- 『ショウちゃんとハク君』 作者:碧 / リアル・現代 ショート*2
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原稿用紙約7.4枚
何歳になっても五歳のままのショウちゃん。彼の唯一の友達は、冷酷な父親が拾ってきた、子猫のハク。彼はハクを愛するあまり……。
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「ショウちゃん、大きくなったら何になりたい? 」
「ニンゲン! 」
ショウちゃんは、大きな瞳を輝かせて、いつもそう答える。五歳のときからそう言い続けている。小学校の六年生になった今でも、答えは相変わらず「ニンゲン」のままだ。
「あいつはニンゲンなんかになれねぇよ」
ガンちゃんは、吐いて捨てるように言う。
「あの顔見るだけでムカムカするんだよ、ババア、どっか捨てて来いよ」
ショウちゃんは、ガンちゃんを恐れている。すぐに殴るし、大きな声で怒鳴るからだ。ショウちゃんには、ガンちゃんが怒っている理由がよく分からなかった。
ショウちゃんが小学校1年生くらいの頃、冷蔵庫から出したイチゴジャムを使って、壁に絵を描いた。真っ赤な船が、真っ白な空を飛んでいるところを描いたのに、ガンちゃんは、何も言わずにショウちゃんを壁にたたきつけた。ピアニカのホースで、牛乳を飲んでいたときも、横っ面を張り倒された。牛乳が、床に飛び散った。
トイレから出た後、パンツとズボンをすぐに履かなかった、それけでも、ガンちゃんを怒らせた。そのまま遊びに行こうと玄関のドアを開けて、ガンちゃんと鉢合わせしたのだった。ついでにその時は、靴も履いていなかった。
とにかく、ガンちゃんが気に入らないことをすれば、怒られる。それだけはショウちゃんにも分かっていた。
だから、ショウちゃんはガンちゃんの前では、石になることにした。何も話さない。動かない。ガンちゃんに命令されたことだけをする。そうしていれば、あまり殴られずに済むからだ。
たまに、ガンちゃんが喜ぶことがあった。
「おいバカ、てめぇのババアを呼んでこい! 」
そう言われて、ミカさんを呼んで来るときがそうだった。
「おい、こいつ、そんなにバカじゃねぇぞ、ババアが誰かは、分かるらしいからな」
ガンちゃんはそう言って、何がおかしいのか、上機嫌で笑うのだ。
ミカさんは、悲しげな顔でショウちゃんを見る。五歳のまま、自分より大きくなってしまった息子が、無抵抗に夫に殴られているときも、自分がガンちゃんに殴られているときも、やっぱり同じ目をしていた。ミカさんの表情は、いつからかずっと固まったようにそのままだった。
「翔太、ママと一緒に、遠いところにいこうか? 」
ミカさんは、まだショウちゃんが小さかったころ、細い両腕で彼の体を抱き締めながら、時々そう言った。
ショウちゃんは、やっぱり大きな瞳を輝かせて、
「うん! いっしょ、いく! 」
いつもそう答えた。
その言葉を聞くと、ミカさんは肩を震わせて泣いた。
「やさしいね、翔太は」
けれども、結局、ショウちゃんとミカさんは、遠いところに行かなかった。
ある日、一人っ子だったショウちゃんに弟ができた。薄汚れた小さな男の子を、ガンちゃんが道端で拾ってきたのだ。名前は、ハク。
ハク君は、ショウちゃんにすぐに懐いた。まるで兄弟のように、いつも体をくっつけて、内緒話をしては笑いあった。二人は言葉を話すことが上手ではなかったけれど、気持ちだけは通じ合っていた。
ガンちゃんは、それが気に入らなかった。ハクは、自分に一番懐くべきだと思っていたのだ。
「誰に拾ってもらったと思ってんだよ、バカに懐きやがって! ハク! てめぇなんか、殺してやるよ! 」
ハク君は、助けを求めるように、ショウちゃんの顔を見た。
ショウちゃんは、真っ青になった。
(ハク君、殺される……)
ショウちゃんは、ハク君の小さな体を抱いて、ガンちゃんに見つからないところに隠そうと、狭い家のなかをウロウロと歩き回った。そして押入れの中の衣装ケースのなかにハク君を隠すと、助けを求めるように鳴くその声に耳をふさぎながら、押入れをそっと閉めてしまった。
「おい、ババア、ハクがいねぇぞ? 」
異変に最初に気づいたのは、ガンちゃんだった。ミカさんが、慌てて家中を探した。
押入れの衣装ケースの中で、ぐったりしている子猫のハクを見つけて、ミカさんが悲鳴を上げた。
「ハクを殺したのは、てめぇだぞ、翔太」
ガンちゃんは、この時はショウちゃんを殴らなかった。その声は、いつもと違って、静かだった。
「ハク君はね、遠いところにいっちゃったのよ」
ミカさんが、そっとショウちゃんの背中をなでた。
「あいつ、今度は人をヤるぞ」
子猫を弔った後、ガンちゃんがいつになく真面目な声でミカさんに言ったのを、ショウちゃんは知らない。
「翔太は、優しい子よ……」
ミカさんはその時、珍しくガンちゃんに逆らうようなことを言った。
「優しいとかそうじゃないとか言ってられねぇだろ。あいつには、やっていいことと悪いことの区別がつかねぇ、って話だよ。体ばっかりでかくなりやがって」
「大きくなったら、何になりたい」
そう聞かれるたび、ショウちゃんは、大きな目を輝かせて答える。
「ニンゲン! 」
ショウちゃんは、五歳の心のままで、二十歳になっていた。
新しくショウちゃんの家になった場所に、ガンちゃんはいなかった。ミカさんもいなかった。
たまにミカさんが、ショウちゃんに会いに来る。ガンちゃんは一度も来たことがない。
ハク君は、遠い所にいってしまったけれど、ここにはハク君に似た友達がたくさんいて、皆で仲良く暮らしている。
ショウちゃんの一番の友達は、尻尾なんてないのに、自分の尻尾を追いかけて、一日中ぐるぐる回っているリク君。それから、彼がほのかな恋心を寄せているのは、窓の所に座って、一日中外を眺めて幸せそうな顔をしている、言葉を持たないメイちゃんだった。
ガンちゃんに怯えなくて済むようになってから、ショウちゃんはふと気がついた。
そうだ、あの時、ハク君を隠さなくても、ガンちゃんをどうにかすれば良かったんだ……、と。
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2006/10/16(Mon)16:08:19 公開 / 碧
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■作者からのメッセージ
読んでくださった方にお礼を申し上げます。
子どもって、時々とんでもないことをしますよね。その無知な優しさは、時として残酷です。
金魚にえさをあげようとして、一袋全部水槽につっこんで全滅させたり。
寒い冬には温かい水の方がいいだろうと、亀をお湯の中にいれてみたり。
そこから思いついた短い話です。
ハッピーエンドにしたかったのですが、これが精一杯でした。