- 『Dream Story 『第一〜三巻 戦闘準備』』 作者:黒烏 / 異世界 恋愛小説
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全角25664.5文字
容量51329 bytes
原稿用紙約82枚
いつもと変わりのない日常。そんな生活を何かが変えた。この先一体何が待っているのだろう。運命の歯車はもう廻っている。日常を侵食してゆきながら…
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『第一巻 運命の歯車』
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
「では、図書委員長前へ」
放課後、図書館では会議が行われていた。
みんなの前に出て話す委員長の名は“静川 美琴”(しずかわ みこと)
高校三年生のごく一般の女子高生。特に運動が出来るわけでもなく、全校上位クラスの学力を持っているわけでもない。
部活動は弓道のマネージャーをしており、掛け持ちとして華道もやってたりする。弓道のマネージャーはいくらでも居るので、週に三日は休みをもらっている。その三日間に華道をするというわけなのだ。
この図書委員には自ら立候補したわけではなかった。図書委員には「本を並べるのがめんどくさい」やら「昼休みや放課後残って本の貸し出ししなきゃいけない」とかのデメリットがあり、クラスにしようと思うものが居なかったため皆の推薦で決めることになった。
そして「大人しいから」「静かだから」と言う理由で決まってしまった。本人は別に反乱を起こしはしなかったが、「静か」「大人しい」と言う言葉に眉をひそめた。
静かではなくて、ましてや大人しいわけでもない。それは美琴の親友がよく知っている。ただ、人の話しについていけないだけで話さない(これが原因なのでは)だけなのだ。
という過程で、今、ここに立っている。
「では、これで図書会議を終わります」
待ってましたとばかりに一斉に皆立ち上がり、風のごとく図書館を出て行った。
(そりゃぁ、放課後まで残りたくないよね…)
と苦笑しながら後片付けをしようとした時、まだ一人残っていることに気が付いた。
「工藤君」
“工藤君”と呼ばれた本人は、名を“工藤 新平”(くどう しんぺい)という。
同じ結果で図書委員になってしまったクラスメートだ。本人は結構本が好きみたいで、何度か本を貸してもらったことがある。趣味が変わっているのか、悪いのか呪いの本や、昔の歴史や(特に日本史)マニアックで人が手につけないような本をたくさん読む(実際読まされた)。
美琴に好意があるのかないのか、人とあんまり話さない美琴に話しかけてくれる心優しい(?)少年だ。
「どうしたの?」
我先にと、図書館を出る人の波には乗らず残っているということは、何か用があるのだろう、と話しかけてみる。
「美琴に貸したい本があって」
ふと目をやると、分厚くて表紙からして古そうな本を持っている。
「この本は僕のお気に入りなんだ。ぜひ読んで欲しくて」
この人は何冊お気に入りがあるのかと苦笑してしまった。実際、前にも“お気に入りだから”と何回も本を渡されたことがある。
その様子を見て少し笑った新平は
「これは1番だから。きっと今まで読んできた本の中で1番新しいと思うよ」
「新しい?」
言葉の意味が分からなかったので聞き返す。
「見たことの無い本だってこと。きっと驚くよ」
「へ〜楽しみ!」
そこまで言われるとどんな本なのか見たくなってくるものである。
「はい」
新平から手渡された本を持って驚いた。
「おもっ!…何kgあるのよ」
見た目とは裏腹にとてつもなく重い。
「kgは大げさだけど、辞書の2倍はあると思うよ」
「辞書の2倍?!」
それは絶対1kgはあるだろうと確信する。“予感”ではなく“確信”
よく見れば古ぼけた本の表紙には、どこか国のものであろう文字が刻まれており、周りには装飾が施されている。昔は綺麗に本を飾っていたのかもしれないが、今はもう面影もなくなり鉄サビ同然で悲しいものである。
「これって何語なの?」
漫画やアニメのどに出てきそうな文字であるが、答えはやっぱり
「分からないんですよね」
決まっていた。
「この本の中も同じ文字なのかな?」
それだったら読めないだろうと、確認のため本を開こうとす
「駄目だ!!」
静かな図書館に響きわたるぐらいの怒声で、開きかけた本を手で止めた。
その声と動作にビックリしたのか、強張ったのか、恐る恐る新平の顔を覗き込む。
「ーっ、ごめん、大声出しちゃって」
すっと手を離し顔を背ける。
見てしまった
見てしまった
今まで見たことのない恐ろしい形相だった。
「わっ、私もごめん、ごめんね」
何か、とてつもなく悪い事をしてしまったような衝動に駆られる。
(怖い)
初めて新平の事をそう思った。
早くここから逃げ出したいという思いが溢れ出てくる。
「ごっごめん。私、家の用事があったの。早く帰らなくちゃ。じゃぁ、この本借りてくね」
バレバレな嘘をつき、急いで身支度をし終えると、マッハで図書館を出ようとする。
「あのさ」
ビクッと音がしそうなほど硬直する。
(あと、ドアまで少しなのに…)
「なっなに?」
振り向かず応える。
「本、家で読んでね。危ないから」
「うん。わかった。それじゃぁ!!」
最後の言葉はあえてスルーし、図書館を後にする。
(今日は部活休もうかな。友達には後で連絡すればいいし)
今日は華道があったのだが、こんな状態では冷静さを要求される華道は手に付かないだろう。
玄関を出ると辺りは綺麗なオレンジ色に染まっていた。
カラスも群れを成して家に帰っている。
(もうこんな時間なんだ。これから家に帰ったら真っ暗かなぁ)
美琴は電車通学で、家から四十五分掛かる。なので早朝に起き、弁当を作ってから朝食を食べ家を出る。
ちなみに家族は、単身赴任中の父、自分より起きるのが遅い母、小学校三年生の弟と、自分を入れて四人家族だ。
弟と歳が離れ過ぎているのはあえてつっこなまいで欲しいと母は言う。
(この本のこともあるし早く帰ろう)
帰ろう
いつもより少し重くなった鞄を持って
**図書館では**
新平は窓から美琴が帰っていくのを見ていた。
少し微笑みながら、これから始まる出来事をまるで観賞するかのように
「君を離したりはしないよ。どんなことがあっても。待ってて、僕の姫…」
最後は声が全く聞き取れず静かに図書館を出て行った。
*********
美琴が家に帰り着いたのは夜の八時であった。
たかが八時でもされど八時である。冬の八時は夏の八時と訳が違う。夏の間は、今の時間でもまだ明るく、友達と遊べたものだ。
美琴は家に入ると、要してあった温かいご飯にも目もくれず、一目散に自分の部屋に入った。
(ふっーやっとこの本が見れる)
本当のところ、電車の中で何度も本を見ようと試みた所、新平の顔が目に浮かんで断念せざる得なかった。
「美琴ー、制服着替えないとシワになるわよ〜。あと、ご飯も食べなさ〜い」
一目散に部屋に入った美琴を見て母の叱責が飛ぶ。
「わかってるー」
簡単な返事だけし、だけど制服は脱がずに本を手に取る。
(ごくっ)
息を呑み呼吸を整える。
バッと勢いよく本を開けた
その瞬間
ピカッ
「まぶしっ!」
真っ白い光が美琴を包み込み、視界を遮る。
「なにっ!」
一瞬だけ本の中身が見えた。
古ぼけた本の中の紙は、ずっと棚に眠っていたような薄い茶色をしていた。
ただそれだけ。
文字も何にも書かれてなかった。
ただの余白。
次の一瞬で美琴の意識は遠のいた。
『第二巻 出逢い』
次の瞬間、冷たい風に吹かれた。
