- 『サジタリウス〜神の遊戯〜 』 作者:紫静馬 / 異世界 SF
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全角140449文字
容量280898 bytes
原稿用紙約443.3枚
こことは違う、別の世界。そこの人々が生ける大地、シルヴィアは破滅の危機に追いやられていた。いま、その世界に、現実に疲れ果て、世界に絶望した一人の少年が降り立つ。その者、神となるか、悪魔となるか……。
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「っはぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
――ココハ、ドコダ――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
――オレハ、ナニヲシテイル――
「っは、くそっいったいなにが……!」
――ナンダ、コノテハ――
「あ、ああぁ……」
――ナンダ、コノ――
――コノキカイノテハッ!!
「うわああぁぁぁ!!」
『……ずき、一機なのか!? どうした、なにがあった!」
はっ、とその声に引き寄せられ現実に帰る。
狭く薄暗い箱の中で、1人シートのようなものに座っていた。
目の前には青いガラス玉のようなものが埋まっている。
手はもちろん機械ではない。
――そうだ、確か、マリーにそそのかされて俺は……。
『どうした、返事をしろ! おい、一機!!』
また声がした。声のほうを向くと四角いマイク状のものが壁についている。通信機のようだ。
「……ああ、ヘレナか? 大丈夫だ、どこも悪くない」
自分が発した言葉で、相手を知る。
――ヘレナ、そうだ。俺がこの世界に来たときに最初に発見してくれた……。
「……この、世界?」
――なんだそりゃ。世界にこのもあのもあって……
『……おい一機! 黙ってないで何とか言え!! なぜそれに乗っている!!』
『えへへへへ……隊長すみません』
『! やはりお前かっ! だからあれほど触るなと……』
二人の言い争いで、思考が邪魔される。どうやら記憶が錯乱しているようだ。
――えっと、俺は、誰だ? ここは……。
『隊長、そんなケンカしてる場合じゃありませんよ! レイズを見てください!』
『なんだ今度は!? ……うっ!』
新たに通信に入ってきた若い男の声に従い自分も目の前の球体――これがレイズだろう――を見る。
その中には中心の赤い点――おそらくこれが自分――に50くらいの黄色い点が近づいてきているのが描かれていた。たぶんこれは敵だ。
『くぅ……一機、早く逃げろ! すぐそっちに行く!』
『待ってください! そいつは足が遅いんです。この距離じゃとても間に合いません!!』
『なに!? じゃあどうすれば……』
『任せてください。手はあります。……一機、そいつの大砲であいつら蹴散らして!!』
『な……』
『ええっ!?』
「…………」
女性の驚きのあまり絶句した声を、男は驚愕した声を出したが、指名された本人は驚かず何も言わなかった。ある程度予想がついたから、じゃない。
『ば、馬鹿を言うなっ! 乗ったばかりの人間にMNが操れるものか!!』
『そ、そうだお前何わけわからないことを……』
『うるさい、ハンス。どうせ隊長とあんただけでこの数どうにかできないでしょ。ここはこいつに任せるしかないのよ』
『し、しかし……』
『よく聞いて、一機。そいつの動かし方はね』
「……いい。わかる」
『……え?』
そう。驚かなかったのは、ある程度予想がついたからじゃない。
それどころじゃなかったからだ。
「転身、開始……!」
フッ、と視界が揺れたかと思うと、箱の中から一転荒野に立たされる。
手はさっきのように鋼鉄に。そう、これはこの機体の視界だ。
20mになった身長も、突然増えた体重も、背中の巨大な大砲と80発の砲弾の重みも、鉄の皮膚にあたる風の暑さも伝わる。
当然、近づいてくる17mもある1つ目の鋼鉄巨人たちも見える。
「砲身、接続……!」
その声に従い、背中にあるこの巨体をも越す長い大砲が機械音とともに動き出す。
まず後ろに下がり、バックパックを越えた後右により、肩を越えたあたりで45度下を向き、そのままわきの下へ入る。
わきの下で固定し、標的に向かって構える。
――原理は昔の銃の変形だ。いったん撃ったらハンマーを引いて、薬莢を捨てたら次弾装填を確認してトリガーを引く。
「……フン。なんでこんなことがわかるんだか」
そうだ。わかるのだ。
さっきからそうだ。自然に脳みその中に刷り込まれる。どう動かすのか。これが何なのか。
「ターゲット、インサイト……」
敵の1体に標準を向ける。目視だが大丈夫。必ず当たる。
「喰らえ……サジタリウスの46cm(フォーティシックス)を……撃てぇ!!」
ブォォン!!
「ぐ……!」
発射の衝撃がこちらにまできた。ビリビリと腕が痛くなり爆風が身を焦がす。
痛みにふるえている間に超高速で弾が飛んでいく。至近距離だったので、撃ったかと思えば命中した。
ズガァァン!!
轟音が鳴り響き、発射時の爆風とは比べ物にならない炎が着弾した敵を包み、粉砕する。
あまりの爆発だったので、まわりの機体も吹っ飛んだ。
ガシャン! とハンマーを下げる。
「次!!」
言われるまでもなく次弾がマシンガンと同じくベルトコンベア式で装填された。追うかのようにトリガーを引く。
ブォォン!!
また爆音、そして爆発。
敵は何が起こったのかわからず慌てふためいている。機体を見て解るのが何とも滑稽だった。
ズガァァン!!
また爆発。あるものは木っ端微塵になり、またあるものは天高く飛び上がった。
『す、すごい……』
とてつもない威力に、発案した本人も言葉を失っている。
「は、はは……」
唇を無性になめ回す。
そのすさまじい光景を見て、
的場 一機は、心の中の何かが潤っていくのを感じていた。
胸ポケットに入れた手のひら大の宝石が、ほの暗く光っているなど気付かずに。
的場 一機とは何者なのか。
この世界は何なのか。
あの鋼鉄の巨人は何なのか。
それは、これから語られる――
サジタリウス〜神の遊戯〜
プロローグ 崩壊の序章
to be continued……
――第1話――
「……はあ」
降り注ぐ酸性雨の中、ふと立ち止まって朝早くから溜め息を落とす。寒さが日増しに強くなっていく秋の寒空に一瞬白く現れて消えた。
3年間通ってきたこの通学路に、何回溜め息を捨てたか考えようとして、止める。意味がない。
傘のなかの学生服にジャンパーのみの姿が、身長以上に小さく、薄く見える。存在感がないのだ。
「……あ〜あ」
周りを2、3人で仲良く歩いていく同校の人間が増えてきたところで、県立燃余(もえあま)高等学校3−A、的場 一機(まとば かずき)は溜め息記録を1つ追加した。
――うるさい。
耐えかねなくなって、一機はメガネを外して短髪頭をガリガリ掻く。ウザッたくて仕方ない。
「……で、〜〜が、**だって」
「うっそーっ! じゃあ、〇〇が……」
周囲を見まわすと、女子が声高々に軽口を叩き合っている。別の所では男子も同じく。弁当食っているやつもいる。マンガ雑誌をスナック片手に読み漁っているのも。まあそれは別に普通だ。
ここが教室で、しかも授業中でなければ。
――なにしに学校来てんだよ、お前ら。
周りの人間を馬鹿共が……と見下す一機も、別にノートをしっかり取っているわけではない。書かないこともないが、大抵は手持ちぶたさに暇そうにしているだけ。
「え〜、つまり、ここの数式はこうなって……」
教壇では物理教師が、我関せずと言ったように黙々と誰も聞いてない授業をこなしている。注意もなにもせず。教師もやる気が全然ないのだ。
でも、この物理教師などひどく勤勉な方で、だいたいの教師はビデオ流したりCD流したりしているだけだったりする。
一見するとありえないこの現状。だが、この県立燃余高校ではそれが成立するのだ。
「……あ、また誰か吸いやがったな……」
枯れ散る落ち葉に隠れていた吸殻が箒によって掘り出される。いっそ学校燃やしてしまえ。ただでさえ朝の雨で地面がぬかるんでいるのに、と一機の名かで危険な考えが芽生える。
今一機がいるのは高校の体育館裏。清掃の時間なので掃除中だ。一機1人で。
ここと屋上はこの学校の人間は知らぬもののいない喫煙スポット。実のところ教室だろうが職員室だろうが吸っても1人を覗いて誰も気にしないのだが、隠れて吸うのにスリルでも感じているのだろうか。
なのでここは吸殻がたまるたまる。いくら掃いてもキリがないくらい。たまに中に液体が入っている丸まったゴム製の物体とか毟り取られたようなボタンとか歯とかある。この前は女物の下着もあった。そんな場所を誰の手助けなく掃除しても綺麗になるわけがない。それも非公式的に。
「あのー、一機、くん」
「ん? ああ、先生、どうかしました?」
後ろから声を掛けられた。振り返るまでもなく一機には誰だか分かった。いつものことだから。
腰あたりまであるロングヘアーにスラリとした楕円型メガネ。霞 今日子(かすみ きょうこ)、新任の英語教師。この人が『1人を除いて』の1人。
「あ、あのね、どうして掃除しているの……?」
「? まだ掃除の時間じゃないですか。普通でしょう」
教師の意図するところはそこじゃないのをわかっていて一機はすっとぼける。「いや、あの」とあわてふためくのもいつものことと鼻で笑う。
「そうじゃなくて、ここ、一機くんの担当じゃないでしょ」
その通り。本来の一機の掃除場所は全然違うところなのに、勝手に掃いているのだ。ここが一機の掃除区域だったのは一機が1年生の時になる。
「いいじゃないですか。どうせここ誰も来ないんだし、そっちには他の奴がちゃんといるでしょう」
「だから、そういうことじゃなくてね、ちゃんと決められた場所をきちんと……」
――あー、うるさい。
一機はうっとうしそうに
おどおどしているくせに変に真面目。何度も話しているのに全然止めないのを知っててなおも諦めぬ所は賞賛に値するが、正直うざったい。
「だってここ、俺がいないとすぐゴミだらけになるんですもん。とても見てられません」
「それはいいことだと思うけど、でも……」
「それより先生こそ、視聴覚室担当でしょ。こんなとこいて良いんですか」
「……だって、いても誰もこないから……」
「はい?」
ボソリと呟いた言葉を聞き返す。ちゃんと聞こえたのだが。
「あ、ううん。なんでもないわ。そうよね。それじゃ、あしたはちゃんと掃除するのよ」
言うだけいって、トタトタと早足で帰っていく。ボロが出るのを恐れたのだろう。
あの先公がいつもここに来るのは、本来の自分の区域には誰もこないから寂しくて、いつも定位置にいる一機が恋しくなるのだろう。一機はこの学校では珍しい教師に従順なタイプだから。
実際問題、この学校での掃除時間は昼休みの延長でしかない。ほとんど誰もマトモに掃除などしやしない。この学校は、既にモラルなど崩壊しているのだ。
一機がここを掃除するのは、ほかに理由がある。
何かしていないと落ち着かないし、この時間帯ここにいれば誰にも会わなくてすむ。
耳障りなノイズを奏でる、騒々しい害虫どもに。
「……あのー、閉館ですよ」
「……ん? あ」
放課後の図書室で突っ伏して寝ていたら、目の前に『図書室の魔女』が立っていた。
三つ編みの少し伸びた前髪の下から、無機質な眼差しで貫いてくる。
「貴方、いつも来てますね。こんな蔵書の少ない所に来て何が楽しいんですか」
「……それはお互い様じゃないか、魔女さん」
そう言うと、間陀羅 麻紀(まだら まき)はにやりと嘲ったような薄笑いを見せた。口から八重歯が覗く。
この女は、図書委員会所属だからと組まれているはずのシフトを完全無視して毎日図書室に居座り番をしている。その奇怪さと元来の毒舌家と無表情で『図書室の魔女』呼ばわりされている謎が多い人物。まあこいつがいなかったら図書室は毎日無人になるが。
「確か、弓道部だったんじゃないか。こう毎日番してていいのかよ」
「ご心配なく。ちゃんと行ってますから」
「……おたく俺のクラスメートだろ。とっくに引退してるはずでは?」
「知ってて言う貴方も貴方ですね。弓を撃つだけですよ。私1人で」
「ああ、おたくんとこも幽霊部か……」
この高校において幽霊部はそれほど珍しくない。部室は暇人どもの溜まり場と化している。高校全体がそうとも言えるが。
「廃部したほうがいいと思うんですけど、さすがに部活がない学校なんて誰も来ませんしね。……あ、噂をすれば」
窓の外から怒声と物が割れる音が聞こえる。これもこの高校の日課だ。
「また野球部か……部長が代議士の息子じゃなかったらとっくに逮捕されてるな」
「逮捕はされてますよ。すぐに釈放されるだけで」
「あんな連中でも卒業できんだからいい高校だよなあ……単位制万歳ってとこか」
その悪名高い野球部部長は3−C山伏 幸光(やまぶし ゆきみつ)と言い、父の威を借りてヤリたい放題している。暴力事件は日常茶飯事、女子を部室に連れ込んでいるとの噂も。ついでに一機が掃除している体育館裏のタバコもこいつと取り巻きの仕業だ。
「入学基準が甘すぎるんでしょ。自由な校風を掲げてますから普通の高校じゃ鼻にもかけない奴も入れてしまい、そう言ったからには退学させ辛くて無法者の溜まり場みたくなってしまう」
「ときたま思うんだけど、ここって絶対隔離病棟だよな……公害病の」
「腐ったミカンですか。言い得て妙かも知れませんね。それはそうと、さっき番がどうとか言ってましたが、あなたこそ図書委員でしょ。ちゃんとシフト通りに出てください」
「……無理やり話を戻したな。いいじゃん別にお前いっつもいるんだから。ていうか違う意味でシフト守ってない奴に言われたくない」
「……やれやれ、あなたも腐ったミカンですね」
「ぐ……」
冷たい微笑みと共に突きつけられた言葉がグサリと刺さる。
「そ、そう言うお前はどうなんだよ。なんでここに入ったんだ」
「別にどこでもよかったけど、ここは受験が簡単だったからです。貴方もそうでしょ?」
「う……ん」
もうなにも言えなくなった。図星を刺されすぎだ。
「さて、無駄話はここまでにしてと。さっさと帰ってください。閉館です」
「はいはいわかったよ。ところで、雨まだ降ってるか?」
「そんなもんとっくに止みましたよ。外くらい見たらどうですか」
「……いちいち毒がある言葉だなどうも。しかし、今日は珍しくよくしゃべるな」
「……それこそ、貴方には言われたくないですよ」
魔女の笑みを背に受けながら、図書室から去っていく。
あとから考えると、麻紀は悟っていたのかもしれない。
話す機会がもうここしかないのに。
「あーあ、雨止んじまってるよホント。こんなだったら自転車で来るべきだったかな」
掃除中止んでいたがまだ曇天模様だったためこりゃすぐまた振り出すなと予想していたが見事に外れ。
グチグチ文句をたれながら帰路につく。
――もし、雨が降らなかったら。
あるいは、降りつづけていたら。
「こりゃ見事な快晴だ。自転車の方が良かったなぁ……もう秋だってのに太陽がまぶし―」
まだブツブツ言い続けている。世間一般が思っているおとなしい寡黙な少年、などというイメージは幻想だ。
「さてと、ほんとにどうすっかなあ……家帰っても仕方ないし、自転車ないんじゃ本屋にもカラオケにもビデオ屋にだって行けないし……う〜ん」
――もし、太陽が照りつけていなかったら。
もし、自転車があれば。
「――仕方がない、帰って寝るか。くっそ、この道通るんじゃなかった。遠回りだな」
一機は最初街に寄るつもりだったので、自宅とは逆方向に向かっていた。行かないとすれば、いったん戻って抜け道を通らなくてはならない。
「あ〜あ、なにしてんだろ俺……」
1人つぶやいた問いになど、誰も答えなかった。
――もし、道を戻らなければ。
そうすれば、見つけることはなかった。
「早く帰って、ちゃっちゃと寝るか……ん?」
チカチカと、光が目に入った。
光源をみると、道ばたに何か光るものがあった。
近づいてみるとガラス玉のようなものが。雨で濡れたガラス玉に、太陽の光が反射したのだろう。
「なんだこりゃ……?」
ふと気になって、手に取ってみる。
そんな、偶然と呼ぶにはあまりにも作為的で、運命と呼ぶにはあまりにも幼稚な積み重ね。
それらすべてが重なって、1つになったとき、
「ガラス……じゃないな。ダイヤ……なわけないか」
拾い上げてみると、それは手の平台の透き通った石だった。
だがダイヤのわけはあるまい。こんな大きさのダイヤ値段が付けられまい。そんなものがここにあるわけ――
「――え?」
ドクン。
「え? え、え?」
ドクンドクン。
「え……ええ?」
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン……!
「え? え……えぇ!?」
急に鼓動が強くなっていく。心臓が通常の数十倍のスピードで稼働している。燃え尽きんがばかりに。
「な……なんだよ、これ……?」
突然起こった異常事態にわけが分からなくなっている。それでも手は離さない。
――そうだ、こいつ――!
原因はこれしかない。手の中にある石を見る。
「――!?」
すると、信じられないことが起こった。
透明であるはずの石の中に、光が見える。
――いや、
光などと呼んでいいのだろうか。
それは、その光は、
どこまでも黒く、どこまでも暗く、
そして――
どこまでも、空虚。
「あ、ああ……ああああああああアアアアアアアアAaAaAaAaAaAaAaAaーーーッ!!?」
絶叫。
なにに対して、なにが怖かったのか、自分でもわからずに、ただ叫んでいた。
その声に呼応するかのように黒い旋風が起こり、一機を吹き飛ばしたが、その時にはもう意識を失っていた。
「……!!」
「老、どうかしましたか? 引きつった顔をして」
とある場所。城塞の地下深くの小部屋。
「また……新たなものがきた……」
老と呼ばれた男はその名の通り年老いている。齢100に届くだろうか。
それを聞くと、男は感心したかのようにフッと笑う。こちらは30過ぎくらいか。
「また、ですか。あいかわらず恐れ入りますな。で、今回は?」
「むう……」
「……? なにか、まずいものでも?」
いつもと違うのに気がつき、返事を急かす。ここまでこの老人がもったいぶるのは珍しいからだ。
「いや……力はそれほどではない。ただ……」
「……ただ?」
「因果を……感じる。途方もない、因果を……」
「因……果?」
「さよう……まるで……」
「神の……ごとく」
「か、かみ……ですって?」
同時刻。また別の場所。ある塔の奥。
雪のように白い少女が、10歳ほど上の女性にしがみついている。
「うん……そう聞こえた。今は大したことないけど、すぐにすごい嵐を生み出す存在になるって……怖い、怖いよう……」
「大丈夫、大丈夫だからね……」
泣き出した少女をあわててあやす。
「でも……そんなすごい嵐を巻き起こすだなんて……そんなもの、神じゃなくて……」
「悪魔……ではないのか?」
同時刻。また別の場所。荒波を漂う巨船の中。
「は。そうとも言えるかもしれません」
40過ぎの肥え太った大男に、フードで全身を覆った筋肉質の巨漢が言った。
「なんてことだ……君らとの交渉にわざわざ出向いてきてみて、最初の一言がこれとはな……」
疲れ果てたかのように天を仰ぐ。
「我らとて、そのようなお告げが下るとは夢にも思わず。好きこのんでではありませぬ」
「ああ、わかっている。しかし、カリータ随一の力の持ち主でも、神か悪魔かもわからぬか……まあ、似たようなものかお互い」
「…………」
フードの下に隠れていた巨漢の目が鋭くとぎすまされたのを見て、大男はギョッとする。
「あ、すまない。別にアルガルフ神を侮辱したわけではないよ」
「……承知しております」
殺意が消えたので息を吐く。ほんの一瞬のことなのに冷や汗が大量に流れ出ていた。
「フゥ……しかし、我々の悲願が成就せしというところで、こんな横やりが入るとは。それで、ほかになんと言っていた?」
「はっ。そのもの、神としても悪魔としても、必ずこの世界に……」
「……この、世界に?」
「……破滅を、招く」
今度は全く別の場所。深淵の黒き森の中に佇む、鋼鉄の城。
「やはり、来たか……そうでなくては……」
20代前半の若い男の顔が、グニャリと歪む。
「さあ……始まるぞ、この世界の終焉が」
スッと立ち上がり、見えぬ天を仰ぎ見る。
「終焉は奴によって生まれ、育まれ、そして滅びる。奴には、その力がある。才がある……」
クックックと、押し殺していた笑いがこぼれ始める。耐えきれないようだ。
「そして! そのときこそ、我が目的が果たされる! 待っている、待っているぞこの俺はっ!! ……フッフッフッフ、ハッハッハッハッハ、ハーハッハッハッハッ、ヒャーハッハッハッハッハ!!」
城すべてに響き渡る狂気の笑い声が、いつ果てるともなく続いていた――
――そう。それらすべてが重なって、1つになったとき、
多くの、あまりにも多くのものの運命を狂わす、災厄となる――
「――おい、おい、しっかりしろ」
――ん?
暗闇の中、誰かに揺さぶられる感覚と、自分を呼ぶ声が聞こえる。
「おいお前、大丈夫か? ケガは――してないようだが」
――誰だ、俺を呼ぶのは?
今だまどろみの中にいる頭で考えるが、誰とも違う、優しくて強い声。
「おい、起きろ。何があったんだ、おい」
――俺を、呼ぶ人間なんて、いないのに――
夢だと思った。現実で自分を呼ぶ者などいない。必要ないから。
「まったく、囮となって隊を離れてみたら行き倒れを見つけるとはな……こんなところに人がいるはずはないのだが……」
――誰、なんだ、いったい――?
目を開けて、姿を見たかったが、意識が完全に戻っておらずどうにもならない。――あるいは、目を開けて夢だと知りたくないのか。
「む……見慣れぬ服だな……ひょっとすると『文明の漂流』に巻き込まれたのか?」
――ブンメイ? ヒョウリュウ? わからない――
聞き覚えの無い単語。やはり夢か。ならば目覚めたくない。このままこの声を聞いていたい。
「――しょうがない。連れて行くか。置いていくわけにもいかぬし……む」
――ん?
声が怪訝なものに変わったと思ったそのとき、地震のように大地が揺れる感覚が。
「――きたっ!」
ガシャン! ズガガッ! バシイィン!!
「ギシャアアアアアアアアアアアッ!!」
――!?
何か大きな物が倒れる音がしたかと思うと、鼓膜が破れるほど大きな獣の叫びが辺りに響いた。
「くっ、さっきの魔獣かっ! 生き残りがいたか……MNに乗らねば。おいお前、そこを動くなよ!!」
切羽詰ったその声が、自分の側から離れていくのがわかった。
――ま、待って。置いてか、ないで……!
1人になる。
そのいい知れない恐怖にとらわれ、追いすがろうとするが、大地を揺るがす轟音で阻まれる。
「うおおおおおおっ!!」
その声は、天にも届かんばかりの、正に戦いの女神の叫びだった。
「なん……なんだ……?」
ゆっくりと目を開けた先に見えたもの。それは、
――これは、
光の中、巨大な獣を斬りつける巨人。
その鋼鉄の肢体から、確かに感じ取れる。
戦乙女の息吹と、魂の輝きが。
――なんて、キレイなんだ――
それを最後に、また意識が途絶えた。
それが、二人の出会いだった。
運命を揺るがす、伝説の物語。
始まりとなる、出会い――
サジタリウス〜神の遊戯〜
第1話 その出会い、運命にあらず
to be continued……
――第2話――
――あー、うるさい。
朝礼の中、何度思ったか分からない言葉をまた反芻した。
「てんめえ、いい気になってんじゃねぇぞ!!」
「あ〜らそれはあなたでしょう? 代議士の息子かどうか知りませんが、この私にそんな下賎な口叩いてもいいと思って?」
金髪ツンツン頭の不良と、金髪ツインテールの女が言い合っている。
「なぁにがこの私だ! ただの薬屋じゃねぇか!!」
「ただの薬屋!? 失礼な、この大大手折口製薬の一人娘、折口 麗奈(おりぐち れいな)に向かってそのような暴言……許せませんわっ!!」
「ゆぅるぅさぁなぁいぃ? じゃあどうすんだお嬢様ぁ?」
「くっ……乾、やってしまいなさい!」
その声を聞き、秋葉原にいそうな厚縁メガネの男子が現れる。
そんなこと気にせずに朝礼は続けられる。校長のバーコード黒部 林蔵(くろべ りんぞう)もお定まりの挨拶をグダグダ続け、我が3−A担任の物理教師新木 郎(あらき ろう)に至ってはあくびをしている。
山伏 幸光率いる野球部と、折口 麗奈の取り巻き集団(と言っても戦っているのは乾 叶(いぬい かのう)だけだが)が乱闘していても誰も気にしない。
ここはそんな学校。それが県立燃余(もえあま)高校。表斬(おもてざん)市最低と呼ばれている高校だ。
――やれやれ、やっと終わったよ。
放課後の学校の階段を2段飛ばしで駆け下りる。
こんなとこ早く帰りたいと言う思いが強くて、つい前方不注意をしていた。
「きゃっ!」
「おっと失敬」
下からきた女子にぶつかりそうになった。とっさに急ブレーキしたので衝突は防がれて、そのまま過ぎ去ろうとしたが、
「ちょっと待ちなさい! この無礼者!!」
呼びとめられた。喋り方で誰だか分かる。
――うっわ最悪だ。まずいのに会っちっまった。
見上げてみると、中学生に見える身長に金髪ツインテール。間違い無い。今日の朝礼でけんかしてた女だ。
「人にぶつかっておいて何も言わずに行くとはどういうつもり!?」
ぶつかってもいないし一言言った、などとは言わない。この女には無駄だから。
3−B折口 麗奈。山伏率いる野球部と並んで俗に『燃余高校関わっちゃいけないグループ』の頭角。
いっつも取り巻きを連れて歩いて……ないな。あれ?
「どうかしましたか、麗奈さん」
ああ、いたいた。3−A、つまりクラスメートの藤沢 慶(ふじさわ けい)。スポーツ系を思わせるスラリとした長身にショートカット。だが実際は、
「聞いてくださいな慶! こいつ、人にタックルしてきたんですよ!!」
「まぁ、麗奈さんにそんな乱暴なまねをするなんて、まったく一般人はこれだから……」
――お前だって一般人だろ。このコバンザメ。
嫌らしいほどの口調で、だいぶ膨らました話だと知っていながら驚く振りをしている。だいだい真相は分かっているんだろう。
藤沢は、折口のもっとも近くにいる腰巾着、つまり恩恵を1番手にしている人間。故に嫌われては困るから徹底的に媚びを売りまくる。コバンザメというより寄生虫。
――バカバカしい。ついてけるかこんな連中。
これ以上付き合いたくないと帰ろうとするが、そうは問屋がおろさない。
「ちょっと、どこ行こうとしているんですの!?」
「そうよ、麗奈さんの話は終わってないわよ!」
あー、やだやだ。
「はい?」
嫌々ながらも振り返る。その顔を見たとたん2人は顔をしかめる。
「……ちょっ、ちょっと、なんですのその目つき! この私を愚弄するつもり!?」
「……は?」
――愚弄? してますよそりゃ勿論。うざったくて仕方ないです。はい。
「おい貴様、いったいどういうつもりだ。その目は何だ」
藤沢が詰め寄ってくる。よっぽど軽蔑の目で見られたのが気にくわないらしい。
「的場。貴様勉強もスポーツもダメなくせに、何でそんな目で見る」
「……はぁ?」
――なんだそりゃ。確かに成績だって下の中だし、体力測定も平均より下だけど、そりゃお前だって一緒だろ。
「謝れ」
襟首を掴んで絞めてくる。苦しい……。
「…………」
「謝れっつってんだよぉ!!」
――冗談。
何で俺が貴様ら“ごとき”に謝らなきゃならんのだ?
「……フン」
「……!」
思考が伝わったのか、2人は顔を歪めて憤怒をあらわにする。
「この野郎……」
「ええい、乾、やってしまいなさい!!」
その声に従い、朝礼の時出てきたアキバ系が現れる。
――ゲッ! 犬以下いたのかよっ!?
それまで平然としていた一機の顔に焦りが生まれる。
2−C乾 叶。ひきこもりを思わせる風貌とは仮の姿。実際は少林寺拳法全国大会3位受賞の実績を持つ怪物だ。
だが、折口に下僕のようにしたがっているので、名前をとって『犬以下、能無し』との二つ名を持つ。
――やばい、こいつはやばい。
何度も野球部とのケンカを見物していたので、こいつの強さは十分知っている。格闘技の心得を知らぬ身で戦ったら一瞬で塵になる。
と、その時。
「危な〜い」
全然危なくなさそうな声が上からきた。
「? ……うわぁ!?」
ドサッ、ドサドサッ!!
今にも殴りかからんとしていた乾と的場の間に本が大量に落ちてきた。しかも百科事典とか大長編小説とか重くて固いものばかり。こんなの食らったら下手すりゃ即死。
折口も藤沢も、さすがの乾も目を白黒させている。
「すいません落としちゃいました大丈夫ですかぁ〜?」
さっきと同じく全然謝っているように聞こえない声色で早口でまくし立てて降りてくる。その正体は、
「お前、間蛇羅っ!!」
「あら、誰かと思えばクラスメートの藤沢 慶さん〜。ケガしませんでした〜」
さっきからいつもと違う(いつも全然喋らないのだが)すごいのっぺりとした口調で話続けている。間違い無く棒読み。
「な、なにが『ケガしませんでした』ですか! 危うく死ぬところでしたわよっ!!」
「ええ。ですから大丈夫ですかと聞いてるんでございですますなのですよ〜。折口 麗奈さ〜ん」
滅茶苦茶な敬語でひらりとかわしながら、一機をちらちら見る。
――ああ、そっか。
それほど仲が良いわけではないので信じがたいが、多分それが落とした理由だろう。
「ケガは無いようですますでございようですね〜。センセー、大丈夫でしたよー」
見上げながら言ったので、つられて折口達も見上げる。その瞬間的場がすばやく階段を駆け下りた。
「あ、逃げたっ!!」
「ま、待ちなさいこの無礼者っ!!」
誰が待つかとフルスピードで逃げるつもりだったが、1階下に降りて止まった。
「よ、よう的場」
「……先生」
そこに、担任教師新木 郎、朝礼であくびしていた男が立っていたから。
「なんか騒がしいな。来たばっかりだからわからないが、どうかしたのか?」
「……いえ、別に」
――この大嘘つき。自分で最初からいたことバラしてるようなもんじゃねぇか。
大方、関わり会いたくなかったのだろう。ボコボコになる前に出てこようとしたか、大ケガ負って倒れているところを今来ましたよとばかりに現れて抱き起こそうとしたか、多分後者だ。
「そ、そうか? ならいいんだが」
「ええ、それじゃ」
それだけ言うと、逃げる様に走り去った。実際逃げた。1秒もこんなところいたくない。
「フゥ……」
ようやく家に帰ると、カバンを放り投げてベットに倒れこんだ。
それから冷蔵庫を空け、中に入っているリンゴを取り出して、皮付きのままガシュリとかぶりつく。
テレビをつける。ニュースで半年前に消息を絶った自衛隊の事が流れていた。つまんないから消す。
リンゴをかじりながら漫画を読む。つまんなくなって止める。
「はぁ……」
溜め息をまたつきながら部屋を見まわす。
1DK風呂トイレ別。そんな一室には似合わない代物が多い。
テレビは50インチの液晶デジタルテレビだし、ゲーム機は携帯機も含めて最新機はすべて揃っている。パソコンも数10万円する最新鋭機。冷蔵庫も1人暮しには不釣合いなほど巨大。他にも数え切れない。
だが、そのどれもが大して使われていないか、1桁も2桁も安い代物と変わらないぞんざいな扱いをされていた。
ベッドの下から預金通帳を取り出した。
その中には、彼が持つにはあまりにも大きすぎるゼロの羅列があった。そしてそれはどんどん増えていく。
使わないのに高いものを買いつづけるのは、一機のかすかな抵抗だった。
このゼロの羅列を、少しでも削り落としたかったのだ。
だが、そんな抵抗も空しくゼロは増えつづけている。
増やす人間を失ったまま。
「……ったく」
悪態をついて、リンゴをシンクに放り投げるとふてくされるように横になった。
腹立たしいのは、誰でもない自分自身。
そんなこと、一機自身が1番よくわかっていた。
サジタリウス〜神の遊戯〜
第2話 日常(地獄)の喪失
「ん……んぅ……?」
体中に重みを感じながら目を覚ますと、一機はベッドの中にいた。
――ベッド?
そこで妙なことに気づく。明らかに自宅のベッドとは寝心地が違う。
自分が有り余りすぎる金で買った高級ベッドより、全然感触が良い。
不審に思い起きあがり、寝ぼけた瞳で辺りを見まわすと……
「――へ?」
別世界があった。
自宅より明らかに広い空間。床には高価そうな絨毯が広がっていて、天井にはシャンデリア。壁は石造り。よく見てみると自分が寝ているベッドもキングサイズ。
断言する。こんなの自分家じゃない。
「え? えぇ? え……えぇっ!?」
いきなり違う世界に飛ばされたような事態(正解だが)にパニくる一機。
「どうした、何があった!?」
「へぇ!?」
バターンと、混乱状態のさなかにドアから誰かか飛び込んできた。
「あ……」
思わず見とれた。見た事もないような美女だったから。
折口とは比べるのが犯罪的なほど美しい金髪。サファイヤのような青い瞳。白く輝く肌に人形の様に整った顔。スレンダーな肉体を赤のシャツと紫のズボンというラフな格好で包んでいる。
しばらくボーッと見つめていたら、美女は気持ちが悪くなったらしく、
「え、ええい。何をそんなに見つめている。私の顔に何かついているか!?」
ヅカヅカと一機の傍に寄ってくる。
――うっわ、意外と胸大きい――!
遠めでは気づかなかったが、それは予想外のボリューム(D、あるいはE)を誇っていた。
部屋の異様さも美女が誰なのかも全く考えず、ローレライの虜にされた船乗りのように、ただただ見惚れていた。
「おい、貴様聞いているのか? いったいなにを見て……!!」
美女も一機の視線がどこに向けられているのかわかったらしい。顔を真っ赤にして、
「ど、どこを見ているんだこの馬鹿者っ!!」
バシイィ!!
思いっきり引っ叩かれた。
「あだっ!!」
想定外の大ダメージで、頭を抱えてうずくまる。
「き、貴様、助けてやった恩も忘れて、このヘレナ・マリュースの胸をいやらしい目で見るとは……なんという奴だ!!」
「いたた……そ、そんなこと言ったって俺女がそんな至近距離まで近づいた事なくて……助けた?」
必死に言い訳をひねり出そうとした一機の耳に聞き逃せないフレーズが入った。
「助けたって……誰を?」
「貴様に決まっているだろう! 森の中で倒れていたろうがっ!!」
睡眠からの覚醒と混乱状態だった脳内が整理されていく。
――倒れていた? 森の中で? 家の近くに森なんて……!
「――どうした今度は? おい」
頭を抱え、目を見開いたその姿に、ヘレナも異様な様子を感じ取る。
「――そうだ。帰る途中にあの石を見つけて……それで……」
そして思い出す。
石の中から現れた、ほの暗く、どこまでも自分を飲みこまんがばかりの、あの暗い光を――
「あ、ああ……ああああああああアアアアアアアアッ!!」
「おい、どうした!? しっかりしろ!!」
激しく揺さぶられて、現実に引き戻される。目の前にはヘレナの顔が。
「え……? あ……」
「どうしたんだいったい。なにがあったんだ」
「えと、あの……学校から帰る途中で石を拾って、その石を見ていたら……」
言われるまま説明している途中で、大事な事に気づく。
「なあ、ここはどこなんだ? 表斬市じゃないのかここは?」
この部屋の様子はどう見ても日本のものじゃない。まるで中世のヨーロッパだ。表斬市のような田舎にこんな場所があるとは到底思えない。
それを聞くと、ヘレナは辛そうな顔をして目をそらした。
「……その前に、一つ聞いても良いか?」
「あ、ああ……」
「シルヴィアという土地に聞き覚えは?」
「……いや」
「ならばギヴィン、アエス……グリードは?」
「……ない。そんなの。」
全く知らぬと言うその姿に偽りはないと判断したのか、ヘレナは立ちあがって困った様に頭を掻いた。
「……やはり、『文明の漂流』か。これは問題だ……」
「……文明の、漂流?」
また聞き覚えのない単語が出てきた。いや、どこかで聞いたような……。
「……貴様、名前は?」
「え? ま、的場、一機……」
「ならばよく聞け一機、ここは……」
そこで言葉を切り、腕を組みながらはっきりと言った。
「この世界は、お前のいた世界ではない」
それより数時間前。一機が倒れていた森周辺。
筋肉質の巨漢の男が土色のフードを被ったまま戦乙女の帰っていったほうを向いていた。
「…………」
「フゥ……、なんとか、見つからずにすみましたね団長」
「…………」
返事をしないのに、同じくフードを被った10歳近く年上の男は構わず続ける。この男にとって、この反応は至極当然の事なのだ。
「交渉からすぐに帰ってきてみたら、魔獣とシルヴィア親衛隊との戦闘に遭遇。しかもあのヘレナ・マリュースとは。悪いもんでもついてんでしょうかね、まったく」
「…………」
「ま、見つからなかっただけよしとしましょうや。で、そろそろ聞かせてくれませんか、理由を」
質問が来たので、やっと振り向いた。
「交渉を早引けしてすぐさま基地に飛んでった理由ですよ。勝手がすぎるんじゃないですか? これまで慎重に事を運んできたのをダメにしちまう、てのはないでしょうが。じじい達に怒られますよ」
口調は冗談めかしているが、目には非難の色がある。
「……すまんな。だが、この事は巫女からの告げだったのだ。急ぐ必要があった」
「……巫女? ドロネさまで?」
巫女の言葉に顔色を変える。その意味がなんであるか知らぬほどこの男はバカではない。
「ああ。すぐに戻れと知らせがあった。災厄が現ると」
「それって……交渉の時言ってた奴ですかい? 破滅を招くって……」
「……恐らく」
そういうと、男は口元に手を当てて考え込んだ。一見無能そうだが、実は頭の切れる男。それを十分に知っていた。
「――ヘレナ・マリュースのこと、じゃないですよね。奴が隠れ家近くに来たのは、ただの偶然ですし」
「……偶然、で片付けて良いものか」
「はい?」
「……巫女の予言が示す地に、シルヴィアの守り神が現れた。これが何を意味するか……」
「……追わなくて、いいんですかい?」
しばし考えるが、やがで首を横に振って、
「生身ならともかく、MNに乗っていれば勝ち目はない。MBが使えれば話は別だが……」
「そりゃ無理ですよ団長。ありゃ慣れるのに時間がかかります。整備だってまだまだやらなきゃいけないことばっかりだし、とても動かせません」
横から新たな声が割って入ってくる。
褐色の肌に黒目、ブラウンの髪をバンダナでまとめた活発的な姿から、機械油の匂いがする。手にはペンチが。
「ビビ……お前いつの間にきたんだ?」
「たった今ですよ副団長。それよりドロルの奴がいつまで隠れてりゃいーんだーってぼやいてますよ」
「あのバカ……ちょっとそのペンチでブン殴ってこい」
「はーい」
冗談だと思う命令にもなんのリアクションも無しに明るく実行しに行った。
「まったく……団長、俺らも戻りませんか」
「……ああ」
それだけ言うと、森の中に潜めた隠れ家に向かっていく。
――いずれ会う事もある、か。
荒野の犬神団長、ガッド・ザン。
彼が災厄と出会うのは、もう少し先の話である。
「俺のいた世界じゃ、無い……?」
ついオウム返しをしてしまった。まったくわけがわからない。
「信じられない気持ちもわかるが事実だ。ここはシルヴィア大陸。こんな場所お前の世界にあったか?」
「……いや」
「そうだ。ここはお前のいた世界ではない。全然違う世界なのだ。」
冗談としか思えないが、言っているその顔は真剣だ。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ。平行世界って奴か? その手の話は嫌いじゃないけど、いくらなんでも無理があるよ……ははっ」
失笑しながらヘレナの顔を見る。見なければよかったと後悔した。目は口ほど物を言い、だ。
「……なんで、どうして、どうやって……そんなバカな事があって……!」
「……どうしてかは知らぬが、どうやってかはわかるぞ」
「……え?」
「これだ」
そう言うと、ヘレナはポケットからなにかを取り出した。それを見てギョッとする。
「……その石……!」
それは、あの時拾ったダイヤのような石だった。
「見覚えがあるのか?」
「道端でその石を拾って……そしたら急に真っ黒な光に包まれて……なあ、なんなんだその石は?」
「これは、アマダスだ」
「……アマ、ダス?」
聞いた事がある。確かダイヤモンドの俗称で、『征服せざるもの』って意味が……。
「この石はシルヴィア全土で見つかる石なのだが、この石には世界を繋ぐ力があるとされている」
「世界を、繋ぐ?」
「そうだ。実は一機、貴様のようなことは決して珍しい事ではないのだ。ここ、シルヴィアではな。」
「……なに?」
「人々はこれを『文明の漂流』と呼んでいる。詳しく話そう」
それがいつ頃から起きているのか、知っているものは誰もいない。
太古の昔からかもしれないし、最近かもしれない。
だが、それは今でもなお続いている。
ある日突然、この世界のものとは思えない『なにか』が現れる不可思議な現象は……。
人々はそれを『文明の漂流』と呼んだ。
それは時に人々に恩恵を与えるものとして敬われ、また時に災厄を呼ぶものとして恐れられている。
現れる場所はアマダスが発掘される場所が多いので、アマダスにそのような力があるのでは、と言われている。
「――で、その『文明の漂流』とやらで俺はここに運ばれた、と?」
「そうだ。『文明の漂流』で運ばれるのは決まっていないが、あまり多くのものや人が来るのは珍しい。……どうだ、まだ信じられぬか?」
「いや、嘘はついてないってのはわかるよ……」
この人の、ヘレナの目を見ればわかる。嘘がつけないタイプだ。
それを聞くと、ヘレナは安心したかのように息を吐いた。
「理解が早くて助かる。それで、2,3聞きたいことがある」
「? いいですけど」
口調を丁寧語に直す。さっきは頭がパニックだったので忘れていたが。
「このアマダスをどうやって手に入れた? お前の世界にもアマダスがあるのか?」
「いいえ、似たような石はありますけど、世界を繋ぐ力なんてないですよ」
「ふむ……」
「……どうかしました?」
ヘレナが怪訝な顔をしているので、思いきって聞いてみた。
「ああ、このアマダスはこれ1つでアマダスの結晶らしいのだが、どうも信じられんでな」
「信じられない?」
「普通発掘されるアマダスは、小さくバラバラになっているか他の鉱石と混じっているかなんだ。こんなに大きなアマダスの結晶は見た事が無い……で、どうやって手に入れたのだ?」
「どうやってって、道端に落ちていたのを拾っただけですが」
「むぅ……」
また黙り込んで考えてしまった。正直こんな状態で沈黙は息苦しい。
「――わかった。質問を替えよう。一機、これを持ったとき何を考えていた?」
「――は?」
質問の意図が理解できず、あんぐりとバカみたく口をあける。
「この石にはもう1つ力があってな。そのものの魂の力、霊力に反応して力を生み出すのだ。主に強い思いなどにな。なにか考えてなかったか?」
「いやそんな、別になにも考えてなんて……」
そこまで言って、ハッとする。
――強い思いに反応する?
