- 『刑事ダンス[decadence]』 作者:時貞 / ショート*2 ショート*2
-
全角3516.5文字
容量7033 bytes
原稿用紙約10.4枚
東京東部のごく端っこに位置するしみったれた警察署――その名も《へそ曲がり署》の刑事課では、今日も刑事という名ばかりのゴロツキたちが、おおいに暇をもてあましていた。
「ああ、それにしても暇だねぇ。何かこう、世間がぶっ飛ぶようなとんでもない大事件でも、この管内で起こらないかしらん」
顔は童顔ながら頭頂部が薄っすらと禿げ始めている、小太りの刑事が小指を鼻の穴に突っ込みながらつぶやく。
「そんなもん無い無い。俺がこの場末の警察署に配属されてからというもの、世間の話題にのぼるような事件なんぞたった一件だって起こってワイナイナ……もとい、ないわいな」
白髪を短く刈り上げた、小柄な中年の刑事がそれにこたえた。くたびれた灰色のスーツはところどころ染みができており、皺くちゃのネクタイをだらしなく垂らしているその様子は、ベテラン刑事というよりもむしろ年配の失業者を連想させる。
机の上にだらしなく脚を投げ出して、雑誌に読みふけるアフロヘアの若手刑事。神経質そうに何度も眼鏡の位置を直しながら、ポータブルゲーム機と格闘する癲癇病者のような刑事。ドラマに登場する刑事部屋のような緊張感がまったく欠如したこの部屋では、世間より遥かに遅れた速度で時間が流れていく。
それまでカップ麺をむさぼっていた一人の刑事が、勢いよく立ち上がってこう叫んだ。
「ああ! 本当にここは平和で平和で、暇で暇でたまんねえぜ! 誰でもいいから殺人事件でも起こしてくれよッ」
とても現職の刑事の発言とは思えない。それを受けて先ほどの年配の刑事が、「殺人事件なんてあるわきゃねえだろう。先月の事件だってたったの二件。――それも婆さんによる万引き事件と、リストラされて自棄になった中年サラリーマンが、駅構内で暴れて自販機をぶっ壊した事件だけだったじゃねえか」
投げやりな口調でそう吐きすてた。
スポーツ新聞の占いコーナーに目を落としていた一人の刑事が、突如ガバリと立ち上がった。その弾みで薄汚れた椅子が、大きな音を立てて後方に倒れる。
「ん? どないしたんや、クマさん」
クマさんと呼ばれたその刑事――熊田虎太郎は、その名にふさわしい巨躯を小刻みに震わせながら、口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。身長一八五センチ、体重一三○キロ。パンパンにせり出た下腹部が、いまにも白いワイシャツのボタンを弾き飛ばしそうな勢いである。三十代半ばでありながら、典型的な成人病予備軍であった。正規軍に昇格する日もそう遠くない。血糖値と尿酸値、それに血圧や中性脂肪の話題などを振られるのがもっとも嫌いな刑事であった。
熊田刑事はさも硬そうな無精ひげを撫でながら、スポーツ新聞を机上に投げやると、部屋中に響き渡る大声でこう叫んだ。
「ラッキー、ラッキー! 今日はついてるぞぉ。おとめ座の運勢、『何か大きな事件やトラブルに巻き込まれる可能性があります』――だってよ!」
正常な感性の持ち主であればとても喜べるような内容ではない運勢だが、熊田刑事にとっては飛び上がらんばかりに嬉しい事柄であるらしい。
「ほう。大きな事件やトラブルねぇ……」
年配の刑事がそうつぶやいた直後、刑事部屋の置き電話がけたたましく鳴り響いた。アフロヘアの若い刑事――どうやら彼がここでは一番の新米らしい――がおもむろに受話器を取り上げる。電話の向こうの相手と何やら二言三言交し合ううち、若手刑事の顔色がみるみる変わっていった。
彼は送話口を手で押さえると、硬い口調で皆にこう告げた。
「駐在所の巡査からです。先ほどA川の河川敷で、変死体が発見されたとのことです――」
*
「ラッキー、ラッキー! おい、本当についてるじゃねえか! なぁ、横山」
熊田刑事は、後部座席にドシリとふんぞりかえりながら上機嫌であった。ハンドルを握っている横山と呼ばれた男は、先ほど刑事部屋でポータブルゲームに夢中になっていた、さも神経質そうな外見の刑事である。
「いやぁ、さすがの僕も驚きましたね。まさか自分の管内で、こんな事件にぶつかるなんて。クマさんの今日の運勢、まさにズバリ的中だったじゃないですか」
「ふっふっふ……。だろ?」
熊田刑事は優越感に浸りながら、長く飛び出た鼻毛を抜き始めた。そして、抜き終わったソレを運転席の横山刑事の方へと吹き掛ける。
「うわッ、きたね! ちょ、ちょっとやめてくださいよ」
「わっはっは、いいじゃねえか。ようやく刑事らしいお仕事ができるんだからよぉ」
「ぜんぜん関係ないッスよ! ったく」