少しずつ目を開けてみると、目の前には大きな木の柵があった。この先ずっと続いているらしい。
「何…ここ」
見たことのない景色に目を疑う。
辺りには綺麗な雪原が広がっていた。さっきまでは夜だったのだが、ここでは太陽が沈む夕暮れ時。少し肌寒い感じもするが、大丈夫。
そんな景色を観賞する余裕もなく、自分の置かれている状況に慌てふためく。
「ここ日本なの?」
何故こんなことになってしまったのか、泣きそうになりながら呟く。
こんなところにポツンと一人、心細いのはしょうがない。
その時、後ろから物音がした。
「!」
後ろを振り返ってみると、見るからに昔の足軽のような男が二人、こちらに来ている。
見た目、変質者のようなのだが、この際話しかけてみようと思う。
(言葉通じるかな)
顔は日本人の顔立ちなのだが、油断は禁物。
「あのぉ」
「不審なものが居るぞ!」
それは貴方達だろと思いながらも、やばい状況に居る事を改めて感じた。
男が叫ぶと、柵の上から茂みから、数人の男達が現れ、弓やら剣やらで美琴を狙ってきた。
「ちょっと待ってよ」
といっても待ってくれないのは事実なのだが、急いで逃げようと試みる。
しかし、雪に足をとられ上手く走れずに居る美琴を、男達はなれた足取りで距離を詰めていく。
(これじゃぁ、追いつかれちゃう)
生命の危機を感じながら、必死で走ろうとしている。だが、焦れば焦るほど足が深く雪に埋まってしまう。
男達はもう手を伸ばせば届くぐらいにまで迫ってきていた。
(もう駄目)
息切れと、恐怖からの足のもつれ、雪の邪魔で生きる事を絶望した瞬間
「伏せろっ!」
前から降ってきた言葉に考える暇もなく、反射的に身をかがめる。
すると、頭の上を何かが通過したような感覚が走ったのと同時に、後ろから悲鳴が聞こえてきた。
何が何だか分からない美琴は、ただただ目を瞑っている。
(こんなの夢!悪い夢よ!…だったたら悪夢だわ!も〜なんでこんな夢を見ちゃったのよ〜)
現実逃避している美琴に、若い男の声で話しかけられた。
「お前、何でこんなところに居るんだ!死にてぇのか?…おい、顔上げろよ」
いつまで経っても震えている美琴に、男は飽きれて言った。
「へっ?」
まさか自分に話しかけているのだと気づかなかった美琴は、気の抜けた声を発した。
少しずつ顔を上げ、やっと男の全身を見ることが出来た。
(誰だろ…この人)
その男は、髪が漆黒、瞳は深海を思わせるような深い青をしていた。服装は動きやすそうな感じだが、現代の服ではなさそうだ。
男に見惚れている美琴を見て、男は溜め息をつく。
「質問に答えろ。どうして敵地の周りをうろついてたんだ」
そういえば質問されてたんだっけ、と慌てて答える。
「えっと、私もよく分からないの。何故かここに居て…あの本…そう!あの本のせいなの!」
「はぁ?!自分が居た意味も分からないのか?!もしかしてお前『ここはどこ?私は誰?』の状態じゃないだろうな」
「記憶喪失なわけないじゃないですか!!」
初めて会った人にはまず敬語。これが基本である。しかし、ついさっきの状況から今、すっかり落ち着きを取り戻した美琴であった。
(そういえば、何でこの人と話してるんだろ。早く帰らなくちゃ)
こんな話をしている暇があったら早く帰りたい、と立ち上がり、服に付いた雪を払う。
その行動を見ていた男は、またもや溜め息をついた。
「逃げんじゃねーぜ。お前がこんな所に居る訳を全部離してもらおうじゃねーか。お前は敵の仲間じゃないか確かめたいしな」
敵だとか味方だとか、今の美琴には関係ない。“早く帰りたい=この人邪魔=無視”という方程式が成り立ち、その通り無視して、来た道を帰ろうとする。そしてこの男とすれ違ったとき
「ひっ」
小さく悲鳴をあげ、立ち止まってしまった。
つい先ほど、自分を追ってきた二人の男の悲鳴の意味が分かった。
美琴の目の前には、刀傷のついた二つの死体。しかし、奇妙な点があった。こんなに刀傷を付けられているのに、血の一滴も出ていない。出ているのは赤い煙。ただそれだけ。
この二人を殺したのはきっと…
「!」
カチャっと背中に何かを突きつけられた感覚がする。
恐る恐る目線だけを後ろに持っていく
「なっ、何する気!」
美琴の背に付き付けられた物は、転がっている二人を切ったであろう刀であった。その証拠に、長い刀身には二人の傷から出ているものと同じ、赤い煙がまとわり付いている。
「逃がしはしねぇぞ。敵かは切ってみないとわからねぇ。それを話しで済ませてあげようとしてんじゃねーか」
この男は予想以上に本気であった。顔の笑みは冷酷さを物語っている。
(ここで死んだら意味無いじゃない)
しょうがなく、この男に今までの経緯を話した。全てを理解してくれるとは期待していないが。
十分後、全てを話し終えた美琴は、人に話を聞いてもらうとスッキリするなぁ〜と一息している。
話を聞いた本人は、腕を組みながら頭の中を整理している。
「へ〜、じゃぁお前が言うには、ガッコウとか言う所のトチカンで、同じクラスのクドウシンペーに大きい書物を貰い、家で読んだ所、白い光が出てきて、目の前が見えなくなったと。んで、ここに居たと」
(なんとなく理解し出来てるし…トチカンって、土地勘?)
案外出来るかもしれないと思った瞬間
「お前、馬鹿か」
の一言で理想像は粉砕された。
「頭がおかしくなったんじゃねーの?あ!それか、相手を怯ませる作戦だったり…」
「違いますから!違うから!」
疑いの目を向ける男に対して、どうして信じてくれないのだと慌てる美琴。このままこの男のペースにのまれると、多分付いていけなくなり、側から見ると男の独り言みたいに見えるだろう。
急に勢いのなくなった美琴を、頭のてっぺんから足のつま先まで見回した。
「ふぅん。でも、本当かもしれないな。その服装、鎧も何にも付いてない、ただの布そうだし。武器一つ持ってなさそうだし…異国の女ってのも引っかかるものがあるしな」
「ということは?」
「まぁ、敵じゃないな」
「やったぁー!」
手を挙げ、バンザイをしている美琴に追い討ちをかけるように
「ちょっと着いて来てもらおうかな」
「はぁ?」
予想外の言葉を発せられ、呆けた顔をする。
(もしかしてナンパ?)
「嫌よ。誰が貴方と」
「このまま帰れなくても良いのかな。それに、また敵が来るかもしれないんだぜ。」
「うっ」
痛いところを突かれ、次の言葉が出てこない。
「なっ。着いて来たほうが得だと思うけど」
勝ち誇ったような顔をし、なんともムカつく顔である。
「名前は?名前の知らない男の人に着いて行くのは変ですよね」
一応聞く。この男が登場してからずっと“この男”では、なんとなく嫌な感じがするから。
「…人に名前を聞くときは、まず己が名乗らなければならないと教わらなかったのか」
そう言われても、現代ではそんな事を教える学校なんでない。ましてや、人に名前を聞いたとき、こんな事を言う人なんて滅多に居ないと思われるのだが。
「あっ、私は静川美琴といいます。十七歳です」
なんとなく歳も言ってみた。
この男は見た目からして、同年齢か、一つ二つ上だろう。
「俺は芥川 智長(あくたがわ ともなが)。歳は十八だ」
「長っ」
「お〜ま〜え〜」
別に名前が長いとか言っていないのに、直感的に判断したようだ(本当は、名前のことで言った)。
自分の名前を見縊られた様な衝動が、智長を怒らせる。
「ごめん、ごめん。やっぱ歳は上だったんだね。今は十一月だから、あと四ヶ月で同い年になるよ」
誕生日が三月なので、あと四ヶ月。
「ジュウイチガツ?ヨンカゲツ?」
あっ、と気が付く。ここでは陰暦を用いらなければならないのだ。ここが日本ならの話しだが。ここでの十一月は昔の霜月にあたり、三月は弥生にあたる。
(やっぱ昔の日本なのかな?)
