- 『月に螢火』 作者:ゆるぎの 暁 / ファンタジー 恋愛小説
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原稿用紙約9.6枚
――消えた月に願ったのは、一体何だっただろう?――
月に螢火
瑞々しい色を湛える月が空に浮かんでいた。
その色は見たことがないほど美しい、まざり気のない金。冥(くら)い空の唯一の煌めき。
周りで揺らめく灰色の雲は、その美しさが恐れ多くて近寄れないようだった。
星でさえも今夜は小石並みの存在でしかなくなる今夜。
そう、今夜は特別な夜なのだ。他の誰かにとってそうではなくても、少年にとって。
ポツンと少年が荒れ果てた小屋の中に佇んでいた。窓際に月の光を差し込む傍らで、ただ沈黙していた。
その瞳に映るのは、無造作に散らされた植物の成れの果て。枯れ果てた茶色とまだ辛うじて生き延びている緑が、哀しげに引き裂かれている。床に転がったその無惨な姿は、少年の心に影を落とす。
あぁ、まるでこれは僕みたいだ。
「フェイ」
ピクリ、と肩が震えた。ゆっくりと振り返り、口を開く。
「何? ミランジャ」
振り返った先には、一人の少女が立っていた。
チョコレート色の長い髪に、透き通るような白い肌、艶やかな唇。けれど一番先に目が行ってしまうのは、その深い蒼の瞳。まるで深海に落ちていくような感覚を覚える。
「何? じゃないでしょ。私は貴方とお話がしたいの、お解り?」
形のいい唇を尖らせて、軽く頬を膨らます。その仕種はどうしようもなく可愛らしい。
「けど、今夜は特別だもの。一緒に月を見ない?」
「嫌。貴方の見ていたものは月じゃない。本当は別のことを考えていたんでしょ?」
サラリと事実を指摘されて、思わず言葉に詰まってしまう。
その反応に、ミランジャは拗ねたようにまた口を尖らす。
「まだ後悔しているの? 貴方は何も悪くないのに」
ちょっと棘のある言い方。それを聞いて、思わず苦笑する。
「そういう訳には行かない。結局、何もかも壊したのは僕自身だもの」
「そんな事ないわ。貴方が壊したのは壊してよかったものよ。貴方は何も悪くない」
静かに注ぎ込まれる言葉に耳を傾ける。けれど、それは虚言でしかないのだ。
一つ、ため息を漏らす。そして、一つ一つ言葉をかみ締めるように紡いでみる。
「それなら、何故君はここにいる? ミランジャ」
「私が居たいからに決まっているじゃない。馬鹿な事をいわないで」
当然の事実のように呟く彼女は、本当にわかっているのかいないのか?それが問題だった。
「うん。それでは質問を変えてみようか。何故君は僕のそばに居る?」
「いちゃいけない? 貴方のそばに居てはいけない?」
縋りつくような声に、思わずつられそうになってしまう。内心、ドキリとする。
恐ろしい子だ。声だけで揺らがすなんて。
「僕は君に聞いている。ミランジャ、君はどうして僕のそばがいいのかな?」
「……どうして? 何でそんな事を聞くの?」
ミランジャの体が儚げに傾ぐ。チラリと覗く桃色の舌。涙があふれそうな瞳。白さが目立つ頬が紅潮していく。それは怒りによるものか、それとも哀しみによるものなのか。
それを知りながら、話題をそらした。チョコレート色の髪を見つめながら。
「今夜は本当に綺麗な満月だね」
「ねぇ、フェイ。何故さっきから私の方を向いてくれないの?」
激情を押さえるような声音。喉を震わせているのがよくわかる。
――あぁ、やはりそうなんだ。
フェイはそうして、すべてを思い知った。
「……ねぇ、ミランジャ。外はとても綺麗な満月だよ」
「ええ、そうね。貴方の言う通り綺麗な満月だわ。だからこっちを向いて」
苛立ちを抑えた様子で、声は必死に呼ぶ。まるで引き戻そうとするかのように。
「やっぱり君は嘘をついているよ」
「……何を言っているの?」
さぁ、これで最後。
胸にたまった空気を吐き出す。そして、
「だって今日は『満月』じゃない。『三日月』だよ」
後ろで息が止まるのを感じた。
クルリと体を反転させる。目前にはミランジャの顔。目を見開いて、今にも壊れそうな表情だった。焦点の合わない、海色の瞳。深い、深い、海底へと堕ちていく――その華奢な体が倒れそうになるのを支える。フワリと、彼女の髪からは甘い香りがした。ビクビクと震わせる体は、恐怖でいっぱいだった。
窓際に、彼女を寄り掛からせる。見えないとわかっているのに、ミランジャは上空を見つめていた。
見えない彼女の代わりに、再びフェイは空を見上げる。まるでナイフのように鋭い、三日月。それは金色の両刃にも見えた。
