- 『槍の上を飛んで』 作者:柚芽 / ファンタジー 異世界
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全角20859.5文字
容量41719 bytes
原稿用紙約61.55枚
作品名、変えました。元の作品名は「恋い焦がれた空という世界で」です。突然の変更、申し訳ありません。
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扉を開けても誰もいないことは知っている。それでも僕は扉を開けた。まだこの足は止まる事に慣れていないようだ。
羽ばたいていた頃から何年もたって、地面に足がついている有り難さと、安心感を憶えた。あの頃は本当に命知らずな奴だったな、なんて暢気なことを考えてられるのも生きているお陰である。
一見、治安のいい街に見えていても、裏通りでは子供が盗みや殺しをしなければ生きていけない。実際、世界なんてそんなもの。光のあたる場所がある限り、かならず影はできてしまうんだ。だから僕は空に恋焦がれた。影をつくらないですむ永遠の大地であり、人の立ち入ってはいけない領域に。
帆を張った船が目指すのは何も造らない無限空間。人の手が造り出した戦場と幸せの蔵庫。
世界に光と影があるならば、これは光の物語。
光の中の影の話。
光に産まれた影の話。
第一章 蒼を見つけた少年少女
▽T△
辺りは一面蒼だ。流石は海上の街。そんなことを一人で考えながら少年は目的地である宿を探した。この街には何度も来ているが、未だに地図は手放せない。新しい道が造られたと思っていると、次に来るときには、いつも使ってた道がなくなっているという事もあるからだ。
「技術が発展してるんだから音声地図でも作ればいいのに」
少年――アクスは地図にぶつぶつと悪態をつきながら橋を渡っていた。
風が吹いてきて、アクスの頬を撫でる。アクスは冷たいな、と思いながら、足を止めて海を見つめた。ゴミ一つ無い、美しく透き通った海が、太陽の光に照らされてキラキラと輝いている。その輝きはまるで宝石を海に散りばめたかのようで、何十回も見ているのに決して飽きない。
一瞬、雲が太陽にかかって、宝石は輝くのをやめる。それと同時に風は止まった。
冷たくて、でも気持ちのいい潮風も空気に溶けた。
ここは海上の街ヴォンテゥルー。中心国で最も水産業が発達している街。町全体が海の上にあるため道路というものは存在せず、歩行者用の道の下をボートやゴンドラが車代わりに走っている。家はリゾート地などにある水上コテージのような形になっていて(ただ勿論、あんな『わら』をかぶせたような家ではなく、レンガや石製のものが多いが)、海底に固定されている鉄製の柱が家が流れるのをとめていた。
歩行者の道は全て『橋』。くもの巣のように家と家の間に架けられている橋は全て一つの巨大橋に繋がっていて、橋は陸に繋がっている唯一の巨大橋から木の枝のように分裂している。その橋の下をボートが通り、上では人が挨拶を交わす。そこが山や都会に住む観光客達には人気で、ヴォンテゥルーでは水産業だけでなく、観光にもよい場所だ。
けれど大きな家や庭も建てられなく、おまけに移動手段は徒歩かボートという欠点もあり、数日間の滞在ならいいが、住むとなると苦しいところがあるだろう。いい加減、陸に家を建てればいいのに。アクスはぼそりと呟いた。
「それで儲からなかったら困るのよ」
「ここの土地代、高いんだから一緒だろ」
アクスはヴォンテゥルーの大通りにある宿、『曇空』を経営する女将さんの一人娘と話していた。『曇空』は一目見ただけで泊まりたくなるような外見はもっていないが、この宿の暖かな雰囲気で体も心も安らぐと評判で、それなりの人気を誇っている。
この街では珍しい木製の外壁に掛けられた小さな看板には、POP体で『曇空』とかかれており、紫色のペンキで塗られている雲の絵の間からは、淡い冬の光が差し込んでくる絵が描かれていた。
「ほら、やっぱりロマンチックじゃない?海の上の家よ」
お皿を洗いながらクルクルと回るエレナを横目に、アクスは朝食を済ませる。そして
「そんなの建前だろ」とエレナに聞こえないように呟いた。
「失礼ね。って言っても結局は建前なんだけど」
「ヴォンテゥルーは観光客が多いからねえ。そのクセ、宿とかホテルとか少ないし」
二、三秒たったあと、子供らしくない会話だなぁ、とエレナが苦笑しながら言った。
青空の下。蒼い海の広がるこの地から全ては始まることとなる。
宿の中で、ロビーは最も広いところで、電話やカウンターは勿論、トランプやチェスなども置いてある。蒼と緑のチェックのカーテンが落ち着いた雰囲気を作り出しているそのロビーでは、十人程のお客がくつろぐなり、他の客と話すなりしている。ロビーに置いてあるチェスなどで遊んでいる者もいた。たんに暇そうにしているものもいたが、アクスは話しかけようとは思わなかった。
この時間、ロビーに比べダイニングは極めて静かだ。ロビーから聞こえる笑い声などが時折聞こえるだけで、此方に客がくることは殆どない(ついでにだが六つしかテーブルのない小さなダイニングであるが、別に人気がないわけではない)。静かな場所を好んでいるアクスは、昼食が終ったあともずっとここにいた。
ダイニングには皿やフォークの音と水が流れる音が響く。エレナはせっせと片付けをしている隣で、アクスはのんびりと図書館で借りた本を読んでいた。いったん本を読む目をエレナに向ける。綺麗な金髪は肩までのびでおり、瞳はエメラルドグリーン。海側に住んでいる子供にしては白い肌で、背もエレナの年の平均身長よりわずかに上。お世辞ではなく、正直言ってきれいだとアクスは思っていた。けれどぱっとみ、とても大人っぽい少女だが、実際話してみると子供っぽい奴だ。
先ほどからささる視線に気付いたのか、エレナが手を止めた。
「何さ。さっきから」
「べ、別に、何でも無いけど」
ふーん?と何処か疑うような目で見られたアクスは「別に別に」と繰り返し言って席をたとうとした。けれど、あることを思い出したエレナに服を引張られ、結局もう一度椅子に座らされる。エレナの顔にはこれ以上無い程の満面の笑みを浮かんでおり、アクスの口は引きつった。何か企んでない、か……?