「えっと、今が霜月でしょ、私の誕生日は弥生なの」
「は?今は師走だぞ」
「師走って…十二月?!」
現代も冬に入ったが、まだ十一月中旬だった。思ってみれば、十一月はこんなに雪も積もらないし、身体の芯から震えが起こりそうな気温でもない。
(時間がずれてる)
もしかしたらこうしている間にも、現代の時間は進んでいるのかもしれなかった。自分の体は今もなお、部屋で倒れているのかもしれない。その自分を母が心配して、救急車をよんで…
「急いで帰らなくちゃ!」
突然、パニック状態になった美琴を見て、智長は
(やっぱり、イカれてる)
と思うのであった。
「そんなに焦ったって、帰れねーもんは帰れねーんだから」
の言葉で片付けてしまう。美琴には悪いが、このままにしても帰る道が現れるわけがない。止まるよりか、前に進んだ方が良い。そう智長は思う。
「うん…」
頭に思い描くのは家族や友達。今頃、何をしているのだろうか。
「ハクシュン!」
一際大きいくしゃみをした美琴は、小刻みに震えており吐息も白い。そうなるのも無理はない。こんな極寒の地に、冬の制服だとしても、身も凍るような風を弾き飛ばせない。肌身に直に伝わってくる。もともと短いスカートを長く加工できるわけでもなく、足の露出した部分に、突き刺すように風が吹く。
「なんだこれ」
美琴の履いているスカートが珍しかったらしく、ピラッと捲ってみる。
「な!何なのよ変態!!!」
バチーンと良い音を立て、智長の頬を平手打ちした。
「いってぇ!何すんだよこのアマぁ!」
頬に赤い手形の余韻を残し、自分がしたことの失態について逆ギレする。
「何って、スカート捲りする男なんて久しぶりに見るわよ!」
寒い上に、頬が冷たいのもあって、ヒリヒリする頬を摩りながら智長は
「早く行くぞ!風引く前にな」
「うっうん」
どこに行くのか知らないが、一応智長の後ろに着いて歩く。
「あっ、この人達はどうするの?」
地面に転がった死体をそのままにしては見つかってしまう。もう傷口からは煙は出ていなかった。
「あぁ、いいんだよ。そのままにしてれば敵が持って帰るさ」
少し気が引けるが、この人、慣れてそうだからそうしておく。
(ん?スカートの中が異様に硬い)
何かスカートの中に入っているみたいだ。手を入れて取り出してみると
「やったぁ!携帯が入ってる!」
友たちにメールした後、スカートのポケットに入れておいたのだ。
(まだバッテリーはあるよね)
期待とともに携帯を開けてみる。パッと明かりか点いた。
(これで、お母さんに電話すれば…)
美琴は、ある重大なことにまだ気が付いていない。携帯の欠点、それは
(え?)
ハッと気が付いた。よく見ればアンテナが一本も立っていない。さらに圏外になっていた。不幸の連続…いや、これが現実の厳しさなのである。普通に気づくと思うのだが。
(これじゃぁ、電話もメールも出来ないじゃない)
最新機器も、役に立たなければただのゴミである。
「ん?どうした」
美琴が足を止めて、沈んでいるのに気が付き、こちらも足を止めた。
「うんん。何にもない」
気の抜けた声で返事をする。なんか…寒いや…
そこからいろいろな話をしてもらった。
ここの世界では、数十年前から敵と戦っているらしい。その敵とは、大きな都市…であった場所に住んでいた者。争う前は、みんなが仲良しで助け合いながら生活していたという。しかし、突然大都市の市民が周りの町を破壊した。なぜかはわからない。いきなりだったと言う。その市民の顔は、皆、生気を失ったような形相をしていたと。…そういえば、さっき私を襲った人達も顔色が悪かったような気がする。大都市は、周りの町を破壊し、陣地を少しずつ増やしていっている。噂では“大都市の人達は魔物で、この世界の全ての人間を排除しようとしている”という。本当か嘘かは分からない。しかし、この十数年間で多くの町や村が襲われたみたい。『だから、俺はこうして監視してるんだよ。変な動きがないかってな』と智長は言っていた。“魔物”っていう噂は本当かもしれない。だって、切った人間から血は出らずに、煙が出るって変だと思う。大変なことが、ここでは起こっているような気がする。
さっきの場所から坂を降り、そこから見える雪景色に感動しながら歩いていくと、大きいとは言えないが、街道に出た。しばらく進むと、町が見え始め人の声が聞こえ始める。そこは、歴史の教科書にのっているような町並みが広がっていた。
「わぁ〜すごーい!」
歓喜の声を上げ、テンションも上がる。
もう少し進んでいくと、活気のある町に入った。京都に居そうな女の人や、綺麗な着物姿の人、物を運ぶ男の人や、刀を腰に差した男の人などがたくさんいる。
皆が生き生きとしていて、見ていても飽きない。
(やっぱここって昔の世界なんだ…)
その人並みの真ん中を通る二人を、少しずつ、見る目が多くなってくる。騒がしくもなってきた。歩いている二人もその目線を感じる。智長はともかく、見たこともない服装をした女が歩いているのは、沢山の注目を集めるのは当たり前だ。
(はっ、はずかしい)
赤面になりつつある美琴は、下を向きつつも人の波にのまれまいと、必死に智長に着いていく。一方、智長はそんな事もお構いなしに、ズンズン進んで行く。いつの間にか、道は沢山の人の波に埋め尽くされていた。
「おい、智長!その娘っ子誰だい?嫁さんか?」
この騒ぎを聞きつけた野次馬が、智長に話しかける。
「いや、敵地の辺りで拾った異国の女」
この一言で、さらにボルテージが高まる。もう、太陽は月とバトンタッチし、空はすっかり暗い。しかし、ここは祭りのような賑わい様だ。
あちこちで、もしかして…とか、あれが…とか、噂している。多分、美琴のことだろう。
「わっ、私、ヨネと申します。貴方様のお名前はなんでございますか?」
人ごみの中から、姿は見えないが、そう聞こえてきた。
「私は、美琴です」
なぜか、自分が丁寧に扱われているような感覚がしてくる。皆が、神様でも見るような目で見るから。
「ここだ」
「へ?」
急に智長が止まったので、ぶつかってしまったが、目的地に着いた事を確認する。そこは、とても大きく立派な家であった。
「へ〜大きい!ここが智長の家?」
「そうだったらいいんだけどな。まぁ、入ってみれば分かるって」
「えっ、違うの?」
不法侵入にならないかと、心配になりながら門を通る。そこには、綺麗に手入れされた木々と、雪によって作られた幻想的な世界
智長は、そんなのも視界に入っていないのか、ズカズカと進み、戸を開ける。
「おーい。帰ったぞー」
馴れ馴れしい口調で、勝手に入っていくのを見ると、知り合いの家なのだろうか。
「お邪魔します」
自分は入って良いものかと少し悩んだが、取り残されるのは嫌だったので、丁寧に靴を脱ぎ(智長の草履はバラバラ)智長の後を追う。
智長が入って行ったと見られる部屋を、頭だけ出して覗き込んでみる。そこには智長と、もう二人の男が、囲炉裏を囲むように座っていた。
「入れよ」
と入場の許可が出される。
ひょこひょこと、恥ずかしながら部屋に入った。
「まぁ座れ」
と智長が四隅の囲炉裏の、残った一つを指し示す。
すとんと正座をし、身を硬直させながら、二人の男の方を向く。
「この娘は?」
自分から見て、右に座っている髪の長い男が口を開いた。
「俺が、敵の調査に行った時、柵の辺りをうろついてて、足軽に襲われてた所を助けたんだ。話してみると、異国の娘って言うから連れて来た」
「へぇ〜異国の娘ねぇ…それって、あのこと?」
「多分な」
意味深な言葉を発した男は、美琴の左に座っており、ふ〜んと言いながらこっちを見ている。
(居づらい…)
自分以外他人の世界で、自分の居場所なんてあるのだろうかと心細くなってくる。泣きたい。