あの時、いいやいつも何を考えていた?
今のこの生活が嫌で嫌でたまらない。止めたい。抜け出したい。
こんな退屈な世界、逃げれるものなら――!
「……ああ」
思いっきり脱力してベッドに仰向けに倒れた。すごくバカバカしくなった。
「な、お、おい、どうした!?」
気絶でもしたのかと思ったらしく、血相変えてベッドの前に来た。
「ああ、大丈夫大丈夫。……1つ、聞いていい?」
「え、あ、構わんが、なんだ?」
平気そうに見えたのでなんなんだと考えているようだが、律儀に返事を返してきた。
「元の世界に戻る方法ってある?」
「! いや、そ、それは……」
あからさまに動揺したその様子から、簡単に答を知る。
「――嘘がつけないんだねぇ……ないんだ、帰る方法」
「だ、だからそれは、その……その通りだ」
ごまかしても仕方がないと思ったのか、ため息をついてベットの前の椅子にドサッと腰掛ける。こちらも脱力したようだ。
「あっそ……さて、どうするかな」
完全に力の抜けた頭で思案する。
別世界だとか何とか言っているが、状況的には身寄りもない外国に飛ばされたと同じ。明日からどうしよう。
「どうした、急に黙りこみおって。何を考えている」
「ん……いやね、ああ……あのですね、これからどうしようかと思っていただけです」
スッカリ丁寧語を忘れてたのに気付いて慌てて戻す。その様子に、ヘレナは初めて顔をフッと緩ませる。
一瞬また見とれてしまった。懲りない男だ俺は。
「そう無理して敬語を使わなくていい。これから私たちの仲間になるのだから、余計な気遣いは無用だ」
「え……いや、上下を心得てるだけで気遣いなんて別に……仲間?」
今なんか変な単語が聞こえたような……。
「そうだ。おいマリー、そこにいるんだろう」
「わわわっ!?」
ヘレナがドアの方へ声をかけると、ひどくビックリしたような声とズテンッ! とすっ転んだみたいな音がした。
「な、何でわかったんですか隊長!?」
ドアが勢いよく開かれて人が入ってきた。よほど驚いたのか、すごくパニクってる。
入ってきたのは、茶髪ボブカットの活発そうな女子。年は俺と同じくらいか。栗色の瞳にヘレナと同じくシャツとズボン(青と茶色だが)だが、いかんせん背丈が俺と同じくらい(163cm)で、しかも胸がないので全然色気がない。
「私を誰だと思っている」
「ほえー、隊長相変わらずすごいですねぇ」
「とは冗談で、お前なら絶対覗いているだろうと思ったからだ」
「あだっ」
ギャグ漫画みたくずっこけた。どうやらかなりノリがいいタイプらしい。
「ひどいです隊長〜」
「それはともかく。マリー、倉庫に男子用の鎧があったろう。取ってきてくれ」
涙目のマリーを無視して用件を述べる。おそらく日常茶飯事のことなんだろう。
「へ? なんでですか?」
「あとで説明する。すぐに持ってこい」
「――ああ、そういうことですか。了解! ダッシュで持ってきま〜〜す!!」
ビュンッ! とありえない効果音を出して駆け足で走っていった。ノリがいいどころじゃないなあれは……。と、ふと変な事に気付く。
「なあヘレナ……じゃなかった、ヘレナ……隊長?」
『さん』付けで人を呼ぶのが苦手(というよりやったことがない)ので、とりあえず隊長と呼んでみた。
「ぷ……くくく、あっはっはっはっはっ!」
すごく笑われた。
「だから、仰々しくするなと言っているだろう。それにお前はまだ隊員じゃないのだから、隊長はどうかと思うな。ヘレナで充分だ。で、なんだ。何か聞きたいのか?」
「はあ……あのさ、何で言葉通じてるの? 俺日本語しかしゃべれないのに」
「ああ、それもアマダスの力だ」
はい? またですか?
「人が召喚された記録は少ないが、その者はこちらの言葉がしゃべれたと聞く。どうやらアマダスにはそのような力もあるらしい」
「……アマダスって、なんでもできるんだな」
「いや、人間の制御はほとんど受け付けない。アマダス機関くらいがせいぜいだ」
「アマダス機関?」
また出たよ変な単語。今度はなんだ?
「アマダス機関とはな……」
「隊長、持ってきたですよ!」
その時、ドアが勢いよく開け放たれ、両手に銀色の重そうな物をドッサリ持って。
「な、なにそれ……?」
「見てわからないの? 鎧だよ。おっと」
バランスを崩して、ガラガラと床に落としてしまう。その中には、西洋の兜みたいな物(アーメット)や胴体の鎧(プレートメイル)とか腕の鎧(ヴァンブレイス)、足の鎧(キュイス)などがあった。
「いやいやいや、鎧なのはわかるけど、そんなもんどうすんの……?」
心の奥底で解答が出されているが、必死に消し去ろうとする。なんかものすごく嫌な汗が出ている。
「着るんだよ」
「誰が?」
「あんたが」
「なんで?」
「入るから」
「何に?」
「親衛隊に」
「……はぁ!?」
――親衛隊って何!? 入るって!?
突然入ってきた情報に頭の中がピジー状態になっていたら、マリーと呼ばれた女の「にししし……」という嫌な笑いがした。こいつ、人が混乱してんの見て笑ってやがる!!
「からかうのは止せマリー。さて、では一機、改めて自己紹介しよう」
マリーを諌めながら、ヘレナはすっと立ち上がった。そして、まるで勇ましい王のように言った。
「私の名はヘレナ・マリュース。シルヴィア王国親衛隊隊長だ。的場 一機、お前を我が親衛隊に入隊させる事にする」
…………………………………。
言語把握プログラム崩壊。思考停止。再起動ヲ開始シマス。
…………回復。現状ヲ把握スル……って、
「……はああぁ!?」
「……私は反対です」
ブロンドセミロングの青い瞳の堅物そうなメガネ美女(ヘレナほどじゃない)が、イメージ通りの声を出していった。彼女はグレタ=エラルド。親衛隊副隊長だとか。
その発言に、ヘレナは面倒くさそうにため息をついた。
ヘレナの親衛隊入隊宣言から少しして、副長がやってきて話し合い開始。今はテーブルの前で向かい合って二人は会話している。ドアの外ではわずかなすき間からさっきのマリーを含める多くの女性が(どれもこれも美人)が興味深そうにトーテムポールのようにして覗いている。で、俺はベットの前で所在無く動向を見守っている。
「……そう嫌うな、グレタ」
「いいですかヘレナ様。我々は創設百年の歴史を誇るシルヴィア王国騎士団最強の親衛隊。その長い伝統は生半可な事で生まれるものではありません。それをあなたは何だと思っているんですか?」
「別に私は親衛隊を軽視などしていない。私はただ……」
「いいえ。それならば、我が誇りある親衛隊に男を、しかも『文明の漂流』でやってきたどこの誰ともわからぬ馬の骨を親衛隊に入れるなど愚かな行為、出来るはすがありません」
「……ハンスがいるではないか」
「ハンスはゴールド家がどうしても言うから仕方なく認めた特例です」
「前例があるならいいではないか」
「よくありませんっ!!」
バンッ! とテーブルを叩いた。こっわぁ、この人。
「ヘレナ様、この際はっきり言わせてもらいますが、あなたは栄光ある親衛隊を何だと思っているのですか!? そんなことでは、先代の隊長たちになんと言えばいいか……」
嘆かわしそうに語るグレタに、ヘレナはすごく困ってしまっている。というかかなり失礼なこと言われてるような。
「じゃあ一機をどうしろと言うのだ?」
「知りません」
「え?」
ギョッとした。おいおい即答かよ!?
「王都に連れて行けばいいじゃないですか。それを我々が何かする理由はありません」
「私が拾ったのだ。私には一機の身をどうにかする責任がある」
「だから王都へ行って頼めばいいではないですか。このような男がどうなろうと我々の知ったことでは……」
「……本気で言っているのか、グレタ?」
その時。
一瞬絶対に部屋の温度が下がった。
「――――!」
鋭く、全てを射抜くようなヘレナの瞳孔。
自分に向けられたものじゃないのに、背筋に冷たい電撃が走ったかのようだ。
向けられたグレタはたまったものではない。蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。
「今の王都の現状くらい知っているだろう。今一機をあちらに行かせたら、どうなるかわからんぞ」
「し、しかし……」
「案ずるな。シルヴィア王国親衛隊に、『文明の漂流』でやって来た的場 一機なる男はいない」
「「……は?」」
今、初めてグレタと意見が一致した。わけわかんない、と。
「というわけで一機」
「は、はい!?」
いきなり呼ばれてビックリした。しかし本当にビックリしたのはこれから。
「お前名前を変えろ」
「……へ?」
「的場 一機ではバレるんだ。この国風の名前を考えろ」
「……ようするに、シルヴィアのどこかから来た馬の骨ってことにすんの?」
「理解が早くて助かる」
ヘレナに微笑まれた。笑顔綺麗だけどあくどいなあ……。
「名前ったって……そうだな。ハインリッヒ、いや、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフとでもするか」
フッとその名前が浮かんだ。
「? ずいぶんスラスラ出たな。どう言う意味なんだそれは?」
「俺の名前、だよ。こっちでの」
読んだ時思ったんだ。自分と似てるって。とは言えなかった。
「わからんな。でもまあいい。ではラスコーリニコフ、今日からお前は親衛隊の仲間入りだ」
「ちょっ、ちょっと待ってください。勝手に話を進めないで下さいっ」
強制的に話を終らせかけられたので、あわててせき止めた。
「まだ言うか、グレタ」
「まだ言います。話は終ってません。これ以上親衛隊に男を入れるなど言語道断……」
「……その前に、1つ気になっているんだが、聞いていいか?」
「む? 今度はなんだ、一機……じゃなかった、ラスコーリニコフ……長いな。ロジオンからとってロージャにするか」
さっきからずっと妙に感じていることを聞くチャンスがやっときた。
「親衛隊って、騎士団、だよね」
「そうだ。騎士団の特別上位に存在するのが我が親衛隊だ」
「……騎士団に男が入るのに、なんでそんなに騒いでるの?」
「「……え?」」
今度はヘレナとグレタから変な目で見られた。そんなに変な事言いました俺?
「あなた、何を言っているんですか。親衛隊は通常全員女と決まっています。今は違いますけど」
「……ええっ!?」
女しかいない騎士団!? ありえないだろそんなの!
「一機、お前の世界では違うのか?」
「いやいやいや、今現在騎士なんかいないよ。でも、女騎士ならともかく、女だけの騎士団なんて全然聞いたこと……」
そこまで言うと、グレタは憤慨したかのように赤くなった。
「なにをおかしなことを! 確かに騎士団員はほとんど男ですが、士官クラスは近衛隊を除いて全員が女です!!」
心外だ、とばかりに怒声をぶつけられた。その言葉に理解できない。
「……えええぇ!? うそぉ!!」
おいおい無茶苦茶にもほどがあるぞ! 議員ならともかく、騎士が女って……!
「グレタ、一機の世界とシルヴィアとは常識が違うのだ。そんなに怒るんじゃ……」
「いいえ!! この男が今言ったことは、我ら親衛隊、いいえ、カルディナ神への侮辱と同じ!! 断罪すべき行為です!!」
「いいから落ちつけ。立つな、ダークを構えるな!」
短剣で今にも刺し殺そうとするグレタをヘレナが必死で羽交い締めにする。怖くて手も足も動きません。
「ええい、おいお前ら、グレタ抑えるの手伝え!!」
隊長の声に従い、部屋の外で覗いていた女たち(やっぱ全員女)が飛びこんできた。
フゥ……助かった、ってなんで俺まで押さえつけるー!?
「グレタ副長、どうぞ!」
「ええーーっ!?」
「こんな大ばか者、処刑されて当然! カルディナ神の名の元に裁かれなければなりません!!」
「ちょっ、ちょっと待てぇーー!!」
なんだよそれはぁ!?
しかも俺押さえつけてる奴のほうが圧倒的に多いじゃねーか!!
「お前らもやめんかっ! そんなことで殺してどうする!!」
「そう……よっ! あんたたち、やってることメチャクチャよっ!!」
「いたたた、副長暴れないで下さい! そうです殺しちゃダメですよぅ!!」
バタバタ暴れるグレタを羽交い締めにしている(止めてんのこの3人だけだよ……)が他の隊員の説得をする。この説得が失敗に終ったら俺は死ぬぅ!!
「離して、離して下さいヘレナ様!!」
「こっちも離せえぇぇぇーーー!!」
その悲痛な叫びは、シルヴィア中に木霊したとかしなかったとか……。
台風一過。
「――えー、それでは、本日我が親衛隊に入隊した新人を紹介する。ロージャ、来い」
髪はグチャグチャ、服も所々千切れている隊長の声にしたがって前に出た。
「始めまして。ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフです。どうかよろしくお願いします。」
……………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………しぃ〜〜ん。
うう、総勢40人の沈黙は痛い……。
あれから数時間。
なんとか騒ぎは終結し、談話室にて隊長権限での入隊に隊全員がしぶしぶながらも納得した。
まぁあまりの乱戦に皆疲れ果てたってのが最大の要因だと思うが……みんなひどい容姿になってるし。
――それにしても、完全女性上位社会とはね……沖縄のノロじゃあるまいし、そんな社会が成立するとは……。
さっきヘレナに説明を受けたが、シルヴィアでは女性中心の社会で、男子の権利はかなり低いのだとか。
政治を支える元老院などの議員ポストは100%女。そりゃ騎士には屈強な男がいいから男が多いが、それでも指揮官は必ず女なんだと。俺のいた世界の中世ヨーロッパとはまるで逆だ。
なんでも、シルヴィア王国全土で信奉されているカルディニス教の神が女だからとか。それで、シルヴィア全体で男子を軽視する傾向があるらしい。
うう……。とんでもないとこ来ちまったな、といまさら改めて事の重大さを感じた。
「まったくお前達ときたら……」
「当然です。皆のこうした反応こそが普通なのです。ヘレナ様、やり直すなら今のうちですよ」
うっわぁ、ものすごく睨まれてるよ。
このグレタ副長は熱心な信者なんだとか。だからヘンなことを言うけど気にするな、ってへレナに言われたけど、こりゃ大変そうだ……。
「ダメですよ副長。もう今更ですよ」
「そうそう、マリーの言う通り。OKしちゃったんだから、現実を見なきゃ」
「黙りなさいっ、マリー、イーネ! どうしてあなたたちまでここに……」
「だって私専属整備士ですもん」
「アタシに至っては普通に隊員ですし」
「口を慎みなさい!!」
二人の馬鹿にしたような態度に苦々しく叱咤。
さっき二人に自己紹介された。整備士が鎧を持ってきたマリー・エニス。隊員がイーネ・ブルーローズ。
――それにしてもこの人、すごいスタイルだな……まるで漫画だ。
そうしみじみと思いながら、イーネ・ブルーローズの肢体(特に胸とか)を凝視した。
歳を聞いたらひっぱたかれたので不明(20代後半と思われる)だが、背丈はヘレナとあまり変わらないのに、胸がずっと大きい。(F、いやG)古い言葉でボン、キュッ、ボンだ。
着ているのは同じシャツとズボンなのに、シャツは胸の部分が大胆にカットされていてちょっと動いたら見えそうだし、ズボンに至っては半ズボン、いや股下から計ったほうが早いくらい短いんですけど。もはや水着。
とび色の瞳と赤毛のポニーテールが目を惹かせ、妖艶さを生み出し、心臓バクバク。
と、そんな目で見ていたら、視線に気付かれたらしく目が合った。
なんかいやらしい笑顔をされてしまった。ぐうぅ……しょうがないだろ、そんなもん見るの初めてなんだから。
「なあに、その目は?」
「え?」
ちょっと目を逸らしたスキにイーネが目の前にいた。いつの間に近づいた!?
「そ、そっちこそなんですかその『ウブねぇこの子胸凝視しちゃって。ちょっとからかっちゃおうかしら』て目は?」
「カンがいいのね君は。わかってるなら話は早いわ♪」
むぎゅー。
「わっ、わあっ!?」
「ああん。そんな激しくしないで。胸が、胸が感じちゃうっ」
「胸が、胸が」って言いたいのはこっちだっ!! なんで抱きつくんだよ!?
あああっ、顔が胸に潰されて、いや胸が顔に潰されて、ええいどっちでもいい!! 大ボリュームに顔をスッポリ覆われて呼吸できませーん!!
「い、い、い、イーネッ!! あ、あなたなんて破廉恥なことをっ!!」
副長が真っ赤になって(見えないので多分)怒っている。怒る前に助けろっ!!
「イーネ、いいかげん止めんか」
「だーってぇ、ハンス君隊長にゾッコンだからからかえないし、ここ女ばっかりなんだもーん。たまには男と肌を触れ合わせたいじゃな〜い♪」
「ハンスが私に? なんだそれは……それより放せ。苦しそうだぞ」
「いいじゃないですかぁ。女の胸の中で死ねるなんて男として最高の喜び……あ、あら?」
イーネが気がついたときには、俺は甘ったるい匂いの中男として最高の喜びを堪能していた――。
「……俺の人生、女の胸で窒息死して終わるとは予想外だった……ハァ、ハァ」
「死んでない。そんなことで死んだら末代までの恥だぞ」
「死んでしまえば良かったんですよこんな破廉恥な男」
「だから、もうその辺で止めんか」
死にかけの人間に相変わらずキツイ一言を発するグレタに一喝した。すごく嬉しかった。
イーネの胸の中で気絶したら、グレタ率いる隊員に「この変態、変態っ」とドカスカ蹴りをぶち込まれ意識を取り戻した。痛い……。
「まったく、ホントに失礼ですよね副長ったら」
「そもそも、あなたが原因ではないですか!」
「新入隊員と交遊を深めただけですよぅ」
イーネ、人を殺しかけたくせに悪気0。ある意味尊敬に値する。
「……あの、ちょっと聞いていい?」
2人に聞こえぬようにヒソヒソ声でヘレナに質問する。
「む? イーネのことか?」
「うん……なんか他のヤツとずいぶんキャラ違くない?」
「キャラ?」
「人柄とか、人格とか」
なんか、みんな俺を汚いものでも見るかのような蔑んだ目してるのに、こちらはずいぶんフレンドリーというかなんというか……。
「ああ、グレタは元々王都を騒がせた義賊だったんだ」
「義賊!? なんでそんなのが親衛隊に?」
「捕らえたときに私が誘ったんだ。罪を免除する条件でな。いい腕だったからもったいないと思って。グレタには随分反対されたがな」
「“盗賊なんてっ!!”とでも言ったんだろ? わかりやすいなあ……」
「なに2人で盛りあがってるんですか隊長。で、ちょっと聞いていいですか」
会話が盛りあがり始めたところを、イーネに邪魔された。
「なんだ、イーネ?」
「ロージャ……一機で良いですよねみんなの前では。MNに乗せるんですか? もうエンジェルは余ってないと思いますけど」
メタルナイト? なんだそりゃ。
「ああ、いやそれは……」
「有り得ませんそんなことっ!!」
うわっ、またキレた。
「親衛隊に入ることすら遺憾なのにMN!? 国の品位が問われますそんな事をすれば」
……そんな重大なことなの?
「言い過ぎだグレタ。今はまだMNに乗せる気はない。その前に騎士として鍛え上げなくてはな」
あれ? なんか鼻膨らましてるよ。ひょっとしてそう言うの好き?
「やれやれ、隊長も好きですね。おい一機、あんた地獄見るわよ」
「……えーと、色々聞きたい事あるけど、まず1つ。MNって何?」
「ん? 言ってなかったか? いいだろう。ちょっとついて来い」
ヘレナに言われるまま後についていく。隊員全員もそれにならう。
そして、到着したでかい倉庫みたいなところで見たものは……!
「…………」
「どうした一機、そんな大きな口あけて」
そりゃ口ぐらい開けますよ。だって、
「あ、あの……これは……?」
「MN。我がシルヴィアを守る剣だ」
だって、目の前にあったのは……
「……巨大ロボット……?」
そう。巨大ロボット。
中世の甲冑みたいな風貌をした20mくらいの純白の巨人。
――純白の巨人。
「あ……!」
これ、あのとき見た……。
「お、おいこれ森の中で……」
「ああそうだ。これは私の機体、MNヴァルキリーだ。さっき魔獣と戦っているところを見たのか?」
魔獣……そうだあん時もそんな事を……。
「え……じゃあ俺を助けたのって……ヘレナなの?」
そう言ったら、「なんだこいついまさら何を」って意外そうな顔をされた。
「言っていなかったか?」
「言ってない言ってない言ってない言ってない」
そういやさっきそんな話してたような気もするけど、いろいろあってスッカリ忘れてたっけ。
「ちょっと待ちなさい。ロージャ、さっきからヘレナ様になんて口の聞き方してるんですか!?」
はい? 今度はなに?
「いやだって、敬語はいらんと言われたから……」
「1国の王女に対してそんな不遜な態度、許されると思いで!?」
……1国の王女?
「グレタ、何度言えば分かる。王女は姉上、私は親衛隊隊長。それ以上でも以下でもない」
え? え?
「しかしヘレナ様……」
「王位継承権は姉上にある。私は女王の子というだけだ」
え? ちょっとそれつまり……
「……ヘレナって、王女様……」
「だから違うと……」
「その通りです! 今ごろ気付いたんですか!?」
「……えええぇっ!?」
今日は驚いてばっかだな、とか思ってみたり。
「……だぁ」
部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。スゴイ疲れた。
だが別にヘレナにしごかれた(今日はもう遅いから明日、だそうだ)とか副長に怒られたとかじゃない。
ヘンな言いかただが、驚き疲れというやつだ。
「……ありえねぇよこの世界」
ベッドの上にある電気スタンドっぽいものに手を伸ばす。
ボタンみたいなのがついている。ポチッとな。
「……点いたし」
電球から明かりがさんさん。そうこいつは本当に電気スタンド。
「なんで中世ヨーロッパに電気あるんだよぅ……」
何度言ったかわからないセリフを吐く。
電気だけではない。ここシルヴィアは科学の発達が滅茶苦茶なのだ。
電気があってガスがない。無線があって電話がない。水道もあるし(井戸の変形みたいなもんだけど)トイレ(しかも水洗)まである。
そして車や飛行機を作れないのに……
「……なにあの巨大ロボット」
20mくらいの巨大人型兵器。あんなの自分の世界でも作れない。
本当にいびつな世界だ。
「……それもこれも、『文明の漂流』によるものか……」
ヘレナに詳しく聞いた。
『文明の漂流』でやってくる様々なもの。その中には機械類なども多い。
それらの技術を手に入れ流用するので、航空技術に例えるなら紙飛行機からジェット機を作るような無理が可能になるらしい。
「なんか、すごいとこ来ちゃったんだなぁ……」
いまさらながら痛感する。
だが、いくらそんなこと思っても仕方がない。
自分で来たのだ。もう元の世界には戻れない。
同時刻。シルヴィア王国地方都市カルバナ(一機達が今いるところ)倉庫地下。
「――くうぅ、ちょっと休憩っと」
首が大分こってしまった。機械油まみれの手で汗を拭く。
「だいぶ修理できたね。あとは起動テストがしたいけど……」
ここに来てこれを発見してからかれこれ数ヶ月。
王都に戻るときは涙を流して再会を約束したが、こんなにも早くチャンスが来るとは。
「でも、隊長に怒られちゃうだろうな。『こんな騎士道に反するものは認めない』って、副長にも怒られたし……」
どうしようかなと首をひねる。
せっかく修理したのに、これでは宝の持ち腐れだ。
「私MNに乗れないし、う〜ん……そうだ!」
ピッタリな人材がいるではないか。今日来たアイツだ。
「アイツを上手くそそのかしてこいつに乗せて、性能を見せつければいくら隊長だって……くふ、ふふふふふ……」
目の前にそびえる鋼鉄の巨人を見ながら、上品じゃない笑みを見せる。
一目で惚れこんだ無骨なフォルム。背中の大砲。これを世に出さずにおられるか。
マリー・エニスの名にかけて。
「え? なにここ? なになに? 今回から次回予告やるから1回目やれ? ええー? まあいいけど。どうも、親衛隊専属整備士マリー・エニスです。で、次回はなんと、ついにアレが出てきます! ……え? あれってなに? やだなあ最初に出てきたじゃないですかアレは。……わかんない? 確かに出番あんまりなかったからなぁ……というわけでこれからが本番! プロローグの謎がついに明らかになる次回、サジタリウス〜神の遊戯〜 第3話 『神の矢 来たる』 をどうぞご期待下さい!! ……私の血と汗と涙の結晶がついに日の目を……ううぅ……」
to be continued……
――第3話――
「……ん? あれは……」
某日、市内のレンタルビデオショップにて。
今日もいつも通りDVD(ロボットアニメ)を借りようとしたら、見知った顔を店内で発見した。
――霞先生?
そう、その場にいたのはあの生真面目おどおと新任教師の霞 今日子だ。ビデオの裏見ながらふぅとため息をついている。
「何のビデオ見てんだ?」
ふと気になったのでちょっと覗いてみることに。気づかれないように接近。
「さてさてなにを……」
絶句した。
ビデオのタイトルは『熱血ッ! 教師一匹!!』そりゃもうコテコテの熱血教師ものだ。
「うわああぁぁぁ」
見てはいけないものを見てしまった気分になって、慌てて音を立てないようにゆっくりと素早く逃走。
「……あの女、あんな趣味があったのか……」
うまいことビデオショップから外へ逃げおおせてホッと一息ついたところで、ふと考える。
ひょっとしたらあいつ熱血教師ものにあこがれて教師になった口か?
だとしたら哀れなこった。うちの高校には更生せねばならない生徒は山ほどいるが、誰も教師の声など聞くまい。熱血教師など不要だ。
「……必要とされてない人間ってことか? あの人も」
そんなことを考えていたら、サイレンの音が響いた。しかも近い。
見回してみると、1人の男が警官に捕まって連行されていた。その傍らには破壊された車と金属バットが。
――あ、幸光だ。
警官に罵声をあげながら抵抗するのは、金髪ツンツン頭の不良。熱血教師がお呼びでない我が高校最も危険な人物だ。
――どうせまたすぐ出てくるんだろ。警官も忙しいのに哀れなことで。
あの男、これまで1回も捕まったことがない。正確に言うと警察には行くが出てくるのが異常に早い。1時間も刑務所にいたことがないと言われている。
噂によるとこれまで奴がやった事件は主に未成年飲酒、喫煙、飲酒運転、無免許運転、器物破損、婦女暴行、傷害、殺人未遂、さらには少女誘拐監禁などもあるとか。表歩いている方が不思議だ。父が代議士とかで、この国の司法制度の腐敗を生きながらにして訴えている。
嫌気が差す。はっきり言って。
いつまで俺はこんなひどい世界にいなければならないのだろう。
抜け出せるものなら抜け出したいものだ。
サジタリウス〜神の遊戯〜
第3話 神の矢 来る
「……確かに、そう、言ったが……ハァ、ハァ……」
朝靄が残る空気を、汗だくになってうずくまりながら大量に吸引する。こちらの世界で借りたシャツとズボンがビショビショになってしまった。胸ポケットのアマダスが重い……。
「日が昇る前に……ハァ、ハァ、フルマラソン……ハァ、ハァ……やらされる……世界に……ハァ、ハァ……来たいとは、ハァ、ハァ……言って、ない、ぞ……ハァ、ハァ……」
「フルマラソンとはなんだ? 一機、全然ダメだなお前は。10分の1も走れなかったではないか」
「当たり前じゃあ!! なんの特訓もせず42.195km走れる奴は怪物じゃあ!!」
「まだそんな叫べる元気があるなら余裕だな。走ったのは3.5ガルナだぞ」
何を愚かなことを、とキッパリ言われたが、とんでもないことだ。
ガルナとはシルヴィアの距離の単位で、1ガルナ=12kmである。それを知らなかったから早朝(真っ暗で深夜と呼んで良い時間)特訓だと叩き起こされて何キロ走る気だと聞いて大したことはない、ほんの3.5ガルナだと言われたから1ガルナ=1kmと勝手に思いこんで仕方ないなと走ったらこの始末。
しかも後ろから「遅い遅いっ!」と怒鳴られて無理矢理走らされた。スポーツテストの診断(10人もやってなかった)で20mシャトルラン記録52回。つまり20×52=1.04kmでヘトヘトなのに、その3倍走ったんだからむしろ褒めてください。
「これぐらいでへばっていては親衛隊など勤まらんぞ。これから毎日鍛え上げねばならんな」
「ヘレナさん。スポーツ医学って……知ってる訳ねぇよなぁ……」
泣きたくなってきた。鼻息荒いし。スポ根タイプだったんだなぁヘレナって。
「水持ってきて水」
「ダメだ。水を飲むとかえって疲れるぞ」
「それ迷信だから水! なんで知ってるんだよ!」
「仕方がないな……ちょっと待ってろ」
全くダメな奴だと言いながら井戸へ向かう。こんなの毎日やったら死ぬわ確実に。
「地獄だぁ……ん?」
地面に仰向けに寝っ転がると、ヘレナの後ろ姿が視界に入った。
「…………」
さすがのヘレナもそれなりに水分を消費したらしく、シャツは汗で濡れていた。
体にピッタリ張り付き、ボディラインを強調する。
さらには水くみで動くたびにヒップが揺れて……
――ああ、イーネには負けるけど、良い体してるんだよね……。
体力は使い果たしたが、性力は全然だったようだ。
と、その時。
「!”#$%&’@+*<>¥|○×△□!?」
ぐわし、と下半身を踏まれた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
叫び声も上げられず、ただただ悶絶するのみ。
「なにヘレナ様をやらしい目で見てるんですのあなたは!?」
高飛車な声が非難する。この声は確か……。
「な、なにをしているジェニス! 一機、いったいなにが……!」
駆けつけたヘレナの驚いた声がする。自分じゃない名前で襲撃者が誰か悟った。
そうだ! この黄色縦ロールに緑の瞳のタカビー娘はジェニス・フォンダ。昨日副長に続いて2番目に俺をケダモノを見るかのような目で見てた奴だ!
「なんでもありませんわヘレナ様。ちょっとヘレナ様をいやらしい目で見ていた不届き者の欲情したものに天誅を与えただけですわ」
まるで大したことじゃないと言い切るジェニスに腹が立ったが、『いやらしい目で見ていた』発言に反発するため全速力で首を横に振る。実際は見ていたのだがそれを言うと俺の立つ瀬がない。
「この大馬鹿者っ! なんてことを……」
「大馬鹿者はそいつですわヘレナ様! 男のくせにヘレナ様をあんな目で見るなんて……即刻断罪されるべきです!!」
「……それより、お前のこの行為の方が断罪されるべきかと思うが……」
「男は黙りなさいっ!!」
苦悶の中からやっとひねり出したことばをいとも簡単にはじかれてしまった。この世界、男女の差が激しいってホントだな……。
「ジェニス、その傲慢な態度は止めろといくら言えばわかるんだ?」
「まぁ、そんなひどいこと言わないでお姉様ぁ」
タカビー娘モードからブリッコモードへ。こいつかなりの役者だ。
「傲慢だなんて。ワタクシはただ教えを守っているだけですわ。それをそんな、ひどいっ!!」
「……いや、だからな、ジェニス」
ああああ、怒気削がれちまった。それがそいつの手なんだよヘレナぁ!!
「ひどいのはあんたよ、ジェニス」
「!? あなた……マリー!!」
いつのまにかマリーが憮然とした表情で立っていた。突然の乱入者にブリッコモードを止めて戦闘モードに。マリーとジェニスの後ろに龍と虎が見える。
「ああ、なんてこと、こんなひどい目にあって。大丈夫、一機?」
「……とりあえず、生命維持には問題ない」
妙に芝居がかったセリフで駆け寄ってくる。なんかやな予感。
「はあぁ、良かったぁ。やっと適材を見つけたってのにこんなところで……」
「……適材?」
「あ! ううん、なんでもないなんでもない!!」
明らかに動揺しているその様はなんでもないとは思えない。どうやら何かしら企んでるようだ。
「ちぃ。死ねばいいのに」
「ジェニスッ!!」
「ああ、ごめんなさいお姉様ぁ」
「ふん、なにが『ごめんなさいお姉様ぁ』よ。気持ち悪い声だしてこの変態ブリッコ」
「なぁんですってぇ!?」
マリーVSジェニス、バトルモードへ突入。とりあえず悶え苦しんでる俺を介抱してください誰か。
「一機大丈夫か? 立てるか?」
「……無理です」
「……しょうがないな。ジェシー、ミオたちを呼んできてくれ」
めんどくさそうにヘレナが近くの木に向かって言うと、木の影からゆっくりと黄色ウェーブに緑の瞳の小さい女の子が出てきた。彼女はジェシー・フォンダ。ジェニスの全く似ていない双子の妹。『小さい女の子』と言ったが、実は同い年(17歳)である。
ヘレナの頼みをコクンと頷いてトタトタトタ駆け足で呼びに行く。う〜ん、やっぱり少女、いやフランス人形っぽい。
ほどなくして(その間マリーとジェニスが取っ組み合いのケンカを初めてヘレナが止めたりしていたが)ジェシーが少女2人(こちらは本当に少女。12歳だとか)を連れてきた。
「あらあらまあまあ、大丈夫ですかカズキン」
「……………………」
同じ青い髪に緑の瞳で髪型も同じシニヨン。顔もそっくりだから判別不能な似過ぎ双子姉妹ミオ・ローラグレイとナオ・ローラグレイ。耳を疑ったが親衛隊の看護兵なんだとか。ちなみに優しい笑顔でカズキンと呼んだのがミオで無口無表情なのがナオってカズキン?
「……なに、カズキンって」
「まあ、カズキンはカズキンですわ。一機だぁかぁらぁ、カ・ズ・キ・ン♪」
む……くぐ、な、なぜだ? なんか妙に色気を感じるぞこいつに!? 12歳の幼子になに考えてんだ俺は!? 待てよ、この雰囲気は身に覚え、いや顔に覚えが……
「はっはっは、カズキンとは笑えるね。でもミオ、アタシが教えた誘惑術ちゃんと覚えてたようだね。一機がメロメロだよ」
「あらあらイーネお姉様、もちろんですわ。ナオ、あれからいっぱい復習しましたもの♪」
やっぱりあんたか! 昨日の殺人ボインアタック(胸に埋めて窒息死)の豊かな感触……じゃなかった、恐怖が忘れられん!!
「幼女になに教えてるんですかあなたはっ!?」
「副長、幼女だってちゃんとしたレディですよ。男を堕とす術は心得ていた方がいいに決まってるじゃないですか。早期英才教育って奴ですよ」
「遊女じゃあるまいし、そんな教育いりませんっ!!」
騒ぎを聞きつけてきたのか、副長来るなり髪を振り乱してのブチギレ。この2人犬猿の仲のようだ。ていうかこの世界にもいたのか遊女って……。
「……なにしてんの? いったい」
後ろから心底呆れ果てた言葉をかけられた。振り返るとそこには黒目緑髪にショートカットの同世代の女が。レミィ・ヘルゼンバーグ、親衛隊の見習騎兵だそうだ。
「……よくわかりません」
「ふうん……どうでもいいけど」
そう言うと、興味なさげにスタスタ井戸の方へ離れていく。そういえばこの女昨日の挨拶の時も嫌っていると言うより興味が無さそうにしてたっけ……てなんか親衛隊大集合してるぞ!?
「おいおい野次馬根性丸出しだなっ!?」
「無礼者!」
ガン!!
「がっ!!」
突然頭に鈍い痛みが! なんなんだよ今度は!?
「ライラさん、もっとやってしまいなさいっ!」
「おう、こんな男、喝を入れてやまねば気がすまぬ!!」
振り向くとオレンジの波がかかった(天パかどうかは知らん)にブラウンの瞳の高級そうな雰囲気の女――エミーナ・ライノス――と紫カールに碧眼の顔に似合わぬ男らしい女――ライラ・ミラルダ――が……ああっ! ライラの奴手刀構えてやがる! 犯人は貴様か!!
「な、なにすんだよ!!」
「男が五月蝿い口を聞くな!!」
「チョップ喰らわされたら五月蝿い口の1つや2つ言うわい誰だって!!」
「男に文句を言う資格などありません!!」
2人から『下等生物が』との視線が。ムッカツクなこいつら!!
「じゃかましい! 男が何とか言ってるが、お前らだって男の父親が母親とヤんなきゃ生まれなかったくせに!!」
「「「「「「「「「「ッ!!!!!!」」」」」」」」」」
しいぃぃぃぃぃぃぃいん〜。(静寂の音)
あ、あれ? 全員集合していた親衛隊の皆が一気に静かに……ひょっとしてこの手の話弱い? これはいけるかも……ふっふっふ、あいつにさんざん猥談かまされたのがこんな所で役に……
「こ、こ、この……変態があああああああああ!!」
「立つわけねぇよなああああああああっ!!」
真っ赤になった親衛隊員がグレタを筆頭に津波になって突っ込んできたぁ!! ヘルプ、ヘルプミィ!!
「なんだ、まだ全然走れるではないか」
「ホント。でも度胸あるわねぇ、この連中にそんな発言するなんて」
「ヘ、ヘレナ、イーネッ! のんきに談笑してないでこいつら止めてくれぇっ!!」
確かに体力使い果たしたとは思えぬ速さで逃げている俺は。しかし追っかけている副長以下の軍勢、怖すぎる。映画版『三銃士』のラストじゃあるまいし。
「カーズキーン、頑張ってぇー♪」
「…………」
「お前らも楽しそうに見てないで助けてくれよぅ!!」
ええい、俺とあいつらとは温度差がありすぎる! このままでは総員からボコボコにされてスプラッタホラー顔負けの顔にされてしまうのは明白、なんとか逃げ切らねばっ!! そうだ、あの井戸の向こうの森に逃げ込めば撒ける……
「え?」
「へ?」
ドン!!
「うわぁ!」
「だあぁ!!」
突然出てきた女にぶつかった。だ、誰だよおい!?
「いたたたた……」
「お、おい、なんで突然飛び込んで来るんだよ!」
「いやだって、こちとら殺されそうで……ん?」
むにゅ。
こ、この昨日気絶するまで散々味わった感触はまさか……
「あああああ、レミィか押し倒されてるぅ!!」
違う、違う違う! 確かに状況的にはそうだけど、ちょうど顔が胸のあたりにスッポリ埋まっているけど、けどけどけどぉ!!
「ちょっとどいてよ、重いなあ……」
「……は?」
まるで『あっついなぁおい』と布団を蹴り上げるみたいにナチュラルにどかされてしまった。あれ? 胸触ったのに怒ってないの?
「まったく、なんでボクがこんな目に……」
ブツブツグチを言いながら、離れていってしまう。その意外な様子に俺も副長以下親衛隊総員もスッカリ毒気を抜かれて呆然としていた。
なんなんだあいつ? ちょつと他の奴とは違うような……。
「と言うわけで一機。1日目からだが、早速剣の修行を始める」
「……朝あんだけ走らされてですか。足筋肉痛で痛いんですけど」
実際足笑ってるし。
「案ずるな。走る時に使う筋肉は足、腕は問題なかろう」
「どう問題ないってんだ……」
実際問題立つのも辛いんですが。まぁこのスポ根まっしぐらのヘレナに何言っても無駄なのはわかったから言わないけど。
早朝の騒動からはや数時間、ナイフとフォークで朝食を食い(この時代のヨーロッパって手掴みで食べてたんじゃなかったっけ?)寄宿地近くの空き地で訓練再開。
「他の隊員は?」
「あっちはグレタに任せてある。グレタは私の姉弟子でな、人に教えるのは私より上だ」
姉弟子だったのか。しかし今、なんとなく敗北宣言してないか?
「色々剣の道を語るより身をもって知るほうがいいだろう。一機、これを持ってみろ。訓練用の模造剣だ」
そういうと、1本の剣を差し出した。80〜90mほどのロング・ソードだ。
ここまでくれば仕方がない。郷にいては郷に従え。ここの生き方に染まるしか生きる術はないのだ。
言われた通り剣をガッシリと握りしめると、
「うおっ!?」
速攻で落とした。
「こ、この馬鹿者! 模造剣とはいえ、剣を落とす者がいるかっ!」
「いやこの剣重いんですけど!?」
実際これは重い。剣なんて持ったことないけど、もっと軽そうなもんだったが。
「これぐらい普通だ。たったの1.2バレドだぞ」
「1バレドって何キロ?」
「知るか」
この後、1バレド=5kgであると知る。つまり1.2バレドは6キロ。通常(あっちの世界)の3倍。そりゃ重い。
「いくらなんでも重いぞこれ……鋼じゃないのか? なあ、ちょっと聞いていいか?」
「またか。今度はなんだ?」
特訓の邪魔をされたのが気に食わないのか、それとも特訓が嫌で質問責めで時間を潰そうとしている思われているのか、ヘレナの機嫌が悪くなってきた。
「ヘレナが持ってるその剣って何人も斬れるの?」
「当たり前だ馬鹿者。シルヴィア1世が使用した王家に伝わる名剣シルヴィアだぞ。10人や20人斬って劣るものではない」
「え!? 剣って1回斬っただけでお陀仏になる代物じゃなかったの!?」
「それはいったいどんなナマクラだ!?」
10人や20人斬って平気って……どんな名剣だよ。斬鉄剣じゃあるまいし。しかもそれが普通? ありえねぇ……
あ! だから重いのか!? つまり強度もずっと強いってことで……いやいや、それでも凄すぎる!!
「そんなことはいい。それより修行だ。私が直々に鍛えてくれると言っているのに、そんな馬鹿げたことを言って誤魔化すな。ほら、構えてみろ」
「え? え? こう?」
見様見真似で構える。
「ええい、ダメだダメだ! ここはこうじゃなくてこうだ!」
「うわっ!?」
業を煮やしたヘレナが後ろから抱きしめてきた。手の上から剣を握って型を覚えさせようという考えらしい。
しかしここで問題が。俺は背が低く、ヘレナは長身だ。頭ひとつ分くらい上だろうか。それが背中にピッタリくっつくと自動的に俺の頭はヘレナの胸あたりに来るわけで、これはつまり……殺人ボインアタック再び、いや三度?