だが、エレナが口にしたのは、アクスが思っていた事とは、かけ離れた話題だった。
「私ね、試験受けることにしたんだ」
『試験』――それは巫女の後継者を決める時、候補者としてあげられている者が必ず受けるもの。
この世界では、自然こそが神。津波や土砂崩れなどの災害が起きたときは、神に力を一時的に借りる事のできる特殊な杖をつかい、災害をおさめてきた。その特殊な杖――巫女の杖の扱いはとても難しく、一般市民などが使えばその力を制御できずに、神の力が『暴走』してしまうだろう。巫女の杖は決して一般人が触れてはいけない、巫女だけが持つべきものだ。だから巫女は厳しい試験を受けなくてはいけない。そして合格したものだけがその杖を手にすることができる。
巫女は世界各国に何人かいる。その多くは海の近くや山の近くなど、自然災害にあいやすい地域。ヴォンテゥルーにも巫女が来てから、数十年間、一度も災害にあったことはないようだ。
「ほら、ここ十年新しい巫女になる人がいなかったじゃない。チャンスかなって思ったの。憧れの人だったってこともあるし、現在の巫女様が跡継ぎを探しているって聞いたから」
「現在の巫女様っていうと、あの婆さんか?もう年で巫女の杖をまともを扱えないから焦ってるって聞いたぜ」
『ここ十年』とは、戦後のことをさす言葉。十年前、自然を自由自在に操れる真珠『カシュマナ』をめぐって起きた大戦争で、その争いは何年にも渡って続いた。その戦争でヴォンテゥルーも狙われ、真っ先に殺されたのが巫女だったからか、それ以来巫女になろうとするものはいなかった。巫女は力を持つが故に、争い事が起きたときは真っ先に狙われてしまうのだ。
「危険じゃないか?給料はないし、毎日のスケジュールはきついぞ」
今は争いもなく比較的安全な時代といえるが、他の点でもいいことのない巫女をアクスは正直いってやらせたくなかった。エレナと住んでいる場所は違うと言えど、五年近く付き合っている仲だ。アクスは戦争で死んだ姉の墓参りの為に毎月遠くの墓場まで足を運んでいるので当然一泊はする。その度に泊まらせてくれるのは『曇空』。エレナと年が近いだけあって直に仲良くなったアクスは、今では家族のように親しまれていた。
「それでもよ。お母さんも私の説得で折れたし、やっとなの」
「ふーん。まあエレナがそこまでやるって言うんだから女将さんも折れるわな。そういや女将さんは?」
辺りを探してみたがこの店の女将が見当たらない。するとエレナが溜め息をついた。
「巫女になりたいなら、『今のうちに働け』だって。お母さんは買い物だわ」
アクスは苦笑した。
「まあ頑張れよ」
空に浮く世界アーマリア。
中心国を軸に東西南北に島があるこの世界は、中心国に埋められた強大なエネルギー体である『魔力』を元に浮いている。地上からは見えないような上空にあり、尚且つ魔力のベールが張ってあるために、アーマリアを地上から見ることはできない。
本当はこの世界は人間の手によって造られた世界なのだが、その事実を知る者は今はもういない。
この世界では魔力を使った『魔術』という術がある。何もない所で火をつけたり、水をだしたりするだけではなく、物を直すことも、人の傷を治すこともできる、何とも便利な術だ。勿論万能なわけではないが、それなりの知識と力ががあれば、どんな者でも使える。中心国では『魔術専門学校』というものまで作られた。
だからと言って、食べ物や建物を作り出す魔術などはない。だから機械だってかかせなく、魔術だけに頼っているわけではないのだ。
「そういやアクス君って西小島出身だよね。お疲れさん」
アクスは西小島出身の田舎者。中心国の魔力が十分に行き渡ってないせいで浮く事しか出来ない東西南北の島では、魔術が使えない。そのせいで中心国のように発達した技術がないのだ。農民はホースで水を撒かなくてはいけないし、作業道具が壊れれば修理屋で直してもらわなくてはいけない。
対して中心国は何事においても魔術が主で、三大都市と呼ばれるような街では空中を飛ぶ車もある。とにかく中心国の者達は、魔術が使える範囲では何も不便なく、便利な生活がおくっている。
「そうだよ。姉さんも仲間の人たちと一緒にいたいだろうから中心国のお墓に埋めてあげたけど、お墓参りはけっこう大変だぜ」
「でもそのお陰で私達は出会えたわけだし、結果オーライ」
ふふ、と小さくエレナは笑った。エレナはこの時間がとても好きだった。何事も無い、幸せな時間が。
――中心国 ヴォンテゥルー街――
アクスとエレナは店に飾る花と観葉植物を買いに行っていた。夏の花はもう枯れてきて、そろそろ寒さに強い花が必要なようだ。
エレナもアクスもボートの免許は持っているが、花を傷つけてはいけないので徒歩。久々にゆっくりと街を歩いてみると新しく建てられた知らない店などもあった。昼間っからライトアップされたお洒落な洋服屋。クチコミが人気をよんだ渋い茶屋。エレナがよく行く『海岸レストラン』。それと今行ってきた小さな花屋。どれも何処か若い者達が入りそうな雰囲気である。……十年前のあの事以来、大人が減ってしまったからだろうか。
「あー、それにしてもアクス君が来てくれて助かったよ。持ち帰りって大変なのです」
今は花屋から帰っている真最中。小さな花を両手で抱えながらスキップをしているエレナの三メートルほど後ろでは、もっさりと葉のついた植木を二本背負いフラフラになっているアクスがいた。
のんびりと部屋でお茶を飲んでいたアクスはノックもせずに部屋に入ってきたエレナに連れ出され、靴を慌てて履いて向かった先は花屋。大きめの木と小さな可愛い花を買ってるなぁなどと暢気にも思っているうちにその大き目の木を二本背負わされたのだ。一応客なのに……と思っていたがサービスをしてもらっているので文句は言えない。
「その花、なんていうんだ?」
アクスが指さしたのは、エレナが持っている紅い花。よく街を見てみるとあちら此方にその花はあった。近くで見てみると、紅いのは花ではなく葉で、ギザギザとしたものが何枚も重なって花のようになっている。変わった花だな、と言ったアクスを、エレナはラーメンをストローで食べる人を見てしまったかのような顔で、
「ポインセチアっていうんだよ。今、とっても人気なのよ。流行だから覚えておいた方がいいかもね」
とだけ言った。どうやらこの街で『ポインセチア』を知らない人はいないようだ。
「流行?俺は古を生きる男だから流行にはついてかなくていいのさ」
「わっ、うっざーい。だからダサいって言われるんだよ」