「おいおい、ちゃんと前見て運転しろよ」
二人がそんな冗談を言い合っていると、助手席の上に置いてあった横山の携帯電話が鳴りはじめた。横山は路肩に車を寄せると、携帯電話を取り上げて通話ボタンをプッシュした。
「はい、横山です。――あ、課長ですか。はい、クマさんなら後ろにいますけれど……」
そう言って後部座席に目を向ける。熊田刑事はしきりに自分の携帯電話を探していたが、やがて鞄の隅から取り出されたそれには、見事に電源切れの表示が照らし出されていた。
「クマさんの携帯、バッテリー切れだったみたいッス。……はい、新しい情報ですか? ええ。……はい? ちょっと聞き取りにくいんですが…………えッ! バラバラ?」
「バッ、バッ、バッ、バッ、バラバラだぁぁぁ――!」
驚きとともに、熊田刑事はその場で阿波踊りを踊りだしたい気分に駆られた。こいつは予想していた以上に大事件のようである。デカデカと全国紙の紙面を飾り、ワイドショーでも大々的に取り上げられ……。
「お、お、お、おいッ! 横山! は、早く現場に急行しろ! とにかく急げ! ぶっ飛ばせッ」
「は、はぁ」
「<はぁ>じゃねえよ。とにかく一刻も早く現場に急行しろ!」
横山刑事はブツブツ小言を言いながらも、アクセルを深く踏み込んだ。
*
A川の河川敷に到着すると、熊田刑事は転げださんばかりの勢いで車から飛び降りた。川面から吹き付けてくる寒風に目を細めながら、二人の刑事は待ち受けていた一人の巡査に導かれ、足早で現場に向かった。
「ご苦労様です。私の相方の巡査が、現場保存をしておりますので」
「うむ」
熊田刑事はしかつめらしく頷くと、内心で喝采を叫びながら歩を早める。
百メートルほど進んだところで、制服警官の姿を認めた。そしてその足元には、《いかにも》といった印象を感じさせる物体が転がっている。
「あ、クマさん」
熊田刑事は、たまらず駆け出していた。
「バーラバラ、バーラバラ、バーラバラ……」
待ち番をしていた制服警官が、敬礼のポーズを取って熊田に挨拶する。
「ご足労様です。自分が巡回中に発見いたしました。まずはガイシャをご覧になりますか?」
「う、うむ」
そう言われて、熊田刑事ははじめて制服警官の足元に目を移す。そこには、右側を下にして横たわる、青年男性らしき遺体が見受けられた。褐色の肌や髪質から察するに、どうやら日本人では無いようである。だが、しかし――。
「……へ? これが例のガイシャ?」
熊田刑事は、遺体をまじまじと見つめたまま質問する。
この遺体には、胴体にしっかりと頭がついている。
両腕もしっかりとついている。
両脚もまたしかり……。
「おいおいおいおい、コイツのどこがバラバラなんだっつーの?」
制服警官が、精悍な顔をさらに引き締めながらキビキビとした口調でこたえる。
「はい! 自分も正確な発音には自信がありませんが、どうやら《バラバラ》ではなく《バルバーラ》と読むようであります。身に着けていたショルダーバッグから、こいつが転げ落ちておりました」
そう言って差し出したものは、どうやらパスポートのようであった。
「えーと、ガイシャはどうやらインドからの旅行者で、ヨルグ・バルバーラという名前の男のようですッ」
熊田刑事は思わずつぶやいた。
「ああ、そういうオチだったのね……」
ようやく駆けつけてきた横山刑事が、熊田の背後で何やら話している。どうやら携帯電話を使っているようだ。力なく振り返る熊田に向かって、横山は携帯電話を折りたたみながらこう言った。
「クマさん、どうやら我々もバラバラのようです」
「――へ? 俺たちが、バラバラ?」
「へそ曲がり署が、今年いっぱいでつむじ曲がり署に統廃合されるそうです。我々の刑事部屋は解散され、皆地方に転属されることが決まったそうです。……ちなみにクマさんは、登別だとか……」
作者自身も思わずつぶやいた。
――ああ、そういうオチだったのね…………。
了
-
2006/12/21(Thu)17:32:00 公開 / 時貞
■この作品の著作権は時貞さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
ほとんどの皆様はじめまして、です。こちらに投稿させていただくのは約半年ぶりくらいでしょうか……。すっかり小説ばなれしてしまっていて、これだけ短い物を書くにも四苦八苦してしまいました(汗)やはり書き続けていないと、どんどん書けなくなっていってしまうものですね(汗汗)稚拙な文章のうえに、本当にバカバカしい内容の話しでお恥ずかしい限りですが、ご意見などいただけたら幸いです。物凄く嬉しいです。それでは、よろしくお願い申し上げます。。。