第二弾です。
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