「俺は、徳川 蒼哉(とくがわ そうさい)。君の名は?」
意味深な言葉を発した男が口を開く。蒼哉は、髪と瞳が綺麗な赤紫をしており、クラスの中に居ると、絶対一度は惚れるであろう、そんな顔立ちをしている。
「私は、静川 美琴…貴方…徳川ぁ!ねぇ、徳川の埋蔵金ってどこにあるの?}
“徳川”と言う名前に反応し、失礼な事を聞いてしまう。
「ははっ、元気が良いんだね。俺は“徳川”だけど、美琴ちゃんの知ってる“徳川”さんじゃないと思うよ」
笑みを浮かべ、笑っているその表情は、なんとも言えない位好いものである。
「拙者は劉渓(りゅうけい)と申す。美琴殿、よろしく頼むぞ」
「せっ、拙者?!…わぁ〜武士だぁ!」
珍しいものを見るかのようにはしゃいでいる。
「おい。悪い事を言うようであれなんだけど、こいつは武士じゃなくて侍だぞ」
「え?!ごめんなさい!そうだよね。見た目からして侍っぽいもんね」
おいおい、と智長は溜め息をつき、蒼哉は面白い人だね、と笑う。
「美琴殿は、侍は嫌いか?」
「うんん。好きだよ。やっぱり日本は侍じゃなきゃ」
今の日本を不定するような言い方だが、歴史(特に日本史)が好きな人なら、侍好きは多いかもしれない。
劉渓は、美琴が言った様に侍姿であり、床に刀を置いている。髪は長く、栗色で、後ろにちゃんと結んである。
瞳はエメラルドグリーンのような澄んだ緑。雰囲気からして、礼儀がちゃんとなっていそうである。
「んじゃぁ、美琴ちゃんはしばらくここで、寝泊りしてもらうよ。いいよな、劉渓?」
「あぁ、部屋はいくらでもある。好きに使ってくれて構わぬぞ」
「ここって、劉渓さんの家だったんですか?」
「あぁ、そうだが、自然に話しても良いのだぞ」
敬語じゃなくても良い、と言うわけか
「そうだって。堅苦しいのは嫌いだしさ。もう美琴ちゃんは仲間なんだし!俺達は、幼い頃から一緒に過ごして来たから、もう家族同然かな」
仲間
出会って一日も、半日も経ってないに、この人達はなぜ受け入れてくれるのだろうか。
でも、この世界で唯一の頼れる存在になってくれるかもしれない。
(いいのかなぁ)
この人達に迷惑にならないだろうか。智長に聞いた大都市の人達の話も、なにかありそうなのに。自分のせいで、人を困らせるのは嫌だから。
「でさ、智長。どうだったんだ」
蒼哉が待ちわびていたように聞く。
「おっ、そうだったな。敵地の捜索は…」
智長の報告に、他の二人は耳を傾ける。
(ちょっと風にでもあたって考えよう)
丁度、二人の目線は智長に向いていたので、簡単に席を外すことが出来きそうだ。このまま、ここに居ると涙が出てしまったとき、三人が心配して、もっと悪化しそうだから。
美琴は、精神的に不安定になっている。いつ泣いてもおかしくはないだろう。本当は泣くのをずっと堪えていたのかもしれない。
静かに席を立つ。幸いにも、智長が報告を熱く語ってくれているので、大丈夫だろう。
部屋を出ると、さっきまでの部屋の温度との移り変わりが激しかった。ここでも白い息は出てしまう。静かに長い廊下を進んでいくと、離れの部屋に繋がる橋が掛かっていた。そこだけは壁がなくなっており、ここからでも庭を見渡すことができる。橋の下は水が流れており、なんとも風流ある。
(綺麗…)
夜の月夜は、静かに庭の木々を照らし、庭を飾っている池に姿を映す。
美琴はそのまま柵の上に手を置いた。庭に出た方が綺麗に見えるかもしれないが、こっちからの景色の方がなんとなく好きだったから。
はぁ、と溜め息をつくと白い煙が口から出た。外はかなり冷え込んでいるらしい。ずっと囲炉裏の前にいたので、温まった身体が外の冷気に触れ、冷たくなる。
(ずっとこのままなのかな。もう二度と戻って来られないとかないよね…。あの本のせいよ。何で工藤君、あんな本渡したんだろう)
グスン
「泣いたら目が赤くなっちゃうんだよね。泣いちゃ駄目だ。泣いたってばれちゃう」
目をごしごしと擦る。すると、さっき来た方向から足音が聞こえてきた。
(誰だろ…)
と覗き込んで見る。すると、月夜に照らされ、姿を現したのは劉渓だった。
「!劉渓、どうしたの?もしかして、もう寝る時間なのかなぁ」
劉渓はそのまま美琴の隣に来て、同じく柵に手をかけた。
「いや、美琴殿が思いつめている顔をして、席を立ったので心配して来たみたのだ。どうして…」
やはり見られていたのかと苦笑する。
「気持ちを落ち着けたくてね」
「…泣いているのか?」
美琴の声が震えているのは、さっきの余韻がまだ残っているから。人は優しくされると、全てをさらけ出したくなる。そういうものだ。
「大丈夫だよ。心配しないで。ただ…」
「家族のことか?」
「…うん。すごく…心細くて。家族に早く会いたい」
グスン、と顔を下に向け、肩を震わし心境を話す。この時、自分はどうしたら良いのだろうと劉渓は思う。
ポン、と美琴の頭に手を置き、撫でながら話す。
「その気持ち、拙者も分かる。美琴殿の前の質問、『この家は劉渓さんの家なんですか』の答え。それは違う。というのも、今はそうだが、もともと父上の家であった」
「…お父さん?」
少し顔を上げ、劉渓を見てみる。すると、劉渓は懐かしそうな、しかしどこか悲しそうな顔をして話しだした。
「父上は、ここの長で町の皆をまとめていた。しかし、敵との争いが激しくなるにつれて、ここの治安も悪くなる一方。そこでこの町の住民を集めて、会議を開いた。どうすれば良いか。話し合った結果、敵地に乗り込むことになった。若い男、子供、女、動けない年寄り、戦えない者を町に残し、戦う気のある奴は皆、ここを出て行った。狙いは、占領された小さい村。ここから敵の親玉がいる場所までが近い、それが目的で向かったのだろう。だが、敵はそんな事お見通しだったらしく、乗り込んだ父上たちは返り討ちにあい、ほとんどの者が死んだ。拙者の父上も…」
今度は美琴が、何と声をかけたら良いのか迷った。“大丈夫?”とか“元気出して”では、なんとなく軽いような気がして。
「拙者も参戦したかったのだが、丁度、他の町に外出していたので出られなかった。帰ってみると、この町は見るに見かねぬ生き地獄だったかもしれない。夫を失い、屍にすがり付いて泣いている妻。大好きな父が、無残な姿で帰ってきて、泣き叫ぶ子供。長を亡くして、この町は荒れ果てていた。そこで長の息子、拙者が長となりこの地で暮らしている」
美琴は言葉を失い、ただただ劉渓の話しに耳を傾ける。
「…と言う訳で、この家は拙者のものだ。好きに使ってくれ。家族の居らぬ寂しさは、痛いほど良く分かる」
「なっ、泣かないの?お父さんが死んで、泣かないの?」
父が死んだ劉渓の辛さに比べて、自分の気持ちなんてちっぽけに見えた。
「男は泣かぬ。幼い時から、そう父に教わった」
「そうなんだ」
男は大変だなと心の中で思う。泣きたいときに泣けないなんて、何て辛いのだろう。泣いたら楽になれるのに。
「…私、ここに居ても良いのかな」
ビックリした顔で美琴の方を向き、少し微笑んで向き直った。
「何を言っておる。もう、美琴殿は我々の仲間と蒼哉が言ったであろう。気にしないでよい。もし、心配事や悩み事、聞いて欲しいことがあったら、拙者になんでも言ってみろ。頼るものが居ないのならば、拙者を使うが良い。
温かい言葉に、胸のつっかいが取れた気がした。自分になぜ、こんなに優しくしてくれるのだろう。家族を失ったもの同士…ということなのか。
「優しいんだね。ありがとう。何か心のもやもやが取れた気がしたよ。でもさぁ、お母さんはどうしたの?」
これを聞いて良かったのか、悪かったのか。
「居るぞ。妹と一緒に。この町の外れに今も住んでおる」
「何で一緒に住まないの?こんなに大きい家なのに」