「あ、あ、あ……」
「剣は体の中心線から出ぬよう……おい一機、聞いてるのか!?」
聞いてるのかって、聞いてるわけないでしょう!? こちとら脳が沸騰寸前ですよ! 絶対顔真っ赤だと思うし! ああああ、イーネほどはないけどけっこう柔らか……ってバカぁ!! 俺はエロガキかっ!? そりゃ女性経験なんてないけど、これはあまりにも情けなすぎるぅ!!
「一機、なにをボーっとしている! 剣を覚えようと本気で思っているのかお前は!」
剣は覚えないでしょうがこの感触は絶対に忘れないと……違う違う違う!!
「い、いや、だって、だって……」
「だってじゃない! この馬鹿者が、こうだと言ってるだろう!!」
うわあああああああっ!! さらにきつく抱きしめてきた! つまりそれは体をより密着させる事になって、それで、それで……!
「へ、ヘレナ様!? いったいなにをしてるんですか!?」
情欲で溺死寸前だったところに黄色い悲鳴が。血走った目(多分)で見てみるとそこには副長たち隊員数名の姿が。
「見てわからんのか、剣の特訓だ! それよりグレタ、隊員の特訓を放っておいて何の用だ!」
「アガタから連絡があったので伝えに来たのです! それよりヘレナ様こそなにをしてるんですか!?」
「だから、剣の特訓だと言っている! こうして剣の持ち方を直々に教えているんだ!」
「抱きついているようにしか見えません!」
「うっわー、一機顔真っ赤」
「なっ!?」
マリーの一言でやっと俺の状況を把握。ヘレナも顔真っ赤になる。
「な、何を考えているんだこの痴れ者っ!!」
ガツゥン!!
思いっきりきつい一撃を喰らいました。俺こんなんばっかと思いながら。
「ああ、疲れた……」
宿舎内の浴場にて大変な1日を思い返した。五右衛門ブロに入りながら。
「しかし風呂五右衛門かよ……ヨーロッパでも風呂入ってたって聞いたことあるからあんま驚かなかったけど」
あれからヘレナとグレタにさんざん説教されてなおきつい特訓を課せられヘトヘトになったら夕飯で訓練終了。飯食って後は寝るだけ。ちなみに今は8時過ぎ。
今あとは寝るだけにしちゃ早くないと思った人、それは違う。この世界の1日は20時間。つまり数字は10個しかない。それでいて1時間は60分。これは何故かというと、あっちの世界の時計は5、10…で1、2と5進法で進んでいたが、こちらでは6,12…で1、2と6進法で進んでいる。だから20時間でも24時間と同じ1440分である。つまり8時はあっちの世界での9時半くらい。数字(見たこともないけど読める)が10個しかない時計見たときは唖然としたよ……。
その他もろもろもあっちの世界とは違うらしい。もっと勉強する必要があるな。
「……しっかし、練習きつかったなあ……勤まんのかな、俺……」
本来はもっと前に悩むべきだったのに、つい忘れていた。あの世界も辛かったが、こっちは別の意味で辛そうだ。
「辞めたいって言うべきかな……でもあのヘレナが許すとは思えんし……」
ガラッ。
「ん?」
「あれ? 人いたんだ?」
誰もいないと思ったのか、レミィが浴場に入ってきた。
全裸で。
「!?!!」
え? え? えっ? えっ? ええっ!?
本日最大の衝撃が今来た。驚きのあまり風呂ん中でひっくり返った。
み、見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見てるっ!!!
網膜に完全に焼きついた。写真でしか見たことのないものが、今眼前に存在する!!
目を逸らすべきなんだろうが、全然動かない! あああ、どうしよう。このままではラブコメよろしく「きゃーっ!!」って騒がれてさっきみたいにみんなからリンチを……
「ちょっと、何騒いでるのさ。まだ余裕あるだろ。入れてよ」
「……え?」
レミィ、そのまま何事もないかのように風呂の中へザブン。無論全裸。……なして?
「……ん? どうした、ボクの顔に何かついてるの?」
「い、いや……」
どうして男と風呂に入ってるのにそんな普通なの? とは聞けなかった。
考えてみればこいつ、朝からずっとそうだったような……他の奴は俺の事汚物を見るかの目で見てるのに、こいつは別に……いいや、なんとも思ってなさそうで……う〜〜ん……
……! ああ、わかった!!
こいつ俺の事、いや男のこと“本当に”なんとも思ってないんだ!!
つまり、その辺を飛んでる虫とかそれぐらいにしか認識してないんだ!!
ちっくしょおおおおおおおお、なんかもんのすっごいムカツクッ!!
「何怒ってるの?」
「別に、なんでも……」
――このアマ……ぜぇったいひどい目にあわせてやるからな……ふっふっふっふっふ。
胸の中で復讐を誓いながら、そのまま風呂に同伴し、目はばっちり裸体を凝視していた。眼福眼福……ダメだダメだダメだ!!
「――ハンスが帰ってくる? ハンスって誰?」
「ああ、言ってなかったか。ハンスはお前と同じ、親衛隊の男子隊員だ」
「そういえばそんな話もあったような……なんでいなかったんだ?」
「前の魔獣退治の際怪我をしてな。カルバナでは治療できぬから王都アガタへ搬送されていたのだ。それが完治して今日帰ってくるのだ」
次の日。日課になる予定の早朝特訓。筋肉痛で辛いのに……。
んで、散々走らされて一旦休憩になっての一幕。
「で、いつ頃?」
「昼前になるそうだ。フフ、楽しみだな」
ヘレナ、妙に嬉しそうだな。ちょっと気になって聞いてみたら、当然だろうと言われた。
「ハンスの母は母上の側近でな。昔から知っている。親衛隊に入れて喜んでいた矢先の出来事だった。やっと戻ってくるんだ、嬉しくないわけなかろう」
「ふうん……さて、行きますか」
よっこらせと立ちあがる。足がフラフラするが、耐えられないことはない。
「なんだ、もういいのか」
「ああ、行こう」
「……そうか、やる気を出したか。よかろう。行くぞ」
ヘレナの鼻が膨らんでいる。ボルテージが上がってしまったらしい。ヘレナの顔見てたら何故かムシャクシャして、話を止めたかっただけなのだが。まだ足痛いのにどうしよう。
「ヘレナ様、ヘレナ様大変です!」
さあ走ろうとしたら、ジェ二スが血相変えて走ってきた。
「どうした、ジェニス?」
「け、け、警備隊から連絡があって……魔獣がこちらに接近中と……」
その途端、ヘレナの顔色が変わった。今まで見たことが無いような、厳しい顔。
「なんだと!? おい一機、すぐ戻るぞ!!」
「あ、ああ!」
緊急事態が発生したようだ。ダッシュで城に戻った。
「――現在確認されている数は約30体。まだまだ増える可能性があります」
「30体。それでは親衛隊総員で立ち向かう必要があるな」
城内の親衛隊用宿舎の会議室。親衛隊総員集合しているさまは見ていてなかなか壮観だったが、そんなこと考えている場合じゃない。
今テーブルいっぱいに周辺の地図しかれて作戦会議中なのだから。
「いいえ、この城を空にするわけにはいきません。半分、少なくとも3分の1は残さなければ」
「ダメだ。この数が全部とは思えん。兵は多ければ多いほどいい」
隊全員がシンとして聞き入っている。あのイーネですら真剣な面持ちだ。彼女たちが親衛隊であると今さらながら理解し、自分の存在がひどく場違いに思えてくる。
「では、どうする気ですか?」
「私1人で残る」
――ええ!?
ヘレナの爆弾発言に部屋中が騒然となる。
「しょ、正気ですか隊長。いくらなんでも、隊長1人でここを守るなんて無理がある」
「そうですわヘレナ様っ。たった1人でなんて……ワタクシもお供させて下さい!!」
イーネが思い留まらせようとするが、ジェニスが顔を赤くして任せてくださいとドンと胸を叩いた。鼻息荒いし。
「ジェニス、お前はダメだ。お前は弓兵だから魔獣のほうへ行かなければならない」
「そんなぁ……お姉様……」
「でも実際、1人でカルバナを守るなんて不可能でしょう。どうされるおつもりで?」
エミーナの心配を、ヘレナは「問題ない」と軽く言い切った。
「現在魔獣がいる距離はここから30分ほど。そこへ駆けつけて魔獣を殲滅し戻ってくると2時間もかかるまい。たった2時間の間に何も起こりはせん」
「しかし、盗賊は我が親衛隊とヘレナ様を目の敵にしております。1人になるのは危険では……」
「案ずるなライラ。盗賊も最近は影をひそめている。もう大した力は残っていないのだろう。襲ってなどこない。というわけでグレタ、指揮は頼むぞ」
「は……は。了解しました」
ピシッと綺麗に敬礼。さすがだな……と思いながら質問。
「あのー……俺はどうするんだ?」
「ここで待機。特訓の続きをしていてくれ」
「やっぱりな……」
そりゃそうだ。昨日今日入った新米なんぞが実戦で役に立つわけがない。むしろお荷物だ。
でも、蚊帳の外感が拭えない。
「ところでヘレナ、魔獣ってなんなんだ?」
「む? ああ。魔獣とは巨大な獣……古代より伝説として語られていたが、この50年程前から各地で発生している謎の生物だ」
「謎? なにが?」
「どこでどうしてどうやって生まれているかだ。正体も何も不明……まったくわからないんだ」
「ふぅん……この世界に生物学なんてあるわけないから、当然っちゃ当然かな」
「――あのー、僕を忘れないで下さい」
「ちぃ」
舌を打つ。話し込んでたのに横槍を入れたが、上手くいかなかった。
親衛隊が魔獣退治に出発してからすぐ、ハンス・ゴールドがやってきた。そんでヘレナが嬉しそうに話している姿が気に食わなかったので邪魔したのだ。
――しかしこいつ、同い年とは思えんな……。
ハンス=ゴールド。第一印象は、ちっちゃい。ヘレナと同じ金髪をショートヘアにした青い瞳を持つ美少年だが、150cmほどしかない成長ホルモンに異常があると予測される体型。しかも童顔で小学生で充分通る。この世界にいるかどうかは知らないが、年上ショタキラーと呼ぶべき存在だ。
「――今僕の体格に対してものすごく失礼なこと考えているでしょ?」
「――体格に問題があると自覚しているのか?」
視線に気づいたのか、睨み付けながらこちらの思考を的確に読んだ一言を嘲笑で返す。なんでだろう。こいつものすごく嫌い。
「この――!」
「止さぬかハンス。一機、お前もどうしてそうケンカ腰なのだ?」
「別にケンカするつもりなんて……」
あからさまに不機嫌な顔でふて腐れる。ヘレナがはあーっとため息をつく。
「お前たちは親衛隊に所属するたった2人の男子隊員だ。仲良くしてもらわねば困る。だいたい……」
ビーッ! ビーッ!
「!?」
「な、なんだこのサイレン!?」
「敵襲警報だと!?」
『隊長、緊急事態です! MN50機の大部隊が接近中です!!』
城内放送からマリーのパニックを起こした叫びが聞こえる。こちらも誰もがその内容に顔を青く染めた。
「ご、50機!? まずいな……ハンス、病み上がりで悪いが出れるか!?」
「大丈夫、いつでも出れるよっ!!」
「よし、一機は城で待機していろ! わかったな!! いくぞハンス!!」
「了解!!」
「あ……」
2人が格納庫に走って行って、1人俺だけが馬鹿みたいに取り残された。
「……待機って、ようするに邪魔だから引っ込んでろってことだろ……!」
当然だ。剣すら持てぬ俺が行った所でなんの役に立つ。わかっている。わかっているが……
「くそっ!!」
石の壁を力強く叩いて八つ当たりをする。
「これじゃ……あっちと変わんねぇじゃないか……!」
疎外感。いてもいなくても同じ。役立たず。そんな言葉が頭をよぎる。
「……一機?」
突然呼ばれたのでびっくりして振り返ると、そこにはマリーがいた。
「……マリーか、なんか用か」
「……力、欲しいの?」
「……!」
欲しい。
何者よりも強い、圧倒的な力が。
屈服するのも服従するのも大嫌い。媚びを売るなんて冗談じゃない。我を通して生きたい。でも力がないからできない。だから全てから逃げるしかなかった。世の中全部を避けて通るしかなかった。
力さえあれば、俺は俺の思うがまま生きられる。何者を打ち滅ぼせる力さえあれば、何者も恐れずにすむ。
そんな力が……欲しい。
「……あげようか、力」
「……え?」
マリーがニヤリと笑った。
「私の血と汗と涙の結晶、扱えるのは恐らくあんただけよ。それでなくても、この状況じゃあれに頼るしかないの。協力して、一機」
目の前に、マリーの真剣な、でもどこがマッドサイエンティストを思わせる瞳があった。
「…………」
嫌な予感がする。メフィストに誘われるファウストの気分だ。でも……
「――わかった」
断る理由などどこにあろう。
「……で、なんで急に俺を?」
「今盗賊がMN50機ほどの大軍で押し寄せてきてんのよ。隊長とハンスだけじゃ捌きようないでしょ」
「さすがに無理か?」
「恐らく敵は旧式のMNゴーレムに乗っているんだろうけど、数か多すぎるからねさすがにね」
現在俺たちは城内格納庫の地下に下りている。2人でこっそりと。
「その力ってなんなんだ? MNはもうないって聞いたが」
「ふっふっふ……実はあるのよこれが」
口元をぐにゃりと歪ませる。やっぱ止めといたほうよかったかな……?
「もう50年近く前の旧式MNよ。実戦で使われずにずっと倉庫で眠っていたの」
「50年!? そんなのとっくに鉄クズだろ」
『鉄クズ』の一言にマリーのこめかみにビキッ! っと青筋が立った。ちょっと後ずさる。
「失礼ね。整備はバッチリよ。このマリー・エニスが保証するわ」
「どう保証するってんだ……で、なんで使われなかったの?」
「……そこなんだけどねぇ……ま、ちょっと見てみてよ。よいしょ……と」
マリーに引かれ地下の馬鹿でかい扉が開く。その中には20mほどのMNが。しかし普通と違う所があった。それは、
「……見てのとおり、こいつは砲撃戦専用機。背中の大砲と右肩の6連機関砲と左肩の中口径砲。さらには小型連射銃を積んでいるの。こんなの使える人シルヴィアにいない上に、『騎士道に反する』って嫌われて、ずーっと倉庫奥にしまわれてたんだって。でもねでもね、私、こいつを偶然発見した時、ビビビッてきたんだ! このあからさまに格闘戦闘に向かない重装甲、それでいて力強さを感じさせる重厚で無骨なフォルム、骸骨を思わせる風貌、背中の冗談としか思えない巨大な砲身と合計80発も積んで籠でも担いでるかのようなバックパック、まさに長距離戦のみ愚直なまでに考えたこの能力重視の巨人こそ、私が長年追い求めていた……」
「……なあ、ちょっと聞いていいか」
マリーが興奮して目をギラギラさせながらの熱弁を無理矢理へし折って質問。とてつもなく不機嫌にふくらんだ顔をされた。
「あの背中の砲身の弾って、どれぐらいの大きさなんだ?」
「えぇーと……4ディオ、って言ってもわかんないか。ハンスの3分の1くらい」
ハンスは身長150cm以下だから、3分の1だとすると50cm。いや、
「……まさか、46センチ砲?」
別に考えられぬ話ではない。背中の砲身の巨大さからかなりの大口径砲だとは予想できた。砲身の長さは口径と弾の直径によって求められる。戦艦大和の46cm砲の場合は45×46で20m70cm。これは砲口から火門管頭の長さで、実際の長さは砲底を加えて約22m程になる。砲身の長さはこの巨人に人2人分くらいなのでちょうどいい。
「……だけど、大和の10分の1にもならないロボットに46センチ砲を積むなんて、正気とは思えんな」
「ちょっと、あんたまでこのサジタリウスを馬鹿にする気!?」
サジタリウス、射手座って言うのかこの機体は。馬鹿にったって、一発撃っただけで反動で粉々になりそうなあほな機体だもん。しょうがないだろう。
「私はね、こいつを親衛隊の皆、いいえ、シルヴィア王国に認めてもらいたいのっ! だからこの絶好の機会にあんたを乗せて実力を見せつけようと……あ」
「――やっぱな。そんなこったろうと思ったぜ」
自ら野望を暴露してしまったマリーに冷ややかな視線を送る。はじめ真っ青になっていた顔がどんどん赤くなっていき、しまいには俺を大工木材よろしく担いでって、
「お、おい! なにすんだ!」
「やかましい! こうなったら意地でもあんたに乗ってもらうかんね!!」
すっごい恥ずかしいんですけど! ていうかなんでこんなに腕力あるんだよ!!
いくらジタバタしても完全無視して備え付けの梯子にヒョイヒョイよじ登り、操縦席に放り込む。
「痛っ!?」
「痛いじゃない! ほら、ハッチ閉めるよ!」
問答無用とばかりにバシンと閉められた。
「ちょっ、ちょっと待て……真っ暗じゃないかぁ!!」
狭くて暗くてシートだけある。まるで独りぼっちの映画館。
『一機、聞いてる!?』
誰もいない密室の中から突然マリーの昂ぶった声が!
「うわっ、化けて出やがった!」
『さっきまで生きてたでしょうが! 無線で話してんのよこのバカ!!』
「無線? そんなもんまであんのかよ……」
『よく聞いて、一機。そいつの照明のスイッチはシート正面の球体の下にあるからね』
「そう言う事は閉める前に言え! 暗所&閉所恐怖症になったらどうする!!」
『うるさい! なりたくなかったらさっさと点ける!!』
ええい、やむを得ん。手探りで探すか。シート正面の球体……ああ、これか。下下下……あった。ポチッとな。あ、明るくなった。
電気がつくとコクピットの全体図がわかった。シート1つに無線と思われる四角い箱に青い球体が1つ。あとetc。なんかかなり寂しいコクピットだ。それ以前に周りどうやって見るんだ?
「なあ、マリー……ん?」
突然妙な感覚にとらわれた。強いて言うなら超鈍速エレベーターに乗っているような……エレベーター?
「マリー……お前なにしてる?」
『え? クレーンで上げてるの。地下に入ったままじゃ出られないでしょ』
「上の階へ?」
『ううん、カタパルトの上に』
「――カタパルト?」
な、何故だ? もんのすっごく嫌な汗がダラダラと……。
『そう。カタパルトに入れて、火薬でドーンって発射すんの』
「ちょい待ち! それはカタパルトじゃなくて人間大砲だ!!」
『ああもううるさいっ! ほら、発射するからシートベルト閉めて! いくよ!!』
「ままま、まったああああああああ!!」
ドオォォォォォン!!
「わああああああああああああ!!!」
強烈なGを全身に浴びた。
『――姉さん、どうする気? たった2機で勝てる相手じゃないよ』
「――姉さんは止せ」
脅えた昔馴染をたしなめる。怖い気持ちは理解できるが。
今私は愛機のMNヴァルキリーに、ハンスはMNジャックに乗って門の外に出ている。外は荒野、近づいてくる盗賊達のMNを迎え撃つつもりだ。しかし、あまり良策ではないのは自分でもわかっている。
まさかカラッポにした隙を突かれるとは。魔獣は人間が支配出来る代物ではないから、恐らく監視していたのだろう。とんだ判断ミスだ。
『やっぱり、カルバナに戻って篭城戦に持ち込んだほうが……』
「ダメだ。水際で防げる数ではない。それにあの都市には防衛能力などないのを忘れたのか? 打って出て各個撃破に持ち込むしかない」
『で、でも、2人だけでなんて……』
「心配するな。救援の連絡は入れておいたから、しばらくすれば皆が戻ってくる」
『……それまで持つかなあ』
「持たせるんだ」
力強くそう言いながら、冷たい汗が頬をつたうのを感じた。
――正直、かなり辛いな。
相手は旧式のゴーレム。自分のヴァルキリーやハンスのジャックとの戦闘能力の差は歴然だ。だがいかんせん数が多すぎる。ここの所盗賊共が大人しいと思っていたが、チャンスを待って準備していたのだ。
――だとしても、あれだけの数を集めるのはさすがに無理だ。地方都市が絡んでいるのか、あるいは――。
ドオォォォォォン!!
「!?」
『な、なんだあ!?』
突然轟音が響いた。何の音だ!?
『た、隊長、あれ! 右前方!』
ハンスが示した右前方。そこには、
「あれは……」
50年前の巨人、サジタリウスが。
「馬鹿な、どうしてあれがここに!?」
以前ここを訪れた時、マリーが地下倉庫から見つけ出した。「是非とも修理させてください!!」とキラキラ輝いた子どもの目をされたが、副長が「そんなわけのわからないMN使えません!!」と断固反対して結局そのままにしておいたはず。
「……まさか、マリーが?」
その時、サジタリウスに乗った一機が発射と着地の衝撃で脳震盪を起こしているとは知らなかった。
「……う、ううう……」
世界がグルグル回っているような嫌な気分がする。吐きたい。
後で知ったことだが、このとき俺は落下のショックで一時的に転身(アマダス機関で擬似的にMNと神経を接続する。つまり一時的にMNそのものとなり、五感すべてがMNからのものになる)していたのだと。だから、驚きは相当のものだった。
「っはぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
――ココハ、ドコダ――
苦しい。心臓が激しく動いている。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
暗い。なにも見えない。
――オレハ、ナニヲシテイル――
いや、見える。荒れた大地が。
「っは、くそっいったいなにが……!」
ふと手を見てみた。そこにあったのは……
――ナンダ、コノテハ――
「あ、ああぁ……」
――ナンダ、コノ――
黒い無骨な鉄の塊のような腕。
――コノキカイノテハッ!!
「うわああぁぁぁ!!」
『……ずき、一機なのか!? どうした、なにがあった!」
はっ、とその声に引き寄せられ現実に帰る。
狭く薄暗い箱の中で、1人シートのようなものに座っていた。
目の前には青いガラス玉のようなものが埋まっている。
手はもちろん機械ではない。
――そうだ、確か、マリーにそそのかされて俺は……。
『どうした、返事をしろ! おい、一機!!』
また声がした。声のほうを向くと四角いマイク状のものが壁についている。通信機のようだ。
「……ああ、ヘレナか? 大丈夫だ、どこも悪くない」
自分が発した言葉で、相手を知る。
――ヘレナ、そうだ。俺がこの世界に来たときに最初に発見してくれた……。
「……この、世界?」
――なんだそりゃ。世界にこのもあのもあって……
『……おい一機! 黙ってないで何とか言え!! なぜそれに乗っている!!』
『えへへへへ……隊長すみません』
『! やはりお前かっ! だからあれほど触るなと……』
二人の言い争いで、また思考停止する。どうやら記憶が錯乱しているようだ。
――えっと、俺は、誰だ? ここは……。
『隊長、そんなケンカしてる場合じゃありませんよ! レイズを見てください!』
『なんだ今度は!? ……うっ!』
新たに通信に入ってきた若い男の声に従い自分も目の前の球体――これがレイズだろう――を見る。
その中には中心の赤い点――おそらくこれが自分――に50くらいの黄色い点が近づいてきているのが描かれていた。たぶんこれは敵だ。
『くぅ……一機、早く逃げろ! すぐそっちに行く!』
『待ってください! そいつは足が遅いんです。この距離じゃとても間に合いません!!』
『なにぃ!? じゃあどうすれば……』
『任せてください。手はあります。……一機、そいつの大砲であいつら蹴散らして!!』
『な……』
『ええっ!?』
「…………」
ヘレナの驚きのあまり絶句した声を、ハンスは驚愕した声を出したが、指名された本人は驚かず何も言わなかった。ある程度予想がついたから、じゃない。
『ば、馬鹿を言うなっ! 乗ったばかりの人間にMNが操れるものか!!』
『そ、そうだお前何わけわからないことを……』
『うるさい、ハンス。どうせ隊長とあんただけでこの数どうにかできないでしょ。ここはこいつに任せるしかないのよ』
『し、しかし……』
『よく聞いて、一機。そいつの動かし方はね』
「……いい。わかる」
『……え?』
そう。驚かなかったのは、ある程度予想がついたからじゃない。
それどころじゃなかったからだ。
「転身、開始……!」
フッ、と視界が揺れたかと思うと、箱の中から一転荒野に立たされる。
手はさっきのように鋼鉄に。そう、これはこの機体の視界だ。
20mになった身長も、突然増えた体重も、背中の巨大な大砲と80発の砲弾の重みも、鉄の皮膚にあたる風の暑さも伝わる。
当然、近づいてくる17mもある1つ目の鋼鉄巨人たちも見える。
「砲身、接続……!」
その声に従い、背中にあるこの巨体をも越す長い大砲が機械音とともに動き出す。
まず後ろに下がり、バックパックを越えた後右により、肩を越えたあたりで45度下を向き、そのままわきの下へ入る。
わきの下で固定し、標的に向かって構える。
――原理は昔の銃の変形だ。いったん撃ったらハンマーを引いて、薬莢を捨てたら次弾装填を確認してトリガーを引く。
「……フン。なんでこんなことがわかるんだか」
そうだ。わかるのだ。
さっきからそうだ。自然に脳みその中に刷り込まれる。どう動かすのか。これが何なのか。
「ターゲット、インサイト……」
敵の1体に標準を向ける。目視だが大丈夫。必ず当たる。
「喰らえ……サジタリウスの46cm(フォーティシックス)を……撃てぇ!!」
「ぐ……!」
発射の衝撃がこちらにまできた。ビリビリと腕が痛くなり爆風が身を焦がす。
痛みにふるえている間に超高速で弾が飛んでいく。至近距離だったので、撃ったかと思えば命中した。
ズガァァン!!
轟音が鳴り響き、発射時の爆風とは比べ物にならない炎が着弾した敵を包み、粉砕する。
あまりの爆発だったので、まわりの機体も吹っ飛んだ。
ガシャン! とハンマーを下げる。
「次!!」
言われるまでもなく次弾がマシンガンと同じくベルトコンベア式で装填された。追うかのようにトリガーを引く。
ブォォン!!
また爆音、そして爆発。
敵は何が起こったのかわからず慌てふためいている。機体を見て解るのが何とも滑稽だった。
ズガァァン!!
また爆発。あるものは木っ端微塵になり、またあるものは天高く飛び上がった。
『す、すごい……』
とてつもない威力に、発案した本人も言葉を失っている。
「は、はは……」
唇を無性になめ回す。
そのすさまじい光景を見て、俺は心の中の何かが潤っていくのを感じていた。
胸ポケットに入れた手のひら大の宝石が、ほの暗く光っているなど気付かずに。
「終わったか……」
気がついたときには、もう立っているものは誰もいなかった。残っているのは、醜い鉄の残骸のみ。なんとも面白くない光景だ。
「……物足りない」
アッサリし過ぎだ。こうも圧倒的だと逆に面白くない。
『さて一機、説明してもらうぞ。何故サジタリウスに乗っている』
「あ」
しまった。それどころじゃないんだった。
「あ、あの、俺はただ、マリーにそそのかされて……」
『きったな一機! あんただって乗りたいって言ったじゃないの!!』
「やかましい! こんなもんだって知ってたら誰が乗るかっ!」
『黙れ!!』
鋭い声に2人共凍りつく。多分へレナ青筋立ててると思う。
『順序立てて説明しろ。何故それがここにある』
「それは、ええと、ええ……と?」
あれ、なんだか力が抜けて……?
『……一機? おい一機、どうした? 一機、一機!』
異常を察知したヘレナが呼びかけるが、もうその時には意識を失っていた。
同時刻。カルバナ付近の森。2人の男がその惨状を見ている。
かつて一機がヘレナに助けられた時いた男たちである。
「うひゃあ……すごいもんですねまったく。伝説のFMNサジタリウス。これほどとは」
大げさなまでに感動した声を出すが、これはこの男のポーズだと知っている。どうもこの男はおどけると言うかこういうのが好きなのだ。
「――まさか、起動するとはな」
「確かに。シルヴィアの堅物共があれを使うなんて考えもしませんでした」
うんうんと頷いた。
「――で、どうします? 盗賊共は全滅しちまって、目的のブツはあの通り。判断してくださいな」
「――撤退する」
「それが懸命ですねぇ。おいビビ、帰るぞ」
同行してきたビビに声をかけたが、顔を見てギョッとした。何かと思い見てみると、ビビの様子がおかしい。
目は赤く血走り、息は荒く、頬は熱く高潮している。病気か?
「――どうした、ビビ」
「はあ、はあ……すごい、なんて綺麗なふぉるむ……無茶苦茶なまでの重武装……なんてすばらしいの……もう見てるだけでイッちゃいそう……」
「――?」
「何言ってんだこの機械フェチが。ほら、帰るぞ」
「あああ、待って副団長。もっとあの勇姿を見つめていたい……!」
「見つかったらどうすんだバカ! 行くぞ!」
「いやあああああ、私のサジタリウスちゃ〜〜〜〜〜ん……」
引きずられながら悲しい声で去っていく。それを追いかける。
――FMNサジタリウス。戦力として欲しかったが、仕方がないか。
「――だから、サジタリウスの力は見てのとおりです。これを使わない手はありません」
「前にも言ったでしょうマリー。こんな騎士道に反するMNは論外だと」
「でも、たった1機で50機のMNを倒したんですよ。すごく強いんだから騎士道なんて……ねぇ隊長も何か言ってくださいよぅ」
「しかしだな……」
……ん? 誰だ?
「あ、一機起きた」
「大丈夫か? 苦しいとかないか?」
「ああ、大丈夫、なんかすごい疲れて……」
また寝ていたらしい。ベットの上にいた。部屋にはヘレナとグレタとマリーが。
「当然だ。MNの操縦はかなりの体力を使う。素人が乗れば気絶もする」
「それより一機。あんたも副長を説得してよ。サジタリウスを親衛隊で使うために」
「ですからダメだと言っているでしょう。あんなおかしなMN、親衛隊の恥となります」
「は、はじぃ!? ちょっと、いくら副長でも言っていい事と悪い事が……!」
「……いいじゃん、入れても」
すぐ表情が変化した。マリーは瞳を潤ませ、グレタはキレかける。
「おおーっ! 一機、よく言った! さすがは私が選んだ……」
「だって、のどから手が出るほど欲しいんでしょ、戦力」
「……へ?」
ボソリと呟いたその一言に、3者ともに動揺する。
「なにか言ったんですか、マリー」
「いえいえいえ、何にも。隊長は?」
「私は別に……どうしてそう思う?」
「だって明らかに変じゃない。誇り高きシルヴィア王国親衛隊が、なんで王都を離れて遠方に出向いてんのさ。しかも隊員10代か20代だし。大方、長い紛争状態で国がやばくて、正規の騎士団なんてまともに機能してないから、虎の子の親衛隊を派遣しないとダメだってとこかな。しかも熟練の騎士も足りなくて若い人間を徴収せざるを得ない。違う?」
自分の推理を披露するとグレタが、
「こ……この無礼者! 我がシルヴィア王国に対してなんたる侮辱……」
「正解だ。鋭い観察眼だな」
「ヘレナ様!」
「隠してもしょうがない。それに一機は親衛隊の隊員。知る権利がある」
そういってグレタを諭すと、ヘレナはティーポットから紅茶をティーカップに入れ、一口飲む。
「お前の言う通り、シルヴィア王国は今疲弊している。100年前のギヴィン帝国建国、そして50年前のグリード侵攻から各地で内乱が勃発し、経済力も軍事力も低迷しきっている。詳しく話そうか」
「――いや、今日は疲れてるからまた今度に」
「そうか。おいマリー、グレタ、今日は寝かせてやれ」
ヘレナに従って皆引き揚げる。そしたらすぐに眠くなって、泥のように眠ってしまった。
「どうするか、な……」
自室に戻って寝巻きに着替え、しばし考える。
一機の言う通り、戦力は是非とも欲しい。それもあれほどの力ならなおさらだ。戦況を打開する切り札となるかもしれない。
「……しかし、あれほどの力、危険ではないか……」
強すぎる力など破滅の要因にしかならない。やはり封印すべきか。
「――だが、あんな力を元老院に持たせたらどうなるか……」
誰にも話していないが、個人的に神を信じていない。戦場では神の施しなど誰も受けていなく、死は誰にでも訪れる。
しかしそれ以上に、元老院や教団が信用出来ないのだ。幼い頃から彼女達を見つづけたものとして、むしろ危険だと思う。
「ならば、こちらが所有している方がかえって安全か……?」
そういう考え方もある。でも、どうにも決められない。
かつての親衛隊隊長に教わった一言が頭から離れない。
「FMN、ファーストメタルナイトには触れるべからず、か……」
「え? 次僕? ていうか本編で全然活躍してないんだけど……わかったよもう。シルヴィア王国親衛隊隊員、ハンス・ゴールドです。次回は王都に帰ろうとするんだけど、1波乱あるようで。双子が大騒ぎを巻き起こすってさ。どうなることやら……次回、サジタリウス〜神の遊戯〜 第4話 『鏡映しの悪魔』 をよろしく。……ちゃんとネタ考えて書いてんのかな、ほんと」
to be continued……
――第4話――
それがいつ頃のことだったのか、よく覚えていない。
多分、木枯らしが吹く寒波がやって来た時期だったと思う。
掃除が終わり、授業が始まるから教室に戻ろうと階段を上っていたときだった。
上にあの女がいた。折口の金魚のフン、藤沢 慶だ。でも、最初そうだとは思えなかった。
「……ふぅ」
明らかに雰囲気が違う。いつもの徹底的に媚びを売るいやらしさも、人を軽蔑する鋭い目もない。そこにいたのは、寂しげなただの少女だった。
――なんだろう。なんか紙切れ見てるみたいだけど。
そこに、一筋の風が吹いた。
悪戯な風は藤沢から紙切れを奪い、こちらへ飛ばしてきた。
「あっ」
「おっと……と」
無性に見たくなって、ヒラヒラ浮かぶ紙切れを掴み取る。初めて俺の存在に気付いた藤沢はギョッとして、
「よ、止せっ、見るなっ!!」
血相を変えて駆け寄るが、もうその時には見ていた。
そこに書いてあったのは――
「――劇団潮風第32回公演『岬の丘』?」
「返せっ!!」
奪い取られてしまった。興奮したのか息を荒くした藤沢の目を見て、今度はこちらがギョッとした。
やはりそこにいたのはいつものこいつではない。視線だけで人を刺し殺せそうなほど強烈で凶悪、でも、少し悲しそうな目だった。
――誰だ? こいつ。
「――くそっ!」
癇癪を起こしたのか紙切れをグチャグチャにしてポケットに突っ込んだ。そしてその顔のまま下へ。
――なんなんだあいつ?
さっきの紙切れは地方劇団の公演のパンフらしい。あの寄生虫にそんな趣味があったとは。
――趣味、なのか?
どうもそんな安っぽいものとは思えない。いや趣味ではないと思う。あの寂しげで辛そうな目は尋常ではない。と言って恨みや憎しみでもない。あえて言うなら未練?
――まあいいか。
人の過去をあれこれ詮索してどうなる。意味のないことだ。
と、そこまで考えた所で下が騒がしくなった。
「――ですからね慶、私はあの1件に関してはそう考えているのですよ」
「さすがは麗奈さん、聡明でいらっしゃるわ」
下から折口や藤沢、あといつもの取り巻き連中か上がってくる。下で合流したのだろう。藤沢はいつものゴマすりモードに戻っている。
――やっぱ気のせいか。
とりあえずここにいると面倒だ。さっさと上がっちまおう。
あのエセお嬢様と関わるとろくな事がない。
サジタリウス〜神の遊戯〜
第4話 鏡映しの悪魔
「――どうでもいいけど、折口に似てるよなこいつ……」
「何か言いました無礼者」
「いえ別に」
いっけね、声出しちまった。
爽やかな朝の朝食の時間、親衛隊の食堂で何故かジェニス・フォンダが前にいる。言っておくが先に俺の方がここに座っていた。ここ数日見ていたが、定位置と言う概念もないはずだ。
先日の地獄の体験からしても、この女が蛇蝎の如く俺を嫌っているのは明白。ならばどうして目の前に座るのか。さっきから観察してるがこちらを見ようともしない。用事があるようには思えんし、不可思議極まりない。おかげで食事も喉を通りません。
――ええい、悩んでも仕方がない。気にするだけ負けだ。食おう。
喉を通らなかった筈のパンを(米食いたい……)をムシャクシャ食いながら、早朝のヘレナの言葉を思い出した。
――この国は既に衰退しきっている、か――。
ヘレナの話、かいつまんで話すとこうだ。
500年前シルヴィア・マリュース1世(ヘレナのご先祖様)が大陸を統一した。そもそもこれに無理があった。戦に長けるシルヴィア1世の統一の方法は当然戦争。圧倒的な軍事力を縦に他国を次々と侵攻、侵略。しかも大抵の国は根絶やしにするのだから徹底している。まさに大英帝国そのものだ。
無論そんなやり方をしていれば侵略された他国民の恨みを買うのは必然。シルヴィア大陸統一とはいっても、実の所内乱がなかった年など一度もない。ヨーロッパ100年戦争ならぬシルヴィア500年戦争だ。
特に褐色黒目のカリータ人の破壊活動は留まる所を知らず、昨今は相当量のMUを使用したテロも勃発しているらしい。
そして100年前、シルヴィア13世が何者かに暗殺された事件の混乱の際に決定的な事件が発生する。
ギヴィン帝国の建国だ。
シルヴィア王国最強と呼ばれた近衛隊以下多数の騎士(男)が、北部の都市国家に亡命。その際王国第1子(男)を連れて祭り上げ、近隣諸国を巻き込みギヴィン帝国建国を宣言してしまった。シルヴィアの制度や国家宗教であるカルディニス教を捨て去ったこの国はシルヴィアの体制に不満を持っていた都市国家の支持を受け今もなお勢力を高めている。余談だがこの事件を境にシルヴィアの女尊男卑はますますひどくなったのだと。
シルヴィア王国に比べればずっと小さい国であるギヴィン帝国だが、ただでさえ内乱が多発し不満が表面化しているのに全面戦争などをしたらいくつの都市国家が反旗を翻すかわかったものではない。故に放っておくしかなく手をこまねいていた。だが、それから50年後に大事件が再び発生する。
ピスティア王国の崩壊。グリード皇国の建国、そして侵攻。
ピスティア王国はシルヴィア大陸から南側に存在する小さな島々が1つの国として成立していた国で、シルヴィアとは友好国だった。(シルヴィアの航海能力が乏しくて、侵攻出来なかったのかもしれない byヘレナ)その国にクーデターが発生。詳しくはわからないが、そのクーデターで王族は全員処刑され、皇帝グリードか支配する新国家グリード皇国が建国された。そしてすぐにシルヴィア、ギヴィンに対し宣戦布告。国力では圧倒的に勝るシルヴィアの勝利かと思われたが、その目論見は簡単に崩れ去った。
MUの存在によって。
グリード皇国が侵攻の際使用した多数のMUによりパワーバランスは崩れ、(なにしろ剣や弓で戦っている時代に15mの鋼鉄の巨人だ勝てるわけがない)敗北かと思われた。だがこの侵攻は失敗する。
理由は簡単。シルヴィアのMUの存在だ。
実はピスティア崩壊以前に多数の亡命者がシルヴィア大陸に流れ込み、同時にMUの製造技術をシルヴィア、ギヴィン両国にもたらした。それを用い急ピッチでMUを製造。両国は緊急事態として一時的に同盟を組み、辛くもグリード皇国を撃退する。ちなみに、亡命の際持ち出したMUをFMU(ファーストメタルユニット)、特にMNをFMN(ファーストメタルナイト)と言い、サジタリウスもそれにあたるとのこと。
とにかく、グリード侵攻は失敗し、グリード皇国軍はシルヴィア大陸から撤退、MUの建造費と長きにわたった戦争によって国力が衰退したので追激戦は不可能となり、ここにグリード侵攻は終結した。はずだった。が、話はこれで終わらなかった。
新興国家アエス共和国の建国。
疲弊しきったシルヴィア王国は全体に支配体制が行き渡らなくなり、マリノル海峡から西側の国土が独立宣言をしてしまった。すぐに出兵しようとしたがすでにそんな力はなく、ギヴィン同様放っておくしかなかった。
あれから50年、ギヴィン帝国との同盟はとっくに解消され、いつ内部と外部から攻められるかわからないという緊張状態を維持したままシルヴィア王国は存在している――と。
――で、そんな毎時紛争状況じゃ兵の需要が高くて、いくら増員してもキリがない。だから兵士の低年齢化も仕方なくて、さすがの親衛隊もその波には逆らえなかったと。まったく、戦争してるねぇ……。
衰退してるとは容易に予想できたが、まさかこれほどまでとは。今こうしてパン食ってるけど、アフリカみたく飢えで死んでる子どもとかもいるんだろうな。――食いづらくなってきた。
「なんだ一機、まだ食べ終わってなかったのか?」
「あ、あれ? ヘレナ?」
いろいろ考えていたらヘレナが隣にやって来た。まだ食べてなかったのか?
