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『雨月の温泉宿』 作者:オスタ / 時代・歴史 未分類
全角5128文字
容量10256 bytes
原稿用紙約14.15枚
初めて挑戦するジャンルなので不適当な部分が多々あると思うので、ご指摘、感想、批判のほどよろしくお願いします。
 朽ちた心に爛れた体、濡れた髪は無様にも垂れて視界はすっかり狭まっている。足下の震える水たまりに映る人の影、それが私自信であると自覚するまでに驚くほど時間がかかった。何とも情けない少年の姿であった。
 誰が信じようか、私がこうして山道を傘もささずに一人で進んでいるのは全ては女の仕業であることを。当初は自殺するつもりでこの山に入ったのだ。手ぶらで高尾のあたりから歩き続けて十日目、三日も歩けば自然と死が訪れるであろうと予測して私の十七年の勘は外れた。やはり未熟だった。人より幾分小さな私の心を寿命と決めつけ、死ぬことを夢みながら歩き続けたわけではあるが、いつのまにか土は食うし、そこらにわき水が流れていれば口を濯ぐなどをしている内に長々と生き残ってしまった。
 山は怒っていた。ばきばきと木はしなるし、地面は滑るように崩れども、私は常に安全な所に立っていた。山の麓には電車が通り、高く飛び、身を投げてしまえば楽だろうが、そのような勇気さえも私の中にはこれっぽっちもないのであった。もう死んでもよい頃だ。そろそろ長旅にも飽きてきた。体はすっかり痩せこけ、何日も続いている雨に体はすっかり冷えていた。凍え死ぬなら今しかない。夜はだいぶ冷えるようになってきた。台風でも近づいているのか、強風で度々木の根に足を取られて体を強く打つも、死は全くもって揺れ動かなかった。ここまで不幸な男は果たして私以外に存在するのだろうか。
 おぼろげな視界の先にぼんやりと二つのぼんぼりの光が風に跳ねていた。まるで私が近づいてくることに震え上がっているかのように騒がしく揺れていた。宿だ。かなり豪華な宿だった。こんな山奥に宿などあるものか、これこそ閻魔がいるという小屋なのかと私は錯覚したが、暖簾の湯の字に後方から立ち上る湯煙を認めてしまうと、何だか死は遠ざかっていくようであった。そこは傷を癒す、いわば天国のような場所のようであった。
 黙って通り過ぎればただそれだけでしかないであろう。ただ、そこに寄らずにはいれなかった。土だけの生活は余計に普通の食べ物への食欲のようなものを本能的に呼び覚ましていた。
 一人静かに騒がしくしていると、いつの間にか一人の女が両開きの硝子の扉を少し開けてこちらをじっと見ていた。半分だけ見える顔の一際目立つ彼女の赤い唇は強姦をしてでも奪いたくなるような大人の誘惑を思わせ、私の下半身は強く反応した。が、しかしどうも彼女はまだ若く、処女であるに違いないと自覚したために、その衝動はいっきにしなびて、私の髪のように垂れてしまっていた。全くやる気のない性欲であった。
「お暇ならお入りなさい。それなりのご馳走のもてなしと気の聞く女中がおいでだよ」
 私に財布などというものはなかった。当初の目的は自殺だったのだから。
「お金がないのです。しかも着替えもない。私は単なる汚物にすぎません。あまり気を使わないで下さい。少し、この宿の明かりに温まりたいのです」
 いつ死が来てもよいように私はつかの間の幸せを肌で感じた。
「何をおっしゃる。ここはあなた様のような顔立ちの良い男をただで受け入れておりまさてね、もしよければおいでなしてほしいのですが」
 顔立ちの良い男。私はそのような部類の男として彼女に分別された。嬉しいと思う反面、それは人間を差別しているようで私にはしっくりとこなかった。この女の目にはそれを正確に分ける能力など果たしてあるのだろうか。いや、私には到底そうには思えなかった。なんといってもこの女はまだ幼い。男を知らなさすぎている。同じ年くらいの私が言えたことではなかろうが、経験がないのは確かに感じられた。
「いや、全然。こんなにもひどい姿で私を美しいと言って下さるとは、何とも不思議な心地が致します。いやはや全くです。こんな身でもよろしいのですか」
 いつの間にか、私はこの女に命乞いをしていた。急に体の中を熱い生き血が流れたような気がした。生きようとする私の本能とはこのようなものかと改めて自覚した。生きたい。私は目に涙を溜ながら女の答えを待った。
「もちろんですとも。私には分かります。あなたの眉を見ていい男であると瞬時に感じました」