「父上と母上が二人で暮らしていた場所だから、離れたくないのだろうな。父上はこの家から外れの家まで、いつも行き来しておった。丸二日以内事はなかった位だ」
父から母への愛がよく伝わってくる。ひと時も離れたくないと。子供達に対する思いも。優しい父親だったのだろう。
「会いに行かないの?」
「行くさ。この前も行ったばかりだ。そうだ、今度は美琴も連れて行ってみるか」
「本当に!妹さんも見てみたい!」
はしゃぐ美琴の顔をみてまた微笑んだ。
「名は鈴音(すずね)だ。きっと、鈴音も喜ぶであろうな。楽しみにするがよいぞ」
「うん」
話しが弾み、美琴の顔にはもう、悩みなどないものと読み取れた。
「あっ、そうだ。美琴殿は、何の武器が使いたいのか?これから先、何回も戦闘に会うことになるだろう。そのときの為に用意をせねば」
「う〜ん。そうだなぁ…。智長は刀だったし、劉渓も刀だと思うし…蒼哉は何を使ってるの?」
「銃だが」
「銃!…って事は、織田信長の時代は過ぎてるって事よね…」
この時に学校で習ったことが役に立つ。生きてゆく上で必要のないものと思っていた日本史が。
「刀を使いたいのなら、拙者が教えてあげられるが…少し腕を見せてもらってよいか?」
「?わかった」
何を見るのか不思議に思いながら、制服を捲っていく。冬服なので、分厚くて捲りにくいのだが、何とか腕を出すことが出来た。冬の冷たい風が、露になった肌に突き刺さる。
(寒っ)
劉渓は、その美琴の腕を見て、もう戻してよいぞ、と言った。
(やはり思ったとおりだな。か細く、必要最低限の筋力しかついていないか。余分な肉もついていない腕を見ると…ん〜む…)
何か悩んでいるように見えたが、すぐに普通の顔に戻った。
「美琴殿の腕では、重い刀を持つのも無理だな。ましてや振ることすら叶わないだろう。一応行っておくが、刀は無理だ」
この腕では的確な判断だろう。
「そっか…刀も良かったんだけどな。…じゃぁ、弓は?!弓がいい!」
弓道のマネージャーをしていて、見るだけだが、素人よりは扱い方を知っている。
「ん〜、弓矢も腕も筋力を使うのだぞ。それに、刀よりも冷静さを求められる。出来るのか?」
「うん!冷静になるのだったら、華道で身につけてる。こう見えても、弓道のお手伝いさんだったんだから」
華道に入ってて、初めて良かったと思えた。
「それでは決まりだな。丁度、弓使いに知人が居るから、明日でも訪ねてみるか?」
「いいの?やったぁー!!劉渓最高!!」
劉渓の手を握り、ピョンピョン跳ねている美琴は
(私って、こんなにうるさいキャラだったっけ)
など思いながら喜びに浸っていた。
グゥ〜〜
「…………」
「…………」
一時の沈黙。美琴の動きが停止し、顔がどんどん赤らいで行く。
「腹…減ったか?」
「…うん」
そういえば、家に帰ってからずっと何も口にしていない。よく思えば“お腹と背中が ピッタンコ”の状態であった。もう、腹減ったのピークを過ぎている。
「飯、用意するぞ。あと、風呂も」
「お願いします」
こうして戻ってきた二人を、智長達はイビキで出迎え、二人で静かに飯を食ったと言う。
『戦闘準備』
気持ちのよい朝。雪を被った木の枝には、旬のある鳥が、囀っている。
「あーっ!目覚ましするの忘れた!お母さん、何で起こしてくれ…な…遅刻…」
もの凄い叫び声で、身体に掛かった温かい布団を、足で蹴散らし、辺りを見て目覚めた。
和式の部屋。等身大の大きな鏡、タンスに掛け軸、場違いの壁に掛かった制服、全て見慣れない。しかし、脳裏には新しい記憶として、刻まれていた。
「…ここ私の家じゃなかったんだっけ。学校もないし…って事は、学校に行かなくてもいいんだ!やったぁ!…ちょっと待てよ。これじゃぁ、無断欠席になっちゃう、ていうかサボリ?! そしたら、留年してまた三年生?! 絶対嫌ー」
この家には、あと三人居るのだが、そんな事も忘れて、ただ叫ぶ。
でも、現実を受け止める、と決心したので、しょうがなく、そのまま廊下を歩いていく。
劉渓から用意された部屋は、離れの綺麗な部屋だった。使われていなかった割には、綺麗に掃除されていたので驚きだ。
廊下を進んでいくと、奥の方からとても良い匂いがしてきた。
「ん〜、いい匂い!これは、味噌汁の匂いかな…あと、焼き魚も」
献立を予想しながら、匂いのする方へ行ってみる。すると、そこは台所で、もう劉渓が立っていた。
「おはよう。朝、早いんだね」
軽く挨拶をし、劉渓の隣に行く。慣れた手つきで、野菜を切ってゆくその様は、長年作り続けたと予想される。
「あぁ、おはよう。もう、智長も、蒼哉も起きているぞ。今、丁度、美琴を起こしに行こうと思っていた所だ」
「へ? 私が一番最後なの?」
(智長とか、特に寝坊しそうな顔なんだけどな)
失礼な事を思いながら、ふーんと言っている。
「美琴殿も、着替えてくると良い。もうじき出来る」
美琴は風呂に入った後、また制服を着ようとした所、劉渓が親切に母の着物を、置いてくれていたのだ。なので、今は着物姿である。
「あっ、服はタンスの中に母上の着物があったはずだ。好きなのを着て良いぞ」
「いいの? お母さんのなのに」
「良い。着て欲しいのだ。きっと美琴は似合いそうだから」
「なっ、そんな事ないわよ。別に着こなし上手くないもん。じゃぁ、着替えてくるね」
少し顔が赤く染まり、急いで着替えに行った。それを、劉渓は微笑みながら見送る。
しかし、これから二十分後、劉渓が美琴を呼びに行くまで、出てこなかったのだ。その原因はと言うと…
「着物の帯が巻けないの」
というもの。普通に気づきそうなものなのだが。
美琴が“入ってきて”と言って、戸を開けると、帯を体中にぐるぐる巻きつけた、美琴の姿があった。
入ってきた劉渓は苦笑し、それを怒った美琴の声で、他の二人も駆けつけた。
「お前馬鹿だろ!出来ないって最初から分かれよ」
腹を押さえ、大爆笑している智長を、ポカポカ叩く美琴。
「俺が巻いてあげようか?」
こちらも、大爆笑、とまではいかないが、笑いながら蒼哉が助け舟を出した。
「う〜、お願い」
もの凄く真っ赤な顔をして俯く。ちゃんと、着物が捲れないように押さえながら。
「すまぬ。拙者が気づけば良かった」
就寝用の着物は、帯ではなく紐だったので、簡単に結べた。
見るのも可哀相な美琴の姿に、自分に過失があると、劉渓は謝った。
男に着付けをしてもらうのも、恥ずかしいのだが、それ以上に二十分も着物と、格闘した自分に恥ずかしい。
「よし出来た! 我ながら上出来だな。へぇ〜、美琴ちゃんって、着物よく似合ってるよ」
完璧なまでの着付けと、蒼哉の褒め言葉につい嬉しくなる。
「ありがとう」
「ほ〜、やっぱ、着物が良いと綺麗に見えるな」
ギロリ、と睨む美琴の、視線を感じる智長は、ははは冗談だって、と棒読みで答えた。
「ふむ、やはり似合っているぞ。愛らしいな」
「そ、そうかな」
優しい目で見られ、慌てて目を反らす。
“愛らしい”の意味を知らなく、可愛らしい、の意味より“愛”の印象が大きかった為、変な勘違いをしてしまう。その証拠に、さっきまでの赤みが引いてきた顔に、また熱が戻ってしまったからだ。
「あっ!あとさ、美琴に教えておきたいことがあるんだよな」
「えっ、なになに?」
興味津々に答えを求める。
「飯を食ってからな」
「えー、今じゃ駄目なの?」
焦らすのは程々にして欲しいと、何度も尋ねた。その質問を尽く無視し、誰かさんのせいで、冷めてしまったご飯を全部食べ終えるまで、口を開いてもらえなかった。
「よし、じゃぁ来い」
食べ終えたお椀などを流しに持って行った後、智長は、美琴をある部屋まで連れて行った(もちろん他の二人も一緒に)。
「えーっと、どこだったっけな」