バシッと背中を叩かれてさらにふら付いたアクスは橋から落ちそうになって体制を立て直す。「あぶねえよ」とサルのようにキーキー怒っているアクスを見ながらエレナは笑っていた。一ヶ月ぶりだけど何も変わってない。そう思ったエレナは一際笑った後も微笑を浮べていた。
――あの日失くした幸せが、徐々に戻ってきたよ。
雑談をかましながら二人は宿へと帰る。エレナは途中教会によるようなのでアクスは教会まで送っていく事にした。話すことがなくなってきて、二人の間を言葉が飛ぶ事はなくなると、エレナは鼻歌を歌いだした。多分「慌てん坊のサンタクロース」。エレナは昔から話すことがなくなると鼻歌を歌いだすクセがあった。そのクセは困ったもので、先生にお説教をくらっている最中も静かになると歌いだしてしまう程。フフ フンフンフンとエレナが歌の二番に差し掛かったとき、それこそエレナの鼻歌癖を叱った先生の怒鳴り声のような声が街の各地に置かれた0スピーカーから響いてきた。エレナがビクリと体を振るわせる。
《出ました二十連覇!ここから掛け金は上がります。場所は西三十二区。皆さんもスローゲームでストレスも投げ飛ばしませんか?》
「う、何だか昔の嫌な思い出が蘇る……」
「先生のお説教はいいから!ちょっと静かにして!」
アクスにピチャリと言われて黙りこくるエレナ。アクスが丁度耳を傾けた時、スピーカーから繰り返しが流れた。路上スローゲームはヴォンテゥルーでも人気の高いゲームで、中心においてあるボールを魔力で相手側に吹き飛ばす遊びだ。
掛け金を払い挑戦し、負ければ損だが、勝てば今まで相手が貰ってきた掛け金を全てもらえる。一日一度しか挑戦できないルールなのでそのまま挑戦して掛け金を集める人もいるが、掛け金を取られる不安のある人ならばそこで止める。どうやら今二十連覇とかをした者は、相当腕に自信があるようだ。
繰り返しが終わり、スピーカからブツリッと音が鳴った瞬間、突然アクスが走り出した。それはもう、先ほどまでフラフラだった男だとは思えない程。エレナは声もかけずにあっという間に行ってしまったアクスを慌てて追いかけようとして、足元のレンガにつまづきそうになる。そして顔をあげて一言。
「な、何なのよ。急に走り出したりしてー」
二人が息を荒らしてやってきたのは西三十二区の広場。橋の上で行われるスローゲームを見るために、もう随分の観客が川にも橋の周りにもやってきていた。洗濯物を干しているおばさんも、買い物帰りの男も、観光客と見られる家族も、皆その橋で行われているスローゲームを見ていた。
アクスより数十秒遅れてやってきたエレナは髪が乱れていて、息もあがっていたので相当猛ダッシュようだ。その場にへたり込むと、前髪を払いながらアクスのことを半睨みつけながら言った。
「全く、観戦したいならそういえばいいじゃない」
けれどアクスはニッと笑うと、財布から数枚金貨を取り出して
「いや、観戦するのはエレナだけ。俺は対戦するんだよ。巫女になるための試験って高いんだろ。だから勝てたら山分け」
エレナは眼を点にする。そうしている間にもアクスは列に並ぼうとして、エレナは再び慌てて止めに入った。
「やめなって!だって、あの男は街一番って言われてるほどなのに」
「井の中の蛙。大海を知らずっていうじゃないか」
アクスはまるで何も分かっていない子供のようにそう言う。
ああ、もう諦めないな。そう察したエレナは溜め息を一つつき、石段に腰を下ろす。だが石段は思ったより熱く、エレナは飛び上がった。その飛び上がったエレナの頬の横を掠めて飛んできたのは野球選手が投げ弾なんかよりもずっとずっと早いゴムボール。驚いて硬直しているエレナの頬を通り過ぎたゴムボールは石段にぶつかって破裂していて、エレナは自分の頬を撫でながら「当たんなくて良かったー」と心底ホッとするのであった。
「おおっと、何だぁ。今度のチャレンジャーは子供かぁ?」
アクスだ。エレナは直にそう察した。このボールスローは掛け金が高く、子供は滅多に挑戦しない。ましてや相手は街一番の腕っ節だ。ちょっとやそっと魔術に自信のある子供が勝てる相手ではない。そんな相手に挑戦する子供といったらアクスしかいない。
観客も珍しい子供のチャレンジャーに興味を示していた。男が挑発するかのように言う。
「残念だが、このゲームはお子様のお小遣いじゃ挑戦できないんだよ」
その言葉に観客はどっと笑い出す。何せアクスは勝敗の分かりきっている勝負に金を払うようなお坊ちゃまに見えるような格好では全く無かった。実際本当にアクスはお金持ちのお坊ちゃまではないし、むしろ普通の人より貧乏で苦しい暮らしをしているのだ。
アクスはそんな笑い声に少しも表情を変えず……いや、少しばかり笑って
「へえ、これでもかい」
審判の手に金貨を数枚落とした。それは豪華レストランでしっかり食べられる程の金額だ。先ほどまでわいわいと歓声やら上げていた観客も審判も、男もみんな黙ってしまった。
ついでに今出したお金が一人暮らしのアクスの生活費もひっくるめて財布の中全てだと知っているのはエレナだけだった。金持ちのように振舞っているアクスにエレナは
「バカ」
とだけ遠くで一人、呟いた。勿論そんな声が下の観客に聞こえることも無く、注目がエレナにいく事はなかったが。男が「ふっ」と笑った。
「おいおいおいおい、金は大事にしなきゃいけないぜェ。なあ坊ちゃんよ」
むしろ観客の目線を一気に集めたのはエレナではなく相手の男。軽く苦笑いしながら構えに入ったのだ。『 戦闘を許可した 』それだけの材料で、盛り上がるのには十分だ。
一斉に観客達が声を上げ始める。大半はアクスに対するもので、能の無い坊ちゃまだ、だとか、馬鹿じゃないのだとか。中には見る価値もないという顔でいる者もいた。
けれどアクスは気にしない。
集中しているわけでもなくて、
相手を見下しているわけでもないが、
アクスは確かに未来を先読みでもしたように自信をもった眼をしていた。
そして審判がボールを高々とあげ、
『レディ、ファイ!』
▽U△
街は『とある噂』でそれなりに賑わっていた。噂とは新聞やTVなどの情報より気を引くようなものが多く、街の人々の話題となることは多い。がやがやというよりはざわざわとした感じで、何となく楽しそうに騒ぐような噂では、なさそうだ。
「え、小島出身の田舎者にあいつがやられただって?」
「スローゲームで小島の子供に負けたっていうのは嘘じゃないみたいよ。ホラ吹きが流した噂でなければね」
