- 『Engagering 永遠の絆 』 作者:緋之烏椿 / ショート*2 恋愛小説
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原稿用紙約16.8枚
冬も終わろうとしているのに今日はとても冷え込んでいた。
そのせいなのか、いつもは人で賑わうはずの公園も人気がない。
俺――中原 圭一はそんな公園のベンチに腰をおろすと、ネクタイを緩めて深く息を吸った。
そして、ポケットに入れておいた、彼女に渡すはずだった指輪をとりだして太陽に掲げる。
冬の柔らかい日差しを受けて輝く白銀のわっか。
その穴から覗く澄んだ空は、総てを吸い込んでしまうのではないかという妙な錯覚がして、恐ろしくなった。
俺の時間は止まったままだった。
肉体面ではもちろん進んでいるが、精神面は一時も進んでいない。
半ば遊びながら通っていた大学生だった頃も、小さいながらも立派な会社に就職した今も、ほんの少しも俺は変わっていない。
世界はまるで抜け殻だ。
少なくとも、今の俺にはそう見える。
彼女のいない世界にどんな意味があるのか、俺にはわからない。
彼女はいない。
それが俺の時が進まなくなってしまった原因だ。
俺は止まった時を再び動かすために彼女の墓参りに行こうと思った。
その墓石は他のものと比べて真新しく、柔らかい陽光を浴びて優しく白く輝いていた。
彼女の姓が刻まれた、彼女の眠る墓。
俺はその墓石の前で静かに手を合わせた。
でも、そんなことをしても彼女が、死んだなんて認められなかった。
もう一度静かに手を合わせて目を閉じた。
彼女はまだ生きている。
どこかに隠れていて、いつもみたいに俺を驚かせようとタイミングを計っているだけだ。
心の隅で思っても本当はわかっていた。
彼女はもう、いないこと。
だから、もう彼女のことを思ってはいけないこと。
俺は指輪を墓前に置いて、帰ろうと振り返えった。
女性が立っていた。
俺ははじめはそんなこと気にも留めなかった。
だけどなんとなくその女性の顔を見て心臓が止まってしまうのではないかと思うくらい驚いた。
俺のよく見知った、だけどもう二度と見ることのないと思っていた彼女だった。
「美夜……」
俺は女性に、彼女――天崎 美夜の名前を呼んだ。
闇よりも黒い、長い髪も、雪を思わせる白い肌も、満開の桜のような紅いの頬も、何もかも美夜によく似ていた。
いや、天崎 美夜そのものだった。
だが、女性は悲しげに首を横に振った。
「圭一さん、ですよね? いつも姉からお話を伺っていました。あっ、私は美夜の双子の妹の美月です」
勘違いさせてしまってごめんなさい。そういって女性は俺に名刺を差し出した。
俺はいつも会社でやっているように名刺を受け取る。
でも、その間も女性の顔から目を離すことができなっかた。
名刺を差し出すその動作も彼女と同じだった。
しかし、名刺に目を落とすと落胆した。
その名刺には、天崎 美月と書かれていた。
彼女ではない。
当然だ。彼女はもう死んだのだから。
でも、信じられなかった。
此処まで似通っているのに、美夜と別人だなんて。
それに、美夜に双子の妹がいるなんて初耳だ。
「あの、立ち話もなんですし、どこか入りません?」
美月さんの提案を受け入れ、近くのファミリーレストランに入った。
安っぽい店内をウェイトレスの案内で少し歩いて窓際の席へ座ると俺達はおかわり自由のコーヒーだけを注文した。
「……あの、すみません、美夜と間違えてしまって。美夜ではないことくらい、わかっていたのに」
だって、美夜はいないのだから。
でも、俺は本当にわかっていたのだろうか?
美夜ではないことを。
俺は、まだ美夜が生きている、なんて本気で思っているのだろうか?