その部屋の棚の引き出しを、乱暴に開けながら、何かを探しているようだった。
(ここって劉渓の家じゃ)
「あった、あった。これだな」
智長が取り出したのは、古そうな巻物が一つ。
「何それ」
「まぁ、見てみろって」
キョトンとしている美琴を座らせ、四人の真ん中に開いた巻物を置く。
「ほら、これだ」
智長が、巻物に書かれた内容を指差す。
しかし、昔の字は一筆書きのようなもので、こういう文字を解読するのが好きな人以外は、解読不可能である。美琴も、その一人。
(なにこれ。ミミズが這ったような字)
これでも書いた本人、この世界に居る人には、理解の出来る字なのである。という事は、この字を書くことだって出来る。
「『千年に一度、大きな災いが町を襲うだろう。しかし、異国の巫女たる者が現れ、全ての災いから守ってくれるであろう』と書かれてるだろ。これは、代々長の家に受け継がれる秘伝書で、本当に災いがあったのかは知らないけど、唄にもなってるんだぜ。巫女のこと」
「う、唄ってみせて」
「やだよ! 恥ずかしいだろ! 唄えるか」
(音痴なのかな)
「♪異国の巫女さんやって来て 我らと共に戦った 優しく 強く 温かく 我らを守って下さった この恩一生忘れない」
静かに、優しく歌い出したのは劉渓だった。音程も静かな感じで、唄っている間、聞き惚れてしまう程だ。
「♪異国の巫女さん帰ってく 別れも告げずに帰ってく 悲しく 切なく 泣きながら もう二度と戻らない 異国の巫女さん忘れない」
続けて唄いだしたのは、蒼哉だった。こちらも静かに、優しく、しかし、どこか悲しそうな感情を入れて。
美琴は智長を見た。何かを訴える目で。
「もうねぇよ。唄は三番で終わり!」
智長が唄うのを待っていたらしい。
「ねぇ、この唄の歌詞は?」
この唄の意味に、何かありそうで聞いてみる。実際、歌詞だけで見てみると、新たな発見をすることが多々ある。
「ん〜とね、一番は『異国の巫女様がやって来た。その巫女様と一緒に、災いを齎した者と戦った。優しくて、強くて、温かい巫女様は、私達を守ってくれた。助けてくれた恩は忘れませんよ』って意味で、二番が『異国の巫女様が帰ってしまう。別れも告げずに帰ってしまう。悲しくて、切なくて、泣いてしまって、もう二度と巫女様は戻ってくることはなかった。でも、巫女様を忘れませんよ』てな感じ。まぁ、そのまんまの意味なんだけどね」
分かりやすい説明をしてくれた蒼哉は、
「でも、何で別れも告げずに帰っちゃうんだろうね」
と疑問の声を上げた。
「本当だ…」
むむ、と考えている美琴を余所に、
「早く帰りたかったからじゃねーのか」
雰囲気をぶち壊すような、発言をする智長。デリカシーのない男とは、まさにこの男のことである。
「でも、なんかこの唄には続きがあるように思うの。もうちょっと長い唄だったり、一番と二番の間に、まだ唄があるとか」
「む、ありそうだな。誰が作ったのかは知らぬが、長い年月を経て、短くなっていったのかもしれん」
腕を組みながら、劉渓は答える。
「ん〜、でさ、災いってなんのこと?」
「多分、都の暴走の事だと思うが」
「そっかぁ…。…でさぁ」
言いたくないけど、質問しなければ先に進めない。既に見当はついているが。
「巫女って誰?」
その質問には、予想通り、三人口を揃えて答えた。
「お前だよ」
「君だよ」
「美琴殿だ」
やっぱしなー、と言う顔で三人を見る。
「う〜、それってやんなきゃ駄目?」
一気に、肩に圧し掛かって来る責任感と、重大な役目。自分はこの町の人を救えるのかという不安。
(もしかしたら、私のせいで町が全滅したら、悲しむ人が増えるとか…私のせいで)
「何言ってんだよ! それは、お前にしか出来ないんだぞ! お前がやんなきゃ誰がやるんだよ」
智長の怒声に、美琴は身を縮こまらせる。
「しかし、昨日の今日だ。この事を今の美琴に押し付けても、多分出来ないと言うのが普通だ。まずは、考えさせてみないか?」
冷静に劉渓が、智長を宥める。蒼哉は、あ〜あ、と言いながら目を背ける。
智長は、ちっと舌打ちし、立ち上がった。
「こうしてる間にも、人が殺されてるかもしれねぇんだぞ! 出来ねーんなら、さっさと帰れ。…ここに居ても何も出来ねーんだろ」
バン、ともの凄い音を立てて戸を閉め、出て行く。あっ、と智長を止めようとしたが、遅かった。
「私…なんて馬鹿なんだろ」
後悔と、自分の弱さに吐き気がした。何でこんなに自分はちっぽけなのだろう、と。
(私、智長に助けてもらったのに。智長を、この町の人達を助けないなんて、なんて身勝手なんだろ。巫女は私一人しか居ない。誰かが代わりに、何て出来ない。唄にもあったし、みんなの役に立たなくちゃ。私が帰るのは、その後でいい)
「私、頑張るよ。この町のみんなの役に立ちたい!」
自分を捨て、皆の為に身を削ると覚悟した。自分に出来るかどうゥ分からないが、やってみないと始まらない。
「無理するな。よく考えて決めても良いのだぞ。命を落とすかもしれん」
劉渓は美琴を心配し、有余を与える。女を戦闘に出すことは、絶対にしたくはなかった。
「大丈夫。私は死なない。もし死ぬとしても、それが私の運命なら受け入れる」
強い、強い決心だった。決して折れる事のない決意を、心に刻む。
「危ない時は俺が守ってあげるよ。絶対に死なせたりしないから」
ポンポン、と美琴の頭を軽く叩きながら言う。この言葉がどんなに心強いか、身にしみて感じた。
「ありがとう。二人とも…」
涙を浮かべながら、感謝の気持ちを告げる。
しかし、出て行ってしまった智長の事を思うと、気が沈むのであった。
「智長に…言わないと」
「あいつなら大丈夫だ。この時間は、あいつが仕事をしなければならん時だからな。きっと仕事場にでも行ったのだろう」
「仕事?」
「あぁ。あいつも、働かないと食っていけないからな。運び屋をしている」
「荷物を運ぶのかぁ…。それじゃぁ、会えないな」
謝ろうと思ったのだが仕方ない。智長は、今日もこの家に泊まるのだろうか。早く謝って、気を落ち着かせてあげたい。
「多分、夕刻には帰ってくるだろう。それより、美琴殿は行かなければならぬ所があるのではないのか?」
「あ!そうだった。弓矢を教えてもらうんだった。時間、大丈夫?」
予定時間に遅れていないか、確認する。
「大丈夫だ。だが、そろそろ行く準備をせねばな」
「どこ行くんだ?」
昨日の話しを知らない蒼哉は、どこへ行くのか分からない。
「美琴殿が、武器は弓矢が良いと申したのでな。今から、慶魁(けいかい)の所に行こうと思う」
「慶魁かぁ〜。最近、会ってないなぁ〜。俺もついて行っていい?」
「あぁ」
蒼哉の同行を同意し、身支度をして家を出て行った。
「う〜」
今日も、珍しいものを見るような目で、町の人々から見られる。こっちも恥ずかしくて、顔を上げていられないのだ。大物スターなどの人達は、これ以上の人々に見られて、恥ずかしくないのだろうか。その気持ちが分からない。
「巫女様〜」
後ろから幼い声がして、美琴は振り返る。そこには、自分の腰程しかない少女が立っていた。その小さな手には、綺麗な紫色の花が握られている。
「あの…巫女様に…」
弱々しい声で、手に持っている花を差し出した。よく見れば、小刻みに震えているのが分かる。こんなに小さい少女が、人が群がる中心部に来て、皆の前で本人に花を手渡すのは、どんなに勇気がいることか。
「ありがとう」
優しく微笑み、花を受け取る。今は雪が降り積もる冬なのに、花を見つける為、必死になって探したのだろう。
「でっ、では」
ペコっとお辞儀し、ささーっと、早足で少女は、人ごみの中に紛れて行った。
美琴は、貰った花を指先で回しながら、大切そうに持っている。前を歩いていた蒼哉がそれに気づき、美琴に並ぶ。