「君の瞳はもう何も見えない。きっと壊れてしまったんだよ。だって僕が何もかも壊してしまったから」
ミランジャの顔はどうしようもなく蒼白で、そして全身を震わせていた。縋りつくものを求めて、彷徨う子供。
だから、優しく耳に囁いてあげる。
「……もう一度聞こうか? 何故、君は僕のそばに?」
すべてを終わらせる言葉を。
「あ、あ、あなたの、そばにいなきゃ、わたし、は……っ」
しゃくりあげる喉を懸命に動かす、子供。虚ろな海は何も映さず、ただ見上げる。
「わたしは?」
「いきら、れな……からっ」
呆然とした様子で、ミランジャは外を見る。何も見えないはずなのに、食い入るように空を見ていた。そして、か細い手は握り締めるようにフェイを離さない。
うっすらとフェイは唇に微笑みを湛えた。それはとてつもなく空虚な微笑。
(ほら、やっぱり僕は何もかも壊してしまう)
絶望も建物も憎悪も愛情も人間も、何もかも壊してしまった。僕が愛したこの子でさえも。
満月の日のまま、彼女の記憶は止まってしまった。それは憐れむべきことなのかもしれない。けれど、僕には都合がいいことだった。
彼女は盲目で頼れる者もいなくて、ここで僕と二人っきり。どんどん老いていずれは骨のようになって死んでいく。腐った死体もいずれは風化して地に還る。そう、彼女をいつまでも大地に留めておける。共に在れればそれでいい。
例え、月日の流れが僕を置いて、彼女を死に至らしめても。
いつか僕の正体を思い出して、彼女が僕から逃げ出すまでは。
「ミランジャ、僕は満月が大嫌いなんだよ。それはきっと前の君なら知っていた事だけど……もう思い出さなくていいよ。もう、二度と」
ゆっくりと彼女の頬を撫でる。慈しむように触れてみた。まるで優しい人間みたいに。
「……僕は、君を壊したりしないから」
何も見えないはずなのに、ミランジャもつられたかのように微笑む。無邪気な幼子のように。
――それを見た異端の銀色の瞳からは、透明の雫がぽろぽろと伝っていった。
細く尖った三日月が、胸を刺す。
ふくよかな満月が、心を覆うように狂気を生み出す。
すべてが月によって狂わされた。
もう戻らない。戻れない。
ただ、君を守りたかっただけなのに。
時を戻せるならきっと戻してみせるのに。
人間ではない妖(あやかし)が人間を求めてはいけなかったのに。
どうして、僕は夢見てしまったんだろう?
流れる血が違うのに、どうして惹かれてしまったんだろう?
どうして、どうして、どうして、どうして……
――三日月の夜、荒れ果てた森で哀しい狼の声がこだました。
月に螢火=似て非なるもの
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2006/10/04(Wed)11:45:22 公開 / ゆるぎの 暁
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■作者からのメッセージ
はじめまして(もしくはご無沙汰です)、こんばんわ。ゆるぎの 暁(あき)と申します。以後、どうぞおつきあいのほどよろしくお願いします。いや、ここを読まれているということは既にこの物語の欠片を読んで頂いたのですよね。ありがとうございます。本気で嬉しいです。もし感想、ご意見などございましたら是非是非ドシドシ叩きつけて頂けると…本当に感謝の極みでございます。
今回のもの、私にしては珍しく短い物語の部類に入るかと思います。ショートショートなどはいずれチャレンジしてみたいものですが…要修行、ですね(苦笑)実を言うと、今回のお話はキャラクターに成り行きを任せるまま書いていましたら…うん、ちょっと行き当たりばったりなのがバレバレやもしれません。けれど、キャラクターはやはりお気に入りです。ミランジャは一発変換すると「未蘭麝」とか凄い変換になるので、辞書登録が必要でした(笑)はっ、違う違う。それはどうでもいいとして、お話ですね。
情報を明かさないように書くことって難しいですね。ミランジャの目が見えないのに途中で気づけるように書いてみようとしたのですが…できていないかもしれません。「文章量を少なめ、秘密多め」を目標にした物語でしたので、私的には実験作品になったかと思われます。いや、まったくストーリーに意外性ありませんが;;;
この物語が少しでも皆様の心に残るものがあったらいいな、と思いつつ文章を〆させて頂きます。本当にここまでお読み頂きまして、ありがとうございました!