「どこ行ってたの?」
「王都から連絡があってな。少々話が込み入ってこんな時間になった。まったく、堅物共が……」
ふてくされながら食べはじめた。やっぱり食べ方1つ1つが妙に綺麗だ。王族出身だとよくわかる。
「…………うぅっ」
ん? なんか殺意が大量に混入された視線を感じる。前方正面から……あ、誰だかわかった。
恐怖しつつも勇気を振り絞って(怖いもの見たさ、とも言う)ちらりと顔色を窺うと、すっげぇ怖い。
ないはずの犬歯剥き出しで歯軋りしてるし、緑の目は憤怒で赤く染まってるし、黄色縦ロールのお嬢様風の髪は逆立って暗いオーラが……ああ、これ以上説明するとページが消される。
「む……どうかしたかジェニス。機嫌がよくなさそうだが」
「え? いいええ、お気遣いありがとうございますお姉様。でも大丈夫、ジェニスは元気いーっぱいですのよ♪」
早っ。視覚で判断できぬスピードでブリッコモードに。ここまでくると尊敬に値するな。したくないけど。
「そうか。ならいいのだが。さて一機、今日は朝練出来なかったからみっちり鍛えねばな。来い」
「来いって、ちょい待ち。ヘレナまだ食べ終えて……るよおい。すごい早食い」
「お前が遅いのだ。早くしろ」
「ま、待てって……!」
急かされて無理矢理口に詰め込んで食い終わる。呼吸しづらくてちょっとウッとなった。
う……また殺意が大量に混入された視線が……いっぱい感じる。
こわくて後ろを振り返れませんでした。
「そんで……ヘレナ……どう……すんの……?」
「何をだ?」
「だから……昨日の……サジタリウス……親衛隊で……使うの?」
「……!」
前を先行していたヘレナが立ち止まる。やれやれやっとだよ……。
恒例の特訓で2人で走ってました。こっちは息せき切っているのにヘレナは汗1つかかない。天と地ほどの身体能力の差。休まないとやばいと感じたけど「これぐらいどうした!」と言われるのが関の山なのでなんか話して止まらせるしかない。見事成功。でも、この話題はまずかったか? 思いつめた顔で空を見上げてしまった。
「あの……」
「……正直、迷っている」
「へ?」
迷ってる? ヘレナが? 俺を親衛隊に入れるときも、魔獣が出現したときも、スパッと決断したのに。
「お前の言う通り、確かに我が親衛隊、いやシルヴィアには戦力が必要だ。たった1機で50機を倒したサジタリウスの力、あれを眠らせておくのは惜しい」
じゃあ使えばいいじゃん。
「だがな、あれは我々の行ってきた戦いから逸脱した兵器だ。サジタリウスを使用した戦いは、戦などと呼べるかどうか……」
――要するに、『騎士道に反する』とやらか? 馬鹿馬鹿しい。何が騎士道だ。
「これは騎士道ではない。それ以前の問題だ。実際昨日の戦いではサジタリウスの攻撃に相手は反撃も出来ず一方的にやられていただけだった。あんなものは戦とは呼べぬ」
「――とりあえず聞いていいか? 何故こちらの考えている事がわかる?」
「お前の顔を見れば一目瞭然だ。顔に出やすいタイプだな」
うっ……きついことを……。
「……まぁ、それはそれとしてだ。どんな手段でも、勝てるならそれでいいじゃないか。昨日だって、サジタリウスがいなきゃあの大軍にやられていただろうし」
「それは感謝している。私も恩知らずではない。しかしこれは別問題。私にはあの力、災いを呼ぶ源に思えてならないのだ。先代の親衛隊隊長の言葉が頭を離れん」
「何て言ったの?」
「“FMNには触れるべからず”だ」
くだらない。迷信や信仰は大嫌いなんだ。
個人的な話だが、神や宗教の類いは信じていない。俺と同世代の人間で疑問に思わない奴はおかしい。その想いは宗教関連の本を読み漁ってますます強くなった。知れば知るほど意味不明な考えや矛盾が露骨に見えてくる。あれを信じる方も信じる方だが、信じろと言う方も言う方だ。
「触れるべからずったって、もう触れちゃったじゃないか。今さらな気もするがね」
「勝手に目覚めさせたのだろ。責任逃れするな」
「いや、そういうつもりじゃ……」
手をブンブン振って否定する。やばいと思った。
うっわぁ、睨んでるよ……まだ怒ってんのか。そりゃそうだ。
「だ、だけど、そりゃ危険かもしれないけど、あんなすごい力を使わないなんて手はないよ。長い戦争を終結させられるかもしれないし、それに……」
「1つ聞いていいか一機。何故そこまであの機体にこだわる?」
「! そ、それは……」
口ごもる。嫌な汗が出てきた。当然だ。
「ふむ……やはり使うか。お前ではない誰かに乗ってもらって」
「なっ!? 冗談じゃない!」
「ほう、どうしてだ?」
その時、ヘレナの視線に気付いた。寒気がする目つきだ。鼠をいたぶる猫のような、嗜虐的な目。違う。さっきの目は怒っていたんじゃない。気付いていたんだ。自分のこの感情に。今の目は非難の目だ。
でも、言えるわけないじゃないか。
あの時感じた感覚が忘れられないから、なんて――!
あの時、自らがサジタリウスになって46センチ砲を撃ち、敵が吹っ飛ぶ様を眺めながら感じた不可思議な感情。
今まで感じた事がないような、未体験の感覚。でも、なんだかは簡単にわかる。
あれは――快楽だ。
喉が潤い、カラッポの心が満たされる。
あの快楽を、もう一度。いや何度も味わいたい。
サジタリウスに乗って――
「今はまだ、お前をMNに乗せたくはない。体力的な問題もあるしな。実際、お前はあの後倒れてしまった。どうしても乗りたければ特訓あるのみだ。走るぞ」
「あ、ああ……」
特訓が再開された。ヘレナを追いながら、俺は苦悩していた。
――ヘレナは俺の事を危険だと思っているのかもしれない。それはわかるよ。でも、それでもあの感覚が頭を離れないんだ――。
ヘレナの思いを理解しながら、まるで麻薬中毒者のようにサジタリウスのみを求めつづけた。
「――だから、そのネジはそっちじゃないって言ってるでしょ! こっちの大きいやつ!」
「全部たいして違わないじゃないか!」
「こっちの子はちょっとクールガイ気取ってるじゃない! あんたが取ったのはハードボイルドタイプ、全然違う!」
「ネジにクールガイもハードボイルドもあるか!」
意味不明な発言にまた足痛くなってきた。例によって筋肉痛だ。
親衛隊MN格納庫にて。今俺は前回出撃したMNの修理の手伝いをしていた。
親衛隊は専属整備士としてマリーがいるが、人手不足なため修理は総員で行う。難しい所はマリーに任せ、あとは自分のMNは自分で整備するといった所だ。
ちなみに今整備しているのはサジタリウスではなくイーネ専用エンジェル改。何で改なのかというと今説明する。
「しかしさあ……このエンジェルだけなんか他と違くない? 装甲は少ないし、武器もダガー(短刀)2つだし。まるでアマゾネスだ」
「イーネさん元義賊でしょ。この方が戦い易いのよ」
「なるほど……ほいペンチ」
「あいよ」
器具を渡しながら、マリーを観察する。こちらの視線に気付かず、見もしない。
なんか、キラキラ輝いている。手品師のマジックに目を奪われた子どものようだ。嬉々として修理に没頭する様は、マッドサイエンティストの匂いを嗅ぐわせる。
ホントに好きなんだな、と思う。熱中症(熱中の意味が違う)になるなこれは。
「――しかし、熱い――!」
と、言ったら、
スコーン!
「あだっ!」
ドライバーが飛んできて見事頭部に命中。幸い下からだったので大した力も入らず無事だったが、痛ぇんだよ!
「誰だ投げた奴は!」
「ここだっ!」
堂々と名乗った先にいたのはライラ。またこいつか!
「なんのつもりだ!」
「熱いのなどみな承知しとる! それでも考えぬように誰も言わなかったのに、わざわざ言って意識させるとは何事だ!」
「それ現実逃避って言うんだよ! それ以前にんな馬鹿げた事でドライバー投げるなっ!」
「男が聞いたような口を聞くなっ!」
ああああ、また『男が』か! どいつもこいつもバカにしやがって、男をいったいなんだと思――
「――――!!!??」
「ああっ、一機が落ちた!」
「落ちてねぇよ!」
事実仰天のあまりずっこけて15mから転落しそうになりましたけどねー!(心臓バクバクで一時的にハイテンション)
で、転落の原因を凝視してます。
なんのつもりだあいつ!? いや待てよ、中世ヨーロッパではそんな風習もあったって聞くし、こっちでも別に普通なのでは……
「レ、レミィ! だから上着無しで出歩くのは止めなさいと言ったでしょう!」
「えっ!? それが当然じゃないのっ!?」
「当たり前です! レミィだけですこんなことをするのはっ!」
副長(また顔赤い)から明かされた驚愕の事実。う〜ん残念。ってちがぁう!
「だって暑いんですもん」
「暑いからって、そ、そんな破廉恥な姿で……!」
「男はいいのに、どうして女はダメなんですか? ボクそういうの好きじゃなくて」
すっごいナチュラルに一言。こいつ、全然男女差を意識してないなやっぱり……。
その態度に男をなんだと思ってるんだと怒りを持ちながら、たまたまポケットに入れてた携帯でレミィを激写しまくって文明の利器に感謝の祈りを捧げると同時にもっと画質のいいのを買えばよかったと後悔した。何とでも言え。
「――戻る? どこに?」
「シルヴィア王国王都アガタにだ。先の戦いでカルバナ周辺の盗賊は殲滅したと判断されたのでな」
「なるほどね……でもいいの? この都市って防衛能力ないんじゃなかった」
「たしかにそうなんだが……」
そう言うとヘレナは頭を抱える素振りを見せた。なるほど。納得できないけど上からの命令ってわけだ。所詮は軍隊か。
夕食時、ヘレナと向かい合わせで会話中。慣れない紅茶を飲んで全然味がせず、砂糖をポットからドボドボ落とす。
「出発は?」
「3日後にする予定だ。アガタまで各地方都市を経由していけば2週間ほどで到着する」
「2週間。ずいぶん遠くに来たんだね」
「朝説明したとおりだ。まったく嫌な世になった……一機、砂糖入れすぎだ。甘いだけだぞそれでは」
「紅茶の味なんてわかんなくてさ。あっちじゃココアぐらいしか飲まなかったし……うわ、甘っ」
甘ったるい味に顔をしかめたら「ほらやっぱり」と笑われた。ぐうう……。顔をふくらませる。
「――でだ。話は変わるが、一機に言っておく事がある」
「あー、何だよ」
「サジタリウスの件だが……」
「――!」
驚きのあまり反射的に姿勢を正す。その話題が来るとは思わなかった。
「――結局、どうする事にしたんだ?」
「――使う事にした」
机の下でよしっ! と拳を握り締めた。だけど、まだ問題がある。
「誰を乗せることに?」
「――――お前だ、一機」
さっきよりさらに重々しく発された言葉にまた拳を握り締めた。
「嬉しそうだな」
「そうでもないさ。でも驚いたな。てっきり使わないと言うとばかり思ってたけど」
そういうと、ヘレナも「はあ……」とため息をつく。やっぱり苦渋の決断ってやつか。
「仕方がない。戦力不足は確かだし、それに……元老院に昨日の戦いを知られてな。使わないわけにはいかなくなった」
なるほど。つまり不本意だと。まぁそうだろうな。甘ったるい紅茶をまた1口飲んで新たな質問をする。
「で、どうして操縦者を俺に? 他のやつはダメなの?」
「……それなんだがな……一機、お前サジタリウスに何かしたか?」
「は? いや別に」
「では、おかしなこととかは?」
おかしなこと? ていうかあんな鉄の人形が動く事自体不思議で、それ以外で変な事なんて……あるな、1つだけ。
「動かし方が教わらなくてもわかったけど、それって普通のことじゃないの?」
首を横に振られた。
実を言うとあの時のことはおぼろげにしか覚えていない。後でぶっ倒れたせいかどうか知らないが、ボヤーッともやがかかったような記憶しかない。前述したように強い快楽を感じたのは鮮明に記憶しているのだが。
「実は昨日、お前が寝たあとに試しにサジタリウスに乗ってみたのだが」
「な!? 人の機体になにを!」
「馬鹿、まだお前のものではあるまい。それで、乗ってはみたものの、全然動かなかったんだ。他にも何人か乗ってもらったのだが同様だった。マリーの話では何故だかわからないがサジタリウスがお前以外受け付けなくなったんじゃないかと言っている」
「……ええー? 受け付けなくなったって、そんなのまるでサジタリウスに意思があるみたいじゃないか」
その言葉にヘレナも渋い顔をした。ヘレナにとっても不可解な出来事らしい。
「わからん。とにかく今言えることは、サジタリウスは現在お前にしか扱えないと言うことだけだ。だから、使うと決めたからにはお前しかいないんだ」
「そうかい……。ま、いいけど」
「やはり嬉しそうだな」
「そう見える?」
自分ではなんでもなさそうな顔にしようと努力してるつもりだが、やはり顔に出てしまうか。でも、こっちにも見栄がある。
「とにかく、そうと決まったのだからもっと厳しい特訓をお前に課す必要がある。明日は早いぞ」
「了解……わかってるさ」
思わずため息が出た。予測できたとはいえ大変そうだ。でもサジタリウスに乗るからには鍛えとかないと、またぶっ倒れたら嫌だし……ん?
寒気を広報に感じて振り返る。後ろでは親衛隊員が何事もなかったかのようにもくもくと静かに食事中。絶対殺気送ってたと思う。
しかし、ちょっと敵意強すぎないか? いくら宗教的に男嫌いだからって、ここまで強烈なのは異常じゃあ……。他に理由でもあるのか?
「……眠れん」
深夜。もう既に就寝時間が過ぎた頃の城内廊下。
深夜用豆電球の薄明かりの中をトボトボ歩いていた。目的地はトイレ。
親衛隊用の宿舎には男子トイレがなく、ハンスが来た際共同には隊員のほとんどが猛反発したため急遽外に建設された。なので結構遠い。
なんでこんな時間に起きているのかと言うと、まあ単に体中痛くてしかたがないからである。元々寝つきが悪いたちなので全然寝付けず、明日早いので寝ようとベットの中で悶々とした状態を維持してきたが、とうとうダメだこりゃと判断して起き、とりあえずトイレにでも行くかと決めて今にいたるわけで。
「眠気はあるんだけど眠れないってのが1番きついんだよね……あれ?」
ふと、前方の部屋の前で誰かがしゃがみこんでいるのを発見した。あそこはヘレナの部屋だが、ヘレナじゃないらしい。誰だ?
ゆっくりと近づいてみるが、まったく気付かない。鍵穴から部屋の中をのぞきこんでいるようだ。いよいよ怪しいぞこれは。
トントンと肩を叩く。相手は飛び上がった。
「な、な、な、わ、ワタクシ、何もしておりませんわ! ヘ、ヘ、ヘレナ様の部屋を覗いていたなんて、そんなやらしいことは……ってあら?」
パニックを起こした相手は、こちらが誰か把握する前に言い訳を始めた。自分の犯罪を自分で暴露したのは、やたら高級そうなネグリジェ姿のジェニスだった。
「あ、あら、こんな夜中に何をしてますのこの変態男。まさかヘレナ様の部屋に忍び込もうとしてたのではありませんよね。んまぁ、男ったらみんなスケベですからねぇ」
「…………」
いつもの高慢ちきな態度に戻ったが、こちらの物いいたげな冷ややかな視線を受けてう……と口ごもる。ちなみに俺が目から発射した視線は「貴様が言えたセリフか?」である。
「な、何ですかその目は? 私を疑っているのですか? 私はこの鍵穴からヘレナ様のあられもない寝巻き姿を覗き見ようなんてこれっぽっちも……あら?」
そこまで言ってやっと自分が墓穴を掘ったのに気付いた。馬鹿だこいつ……。
「……ちょっ、ちょっと、なんですのその目つき! このワタクシを愚弄するつもり!?」
愚弄って、そんなことやってる人間に対してそれは当然では……ん? 待てよ。このセリフどっかで聞いたことあるような……。
「男ごときにそんな目をされるいわれはありません! だいたい、あなたのせいでヘレナ様はワタクシたちの訓練に全然出てこなくなくなって、我が親衛隊は灯が落ちたかのような物悲しさに包まれているのっ!」
なんかいきなり語りだした。昨日のマリーを思い出す。この2人実は似たもの同士なのかもしれない。
「それで、その悲しさを紛らわせようとあなたをボコボコにしたりライラたちと組んで迫害しても、ヘレナ様を失った穴はそう簡単に埋まらず、苦悩する日々……よよよ」
「……なあ」
「それもこれも、みぃんなあなたが突然現れたから! この……」
「おたく、ひょっとしてヘレナのこと好きなの?」
「――!!?」
ボッと、まさに火がついたかのように赤くなった。やっぱりか……。
「な、な、なに、なに、を、ば、ば、ばか、なこと、を、わ、わた、わたく、しは……」
うひゃあ、ここまで動揺しながら否定するとかえってはっきりとわかるわ。こういう奴を古い言葉でウブって言うのかねぇ。
しかし、そうなると皆にあそこまで嫌われてるのも納得だな。ありゃ嫉妬してたわけだ。多分へレナLOVEの人間はかなりいるだろうな。全員男嫌いなんだから当然っちゃ当然か。
「ちょっと聞いてますの!? ワタクシのような一般貴族がヘレナ様と一緒にいるのも恐れ多いというのに、そ、そんな好きなんて……!」
「じゃあ嫌いなんだ」
「そんなわけないでしょう!! ……あ」
「ほらやっぱり」
あのジェニスがこちらのいいように弄ばれている。ぐふふふふ……もんのすっごく気分がいい。
「こ、この変態男、このジェニス・フォンダに対しそのような態度が許されると思って……」
「人の部屋勝手に覗いてる変態のほうが許されないと思うけど」
「くくく……!」
ああ、とてつもない快感が全身を駆け巡っている。こんな楽しい事が続くなんて人生初めて……ん?
ひた、ひたひた。
なにこの音? 裸足で廊下歩いているような……
「……え?」
む、向こうから誰か来る。遠いし薄明かりだからよくわかんないけど、なんか幽霊チックにゆらゆらと……
「ジェ、ジェシー?」
恐怖で顔を引きつらせたジェニスが妹の名前を呼ぶ。あれがジェシー!? 変なオーラがでてるんだけど。
「姉さま……何をしてらっしゃるんですか?」
フランス人形みたいな容姿がかえって不気味さをかもし出している。人形に取り付いた幽霊の方が正しいか。
「い、いえ、別に何も……」
声が完全に裏返っている。さっき赤かった顔が信号機並みのスピードで真っ青に。
「また覗きですか。あれほど止めてくださいと言ったのにこりもせず……」
なんか虚ろに近づいて来る。てちょっと待て。右手になんか持って……斧!?
「ヘレナ様にかまってもらえなくて辛いのは自分だけじゃないのに、1人だけいい思いして……それもこれも……」
やばい。脳が『逃げろ』と言っているがあまりの怖さに体が動かない。まもなく射程範囲内に。
「あなたが……男なんかがいるからぁあああああああああ!!!」
「わああああああああああああっ!!!」
逃げる、逃げる逃げる!!
奇声を上げ追いかけて来るジェシーから全速力で逃げる!!
あの体のどこにそんな力があるのかと思うくらい斧をブンブン振り回してくる。
つーか助けてくれぇ!!
「ああああああああああっ!!」
「いやぁああああああああああああっ!!」
「男も姉さまも、いなくなってしまええええええええええっ!!!」
ジェニスも同様に追っかけられている。今俺たち2人は1つになった。コンバインも可能だろう。
「――何をしてるんだこんな夜中に」
ジェニス&ジェシー姉妹と共に正座させられている俺の前に呆れたヘレナの顔がそこにあった。あの、俺は被害者でして……。
でもまぁ、あれだけ騒げばそりゃ誰だって起きてくる。ホラー映画顔負けに斧を振りかざすジェシーを見て悲鳴が連鎖的に宿舎内に広がり大パニックに。んでやっと収束して廊下で3人そろって正座中。
「ジェシー、この大馬鹿者。あれほど癇癪を起こすなと言ったのに」
癇癪? あの、俺殺されかけたんですけど、癇癪の一言で済ますつもり?
「悪かったな一機。ジェシ―は普段は大人しいのだが、一旦癇癪を起こすとなにをするかわからんのだ。言っておくべきだった」
「ええ。言っておいてください」
死にかけましたんで。
そんでジェシーは今俯いてしょぼんとしている。元に戻ったのか、あるいはヘレナ用の仮面か……。怖い。
「ちょっと、だからヘレナ様に対してなんて口の聞き方を……」
「お前は何をしていたんだジェニス?」
「え? その、それは……」
今度はこっちが俯いた。さすが姉妹。こういう雰囲気は似ている。
「俺はもういいでしょ。寝てきます……」
「ああ、わかった。着がえてこい」
ちょっとトイレと思っただけなのに大事件に。もう疲れた……今ならぐっすりと眠れ……着がえる?
「……なんで?」
「時間だ。特訓を開始するぞ。ほら、早くしろ」
……泣いていい?
「あらあら、次はミオですかぁ? はーい。シルヴィア王国騎士団親衛隊看護兵、ミオ・ローラグレイでぇ〜す。チュッ♪ 今回はカズキン大変だったみたいだけど、次はもっと大変そうなの。やっと王都に戻ろうとするんだけど、そこで襲撃にあってしまうの。サジタリウス再びで、カズキン大活躍! 次回、サジタリウス〜神の遊戯〜 第5話 『野犬達の咆哮』をよ・ろ・し・く♪ いやん、恥ずかしい♪」
to be continued……
――第5話――
17歳という、日本の平均寿命の5分の1も生きていない年齢ではあるが、それでもいろんな経験をしてきたと自負する。だけど、経験してないことも当然多い。例えば、こんなことがあった。
「一機、ちょっとお使い頼まれてくれるか?」
「はい?」
物理の授業終了後、担任の新木が声をかけてきた。
「お使いって何です?」
「校長室にまでこの用紙を持っていってくれ。俺はちょっと忙しいんでな」
――校長に会いたくないだけじゃないのか? この不良教師。
「わかりました。手渡すんですね?」
「いや、いなかったらそのまま置いてきていいから」
「ええ」
最低限の言葉だけで確認して用紙をもらう。まあいいだろ。
さっきこの男を不良教師といったが、実は勤勉な方だったりする。ひどいのになると授業自体しない。音楽でも流すか、教師自身が授業に出ないか。生徒のみならず教師の不登校もここでは毎度のこと。授業をやらないので受験に対応できるはずもなく、この学校の進学、就職率は10%未満を維持している。この学校来たら高卒ニートと進路はほぼ決定。
んなことはどうでもいいとして、お使いをせねば。脳内の校内地図を表示する。
――1番近い階段から行けば早いけど、今連中がたむろってるな。ちと遠回りだが、1つ先の階段から連絡通路を通って行ったほうがいいか。
長い高校生活から制作されたマップには時間別危険地帯が登録済み。経験則がものをいうここでは大変貴重な情報だ。
でも、いくら経験則でマップを作ったって所詮は人間の行動。計算外もあるわけで。
「ん?」
「……あ」
よりによって山伏と鉢合わせ。幸い1人だけだけど。
うっわやべぇどうしようかと対処法を思案し、
「…………」
とりあえず無視することに。
「おいまて」
呼び止められるが、誰が待つか。
「シカトこいてんじゃねぇよ!」
背中に蹴りを打ち込まれ、転倒する。
「ぐ……」
背中がズキズキ痛む。でも相手はそれぐらいで許したりしない。
胸倉をつかまれ、立ち上がらせられる。
「むかつくんだよ貴様。いっつもいっつも馬鹿にした目で見やがって。ああ?」
絵に書いたような不良の口調で脅してくる。怖くはない。ただ滑稽なだけだ。
「おい聞いてんのか! 貴様俺をなんだと思ってやがる!」
馬鹿にしてます。
口には出さないが、目で十分すぎるほど言った。
「このヤロ……!」
もう一発ブン殴ろうとしたが、そこに地獄に仏……いや、同類の鬼がきた。
「あらぁ、何をしてるんですの? この野蛮人」
折口率いる取り巻き連が登場。無論山伏対策の乾も。
「また弱い者いじめ? 相変わらず乱暴ですねぇ」
「んだこの女ぁ! ぶっ殺されてぇのか!」
「ああ、やだやだ、一般人ってのはこれだから……乾!」
忠犬よろしく乾が立ちはだかる。よく見てみると折口達の後ろに教師が。
――ああ、いいカッコしたかったってわけね。助けるなんてあり得ないと思ったけど。
この学校では教師など空気中のホコリ以下だが、見栄っ張りな折口は少しでも栄誉が欲しいんだろう。まったく馬鹿馬鹿しい。
乾と山伏がにらみ合う。これ以上構ってられるか。用紙を拾って退散する。
「ちょっと貴方! お礼くらい言ったらどうですの!?」
――お礼?
俺は双方をゆっくりと見回し、たった一言。
「……フン」
とだけ言った。
「……!」
山伏も折口達も顔を真っ赤にして怒るが、山伏は乾がいるからうかつに動けないし、折口はいいカッコするためにきたのだから何にもならない。
結局そのまま放っておかれ、俺はさっさとその場を後にした。
「失礼しま〜す……って誰もいないか」
せっかく用紙を届けに来たのに、校長室はカラッポだった。
「しっかし、悪趣味な部屋……」
部屋を一見すると妙なものがたくさん。壷だったり誰が描いたかわからない絵画だったり鎧だったり火縄銃だったり……あら、西洋のソードまである。あのバーコード頭の趣味の程度が窺える。
「骨董マニアなのかね? でもたいしたことなさそうだなあ……まあいい。ちゃっちゃっと置いて帰るか」
自分で言ったとおり帰ろうとしたらドアがガチャと開いた。
「ん? 誰かね君は」
入ってきたのは悪趣味なバーコード頭、燃余高校校長黒部 林蔵が現れた。一瞬動揺する。
「あ、ああいや、先生からこちらの用紙を届けるよう頼まれまして……これです」
手渡すと、校長がんー? とした目で用紙を見る。これ以上長居する理由は無い。戻るか。
「それじゃ、失礼しました」
退室したらドアの向こうから「まったくあのバカが……」といった声が聞こえてきた。やっぱり不良教師としての立場をとっているらしい。
「さて……どうするか」
このまま教室に戻っても別に何かあるでなし、図書室は閉まっているし、かといってここにいるわけにもなぁ……と、毎日同じ悩みを繰り返す。もう嫌気が刺す。
こんな高校辞めちゃえばいいんだとはわかっているが、どうも踏ん切りがつかない。
とどのつまり、俺って自分でなにか出来ないんだよな。中学だって高校だってここがいいんじゃないかって推薦されるまま流されて入ったし。優柔不断……とはちょっと違うと思うけど。このままだと大学も行かされることになるかも。
なんとかしたほうがいい、とは俺も思う。でも無理だ。
今さら生き方なんて変えられるか。
サジタリウス〜神の遊戯〜
第5話 野犬達の咆哮
「……変えられなくても、変えさせられはするんだな……結局、流されたままなのは変わりないけど……」
「そりゃそうさ。生き方ってのは変貌するもんよ一機。お姉さんもいろいろあってねぇ……よよよ」
「……独り言盗み聞きしないでくれるかなイーネ。それに、ここじゃロージャと呼べって言われてるでしょ」
「ああ、そうだったそうだった」
悪びれもせずあっけらかんとしている。軽い人だ……。
言い忘れたが、いま俺たちは荷馬車の中にいる。外は荒野。
親衛隊総員、王都への帰路へ立っているのだ。
「――荷馬車? MNって荷馬車で運べる代物なの?」
「さすがに無理だ。MNは専用の車両で運ぶ。荷馬車に乗るのは我々だ」
「車両って、こっちにも車あるの? 動力はガソリン? それとも石炭?」
「アマダス機関」
「ああ、またかよ……」
出発前日、自分用の自室(新米が1人部屋などとヘレナが言ったが、その他大勢の隊員が俺の受け入れを拒否した)ヘレナから移動についての説明があった。
「ルートは? 直行じゃないだろ?」
「無理だそんなこと。周辺都市を点々としながら王都に戻る。半分は野宿になるぞ」
「MN連れて?」
「無論」
「……とてつもない大名行列だな。あんな巨大なの大量に運んだらバレバレだろ」
「当然だ。だから警戒を怠るなよ」
「え? 24時間……じゃなかった、20時間ずっと?(なぜ20時間かは第3話参照)」
「だから当たり前だといっているだろう」
「うわあ……大変だこれは」
天を仰ぐ。大事だなこいつは。
「ああ、ところで1つ言っておくが、輸送中はロージャを名乗れよ。あとこれ」
と言って全身すっぽり覆う黒のローブを渡された。
「な、なにこれ?」
「お前の存在は親衛隊内だけの極秘なんだ。そのままの姿だったら一発でわかってしまう。だからそれで変装しろ」
「変装って……」
「それと、荷馬車はイーネと同席だからな」
「……暑いです」
そんで今俺は言われた通りにローブを着ています。外はカンカン照り。先ほど述べたように荒野なのでなおさら暑い。
「もうすぐ冬のはずなのに、なんだってこう暑いんだ……!」
イライラがたまっていた。言われているので脱ぐわけにもいかず、熱気が内部にこもってきつい……。
「一……じゃなかった、ロージャ、今なんてった?」
独り言を聞いていたイーネがキョトンとした顔で尋ねてきた。
「え? 『なんだってこう暑いんだ』だけど?」
「その前」
「『もうすぐ冬のはずなのに』?」
「なにバカ言ってんの。春爛漫って時期なのに」
「……は?」
春って……俺が来たのはあっちの11月半ば。こちらは1年が10月までしかない(1月が36日ほどあるので同じ365日)から計算すると……1月くらいじゃないか。正月過ぎてるぞ。
「冗談は止めてくれよ。今何月だと思ってるんだ?」
「5月半ば」
「5月!?」
ちょっ、ちょっと待て、さっきの計算式から5月半ばを出すと……やっぱり5月だ。ということは、あっちとは季節がちょうど半年ズレてる!?
「ま、まぁ、別世界に来たんだから、季節が一致するとは限らないけど……青天の霹靂だなこりゃ」
「さっきからブツブツなに呟いてんの?」
「今さらながら自己の常識との落差に愕然としてる所」
「はぁ?」
変な顔をされたが、間違いじゃないからしょうがない。
それにしても、あちらとはだいぶ常識が違うようだ。前に勉強しなきゃと思っていたが、忙しくて全然だった。もっとも、生まれつき勉強なんてする方じゃないけど。
「あ〜あ……」
荷馬車にゴトゴト揺られながら、自嘲のため息を漏らした。
「なに若いもんがため息なんてついてんのさ。もっと気楽に生きなよ気楽に」
「……それができたら苦労は無いよ」
ケラケラ笑うイーネが腹立たしい。ずっと疑問に思ってるんだけど、女ってどうしていっつも笑ってるんだ? 涙腺ならぬ笑線が甘いのだろうか。他人の笑い声ほどムカツクものはない。自分を嘲っているように聞こえる。
「そりゃー、あんたの境遇は大変だと思うけどさ、いつまでもウジウジ悩んでても仕方ないじゃないの。隊長が世話してくれたんだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ。隊長がいなかったらあんたどうなるかわかんなかったんだよ」
ん? 何の話だ? ――ああ、そっか。イーネの奴、この世界に来た事で悩んでると勘違いしたのか。
それについてはまぁ、自分的に解決している。無理矢理連れてこられたならともかく、自分で来たんだからな。とても言えないけど。
「いや、そうじゃないんだけどさ。ただ、あっちとこっちでは何もかも全然違うから、今さらながらその差に驚いてるだけだよ」
「全然? どう違うのさ」
「もう全て。一緒なとこ探すほうが大変なくらい。――あ、いっぱいあるか同じとこ。電気があったり水道があったり。ていうかそっちの方が驚きだなどっちかと言えば」
「どうして?」
「この世界は向こうの世界のヨーロッパ――向こうにある地方のことね。そこの中世に近い環境なんだけど、その頃には電気も水道もなかった。ていうかそれらが生まれたのは今から100年近く前のことだから、あるのがとても信じられなくて」
『文明の漂流』によって俺の世界から大量のモノがもたらされるとはいえ、よくもまあ解析して役立てるもんだ。この世界の科学者ってよっぽど頭良いんだな。
「ふ〜ん……よくわかんないねぇ。あ、そうだ。ロージャ、一度機会があったら聞いとこうと思ってたんだけど」
「なんだいいきなり」
「あんたあっちじゃどんな生活してたの?」
「……!」
ぐっと喉に何か詰まったかのように息を呑んだ。そんな質問が来るとは思ってなかった。
「な、なんで……いきなり……」
「だってあんた、変じゃないか」
「変? どこが?」
「全然世慣れてないんだもん。その年で敬語も礼節も苦手だし、喋るどころか話しかけるのもままならないじゃないか。ひょっとして、人と話したこともろくにないの?」
「…………」
驚いていた。
そう思われていたことにではなく、イーネにそこまで完全に見抜かれていたことに。
このとき初めて、イーネが見た目通りの人物ではないとわかった。
「……その通りだよ」
ここまでバレていまさら隠すことなど何もない。アッサリと肯定した。
「やーっぱりね。ちょっと初々しすぎると思ってたんだ」
「――初々しい?」
「そうだよ。だって、ほら……」
色気を含んだ声でそういうと、胸元が大きく開いたシャツをさらに広げてより胸を強調させる。とび色の瞳が怪しく輝く。
「……!」
く、くそっ……今まで見ないようにしてたのに……。
いつもそうだが、イーネの服はやたら露出度が高い。今日のシャツだって胸元をばっさり開いたへそ出しミニだし、ズボンは相変わらず短い。青少年にはきつすぎる……というより、絶対狙ってやっている。この目が証拠だ!
「しょ……しょうがないだろ!? 俺の人生の中で、こっちにくるまでまともに喋った女なんて2人だけ……あ」
叫ぶかのように発した一言は失言だった。イーネも呆気にとられている。
「ふ、2人って、あんたいったいどんな生活送ってたの?」
「……人と接しなくていい生活」
「はぁ? そんなおかしなことありえんの?」
「あっちの世界じゃありえたんだよ……」
実際、そんな生活を送っていた。
引きこもりではなく、ちゃんと学校に行っていたが、それでも誰かと喋ることなどなく、24時間学校にいても街を歩いていてもアパートの1室にいるのと何一つ変わりなかった。別に今始まったことではなく、小学生くらいからずっとこんな感じ。むしろあいつがいたので小学中学より圧倒的に人と接していたと思う。
――接していなかった、というのは違うか。接してはいた。だけど……ああ、嫌なこと思い出した。ここのところいろいろありすぎて忘れていた忌まわしい記憶が蘇った。そこで、イーネが知らず追い討ちをかける。
「まともに喋った女が2人だけなんて……1人は母さんかい?」
「――! い、いや、母さんとは、ちょっと事情があって会ったことないんだ……」
嘘じゃない。でも本当でもない。でも言ったら引くと思うのでこのことは誰にも話さないことにしている。母とは生まれてすぐ離れ離れになってしまい顔も写真しか知らない。声だって……
『あんたの――せいで――』
「……ぐっ!?」
思わず苦悶の声を出した。イーネがギョッとしているがこっちはそれどころじゃない。頭がガンガンする。息ができない。
――落ち着け、落ち着け落ち着けっ!
激しくなった動悸を無理やり押さえつける。駆け寄ろうとしたイーネを大丈夫と押しとどめた。
ちくしょう、いつもこうだ。いいかげん慣れなくちゃな……。
「――ゴメン、余計なこと聞いたみたいだね」
突然の異変を自分のせいと思ったのか、イーネが顔を伏せて謝ってきた。
「いや、そうじゃないさ。ただ、ちょっとね。そんなこと言うけどさ、それじゃイーネは今までどんな生活を――」
話をそらそうとそこまで言って気がついた。
そうだ。イーネは元義賊だといっていた。そんな人間がまともな生活をしてきたわけがない。
NGワードにイーネから目をそむけてどうしたもんかと悩んでいたら、突如笑い声が。ビックリして顔を上げると、イーネが大爆笑している。
「あっはっはっはっはっ!そんな気ぃ使わなくていいよ。そりゃアタシはまともな生活なんてしてないよ」
「い、いやいや、誰もそんなこと言って……」
「でも、そうなんだろうなって思ったんだろ? 顔に書いてあるよ」
「うう……ヘレナといいイーネといい、俺ってそんなに顔に出るタイプなのか……?」
「ああ」
「即答しないでくれよぅ!」
泣きたくなってきた。俺っていったい……とりあえず、場の雰囲気は元に戻ったから良しとしよう。
でも、本当にイーネってどんな生活してたんだろう? 野次馬根性なのはわかっているが、無性に気になる。
「……で、それをあたしらがやれと?」
同時刻。野営のテントの中で2人の男女が話し合っている。
男のほうは黄土色のフードだが、中は高級そうな礼服で、シワ1つない様は男の潔癖さを表していた。サングラスで瞳を隠すが、そんなもの見えなくても女を軽蔑しているのは誰にでもわかった。
対して女のほうはかなり露出度が高く、タンクトップとショートパンツで豊満な胸も、スラリとした脚線美も惜しげもなく披露していた。顔たちから20代後半と思われるが、肌の艶やキメ細かさからはもっと若く思わせる。とび色の瞳に赤毛のセミロングの整った、だが左目に深く走る傷跡がある顔が不敵に笑った。
「やれやれ、犬共がやられたらこっちに乗り換えてきたのかい。素早いんだねえあんたら」
「……そういうわけではありませんよ。今回の件はあなた方が適切だと判断したのでお頼みしているのであって、犬は関係ありません。こちらも仕事を成功させるためには最適の相手を選ぶ必要がありますし」
「適切? はは、こりゃいいや。あたしらはあんたらにとって使い勝手のいい道具ってわけだ。自分らは影でこそこそやってさ。男らしくないったらありゃしない」
男の顔に青筋が立つ。だが女はそんなこと気にも留めない。男にとって自分達に蹴られるとどうにもならないことを知っているから。
「いいじゃありませんか。利害は一致しているのですから。シルヴィアが没落の一途を辿っている今現在において、最も問題なのは近衛隊と親衛隊。それら1つが潰れるだけでシルヴィアは崩壊、悪くても混乱が起こる。あなた方もそのほうが都合がいいでしょう?」
「そしてあんたらはそれに乗じて……と。だからって、親衛隊退治をたかが盗賊に任せるのはどうかと思うけど」
「だからちゃんと支援はしますよ。それに今の親衛隊は少女兵ばかりのお遊戯場だ。親衛隊とは名ばかりの、ね。あなた方にとって赤子の手をひねるようなもののはずだ」
「フン……おべんちゃらばかり言いやがって。確かに貢物はもらったけど、あんま乗らない仕事だねぇ。いい子ちゃんは嫌いなんだよ」
また青筋を立てるかと思ったが、男は平然としている。それどころか今度はこちらが不敵な笑みを漏らした。
「その様子だと、ご存知ようですね。親衛隊に、あの青バラがいることを」
「……! な、なんだと!?」
今まで冷静だった女が始めて動揺する。その様が面白いらしく男を顔を歪める。
「ヘレナ・マリュースが拾ってやったそうですよ。どうです? 受けてくれる気になりました?」
聞くまでもないことを男は知っていた。青バラの一言で女の腹が決まるのは分かりきっている。
「……いいだろう。乗ったよその話」
「ありがとうございます。やり方はそちらのお好きなように――あ、こちらの存在は悟られぬようにお願いします。では、私はこれで」
一方的に話して男はテントから立ち去っていった。
1人きりになった女は、左目の傷をさすりながら遠くにいる親友に話しかけた。
「やっとのことでまた会えるねぇイーネ。この傷の貸し、ちゃんと返してあげないと。クククク……」
さきほどの不敵な笑みとはまったく違う、邪悪で妖艶な笑みを零しながら、盗賊団バラの棘団長エラル・ローズマリーは親友との再会に心を弾ませた。
「……乗り心地最悪だな。どうにかなんないのかねこれ」
「無茶言いなさんな。これが普通だよ」
3日目になるが、このグラグラは全然慣れない。また気持ち悪くなってきた。
「後2日でノイマンに着くから、そこでゆっくりベットで寝たらいいじゃない。ガマンだよガマン」
「長ぇ……」
ここ3日全部野宿。キャンプすらやったことが無いインドア少年には少々きつい。しかも暑さが増している。いや、別に気温が上昇したんじゃない。こっちが暑さを増やしたのだ。ようするに、
「……ねぇ、ヘレナって絶対おかしいって。こんなの着てたらぶっ倒れんの考えなくてもわかるだろ。暑いし重いし……鎧ってこんなに重かったんだ」
「だから、そうならないように鍛えてるんじゃないの。着てるだけでへばってたら戦いなんてできないよ?」
「鍛えられる前に熱中症で死ぬ……」
そう、今俺はヘレナの命で鎧を着た上にローブを被っています。
移動中は訓練ができないから「何もせぬよりマシだろう」と鎧を常備着て筋力を上げろ、と。悪魔のギブスじゃねぇんだから。ちなみにこの鎧は特訓用に重量を重くしたものだそうで、実戦用はもっと軽いから安心しろと言われたが、そっち着せろよ。
「地獄だ……」
「弱音を吐くんじゃない。ほら、もうすぐ日が暮れるよ」
外を見ると確かに夕焼け空。世界全てがぼかしたかのようになっている。ああ、イーネの顔まで……ってそれは意識朦朧としてんだよっ!