「全く、スローゲームファンとしては顔に泥を塗られた感じだよ。有名になったからには、しかっりしてほしいね」
話題は今回のスローゲームで魔力知識の低い小島出身の子供に街一番の腕っ節が負けたということ。まあ噂とは不安定なものなので話すら知らないものもいれば、その『子供』の名前までも知っているものもいる。
ようするに『もちきり』という訳ではないのだ。
それだから噂の子供は街中を堂々と歩ける。
噂の子供――アクスはエレナに持たされている植木ともう一つ、新な荷物を持っていた。それは重いものでもないので量として困るだけで、アクスの歩調にあまりかわりはない。むしろその足取りは軽かった。
「いやあ、本当にやってしまいましたね。これで来月まではお金は安心していいみたいだ」
「あはは……ホントにね」
対してエレナは苦笑。先程よりほんの少しばかり、疲れていた。
――時間はさかのぼり数十分前
審判の掛け声とともに高くあげられたボールが落ちてくるとほぼ同時に二つの魔力がボールにぶつかった。安易な技『オフェンス系魔術』は特殊杖(召還し、『リカバー系方術』や『特殊魔術』を使う為の杖)を必要しない。最も強力なものであれば別だが。勿論そんな強力な技を使えばボールが割れてしまう。スローゲームで許されるのは『安易』といえる技だけだ。
一人は風圧。相手側だ。勢いのある風はボールを飛ばすにはもってこいといえる。その風は、今まで何人もの魔力に勝ち、無敗を誇っている。
そしてもう一人、アクスは水圧だ。海底と同じだけの水圧はボールを圧縮させてしまいそうな程の威力だ。最も圧縮など出来ないが。けれど今まで水圧を使ってきた者は何人もいた。勿論、全員が相手の突風に負けてきている。
二人は思いっきり魔力をぶつけ合った。風と水がぶつかり合った所は、まるで花火のようにも、炎のようにも見えた。思ったより強いチャレンジャーに観客は歓声をあげる。先ほどまで「見る価値もない」という眼で見ていた者達も、一気にヒートアップした。
「いけぇ!」「頑張れよ餓鬼!」「ちょっと負けてるんじゃないわよ」「もしかしてあいつが負けるんじゃ」「ガンバレー」などと声が飛ぶ。
そんななか誰かが悪戯で投げたのか、小石がアクスの腕に当たった。その時一瞬だけ、アクスは押された。いてっと顔をしかめたが、それは本当に一瞬だけで、直にもとの体制に戻る。けれどそれに調子をよくした男はさらに魔力を強めた。
「はっはははははは。しょせん餓鬼の力はこんなものか!」
大声をあげた男の疾風がアクスの方に迫る。また、男の勝利かと思われたときだった。相手は『子供』という相手をなめすぎていたのかもしれない。子供の力に油断したのだ。
「すご……」
唖然として口の空きっぱなしになったエレナの前で、美しい決着がついた。アクスが作戦も何も使わずに、『力』任せの勝ちを、街一番の腕っ節の男の前で見せ付けたのだ。
風の圧力を少しずつ跳ね返すように勢いのある水が押し付ける。ぐいぐいと、ぐいぐいと。壁を押すように少しずつ、確実に。男は必死だった。何せ今まで無敗だったのだ。こんな子供に、こんな挑戦者に負けてたまるかと。くそう、舐めすぎたか。そう思ったが、それはもう遅かったかもしれない。
「お、おおおおぉぉ!」
男が唸った。水が眼の前にまで迫り、ボールも手に取れるような距離にある。このままでは自分ごと跳ね飛ばされてしまう。男もそれは理解していたがプライドが傷つくのか、魔力を強くした。
けれど結果に変わりはない。むしろそれに気付いたアクスは魔力を飛ばすように放ったのだ。
呆気なかった。本当に呆気なかった。街一番の腕っ節と初挑戦の子供とのスローボールは、ものの数十秒で終る。
二色の魔力が一色に染まった。
ポーン……
まさにこの効果音があう場面だった。ボールが飛んだのは勿論、プライドを傷つけまいと最後まで降参しなかった男も一緒に空に舞い上げられた。綺麗に縦に弧をかくように、まるで空を飛んでいるように。
けれど観客が息を呑んだ瞬間、男はもとの位置に足をついていた。きょとんとするように、唖然とするようにもみえる表情の男は動けずにいた。勿論分かっているのだ。これは『移動術』。難易度の高い特殊魔術。自分にかけるのだって難しいのに、こんなにも離れた男をもとの場所に正確に戻したのだ。何故小島の者がそんな高度な技が使えるのか、それを知るものは少なくてもこの場にはエレナ以外いなかった。
ボールはとっくに屋根の向こう側に消えているが、誰かが嬉々した声で『拾ったぞ』と叫んでいた。
そう、ボールは無事割れずについたのだ。
「あ、えっと大丈夫ですか」
唖然としてる男にアクスが声をかける。男は悔しそうに悪態をつくわけでもなく、むしろ楽しそうにガハハハハハと豪快に笑った。観客も言葉をなくし黙ってしまっていたので、男の豪快な笑いはよくよく響いた。がはははは、と豪快に。
「お前、いいぞ。今までこんなに楽しいスローゲームは初めてだ。気付かないうちに杖を召還して特殊魔術を使ってくる奴も初めてだ」
男はアクスが差し出した手を取って立った。実に後味のいい勝負。
そして観客は男が言うまで気付かなかったあることに気付いた。
――アクスの手に杖が握られている。
杖の召還には召還のパスワードとなる言葉が必要となる。本人しか知らないパスワードを彼はまるで教えないとでもいうように小声で、尚且つ早口で唱えた。そんなことができるのは――‐‐
「まるで七魔想師のようだ」
七魔想師――それは十年前の大戦争カシュマナで国を代表する戦士の名。
大戦争の引き金は自然の神を対話し、自然の力を自由自在に操れる真珠『カシュマナ』だった。中心国のように魔術が好きなように使えなかった東西南北の小島は、何度も自然災害に襲われた。魔術で災害を避けることのできない小島では、災害があるごとに、沢山の死者がでた。
それなのに世界の巫女アーマリアは中心国の為だけにカシュマナの力を使った。
小島にすむ者は、誰もが世界の巫女のくせに卑怯だと思っていた。
その心が集まりに集まって、東西南北の小島はカシュマナを中心国から奪おうと決断した。これさえあれば、災害を防ぐだけじゃなく、中心国と対等に話し合うことができる。
それが大戦争の始まりだった。
中心国と対抗するには。各島の王達は、まずそこに悩んだ。どれだけ大量の兵士がいても、どれだけ強い軍隊であっても、魔術で攻撃されれば一発でやられる。
――ならば魔術で対抗しよう。
