- 『くちなしどろっぷ』 作者:泣村響市 / リアル・現代 ショート*2
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原稿用紙約10.2枚
少女は雨が嫌いだったし、少年は飴が嫌いだった。……―なんて、本当はどうでもいいことなのだけれど。
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雨が降っていた。
夏も本番直前、もうそろそろ向日葵が太陽を愛でようと顔を上げ始める時期に似合わない、冷たい雨が。
冷たい雨が。
土を濡らし、世界を濡らし、湿った世界は腐らず冷凍保存されるようだった。
「雨なんて嫌いだ……寒いし」
窓の外を見つめていた少女が呟いた。その視線の先には、ガラスを通り越して雨にぬれる土のグラウンドや、緑を這わせる木々達が。そしてそれを少女は、十年来の友人を街角で見つけたような瞳で見つめていた。
「授業中」
そんな微かな声を聞いてしまったらしい隣の席の少年が、更に呟く。規則的に机と人が並んだ教室の中を、その倍以上の規則的さ、無機質さで照らす蛍光灯を詰まらなそうに睨みながら。
「嫌いだ。嫌いだよ」
少女は少年の注意をあっさりと無視してぽつりと憎憎しげに呟いた。
「……授業中」
少年が面倒くさそうに抑揚の無い声で言う。
しかし、少女の愛しい視線は窓の外に注がれたままだった。
死滅った空気が、死蹴った空気が教室を包んでいる。
定年前の男性教師が教科書の内容を読みあげつつ、熱心に黒板を埋めていく。
「雨なんて嫌いだ……寒いし」
更に少女が呟く。
「……授業中だつってんだろ」
更に、更更に少年も呟く。
「あたしに言ってるんですか」
今更少年の呟きに気付いたらしい。少女は少し不思議そうな顔になり、少年の方をちらと垣間見た。しかし、すぐに瞳を逸らし、少し黒板と自分のノートを見つめたのち、また窓に瞳をついと這わせた。
「おまえに言ってるんですが」
そんな少女の様子を少年は少し苛々したように睨むと小さく舌打ちをする。
「あたしは菜五月加倉(なさつきかくら)っていうのが名前なの」
少年の様子を知ってか知らずか(多分知らないだろう)、少女、否、加倉が面倒そうに名乗りを上げる。全く、何故今更そんな事を問うのだといわんばかりの口ぶりだが、別に少年は加倉に名乗り上げろと言っていたわけではない。
もちろん、
「そんなこと誰もきいてねぇ」
少年は黒板の文字を針字で書き写しながら答えた。ペンをぽろりと机に落下させると渋い表情で消しゴムを筆箱から漁る。どうでもいい事だが、どうやら書き間違いをしたらしい。
「だから喋ったっていいじゃない」
加倉は暴論をさらりと唱えている。どう何をくっ付ければ名乗り上げたことが授業中の独り言の免除に繋がるのだろう。バイクを瞬間接着剤で壁に引っ付けるくらい強引なくっつけ方であることだけは確かだった。
「わけがわかんねーよ。うるせー」
窓に付いた水滴がぽろぽろと泣くように流れていく。
「あたしこと菜五月加倉様から言わせて貰えば君の方が五月蝿いの、黙って。何様のつもり」
「俺様のつもりだがね。名乗りを上げるなら草等正使(そうとうせいし)様だな」
其の正使の言葉に、加倉は彼の方を向く。
静かな、しかして鋭い視線を針のように飛ばす。
「この世界で自分に様付けしていいのは浮かれた馬鹿を除けばあたしだけなの。」
その冷たい針を眠たそうな三白眼が受け止める。
「ふん、じゃあ俺は浮かれた馬鹿じゃねぇと。ありがとさん」
「変な揚げ足取らないで。重箱の隅を突かれるのはとても不愉快」
直も針を飛ばす。
二人の所為で湿っていた空気の中にさらに嵐の予感さえ感じられる教室とは違い、校庭を濡らす世界の雨は唯静かに落ちていった。
「俺は変な揚げ足を取るのが趣味なんだ。ま、他人に否定されるような趣味を持った覚えはあるがな、でも重箱の隅を突くかつつかねーかは客人の勝手だろ」
しかし、少しずつ雨脚が強くなっていくのは確かだった。
静かに静かにしかして確かに確かに、雨音は教室という静かな世界の音を奪っていった。無機質に並ぶ机や椅子や人間たちが少しだけ表情を曇らせて行ったのは、しかして雨だけの所為ではなかったのだが。