「ううっ……」
「あらら、またぁ?」
はい。またです。
鎧着用が義務付けられてから何度も何度もぶっ倒れている。その際はさすがに鎧を脱いで良いが、回復するとまた着けられる。誰にって? 同車しているイーネに決まってんじゃん。
「ごめんねー、隊長には逆らえないの。サービスしてあげるからぁ」と色っぽく言いながら鎧を着ける様はサキュバスを想像させて……怨むぞ、イーネ。
で、サービスって何かっていうと……。
「ほらほら、元気出しなさい。この自慢の胸の中で寝られるんだから元気100倍でしょ? どこの、とは言わないけど♪」
むぎゅー、というほど圧迫感はないが、とりあえずそんな感じ。
例によって殺人ボインアタックである。
「あ、ああああ……」
真っ赤になって抵抗したのは初日の話。そもそも暑さで朦朧としているのだからまともな抵抗などできず、今では呻き声を上げるのが精一杯である。というかだんだん慣れてきました。もう十数回くらいやられてるし。
「喚いてないで、さっさと寝なさいよ。いつまで経っても元気にならないよ?」
いやいやいや、健全な青少年にこの状態で寝ろってのは無理があると思いますが。イーネもわかっててやってんだからタチが悪い。
「力を抜いて楽にしなよ。嫌いなタイプじゃないけど、つまみ食いしたらさすがに怒られるんでね」
そりゃそうだ。グレタあたりが怒りのあまり血管切れて大出血起こすな。確実に。それ以前にこの状況自体が……
「お母さんの胸だと思って、ね?」
「!!」
その瞬間、
サウナ状態だった体が一気に凍りつき、肉体も硬直した。
「か、一機、どうかした?」
イーネもこちらの変化に気がつき、慌てたのか一機と呼んでしまった。
「――もういい、イーネ。ありがとう」
「え、ちょっ、ちょっと一機」
「ロージャだよ、俺は」
イーネからゆっくりと離れる。さっきまでが嘘のように胸の奥が冷たく凍り付いている。イーネが寄って来たが手で制した。
――まったく情けない。いまだにこれほど動揺するとは。
先日も決めたとこだが、そろそろ割りきらなきゃな……。
「……一機、ちょっとこっち来な」
「え? だからいいって……」
「いいから! ほらっ!」
「う、うわっ!?」
今度は無理やり抱き寄せられた。また頭が熱くなる。
「や、止めてっていってるだろ……」
「いいから」
優しく、しかし強い一言。
「…………」
それで少しも抵抗できなくなる。
そして2人とも無言のまま時が流れる。不思議と離れようとは思えなかった。
「……一機、お父さんはどうしてるの?」
唐突にイーネから問いかけが飛んだ。
「え――?」
「だから、お父さん」
「あ、ああ……昔は一緒だったんだけど、今は別の所で暮らしてる……」
「別の所、ね」
――わかってるんだな、イーネ。
“別の所”がどこか。
でも言えない。言えるわけない。
人に言って良い話じゃないから。――違う、そうじゃない。
知られたくないんだ。自分の弱いところを――。
「――アタシもね、あんまいい生活送ってないよ」
「え……?」
「アタシ、両親と小さな村で暮らしてたんだけど、戦争に巻きこまれて焼け野原になっちゃたんだ。村も、両親もいなくなって独りぼっち……あとはもう、お定まりの話でね。盗みだろうがなんだろうがなんでもやったよ。野犬みたいな生活してたなあ……」
「……苦労したんだな」
「そうでもないさ」
見上げたイーネの顔が、いつもの人をからかう顔とはまったく違う、慈母のようなひどく優しげなものになっていた。
首筋に青いバラの刺青があるのを見つけたが、さして気にならなかった。
――それに比べて、俺は……。
衣食住すべてが揃った生活。飢えたこともなければ渇いたこともない。熱さに身を焼かれたことも、寒さに凍えたこともない。欲しい物はほとんど全て手に入る。誰もが羨むほど幸せだ。
「――俺なんか、よっぽと幸せなんだろうな……」
いや、幸せかなどと考えることすら不敬か? そう思ったところで、俺の意識は途絶えた。
イーネが寂しい顔をした気がしたが、確認することは出来なかった。
日が沈み、親衛隊が野宿の準備を始めた頃。林の茂みの中。
「――そろそろ行くよ」
「頭、移動中か寝静まったところじゃなくていいんで?」
「そんな当たり前の時間に攻めても守りは堅いに決まってんだろ。あっちだって賊との戦闘経験は多いだろうし。1番いいのは食事時だよ、レッドローズ」
「なるほど、さすが頭で」
グリーンのウェーブがかかったショートヘア(くせ毛だそうだ)に黄色い瞳のリザ・レッドローズが感心したかのようにうんうん頷く。
「MN隊のほうはどうしてる?」
「高台の定位置についてますよ。打ち合わせ通りです。まあもっとも、うちらの奇襲で全滅するのが関の山でしょうが」
「油断すんな。この部隊にはあいつがいるんだよ」
「……青バラ、ですか」
リザの顔色が曇る。そして、恐る恐る一言。
「……頭、イーネはどうするつもりで?」
どんな反応をされるかと震えたが、表情をピクリとも変えない。不審に思うリザにエラルは質問で返した。
「――リザ、イーネがどの荷馬車にいるかわかってんのかい?」
「え? ああ……あの荷馬車です」
「よし……」
にたぁと笑って唇をなめる。最高に楽しい狩りに出向く際の癖だ。
「ま、まさか……1人で行くつもりで!?」
「イーネの車両はあたし1人で抑える。あんたらは別のを狙いな。――なんだいその顔。あたしがイーネ如きにやられるとでも?」
「い、いえ、でも……」
「大丈夫……」
リザの首筋を優しく擦る。正確には首に刻まれている赤いバラの刺青を。
擦られたリザはああ……と艶めしい声を出す。手は首から頭の髪の毛1本1本、そして背中へと移る。リザに抱きつき、胸が引っ付き合う。
「あんな奴にやられたりしないさ。リザは指揮を頼むよ。信頼してるからね、副団長?」
「は、はい……」
リザの目はとろんとして、顔は恍惚で熱を帯びている。筋肉は弛緩し手はだらんと垂れている。笑顔の影で、ちょっとやりすぎたとエラルは悔いた。
「じゃあ、行ってくるから」
「はい、頭……」
リザから顔を背けた瞬間、優しい笑顔は消え去り、獲物を狙う女豹がそこにはいた。
「う、うん……ん?」
最初、自分がどうしていたのかわからなかった。気がついたら薄いタオルケットにくるまって寝ていた。荷馬車は止まっていて、誰もいない。窓から見える空は星が輝いている。夜か? 暗くてよくわからないが、外は荒地で右側に地面が隆起して出来た高台が見える。あの丘は昼間はもっと遠くに見えたから、だいぶ近づいたらしい。
そこで、イーネの胸の中で眠ってしまったのを思い出し、顔が紅潮する。まったく恥ずかしい事をした。
「あ、起きた?」
そこに、イーネが2人分のパンとスープが入った皿を両手に持って荷馬車に入ってきた。もう夕食時らしい。
「ごめん、寝ちゃった……」
「いいっていいって。アタシが寝かせたんだから。ほら、食べな」
そう言ってパンとスープを差し出す。会釈して受け取る。
「悪い。俺が来なかったんで怒ってなかった? ヘレナとかグレタとか」
「疲れて寝てるって言ったら隊長が「訓練が足りんな」とか言って、グレタは「親衛隊の恥さらし」とか怒ってたよ」
「やっぱりな……」
特にグレタは諸事情で入隊させざるを得なかったとはいえ、まだ俺を認めていない。基本的にいるだけで恥だと思っている。あからさまに敵意向けてくるし。ヘレナもそれをわかっているから早く一人前にさせたいと無茶な訓練を強いるのだろう。わかっている。わかっているけど……。
「――ねぇ、一機」
「んー?」
「迷惑だと思ってる?」
「――何が」
「隊長のこと」
「…………」
迷惑、というより大変と言ったほうが正しいか。
あっちでは学校などで重要なポスト――委員会とか実行委員とか部長とか――になったことはない。そもそもそんな機会がなかったし、自分とは関係ないと思っていたからだ。何事にも参加せず、ただ決められたこと従い行動していただけ。一度も頼られたり期待されたことはない。
だから、急にこれだけの任を負われ、重圧に感じているというのはある。正直、なにもかも投げ出したいとも思っている。
でも出来ない。
訓練にずっと付き合ってくれるヘレナを見てると、どうしても弱音を吐くことが出来なくなるのだ。
「――結局のところ、流れに逆らわず漂っているだけ、か……。ハン、馬鹿らしい」
「? 何のこと」
「いや、別になんでも……」
そう言いかけたとき、イーネの顔色が変わった。
何かに気付いたようにハッとし、険しい顔をする。
「ど、とうした?」
「一……ロージャ」
「はい?」
「どいてなっ!」
そう叫ぶと、急に服を掴まれ、横に投げ飛ばされた。
「えっ? ええっ!?」
驚く暇もなく、パンとスープと共に壁に叩きつけられる。積んであった荷物が雪崩のように襲いかかってくる。
頭に強い衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。
それは一機を投げ飛ばしたのに間髪を入れずに現れた。
荷馬車に音もなく近づき、獣のような速さで荷馬車に押し入った。
両手に構えたナイフは、アタシの首を一瞬にして引き裂いた、はずだった。
アタシがすぐさま腰からナイフを取り出し、受けとめなければ。
金属同士がぶつかり合う独特の鋭い音が荷馬車に響く。
ナイフ同士が衝突したまま停止する。ナイフを介した力比べ、ギリギリと擬音が鳴っているようだ。
「くっ……」
「久々だねぇイーネ。ちょっと腕がなまったようだね、一瞬反応が遅れたろ」
「そ、そっちこそ歳のせいでキレが無くなったんじゃないですか? 昔のアナタならその一瞬を見逃さなかった」
「クククク……それを言われると弱いね。確かに最近そんな気もしてたよ。でも、国だの民だの馬鹿げたことを抜かす連中の仲間になった阿呆に負けるほど耄碌しちゃいない」
「そうですかね? さっさと引退したほうが身のためと思いますけど!」
「ほざけっ!」
ギン、とナイフを鳴らして両者離れる。ナイフを構え直し、睨み合いになる。
エラル・ローズマリー。盗賊団バラの棘の団長であり、かつての師、そして友だった女との決着をつける日がついに来た。
元盗賊団バラの棘副団長、イーネ・ブルーローズとして。
「くっ……たあああああっ!」
ガキィンと音を響かせ、ナイフを弾き飛ばした。
すかさず間合いを詰めて斬りかかろうとしたが、飛び退かれてしまった。
「おのれ……よりにもよってバラの棘とは……!」
バラの棘。盗賊団としてはシルヴィア1凶悪と呼ばれている集団。団員は少なくとも100人以上といわれ、MNも所有している。盗賊だけでなくのみならず暗殺や傭兵としても悪名高く、もはや盗賊団というより立派な1つの犯罪集団だ。
構成員は全員女。そのことから闇の親衛隊などと呼ばれているが、とんでもない。
「ヘレナ様っ!」
槍を構えたグレタが現れた。さすが副団長、奇襲にもかかわらず傷1つつけられていない。
「グレタか!? 状況は!? 死者は出たかっ!?」
「何をバカなことを。これしきのことで戦死する愚か者など栄光ある親衛隊にはおりません」
誇らしげに言うグレタの顔にひとまず胸をなでおろす。だが安心するのはまだ早い。
「今隊員全員が独自の判断で行動しているのはまずい。敵に付け入られる前に指揮を取り戻す」
「当然です。命令はどうします?」
「MNと輸送車の安全を確保。ただし隊員の生存を第一とする。そう皆に指示を。行けっ!」
「了解!」
駆け足で皆のところへ向かって行く。行動の早さは昔から変わらない。変わったのは立場だけだ。
「――いかんいかん。なによりもまずこの状況を打破せねば」
あのエラル・ローズマリーが率いていることでも厄介なのに、あちらのほうが人数が多い。下手を打てば全滅する危険がある。それだけは何としても避けねば。
それにしても、接近にいち早く気づいてよかった。奇襲が成功していたら今ごろどうなっていたことか。
――あとで礼を言っておく必要があるな。イーネに。
イーネには1対多数の戦闘方法や、ナイフ相手の対処法、さらに盗賊の戦い方など様々なことを教えてもらった。今誰も死んでないとすれば、それはイーネの教えによるものだ。
「――! そうだ、イーネはっ!?」
すっかり失念していた。イーネは元はバラの棘の団員。エラルとは因縁の仲なのだ。
「くぅ……無事だといいが……」
あわててイーネの荷馬車に向かおうとしたが、そこにまた賊が。
「死んでもらうぞ、ヘレナ・マリュース!」
「邪魔をするな! そこをどけっ!」
女とは思えないほどドスの効いた声をする首に赤いバラの刺青をした女――リザ・レッドローズ――に斬りかかった。
ギン! ギギィン!
この時、一機は気絶していたのだが、それはかなり幸運だったろう。
もし起きていてこの戦闘を見ていたら、絶対トラウマになっていたはずだ。
それほどまで、バラの名を持つ2人の戦いは恐ろしかった。
「そらそらそらっ! 押されてるよイーネ!」
「ちいぃ……アタシをなめんじゃないよこの年増っ!」
四つのナイフが入れ乱れ、ぶつかり合う。
それは、人間の戦闘と言うより肉食獣の戦いといったほうが正しい。
互いが互いの急所を狙い、互いがそれを受けとめる。ただそれを繰り返しているだけだが、目にも止まらぬ速さで続けられるその様は、激しいダンスのように可憐でもあった。
両者の殺気と殺意が部屋中を飛び交う。でもどちらも傷1つついていないのは、二人の力が拮抗している何よりの証。少なくとも今は。
――ちいぃ……このままじゃ……。
心の中で舌打ちする。
エラルの実力は誰よりも知っている。でもアタシもこの3年間寝ていたわけではない。義賊として、そして親衛隊として生きていき、昔より強くなったと思っていた。
だけどそれは自惚れだった。ローズマリーにも勝てると思った自分がとんでもない馬鹿だと知った。
強すぎる。かつても強かったがこれはそれ以上。左目の傷はやはり奇跡の産物だった。
こちらの攻撃は全て受けとめ、それでいて攻撃を緩めることはしない。それに比べてこちらは防戦一方。今は拮抗しているが、いずれやられるのは目に見えている。
――どうする? 逃げる? ううん。そんなことしたら一機がやられてしまう……。
今は気絶しているのか荷物の山に埋もれているが、エラルも気付いているのは間違い無い。ここで置いていったらあたしの代わりに一機が……それはなんとしても防ぐ。
例えあたしが死んでも、一機だけは守ってみせる。絶対に。
と、その時、
「いたたたた……、おいイーネ! いきなりどつくとはどういう……」
一機が荷物の山から起き出した。アタシの行為に対し抗議しようとしたが、目の前の光景に言葉を失う。
だけど、言葉を失ったのは一機だけじゃない。
「……!?」
一機の顔を見て、エラルが息を呑んだ。
「あ、あんた……なんでここに!?」
死闘の最中だと言うことも、アタシの存在も忘れ、一機に驚きの声を出す。もちろんそんなチャンスを見逃すアタシじゃない。
エラルに飛びかかり、首のバラの刺青に斬りかかった。
最初、何がなんだかわからなかった。
気絶していたらしくクラクラする頭で起きてみたら、イーネが誰とも知らない女と斬りあいをしていた。
唖然と馬鹿みたく口を開けていたら、相手の女が驚愕の目をこちらに向け、動きが一瞬止まった。
その刹那、イーネが女の首にナイフを突き刺した。いや、突き刺そうとした。
女は信じられない速さで回避し、荷馬車から飛び降りた。少し斬ったのか、首に一筋の赤が見えた。
こうして語ると長いが、それら1つ1つはあまりにも早く、瞬きでもしたら見逃していたことに違いない。
脳が正常に働くようになった時には、すでに荷馬車にはイーネと俺だけしかいなかった。
「ふう……なんとか追っ払ったか。それにしても、どうして一機を見てあんなに驚いてたんだろう……一機、あいつ知ってる?」
質問に超高速で首を横に振って答える。あんな怖い女知り合いなわけない。「そりゃそうだよね」とイーネは納得。
すると、突然甲高い笛の音が。
「! この音……MNが来る!」
「ええっ!?」
話が勝手に進んでわけわかんないんですけど、とりあえずMNってのは相当やばくないか!?
「まずい……こんな混乱状態でMNが来たら対処のしようが無い……エラルの奴、白兵戦じゃらちがあかないってんでMNに切り替えたか……!」
何を話しているか見当もつかない。でも、敵が来ているってんなら……。
「――イーネ、ヘレナに許可貰っといて」
「え? ちょっ、ちょっと一機、あんたどこに……」
イーネの言葉に耳を傾けもせず、一心不乱に駆けていた。
その顔は、戦に挑む戦士ではなく、新しいおもちゃで遊びたがる子供のようであったと、見ていた者は思ったらしい。
――畜生っ、イーネにここまでやられるとは……!
エラルはMN部隊が隠れている丘に退却しつつあった。
MN部隊は正直言って万が一のために連れてきた伏せ手で、本当に使う気はなかったのだが、まさかこうなるとは。
笛を吹いたのはリザだ。苦戦したら撤退とMN部隊を呼ぶ笛を鳴らすようにと言っていた。鳴らしたとはつまり、本来自分たちだけで可能とされたこの奇襲が見事失敗したことに他ならない。
失敗の理由に、自分が油断していたからなのももちろんあるだろう。子娘ばかりだと実際思っていた。
だが本当の理由はそうじゃない。
横を走っているリザの話では、隊員たちは皆賊との戦い方を心得ていたそうだ。俊敏な動きで敵を翻弄する賊の戦い方は騎士の戦い方と全く違う。そんなものが堅物ばかりのシルヴィアで教えられるわけが無い。もし教えられるとすれば……
「イーネ……よくもあたしの顔に泥を塗ってくれたね……」
怒りを露にし、歯を食いしばる。左目の傷が疼いてきた。
3年前不覚にもつけられた傷。飼い犬に手をかまれるという言葉を聞いたことがあるが、あのときのショックはそんな生易しいものではない。愛情が全て憎しみに変わり、築かれた蜜月の日々が復讐へと駆り立てる。1年前親衛隊に捕らえられたと聞いていたが、よもや隊員として配属されているとは――予想外だった。
決着をつける気でこの仕事を受けたが、イーネは3年前より数段腕を上げていた。あのままだと持久戦に持ちこまれただろう。
「――フン。どうせMNの連中にやられるんだ。悪運尽きたね、イーネ」
丘にいるMN部隊。
連中はMNキューピット改、アマゾネスに乗っていた。
キューピットは『グリード侵攻』の際亡命者によって得られたMU製造技術で始めてシルヴィアで作られたMNである。ちなみにゴーレムはグリード皇国が製造したMNをそのまま流用したもので、いうならばキューピットは純国産MNだ。
しかし、いくら技術がもたらされたとしてもいきなりMNが作れるはずも無く、キューピットはそれなりの性能しかなかった。50年経った今ではすでに遺物と化している。
だが、アマゾネスは一応キューピットを母体としているが、全くの別物と言っても過言ではない。
極限まで装甲を削り、もはや素体のみとも言えるその姿は、人間にすれば鍛え上げられた女性を思わせる。
武装はナイフ、小型の弓、鎖鎌など騎士の武器とは違う、ゲリラ戦のプロの専用武装。特注品なのは間違い無い。
――あの男も奮発したもんだ。そんなに親衛隊が怖いかね。
アマゾネスや武器などを見てハッキリ言って呆れたが、今は感謝せねばなるまい。おかげでイーネを殺れるのだから。
そろそろMN部隊の奴らが見えてきた。全力で親衛隊に向かっている。
親衛隊のMNは奇襲の際駆動系を壊してきた。さすがに全部は無理だったようだが、30機のアマゾネス相手に敵うわけがない。
これで終わりだと笑みをこぼした。その瞬間、
ブォォン!!
「!?」
耳を劈く轟音が辺りに響き渡ったかと思うと、MN部隊のいる場所から火柱が上がった。
鉄の巨人が空高く舞いあがる。
突然の事態に混乱していると、再び轟音が。
ブォォン!!
また火柱が上がる。地面が地震のように大きく揺れ、
――これは、火を吹く方舟? 違う、そんな馬鹿な!!
かつて見た悪魔の舟。
記憶の奥底に厳重に保管してあった悪夢が復活した。
同時に、忌まわしき悪魔の顔も。
――まさか、あいつが?
リザが豹変した自分を揺さぶるのも気付かず、その場にうずくまった。
敵はやはり高台の丘、距離にすると500mほどにいた。
恐らく、すぐ敵に到達出来るようにするためだろう。MNは飛べないし加速装置も無いので走るしかないが、あまり遠くて戦場につく前に奇襲部隊が全滅、となったらシャレにならないからな。だけど、
「――悪いな。そことっくに射程範囲内だよ」
ブォォン!!
ハンマーと砲弾がぶつかり合う音が装薬の爆発音に消されている間にまた1発発射された。発射の衝撃で腕がしびれ、鋼鉄の体が装薬の爆風に焼かれるが、それすら心地よく感じてしまう。
爆風が冷めぬ間に敵が吹き飛ばされる爆音が。時速2808kmの九一式徹甲弾にとって500mなど至近距離。約0.178秒で到達する。ほぼ一瞬だ。
「次っ!」
次弾が装填された。トリガーを引き、再び発射する。
ブォォン!!
今度はアマゾネスの1体にまともに当たった。
見るからに脆弱な装甲は操縦者を守ることなく貫かれ、その身を真っ二つにする。砲弾は地面に突き刺さり、地雷のように土を吹き飛ばす。
ここで大ポカをしていることに気がついた。九一式徹甲弾は遅延信管、つまり目標に命中した後爆破する。戦艦に発射された時、内部で爆発したほうが破壊力が強いからだ。でもそれは強靭な装甲を持つ戦艦だからこそ有効なもの。比較対象にするのが愚かなほど装甲が薄いMNでは大穴を開けるだけ。
「地面に埋まって爆風が減少しちまう……着発信管の零式通常弾にしたほうがいいな。砲弾変更!」
ガチャン、と金属音がなり、自動的に砲弾が変更される。本来は掛け声など必要なく、サジタリウスは思っただけで好きなように動くのだが、そこはご愛嬌ということで。
『――おい、一機! 誰がサジタリウスに乗っていいと言った!』
無線からヘレナの怒声が聞こえる。予測されたことだ。
「イーネに許可貰っといてって言っといたはずだけど」
『お前が貰え!』
「時間が無かったんだよ。どっちにしろ怒るのは後にしてくれないか。今はこいつらを片付けてからだ」
『しかし……!』
「どうせそっちのMN動かせないんだろ?」
『むっ……!』
口篭もった声がした。やっぱりそうか。
こいつに乗って転身した際、変な違和感があった。足が動かなかったのだ。さっきの輩が何かしたのは明白、恐らく他のMNもそうだろう。
しかし、このサジタリウスには意味の無い行為だった。サジタリウス最大の攻撃である46cm砲は足が動かなくったって余裕で動かせる。極論すれば大砲だけあれば良いのだこいつは。幸い46cm砲は問題無かったので今こうして撃ちまくっている、と。
「これで……終わりだ!」
ブォォン!!
変更した零式通常弾が飛ぶ。今度は敵機に命中した瞬間爆発し、今までよりひときわ大きい火柱が生まれた。
そして火柱が消えると、そこに立っているものは何も無かった。
「――やっぱり物足りない」
前もそう思ったがスッキリしすぎだ。しかも今回は前回より数が少なかったのでなおさら。やった気がしない。
『ご苦労様。1発ぶん殴ってやるから降りてこい』
いつもより何オクターブか下がったヘレナの声で正気に返る。そうだ、それどころじゃなかった。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ。確かに無断出撃は悪かったけど……だけ……ど……」
『――? どうかしたか、一機』
「ま、また力が抜け、て……」
『やれやれ、またか……』
今度は心配してくれなかった。まぁ2回目なんだから当然だけど。
「……どうするか、イーネ」
「どうするって、何がです隊長」
「決まってる、一機のことだ」
「寝かしてあげましょうよ。疲れたんだから」
「いや、そうじゃないんだが……」
とぼけた発言に隊長は苦笑いする。紅茶を1口啜る。
荷馬車の中、眠っている一機のそばで2人だけのお茶会中。
「1発ぶん殴るのは起きてからでいいでしょう。助けられたのは事実だし」
「それなんだが……一機の奴、我々を助けようとしたのだろうか?」
「どういうことです?」
そこで会話が途切れた。言い辛いことらしい。やがてゆっくりと口を開いた。
「一機……MNに乗るのが楽しくて仕方がないんじゃないだろうか」
「……まさか」
口では否定したが、アタシも薄々感じていたことではある。
「一度乗って以来、やたらサジタリウスに執着するようになってな。乗せないと言ったら反対したんだよ。あれは玩具を取られてたまるかと抵抗する子供だ。それに、最初に乗ったときの話なんだが……」
「……何です?」
「あいつ……笑ったんだよ」
体が硬直し、危うくカップを落としそうになった。
「笑った……?」
「ああ。別に大爆笑したわけじゃない。ハハハ……と少しだけな。そのときは驚いていてそれどころじゃなかったが、今思い返してみると、な」
天を仰ぎ見た隊長の姿に、何を考えているかは容易にわかった。
「隊長は……あいつが狂戦士になるかもしれない、と思ってるんですね?」
「……ああ」
カップを置き、互いに目を伏せた。相手の辛そうな顔を見たくないのはお互い様。
確かに考えられない話ではない。
戦いに飢える狂戦士。戦いのみを求め、戦いだけに命を費やす狂戦士。どこの戦場にも必ず存在する。そう、エラル・ローズマリーのように。
隊長の懸念はわかる。サジタリウスほどの強大な力が狂戦士に与えられたらどうなるか、子どもにでも分かること。そうなるかもしれない一機に乗せていていいものだろうか。気持ちはわかる。でも、
「――ダイジョ〜ブですよ、隊長♪」
「――は?」
突然の笑顔に隊長はビックリしている。こちらの様子が変わったのについていけてない。
「あいつはそうなったりしませんて♪ この3日間ついていたイーネが保証しまぁす♪」
「そ、そう……か?」
「はぁい♪」
少し引かれた。でもいい。
大丈夫、あいつはそんなになったりしない。あいつは普段は生意気だけど、優しさを持っている。それに――
――それに、傷つけられたことがある人間は、人を傷つけたりしない……。
一機の傷、それがなんなのかはわからない。
でも、その傷が優しさをもたらしてくれる。作ってくれる。
だから……
大丈夫だよね、一機?
「え? 次はボクなんだ。はい、シルヴィア王国騎士団親衛隊隊員、レミィ・ヘルゼンバーグです。やっと地方都市に到着したんだけど、盗賊との戦闘で壊されたMNを修理するのに足止めを食らっちゃった。そこにエミーナのお父さんが来るんだけど、なんかやたら一機に興味を持って……なんでだろ? 次回、サジタリウス〜神の遊戯〜 第6話 『放浪者達の邂逅』をよろしく。……エミーナの秘密が明らかに? あんま好きじゃないなそういうの」
to be continued……
――第6話――
人間は、生まれてから今まで見聞きしたものを完全に覚えているのだと聞いたことがある。
『忘れる』というのは、正確には『記憶を引き出すことが出来ない』現象を差すのだと。
記憶喪失というのは何らかの理由で極端に記憶を引き出すことが困難になったことを言う。
反対に、記憶力がいいということはつまり、記憶を引き出す能力が高いことである、と。
だとすれば、俺の脳みそは欠陥品だろう。
どうでもいいことばかり覚えて、授業の類は全然入ってこない。(ま、俺が聞いてないのが最大の理由だとわかってはいるが)
それとも、集中力の差だろうか。授業より、明らかに真剣に呼んだからすり込み方が違うのかもしれない。
でも、科学者でも何かの信者でもないこの俺が相対性理論とか直線史観とか覚えてもしょうがないと思う。
そんなもんどこで覚えたのかというと……
「――あっつい。まだクーラー入ってないのかよ」
日差しが強い夏の日の図書室。ムンムン熱気が昇っていた。クーラーは2年前にご臨終してから修理も交換されることもなくずーっとそのまんま。だけど扇風機はある。ボロいけど。
――なんであいつ、扇風機なんか自分で持ってきたんだ?
目を合わせないよう気をつけながら、受付で暑さをものともしない様子の魔女(魔女の名前の由来は第1話参照)間陀羅 麻紀を盗み見た。
1年の夏、クーラーがご臨終したため通うの止めようかと考えていた矢先、行ってみたら図書室に扇風機が。驚いて「学校が入れたのか」と奴に聞いたら「いえ私が持ってきたんです」と表情を全く変えずにキッパリ言われ、1ヶ月ぶりに唖然とさせられてしまった。正気かこいつはと失礼ながら心で言った。
この図書室は生徒が授業を受ける校舎とは別の旧校舎にあり、しかも最上階。ここに来るだけでかなりの体力を消耗するのに、扇風機を背負ってくるなど狂気の沙汰だ。
おまけにあの扇風機、ボロさからいって風雨に晒された過去を持っているに違いない。平たく言えば粗大ゴミ。そういえば近くに粗大ゴミの墓場があったけど、あそこから歩いて持ってきたのだろうか。夏の猛暑に。
――どうしてそこまでこんなとこにいたいのかね。
そこまで考えて、その問いは自分にもかけられることに気付いた。
1年の夏に止めようかとは確かに考えたが、それでもやはり足はここに向いていた。もしかしたら、あいつが扇風機を持ってこなくても、通いつづけたかもしれない。そしてそれは、あいつも同じなのかも。
だとすれば、根気強く居続ける理由もわかるな。
――あいつも、他に居場所がないのか――?
「……ええと、どれにしようかな……」
結局答えを出さぬまま、考えるのを止める。意味のないことだ。
本棚にズラリと並んだ背表紙を眺める。ズラリと表現したがここの本棚はどこもかしこもスカスカで、実際は飛び飛びだ。
昨日本1冊読み終えてしまったので別なのにする。でもみんな似通った内容のばっかりなのだが。
とりあえず1冊選んで近くの椅子に座る。その際ふと受付を見てみると、あいつの読んでいる本に目が止まった。
タイトルは『神様はサイコロを振るのか!?』。昨日まで俺が読んでいた本だ。『!?』なんて書いてあるのに別に驚きの真実や新発見があるわけではなく、しかもこんなタイトルのくせに量子論にはほとんど触れておらず、アインシュタインと相対性理論ばかり書いてあるという謎な代物。恐らく何かしらに便乗して作った本だろう。いいかげんなもんだ。
それはともかく、何であいつがあの本を? しかも読み終えた翌日に。俺が読んだ本の内容を知りたかった?
――なわけないよな。
あいつがそんな真似するとは思えない。第一理由がない。なしてそんなことをする? 好きな人の趣味を知りたいから! ――はっ、それこそ有りえねぇや。ここの蔵書は少ないから、2年もすりゃ読んでない本も限られてくる。偶然読み終えたのが一致しただけだ。絶対。
そう結論付けて、本を読み始める。タイトルは『世界宗教と民族宗教』。
――だから、こんなん覚えてどうするんだって……。
中学生の時起こったあの事件で宗教に疑念を抱き、この高校の本棚でこんな類の本を見つけてつい手に取ったが、おかげでいろいろ勉強になった。
しかし、生きるにおいて役立つ日は来ないだろう。
サジタリウス〜神の遊戯〜
第6話 放浪者達の邂逅
「――まさか、役立つ日が来るとはね」
「どうかしたかね、ロージャ君?」
呟きが聞こえてたのか、金髪ブラウン瞳のヒゲ面中年男のニコニコ顔が心配そうに歪む。「いえ、なんでもないです」とあわてて誤魔化すと、納得してはいないようだが話を戻した。
「もっと聞かせてくれ、君がどれほどの事を知っているのか知りたいんだ」
「いや、ですから、ちょっと本をかじった程度で別に詳しいわけじゃ……」
「それだけ詳しければ充分さ。さあ、話を続けてくれ」
そう言って、キラキラした子供の目で詰め寄ってくる。さっきからずっとこうだ。
俺が1時間程度前から話し相手をさせられているこの変なおっさんはジャクソン・ライノス。
シルヴィア1の大商会ロラルド商会の大旦那にして、我が親衛隊隊員エミーナ・ライノスの実の父親である。
どうしてこんなことになっているか、話を少し戻すことにしよう。
「――1週間!? 1週間もかかるんですか!?」
地方都市ノイマンの親衛隊寄宿地内にある談話室なはずの場所に不釣合いなグレタの怒号が響く。その前に立つマリーがびくっと震えた。
「だ、だってしょうがないじゃないですか。バラの棘に駆動系をやられて、全部修理するとそれくらい……」
「冗談じゃありません! ただでさえ予定より遅れているというのに、1週間も足止めを食らうわけには……移動しながら直せないんですか!?」
「無茶ですよっ! 駆動系の修理にはそれなりの設備が必要なんです。移動しながらなんて……」
「ああ、もう……! 盗賊なんかにこんな目に遭わされるなんて……!」
苦々しく歯軋りしながら頭を掻く。相当不機嫌だ。バラの棘にやられたのがよっぽど腹立たしいのだろう。
先日の襲撃では死傷者ほぼゼロだったが、MN及び輸送車両の損害は激しかった。輸送車の修理を優先しノイマンにたどり着いたものの、通常の倍の4日かかってしまった。その上1週間かかるんじゃなあ。
「グレタ、言いたいことは分かるがそう無理難題を押しつけるな。マリーも困っている」
「しかし……!」
「今のままでは、また一機に助けられてしまうぞ」
「うっ……!」
痛い所を突かれ、さすがに口篭もった。MNを壊された先日の襲撃で敵のMN部隊を撃破できたのは一機のおかげ。もし一機がいなかったら隊は全滅、それでなくても大損害を受けていたのは間違い無い。グレタも理解はしているものの、いや理解しているからこそ理不尽で不愉快でムカつくのだろう。
「それにしても……確かに1週間の遅れは痛いな。もう少し早くできないのか、マリー?」
「隊長……だから無理ですよ。駆動系は繊細な部分だから、壊すのは簡単ですけど直すのは大変で……それに……」
「それに?」
「……私以外、直せる人がいないから……」
申し訳なさそうに発した一言で、周囲が「ああ……」とため息をつく。マリー以外きちんとした整備士がいない親衛隊においてMN整備技術は全員が持つべき基本スキルだが、そんな簡単に騎士と整備士が両立出来るわけがない。ほとんどマリーまかせなのが現状だ。
「ええい……忌々しい……! 元老院も元老院です! あれほど要請したのに何故整備士を1人しか入れないんですか! シルヴィア最強にして最高峰の親衛隊に、どうしてこんな扱いを……!」
「……歴史は100年足らずだけど」
ギン! とものすごい目で睨まれて、ハイスピードで後ずさる。地獄耳だな副長……。
「落ち着けグレタ。騒いでも仕方が無かろう。王都には私が連絡を入れておく。皆は休養していてくれ。では解散……」
「……なあ、ヘレナ」
席を立とうとしたヘレナを呼び止める。ちょっと気になってた事がある。
「どうした、一機」
「ここにもMN騎士団あるみたいだけど……あっちに人頼めないの?」
ここに来る前、MN用の大型倉庫とハンスが乗っているのと同じMNジャックが見えた。だったら整備士もいるはずだから、頼めばいいじゃないか。
「ああ、いやあっちは……」
と言ったら、どうしてかばつが悪い顔をして口ごもった。なんか問題あるのか?
「冗談じゃありません!」
ばん、とテーブルを叩いてそれまで黙っていたエミーナが立ち上がった。グレタ以上に憤慨しているのは誰の目にも明らかだった。
「え? なに?」
「あ、あんな……あんな奴に……あんな奴に恩なんて貰うぐらいだったら……死んだほうがマシです!」
ダダダ、バタン!
急に駆け出してドアを勢いよく開閉して部屋を出てってしまった。死んだほうがマシて……そんな大変な事なのか?
「なんなんだありゃ……」
「……一機、ちょっと話がある」
「何々、ヘレナ」
呼ばれて駆け寄る。ヘレナ、頭が痛そうにしているのだが、原因俺?
「――実はな、ここに駐在しているのはシルヴィア軍ではなく、ノイマン直属の自警団なんだ」
「――自警団? え? ここシルヴィア領内じゃないの?」
「一応はな。だがほとんど独立している。経済的にも軍事的にもな。シルヴィア王国所属なんて、戦争しないための詭弁に過ぎん」
「いや、それはわかるけど、でもMNを1都市が所有なんて……」
あんなでかくて高そうなものを所有してるなんて、東京が独立国家になって軍隊持つようなもんだ。薀蓄の人じゃあるまいし。
そう言ったらさらに決まりが悪い顔をして鼻の頭をポリポリ掻いた。どうしたというんだ?
「――ここはな、シルヴィア大陸1の商会ロラルド商会の拠点なんだよ」
「ロラルド――商会?」
「そうだ。財力はかなりの物を持っていて、地方都市のみならずギヴィンやアエスにも交易がある。私設騎士団までほうぼうに作っていて、ほとんど1国家だな」
「――すごいね、そりゃ」
感嘆すると同時に、頼めない理由も理解した。
「なるほど……交易の弊害になるから、どこかの国に一方的に恩を売るわけにはいかないってわけか」
「そうだ。頼んでも丁重に断られるのがオチだろう」
確かに。こんな紛争状態で商売するんだから八方美人でなくてはならない。でも、
「じゃあ金払えばいいんじゃない? あっちだって商人だったら、出すもの出しゃ整備士くらい派遣してくれるだろ」
「無理だな。こう言うのも難だが、シルヴィアの地方との仲はひどく悪いんだ。少々の金額で諸国の反感を買うくらいだったら、交易を維持した方がずっと得だ」
「……その通りですな」
ていうか、そんなに憎まれてるのシルヴィアって? それでよく500年も持ったもんだ……。
それはわかったけど、まだわかんないことはある。
「あのさ、エミーナのやつはどうしたんだ? そのロラルド商会とやらと関係が?」
「関係どころか……」
今度は溜め息をつかれた。よっぽど面倒くさい理由があるらしい。
「――ロラルド商会の大旦那の名はジャクソン・ライノス。40代にして12年前はただの商隊に過ぎなかった商会を伸し上げた大商人だ」
「はあー、すごい人がいるもんだねぇ……ん? ちょいまち今ライノスと言ったか?」
「ああ言った。ジャクソン・ライノスはエミーナの実の父親だ。もっとも、仲は相当悪いようだが」
「……ええっ!?」
「しっかし……すごい人の娘がいるもんだねまったく」
宿舎前の森で素振り中。ヘレナは王都へ連絡しているので自主練。そろそろ昼時かなと思いつつ何も目にくれず黙々と特訓。何も見てないけど何かは考えている。
――あのエミーナが大商人の1人娘、か――。全然分からんかった。
まあもっとも、自分だってかつて天才小説家と呼ばれた男の1人息子だと気づいた人間はこの人生の中1人もいなかったから、同じようなものかとは思うが。
「それにしても……なんでそんなやつが親衛隊になんかいるんだ? 別に兵隊にならなくたって食っていけると思うけど」
1番疑問なのがそこだった。俺も人間1人の人生では使い切れない金を持っていたから働くことなどせず、卒業後は早過ぎるリタイヤ生活を送ろうと決めていたのだが、エミーナは自ら戦場と言う危険な場所へ来た。何か理由があるのか?
「う〜む……戦うのが好きだから、ってキャラには見えねぇな。ここの兵隊は職業軍人らしいけど、兵役なんて父親そんな金持ちだったら免除できるだろ。――いや、だからこそ入れたのか?」
藤原流の政界への取り入り方。娘を王族の妃にして王子を生ませ、その子を意のままに操る。そこまでは無理としても、栄えある親衛隊に娘を入れさせることで政治を握っている――元老院とかヘレナは言ってたな――連中に覚えをよくしたか? あるいは宣伝して祭り上げて自己アピールに利用したか? あり得ない話じゃないな。
どっちにしろ金儲けの道具か。エミーナとエミーナの父さんは仲悪いと聞いたがもしかしたらそれが理由かも。そうなるとエミーナが哀れではあるな。憶測で全然違っているかもしれないけど。
「カ・ズ・キィ〜〜〜〜〜〜ン! お昼ですよぉ〜〜〜〜〜〜!」
間延びした声が昼時を伝えてきた。カズキンの一言でミオだとすぐ分かる。
「ああ、やっと昼か……痒いな」
全身をボリボリと掻く。特に指が痒い。右手を拳にして親指で人差し指と中指を掻く。と、
ガン!!
「がっ!!」
突然後頭部に鈍い痛みが! ていうか待て、こんなこと前にもあったぞ!?
「ライラか!? 性懲りもなくまた……!」
2度、いや3度目の奇襲に怒りをあらわにして振り返ると、
「……あれ?」
そこにいたのはライラではなく、顔を真っ赤にしたエミーナが。ぶん殴った手がブルブル震えている。よく見ると目に涙が。
「こ、この……なんてハレンチな男なの! もう信じられない!」
それだけ言うと、赤面したまま寄宿へ走っていってしまった。残されたのは訳がわからず呆然としている俺。
「なんだってんだあいつ……ん?」
自分の右手が目に入った。その形を見て、ああなるほどと納得。
「これだけであそこまで怒るとは……純というかウブというか……?」
ふとおかしな事に気がついた。
妙だな、どうなってるんだ?
「ん」
「……なんだその手は? 殴る気か?」
「いやいや滅相もない……ライラもだめか」
握りこぶしを解く。これで半分以上が脱落した。
「やっぱエミーナだけなのかなぁ……しかしだとすると……」
手をグーパーしながら考え込む。さっきからずっと宿舎内で隊員に会うたびにやっているのだが、通じたやつは1人もいない。となると、やはりあの予測は正しいのではないかと思えてくる。
「でも、やっぱり突飛過ぎるかな……いくらなんでも……」
ヘレナと会ったあの日の話が蘇る。確率の低い偶然がこんな身近な人間の間で起こりうるだろうか?
「……おい」
「とはいえ、それしか考えようがない以上、そうだと判断するしかないか……エミーナに聞いてみたら1番早いのはわかってるけど……」
「おいっ!」
「うわぁ!」
至近距離でぶつけられた怒声にびっくりして振り返るとそこには怒りをあらわにしたライラが。思考に夢中で気づかなかった。
「な、なに?」
「なにじゃない。お主、さっきから何をブツクサ言っておる」
お主って……前から思ってたけど、ホントこいつ俺やハンスより男らしいよな。これで男嫌いだとは納得いかん。
「そんな、別に何も……」
「ごまかすな。宿の中をコクロ(こちらの世界のゴキブリ)のように這い回っているなど一目瞭然。おおかた良からぬことでも企んでいるのだろうこの外道が」
『ゴキブリ』『外道』発言にカチンとくる。大したことしてないのになんだその言い草は。ムカつくな。でもこいつ強いから何も言えん。というより、俺は今間違いなく隊内で1番弱い男……泣けてきた。
「それに今、エミーナがどうこう申していたな。エミーナに不埒なことを行う気ならば……」
ゴキッ、ペキッと指を鳴らされ、とてつもない殺意を含んだ視線で睨まれたので、俺は大嵐の風見鶏よろしく首をブンブン横に振った。
「とんでもないとんでもない滅相もない。――仲いいんですか?」
とりあえず話を逸らして場を切り抜けようとしたら、「無論」と重々しく言われた。
「あやつこそ我が盟友にして同胞。同じ思いを抱く友として、戦いのとき命を預けあう仲間として親しくしておる」
「……同じ……思い?」
「さよう。あやつも世と同じく父を嫌っておる。あのような愚か者が父などと認めたくない思いは一緒……はっ! なにを言わせるかこの不届き者!」
「自分で勝手に言ったんじゃないか!」
自爆のくせに下りてきた手刀を腕でガード。なんとか直撃は避けられたもののジンジン痛い……。
「いたたたた……エミーナが父親嫌いだってのは聞いたけど、なんでなの? 父親ものすごい手腕の商人だって聞いたけど」
「知らん。お主じゃあるまいし、そんなことをいちいち聞くほど世も恥知らずではない」
わざわざ人の神経逆なでさせる言葉選びやがって……腹立たしい。でも怒っている余裕はない。聞きたいことは他にもある。
「そこまで娘に嫌われるとはよっぽどの人なんだな。ジャクソン・ライノスってのは」
「おお、その通りだ」
我が意を得たり、とばかりに食いついてきた。本当に父親嫌いなんだこいつ。
「世も聞いた話だがな、あの男は9年くらい前にロラルド商会にひょっこり現れたらしい。どう取り入ったのかは知らんが当時の大旦那の側近となって商会を我が物顔で乗っ取り、ついに大旦那を追い出してしまったそうだ。大恩ある身だというのに……男というのは恥知らずのみならず恩知らずか」
「……で、それでどうやってあそこまでの豪商に?」
自分のこめかみがピクピク動くのを自覚したが、いちいち反応してると話が続かないので先を促す。
「世にはよく分からんのだがな、エミーナが言うには健全な通商路とやらを確保したそうだ。道を舗装したり付近の盗賊を撃退したり……最初は苦労したそうだが、見る見るうちに商売繁盛。今やあの通りだ」
「健全な通商路、ねぇ……」
――やっぱ、おかしいな……。
やはり予想は間違っていなかったようだ。おそらく、エミーナの父親も……。
「商人としては優秀かも知れんが父親としては……おい、何をボーッとしておる。ちゃんと聞いておるのか?」
「え? ああ、聞いてます聞いてます」
現実に引き戻される。早々と切り上げよう。エミーナと話す必要があるな……。
「――ええーっ?」
翌日、朝の宿舎内食堂にて。
パンの食事に飽き飽きして飯が恋しくなっていた(ご飯党)ところにヘレナ参上。俺とエミーナに話があるとして自分たちを呼んだ。
んで、今はエミーナと2人並んで(ものすごく嫌そうにしていた)ヘレナの前に座っている。ちなみに変な声出したの俺。エミーナは『ローマの休日』で出てきた顔石のようになってしまっている。
するとヘレナ、やや呆れた口調で、
「そんな声を出すな。あっちがどうしてもと言ってきてるんだ。行かないと後々面倒なことになる」
「いや、だからって……ていうか何で俺のこと知ってるんだ?」
「おまえ自身のことは知らんだろう。ただ、サジタリウスの噂を聞いて操縦者と会いたくなったらしい。サジタリウスの噂は国中に広まっているようだからな……」
「……誰だ、噂流したやつ」
ため息をついた。そりゃあんな異様で強力なMNだ、噂ぐらいになるだろうな。どんなのか気になる。
でも、たった2回だけしか出撃してないんだから噂なんてゴシップ記事程度のもんだろ。そんなので会いたいなんて言うとは、物好きなんだなエミーナの父さんって。
「……だ、だ、たからって……なんで私がこんなやつとあんなやつに会いに行かねばならないのですか!?」
横で凍っていたエミーナ、ようやくのことで解凍。で開口1番吼えた。
「いや、だからジャクソン殿が『ついでに娘も連れてきてくれれば嬉しいです』とだな……」
「実の娘がついでですか! 何考えてるんですかあの馬鹿男っ!!」
キレたエミーナの迫力にさすがのヘレナもタジタジ。ちなみに俺は目も合わせられず紅茶をすすりながら嵐が過ぎるのを待っている。
「違うだろう。きっと本当は普通に会いたいが、恥ずかしくて何かしら理由付けしないと呼べないのだ。親とはそういうものだと思うぞ」
「ふん、どーですかね! あの男の場合本当についでだと思いますけど!」
説得にも耳を貸さず怒ってばっかり。ていうかちょい待ち、今へレナ「そういうものだと“思うぞ”」って言ったか?