けれどそれは安易なことではなかった。小島では魔術が使えないので学ぶ事ができない。中心国で学ぶなんてもってのこいだ。中心国に近い小さな小さな島まで行ってみようかという案もあったが、そこは既に中心国の兵が占領していた。
もう手はない。そう思われた。
けれど中心国に行って学ぶ、というのは出来る確立が他の案より高かった。大勢では無理でも、少人数で忍び込ませ、中心国で学ばせた後、帰国させて教えてもらう。それなら、できそうではないか。
その為に選ばれたのは若い四人の魔想師の男女。
中心国に入ることに成功した四人の魔想師。(魔術師にもランクがあり、最も下は魔術師。教師などになれる程の力があれば魔導師。最も上が魔想師だ)四人は驚くほど学習能力があり、普通のものなら三年はかかるであろう量の知識を一ヶ月で覚え、実力もあり、魔導師と呼べるレベルまでなった。 一ヶ月間、四人は助け合った。もし何処かの小島がカシュマナを手にいれたら、きっと四つの島でまた争いになって、四人は敵同士になってしまうと分かっていても、四人はせめてそれまでの間と、助け合った。
そろそろ帰り、彼らに教えなければいけない。四人はそう思った。けれど小島のものが進入して魔術を学んでいるという情報がどこからか漏れてしまっていた。中心国の都市オグルサンドは相手が魔術を覚え、此方に対抗できるようになる前に攻撃しようと、魔想師の中でも強い者を三人つくり、小島に攻め込む準備と守りを固めだした。その頃四人は魔想師と呼べるレベルまでに成長しており、四人で相手の三人の魔想師を抑えることを決意する。
四人の魔想師は中心国に閉じ込められ、結局小島は魔術の使えない状況で争いに挑む。
武器をもった兵たちは、次々と倒れていった。攻める事ができたのは中心国のほんの一部だ。テッテル、ケバチナ、トータリス、それにヴォンテゥルー。そのほかの地域にも攻め込んだが、待ち構えていた魔術師たちに指一本触れる間もなく殺された。
中心国から離れて小島に攻め入った中心国の兵たちも勿論魔術は使えなくなるわけだが、男達を皆兵士として送り出していた小島は直に降伏する。
結局、戦士たちは圧倒的に小島側がやられて、中心国の大きな三つの国の代表戦士である魔想師三人と、小島の代表戦士である魔想師四人も全員、戦死した。
小島の魔想師が死んだという時点で大戦争では中心国が勝ち、巫女が今後このような禍々しい争いの無いように和解を求めた。各国も戦力をなくしたため、納得しようがしまいが、結局『和解』という形で大戦争は幕を閉じるしかなかった。魔想師は今では作られていないが、それでも自らの国の為に戦った魔想師は今でも相手も味方も関係なしに敬われている。
ついでにだか、この七人の魔想師――七魔想師が全員『戦死』であったことと、
和解の理由が『これ以上禍々しい争いをしないように』であるのは
表向きな言い方であり、全くもって事実とはかけ離れているのだが、
そのことをまとめた資料は、一つ残らず国によって燃やされたという。
時は戻ってスローゲーム終了後。アクスと男は握手をかわし、そのあと二人は昔からの仲だったかのように楽しそうに色々な話をした。
「また会えるといいですね」
「そうだな。その時こそ、俺が勝つだろうがな」
そういって別れを告げ、二人は反対の道を歩いていった。男は何処か寂しそうに、終ってしまった自分のステージを見る。もうあがれない、あがることの出来なくなった橋の上。
「ホントにやめんのか、親父」
男の横から、息子と見られる少年が声をかけた。男はふっと笑って、改めて空をみあげ、ステージを見る。
「決心だからな」
「決心ねぇ。でも、本当に来たな。親父を倒す奴がさ」
その言葉を聞いて男は情けな表情になって、そして見えなくなったアクス達の背中を見た。空でもステージでもなく、見えなくなった背中を。
「俺の腕も老いたよ。」
さて、と男は全てを切り替えたように言うと
「今日から父さんは真面目に会社に通勤する。あと、たまには母さんがシチューを作るのを手伝おう。それと……」
お前と久し振りに小島にでも行くか。
男と息子の間を潮風が吹いた。冷たくて気持ちのいい潮風だ。
△V▽
教会――と聞いて彼方は何を連想する。ひとそれぞれの感じ方はあるであろうが、私はどこか一般と離れている場所のような気がする。入りにくい、というより、そう。近寄りがたい雰囲気なのだ。
スローボールの後。エレナはヴォンテゥルーで唯一、陸に建つ建物である教会に向かった。巫女になるための勉強も忙しいようだ。
エレナと教会で別れたアクスは、教会前の広場の中心に飾られる『真珠』を見つめていた。半径十cmのとても大きな真珠であり、ヴォンテゥルーの大切な宝である。ただ阿古屋貝(真珠貝の別名。内面は真珠色の光沢がある。養殖真珠の母貝とする。)からできたものとはされてなく、神から授けられた真珠といわれて、自然のものではないらしい。
真珠の中にはキラキラと輝く水が入っていて、ヴォンテゥルーの人々はこれを『神の涙』と呼んでいた。
「『神の涙』ねえ。まあ結局は作り話って所かな」
神。神の存在。
それはアーマリアに住む者にとって、生活に馴染んだものだった。
自然――それこそがアーマリアの神。
馴染みすぎた神様。
「何がこの涙が切れる時こそ津波が起きる日、だ。んなの嘘っぱちに決まってんだろ」
つん、と指で真珠を弾くとアクスはそろそろ帰ろうと後ろを振り返ったら……
「あら、こんにちは。もしかしてエレナのお友達かしら?」
目の前に清楚な服を着た教会のシスターが立っていた。驚いてアクスはしりもちをつく。全くもっての不意打ちに、ビックリ仰天だ。アクスは人が急に後に立っている、ということは今までにも何回もあった。両親がまだ家にいた頃なんて、毎日であった。アクスは両親の足音が幽霊のようになかったのを、よくよく覚えている。
けれど、両親が消息不明になって以来、やられたのは初めてだ。
両親が消息不明になったのはアクスがまだ五歳くらいの時だ。その頃には既に、年の離れた姉は中心国にいた。アクスの姉―セナは予知能力という前代未聞の力を持っていたせいで、最も若い十八歳の女性戦士であった。敵の攻撃を読め、相手の戦略も全て知っていたセナは、二十歳の誕生日に国を代表する魔想師となってくれと、元国代表戦士に頼まれた。元国代表戦士は中心国に対抗する特別力もなく、丁度負傷していたので、もう戦場にでることはできない。セナは悩みに悩んだ結果、頼みを引き受け、中心国へと向かった。だから今は中心国の何処にいるのかどころか、生きているかもわからない。