「……美夜は、姉はよく圭一さんの話を私達家族に話してくれました」
美月さんはゆっくりと口を開くと、言葉を紡ぐように発した。
「驚かしがいのある、面白い人だって」
俺の目を見て上品に笑う美月さん。
美夜の豪快な男っぽい笑い方とは全く違う。
しかし、その美夜とは違う笑いもすぐに消えてしまった。
「だから、本当に信じられないんです。あんなに毎日、楽しそうに、幸せそうに大学のこと、……圭一さんのを話していた姉が、死んじゃったなんて……」
美月さんの声は最後のほうに力がなく、崩れてしまうのではないかと思った。
俺だけじゃないんだ。
美夜が死んだって信じられないのは。
「美夜は毎日、何かと俺を驚かせようとしていました。というか、俺はいつも美夜に驚かせられていました。だから今日、美月さんと美夜のお墓でお会いした時、美夜が俺を驚かせようとしに来たのかと思いました」
そんなはずないんですけどね。そう言って俺は笑った。顔が熱い。恥ずかしさで顔が赤くなるのが自分でもわかる。
美月さんは驚いたように目を大きくしたが、すぐにクスクスと笑い出した。
「あの姉なら充分ありえますよね。昔から人を驚かせようとするのが大好きな人でしたから」
昔から、か。
そういえば、俺は美夜の子供の頃のことを何も知らない
「美夜は昔、どんな子供だったんですか?」
なんて無神経なことを言ったんだ、俺は。
時間が戻せるなら、今の発言を取り消したい。
……いや、美夜の死を取り消したい。
「姉の子供の頃、ですか……?」
美月さんから笑顔が消えた。
当然のことながら、まずいことを聞いたようだ。
「すみません、やっぱり――」
俺は取り消そうとしたが、美月さんが遮った。
「妹の私が言うのもなんですが、少し変わっていましたが、賢い子供でした。大学生になっても全然子供みたいでしたが」
そう言って、また上品な笑顔を浮かべた。
「小学生の頃、出掛けさきで迷子の子がいたんです。姉はその子を交番まで連れて行く、と言って、歩いて行って交番にたどり着けないでその子と一緒に迷子になったり」
美月さんは美夜との思い出を淡々と俺に話してくれた。
美月さんの語りは段々と表現力を増していった。
何故だろうか?
話を聞いているうちに、俺はまるでその場に居たような不思議な気持ちになった。
いたずらに失敗して怒られた時のこと、男の子と決闘をして勝った時のこと。
悲しかったことから嬉しかったことまで、美夜との思い出を懐かしむように美月さんはゆっくりと話してくれた。
そして、一通り話し終えると美月さんは「本当、姉の人生は幸せそのものでしたよ。きっと」と呟いた。
俺は美月さんのその呟きに気付かなかったふりをした。
俺には、何も言うことが出来ないから。
美夜の人生が幸せだったなんて俺には断言できない。
「そうだ。今度は圭一さんの話をしてください」
美月さんは唐突に言った。
「えっ?」
「姉が居なくなってしまってからの圭一さんの話を」
俺の話?
時間が止まってしまってからの俺の?
何を話せばいいんだ……?
「……俺は、今も美夜が死んだなんて信じられないんです。美月さんが美夜と別人だとも思えなくて……。だってあんなに楽しそうに笑っていた美夜が……」
目頭が熱くなっていく。
言葉にできなかった思いが涙とともに溢れ出していった。
俺は美夜が死んでから初めて美夜のために泣いた。
それは、美夜の死を自然と認めている行為だった。
「よかった。姉は本当に幸せだったんですね。今もこんなに圭一さんに思われていて。世界一の幸せ者です、姉は」
美月さんは俺に優しく微笑んだ。
「あっ、そろそろ行かなくちゃ」
外はもう日が傾いているようだ。
「じゃあ、出ますか」
俺は涙を拭って立ち上がった。
店を出ると痛いくらい冷たい風が吹いていた。
「すみません。割り勘だなんて」
俺が言うと美月さんは笑った。
「いえ、そんな。私、恋人じゃない人には奢ってもらわないって決めているんで」
俺はそれを聞いて笑ったが、自分でも顔が引きつるのがわかる。
美夜は誰に対しても奢れって煩かったけ。
そんな美夜と美月さんが姉妹だなんて思えない。
美夜と美月さん全然違うんだ。
「それじゃ、私、行きますね。今日は本当にありがとうございました」
美月さんは手を振りながら歩いて行った。
やがて、その姿は人込みに消えた。
俺は一人、あの公園に戻った。
ベンチに座って、遠く、ビルの隙間を窮屈そうに沈んでいく太陽を眺めながら美夜と出会ってからのことを思い返した。
すべてが、鮮明に思い出せる。
くだらないことで笑いあったこと、一緒にご飯を食べに行ってお互いのおかずを取り合う攻防戦をしたこと。
どんな時も美夜は笑っていた。
たくさんの思い出の中の美夜は美月さんの言うとおり幸せだったんだ。
そうやって思い返すうちに美夜との思いでも最後のひとつとなった。
最後は、美夜の葬儀の時のこと。
生前、明るい性格だった美夜の葬儀にはたくさんの人が集まって、美夜のために涙を流していた。
俺は、美夜が死んだとあの時は認められなくて泣くことも出来なかったけど、遺族の人もみんな泣いていた。
美夜の父親も、母親も……あれ?