「そう癇癪を起こすな。こう言ってはなんだが、これはまたとない機会だ。一機、お前が言っていたことが可能になるかもしれんぞ」
「え? なんのこと?」
急に話を振られて困った。俺が言ったこと? なにか……ああ、昨日のあれか。
「そっか、そいつおだてて整備士の手配頼み込もうってわけ」
閃いて指を鳴らす。
「おだててとは言い方が悪いが……そのようなものだ。というわけで、エミーナ、一機、ジャクソン殿に会って話してきてほしい。昨日も言ったがやはりマリー1人ではどうしようもない。頼むぞ」
「………………はい」
ものすごくためらってからエミーナは返事をした。よっぽど会いたくないらしい。もちろん俺も同意した。めんどくさいけど。
厄介なことになったなぁ……仕方がないか。
それにちょうどいい機会かもしれない。エミーナと2人きりになったらあれ聞いてみるか。
「ああ、それと一機、あちらにはあのローブを着ていけ。お前の出身は極秘なのだからな」
――やっぱ止めていい?
「うわー、豪華というか、けばけばしいというか……」
「悪趣味で結構。どうせあいつは成金ですし」
俺の部屋を見回しての失礼な感想をより失礼にして同意。仲悪いんだなあやっぱ……。
あれから俺たち2人はノイマン中心部、ロラルド商会の屋敷に呼ばれた。そして1室に通され、ジャクソン大旦那を待っている。豪勢なテーブルの前には明らかに宿舎で飲んでいる(味わかんないけど)のより品質のいい紅茶やきらびやかなお茶菓子が。甘いもの基本的に嫌いだけど結構いける。
しかし、それより目を引くのは部屋そのもの。
異様に豪華。詳しく言うと、全体的に金ぴか。ところどころで光が反射し少し眩しい。やたらでかい洋画や壷やガラス細工などの骨董品が所狭しと飾られている。エミーナじゃないけど、確かに成金趣味っぽい。
「全然落ち着かないな……屋敷全体こんなのかね。寝室だったら寝づらいだろうなぁ」
「やかましいですよ貴方。ちょっとは落ち着いたらどうですか? ただでさえ暑苦しい格好をしているんですから」
険しい顔をして睨みつけてきた。なんだよ、そりゃ自分でも少し恥ずかしかったなとは思うけど、そういう言い方ないんじゃないか?
「まったく、心外極まりない。どうして貴方のようなどこの馬の骨と知れない、しかも男と一緒の席に着かねばならないのですか。あの馬鹿男のせいで……」
「――よく言うよ、おんなじどこぞの馬の骨のくせして」
「え?」
ブツクサ不平不満を漏らしていたエミーナに唐突に投げつけた。キョトンとした顔をこちらに向けている。
「なんですかおんなじとは。この私とあなたがおんなじだなんて……」
「ん」
眼前に右手握りこぶしを突き出した。人差し指と中指の間に親指を入れて。
「!!」
ボッ、と昨日のようにまた赤面した。何代か前のサッカー日本代表の監督より赤い。
その様子から、俺は自分の想像が当たっていると確信し、心の中でガッツポーズを決めた。
「こ、こ、この変態男! 性懲りもなくまた……!」
「なんでこれ知ってるの?」
振り上げられたこぶしがピタリと止まった。「え……?」と何を言われたかわからない様子だ。
「そりゃさ、これ赤面するとおり下世話な意味だよ。でもね、それは俺の、“あっち”の世界での話なんだよね」
「あ……!」
言わんとすることを悟ったらしく、端整の取れた顔が不覚に歪む。
「カタカナ語くらいは通じるみたいだけど、こういうポーズは通じないよ。事実、親衛隊のみんなにやってみたけど1人も通じなかったもん」
そう、昨日試しに1人ずつ回って拳を突き出してみたのだ。結果は、全部スカ。あのグレタすらキョトンとした顔をし、「何の真似ですか、ケンカを売っているのですか私に?」と青筋を立てられたのであわてて謝罪した。まぁ意味知ってたらぶん殴られてただろうけど。
とにかく、この世界にこのポーズは存在しないのは確実。にもかかわらずエミーナがそれを知っていたということは……。
「おたく……『文明の漂流』で来たクチでしょ?」
「……!」
それがもっとも簡単な答えだった。
俺と同じ世界に属する、否、属していた人間。だったら知っていても不思議じゃない。一応『文明の漂流』で来た人間に教わったという可能性もあるが、それはちょっと考えづらい。
「ぶ……ぶ……無礼者! よくもそんな知ったような口を……!」
「ビンゴ、かな?」
見るも明らかに慌てふためくその様から、確信は確実に取って代わった。その一言がまたエミーナを激昂させる。
しかし、少々調子に乗りすぎた。
「――こ、この野郎、誰に向かって口聞いてると思ってんだ!」
「え――?」
犬歯をむき出しにして激怒した。いやちょっと待て、口調変わってるぞ!?
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって! このエミーナ様が貴様と一緒だと!? どの口が言いやがるオラァ!!」
「ぐ、ぐぇ……!」
胸倉をぐわしと掴まれ、床に叩き伏せられる。山伏よりよっぽど苦しい……。
「っざけやがって! 今までは渋々隊にいるのを認めてたが、もう許さねぇ! 騎士としても男としても一生使い物にならない体にしてやるよっ!!」
仰向けになった俺に馬乗りになってきているので、見上げるほうとしてはなかなかいい光景だし、腰に当たるヒップの柔らかい感触が気持ちいいのだが、顔が悪鬼なため邪な感情とかは全然出ません。
いやいやいや、それどころじゃないだろ! 男として使い物にならなくするって、何する気だ!?
「ちょ、ちょい待ち、早まるな!」
「うるせぇ! 死ねぇ!!」
「そのくらいで止めなさい、エミーナ」
牙が目の前まで着たそのとき、唐突に第3者の声がした。中年の男性の声だ。
「っ!!」
弾かれたかのようにエミーナは声のしたほうへ振り返った。俺もそれに倣う。
「すまないね。うちの娘がとんだ乱暴を働いて……ほら、さっさと降りなさい」
部屋のドアの前に立っていたのは、40代くらいの金髪をオールバックで整えたブラウン瞳の大柄な中年男だった。顎には髭が蓄えられている。
「…………」
しかしエミーナは中年男の言葉などまったく聞かず、むしろ俺よりよっぽど強い怒りをあらわにし、殺意を持った目で睨みつけている。
「エミーナ」
中年男の視線が厳しいものになり、エミーナも腰を上げる。あー苦しかった。
「あ、あの……娘ってことはあなたが……」
「そう。私がジャクソン・ライノスだ。ロラルド商会の大旦那にして、エミーナの父親の、ね」
そういうとニッコリとした笑顔を向けられた。言っちゃ悪いが少し気持ち悪い。
「今日はわざわざすまないね。君がサジタリウスの操縦者かね?」
「は、はい、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフです」
あわてて起き上がり姿勢を正す。そうしたら「はっはっ」と笑われた。
「そう固くならなくていい。たかが商人相手に畏まる必要などない。さあ、座りなさい」
たかが商人て……大陸1の大商会なのに。とりあえず促されるままに席に座った。エミーナも不平を訴えるかのようにドスンと勢い良く座る。さて、どんな話になるんだか……。
「伝説のFMNサジタリウスの操縦者と聞いてどんな人物なのか知りたくて呼んだのだが……なかなか鋭いね、あれだけのことで見抜くとは」
「いえ、そんな……ん? 待ってください。見てたんですか?」
「ああ。『うわー、豪華というか、けばけばしいというか……』あたりからね」
「最初からじゃないですか! だったらあんなことになる前に助けてくださいよ!」
あまりのショックに半泣き。ジャクソンはそれに対し全然意にも介さない様子。こいつはこいつで酷いな。
「はっはっは。悪かった悪かった。――それより、さっきの話だが」
「は、はい」
声の質が変わったので姿勢を正す。
「君の言うとおりだよ。エミーナは、いや、エミーナも私も『文明の漂流』でこの世界に来た者だ。放浪者、あるいは漂流者と呼ばれている」
「やっぱり……!」
自分の推理が当たっていたので心の中で「よっしゃあ!」と叫んだ。
「おいこらっ! 気安く話してんじゃ……」
「あそこまでバレたのだから隠すことなどできんだろう。ここは事情を話して黙っていてもらうほかあるまい」
「だが……!」
「そもそも、お前のミスが原因でこうなったのだろう? あれしきのことで赤くなるとは、久しく見ていなかったが相変わらずか」
「……ッ!!」
耐え切れなくなったのか、椅子を倒すほどの勢いで立ち上がると駆け足で部屋を出て行った。バタン、と荒っぽく閉められたドアの音だけが部屋に残った。ジャクソンがため息をつく。
「すまんね、うちの娘が」
「いえいえ、慣れてますから……」
少なくとも斧で追っかけられるよりマシだ。紅茶を1口飲む。
「母を早くに無くしてね、その後すぐに再婚したのが気に食わなかったんだろう。ずいぶん嫌われてしまった」
「そうなんですか……」
あいつもそうなのか。なんか気持ち分かる気がする。
「こっちにはどれくらい前に?」
「もう9年近くになる。早いものだ」
9年、となると1997年か。アニメによる光過敏性癲癇(てんかん)が大問題になった年だったと思う。ずいぶん昔だな。
「春の西海岸を2人で歩いていた矢先の出来事だった。突然私とエミーナの周囲を嵐が覆って……気がついたらこの世界に来ていた」
そこらへんは俺と似ているな……。やはり同じ現象か。
「幸いロラルドのキャラバンに拾ってもらったから良かったものの……1歩間違えたらどうなっていたか分からん」
少し辛そうな顔をしている。忌まわしい記憶なのだろう。話を逸らすか。
「あのー、あちらでは何をしてたんですか、ご職業」
「うん? ああ、今とほとんど一緒さ。アメリカで海運業を営んでいた」
「やっぱりね……」
やっぱりの一言に眉をひそめられた。そりゃ何の前触れも無く納得されれば変に思うだろう。
「いやね、おかしいなと思ってたんですよ。あなたが通商路の確保を最優先したと聞いたとき、この時代の人間の思考とは思いづらくて」
シルヴィアも中世国家である以上、国を維持する資金源は農地からの年貢のはず。ましてシルヴィアは軍事国家。荒っぽい国風が当然なこの国の人間に、そんな近代的な思考があるとはとても思えない。そこに娘のエミーナがこの世界の人間じゃないとの疑いを合わせれば、近代的な商業法を身につけた人間だと考えるのは必然。
そう言うと、「ほっほう」と感心したらしく、ニヤニヤ顔をされてしまった。
「カンがいいんだな。ウチに来ないかね? 君は優秀な商人になれると思うよ」
「あ、いや、勘弁してくださいよ。自分は一応親衛隊員なんですから……」
突然のお誘いに戸惑いながらも丁重に断ったらあからさまに残念な顔をされた。そんな顔されてもなぁ……グレタたちは喜ぶと思うけど。
「そうかぁ……残念なことだ」
「するませんどうも。でも、自分にも拾ってもらった恩がありますし……」
「拾ってもらった恩、か……」
と、急に感慨深い遠くを見つめる目になった。視線はどこにも合っておらず、昔を思い出しているかのようだ。
「あの、もしもし……?」
「ああ、すまない。ところで……君はアジア人かね?」
どす、と不意に虚を突かれた。まったく予想だにしていないタイミングの一言に、俺は取り繕うことも叶わなかった。
「な、なんで……?」
不覚にも肯定と取れるセリフに、ジャクソンは苦笑した。
「顔を、肌を見れば分かるよ。黄色人種じゃないか」
「あ……!」
自分はとんだ馬鹿だ。さっきのエミーナとの乱闘のせいでローブがはだけて顔を丸出しにしたままだったのだ。
「今更あわてても遅いよ。バレバレだ」
「うう……あの、このことはどうかご内密に……」
「わかってるわかってる。君もいろいろワケ有りなのだろう」
「いいよいいよ」と手で制される。間抜けだ俺は。
「仰るとおり自分は日本人です。名前は……」
「ニッポン?」
ずい、といきなり目の前まで顔を寄せられた。
「な、なんです?」
「今日本と言ったかね? 君は日本人なのか?」
「ええ、まあ……」
「おおおおおおおっ!」
両手をつかまれ手をブンブン振り回される。ていうか痛てぇ! 意外と腕力あるこの人!
「痛い痛い痛いっ! なんですかいったい!」
手を何とか引き剥がした。顔を見て、ぐっと喉を詰まらせた。
気色、いや喜色満面。なんか目がきらきら光っている。魚だったらイキがいいというのだろうが、髭のおっさんの場合は気持ち悪いだけ。
「おおおおおおおっ! いや驚いた、まさかこんなところでまた日本人に会えるとは! 私は日本が大好きでね、エミーナと一緒に日本に滞在していたこともあるし、あの日も日本のイベントへ向かおうとしていたんだ!」
ああ、エミーナのやつそんときあれ覚えたんだ……。1997年に日本でイベントが? なんかあったっけ? いいや、今はテンションが上がりまくったこのおっさんをどうにかせねば。
「そ、そりゃどうも。自分もこんなところでアメリカ人に会えるとは思いませんでしたよ」
「そうだろそうだろ。あ、紅茶飲むかね? 注いであげよう」
そう言うと、俺のティーカップを取りポットから紅茶を注ぐ。紅茶の香りと湯気が周囲に広がる。
「しかし、君も大変だったろう。突然別の世界に来たんだから。ヘレナ嬢に拾われたのは幸運だったね」
「ええ、まったく……でも、拾われたら拾われたで大変ですけど。おっと、ありがとうございます」
紅茶を受け取る。一口すすって熱さで舌を焦がす。やっぱ味わかんないし。
「大変? なにがだい?」
釈然としない顔をされたので「そりゃあ……」と天を仰ぎ見ながら言った。
「親衛隊では異物扱いですからね。毎日迫害されて辛いのなんのって……」
「ああ……」
納得したような声を出してうんうんと頷いた。この人も身に覚えがあるのか。
「シルヴィアの国教であるカルディニス教は女性上位だから、国全体に男子を軽視する風習があるからな。それは大変だったろう」
「カルディニス教は世界宗教らしいけど、男子に嫌われたら布教なんて出来ないと思うんですがね。よく広まったもんだ。しかも一神教だってんだからキリストかイスラム教みたい。ま、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)ありて可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云(い)なり、なんてのは日本だけだってのはわかってますけど。……あれ? どうかしました?」
顔を上げてみたらきらきら目が点になっている。劇的な変化だ。
「――なに、それ?」
「はい? ああ、本居宣長……って言っても知ってるわけないですね、日本の神観ですよ」
知らなくて当然か。アメリカ人だし。
と言ったら「ちょっと待ってくれ」と手で制された。納得がいかない様子。
「日本は特定の宗教色が無いのではなかったか確か?」
「ええないですよ。正月のくせに先祖祀らなかったり、チョコ会社の陰謀と知らず聖バレンタインが処刑された日を祝ったり、七夕には雨降んなきゃいけないのに織姫と彦星を会わせたいから雨降るなとカササギがいるのに意味の無いこと願ったり、ミトラ教の冬至の祭を関係ないキリスト誕生日なんて祝ったりで、宗教的なものは滅茶苦茶と言えますね」
「……すまん、1つも意味が分からなかった」
ありゃ、困った顔してるわ。そんな難しかったかな。そういえばあいつに「あなたの常識は世間一般とは大きくずれている」なんて言われたっけ。なんだい、旗日知らなかったり藤井フミヤと藤井隆ごっちゃにしてたりヒッキーのことずっと引きこもりのことだと思っていたぐらいで。
「え〜と、君はそういうのに詳しいのかね?」
「いや、詳しいってわけじゃ……ただそういう関連の本を読み漁っていたことがあるだけですよ」
「ほう?」
また顔をずい、と寄せられた。興味津々のご様子で。
「面白そうだな。ちょっと聞かせてくれないか?」
「ええーっ?」
朝もこんなこんな情けない声を出したような気がする。
――1時間後。
「それでは、知恵の実はリンゴじゃなかったのかね?」
「知恵の実がなにかなんて聖書には書かれてませんよ。パリスの審判とごっちゃになっちゃったんじゃないですか?」
「なんだいそれは?」
――うう、いいかげんにしてくれ……。
さっきからずっとこうだ。何か1つ話をすればまた別の何かに派生してしまう。それを延々と繰り返し続けている。正直言って辛いです。
――もう勘弁してくれ……ネタ切れしてきたし……。
神、宗教関連はほとんどやっちまって、相対性理論やアインシュタイン(アインシュタインが日本に来て転んだ顛末を話したら大爆笑された)、タイムマシンなど全然関係ないのも話した。それでもこのおっさんは飽きを知らず、むしろ時間が経てば経つほどヒートアップしてくる。疲れがたまってしかたがない。
どうするか。なんとか話を終わらせなければ。そうだ、ヘレナから頼まれていたあれを切り出そう。
「あ、あのっ!」
「な、なにかね」
いきなり大声を出したので少々驚いた顔をされた。
「自分が所属する親衛隊が盗賊の襲撃にあったのはご存知だと思いますが……」
「ああ知ってるよ。市内では噂になっている」
「それで今修理中なのですが、親衛隊には整備士が1人しかおらず、苦労しているんです。それで、大変失礼とは思いますが、こちらの整備士をお借りできないかと……」
「ああ、いいよ」
一瞬時が止まった。
「……え? 今なんと?」
「だから、いいって言ってるだろ。整備士くらいただで貸してあげるよ」
「――えええええっ!?」
仰天した。二重の理由で。
「何を驚いているんだそんな大声を出して」
「え? え? ええ? あ、あの、本当にいいんですか? 本当に貸してくれるんですか?」
「何度も言わせないでくれ。ただで貸してあげるとさっきも言った」
うそぉ……まったく信じられなかった。
親衛隊に貸すのはかなり問題があるのではないか、そんな鉛筆でも貸すかのように言っちゃっていいのか、そう聞きたかったが、心変わりされるとまずいので聞けなかった。
なにはともあれ、これで整備士問題は解決。やっほぅ! ざまぁみやがれ俺を馬鹿にする親衛隊の連中共! これでもう生意気なセリフは一言も……
「それはいいからロージャ君、話を続けてくれたまえ」
「……へっ?」
一瞬、何を言われたか分かりませんでした。
「まだまだ面白い話はあるだろう。もう少し聞かせてくれたっていいじゃないか。整備士だって腕がいいのを用意するから」
その言葉と、ジャクソンの不敵な笑みで、俺は自分がわざわざ弱点をさらけ出したことを悟った。
――結局、俺が解放されたのはそれから3時間後のことだった――。
「――アアアアアアッ」
夕焼け空の下、正確にはアに濁点がついた声で盛大に息を吐いた。本当に、疲れた……。
「下品な声を出すんじゃねぇ。公道の面前で」
エミーナの辛辣な言葉が疲労しきった体に突き刺さる。なんだよ、苦労して整備士手配させたろうが。
「まったくあの馬鹿親父ときたら、結局娘にロクに会いもせず帰しちまった。実の娘をなんだと思ってんだ」
「……ついで」
「ああん!?」
ぐわし、と胸倉を掴まれ、路地裏へ追い込まれる。抵抗する気力すら今の俺にはない。その前に、地獄耳だなこいつ……。
「待ってくれエミーナさん、おたく性格ずいぶん違くない?」
ずっと疑問に思っていたことをやっとの思いで聞くと、フンと鼻で笑われた。
「あれは外面用の仮面。こっちが素だ素」
「猫かぶってたのか……」
全然気づかなかった。すばらしいかぶり方だ。
「あんな大馬鹿エロジジイの元で育ったんだ。こんななって当然だよ」
「――エロジジイ?」
なんかそれっぽい気もするけど、実の娘が言うセリフか?
「なんでエロジジイなんだよ」
「なんだ、聞かなかったのか? いつも人に自慢げに言う変態だってのに」
吐き捨てるかのような言葉だ。なんだ、なんだと言うんだ。
「あいつはな、今は結婚していないが、アメリカに奥さんがいた頃から愛人を囲いまくった色情魔なんだよ。詳しい数は知らないが、関係のあった女は1万越しているんじゃないか?」
「1万!?」
俺が出した馬鹿みたいな声に「そうさ」と嘲った笑いで応じた。
「あのイカレ頭、女となれば誰だって手を出しやがって。日本に来日していたのもマフィアの女に手を出してアメリカにいられなくなったからだ。4年前の秋のテロでそのマフィアが死んだからやっと帰れたんだ。あの馬鹿でせいで、俺様の人生は台無しだ!」
怒りに任せガン、とそこらへんにあった木箱を蹴り上げた。なるほど、男嫌いの理由が分かった。そりゃあそんな父親ごめんだな。4年前のテロって、ああ、センタービル地下駐車場爆破テロか。同時多発かと思った。
「おまけにこの世界に来て商売始めたら、無理矢理俺様をシルヴィア王室にぶち込みやがって……自分の商売のどうにしやがったんだあいつは!」
「はあ……」
「堅っ苦しい王室で反吐が出る生活、ヘレナ様が弓の腕を見込んで拾ってくんなかったら今頃呼吸困難で死んどるわっ!」
ガン、とまた木箱が鬱憤晴らしの犠牲になった。怒りは収まらないらしく、むしろ蹴れば蹴るほど顔が阿修羅になっていく。怒らせないように隅で縮こまるしかない。
「あのクソ野郎、人の人生無茶苦茶にしやがって! 母さん早死にさせて、自分はさっさと忘れて再婚して! その上愛人まで! 母親に手を出したって噂が広まって、学校じゃまともに友人も作れなかった! あいつが、あいつさえいなきゃ、俺様は、俺様は……」
「……なあ、怒るのはそれぐらいにしてもう帰らない? みんな待ってると思うんだけど……」
「ああっ!?」
「いえ、なんでもありません」
もはや完全に悪魔と化した瞳に気圧されて何もいえません。またかよ……いつまでこれに付き合わなきゃいけないんだ?
こうなったら落ち着くまで待とうと、罵声をわき目に考え事に耽ることに。
――あいつ、ジャクソンのやつ、なんであんな話聞きたがったんだ? 別にその類に興味がありそうには見えなかったし、覚えたってここでは何の役にも立たない無駄な知識だと思うけど……。
話をしているときからずっとあった疑問。ジャクソン自体は宗教家でもなく、聞いている様子からはその手の知識はまるで無いことは一目瞭然だった。ならばなぜあそこまで聞きたがっていたか。いくら考えても答えが出なかった。
1人見た目とものすごいギャップがある口調で吼えまくる少女と意にも介さず物思いに耽る少年。
この奇妙なカップルが宿舎に戻るのは、日がスッカリ沈んだ真夜中だった。
ここで一機は、とんでもない失敗をしていた。耽るべき疑問を違えていたのだ。
それは2つ。1つはエミーナの『四年前のテロ』。確かに1993年にもセンタービルでテロは起きているが、それは2月26日。秋ではない。エミーナが言及したテロはやはり同時多発のことなのだ。
そしてもう1つ。それは……
『……で、どんなやつだったんですか、サジタリウスのパイロットとやらは』
無機質な無線機から、自分より10以上年下の男の声が聞こえる。年上に対する敬いが一切無い喋り方にはもう慣れっこだ。
ノイマンの真夜中のなか、中心部にある豪勢な屋敷の1室。薄暗い光の中、顔の見えない男と会話中。この時代では本来あり得ないな、と何度となく持った感想を反芻する。
「そうだな……一言で言うなら、変なやつだな」
『……は?』
この男には珍しい間の抜けた声に思わず失笑する。それを馬鹿にされたと思ったのか、男のムッとした様子が無線機から流れた。
『なんですかいったい。そんな話をしたくてわざわざ無線をかけてきたんですか?』
「いやいや、実際変なやつなんだ。あるいは、アンバランスなやつ、かな」
『……アンバランス?』
ますますわけがわからないようだ。言葉を続ける。
「ものすごい博学なんだ。試してみたら、3時間近く雑学を喋り続けやがった」
『それは……すごいですね』
感心しているのか呆れているのか、少し引いたのか声が遠ざかったような気がする。
「感嘆するな。でも、物知らずでもある」
『今度はなんですか……博学で物知らず?』
そろそろ混乱してきたか。もったいぶるのは止めるとしよう。
「正確には常識知らずだ。会話していて分かったんだが、敬語か下手でな。使い方を間違えていたり、バリエーションが少なかったり」
『それは、アメリカ人だからでは?』
「なんだそりゃ。雑学語りながら奴自身の話も聞いたんだが、世間一般とずれているようでな。お前、オリンピックイヤーが何年か知っているか?」
おそらく眉をひそめたはずだ。何を言っているんだこいつは、と。
『そんなの知ってますよ。4年に1回、4で割り切れる年号です。……まさか、知らなかったんですか?』
「ああ、オリンピックやワールドカップは興味ないから見ないそうだ。そもそもテレビ自体ロクに見ないらしい」
無線機から今度は心底呆れ果てた声がした。まあ気持ちは分かる。
『やれやれ……とんだやつがFMNに乗ったようですね。どうなることやら……ところで、親衛隊に整備士を貸したというのは本当ですか?』
「ああ」
臆面もなく言い切った。自信満々な様子が通じたのか、無線機からの声が変わった。
『どういうつもりです? まさか、あっちに寝返ったんですか?』
「まさか、誰がシルヴィアなんぞに。ただ、情勢が悪化しつつある今、親衛隊と言うビンのふたが無くなったら大規模な内乱が発生する。戦争始まったら貿易もクソもないだろ? こちとら商人だ、経済発展の為の投資くらいするさ」
『……なるほど』
理解したらしく、共感の声がした。なかなか頭のいい奴だ。いつもそう思う。
『娘さんは関係ない、と?』
「……!?」
頭が、勘が良過ぎる。たまにそう思う。
「……まさか、関係ないよ」
『そうですか。ならいいんですけど』
これっぽっちも信用していないのは無線機を通してでも充分伝わった。いや、そもそも2人に信頼関係などない。しょせんは利益が一致している間だけの刹那的な仲だ。
『ところでゾルゲ、私たちもそいつに会ってみようと思うのですが』
「な、なにっ!?」
ゾルゲ、と呼ばれたので反応が遅れた。うるさいな、聞こえている、と返ってきた。
「お前、そっちはどうする気だ? 犬共が騒がしいんじゃなかったのか?」
『問題ありません。私が消えたところでどうこうなる組織じゃないですから』
「しかし、そっちから来るんじゃかなり時間が……」
『レイブンを使えばすぐですよ。だから、荒野を確保してくれますか?』
正気かと思った。今この情勢でレイブンを使うとは。一触即発のこの時にレイブンが現れたらどんな混乱が起きるか。それに、もしあれがシルヴィアに渡れば、完成されたミリタリーバランスが崩壊しかけない。そう言おうかと思った。が、
「……わかった」
仕方がないな、と諦める。好奇心旺盛な部分があるのがこいつの悪いところだ。
『ありがとうございます。それでは、商売繁盛を祈ってますよ、ゾルゲ』
ブツ、と一方的に切られた。礼儀を知らん男だ。
「……もしくは、礼節を気にする関係じゃないと思っている、か? ――それこそあり得ないな」
独り言を終え、ベットに仰向けに倒れる。
「あいつ……あいつが何を企んでいても、俺がすることは変わりない」
その時、その部屋にいたのは、日本好きの髭のおっさんでもなく、1万人以上の女に手を出した変態親父でもなかった。
「商売繁盛、か。やる気だな、あいつ」
一介の商会をたった9年ほどで大陸随一へ伸し上げた、腕利きの商人だった。
同日、同時刻、親衛隊宿舎内エミーナ&ライラの部屋。
「あの、クソジジイ……」
自分のベットの中で、エミーナは忌々しそうに呻いていた。
「久しぶりに会っても相変わらず、馬鹿は死ななきゃ直んないってか……」
幼いころからあいつのせいでろくな目にあっていない。クラスメイトの母親に手を出したり、マフィアに追っかけられたのも大変だったが、一番は日本に来日したことだった。
正直言って、日本での生活は地獄だった。あっちではまだ外国人に対する差別意識が残っており、ずいぶんひどい目にあった。助けを求めようにも回りはみんな日本人、つまり敵。あいつは日本での仕事が忙しくて聞いてくれないし、また母親に手を出した。それが噂になってまた苛められ、そして転校を余儀なくされた。半年同じ学校にいたことがない。4年経ってアメリカに戻れることになったときどんなに嬉しかったことか。
「……それで、また日本に行こうって言い出したんだから、無神経にもほどがあるよな」
たった数日とはいえ、日本にまた行かなくちゃいけないとは苦痛に他ならなかった。嫌だ嫌だと言っても聞かず、とっくに予約は済ませたで終わらせた。日本へ向かう途中でこの世界に来たとき、これで日本に行かなくて済んだとホッとしたものだ。
それだというのに、まさかこの世界で日本人に会うとは。本当に忌々しい。
「…………」
ふと、枕元を探る。紙切れに当たった感触がし、掴み取って取り出す。
出てきたのは1枚のチケット。当時日本で開催されていた博覧会のチケットだった。
「……なんで、まだ持ってるんだろう」
捨てるべきだと思うのだが、いまだに捨てられない。自分でも理由は分からないが、とにかく捨てられないのだ。
「あいつにも、日本にも恨みしかないのに……」
なぜか悲しくなって、目を閉じた。
チケットには、その博覧会のキャラクターである、緑のモジャモジャした怪物が描いてあった。
「まったく、今日はひでぇめにあった……あん? あ、も、申し訳ありません。なんでもないですのよ? ホホホホ。シルヴィア王国親衛隊隊員、エミーナ・ライノスです。次はマリーが主役だそうで。なんでも、マリーの不注意で一大事件が発生、しかも再び襲撃が……ったく、あの機械馬鹿女め。あ! いえいえ、なんでもないですのよ。次回、サジタリウス〜神の遊戯〜 第7話 『好奇と狂気』をよろしくお願いしますわ。――大丈夫なのか、本当に。深夜に書いてるから正気じゃないと思うが」
to be continued……
――第7話――
ニャアという声に、頭が痛くなるのを感じた。昨日は来なかったのにと呟いていたら、足に擦られているような感触が。
下を見ると白と茶の猫が。ミウミーと俺が勝手に名づけたメス猫だ。
こいつとは引っ越してきたときからの縁だ。ここに越してきた際純次が手伝ったのだが、その時こいつが現れた。野良猫らしかったが、動物好きではない俺に興味はなかった。
だが純次は違かった。純次は根っからの猫好きだったのだ。三十路をとっくに過ぎた身でゴロニャーンなんてやる姿は気持ち悪かったが、まあ人の趣味に口出す気はない。
しかし、問題はここからだった。気分が高揚した純次は即行で車を飛ばし、餌を買ってきたのだ。しかも俺に「餌やってくれよ」と残りを渡して。事務所じゃ猫は飼えないからと本当に泣きながら懇願してきたので渋々納得した。仕方がない。たかが猫ぐらいなら構ってもいい。
ところがこのメス猫、只者じゃなかった。翌日から餌よこせーとねだるようになった。姿を発見したら寄ってくるだけならそれもいい。だがこいつはそんな生易しいものじゃない。家にいるときにもドアやベランダをバンバン叩いて要求するのだ。おかげで網戸に穴が開いて使い物にならなくなった。ひどい時は真夜中にバンバン叩き起こされた。しかも一時間ごとに。地獄だったなあれは。それで起こしておいて水も餌も口にしないんだから、なんなんだ貴様と思った。
しかし、なんといっても大変だったのは……。
「……あだっ!」
物思いにふけっていたら噛み付かれた。ズボンだったのが幸いで怪我は無いようだが、足でミウミーを払う。フーッ! と吼えられた。
「餌なら今やる……ちょっと待ってろ」
侵入されないように注意しながら(前に侵入したミウミーに食パンを食われたことがある)ドアを開け、ペレット系の餌を取り出して玄関先にばら撒いた。俺の存在など完全に忘れたように、一心不乱に食っている。
どうしてこいつは俺のところに来るのだろう? このアパートのほかの住人に餌をもらっているようだし、ダンボール製の家まで支給されている。餌なんて他からいくらでも手に入るのに、こいつは俺の元へやってくる。
それでいてまったく懐いていない。早く餌をやらないと噛み付かれるような仲だ。前に生足で噛み付かれて傷ができ、こっから感染症にでもかかったら「ミウミーに殺された」とでも遺言を残すかと考えたくらいだ。別に何もなかったけど。
そんななのに、姿を発見したら一目散に飛び込んでくる。何故だろう。単なる都合のいい飯出し機と思っているのか、それとも……
「……なあ、ミウミー」
聞いていないとわかっていながら、餌を食い続けているミウミーに問いかける。
「お前、俺のこと恨んでいるのか?」
猫は受けた恩を3日で忘れるそうだ。
だが、恨みはどうなんだろう?
問いかけても答えてくれない。困ったものだ。
言葉が通じない相手とのコミュニケーションはとかく厄介極まる。
サジタリウス〜神の遊戯〜
第7話 好奇と狂気
「……たとえ言葉が通じても、コミュニケーションとは厄介なものだな。相手が言葉を理解する頭脳がない場合」
「なによそれっ! それじゃ私が大馬鹿みたいじゃない!」
「実際大馬鹿だろーがっ! 状況判断すらできないなぁ!」
ドスを効かせた声で叫ぶが、マリーは怯むことがない。なかなか根性があるようだ。馬鹿だけど。
宿舎の廊下で、俺とマリーは口喧嘩をしていた。
互いを口汚く罵るそれは、親衛隊員が集まってきても収まることはなかった。
2人の間には、バラバラに砕けた透明なプラスチックの破片と、黒の金属性の長いものがあった。
ロラルド商会から整備士を借りることに成功したその翌日。
「ふわあぁぁぁぁぁぁ〜」
早朝から大アクビをしていた。まだまぶたが重い。眼鏡をはずして目をこする。
理由は簡単。昨日エミーナが暴走して叫び続けたので、宿舎への帰りが深夜になったから睡眠時間が短いのだ。ヘレナにも何でこんなに遅かったと怒鳴られたし。整備士の借用交渉に成功したんだから特訓は免除かな、と思ったのにそれで打ち消されちゃった。畜生。
「あの猫かぶり女のせいでまったく……いい迷惑だ」
「何か?」
ドキリとした。後ろから昨日散々聞いた声がしたのだ。
振り返るとそこにいたのはやはりエミーナ。幸いにも猫かぶりお嬢さんモードであるが、豹変したら一巻の終わりだ。
「な、ななな、なんでもないです」
「そうですか。では」
そのまま笑みを絶やさず去っていった。確かに笑っていたけど、青筋が立っていた気がします。
「おっかねぇなああいつ……またブチ切れられるのは勘弁だ」
爆発する前に退散しようと足を速めた。が、
「うわっ!?」
「わっ!?」
ドンッ!
角を曲がってきた誰かにぶつかった。前にも似たようなことあったような。
両者ともその拍子に手から持っていたものがポロリと落ちたのだが、犯人を特定するのが先だ。
「だ、誰だよ前ちゃんと見てないやつは!」
「いたたた……なによ、急に走り出したあんたが悪いんでしょ!」
この声は我が親衛隊唯一の整備士マリー・エニス。ええい、サジタリウスとの時いい、こいつはトラブルメーカーか!?
「黙れ、前方確認も行えないやつが何をぬかす!」
「前方確認できないのはあんたも一緒でしょ! ふざけたことぬかすんじゃないわよ!」
「なにぃ!?」
「なによっ!」
怒モードになった2人、感情が昂って戦闘態勢に入る。立ち上がったその瞬間、
バキッ。
「ん?」
「うん?」
何かが割れる音が下から。
不審に思い足元を見てみると、
「……?」
マリーの足元にへんなものが。
透明の薄いガラス片――いや、これはプラスチックか? と黒い金属製の長いもの。それがマリーの足が踏んづけられてバキバキに折れてひしゃげて……って、
「ああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーっっっ!!!!?」
俺の眼鏡じゃないかぁ!!
はっ! そういえばさっき目をこすった時外してそのまま持っていた。それがマリーとぶつかった拍子に落として、それをマリーが……って!!
「あーあ、割れちゃった」
「『割れちゃった』じゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! なんだその他人行儀はっっ!!」
マリーの平然とした態度に(そう見えただけ)にプッツン。胸倉を掴み上げ壁に叩きつける。
「な、なによ! 別にわざとやったわけじゃないわよ!」
「それが加害者が被害者に言うセリフかぁ!? 人の眼鏡お陀仏にしやがって!!」
「オダブツってなにオダブツって! うるさいわね、そもそもあんたがぶつかってきたのが悪いんでしょ!?」
「話を逸らすなぁぁぁ!!」
――そんで、数分後。
「状況判断!? わかってるわよそんなもん、あんたがぶつかってきて眼鏡を落としたその先に私の足があった、それだけ!」
「お前が割ったが抜けてるぞ、お前が!」
口喧嘩はまだ続いていた。もうここまでくると理由も原因もどうでもよく、意地と見栄の戦いと化している。引いたら負けなのでどちらも止められない。
「なによっ!」
「なんだよっ!」
「ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ」
「むうううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ」
両者唸りあう。付近にかなりのギャラリーがいるが、皆口出しできない。面倒なだけかもしれないが。
と、そこにズイと押し入るものが。
「何をしているんだお前たちは。大声で騒ぎおって。何が起きたんだ」
呆れた顔のヘレナが割って入ってきた。やれやれと顔に書いてある。
「こいつが自分の罪を認めず責任転嫁をしようと……」
「転嫁って、悪いのは完全にあんたでしょうが! だいたい前から気に食わなかったのよ、ボサボサ頭に地味な黒メガネ、陰気くさくて嫌になる!」
「陰……! だ、黙れ、円柱娘にだけは言われたくない!」
「円柱!?」
『円柱』発言に赤面。けっ、女の子ぶりやがって。
「上から下まで出るとこも引っ込むとこもない貧相体型のことだよ! 上から下までなにものにも遮られることなくストーンストーンストーンッ! 石柱のほうがまだいいボディラインをしているぞっ!」
「石……!」
その瞬間、マリーの後方からどす黒い炎のようなオーラが見えた気がした。顔は憤怒で歪み、犬歯はむき出し、筋がいっぱい立っている。
「んのクソ野郎! 言わせておけば!」
「おう、やんのか!」
「いい加減にせんかっ!」
ガンッ!
「「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」」
2人の態度に怒ったヘレナが強烈なダブルチョップを脳天に直撃させた。俺をマリーも頭を抱えて声にならない悲鳴を上げて床にのた打ち回る。
「何があったのかちゃんと説明しろ。話はそれからだ。マリー、一機、言ってみろ」
話したくても、殺虫剤の直撃を浴びたゴキブリ状態の俺たちに口を開くことなど出来なかった。
「……で、これが一機のメガネか」
粉砕されたメガネを拾い上げ、まじまじと見つめるヘレナ。うう、まだ頭が痛い……。
「そうだよ。どうしてくれるんだ。俺ひどい近視&乱視なんだよ」
「たたたた……だから、事故だって言ってるでしょあれは。別にそんな怒ることないでしょ。死にゃしない」
ギロリと睨みつけたが、平然と受け流された。この期に及んでまだ自分は無実と言い張るか。
「止めんか2人とも。さて、しかしメガネが割れたのは問題だな。これほどまでバラバラでは直しようもないし……グレタ、お前のメガネを作ったところに頼んではくれんか?」
グレタ……あ! そういやグレタも眼鏡付けてるから、シルヴィアにも眼鏡の精製技術はあるってことだよな。ガラス製だと思うけど。
だが、グレタは首を横に振った。
「無理です。メガネは1人1人合ったものを作る必要がありますから、直接行く必要があります。それに、シルヴィアに作れる場所はアガタにしかありません」
「つまり、首都に戻るまで一機はこのままか……」
ヘレナが困った顔をした。俺はもっと困った顔をした。
「どれぐらい悪いんだ、目」
「どれぐらいも何も……あーダメ、誰が誰だかわかんない」
周囲を囲んでる連中を、ぼやけた目で見回すが、ろくに識別できない。だいたい予測できるが、曖昧なものだ。
「あらあらまあまあ、じゃあカズキン、ミオとナオの区別も出来ませんか?」
心配そうな顔で覗き込んでくる。しかし、それは目が見えてないからそう見えるだけで、実際はからかっているだけかもしれない。発言自体そうだし。
「……お前ら、眼鏡あっても区別つかないじゃん」
「あらあら」
クスクス笑いが聞こえる。それに眼鏡がないとは言え至近距離、笑っているのが丸見えだ!