両親が消えたのは本当に突然だった。姉が中心国にいって一年くらいした日だろうか。買い物に言ってくるという言葉を聞いていらい、二人の声を聞くことは無かった。アクスは父の友人に引取られたが、その友人も数年後戦死。しばらくアクスは孤独な生活を送ることとなる。
でも今はエレナや『曇空』の皆がいる。一人じゃない。
アクスはしりもちをついた姿勢のまま、シスターを見たので、見上げる形となる。シスターは驚かしたたことを謝りもせず、アクスの後ろにある真珠に手をかけた。中の水がきらきらと海のように輝いて綺麗だった。
「嘘っぱちだと思われた?」
シスターにそう聞かれ、アクスは慌てて理由を考えた。「そう!あれはちょっとした冗談!」。けれどそういったアクスの言葉などまるで聞こえないとでもばかりにシスターはぶつぶつと何かを呟きだした。
「あのぅ」
「そうよね。嘘っぱちに思えるわよね……小島の人から見れば、こんなくだらない話……」
だめだ。全く聞こえてない。きっとアクスの言葉など、泡のように消えている。半場話すことを諦めて帰ってしまおうかと思ったが、アクスは一つ思い当たることがあって、足を止めた。
「あなた、何で俺がエレナの友達で小島出身だと思ったんですか?」
シスターは初めてアクスの言葉に反応する。
「エレナちゃんがよく話してくれるのよ。西小島から毎月きてくれる常連客がいるって。エレナちゃんと同じくらいの年で、長身で茶髪の男の子だって聞いてたから、彼方かなって思ったのよ」
アクスはエレナがそんな風に自分の事を話しているとは知らなかった。エレナは結構自分のことや家族のことを話したりしないので、友人のことも話さないかと思っていたが、そうではないらしい。
「ねえ。折角だからちょっと聞いて欲しい話があるの。小島の人にあったら話しておきたかった話」
「?別にいいですけど」
「そんなに時間はとらないから」
アクスは暇ではなかったが断るのは苦手だった。それに『小島の人にあったら話したかった話』というのは街の人々には話せないような話だろうし、少し興味があったからだ。アクスは立ち上がり尻についた砂を払うと、近くのベンチに腰をかけた。しりもちのままではだらしない。
「ところでお名前は?俺はアクスです」
「ああ、ごめん。名乗り忘れたわね。私は……リフォン」
そして彼女は――リフォンは語り始める。
――ある日の夜。一人の女性が悩んでいました。その女性は、その女性がすむ街ヴォンテゥルーにある教会のシスターでした。ヴォンテゥルーでは長い間、巫女がいなかったので、いつ災害に襲われるだろうという住民達の不安は高まるばかりでした。どうすればいいのだろう。シスターは夜遅くまで考えていました。
そんなシスターのもとに神は舞い降り、ある物を授けました。
それは中に水の入った真珠です。
神は言いました。“この真珠の中の水がなくなる時、この街に災害が訪れる。それまでに巫女を育て、街に安全を戻すのだ”と。真珠の中の水はほとんど全て入っていました。
街の住民は皆安心し、シスターも時期巫女となるものを探すのに専念することができるようになりました。
今もその真珠の水はなくなることなく、その教会前の広場に置かれています。
「えっと……話したいっていうのはこれですか?」
アクスは時間の無駄だったか、と思った。何せ今の話はアクスのいう『嘘っぱちの話』だったからだ。違う違う、とリフォンは慌てて横に首を振る。「今のは彼方も知ってる真珠の話。でもね、これには実は本当の話があるの。
実はこの話のある女性っていうのは私。この真珠の話は私がでっちあげた嘘の話」
「へ?またなんでそんな事を」
リフォンがその質問を待っていたとでも言うようにニヤリと笑った。それはまるで小悪魔のような笑い方で、アクスは本日二度目の嫌な予感を感じたのであった。今の質問はやばかったかな、などともう遅い後悔をしながら、アクスは話の続きを聞くこととする。
「私は当時、新しい巫女を探す担当だったのよ。でも中々見つからなくて、街の人から沢山の批判が来た。早くしろ、とか、安心して暮せない、とか。だから私はもう嫌になっちゃって、気分転換に庭の掃除をしてたの。そしたらビックリ。砂浜にこれが転がっていたわ。私は始め驚いた。こんなに大きな真珠を見たのは初めてだったし、中には輝く水が入っていたんだもの。けれど私はこの事を神父様たちには言わなかった。どうしてだと思う?」
さあ。
アクスは首を傾げた。
リフォンは楽しそうに話を続ける。
「これを神から授かったものとして、批判の声から逃げよう!」
沈黙。
「…………」
いや。いやいやいやいや。いくらなんでも。アクスはそう思っていた。神の名を借りて神父を騙すというのは、教会の者としてしていいことなのだろうか。勿論そんなこと、子供だろうとしていいことではない。教会の者であれば尚更だ。
アクスは呆気に取られて黙り込む。だがリフォンはリアクションを待っているようで、そこから話を続けようとはしていない。
「いろいろと、突っ込むべき場所があると思います」
「そう思うよねっ。でもこれが私流。私流の気晴らし」
予想通りのリアクションを返してもらえたリフォンは嬉しそうに小さくガッツポーズをとり、砂浜に跳ねるように立った。白い砂浜に新しい足跡がつく。
「私さ。半分無理矢理シスターやってるの。親が此処の教会のシスターでさ、私は小さな島でお店でも開くのが夢だったのに継げって言われて。だから神サマとかそんなの如何でもいい。神父を騙したって心は一ミリだって傷つかない」
「神父様には嘘だとばれなかったんですね」
「勿論。私の迫真の演技で」
アクスも溜め息を一つついて立ち上がる。今日はとんでもない悪魔のような女性にあった。これは教会に住まう悪魔だ、となどくだらないことを考えながらの溜め息だ。この質問をしたらもう帰ろう。今日のことは忘れてしまおう。
「運良く津波が本当にこなかったのはよかったけれど、もし津波が来ていたらどうするつもりで」
リフォンの表情が固まった。
数秒間の沈黙の後、リフォンは表情を和らげてアクスを再度改めて見つめて、言った。
「彼方、本当に小島出身なのね。いいわ、教えてあげる。巫女の持つ特殊な杖のことは彼方も知っているでしょう」
アクスは首肯する。
「あれに宿されているのは自然を操るカシュマナの力の欠片。世界の大巫女アーマリア様が宿されたのよ。アーマリア様はいつだって世界中を見守っているから忙しくて、小さな町一つ一つまで気が配れない。だから自分の代理となる巫女を各地に作り、カシュマナに近い力を持つ杖を授けたの。だから此処にいる巫女っていうのは代理で、別にこの子達がいなくたってアーマリア様が見つけてくれて対処してくれれば問題ないの。ついでにもし津波が来たらトンズラさせて頂くつもりだった。嘘がばれて責められる前にね」