やんわりと回避。
「だったら不愉快になるかならないかも家の人間の勝手なの」
「勝手に不愉快になってろ」
苦い表情になり正使が呟く。
「それじゃあたしの負けなの。真っ向から不愉快って言ってやるのがあたしの流儀」
無表情に針を飛ばす。
「流儀、なら曲げんのもさぞかし不味かろう」
「不味いものは嫌い。どうせ食らうならおいしいものがいいの。ついでに飴は合成着色料無しのものがいいの」
二人の空気を食って、教室の空気が更に湿る。
蛍光灯のみが教室を無機質に照らしていた。
それでも二人は静かな攻防を続ける。
べえ、と小さく下を突き出し、正使は斑っ気に吐き捨てる。
「飴なんて甘ったるいもんくえねーよ」
「全世界の飴に謝れ」
何をそんなにコイツは飴に拘るのだろう。いや、どうでもいいか、と思考を投げ捨てる。
途中で思考の壁にぶつかり、考えを放棄するのは嫌いではなかった。
「全世界の飴、ごめんなさい。これでいいか」
「そんなんじゃ世界中に響かないの。もっと世界の中心で愛を叫ぶぐらいの音量で言わないと誰の心にも響かないの」
「響かせるか」
「響かせろ」
無茶なことを言いなさる、と正使は視線を黒板に戻す。黒くないくせに黒板とはこれいかに、などといかにもどうでもいいことを考え、隣の加倉の方へ、眼だけを動かす。
「雨なんて嫌いだ」そんな呟きが聞こえてきた。「雨なんて嫌いだ。雨なんて嫌いだ」
憎憎しげに、苦苦しげに、
「早く止んでしまえ」
と。
「雨、嫌い?」
「君のそういう態度と同等に嫌い」
「失礼な」
「礼を失ったことなんて断言できて一度もないの」
「そりゃ重畳で」
「使用法を考えなさい」
「何で嫌いなんですか」
「何でいきなり敬語なの」
「俺の半分は何となくで形成されているんだ」
「水分は何処へいったの」
「残りの半分の方へ」
「干からびて死ね」
そう返事を返すと、またして窓を見つめる。木々と濡れたグラウンド。それを見つめる瞳は、とてもそれらをいとおしげに。
しかして声に出すのは憎憎しげに。
「雨なんて止んでしまえ」
呪うように。
「あちゃぱー」
玄関口にて空を見つめ、隣の少年がふざけた声をあげた。
昼頃から降り始めた雨は、さらに雨脚を強め、傘を差さずに帰ればきっと下着まで濡れ鼠になることだろう。
傘は好きだ。嫌いな雨に対抗できるような気持ちになるから。
あの日のように、あの頃のように、濡れて帰らずに、惨めな気持ちで帰らずに、済むから。
そんな事を加倉が考えているうちも、隣の少年――確か、正使と名乗っていた――は呆けたような諦めたような声音で呟いた。
「傘無ぇー」
ふん、と加倉を鼻を鳴らす。阿呆だ。そう思って。
そして見せびらかすように紅い傘をぽん、と広げ、彼の横を通り過ぎようとすると、はぁ、と彼は小さく溜息を吐いて、躊躇い無く玄関口から出ようとした。
雨を一身に浴びて。
あの日の私のように。あの頃の私のように。
不思議な気分になったのだ。
「あれ」
少年の面倒そうな顔が不思議な色に染まる。
まったく、と加倉は心中で大きく溜息を吐く。
「入ってくといいの」
何も言わない雨は、紅い傘を濡らしていった。
これだから雨は大嫌いだ。
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2006/10/23(Mon)18:17:09 公開 / 泣村響市
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■作者からのメッセージ
題名には意味がないようであったりします。
分かった方はご一報下さい。嘘です、別に心の底に仕舞って置いても綺麗サッパリ忘れてもらってもいいです。
三作目です。
少し前に書いた短編をもうちょっと短くして描写を少し変えてみただけという産物です。当時は綺麗な描写を目指していたのですが、今は丸投げ状態に近いです。
今回の目標はサッパリした話でした。
批判やご感想をいただけたら本当に嬉しいなあと思っています。
それでは泣村でした。