「こいつ……!」
「止せと言ってる」
ヘレナに羽交い絞めにされた。襲い掛かろうとした腕が空中でむなしく空を切る。
「ミオに当たるのは止めんか。とにかく、首都に着くまで我慢しろ」
「ええー……」
不平を訴える。仕方がないとわかってはいるが、問題なのは問題なんだ。
「どうすればいいんだ……」
再びマリーを睨みつける。ボケて判りづらいが、ばつの悪そうな顔をしている気がする。やっぱり責任感じているのか? なんだ、素直なところもあるではないか。最初からそうすりゃいいんだ最初から。
「……しょうがないなあ……ちょっと待ってなさい」
めんどくさそうに腰を上げて、マリーがどこかに立ち去った。わけがわからずそのままマリーが消えたほうを見つめていたら、手に何かを持って帰ってきた。
「ホイ」
「へっ? おっとっとっと」
その何かをいきなり投げ飛ばされた。遠近感が麻痺している状態なので焦ったが、なんとか受け止める。
「…………」
キャッチしてみて、初めてそれがなんであるか確認する。筒を2つ並べてくっつけたかのような相貌、その筒は両方共大きさが異なり、筒の中にはガラス製の丸いものが……これは、今自分の足元で割れているのと同様のものだと推測できる。ってちょっと待て。
「……あの、マリーさん、これは……私の祖国で双眼鏡と呼ばれている代物と非常に酷似してるのですが……」
「そうだよ。それつけてりゃ問題ないでしょ」
「……っておい! こんなもんつけて生活しろってのか!?」
何が『問題ない』だよ! いちいち双眼鏡で覗いて見てたら、明らかに怪しい人だろーが! ただでさえ男というだけで変態扱いされているというのに、これ以上材料加えてたまるか!
「冗談じゃない! 誰がこんな……」
「それで我慢しろ。どうせアガタに着くまでの代理品だ」
ヘレナに苦情を制された。ヘレナに言われたら口ごもるしかない。
「くっ……」
「……フフン」
あっ! マリーの奴鼻で笑いやがったな! ええい、この腐れアマぁ……!
「2人とも騒いだ罰だ。格納庫にいって機体の整備をしてこい」
「……え?」
ヘレナは厳罰主義のようだ。孔子に嫌われるぞ。
「……だからこの根暗クンネジじゃないってつってんでしょーが! そっちの引っ込み思案な子! いつになったら見分けつくのよあんたは!」
「だから、ネジにそんなもんはないっつってんだろーが! というか、それ人間でも違いないと思うぞ!」
格納庫にて。マリーと2人サジタリウスの腰部分で整備中。この間の襲撃で破壊された駆動系だ。
整備士がジャクソンの計らいで来たとはいえ、たいした人数じゃない。さすがに大人数入れると周辺都市がうるさいのと、そもそも駆動系は専門技術が必要だが十分な設備と道具、あと腕さえあればそんな大変な作業ではないらしい。さすがに一人では重労働だが。
そんなわけで今日から作業を開始したが、明日の夕方には終わるらしい。グレタも安心していた。
で、俺たちはその手伝いと。……ええい、この馬鹿のせいでこんな羽目に陥るとは。
「一機……じゃなかった、おいロージャ、何ぼけっとしてんのよ、さっさとペンチよこしなさい!」
あっちも同じことを考えているらしく、終始不機嫌だ。まあこっちも顔をしかめているはずだが。
「その名前は禁止だって言われたろ! ほらよっ!」
半ヤケでペンチを投げよこす。「おっとっと」とさっきの双眼鏡と俺状態になった。
「この馬鹿! ペンチを投げる捨てるなんてどういう神経してんのよ!」
「俺はライラにドライバー投げつけられたぞ!」
「それとこれは別! コーレスちゃんになんてことすんのよ馬鹿男!」
「……へ? コーレスちゃん?」
意味不明の単語出現。マリーもこちらの目が点になったのを不審思ったのか、熱が冷めている。
「何その反応」
「――コーレスちゃんって何?」
「このペンチの名前よ。コーレスで大体解ると思うけど」
「全然違うじゃ……あ」
そうか。この世界でのペンチみたいな物が同じペンチって名前とは限らないよな。俺は自動的に翻訳されてるからペンチって聞こえてるけど、実際はコーレス何たらって名前なのかもしれん。
「なるほどなるほど」
「何勝手に納得してんのよ」
1人で?マークを浮かべて1人で悩んで1人で推測し1人で納得して完全に置いてけぼりにされたのが気に食わないのか、マリーがふてくされている。子供みたいな奴だな。
「なんでもないよ。ただちょっと、別世界だなぁと」
「わけわかんない……」
頭をガリガリ掻いて理解不能の4文字をあらわにする。説明したところで理解できないだろうからやるだけ無駄だ。――あ、そうだ。あれ聞いてみるか。
「なあマリー」
「はい?」
あからさまにうっとうしいと顔に明記してこちらを見てくる。そこまで露骨だと引くぞおい。確かに思わせぶりなこと言った俺が悪いけど。
「サジタリウスの設計図とか無いかな? どうやって動いてんのかとか知りたいんだ」
「ほっほう?」
うわ、目の色が変わった。キラキラ輝いている。少女マンガ?
「そうかそうか、ロージャも目覚めたということだね。ちょっと見直したよ」
「いやいや、別に目覚めたとかそんなんじゃ……」
「ちょっと待ってなさい、今持って来るから」
耳を貸さずにちゃっちゃと降りていってしまった。ルンルンルンルンスキップしながらそのまま外へまっしぐら。きっと部屋にでも戻ったのだろう。MNの資料は全部あいつが持っているって聞いたし。
……ん? 待てよ。ってことはあいつ……今まで設計図なしで修理してたのか? 空で? 難しい作業と聞く駆動系を?
「……マジかよ」
イーネのときと同じ。初めて俺は、マリーが親衛隊にいる理由を悟った。
人を見る目が無さ過ぎる。呆れてものも言えない。
「……仕方ないかも知れんな。あっちじゃ、人を見たことなんか無かったから……」
「お〜い、お待たせぇ〜」
嫌なこと思い出してちょっとブルーになった俺に真逆レベルの温度差を持つ声がかかる。満面の笑みを浮かべたマリーが丸めた紙を担いでやってきたのだ。さっきまでの不機嫌さはどこへやら、だ。
「ずいぶん早かったな。宿舎とここまで少し距離あるだろ」
「なんのなんの。全速力で駆けてきたからね」
「……頑張ったんだね、君」
なんか正確も幾分か変わってるし。どこの世界でもオタクパワーは共通ということか。
「何その生暖かい視線。そんなことはどうでもいいから、ほら、ちゃっちゃと見た見た」
ウキウキ気分で設計図を開くその様に、こいつ誰だという思いが生まれたが、まあそれは後でと、設計図に目を向けて……。
「……なにこれ?」
絶句。
「? なにって、サジタリウスの設計図。探すの苦労したんだよー? カルバナの格納庫とか倉庫とか手当たり次第探してさ。それもみんなにバレたら終わりだからこっそりとさあ……」
マリーの語る苦労話も、今はあんまし耳に入っていなかった。目の前に提示されたその信じられない画に釘付けになっていたのだ。
「……なあ、これ本当にサジタリウスの設計図?」
「なによ、当たり前でしょ? 他にこんな特徴的な形したMNなんてないわよ」
「いやさ、形の話じゃなくて……」
いまいち話がかみ合っていない。マリーはサジタリウスのなのかと疑っているのではないかと思っているようだがそれは違う。
これ本当にMNの、ロボットの設計図なの? と思っているのである。
だって……
「……カラッポじゃん、これ……」
そう。カラッポ。いや実際は装甲で埋まっているのかもしんないが、設計図では紙の色そのままだった。
具体的に言うと、中身が無いのである。設計図に描かれていたそれは、人間の骨格標本にサイズが2回りも三回りも大きい鎧を被せたような実に寂しい代物だった。カラクリ人形のほうがよっぽど複雑な中身してんじゃないの? というぐらいの。よくお菓子売り場に変な粉を水に溶かして棒にまとわり付かせて食う菓子があるが、あれが人型の棒でたくさんまとわり付かせたような姿なのだ。
断言する。こんなのでロボットが動くか。
「なあ……サジタリウス、いやMNの設計ってみんなこんな感じ?」
「え? まあ、MNはみんなだいたいこんなもんだけど……なによその顔、全然信じてないの?」
あまりに怪訝な顔をしているのでまた機嫌を損ねたらしいが、こっちはそんなん構っていられない。
――こりゃほとんど魔術の領域だね……。
いやちょっと待て、そもそもMNの操縦方法だって一時的にMNと同化、なんてオカルトな代物。最初からロボット工学なんてものが通じない領域だとわかっていたではないか。何を今更、だなこれは。
「――いや、なんでもない。ところでさ、壊された駆動系って、具体的にどういう風に壊されたの?」
「はい? ああ、関節の繋ぎ目をやられてね、足が回らないようになっちゃって……」
「ああ、一応ロボットやってるんだ……」
2日後、ノイマン周辺の丘。
ここからはノイマン全体を見回すことができる。陰になって見えない場所もあるが、それでも大まかに見るには十分だ。
当然、修理を終えて王都へ戻る親衛隊の一団の姿も丸見えである。丘に立つ土色のフードを被った男2人には。
「――行ったか」
「そのようで。バラの連中が痛めつけたって聞きましたが、大したことなかったみたいですな。すぐ出て行っちまった。もうちょっとかかるって聞きやしたけど」
「――ジャクソン殿が援助したらしい」
「……シルヴィアと仲が悪いあの商人がですかい?」
信じられないといった顔をされた。当然だろう。自分も最初聞いたときは信じ辛かった。
「別に公式的に仲が悪いわけではない。一応友好的である必要性があるから、ジャクソン殿も断ることができなかったのでは?」
「――もしくは、親衛隊不在で内乱が発生するのを防ぐため、ですかね? 通商路破壊されたら商売になりゃしませんし」
なるほどなと思った。いつもはとぼけた男に見せかけているが、洞察眼は自分以上だろう。
「――さて、どうします? このまま放っときますか?」
鋭く光った目を向けられた。襲撃するか否か、と聞いているのだ。カルバナの時と比べこちらのMBの錬成度も上がっているし、地の利もある。夜襲でもかければ勝ち目はある。だが……
「――止めておこう。まだ連携などの熟練も不十分だし、全員がMBの性能を引き出しきったとはとても言えん。この状態で挑むのは得策ではない」
「そうですねぇ。修理される前に行きゃよかったんですけど……」
「…………」
こちらから視線を逸らしてノイマンから離れていく親衛隊一行を眺め見ている。背を向けられていても言いたいことが充分伝わってきた。
さっきの言葉、ようするに「何故ノイマンにたどり着く前に襲わなかった?」と聞いているのだ。当然の質問だろう。バラの棘に襲撃されMNが故障した時点で攻撃していれば楽に勝てた。だがそれをしなかった。どうしてだと暗に咎めている。
「……戻るぞ」
「はいはい。隠れ家に引っ込むとしやすか」
返答を聞かずに歩き始めたことを気にもせずついてくる。さっきのオーラの跡はまるでなかった。
機会を逃し続けていることに長老たちも変に思っているらしい。伝言役でもあるこの男の言葉はそのまま長老たちの発した言葉。そろそろ怪しまれているようだ。
だが、この胸にある思惑は絶対に知られてはならない。私の声を長老たちに伝えるこの男にも。
――もっとも、とうの昔に察知されているようだが。
振り返ると、口元に手を当て難しい顔で考え事をしていた。こちらの視線に気がついたら手を解き、口笛を吹き始めた。かなり下手だった。
「……う〜〜〜ん……いまだに慣れんなこれは」
また暑さと車酔いに苦しんでいた。今日は狭くて崖が多い荒れた山道なので尚更揺れる。
「あーもう、唸らないでよ。こっちまで暑くなる」
「いや、でもこんな鎧着てんだから……というかさ」
「なに」
「……なんで、お前が同乗してんの、マリー?」
「こっちが知りたいわよ、そんなこと!」
汗だくだくで当然の疑問を投げかけたら吼えられた。やっぱ犬だこいつは。
荷馬車の中で、俺は再び鎧を着せられて特訓中。でも同乗してるのはイーネじゃなくてマリー。
『なんで?』って思ったけど、ヘレナに命令されたから反発するわけにもいかず(結構2人ともぎゃあぎゃあ騒いだが)そのまま乗車。で、今のいやな空気を醸し出している、と。
まあヘレナが一緒にした理由は大方わかる。喧嘩したまま仲悪いのは良くないとして、一緒にいさせることで話し合う機会を作ったのだろう。言いたいことはわかるが、険悪な空気を作っただけだよ残念ながら。
「……ねぇ」
「ん?」
マリーの声のトーンが下がった。ぼやけて良くわからないが、しおらしくなっているような、首にぶら下がっている双眼鏡に目を向けたような。
「……悪かった」
「……はい?」
一瞬言葉の意味がわからなかった。何悪かったって。何がどう悪かったって? ひょっとして……
「……謝ったの今の?」
「聞き返すんじゃない!」
ぷん、とそっぽを向かれた。横顔真っ赤。
――え? え、何こいつ。どうしたの?
急な態度変化についていけない。変な汗がとめどなく流れる。待てよ、これって確か……。
「……なによ。ジロジロ見て」
「いや……こういうものなのかなって思って」
「……はい?」
眉をひそめられた。怪訝な顔が理解不能と回答を求めている。注文どおり出すことにした。
「……我が祖国ではお前のようなやつをツンデレと呼ぶ」
「……へ? ツンデレ?」
「うん」
ツンデレ。語源は不明だが、最近よく聴く言葉。普段はツンケンしているのにたまに素直になったりもたれかかったりすること。心理学でいう反動形成(ある抑圧を行った時に、それと正反対の行動を取ること。好きな異性に対して、意地悪をするなど)に近いかもしれない、とのこと。よく知らないけど、ようするに素直じゃない意地っ張りに多い。一般的な恋愛であれば初対面では相手への関心が薄く、親しくなるにつれ関心が大きくなる。これに対してツンデレの場合は最初から相手への関心が強く、相手に向けるエネルギーも多い。その気持ちの方向性がプラス(デレ)かマイナス(ツン)かの違いであると言うだけで、相手に向ける気持ちの量は最初から最後まで一定である点で通常の恋愛と大きく異なるそうだ。いずれにしろ定義がはっきりしていない新出の言葉である。
ゲームなんかで見ている分には嫌いじゃない。でも、実物を見るのは初めてだった。――待てよ、それ以前に俺女を見たことなんてろくすっぽないじゃないか。性格を推測するまで交友を持った女なんて……いたな、1人。
「あいつは……なんだったんだろう。宇宙みたいなやつだったなあ……広大すぎて全く掴めない」
「誰のことよ。勝手に1人で考え込んでないで、ツンデレの意味教えなさい」
気がつくと、目の前に軽く無視されて気が立ったマリーの膨れっ面が。かなりの近距離で、荷馬車が揺れてあと10センチ詰まったらラブコメ展開突入、というほど。
「わっ、わあっ!」
「きゃっ!」
びっくりして、マリーを突き飛ばした。顔が紅潮しているのが自分でもわかる。飛ばされたマリーは壁に激突に、上に乗せてあった水筒が倒れてきて頭から水を被った。
「きゃあ!? うっわあびちゃびちゃ……。何すんのよいきなり!」
「な、なにって……!」
ああああ、今一瞬カタカナ変換してしまった自分が嫌だ! あいつにもさんざん「このムッツリスケベ」と呼ばれたし。俺は女に免疫がなさ過ぎる!
「あーあ水浸し……着替えなきゃ」
そういうとマリーは水で肌に張り付いたシャツを勢いよく脱ぎ……!?
「……!!?」
「え!? こ、今度はなに!?」
瞬時に反転、ほぼ倒れるかのようにうつ伏せになって顔を覆った俺に驚くマリー。驚いたのは俺だ!
「おま、おま、お前……下着どうした!?」
「はい? 下着ならちゃんと穿いてるけど……」
「穿いて、いや着けてないだろ!」
そう。シャツを脱ぎ捨てようとしたマリーの上半身には何も……いや、何かはあった。肌と同色の……ってそれはちがぁう!!
「な、な、なんでブラ着けてないんだよ!」
「……ブラ?」
キョトンとした顔を多分された(顔見てない。全身から目を逸らしている)。こいつ正気か!? いくら円柱だからって――いや、何かはあった……って待て待て待て! そうじゃないだろ!
「ブラジャーだよブラジャー! ブラジャー着けないなんて貧相を自覚して……!」
「……なに、ブラジャーって」
「……へ?」
思わず振り返り、今度はモロに見てしまい、再び真っ赤になって転倒。鎧がガシャンと鳴る。
「だから、何してんのあんた!?」
「い、いやあの、ブラジャーって何って何!?」
「え? だから、ブラジャーって何のことって聞いたの」
そんなピュアな声で聞くかそんなこと! 俺だけうろたえてるのがムカつく!
「ブラジャーって、そ、そりゃ上の下着だよ!」
「……シャツのこと?」
「違う! その下! 胸に直接着けるの!」
「……無いよ、そんな下着」
「……え?」
………………………………………………………………
……無くて当然か。ブラジャーの原型はフランスで1889年にエルミニー・カドルが発明したって言うし。似たようなのは古代ギリシャにおいてクレタ文明時のクレタ島やスパルタでゾナと呼ばれる一枚布の下着が着用されていたそうだけど、シルヴィアはヨーロッパと似通っていても違う世界。下着まで同じとは限らないか。
……ってちょっと待てぇ! ブラが無いってことは、この国の人間、つまり親衛隊員全員が……ヘレナとか、イーネとか、あのグレタまで……ええええええっ!?
「な、なんてこった……」
「顔真っ赤にして俯いてんじゃないわよ。さっきから変よあんた」
んー? とこちらを覗き込んでくるマリーの顔を(胸元を見ないように注意しながら)覆った手から逆に覗き見て一言、
「……とりあえず1個聞いていいか? 胸見せて平気なのお前?」
「え……あ……!」
今度はあっちが紅潮させる。なんだ、見せて平気なのレミィだけか。
「ど、どこ見てんのよこのスケベ!」
「お前が勝手に脱いだんだろ!」
理不尽なものを感じながら、振り下ろされるカカトがいやにゆっくりに見え、ああ、ズボンじゃなくてスカートだったらまだマシだったのにと思いつつ、ガード体勢を取った。間に合わないと思うが。
「いてててて……」
「いつまでも痛がってんじゃないわよ、ご飯がまずくなる」
「いやでも、カカト落とし額命中はきついぞ……?」
日が暮れ、夕食時。荷馬車の中でマリーと2人で食事を取っている。鎧を外し、額をさすりながら。
「だからその話はもう無し。謝ったんだし、いつまでもグチグチ言わないでよ」
「はいはい……」
もう面倒くさくなった。スープを口に運んで腹を膨らますことに専念するとしましょう。
ふと窓から空を見上げた。星々の瞬きはどちらの世界も同一らしい。天文学など受けてないから北極星の位置すらわからない俺に違いなど判別できないし。
「……ん?」
「どしたの?」
「いや、変な星があるなと……ほら、あの大きな2つの星」
一瞬月かと思ったが違う、なんか大きいし、第一2つ並んでいる。乱視ではなく、ちゃんと2つあるようだ。
「……変って、あれ双子星(ふたごぼし)じゃない。今まで気付かなかったの?」
「双子、星?」
双子星と言うと、2つの恒星が両者の重心の周りを軌道運動している天体のことか? にしちゃ大きさ同じだし、第一あんなでかい恒星2つもあったら今昼間だろ? じゃああれは恒星じゃないのか?
「昼も見える日あるわよ。たまに欠けてたりかたっぽ無かったり両方無かったりするけど」
「……それ、まんま月だな」
なんか呆れてしまった。やってることは月なのに増えている。似てるのか似てないのかはっきりしないな。
「あんたの世界にもあるの?」
「ああ。あっちは1つだけどな」
そう言うと、「……ふうん」とだけ言ってそのまま黙りこくってしまった。物思いにふけるその顔は、今まで見たことがなく、誰だかわからなくなってしまった。
「……マリー? どうかした……」
「……一人きりなんだ、そっちの子は。私みたいに」
「え?」
ふいに、なんの前触れも無く発された一言に言葉を失った。
「あの双子星ね、シルヴィア各地にいっぱい言い伝えがあるんだ。運命が選んだ魂の伴侶とか、離れ離れの2人もいつかはめぐり合い、寄り添う日が来るのを見守っているとか」
その言葉は、俺にかけられたものではなかった。自分自身に、自分に語りかけていた。寂しげに――悲しげに。
「……私にも、いるんだって、そういう人」
「……マリーにも?」
「うん。魂を2つに分けた伴侶。お母さんが言ってたんだ。あなたは1人じゃない、あなたと同じ魂を持つ人がいるって。魂が引き合って必ず会えるから、それまで希望を持って生きなさいって」
フッ、と笑って言葉を切った。腕を差し出してくる。
「――私の肌さ、みんなより色が濃いと思わない?」
「え? い、いやそんなことは……」
口では否定しながら、心の中では同意していた。
確かに濃い。というか黒い。あきらかに、というほどでもない為、日焼けかなと思っていたが、よくよく見ると違う。他の親衛隊員は白なのに、マリーだけ少し褐色が入っている。
心の中を読まれたのか、また薄く笑った。
「私のお母さんさ、カリータ人なんだよね」
「カリータ……?」
聞き覚えがある言葉だ。褐色黒目の人種で、シルヴィアに対してのテロ行為が1番活発な民だと聞いた。
「父さんはシルヴィアの人だったからまだ良かったけど、やっぱ風当たり強くてさ、村から仲間外れにされてたよ」
その辛辣な内容に愕然とした。あのあの明るい機械オタクの姿からは到底予想できなかった。自分の外面しか見ない目に失望しながら、続く言葉に耳を傾ける。
「村のみんなから嫌われて、阻害されて、それでも……母さん笑ってた。その言葉を言い続けた。いつか、あの双子星のように寄り添って生きられる日が来るからって。……結局、お母さんが逝っちゃってから何年も経った今も、会えてなんかいない」
あはは、と笑った。いや、笑ってなんかいない。通常の感情表現では表すことのできないなにか、それを表現する術を知らず、笑うことしか出来なくなっているだけだ。その笑顔に、薄ら寒い思いすら抱いた。
「そのあと、王都に出稼ぎに行ってた父さんが帰ってきて、王都に連れてってくれたんだ。そこで整備の技術を教えてもらって、隊長に拾われて……父さん、もっと早く連れてってくれればよかったのに」
残念ながら、最後の言葉の意味が理解できないほど馬鹿ではなかった。マリーの父は、村で妻子が酷い目にあっていると知っていながら放っておいたのだ。シルヴィア王都において、宿敵であるカリータ人の妻子がいるなどと知れれば自分も同じく迫害され、最悪職を失う。だから地方に置いておいた。そして、妻が死んだのを得たりとばかりにカリータ人とはわかり辛い娘を呼び寄せたのだ。
「隊長は良くしてくれるけどさ、はっきり言って親衛隊内でもあんまよく思われてないんだよね。みんななんとなくわかってるみたいでさ。ジェニスなんか生粋のシルヴィア貴族だから、余計だろうね」
そう言えば、マリーとジェニスは仲が良くなかった。性格的なものかと思っていたが、そんな事情があるだなんて。
「……ねぇ、一機」
「え……?」
声をかけられた。その声はとても儚く、風1つでも吹けば消え入りそうだった。
だがそれ以上に俺を震えさせたのは、マリーの瞳だった。何も見ていない。こちらに目を向けていながら、瞳の中には何一つ映っていない。無機質で、空虚――。
手がガクガク震えるのを止められない。寒気が全身を覆い、凍りつきそうだ。
「――魂の伴侶って、誰なんだろうね。どこに――いるんだろうね。なんで――会えないんだろうね。――お母さん、どうしてそんなこと言ったんだろうね――」
「…………」
何か言わなくては、と口を開こうとする。でも、無理だった。
凍り付いていたからじゃない。その資格が無かったからだ。
俺はずっと不幸だと思っていた。報われないと、満たされないと。
だが、この世界に来て知った。自分のどこが不幸なのだ?
嫌われもした。避けられもした。失いもした。だけど、それら全てを差し引いて余りあるほどのものを手に入れていた。手に入れることが出来た。積極的に行使しなかっただけ。要するに余裕だったのだ。
この世の地獄を味わった女に、天国の沼に足を突っ込んだ程度の男が語る舌などどこにある?
ただ俺は、その場に阿呆のように突っ立っているしか能が無かった。
――ちなみに、この同時期に、
荒れた大地にそびえ立つ山々の地下で喜々として機械の猛獣をいじくり回していた少女が山脈に響き渡るかと思うほど盛大なクシャミをしていたなど、この二人が知る由も無かった。
「……ん」
掛け布団の重みが感じられず、はっきりしない意識で右手を無造作に動かして辺りを探る。何かに手がぶつかった感触がして、それを引っ張ってみる。
「……あだだだっ!?」
なんかうめき声が聞こえた。空いた左手で眼鏡を探すが、それらしいものの感触は無い。
「ちょっと、なに人の髪引っ張ってんの!?」
「いでっ!?」
手を離され、はたかれる。それで意識がはっきりし、眼鏡がもうないこと、そして今掴んだのは掛け布団ではないのを悟った。
「いったあ……」
「痛いのはこっち! 寝ぼけてんじゃないわよ!」
「あいたた……ちょっと、電気つけてくんね? 掛け布団どっかいっちまって……」
「寝相悪いからでしょ。ったく、ちょっと待ってなさい」
パチリと電灯がつく。光が矢のように目を突き刺して痛い。ようやく慣れてくると、時計が深夜を指していることに気づく。
「あーあ、まだ夜中じゃない。こんな時間に髪引っ張られて起こされるなんて……」
「悪かったよ……ああ、あったあった。……ん?」
ふと妙なことに気付いた。なんかおかしい。
「……なあ、マリー」
「なによ」
「なんかさあ……傾いてない?」
「え?」
その言葉にキョロキョロ見回してみると、マリーも何かが変だと感じ取ったようだ。
調度品、荷物、窓から見える景色その他、妙にずれている気がする。なんか右肩が斜めに下がっているような感じもするし。
掛け布団が取れた理由も傾きで滑ったのだとすれば納得だが……何故にずれている?
まず落ち着いて昨日寝る前から思い出してみる。食事を取った後、ここらへんは魔獣が出没するから気をつけろとヘレナに注意され、注意しろってどうすりゃいいんだあのデカ物と思いながら崖っぷちにサジタリウスの移動車両と一緒に置かれた荷馬車に戻って……あ。
「……ま、まさか……」
機械のようにギギギギ……と振り返ると、マリーも同じ結論に達したらしく顔を真っ青にしていた。と、
ギギギギ、グァシャーン!!
「わあっ!」
「ええっ!?」
突然大地が割れたような振動と音が響いた。その轟音に思わず耳をふさぐ。
しばらくすると音も止み、静寂が包んだ。
「な、なんだったんだ今の……?」
「か、一機、あれ!」
俺より早く回復していたマリーが窓をさす。覗いてみて……絶句した。
「……な、なんだよこれは……」
これは、と言ったが別に何かあったわけではない。むしろ無かったのだ。サジタリウスを輸送していた輸送車両が。地面ごと。
明らかに崖崩れで車両が落っこちたのだ。
「あらら……大変だこれは。サジタリウス無事かな」
「多分大丈夫だと思うけど……でも輸送車はどうか……な……?」
ふらっ、と立ちくらみが来た。2人ともに。
違う、立ちくらみじゃない。なんか重力が斜め下から来ているような……って。
「あ……ひょっとして……」
マリーと顔を見合わせる。お互いの顔が自分自身の顔を映す鏡となっていた。やばい、と一言書かれた顔を。
ズッ、とまた傾いた。そろそろ立っているのが困難になってくる。
まずい、逃げろと体が警告しているのに動けない。マリーと一緒に「あ、あはは……」と乾いた笑い合戦しか出来ない。
ズズッ、と来た。ふわっと体が宙に浮いた。重力が無くなってしまったかのように。
しかし、それは幻想だった。
ガラガラガラァ!!
「「わあああああああああああああああああああああああーーーーーー!!!」」
落ちていった。荷馬車ごと。
目の前に泣き叫ぶマリーの顔があった。
「つ……いたたたた……」
腰や肩などに鈍い痛みを感じて覚醒した。目の前が真っ暗だ。体が重い。特に二の腕辺り……。
「…………」
状況の整理から行こう。確か荷馬車が落っこちて、叫び声を上げてたら崖にぶつかったのかガシャンガシャン揺れて、何か頭にぶつけたような……。うん。そうだ。それで気絶したんだきっと。そうに違いない。
それはいい。それは。だが……。
――なんでマリーが俺に覆いかぶさってんだよおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?
いやいやいや、冷静に考えればわかることだ! マリーも気絶して、たまたま俺の上に落ちてきた、たたそれだけ! うん、そうだ! 決して夜這いとか逆レイプとかそんなものでは……!
「う、うん……」
変な声出すなあああああああああああああああああああ!! 艶かしい声出してんじゃねえええええええええええええええええええええ!!
ああああ、動くな動くな! な、なんか二の腕辺りに奇妙な感触が……二の腕にはマリーの……マリーの……!
「…………!」
ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
こ、これは『円柱』発言は訂正する必要が……馬鹿ぁ! 何考えてんだ俺は!?
ていうかイーネにあんだけやられといてまだこんなんかよ!? 落ち着け、落ち着け! ヘレナやイーネに比べりゃ無いも同然ではないかこんなの! レミィ……はいい勝負かな……じゃないだろ!
ああああ、どうして俺はこう免疫が無い!? あいつにも保健体育の授業でそれらの話になって動揺を悟られないように顔を覆ったら「かわいいですね、うぷぷ」なんて嗤われるし、チクショオオオオオオオオオオオオオッ! 何でこんな目にぃ!
「ん、あれ……」
「あ……」
脳内がパニックに陥っていたら、マリーが目覚めた。すっごい気まずい。
「なんで……あんた……」
「あ、いや違う、誤解だ! なにもしていない!」
憤怒で歪み始めた顔から殺られると判断した俺は必死で弁解を試みる。と、その時、
「ギシャアアアアアアアアアアアッ!!」
「「……!?」」
耳を劈く叫び声に俺たち2人ギョッとして横転した荷馬車の上を見上げる。
「な、なんだ、聞き覚えがあるような……」
「魔獣!?」
魔獣、の言葉を理解する余裕を与えずマリーは1人荷馬車の外へ。俺も何とか追いかける。そこにいたのは……
「……げっ!」
そこにいたのは、猿のようなゴリラのような二本足で歩くケダモノ。だが、俺が知る猿は犬歯が鋭く尖っていないし、体中からの角のような突起を生やしていないし、第一15mちかくも大きくない。
しかし、それら全てよりもはるかに異様なのはその2つの目だった。暗闇の、視力が強くない俺にも十分わかるほど、巨大で、かつ、血のように、紅い。
「……ヒッ」
その真紅の瞳に見入られ、体が硬直した。まさに蛇に睨まれた蛙の如きその姿は見ていれば滑稽だったかもしれない。
長く爪が伸びた巨大な手が振り下ろされるても、何もできなかった。逃げることも、断末魔の悲鳴すら上げられなかった。
「なにやってんのこの馬鹿!」
ぐん、と体を引っ張られた。そのすぐ後に、さっきまで俺がいた場所に魔獣の腕が叩きつけられた。一瞬でも遅れていたら、俺はペシャンコに潰されていただろう。
「ボケっとしてんじゃないの、死にたいの!?」
「え、あ……」
気が付くと、俺はマリーに引かれるまま走っていた。マリーの瞳には怯えや恐怖は感じられない。自分がものすごく矮小な存在だと宣告されているようだ。
「お、おい、どこ行く気だ!?」
「このまま魔獣に殺されるのを待ってる気!? 迎え撃つのよ、あんたが!」
まったく予測していなかった指名に愕然した。自分に何ができるというのか。指先1つ震えさせることもままならなかったのに。マリーのほうがよっぽど適任だ。
「馬鹿言うな、俺にどうしろって……」
「あった!」
足を止めた先にあったのは、グシャグシャに潰れ、バラバラに砕けた輸送車。そして……
「サジタリウス……そうか、これなら……!」
「早く乗って! 来る!」
魔獣の地鳴りにも似た足音がどんどん近付いてくる。揺れに足元を掬われながらも必死の思いで取り付いた。
「大丈夫なのか!? あんだけ高いとこから落ちて……!」
「……大丈夫、問題ない。早く!」
「お、おう!」
ちょっと見ただけで判断したマリーに不安を抱きながらも、言われるままサジタリウスに乗り込む。マリーも一緒に。外にいたら危険だから当然だが。
コクピットに座り、シートに備え付けのベルトを締めて精神を集中させる。
「転身、開始……!」
視界がぶれて、サジタリウスのコクピットから外の崖下へと景色が変化する。と、そこに魔獣が。
「う、うわっ!」
突然のことに対処できず、モロに体当たりを食らう。
「がっ……!」
腹に鈍い痛みが走った。サジタリウスの重量は生物の激突ぐらいではビクともせず、ひっくり返されることは無かったが、衝撃は十分すぎるほど来た。
「きゃあ!?」
耳元でマリーの悲鳴がした。転身中はコクピット内部の姿を見ることができない。
「耳元で騒ぐな! くっ、また!」
また魔獣が突っ込んできた。今度は受け止める。
「ぐううううう……」
力比べではやはり重量で勝るサジタリウスのほうが上だ。徐々に押していく。自分の力ではないとわかっていながらも、優越感が生まれていく。
「よし、このまま……ぐっ!?」
いきなり横っ面をぶん殴られたような衝撃が来た。魔獣の手はこっちが押さえている。殴れるはずが無い。
「馬鹿な……どうして……」
攻撃されたほうを振り返って、目を見開いた。
そこには、今押さえつけている化け物と同様の姿をした化け物が。
「仲間がいたのか……? ぐわぁ!!」
また衝撃。今度は後方から再びイレギュラーな攻撃だ。
「敵は何匹いるんだよ!」
首を振って周囲を見回す。1、2、3、4……5匹!?
「5対1かよ、冗談じゃ……だっ!」
気を取られている隙に体当たりが直撃した。しかも2匹。ダメージは一匹の時とは2倍以上で、一瞬呼吸が止まる。つい手を離してしまった。
「まずい……これじゃ46(フォーティシックス)が使えない……!」
46cm砲は長距離戦専用の武器。こんな近距離じゃ背中に背負ってて邪魔なだけだ。ましてサジタリウスは46cm砲が全てのMN。接近戦は最初から考慮されておらず、その重量と背中のバックパックで格闘はほぼ不可能だ。
「離れなくちゃ……どわっ!?」
ガシャア!!
背中に強い一撃を食らった。またしても体当たり、それも今度は魔獣一団となって突撃したらしい。前のめりに倒される。
「があ……!」
ドシン、と激しく打ち付ける。重量が今度は仇となり、全身に電気が通ったような鋭い痛みが走る。
「く、くそ……うお!?」
背中に激しい衝撃が走り、まだ痛みが続く身に更なる追い討ちをあげる。魔獣たちが伸し掛かって蹴りつけているらしい。
――伸し掛かって、蹴りつけられて……
ふと、デジャブを感じた。
心の奥底に厳重にしまっていたなにか、ドアの中に放り込んで鍵をかけ、鎖で巻いて二度と開けられないように閉じ込めていたなにか。
それが、そんな鍵など何の役にも立たないよ? と嘲笑うかのように簡単に開き、そして飛び出していく。
すぐに俺の全身にまとわりつき、覆い尽くしていく……。
『ははははは、あーはっはっはっはっは……』
『お前はこのクラスのクズだ! 死んじまえっ!』
『バーカ、はっはっはっはっは……』
「あ、あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
危険だと思った。倒されたサジタリウス操縦席の中で操縦席に縛られ宙吊りになった一機を仰ぎ見る形になりながら唇を噛んだ。
サジタリウスを修理してきた私にはわかる。サジタリウスは格闘には向いていない。というより格闘戦を考えずに作られた機体。あの巨大な大砲を運用するのみのMNで、それ以外ではほぼ無力なのだ。
そんなこと一機を乗せる前からわかりきっていたこと。それでも、あの時は他にどうしようもなかった。6連機関砲や中口径砲、小型連射銃も積んでいるのでなんとかなる、最悪倒せなくてもこの重装甲が破られることは無い。隊のみんなが来てくれるまで持ちこたえることができれば、と思っていた。
でもまさか、押し倒されるとは。こうなるとどうしようもない。サジタリウスの背中の武装収納庫はかなり重く、これを上にされたら自力で起き上がるのはかなり困難。一方的にやられるだけだ。
どうすんのよ、と聞こうとしたら……一機が絶叫した。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「な、なに!? どうしたの一機!?」
こちらの声などまるで耳に入っていない。ただただ常軌を逸した叫びを上げるのみ。魔獣のようでいて、魔獣よりはるかに狂気に満ちた咆哮を。
ふいに、ガクンと機体が揺れた。攻撃を受けたのかと思ったが違う。倒されたことで横になった操縦席が正常な位置に戻ろうとしている。それは、自分が座っている場所がずれて操縦席に寄って行くことにも繋がっていた。
――嘘、立ち上がっている!? どういうこと!? ……転身、開始!
MNの操縦席には窓などの直接周囲を見れるものは無い。操縦者はアマダスを介して転身し擬似的に視神経をMNに接続しMNの視点から周囲を見回すためである。そのため、同乗している人間には周囲を知る方法は無い。
だが、操縦者が転身している時なら、その視覚内容を同時に見ることができる『同時転身』が可能である。ただしこれは操縦者の見ているものを同時に見るだけで視覚の自由は利かず、また操縦も不可能である。まあ自分にはMNを操縦する力は無いが。
そして一機の、サジタリウスの視界を手に入れた私は状況の確認に勤めようとした。だけど、自分の目の前の出来事に呼吸が止まるかと思ってそれどころではなかった。
立ち上がろうとしている。ゆっくりと、確実に。自力で立ち上がれないはずのサジタリウスが、手を地面につけ、膝を曲げて、静かに、確かに……。
「どうして……」
さっきまで攻撃をしていた魔獣たちが後ろ足に引いていく。本能だけの化け物の瞳には、明らかに『恐怖』があった。
「ああああああああああああああああああぁぁぁぁっ!!」
思考はケダモノの咆哮によって中断させられた。完全に立ち上がったサジタリウスが、両腰の小型連射銃に手をかけた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
ババババババババババババババババババババッ!
2丁の小型連射銃の音色と薬莢が飛び散る様は、軽快でまるで大きな都市の祭のようでもあった。
だけど、祭では肉が引き裂かれ、血があたりを飛び交うことはあるまい。
数秒の間で大量の銃弾を浴びた魔獣は肉が千切れ飛び、血がとめどなく流れ、泣き叫ぶような悲鳴を上げた。
「右ガトリング砲、左15.5センチ砲旋回! 撃てぇ!!」
一機の意思に従い、サジタリウスの両肩の武装はお互い別の敵に照準を向け、同時に発射される。
ガガガガガガ、ガガガガガ!
ゴゥン、ゴゥン!!
片方は小さい穴を際限なく開け肉を2つに分け、もう片方は猛獣の肢体を簡単に貫き爆発させ宙に肉の雨を降らす。どちらもものの数発で動かなくなるが、それでもなお撃ち続ける。
目の前で繰り広げられる文字通りの血祭りを見ていられなくなり、転身を解除する。自分の肉体に意思が戻った。
「もうやめて一……機……」
言葉は続かなかった。一機の瞳に、戦うその姿に気圧されてしまった。
瞼は限界まで開ききり、瞳孔は血走っていた。犬歯をむき出しにして、額には筋が大量に立っている。
痛みに泣き叫ぶ魔獣とこの男、どちらがケダモノだろうか。
「一機、もう止めて、これ以上……」
「笑うな……」
「え?」
「笑うなああああああああああああぁぁぁっ!!」
何かが爆発したかのような音がしたかと思うと、ぐんと一気に後ろに引っ張られ、操縦席の壁に叩きつけられた。痛みに顔をしかめていると、また強い振動が操縦席内に走る。何かに激突したようだ。
「きゃあ!」
とても立っていられず、床に倒れる。頭がクラクラする。
「一機、落ち着いて、ちょっと待って……」
ガン、と鈍い音がした。また1回、1回と定期的、断続的に続く音と何かが潰れるような音が。おそらくサジタリウスが魔獣を殴りつけているのだろう。
「聞いてよ、一機、やりすぎだって……」
「誰が馬鹿だぁ!」
何の脈絡もなく突然出てきたその言葉に、一瞬あっけに取られる。
「誰がクズだぁ! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって! ふざけてんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
私はやっと悟った。一機は今私の声を聞いていない。いや、魔獣と戦ってすらいない。一機が戦っているのは、牙を振るっているのはもっと別のもの、心の中に潜む、もっと違うなにか。
「貴様らに! 馬鹿にされるいわれも、愚弄されるいわれもねぇんだよ! どいつもこいつも馬鹿共が! 貴様らのほうがよっぽどクズだろうがぁ!!」
怨嗟の言葉を吐きながら、殴り続ける。多分魔獣はもう絶命しているだろう。そんなこと関係ない。一機が殺したいのは魔獣なのではないのだから。
「笑うんじゃねぇ馬鹿にすんじゃねぇっざけてんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ギリリ、と肩の武装が旋回する音がした。それも2つ。
6連機関砲と中口径砲の照準が向けられたのだ。
バババババババババババババババババババババババッ!!
ガガガガガガガガガガ、ガガガガガガガガガガガガガ!!
ゴゥン、ゴゥンゴゥンゴゥンゴゥン!!