 眉?私は思わず自分の額に指を触れた。いつも通りの濃くて太い眉がそこにはあった。強風にあおられ、海の中の海草のようにゆらゆらと揺れていた。
「手入れをなさっているのでしょう?どんなにひどく、身が変わってしまってもあなたの顔に堂々と生える眉は真実を語ります。最も、眉が焼け焦げてなくなってしまえばどうすることもできませんが」
 女は大人の顔で軽く微笑んだ。なんとも憎らしくも美しい、心を打つ笑顔であった。が、私はこの女を一生愛することはないだろうと確信した。
「さ、どうぞ中へ。凍えてしまうでしょう。冷めてしまったものをまた温かくするのはそう容易ではございませんよ」
 女の言うことは確かだった。恋なども全くもって同じことであった。私はずぶれの服を身にまとったまま、目の前の館の中に入っていった。
 玄関はまるで民家のような作りになっていた。適当な大きさの石が地面にびっしりと敷き詰められ、その上からコンクリートなどで固められている。色の濃い木の板がコの字に置かれ、入って右側に小さなげた箱があった。下の段には幼児の靴が二組ほど、そして革靴とスニーカーがいくつか置いてあった。外から見た時は気づかなかったが、どうやらここは民宿のようであった。確かにこの部屋のどこかで子供のはしゃぐ声が聞こえる。その声は何だか無理して笑っているように細々としていて不安が胸を締め付けるほど、非常に聞き苦しい声であった。
「何か気になるものでもございましたか?」
 女は靴を脱ぎかけている私に向かって優しく声をかけた。この女は勘が鋭い。なるべく自然なふるまいで子供の声を聞いていたのに、そるに気づいてしまうなんて。なんだかその女は人間ではない、別の何かのように見えてきて仕方がなかった。
「いや、大したことではないのだか……この家には子供が住んでいるのですか?」
 私は素直に尋ねた。しかし、女は私の言葉を聞くと一瞬にして顔色を変えた。どうやら聞かれたくない質問だったらしい。
「いますとも。しかしそれ以上のことはお教えできません。加えて、あなたはそれ以上のことを知ってはなりません。知るというのは恐ろしいことなのです。身のためです。私の忠告を素直に受け止めてくださいませ」
 女にそう促されると、私はますますそれ以上のことを知りたくなってきた。人間とはそういった欲張り者なのであった。
「恐ろしいこととは?死のことですか」
「いえ、それより恐ろしいことです」
 死より恐ろしいものがこの世に存在しうるのだろうか。最も私自身は死など全く恐れてなどいなかったが、もしかしたら知ることの先に存在するのは私をも恐怖の底に落としうるものなのかもしれない。
「分かりました。なるべく知らないようにいたします」
「あなたの興味を満たせなくて残念に思います」
「はて、死より恐いものか……それはそれは恐ろしいものなのだろう。想像がつかない。するとますます知りたくなるのだが」
「どうなっても知りませんよ。忠告は致しましたので」
 女は私を押しとどめるように非常に低い声で言った。それはまるで魔物のような音であった。いつの間にか女の目には一筋の線が縦に入り、蛇のような鋭い眼光を私に向けていた。
「ほほう。身の毛が立つ声色で何よりだ。どうせ死を望んで来た身です。ならばその謎、私が命をかけて解いて見せましょう」
「うぶな男だね。恐ろしや、恐ろしや」
 そう言い残すと、女は裸足でぽつりと立つ私を一人置いてどこかに消え去ろうとした。私は慌てて女に声をかけた。
「私はどこへ行けばよいのか」
 女は背を向けたままぴたりと止まった。そしてその状態で私に言った。
「三階の一番奥、クビツリの部屋をお使い下さいな。お夕飯は私があなたを呼びに行きますゆえ、それまで湯に使ったり、宿からの景色を堪能して待っていて下さい」
「分かりました。まことに不可思議な宿だ、ここは」
「来た者は皆、一夜も過ごさずにここを去ってゆきます。最も、こんな場所から急いで出て行っても行くあてなどなく帰ってくるのが落ちですが。まぁ、あなたならそんなことなさらないでしょう」
 女のこの言葉は私を褒めているのか、貶しているのか、区別はつかぬが、女がしたような差別には及ばないと感じて私は私なりに納得してみせた。
「こんな汚らしい男を救ってくれてどうもありがとう」
「いえいえ。同じ年頃の男、しかも死を望んでいるような男を目の当たりにしているのですから放っておくわけにはいきません。私もヒトのつもりです」
 私は女の古風に結った後ろ髪を眺めていた。乱れたうなじのあたりが私の落ち込んでいた性欲をゆっくりと起こした。