「花、貰ったんだ。今咲くなんて珍しいね」
「うん。きっと、すごく探したんだと思うな」
蒼哉は、ちょっと貸して、と花を貰い、美琴の髪に挿した。
「うん、似合う。着物の色に合ってるよ」
「えっ、そうかなぁ」
少し赤らめながら、花に手を翳す。そして、蒼哉に“ありがとう”と言って、嬉しそうに歩いた。
少し町を外れて、林の中を通る。すると、美琴の弓道場と、同じ造りの建物が建っていた。
「わぁ! もしかしてここ?」
よく耳を澄ますと、弓を射る音と、的に矢が当たった音が聞こえる。
「そうだ。慶魁は、弓を教える師匠でもある」
「慶魁とは、小さい頃によく遊んだよな。智長も入れて皆で」
「へぇ〜。じゃぁ、仲良しなんだね」
うん、と蒼哉は頷き、建物の扉の前に行く。やはりそこには“弓道場”と書かれた板が、立て掛けられていた。
「失礼する」
と劉渓は戸を開けた。その先には、いろんな弓が立て掛けられており、すでに数人の草履が置かれていた。小さい物から、大きな物まで。
三人は靴(草履)を脱ぎ、劉渓が先頭で奥に進んで行く。襖を開けると、広く、正面には壁がない、吹き抜けの部屋に出た。正面に壁が無いのは、そこから広い芝生(今は少し雪が積もっている)が続き、数個的が出されてある。この場所から、外の的に弓を射る為だろう。なので、雨の日でも屋根があるので、濡れる心配が無い。矢を取りに行くには、雨に打たれなければならないのだが。いろんな設備が整っている施設だと、一目で分かった。
もう数人がそこから射ており、何人かはその後ろで正座をし、順番を待っていた。
見回すと、射ている人に混じって一人、弓矢を教えているような感じの男が立っている。袴を着ており、髪は闇夜に溶け込む黒、その長い髪をポニーテールにして結っていた。髪の長さなら、劉渓の方が上である。
「慶魁、来たぞ」
劉渓が、その男に向かって呼びかける。すると、男はこちらを振り向き、一礼した。
おはよう、と挨拶しながら、袖やたもとが邪魔にならないように、たくし上げる為の襷を外す。そして、こちらに向かってきた。
「久しぶりだな。智長は来ないのか?」
「あぁ。あいつなら働きに出ている」
「そうか。蒼哉は働かないのか?智長みたいに」
あいつらしいな、と笑い、蒼哉に話題を持っていく。
「働いてるよ。狩りにね。期間が決まってるから、あんまり働けないんだけどさ」
頭を掻きながら苦笑する。
「!」
美琴と、慶魁の目が合った。ペコっと美琴はお辞儀する。それに合わせて、慶魁も礼をした。
「もしかして、この方が今、噂になっている巫女様か?」
「あぁ、可愛らしい巫女様だろ?」
蒼哉は、美琴の方に手をまわし、抱きつく格好をして見せる。
抱きつかれた本人は、今まで生きてきた中で、こんな事をされたのは幼い頃しかなく、異性に抱きつかれるなんて想像した事も無かった。なので、美琴の心臓は、はちきれんばかりに高鳴っていた。
「えっ、あっ、えっと…」
今の状態に思考が追いつかず、言葉にならない。顔が熱い。きっと、自分の顔はサルみたいに真っ赤だろうと、心配になる。
「本当だ。申し遅れました。俺は、梶川 慶魁(かじかわ けいかい)といいます」
「わ、私は静川 美琴といいます」
蒼哉の、現在進行形の抱きつきは、美琴の口調を狂わせる。
「もう離してやれ。このままだと、倒れそうで怖い」
美琴の状態を見て、劉渓が危険信号を出す。あっごめんね、と蒼哉は手を離した。
(すごいドキドキした〜)
未だ高鳴っている心臓は、一向に止まる気配は無い。
「なぜ、巫女様がこんな所に?」
疑問を持った慶魁が、劉渓に聞く。
「弓術を学びたいそうだ。美琴に教えてもらえぬか?」
「本当か?」
驚いた顔をし、美琴を見る。
「お願いします!キツイ練習にも耐えますから!私に弓術を教えてください!!」
頭を下げ、必死にお願いする。もし、駄目だ、と言われたら、土下座をしそうな勢いである。
「美琴殿は、少し弓矢のことを知っている。教えるのは楽であろう」
劉渓が補足を付ける。少しでも慶魁の気持ちを動かす為に。
(もし、慶魁が無理だと言ったら、拙者が弓術を教えてみるか。拙者も少しは出来るのだが)
本当は弓矢も取得するはずだった。しかし、神経を集中させ、小さい的に当てるのは、難しかった。何回やっても、当たらない。命中率は、三十回中せいぜい一回。恐ろしいほど悪かった。一行に能力が伸びないので、諦めて辞めたのだった。
こんな苦い過去がある。この事を知っているのは、慶魁しかいない。他の人には恥ずかしくて言えず、プライドが許さない。
「う^ん。巫女様の頼みだ。いいだろう。その代わり、俺は厳しいぞ」
「ありがとう…ございます! 師匠」
「“師匠”はいいよ。俺には似合わない」
「じゃぁ…慶魁さん? 慶魁君? ん〜、慶魁さんでいい?」
「好きにしろ。じゃぁ、始めるぞ」
「はい!」
美琴に襷を渡し、使い方を教える。残った用の無い二人は、何をしようか考えていた。
「じゃぁ、拙者は茶を飲みに行くかな」
「あっ、俺も。慶魁ー、美琴を夕刻には解放しろよ。迎えに行くから」
慶魁は後ろ姿で、手を肩まで上げ、少し振った。美琴も少し振り向き、バイバイ、と手を振る。
「では、行くか」
美琴達とは別々に、それぞれ目的に向かって歩いていく
一方、智長は仕事先の配達屋で、寛いでいた。
「もうすぐ昼だな。何か飯でもねぇーかな」
仕事が無いので、今はフリータイム。智長にとっては、最高の時間である。すると、奥から少し太った女の人が出てきた。
「智長ー。仕事だよ!これを南にある山の外れにある、村まで持って行きな」
この人は、店の店長のようなもので、この人から仕事をもらう。気分屋で、少しの事でも怒ったり、やりすぎた事でも、許してくれる時がある。その波が激しい人だ。
「山の外れって、すっげー遠いじゃん! 何かの冗談だろ」
「荷物は少ないんだ。我慢して持って行きな!」
無理やり荷物を突きつけ、店主は奥に戻って行った。
「あのクソ婆。めんどくさい事は、全部俺に押し付けやがって」
愚痴を言いながら、荷物を取る。風呂敷に包まれたものは、とても軽かった。衣服だろうか。南の村までは、坂道が続き、人通りも少ない。行き帰りで、夜遅くになりそうだ。
(しゃーない。走って早く届けるか。途中で飯も食えばいいし)
少し空を見上げる。よく晴れた青い空。雨も雪も降りそうに無い。それを確認し、猛ダッシュで走り抜けた。
「弓は持った事はあるか?」
蒼哉から預かった、可愛い教え子の特訓中。
「はい!片付けとかで運んでるんで」
実際の弓は、約八sある。重いもので、十二sはあるというから驚きだ。八kgの弓を、静かに、尚且つ、スローローションでホームを作る。
「じゃぁ、持ってみるか?」
手渡された弓は、黒塗りの上等な代物だった。それを手に取った美琴は、身を丸くして、
「軽っ」
と驚く。
「ずっと八s(あるいは十二s)の弓を持っていたので、約五sの弓はもの凄く軽く感じられた。
「そうか?なら、今からホームを教えるから引いて見ろ」
一回、慶魁がやって見せる。ただ、弓を引くだけなのに、見る者を釘付けにする。それほど綺麗なホームだった。
次は美琴だ、と慶魁は美琴の後ろに立つ
「――っ、キツイ」
弓は軽いが、それを持ち上げ、ゆっくり下ろす動作と、弦を引く力の無さに、美琴の体はすっかり曲がっている。
「もう少し…こう」
後ろから手取り足取り指導されている。キツクて、後ろに反ってしまっている美琴の体を、自分の体で支えている為、すっかり密着してしまっている。
「ん〜…も…駄目」
ずっと引いているので、腕に力が入らなくなったのである。さっきから、プルプル震えており、限界を超えたようだ。パッと手を離してしまった。
「――っ」