驚きの事実であった。巫女がもつ杖のこと、巫女のこと、どれもアクスの知らない話だった。今日聞いた話で最もためになったかもしれない。
リフォンは微笑むと最後の最後に、こう言った。
「私の両親。強盗殺人にあって一週間くらい前に死んだの」
突然そんなことを言われても、と思いつつ「それは、ご愁傷様です」とだけは一応返しておく。
「全然仲良くなかったけどね。むしろスッキリした。もう親に脅されながら生きていく人生も終わり。だから私、小島に行くの。今日の最終便にでも乗ってね。だからこの話を彼方が誰に話そうと関係ない。さっき言ったとおり責められる前にトンズラってことよ」
「でも、彼方が聞いてくれてよかった。何だかすっきりした」
ありがとね。
リフォンはそういうと教会前の広場の白い砂に足跡を点々とつけながら、アクスの視界から消えた。
驚いて、呆れて、アクスは固まってしまっていたけれど、
一つだけはっきりとしていることがあった。
今日聞いたことはエレナに教えて、
自分は忘れて明日にでも飛行機に乗って帰ろう、と。
△W▽
朝日が部屋に入ってきた。朝日といってもあまり明るい光ではなく、窓の近くだけが僅かに明るくなる程度の光。その光は逆に部屋に寂しさを醸し出している。最も安いこの部屋に置いてあるのは一つのベットと二つの棚と、アクスがもってきたよく分からないものなど。ベットでは三枚も布団をかけ、芋虫のようになったアクスが寝ていた。
ジジジジジジジジジジ!
目覚ましがなった。二秒もたたないうちにアクスが止める。
ジジジジジジジジジジ!
数分後、目覚ましがもう一度なった。アクスは「うぅ」とだけ言ってまた目覚ましを止めて布団に潜り込む。
ジジジジジジジジジジ!
さらに数分後。負けじと目覚ましが鳴った。が、アクスが目覚ましを壁になげつけたせいで、二つの電池は外れて、また部屋に静寂が訪れるかと思ったとき、ドアが勢いよく開いた。こ、壊れる……。
「まぁた寝坊する気かい」
ドアを壊さんばかりに開けたのは、この店の女将さんであるベルーガ。体格はがっしりとしていて、娘のエレナとは似ても似つかないが、髪の色と瞳の色は全く同じ、金髪とエメラルドグリーンの瞳だ。
「すんません。今起きます」
「よし。偉い」
ベルーガは満足そうに頷き、また壊さんばかりに扉を閉めて出て行った。まるで嵐。
アクスは起きるとベットから飛び降りた。木製の床がタン、と小さな音をたてて、アクスはうんと背伸び。そして窓に両手をかけて、一度に両方の窓を開けると外の風が一斉にに入り込んできた。
アクスは部屋に置いてあったポットでコーヒーを淹れると、窓にもたれかかって外を見た。
季節は秋。森の方は丁度紅葉が綺麗な時期なのだが、木を植える『道』が無いヴォンテゥルーでは、赤や黄色の紅葉を見ることはできない。観光客はすっかりいなくなって、海も寂しくなるかと思ったがそうではなかった。山に観光客がいくと、今度は寒さ慣れした住民達が海に向かうのである。辺りに高い建物は無いので二階の窓からでも海の様子は良く見えるのだが、二十度以下の海で家族連れが楽しそうに泳いでいる姿はなんとも言い難い。ふと気がつくとコーヒーはなくなっていたので、窓から離れた。
辺りはしんと静まり返り、今が早朝であることを告げる。アクスはこの、早朝という時間が好きだ。子供の頃、一人で朝早くに起きた時の楽しさが、まだ心に残っているからだろうか。
「いけね。早くしないと飛行機に乗り遅れる」
カチ、と音をたてて動いた針が指しているのは五時。慌てて着替えたアクスの首には襟のボタンが引っかかり、アクスはグェ、と蛙のような声をだした。
ロビーへ行くとエレナが既に下で開店の準備をしていた。下りてきたアクスを見つけ、にっこり笑うと「おはよう」と声をかける。
「おはよう。相変わらず早起きだな」
「お店の開店が早いからねえ」
軽い会話を交わし、アクスは壁に貼られている飛行機の時刻表を見た。七時ジャストのに乗って帰る予定だ。少しのんびりできるだけ時間はある。アクスは長椅子に腰をかけて、鞄の中の荷物を再確認することとした。すると懐かしいものも出てきた。
「あ。懐かしいね。アクス君が初めて此処に泊まった日、私があげた奴だ」
「捨ててなかったんだ」
出てきたのは手に乗るサイズで赤い表紙のスケジュール帳。もう何年も前のものだ。
まだエレナもアクスも十歳にもなっていなかった頃。自分と同じくらいの歳なのに、一人で泊まりに来たアクスにエレナは興味をだいた。歳が近い者があまり来なかったというのも一つの理由だっただろう。一人でロビーの片隅で暗く沈んでいるアクスにどうにか話しかけられないかとエレナは必死で考えた。
エレナが傍に行って、いつもは何をしているのかと聞くと、アクスはエレナの方を見ようともせずに俯いたまま
『ボランティアと,近くの孤児院とか行って手伝いしたりしてる。あとは姉さんの墓参り』
ぶっきらぼうに答えた。けれどエレナは何よりも返事を返してもらえたことに喜び、少し弾んだ声で
『へぇ!忙しいのね』
というと、ちょっと待っててと付け加え自分の部屋に飛んで戻った。
アクスは言われたとおりとりあえずその場で待っていた。
すると息を切らせてエレナがやってきて、手に乗るサイズの赤い表紙のスケジュール帳を差し出した。
『これ、君にあげる。予定とか書くのに便利だから』
「大事な思い出だ。捨てるわけにはいかなくてね」
スケジュール帳を鞄にいれ、もう一度時間を確認する。五時半を少しばかり上回り、五時四十分。そろそろ飛行場に行こうと思って立ち上がって、何か頭に突っかかるものがあって……
「そういえば今日って何の日?」
「今日は巫女試験の日だけど……もしかして言ってなかった?」
「言ってなかったよ!今すぐ帰るのキャンセルしてくるから!」
「ご、ごめんっ」
二人は靴を大急ぎではいて、飛行場へと飛んでいった。誰もいない店のカウンターにはアクスの鞄と、『飛行場へ行ってきます』と書かれたメモだけが置かれていた。
誰も考えてなどいなかっただろう。
今から起きる事態など、少しだって考えていなかっただろう。
今、たった今飛び出した二人も、
このメモが最後のメモとなることなど考えてはいなかった。
第二章 影を知らぬ大人 影しか知らぬ子供
誰かにすがるのかい?