「ごゆっくり、なさって下さいね」
 女は行ってしまった。行ってしまったからには私は一人になってしまった。階段を探すのにあちらこちらを歩き回って何か秘密を知ってしまうだろうと予測していたが、正面の廊下の先にうっすらと木の階段が見え、私は少し安堵した。股間のあたりがにわかに温かく、アンモニアのような刺激臭が私の鼻孔を貫いた。
 本当の私は立っていられぬほどに恐怖に怯えているのであった。

二階より上では電気がつかなかった。闇の中を手探りで進み、ようやくたどり着いたクビツリの部屋。この部屋の名は客に恐怖を与えようと命名したのであろうか、趣味は良くないとは感じたが、そんなことに気を配っている場合ではなかった。鍵穴は獣の爪のようなもので気味悪くえぐれてもはや客室としての機能は不十分であることは明確であった。
 扉を開けてまず飛び込んできたのが、畳の間の卓袱台に並んだ五つの蝋の火であった。これがこの部屋の明かりなのだろう。五つもあればそれなりに部屋は明るく見えた。ふと私は中学の頃の修学旅行を思い出した。薄暗い部屋で先生にばれないほどに騒ぎ、好きな子の話やら怪談話やらをした懐かしい思い出がわき水のようにちろちろと溢れてきた。私は死を夢見ていたことを少しずつ後悔し始めていた。
 窓の外を眺める。台風による強い雨風が宿を情け容赦なくうち付け、私の体ごと跡形もなく崩してしまうような気がした。突風が吹く度に宿はぎしぎしとうなって小刻みに揺れた。私の立っている足下の床が抜けやしないかと、足の小指に力をこめた。しかしそんな小さな抵抗は全くの意味をなさないことは自明であった。
 私が下ってきた山の道の上、にわかにヒトの影が見えたように感じられた。私は旅を始めてから度々幻影を見るようになり、それもその一種かと思ったが、どうやらそれは現実に近いもののようであった。何しろその姿が私と同じ学校の制服を着た少女であったからだ。一瞬自分の目を疑ったが、変わる気配のない姿に私は認めざるをえなかった。しかし、なぜ。
 私は部屋の卓袱台の下に置いてあった洗面用具を手に持って流しのある一階へと向かった。階段を降りて正面に見える玄関に先ほど窓の外に見えていた少女の姿がそこにはあった。体中びしょ濡れで、私と同じ姿であった。
 ふいに私の耳元で赤ん坊が泣くような声が聞こえた。後ろを振り返ると、そこには何もなく、ただ声だけは階段の上へ這うように遠ざかっていった。まるで肉体をなくした霊魂が私にすがっていたような心地がした。私はほんの少し恐怖を覚えた。何ともないはずなのに私の唇はわなわなと震え、目の視点は定まらずに揺れた。
 再び前を向くとそこに少女の姿はなかった。玄関へと足を運び、私の見たものが真であることを確かめようとげた箱を探ったが、そこにはさっきと変わらぬ靴しか置いていなかった。少女が履いていたらしい靴はどこを探しても見つからなかった。私は不思議というよりもやがて恐怖心を覚えるようになってきた。
 ぴた、ぴた。廊下で裸足の歩く音が聞こえる。姿は見えないが、床にはじんわりとヒトから発するあぶらのようなものが跡となって残った。それは玄関の右の方、私が向かおうとしていた方向へと消えていった。私はおそるおそるその足跡を追った。するとそれは私の存在に気づいたのか、急にぴたりと止まり、音もなく足跡は途絶えた。
 すると今度は窓の障子を豪快に破り始めた。それもまた足の形をしていて、だんだんとその穴は上に向かっていった。そしてまたぴたぴたと、天井を歩き始めた。その足の跡は泥がついているのか、くっきりと白の壁に跡を残しながら進んだ。
2006/12/10(Sun)22:08:00 公開 / オスタ
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■作者からのメッセージ
三島由紀夫や川端康成あたりの表現を強く意識して書いたがゆえにこのような作風に仕上がりました。新感覚なので好きな人としっくりこない人との二極化すると思いますが、ボクは将来的にこのような作風をしっかりと築いていきたいと思っています。やっぱり日本の伝統的な作風というか、ボクは最近の現代文学に色々と疑問を感じているのでこの作風を磨いて、できれば文学界に新風を吹かせたいという野望もあります。そのためにも皆さんの感想は貴重な資料になりますので、どうぞよろしくお願いします。
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