サジタリウスの白兵戦用火器全てがたった一匹にむけて火を噴いた。
操縦席の中では見えないが、魔獣の肉体は原形などまったく留めていないだろう。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
荒く息を吐きながら、脱力した一機は、そのまま眠るように気絶した。
「一機……」
操縦席の狭い密室で、壁に背中を預けて一機と寄り添うように横になっていた。疲れた一機は眠り続けている。寝顔は穏やかなもの。さっきまでと同一人物とはとても信じられない。
「……なんで、話したんだろう」
一機に自分の過去を話したのは、全然考えもせずとった行為だった。口からこぼれるように言葉が紡がれていき、話した後すぐ後悔した。
過去を話すのは好きじゃない。変に同情されてもやり辛いだけ出し、励ましや慰めの言葉を投げかけられても困るだけだ。ましてや、魂の伴侶の話なんて冗談じゃない。きっと会えるよなんて無責任な言葉は聞きたくなかった。
にもかかわらず、会ってそれほど経っていない一機に親衛隊の誰にも話したことのないことをあそこまでベラベラ喋るなんて、一時の気の迷い、なんらかの事故としか言いようがない。双子星の魔力がそうさせたのだろうか。
「――双子星の魔力、だって。馬鹿みたい……」
自分らしくない言葉に、思わず笑いがこぼれる。
シルヴィアのカルディナ神も、母が祈り続けていたアルガルフの神も信じてはいない。10何年も村で迫害され続けたのに、いくら祈っても何もしてくれなかった。死ぬまで祈り、願い続けた母なのに、命でダメなら何を捧げろというのだろうか? 神様は。
母が死んだあの日、母とは違う生き方をすると決意した。祈ったりなんかしない。願ったりなんかしない。全て自分で行う。自分の力で、手に入れる。それが、あの迫害され続けた日々で得た唯一のもの。
「……一機も、そうなのかな。ひょっとして……」
ひょっとしたら、一機に喋ってしまったのは、自分と似た何かを感じたからかもしれない。世の中から否定され、隔絶され、何も信じられなくなった――自分と、同じものを。
「――ねえ一機、あんたは――いったいなにを抱えてるの――?」
深いまどろみの中を漂い眠り続ける一機に問いかける。返事は無論返ってこない。
きっと、起きていても反応はこれっぽっちも変わらないだろう。断言できる。結局意地っ張りなのだ。この男は。
「……大丈夫かな。このままサジタリウスに乗せておいて」
とりあえず一機の心の闇は後にして、当面考えなくてはいけないのはそっちだろう。あのときの一機は正気じゃなかった。今回は味方が誰もいなかったからよかったもののもし密集戦などでまたあんなことになったら収拾が付かないのではないか。隊長に相談して降ろすべきではないだろうか。
「……まぁ、大丈夫よね。あの小心者の一機に、そんなことできるとは思えないし」
よっこらせと一機の隣に寝転がる。疲れた。眠い。
言わなくていいと思ったのは一機にできるわけがない、と思ったのも1つ。
だけどもう1つある。見てみたいと思ったのだ。手塩にかけて修復したサジタリウスが、一機によってどんな存在へと変貌していくのか……恐れと共に、好奇心がくすぐられているのを自覚していた。
――後に、マリー・エニスは、
このときの判断を死ぬほど後悔することになる――。
「う〜む、今回はマリーが大変だったな。落ちるは魔獣に襲われるはとは……いや、それよりも男と始終一緒にいたということのほうが大変だったろうな。隊長も辛い命令をなさる。どうしてあんな奴と……あ、これは失礼。世はシルヴィア王国騎士団親衛隊隊員、ライラ・ミラルダと申す。次回は双子看護姉妹の1人、ナオ・ローラグレイが主役らしいな。一機に頼みごとをするそうだが、あのナオが頼みごと……大事件にならなければいいのだが。次回、サジタリウス〜神の遊戯〜 第8話 『小悪魔賛歌』を頼み申す……ずいぶん抽象的な予告だな。何も決まっていないのが見え見えではないか」
to be continued……
――第8話――
思わず彫刻刀を握る手が止まった。下校時間になりかけた高校の美術室に突然響き渡った奇怪な着メロの音を聞いて顔をしかめる。
最近流行りのアキバ系アイドル、ラピス・ラズリの『魔女っ子♪ ジェノサイド』だ。タイトル聞いたときはひっくり返るかと思ったぞ。
自己申告学年小学○年生、実際20歳以上(これは俺の勝手な推測。身長は確かに小学生っぽいが)のロリ系女子がチャチなアニメに出てくるような魔女服(なぜかフリルたっぷり)に身を包み箒を振り回しながら脳神経に触る意味不明――いや、わかるだけ腹立たしい――の歌を歌って踊って観客をぶん殴るという……まあ、そっち系の歌手である。
テレビでコンサート姿を見て一目で嫌いになり、街中で流れるだけでムカつくように。こんなのがミリオンとったんだから日本は終わりだ。コンサートで箒でボコボコにされて喜んでるオタクマゾの姿を見て本当にそう思った。
音の先を殺意をこめた目で睨みつける。すると、音の主は視線に気づいたが、逆にこちらを見てせせら笑った。いいや、最初からこっちを見ていた。俺がこの曲嫌いだと知っていてわざと流したのだ、あいつは!
始まりは一ヶ月ほど前、教室で流れたこの曲の着メロ(こいつの携帯じゃない)を聞いて苛立ちをあらわにしたら、見ていたらしく速やかに事情を察知、それから度々あいつの携帯が鳴るように。あいつにそう何度も連絡を入れる交友関係にあるものがいるとは到底思えない。なによりこっちが腹立っている様を眺めるその顔! 絶対自分で鳴らしてるんだあいつは!
「ちきしょう……いや、ここで集中力を乱したらダメだ。明日に間に合わない……って、もう出来てるか」
すでに目の前に置かれた板は『完成』と呼ぶ段階にたどり着いていた、と思う。美術教師に見せなければ完成にはならないため、まだ油断できぬのだが。
絵の具が乾いていない板を、指で触らないようにウエイトレスのような持ち方で美術教師の下へ運ぶ。年配の(50越えした)女教師はやっと合格を出した。ホッとしたよもう。何度も何度もここ彫れとかここ色変えろとか言われて、さらに勝手に彫ったりして閉口してたもんな。力入り過ぎだって。まあ、俺が他の連中と比べてまともにやってたのが嬉しかったのかどうか知らんけど。
挨拶をして、美術室を出る。下校時間の校舎内には、普段とはちょっと違う声がした。自分より1年後輩の1年生の声だろう。まだ春に入ったばっかりで、この高校を諦めてないものたちが必死に作業をしているのだろう。文化祭の。
そう、明日はこの高校の文化祭。どの高校も大抵はやっている(というか、全部か?)行事の1つだ。無論この高校にも存在する。
――ていうか、存在“した”かな。来年は無くなるって聞いたし。
何故無くなるのか。答えは単純。やる奴がいないのだ。この高校では3年に一度文化祭を行い、それ以外の年はミニ文化祭と呼ばれる小規模な文化祭を行う。だが、そのどちらにも積極的に参加する奴が実に少ない。ていうかいない。去年もこの時期、文化祭だと言うのに生徒は誰も何もしようとせず、日常通りの高校生活(あくまで燃余高校の、であるが)を過ごしていた。呆れたねこれには。ま、俺もそうだけど。
この板の彫刻も文化祭の1つであった。美術の展示品である。どうして文化祭明日なのに作ってたかって? 俺が遅れたからに決まってんじゃん。あいつに「毎度毎度スロースターターですね貴方は」なんて笑われたが、それは筋違いの答えだ。俺は最大出力を出すのに充電する必要があるだけ。……ダメだ。それがスロースターターってんだよ。
帰り支度をしながら時計を見る。午後4時半。普通の下校時刻だ。
「うわあ……六時間ぶっ通しか。随分かかったなどうも」
今日は午前に美術の授業(というか作業)があったが、その後は文化祭作業ということで授業が潰れていたのでそのままやり続けた。授業が終わったらすぐさま帰っていった声がかなり聞こえたっけ。
帰り際に美術教師が団子を1つくれた。昼飯すら取ってなかった身に甘い団子はかなり沁みた。丁重に礼を言って退散していった。
「ふう……やっと終わったよ」
美術授業の度にこうだった。さすがに平時は午後までなんて不可能だが、昼休みは潰した。遅れを取り戻す必要があったし、別に昼なんぞ食わなくても平気だ。
学校から出て、大通りに入る。意外とこの高校は駅に近いのだが、外れに位置するのと評判の悪さで入学希望者は減る一方だとか。
帰っても何もすることが無いので、本屋に行くことにした。近くに小さい本屋がある。
「さてと、何か本あるかな……って」
平積みされている本に眉をひそめる。そこには『諌拿(いさな)先生最新作! 本日発売!』とあった。
諌拿とは最近人気の小説家だ。と言っても、年齢は60過ぎだとか。覆面作家で公式の場に出たことがないから本当かどうかはわからないけど。
この作家、あんまり好きじゃなかった。別に何か因縁でもあるわけでもないし、作品が嫌いなのでもない。ただ、文体と言うか書き方が珍妙過ぎるんだ。馬鹿を莫迦としたり、詳しく説明すると長くなるが、とりあえずそんな感じ。見ていて頭が痛くなるので読み続けられない。まあ、短編は良かったけどさ。単に俺が子供なだけだろう。
気が滅入ってきたので、本屋から出ることにした。駅前に戻る。
「……ん?」
ふと足を止めた。ビルの壁にデンと設置された大型ビジョンにニュースが映されている。原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律、略称被爆者援護法の不備による、日本政府への要求を被爆者の会が流していた。
「……変なの。交通事故で怪我した子供が酔っ払い運転した対向車庇って、同乗して怪我した父親に責任追及するみたい」
さっきまで少しながら感じていた達成感や充実感が一気に冷めた。実行犯を善人とし、同属の被害者を悪党としてリンチにかけているのが普通なのだから本当に変な国だ。
「……今更言ったって仕方ないと思うけどさ」
無視して帰路に戻った。第一この国は自国を悪く言えば聖人君子の知識人、良く言えば異常者として廃絶されるのが60年間の常識だった。今いる知識人はほとんどそのタイプだ。まともな思考ができる人間は上には行けない。なにが言論の自由だ。そんな国に何か求めるのが馬鹿というもの、か。
また声が聞こえた。春に兵庫で起きた脱線事故のニュースだ。知ったのは1月くらい前だけど。あいつに「……時代遅れにもほどがありますね」と馬鹿にされた。確かにあれはまずかったと俺でも思う。ニュース全然見ない弊害だあれは。
歴史や雑学にはそれなりの自身はあるが、時事は全然。中途半端極まりないな俺は。
「……そんな俺が、なんで世界のことなんて教えてるんだ……?」
「……どうかした?」
「いや、別に……」
嘆息をつく。テーブルの向かいに座っているナオに少しかかって髪が反り返る。テーブルに置かれた紙と筆が揺れて転がった。
只今宿舎自室にてナオと二人で勉強中。
教師はもちろん俺である。
サジタリウス〜神の遊戯〜
第8話 小悪魔賛歌
「うう、うううう……」
ベッドで呻いていた。体の節々が痛い。
一昨日、崖に落ちて魔獣に襲われた際、サジタリウスを動かしてからこうだ。筋肉痛なのかどうかは知らんが、とにかく体中が痛い。おまけにバテている。疲れが取れない。昨日やっと地方都市に着いたので、ベッドで休んでいるわけだ。痛くて痛くて休めないけど全然。
「何で俺がこんな目に……」
一昨日のこと、実はあんまり覚えてなかったりする。
サジタリウスに乗ったはいいものの、魔獣に倒されて叩かれているとこまでは覚えている。でもその後がさっぱり。居合わせたマリーに聞いても言葉を濁しちまうし、わけがわからん。
ただ……あの時を思い出そうとすると、不思議な思いに囚われる。
快楽なのか、苦痛なのか――。
幸福なのか、不幸なのか――。
愉悦なのか、憎悪なのか――。
混沌とした感情が渦巻き、脳内を黒く染め上げていくのに耐え切れず、思い出すのを止めてしまうため、結局何も分からない。仕方がないか――。
と、そこにノックの音がした。俺に用があるとすればヘレナかイーネか……もしくはマリー?(他のやつは俺の部屋に近付きさえしない)やっと話す気になったのか? 「入っていいぞ」とだけ言う。扉は最初から開いている。鍵締めることすらできんからな。……トホホ。
「……話せる?」
「――え?」
扉を開けて入ってきた人物。とても信じられなかった。
そこにいたのは――ナオだった。シルヴィア王国騎士団親衛隊所属、看護兵ナオ・ローラグレイ。そのシニヨンヘアーといいお人形さんみたいに起伏のない顔といい、ナオなのは間違いないのだが、どうにも信じられなかった。
ここに――シルヴィアに来てから半月ぐらい経つが、ナオと話したことなど一度もない。正確には姉のミオと一緒に来たりしたことはあるが、その時ナオは終始無言だった。そういえば、声を聞いたこともなかったりして。やっぱミオと同じだ。音程は低いけど。
「……話せる?」
「あ、ああ、いいけど……」
部屋の中へ招く。と言っても体中痛くてまともに動けないから起き上がるのが精一杯で、ナオがこっちに来るだけだが。
「……調子は?」
「え? ああ、大丈夫、まだ体の節々痛いけど、これくらいなら問題ない」
「……そう」
一切感情の篭っていない声がかけられた。表情から何も読み取ることができない。真っ白なキャンバスでも見てる気分だ。
「ど、どうしたの?」
正直困っていた。なんだか知らないけど、早く帰って欲しい。こういう無口系は苦手だ。と言ってもヘレナのような熱血系も苦手だし、グレタのような堅物もちょっと。イーネはなれなれしくてなあ。マリーのようなお気楽娘もなんだか……そうだよ。全員苦手だよ。
しかし、こういうタイプは一番困る。掴みどころの無い不思議系はゲームなどで楽しむ分はいいが、実際付き合う人間としては辛い。昔からどうも俺は人を引っ張っていくタイプではなく押されるタイプだと思っている。どっちかと言うと人についていくのが好きなのだ。こういったタイプはそんなレベルの話ではなく、なお一層めんどくさい。
そんなこと考えてたら、じっと睨まれた。いや、見つめられたの方が正しいか。目には悪意の類は感じられなかった。いや違うな。悪意どころか、何も感じられない。目の前にいるのが人間とは信じられず、精巧なビクスドールだとしたほうがよっぽどしっくり来る。
「……忙しい?」
「へ? ……い、いや、別に忙しくなんか無いけど?」
そう言ってから、しまったと思った。ヘレナから特訓でも命令されてるとでもして追いだしゃ良かった。でも、それはできない。さっきの無機質、無感情な目で見つめられると嘘なんか全然つけなくなる。全てを見通すような澄んだ瞳。清水に姿を映したように、自己をありのまま出すのを余儀なくされる。
今、恐怖を感じていた。幼少の頃いじめられてた時、アマダスに触れた時、魔獣と遭遇した時、それらとは全然別個の恐怖。自らの虚飾を全て剥ぎ取られ、真の姿を露呈されるかのような恐怖。
それは、虚言と自己欺瞞でしか出来ていない自分にとっては致命傷的暴行行為以外の何者でもなかった。
「あ……ああ……」
「……どうしたの?」
フッと現実に戻る。目の前にナオの顔があった。その瞳に訝しげなものを感じて、心の動揺が収まりだす。
「へ!? あ……だ、大丈夫、問題ない……」
「……ならいいけど」
そう言って目をまた無機質なものにして、俺から顔を逸らした。そこでやっと呼吸がまともにできるようになり、深く安堵した。
――なんでここまで動揺してんだ、俺は……!
どうしたんだよ、相手はただの子供じゃないか。そこまで自分に言い聞かせたところで、俺はそれにNOと答えた。
こいつは子供じゃない。ただの子供なんかじゃない。上手く言い表せないが、本能がそう告げていた。敵に回すと危険だ、とも。
「それで、どうかしたの?」
勤めて明るく、作ったことなどほとんどない笑顔で笑いかけた。そしたら気のせいか視線が冷たくなったような。やめてくれ、似合わないことは分かってる。
「……お願い、あるの」
「……お願い?」
「……お前の世界のことを教えてくれ、だと?」
「そうなんだよ。なんでそんなことを……」
数時間後。食事時。動けないのでヘレナが持ってきてくれた。んで、一緒に食事する合間にナオの話を少々。
「何を教えるんだ。医術か?」
「んなもんわかんないよ。何でもいいってさ。俺の世界のこととりあえず色々教えてくれって。意味わかんないよ。そんなの知ってどうすんだ?」
スープを啜りながら、ナオへの疑問をぶつける。ヘレナに言ってもしょうがないのはわかってるが、とりあえず不安なのだ。俺はナオを恐れている。その異質さが怖い。それをなんとか払拭したいのだ。
「さあ……な。私もナオのことはよくわからないのだ」
しかし帰ってきたのはなんてことない言葉だった。まあだいたい予想していたが。明らかに不満そうな俺の顔を見て、ヘレナもカチンと来たらしい。顔が染まった。
「なんだその死んだような目は! そんなことでいちいち騒ぐな! お前の世界のことを教えるくらい、いいではないか!」
しまったと感じた。ちょっとジト目し過ぎた。そんなこと聞きたいんじゃなかったのに。
「明後日には出発できるから、それまでナオの教師でもなんでもしてろ! 帰るぞ!」
言うだけ言って、足を踏み鳴らし出てってしまった。残ったのは中途半端に食われた昼食と呆気に取られてる俺のみ。
――俺今、すっごいアホになっているかもしれん……。
「――んで、今のとこ大陸は全部で六つ。ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、南極大陸、オーストラリア大陸だな」
「……一機の国があるのは?」
「俺? 俺の国はユーラシアの外れにある小さな島国だよ。唐辛子みたいな細っそいの」
「……ほっそい……」
――うう、ダメだ完全に無反応。
で、結局教えてます。二人でテーブル囲んで授業中。授業なんて呼べるものじゃないけど。教える内容はもう本当に無差別というかなんというか、とにかく手当たり次第である。ナオが質問する内容に俺が答える、そしたらナオが別の質問をする、これを繰り返している。うう、エミーナの父ちゃん思い出した。
この問答、二回目だが結構きつい。しかもエミーナの父ちゃんライノスはリアクションが激しくてまだ良かったが、こいつときたら何を言っても無反応。もう無口な魔法の鏡と話してるみたい。何か言ってくれ怖いんだよぉ!
「……何泣いてるの?」
「え!? 俺泣いてた!?」
あわてて目の周りをゴシゴシ拭う。しかし、いくらやっても涙と推測できる水系物質は確認できない。
「……ううん。泣いてないよ」
「へ……あ!?」
――ひっかけられた!?
唖然とした。ひっかけられたことより、ナオがひっかけるようなことをするなんて、と。
「お前……」
「………………………………フッ」
「……!?」
一瞬、ほんの一瞬。まばたきでもすれば見逃した一瞬、笑った気がした。楽しそうにではなく、嘲ったようにだけど。
「……なんか、あいつみたいに笑うんだな」
「? あいつ?」
「……あ」
つい思ったことが出てしまった。怪訝そうな顔をしたような(表情変えないので勝手な推測だからような)。
「あいつって?」
「ええと、その……」
ああ、ダメだ、この目で見つめられると無理……。
「……あっちでの高校――教育施設だな。そこでの――顔見知り? だよ」
「……顔見知り? 顔覚えてるだけ?」
「いや、何度か話したけど……」
「……顔見知りじゃないじゃん」
「……だよな」
なんだそりゃみたいな顔をされた気がする。確かに変だよな。しかし他に形容できんのだ。友達と言うほど親しくなかったし、かといって他人ではないし、う〜ん……どう言うんだろうな、あいつって。
「……恋人?」
「な!? じょ、冗談じゃない!」
首と手をブンブン横に振る。恋人? あの変人と? 馬鹿言え、それだけは絶対あり得ない! 真顔で○○○○だの××××だのぬかす女なんかと付き合えるか!
「恋人?」
「だから違うって……!」
「じゃあ……愛人」
「は!?」
思わず仰け反った。慌てて手ついたから倒れなかったけど。言うに事欠いてなんだこのガキは!?」
「――はっ!?」
その時、ナオの目を見て、さっきのように嘲ったように笑うその目を見てすべてを悟った。何故こいつが苦手なのか。
――ナオの奴あいつにそっくりじゃねえか!
話は簡単。俺はさんざん馬鹿にされ弄ばれていたあいつの影を持つナオに怯えていただけだったのだ。久しく会ってないから免疫力が下がっていたのだろう。ほぼ毎日会っとったし。――いや、あいつに免疫なんかないか、俺。
そこまで来て、俺はナオの裏側を見た気がした。掴みどころの無い不思議系? どこがじゃ。そう見せかけてるだけの悪戯好きの小悪魔系ではないか。無口と無表情は、恐らく全てポーズだ。あいつと付き合った2年近くは無駄じゃなかったか。……こんなんで役に立っても全然嬉しくないが。
「……何笑ってるの?」
「……笑ってた? 俺」
「……うん」
「……まあ、いいから続けよう」
話を逸らすことにした。「あ、逃げた」と聞こえたような気がしたが無視無視。聞かなかったことにしよう。
なんか懐かしいような気分になった。あの図書室に戻ってきたみたいだ。
「あたたたたたた……まだ体戻ってねえな……」
翌日の朝。俺は食堂に向かっていた。まだ節々が痛むが、まあリハビリと言うやつで、今日から歩いて食堂で食べることに。
しかしどうも周囲の隊員の視線が体以上に痛い。「仮病なんかしてんじゃねえよ、こいつ」と言ってる目で睨んできてくる。さすがに3日間この調子だと疑われるのが普通かもしれん。しかし本当に痛いんだからしょうがないだろ。まあこいつらは1日目からこの視線だったが。ミオとナオも本物だって言ってるのにこの有様。立場低いな俺って……泣けてきてより体中が悲鳴上げてくる。悲鳴上げたいのはこっちだっての。
「あらあらまあまあ。大丈夫ですかカズキン」
「……カズキンは止めろって」
後ろから声がした。カズキンの一言でわかっていたが、振り返るとそこにいたのはミオだった。やはりミオとナオ似すぎだ。ナオ見慣れた目でニコニコ笑ってるこの顔見るとすっごい違和感。
「まだ体痛いんですね。またお茶飲みます?」
「ああ、貰おうか」
お茶ってのは、なんか良くわかんないけど漢方薬みたいなのらしい。あっちにあった人参茶とかそういう類の。西洋風のここでそんなお茶飲まされるなんてと少々驚いたが、飲んでみると意外と痛いのが抜ける。ただ、全然美味くないんだよな。飲めと言われりゃ飲むけどさ。あーココアが懐かしい。
「はい、どうぞ」
「どうも……ああ」
渡された茶の匂いを嗅いだだけで顔をしかめてしまう。なんか築百年の校舎の古漬けみたいな変な匂いすんだよな。わけわかんないけど、実際そんな感じ。味は……これきっと木の皮とかだぞ。図画工作の味がするんだけど。
「また変えた?」
「ええ。今度はクルメンを多めに」
「だからどんな材料なんだって……」
「あらあら」
まただよ。材料聞いても笑うだけなんだよな。無理矢理濁されちまって……どうもナオ同様ミオも裏を持っている気がする。
――考えすぎか。
まさかと思って考え直す。いくら姉妹ったって、そこまで似ることないだろう。ていうかそうでなきゃ困る。あいつが3人になるなんて冗談じゃねえ。
「ところで……聞いていいですかカズキン」
「……何さ」
茶を渋い顔をしながら飲んでたら、ミオが言いにくそうに話しかけてきた。なんだ改まって。
「ナオのことですけど……あの子カズキンの部屋に出入りして、何してるんですか?」
「……へ? 聞いてないの?」
「ええ。「別になんでもないよ」って言うばかりで」
キョトンとした。そんな隠すことでもなかろうに。なんでわざわざ……。
「まあ、確かに大したことじゃないけどさ。俺の世界のこと教えてくれって。良くわかんないけど」
「はあ……」
納得してないような顔をされた。そりゃそうだ。俺だって半信半疑だもん。
「病み上がりに大変でしょう。あの子変わってるから……」
迷惑かけてるかと思ったのだろう、心配そうに聞いてきた。だから、安心させる気でこう言った。
「いやいや、だいじょぶだいじょぶ。痛さも抜けてきてるし、こっちも楽しくやってるよ」
楽しく、というのは言いすぎだが、実際最初感じてたやり難さはもうない。苦手意識の正体がはっきりしたせいだろうか。辛さは無くなり、なんだかノッてきたって言うのか。気分良くやらせてもらっている。
しかし、安心させる気の言葉が起こしたのは予想外の反応だった。息を呑んで目を見開いている。
「ど……どうしたの?」
「えっ、あっ、い、いいえ、なんでもありませんよっ。あらあらあらあら……」
明らかに動揺していた。笑って誤魔化そうとしてるが上手くいってない。人の顔色には疎い方だが、作り笑いなのが目に見えた。
「そ、それじゃ、ミオはこれで。失礼しました〜」
「あ、おい!」
そそくさとその場を立ち去っていった。やばいと感じたのだろうか。何だってんだよおい……。
「……じゃあ、サジタリウスみたいなのがいっぱいあるの? 一機の世界」
「いや、もう巨大砲は前世紀の遺物だな。今はミサイル主体の長距離誘導兵器の天国だ」
「……ミサイル?」
数時間後。ナオとの授業中。
なんかもう、本当に無差別になってきた。今度は兵器学だよ。そんなもん知ってどうすんだこいつは?
「……シルヴィアとは全然違う……」
「ん? そりゃそうだろ。科学技術の発展が数百年以上差がある」
まあ、この世界が俺の世界のどれくらいの時代になるのかわかんないけど、だいたい中世ヨーロッパ辺りだろ。そん時と現代兵器と比べるほうが馬鹿らしいほど開きがあって当然。最近なんて携帯ですら1、2年経ったら旧式化する時代だし。
「……色々あるんだ……シルヴィアなんて剣だけなのに……」
「……はい?」
今なんか珍妙な発言しなかったか? いや、その言葉だけで確信するのは早い。形容詞を抜いただけだきっと。
「いやそんな、シルヴィアにだって槍とか弓とかあるでしょ? 親衛隊にもあるし」
「……あるけど使われないよ。「騎士道に反する」って嫌われてる……」
「……はいいいい!?」
シルヴィアに来てから何度発したかわからない奇天烈な叫び。一瞬ナオがが後ろに引いた。それを見て感情があったと知覚できて嬉しかった。てそれどころちゃう。
騎士道に反するって、サジタリウスの大砲はともかく、槍も弓もNG!? そんなの、中世ヨーロッパどころかローマ帝国初頭だぞ!?
「え? え? だって、グレタは槍使いだし、弓兵だって……」
「……親衛隊は特別。隊長が反対を押し切って取り入れたの……」
「……ヘレナは織田信長か」
「……誰、その人」
「……後で説明する」
なんか定例どおり(なんだそりゃ)愕然としてしまった。いやあ、そんなアナクロな戦いしてるとは……こりゃ建国時は石斧とかだったに……ん? あれ、おかしいな。
「……なあ、前にヘレナの剣は初代から受け継がれた物だって聞いたことあるけど、あの時点であれだったってことは……」
「……うん。変わってないよ。500年間ずっと」
「うそぉん!!」
質問の意図を巧みに読んでくれたのは助かったが、違う解答が欲しかった! 500年間変わんないって……縄文時代じゃあるまいし、どんだけ遅れてんだシルヴィア!
「500年なんでそれで持ってんだよ! 他国からの侵略とかで進歩……」
「……ないもん、そんなの」
「……あ」
思い出した。そういやシルヴィア王国にはギヴィンとアエスとグリード以外敵対国ないんだった。しかもギヴィンとかだってこの100年くらいから生まれたんだし、つまり相手がいないから発展する必要がなかったのか。しかもMNができて、そこに力を入れてるから白兵戦が疎くなってるし、進歩する暇が無い。
「しかし、500年も進歩しない戦って……平和だったんかなあ」
「……何ぶつぶつ言ってるの?」
「なんでもない……」
まあ、気にせず(無理だって)授業再開。今度シルヴィアの歴史でも調べてみるかな。500年も戦争しなかった国って、どんなんだよ……。
「そういやさ、今日お前の姉さん来たぞ」
「……ミオが?」
それから数時間後。なんか問答にだれてきたので話を変えようとミオの話をしてみることに。気分を変えるためにもな。
「ああ。ナオと何してるんだって。言ってなかったのかお前」
「……そう」
「……?」
なんか様子がおかしい。体震わしてるし、俯いて表情見えないけど強張ってるような……。
「どうか……した?」
「……別に」
そういうと、さっき感じた違和感は錯覚だったのかと思うほど普通に顔を上げた。いや、普通すぎる。ちょっと感情が読めてたのが、また逆戻り……。
「……ねえ」
「はい!?」
読み取れなくなった心を解読しようと苦心してたら急に声をかけられた。ちょっとビクついた。
「…………頼みあるんだけど」
「な、なにさ?」
多分、いや絶対、今の俺はナオの頼みを必ず聞く。OKと答えてしまう。そうさせざるを得ない力が、ナオの中にあった。
「……カズゥって呼んでもいい?」
「……ふぇ?」
しかしその突飛な内容に、自分でもどこから出したかわからん珍妙な声を出してしまった。ナオもなんだこいつはと顔をしかめる。あ、良かった心読めたって違う。
「か、カズゥ?」
「……うん、カズゥ。……ダメ?」
ずい、と顔を近づけてきた。上目遣いでこっちを見る。これがミオだったらイーネ仕込みの色仕掛けで熱っぽい視線でもかけるんだろうが、ナオにそんな技術は無い。じっと睨みつけてくるだけだ。威圧感を感じる。5歳も年下の子供に……。
「い、いや……いいけどさ、別に……」
「……そう。ありがと」
どうしたんだろうか。様子がおかしい。心を開いているわけでなし、心を閉ざしているわけでもなし、何か、誰とも知らん敵意を感じる。
「あの……」
「……なんでもない。続けてカズゥ」
「……わかった」
言われるまま授業再開。何事も無かったかのように受け答えが繰り返される。しかし、違和感がどうしても拭い去れなかった――。
「……医学も発達してるんだ、そんなに……」
「まあ確かに、発達はしてるんだろうよ。でも電子機器全盛だし、医師免許簡単に取れるって聞いたからあんま信用してないんだよな。医療事故が取り上げられるのも増えたし」
「……電子機器……免許……?」
んで数時間後、相変わらず授業は継続してます。やり方も全く変わらず。よく続けてられるもんだナオも、俺も。
なんか、ミオじゃないけどノッてきたような気がする。なんとなくだけど、この時間が嫌いじゃない。楽しんでる自分がいる。
「まあ、メスや聴診器が進化したと思えばいいんだよそんなの。お前らのほうがすごいよ。その年で看護兵なんだろ?」
軽口風にぼかしてそう言った。正直なところ、最初この2人が看護兵なんてとても信じられなかったっけ。ヘレナの特訓とか隊員連中にボコボコにされたのを簡単に治してくれたの見たら疑いなんかすぐ晴れたけど。
「……お母さんの手伝いしてから」
「……お母さん?」
お母さん、のフレーズにチクリと突き刺す痛みを感じたが、表面に出ないよう必死で無心を装う。
「……お母さん村医者だったんだ。お父さん早くに亡くしちゃって、お母さん1人でナオ達育ててたんだけど、人手ないからよく手伝いしてたの。だから、自然と覚えた。それで、親衛隊に雇われて……」
「……ごめん。帰って」
話を打ち切って立ち上がらせる。「……え?」と驚いているようだが放っておこう。
「これで教えるの終わり。帰ってくれ」
「……ど、どうして?」
「いいから」
強制的に部屋から追い出し、ドアを閉めた。顔は羞恥で真っ赤だろう。真っ青かもしれないが。
自分の今までやってたこと、いや自分が恥ずかしくなった。
正気か俺は? 人に教えるなんて、そんな資格がある人間か? 17年間何もせずただのたくってた俺が、ナオに教えられることなんて……教える資格なんて……。
この世界に来てから、自分の愚かさ、くだらなさばかり突きつけられる、と思った。
「ふう……」
夜。部屋の中で1人呻いていた。もっともこれは、痛みから来るものではないが。やはり2人の薬が効いたのだろう、もう痛みは無い。 馬鹿なことをしたものだ、と心から思う。俺如きが何を教えると言うのか。道端の蛆虫が釈迦に説法教えるようなもんだ。……少々言いすぎか? いいや、別に間違っちゃいないな。
「先生なんて、もっとも合わないものになっちまって……何楽しんでたんだか」
本当に恥ずかしい。数時間前の自分が情けなくて愚かしくて殴り飛ばしたくなる。身分不相応甚だしい。もっと早く気付くべきだった。ナオの身の上話を聞いて、自分がナオに何か教えるような立場の人間じゃないとわからなかったのが最悪なところだ。こんなこと誰にも言えるか。
「……ん?」
ふと、出しっ放しのテーブルにノートが置かれているのに気付いた。ナオが俺の言うことをメモしていたのだ。さっき追い出した時に忘れていったものか。――あれは悪かったなあ。いくら羞恥に耐え切れなかったからって、性急過ぎた。あとで返しに行くか。
……と、いうのが普通の反応だろうが、あいにく俺は悪ガキだ。悪党だ。こんなものが置いてあって、ただただ黙って返すなんてあり得るか。見ちゃお。
何の躊躇も無くノートを取り開く。望遠鏡手にノート読むのは無理だから、思いっきり顔を近づける。ま、どうせ言ったことをメモしてるだけだろうから、別に面白いことなんて載ってるわけがないけど――。
『――嫌々そうだったけどOKした。やっぱり頼まれると断れないタイプらしい。うさん臭さは感じていたようだけど、当面は問題ない。世界のことを、なんて自分でも変なのとは思うけど、長く喋らせることと考えて他に思いつかなかった。口下手で人と話すのが苦手なのはわかり切っている。ならば知ってることを言わせるのがやりやすい。――なんか、知人に似ているらしい。どんな人なのだろうか。なんかにやけ顔されたのでいい気分じゃないけど、とりあえず警戒心が薄れたので研究しやすくなったから良しとしよう。……どこら辺が似ているのだろうか? いや、こんなこと気にしてはいけない。一機を研究するほうが先だ。――ミオが来たらしい。邪魔っ気な。どうせ余計なことを言うに決まっている。すぐに退散したらしいけど。ミオにしては珍しい。そういえば顔を合わせたとき動揺してたみたいだけど、何かあったのかもしれない。……カズゥとは、我ながら馬鹿なことを言ったものだ。つい聞こうとしてしまったのがまずかった。とっさに煙に巻いたけど、変な顔と声をされた。当然かな。面白かったからいいけど。さて、これくらいで一機の、いやカズゥのメンタリティ調査は終了していいかな。本当はもっと時間をかけてやるべきだけど、もうだいぶ見れたようだし、何より次に進みたくて仕方が無い。そろそろ、身体調査の段階に上がるろうか――』
「…………」
ノートを持つ手のひらに、いや全身から汗がだくだくと音を立ててるかのように流れ落ちているのがわかった。ノートを持つ手が震え、力の入れすぎでノートはしわくちゃになってしまった。
ノートの中には、俺が言ったことなど一言も書いてなかった。ただ、質問に対し俺がどう答えたか、どういう表情をしたか、それによって俺がどう思い、どういう考えを持っているかなどがきめ細かに書かれていた。これはつまり――
――観察されてたのか、俺は。
最初から俺の世界のことなどどうでも良かった。ナオが知りたかったのは、俺について。しかしそれは俺が男だからとか人間的なものではなく、カエルを解剖する学者のような、研究素材としてのもの。ナオはそういう目で俺を見ていたんだ。世界の事を教えてなんて言って、俺の反応を、生態を観察していたんだ。
そして、何よりも気になったのが最後の一文。
『――そろそろ、身体調査の段階に上がるべきか――』
これが何を意味しているか。火を見るより明らかだ。カエルの観察。生態が研究し終わったら、今度は――。
キィ……。
ふと、蝶番がずれる音がした。ドアが開いた? そういえば鍵をかけるの忘れていた――そう思って振り向こうとした瞬間、
「……がっ!?」
突如頭に強い衝撃がきた。
「ん……うん……」
「……起きた?」
薄ぼんやりとした意識の中、少女の声がした。それがナオの声と気付き、瞬時に覚醒して起き上がろうとしたが、できなかった。動けなかったのだ。
「……!? ッ!」
驚きの声を上げようとしたが、それもできない。口に何か巻かれている。
そこで初めて、自分の現状を理解した。縄か何かでぐるぐる巻きにされ、ベッドにくくりつけられている。まるで解剖されるカエル、いや正にそれだ。
「……ごめんね。もっと優しくする予定だったんだけど、ノート見られたみたいだから……」
テーブルによく見えないが何かの道具を並べながら、ナオは薄く笑いそう告げた。その笑みは今まで俺に見せたものとは全く違う、狂気を感じさせる代物だった。
必死にクビを横に振るが、聞いていない。嘘だとわかっているのだろう。あるいは、もう俺の声などどうでもいいのかもしれない。
「……大丈夫、すぐ終わるから……」
そう言ったその手には、手術で使うメスがあった。手術経験など無く、テレビぐらいでしか見たことが無いそれを、まさかこんな状況で拝む日が来るとは。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
ナオが近付いてくる。なんとか縄から抜け出そうと暴れるが、縄はきつく体に食い込んでおり抜けない。
「……ほら、暴れないで……」
微笑を携えながら、メスをこちらに向けてきた。そのメスが向かう先――切り裂かれ、内臓がむき出しになった自分の姿が浮かび、気が遠くなりそうになる。いっそ気絶したいと思ったが、恐怖のあまり体が凍りつき目を逸らすこともままならない。
殺される――! そう知覚した瞬間、バタンと叩くかのような音が部屋に響いた。
「……うっかり服ごと縛っちゃって、スケッチ描けないから服メスで切ろうとしただけだったのに……」
「それだけでも十分問題だ! みろ、一機あんなに震えているではないか!」
ぶつくさ言い訳するナオをヘレナが叱り付ける。ヘレナの前で正座させられているナオから離れるように、俺は部屋の隅で毛布にくるまって縮こまっていた。部屋の外には親衛隊員が騒ぎを聞きつけ大勢やってきていた。
あの時、殺されると思ったあの瞬間、ヘレナが部屋に押し入ってきたのだ。鍵かかってるのに無理矢理入るものだから、おかげでドアは破壊されてしまった。
聞くところによると、ミオがナオがいないと言って皆に探して欲しいと言ってきたそうだ。で、そのうち俺に興味を持っていたことを思い出して、嫌な予感がしたので駆けつけたというわけらしい。
「まったく、看護兵としては優秀なのだが……その研究熱心さを別なところで生かせないのか? 前にもイーネの体を調べるとか言って、痺れ薬を飲ませたときもさんざん叱ったというのに」
「……なんでそんな奴雇ってんだよ……」
震えるあまり歯が噛みあってない言葉を発すると、ヘレナもさすがに問題だとわかっているのかばつの悪い顔をした。そんなに人員不足なのかシルヴィアは……。
「とにかく、もうこれ以上研究のためとかいっておかしなことをするな。さすがにこんな問題を起こし続けるなら、親衛隊に置くわけにはいかん」
「……え」
そすがにクビは困るのか、怯えたような顔をした。まあ当然だろう。腕が良かろうが悪かろうが、身内人体実験にかけるような奴、雇っていられるわけがない。――しかし、
「……いいよ別に」
「……え?」
「なに?」
2人の驚いた声がした。振り向かず、毛布にくるまったまま続ける。
「もういいってば。もう忘れるからいいよもう」
「い、いいのか? こんな目にあわされて……」
「いいってば。とにかく今日は帰ってくれないか? もう寝たい……」
困惑したヘレナも無視し、二の句も告げさせず追い出しの言葉を捨てる。実際眠い。疲れた。
「わ、わかった。行くぞ、ナオ」
「……う、うん……」
そのまま部屋を出る2人。ドアは壊れてしまったので立てかけるだけだが、どうでもいい。さっさと寝たい。
ついさっき縛られたベッドに入るのは一瞬ためらったが、眠気には勝てず潜り込んだ。
――なんで庇ったのかったというと、優しさとかそういうものではなく、このせいでナオがクビになったら気分が悪いからだ。酷い目にあわされて怒ってないといえば嘘だが、辞めさせられるのはちょっと……と思ってしまったのだ。甘いな俺は。
なんでもいい。恐怖から解放された反動でドッと疲れた。もう寝る。
「……ふう」
同時刻。ミオ&ナオの部屋。
部屋に戻ったナオは、そのままベットに突っ伏していた。
「……なんでかな……」
――どうして、許してくれたんだろう。
さっきから、頭の中に巡るのはそれだけだった。自分でも少しやり過ぎたと思っていた。ノートが見られたのでもはや一刻の猶予も無いと思いつい強行手段に出てしまった。もう何度もこんなことをしているので、隊長の怒り振りからもうお終いかなと諦めかけたけど、まさか縛った本人が助けてくれるとは。予想外だった。
まあ、自分のせいで辞めさせられるのは気分が悪いからとかだろうけど。この“授業”からカズゥの性格は大体わかったと自負している。どんな酷い目にあわされても、気が弱くてお人よしだから人を捨てるなんて真似ができる人間じゃない。とてもひ弱な奴だ。
――でも、本当にそれだけ?
頭を支配しているのはこの単語、この一言のせいで頭にぐるぐる渦が巻かれている。どうしてなのか。理由は……巡ってるもう1つの言葉だ。
――なんか、あいつみたいに笑うんだな。
これと、その時のカズゥの苦笑が頭から離れない。思い出すたびに何故かムカムカしてしまう。懐かしそうなその顔に、何度ペンを突き刺そうと思ったことか。……そんなことしたくなる理由わからないけど。
「……帰ったの?」
ふと、隣のベッドから声がした。ミオだ。もう寝たかと思ったけど、起きてたのか。それとも騒ぎで起きだしたか。……違うか。ミオは慣れてるから。
「もうお咎めなしですか? 珍しい……」
背中を向けたまま。何の感情も無い声をかける。心配とかはしていないのだ、こいつは。
「……うん。カズゥが許してくれた」
「……え?」
起伏のない声に、驚きが混じる。許してくれたというのも1つ、カズゥと呼んでいるのも1つだろう。
「……それじゃ、おやすみ」
言葉を失ったミオを無視して、私も寝ることにする。
また頼んだら授業してくれるかな、と眠りに落ちる前に少し頭をよぎった。
「……次回、サジタリウス〜……え? いきなりタイトルじゃなくて自己紹介と何かを言え? ……ナオ・ローラグレイ。シルヴィア王国騎士団親衛隊看護兵……次回は副長がヒロイン……サジタリウス〜神の遊戯〜 第9話 『信奉者達』……次回は脊髄反射主体? ……いつもじゃん……」
to be continued……
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■作者からのメッセージ
どうも、紫静馬です。
先日投稿した向日葵の魔女の本編であるサジタリウスを投稿しました。
本編は向日葵の魔女の少し前から始まります。こちらを読んでから向日葵を見た方が良いと思いますが……どうもすいません。
あ、ちなみに注意。
サジタリウスでは算用数字を使っていますが、わざとです。
これは主人公の名前が『一機』なので混乱しないようにとの苦肉の策なんです。
寸評どうかよろしくお願いします。