あの日あの席に”彼女”は居ない。
何でだ?
――俺はなんとなく、起きるはずのないことが起きている気がした。
だから、美月さんが消えて行った方角へ走り出した。
俺は美夜の墓へ向かって走った。
美月さんはそこに居るような気がして。
夜の闇が辺りを包み込もうとし始めた頃にようやく、美夜の墓へ着いた。
案の定、彼女はそこにいた。
俺は荒くなった息を整えた。
「美夜ー!」
俺は美月さん、いや、美月と名乗った女性に向かって大きな声で叫んだ。
彼女は俺に気が付いた。
「だから私は美月です」
彼女は言って困ったように苦笑した。
でも、俺はもうそんな嘘に騙されたりはしない。
「美夜は両親と三人家族だ。兄弟なんて、ましてや双子の妹なんていない」
彼女は笑った。
「やっぱり圭一は凄いよね。嘘を見破る才能がある。ばれないと思ったんだけどな。圭一が言ったとおり、私は美夜だよ。どうしてわかったの?」
俺はすべてを話した。
美夜の葬儀の時、美月さんは遺族の席に居なかったこと、遺族の挨拶で美夜の父親が「美夜という大切な一人娘」と言ったこと。
「普通、大事な席でそんな冗談言わないだろ」
俺が言うと、美夜は生前と同じように豪快に笑った。
「せっかく名刺まで作って完璧に美月を演じたのに。全部無駄になちゃった」
あはは、と笑った美夜にひどく怒りを覚えた。
「どうして最初から美夜だって名乗ってくれなかったんだ」
俺は怒りを抑えて言ったつもりだった。
だが、美夜は怯えるようにビクリと身を震わせてから俺の方を向いて弱々しく笑った。
「だって、美夜として圭一に会ったら、ずっとここに居たくなるから……」
そのあとは言葉になっていなかった。
俺は、美夜を優しく抱きしめた。
「美夜。ずっと指輪を渡そうと思ってたんだ」
俺は言って、自分の懐を漁った。
が、
「墓に供えてきたんだった。悪い、取ってくる」
俺は美夜の体を抱く腕を離すと、目の前にある美夜の墓へ向かった。
「圭一、こんな私を今でも大切に思っていてくれてありがとう。でも、もう――」
「え?」
後ろに居る美夜の声は木々を優しく揺らすほどの弱い風に攫われて、最後まで俺の耳には届かなかった。
「なんて言ったんだ?」
俺は指輪をとりあげて振り返った。
「……美夜?」
俺が振り返ると美夜の姿はどこにもない。
「美夜!」
何度呼んでも、美夜が返事をしてくれることは、なかった。
でも、涙は流れなかった。
美夜は俺の時を動かすために姿を現したんだろう。
だから、俺の時が進みだした今、美夜は安心して逝ってしまったのだと思う。
俺は何をするでもなく、ずっとその場に立ち尽くしていた。
「美夜、また今度会えたら必ず指輪を渡すよ。いつか、また会えたら、な」
幾つかの星が輝きだした雲ひとつない夜空を見上げ、呟いた。
また美夜と会えますように、と願いながら。
彼女が亡くなったて丁度一年の今日、再び俺の時は動きだした。
そして、止ることは二度となく、最後まで走り続けた。
その後、指輪はずっと俺の手元にある。
持ち主のないままずっと。
冬の柔らかい日差しを受けて輝く白銀のわっか。
その穴から覗く澄んだ空は、君と俺を永遠に繋いでいる。
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■作者からのメッセージ
背景描写がかなり薄いです。
どなたか、改善策をくださると嬉しいです。
一月八日 表現など少々訂正。