またそうやって、他人に頼るのかい?
違うだろう。
君には立派な手足も、立派な脳も、立派な心もある。
だから考えろ。
何故、この状況で、準備万段のこの状況で、船は出発しないのか。
そんなに簡単に諦めるなよ
それじゃ一向に出発出来ないじゃないか。
お前が答えで
お前が全ての燃料なんだ
そう、それだ
お前の覚悟が答えなんだよ
△T▽
飛行場はヴォンテゥルーでも最も陸から離れたところにある。ごちゃごちゃと橋があっては滑走路をつくることができないし、よく騒音にたいする批判がくる、というのも理由の一つだ。『曇空』は比較的海に近い方にあるが、飛行場まではそれなりの時間はかかる。ボートを使い、大通りをゆけば十分でいけるだろうが、残念ながら今は通勤するボートで大通りは溢れかえっている。
だからアクスはあえて徒歩で向かうこととした。『裏道』――すなわち徒歩での最短距離でいけば、十五分はかかるが、確実に十五分で着く。へたに綱渡りをして滑るより、安全に落ち着いていくことがアクスのモットーだ。
「間に合うよぉ。絶対間に合うよぉ。だからちょっと休も。間に合わなかったら奢るから」
駆け足で行くアクスを追っていたエレナはよれっとベンチに座った。アクスはエレナが疲れていることに気付いて謝った。
「あ、ごめん」
「何謝ってるのさ」
はぁーと長い溜め息をついて、エレナは上を見上げた。アンティークな家の壁々の間から覗く空は、いつものように蒼く澄み切っている。空は時折、海からの潮風を運んできた。
美しいな、とエレナは思っていた。
曇だろうと、雨だろうと、エレナは空を見上げるたびそうに思う。
彼女自身は気付いてはいなかったが、エレナは、エレナは変わり続ける空に、焦がれていたのかもしれない。
対してアクスは、そのようなものには感動をおぼえない。
自然や動物を美しいと思っても、エレナのように空に焦がれるような事はないだろう。
アクスは何より、人が好きだった。
人の喜びや怒りや悲しみの心。
殺しあう醜く汚い心すらもアクスは美しいと信じていた。
元が汚いほど程、美しくなれる、と。
「ん。エレナは全回復しました。もう大丈夫なのです」
「もうちょっとペース落とすか?」
「もう大丈夫なのです」
ホントか?ともう一度アクスに問われ、エレナは先程と同じ答えを返す。そしてエレナはベンチから立ち上がり、走り出した。
エレナが後ろを向くと、やや遅いペースでアクスが走っていた。
もう少し遅くしたほうがいいのかな、とエレナは思い、走る速度を緩めたが、そこでエレナは気付く。
アクスは自分がまだ疲れていることをわかって、気を遣っていると。
エレナは少し、気恥ずかしくなった。
気を遣われているのに、自分が気を遣っているように思ってしまった自分が恥ずかしくなった。
けれど実際、エレナは疲れていたので速度を緩めた。
光がふいに遮られる。太陽に雲がかかっただけであったが、薄着で出てきたアクスは少しばかり寒いと感じた。雲はそれなりの厚みがあり、数秒後に再度空を見上げると空は灰色で覆われかけていた。
ポツポツと、雨が降ってくることはなかったが、今にも降り出しそうな雰囲気だ。裏通りは大通りと比べると人が少ないのでどこか寂しい。そこには四つの足音だけが共鳴していた。
裏通りの更に細い道へ行くと、石製の橋はだんだんと減り、徐々に足場の危ない木製の橋となっていった。
飛行場は、すぐそことは言えないけれど、頭のてっぺんがちらちらと見えるような所まではきていた。アクスは、やっと見えてきたよ、とため息混じりにいい、一度止まり、エレナの方を向いた。エレナはそうだね、とだけ短く返す。
「ほらほら。急がないとっ。キャンセル聞かなくなっちゃうよ!」
と、言い終わる前に、携帯電話の着信音が鳴った。エレナの、ポケットからだ(余談だが着信音は「アン○ンマンのまーち」)エレナは、あからさまに嫌そうな顔をした。
「メンドイ」
「おいおいおいおい。大事な話だったらどうするんだよ」
「ちぇー。しゃあない。とりますよぅ」
ぴっ。会話ボタンを押して、はいはいアロットでーすよっとやる気のない返事。だが、表情が急に変わった。
―誰?
アクスはジェスチャーで聞いた。
―神父様!
エレナもジェスチャーで答える。
「はい……あ、全然大丈夫です。だるくなんかないです、はい。……時間?ありますよ。……今すぐそちらにですか?ちょっと時間はかかりますが―」
分かりました、と最後にいって、エレナは電話を切った。
「何だって?」
アクスは聞いたが、首を傾げられた。詳しい話はされてないらしい。
「何か、今すぐ教会に来てだって」
「大事な話みたいじゃん。よかったな、とって」
「良かったの、かな」
「多分ね」
―良くない話だったら?
知らない方がいい話だったら?
言おうとして言わなかった
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2007/05/30(Wed)14:02:51 公開 / 柚芽
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■作者からのメッセージ
初投稿です。特に冒険ものは初めてなので,文や会話,表現がへたくそで,読みにくいところがあると思います。すみません。
亀のようにゆっくりとしたペースでの更新ですが、終れるように頑張りますので宜しくお願いします。
もし宜しければ感想をくださると嬉しいです。