弾性で、引いた分だけの力を戻る力に変え、その分の威力は莫大になる。
矢を番えておくと、その威力の分だけ遠くに飛ぶのだが、矢を番えないまま手を離すと、本当に危ない。弓を持つ腕に弦が当たり、激痛が走る。悪い時は、腕に内出血が起こり、最悪、跡が残るのだ。
そんな事を知らない美琴の目の前で、弦を止めて見せた。
「手を離すと危ないぞ。腕を怪我するかもしれないから」
弦が戻るまで、一秒も掛からない。それを素早く、瞬時に止めた慶魁を見て、美琴は言葉を無くした。
「――っ、ごめんなさい!もうしないから…手、大丈夫ですか?」
あんな威力の弦を素手で止めたら、きっと指が切れているだろうと心配する。
「大丈夫。こういうのは慣れてるから。それでは、ホームの練習をするか」
気にするな、と笑い許してくれた。
(どこが厳しいのよ。優しいじゃない)
少しもどかしい気持ちになる。はい、と返事をし練習を再開する。
目的地に向かって、智長は山道を風のように走っていた。
「もうすぐだな。礼はたっぷりと貰うぞ」
走っている間にご飯は食べて来た。早く走った甲斐があり、まだ昼過ぎである。
しばらく走ると、小高い丘の上に出た。風が気持ち良い。
「ここから村が見えるはず…なっ!」
村があった場所。そこからは茶色の煙が沢山出てきており、辺りを囲む木々も少し倒されている。これは、戦闘があった証。多分、相手は…
「嘘だろ」
さっきよりも早く、丘を駆け下りる。風に混じって、微かに煙と、血の匂いがしてきた。
(何があったんだ)
急いで走る智長の脳裏には、最悪の状況が浮かび上がる。
焼かれた町。
泣き叫ぶ子供の声。
屍の数々。
気のせいであって欲しいと願う。ここまで、敵が攻めてきたというのか。
丘を下り、林を抜けると、焼かれて無残な姿になった村の門に出た。焦げた嫌な匂いが鼻を突く。やはり、戦闘があったのだろう。地面には屍が数人、転がっていた。
「生存者はいるのか?」
家の下敷きになって、まだ生きているかもしてないと、望みを持ち、探してみる。
「!」
黒焦げで、横たわっている大木の上に、一人の少女が座っていた。
少女は、周りの雰囲気から孤立し、異様なまでの存在感がある。少女の服には、焦げ目一つ、付いていない。ましてや、髪の毛一本も乱れてはいなかったのである。
「おい、大丈夫か?」
恐る恐る声を掛けてみる。
「♪異国の巫女さんやって来て 我らと共に戦った」
細く、小さい声で唄っている。しかし、耳にはっきり聞こえる唄だった。
「おい!」
「あのね、この唄にはまだ続きがあるんだよ。長い歌詞がね」
頭には紫色の花を飾って、にっこり笑う。
「続き?」
(そういえば、美琴は言ってたよな…)
「♪異国の巫女さんやってきて 我らと共に暮らしてく 敵は主君の藤家 平康(ふじけの ひらやす) 我らの為に巫女さんは 己を犠牲に戦った 我らと共に戦った 優しく 強く 温かく そんな巫女さん いとおしく 離れたくない思いが募り 離したくない この想い 離したくない 君の手を 時は待たない 一刻と この恩一生忘れない」
聞いた事のない唄を、淡々と少女は口に出す。そして、またにっこり笑う。
「この唄、巫女様を愛した男が作ったものなんだって。笑えるよね」
「藤家平康って、都を治めてた大名じゃねぇか。そいつが親玉なんだな」
少女はクスクス笑い、また唄い出す。
「♪異国の巫女さん帰ってく 藤家平康 討ち取って 平康の手で帰ってく 我らを残し 巫女さんは 平康の手で帰ってく 別れも告げずに帰ってく 悲しく 切なく 泣きながら 我らは見守る事しか出来なくて 逢いたい 君と もう一度 逢いたい 君を 抱き寄せて 二度とは戻らぬこの時間 異国の巫女さん 忘れない」
二番まで歌い上げた少女は、智長に向け笑う。
「分かったでしょ。歌詞の意味」
「分かったけど、何でお前が知ってるんだよ」
えへへ、と笑い、そのまま大木の上に立ち上がる。
「だって、この唄を作った人、知ってるもん」
「なっ、この唄が出来たのは、ずっと昔だろ」
千年に一度災いが起こる。そうすると、最低でも千年以上前に作られた唄となる。
少女は、智長の質問を無視し、ピョンッと大木から降りてこう言った。
「この花綺麗でしょ?」
頭に挿してある花を指差し、笑う。
智長は眉を顰め、あぁ、と言った。
「この花ね、巫女様とお揃いなのよ。私が巫女様に、一緒の花をあげたの」
少しずつ、智長の顔に不安の色が見え始める。
「そしたら、付き添いの男の人が、巫女様の頭に挿してくれたの。だから私も」
本能的に、美琴の身に危険が迫っていると察知した。しかし、この少女だけでこの村を全滅させたのか。何一つ乱れていないのに。
「この花はね、私が特別なプレゼントを付けておいたんだー」
嬉しそうに、智長に話す。その笑みには、どこか恐ろしい形相が潜んでいるように思えた。
「この花の花粉は、猛毒が入ってるの。だから、巫女様はもうじき苦しみ出すはずだよ。長時間吸い続けないと、効果が現れないから。言っておくけど、今から戻っても遅いよ。私と共に、この村を襲った兵士達が、町に向かってるから。もうじき着くんじゃないかな。まぁ、どのみち巫女様は死んじゃう運命なんだよ。あははは」
大声で笑い、腹を押さえている。智長は怒りに拳が震えた。どんどんなだれ込む、どろどろした感情に身を委ね、怒声で叫ぶ。
「このアマ!なんであいつまで殺そうとするんだよ。あいつは関係ねぇ」
「関係あるよ。巫女だもん。あの人、巫女になるって決めたんだよ。こうなる運命なんだよ」
嘲笑うかのように、自分より遙かに小さい少女に笑われている。すっと、腰に差した刀に手を翳す。
「俺は芥川智長。手合わせ願う」
戦闘の時は、必ず己の名を名乗る。それが礼儀と言うものだ。
「あたしは、都の主君、藤家平康の一の手下。紫杏(しあん)」
言い終えると共に、智長の周りに紫の花を投げる。これも、猛毒の花粉入り。
智長は息を止め、一線、横に両断する。
両断された少女の体は、上下別々に崩れ落ちた。断面からは、大量の赤い煙が出てきている。
そのまま智長は、少女の顔の皮を剥ぎ取る。すると、白い少女の皮膚は、薄く剥がれ、醜い本物の皮膚が姿を現した。
「お前、美琴に接触する為に、この少女の顔の皮を剥いだのか」
すると、斬られたはずの少女の目がこちらを向き、口を動かした。
「ふふっ、そう…だよ。巫女に…死んで…もらう…為に…ね」
途切れ途切れに言葉を繫ぐ。その顔には苦痛ではなく、笑みが浮かばれていた。
「早…く、助け…に行かないと、本当に死…んじゃうよ」
後ろを振り向き、来た道を急いで帰る。
敵は、劉渓達に任せておける。
今、自分がしなければならないのは、敵の知らせでもなく、美琴を守りに行く事でもない。
美琴が苦しむ理由が、毒だと知っているのは、自分しか居ないから。
その為に何をすればいいのか考え、行動に移す。
まだ日は暮れていない。
歴史は繰り返す。
同じ事を何度でも。
それを変えるのは己自身。
どんなに悩み、苦しんだって進まなければならない。
後ろは振り返れない。
続く
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2006/12/18(Mon)06:47:52 公開 /
黒烏
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■作者からのメッセージ
初めまして、こんにちは。今回は、遅れながらの投票となりました。
今回は、慶魁(けいかい)が仲間に入り、賑やかになったと思います。
次回は『夜空の流れ星のように』。良かったら、感想等を聞かせてもらえると嬉しいです。それでは、また皆さんのお目にかかれるよう。