- 『苦しくて珈琲の味する空を噛んだ』 作者:夢幻花 彩 / リアル・現代 ショート*2
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全角3480文字
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原稿用紙約10.95枚
冷めた珈琲は、とてつもなく苦い味がしたの。
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ペーパーカップの珈琲で構わなかった。
「あったか〜い」
指先に、じんわりとした熱が浸透する。流れていく風は冷たくて、いつの間にか季節は変わってしまったようだった。空の色は青く澄んでいて、頬に触れる空気がとても気持ち良い。
「なーにしてんの」
ふわりと甘い香水の香りがして、ココア色の髪の毛が、さらりとなびいて私の隣にすとんと座り、色白で綺麗な肌を持ち、ぱっちりした大きな目を可愛らしく細め、ピンク色した唇で笑ってみせる彼女が私に話しかけてきた。
「あたしも飲みたいな、コーヒー」
「買ってくればいいじゃん」
「それが今亜由ちゃんは貧乏なのです。亜由ちゃんはとぉっても貧乏さんなのです」
「判ったからはい八十円……っていうか八十円くらい出せるでしょうがしかもペーパーカップの珈琲なんだから」
「南ちゃん愛してる。十年に一度しか言わないないけど世界一愛してる」
「あー五月蝿いってか今既に二回紙言ったからね」
「良いの言ってみたかっただけから。ところで愛してるわ南ちゃん」
「っるさい良いから早く買って来い!!」
「わぁい」
元気で可愛い王女様は、嬉しそうに笑ってパタパタとかけていった。私は全エネルギーをたった今の空元気に費やしてしまい、珈琲に映る歪んだ顔をじっと見つめて動かずにいた。しばらくして戻ってきた、甘ったるそうな色をした珈琲の注がれたペーパーカップを両手で持っている亜由ちゃんをぼんやりと見て、息を吐く。腰を下ろし、となりで幸せそうに笑って珈琲を飲む彼女から不自然なくらい視線を背けてみた。不思議そうな顔で亜由ちゃんが私に目を向け、あんまりにもじっと見るのでしょうがないから曖昧に笑ってみせた。
亜由ちゃんと裕樹君が付き合い始めたのは、ちょうど半年前だった。
今年の春、私と裕樹君は平凡な公立高校に、頭の良い亜由ちゃんだけが県内トップの進学校に入学した。制服採寸で亜由ちゃんだけがいかにも頭の良さそうなセンスの良い制服に袖を通しているのを見て、初めてそのことを実感した鈍い私は、何気なく口にした。幼馴染もとうとうばらばらになっちゃうんだね、淋しいな、と。特に深い意味もなんてなかった。
私は本当に何も気付かなかったし、私の持っている裕樹君に対する淡い好意も、亜由ちゃんの気持ちも、そしてこれから何かが変わっていくであろうことなんて想像もしなかったのだ。その日の帰り、亜由ちゃんと裕樹君が手を繋いでいるのをみるまでは。
新しい友達との間でお互い気疲れしていたから、時折どちらかの家で亜由ちゃんと二人珈琲を飲んだ。専らの話し手は幼い頃からのように亜由ちゃんで、香ばしい珈琲の香りに乗せて、快活なリズムを刻んでくれた。学校のこと、クラスの友達のこと。そして、裕樹君とのお惚気話。私のいない世界。
巧みな話術に話にのめり込みそうになりながらも、淹れたての珈琲の美味しい味に意識を集中して、私は笑って相槌を打った。そうなんだぁって、馬鹿みたいにはしゃいでみせた。一体他にどうすれば良かったと言うんだろう。びっくりするくらいのハイテンションできゃぁきゃあ笑って、良かったねって言った。楽しそうで、安心した。ソウナンダァ、ヨカッタネ。タノシソウデ、アンシンシタ。それはつまり、私の気持ちは初めから全然無かったって言うのと同じことだ。今までずっと一緒だった三人の関係が崩れるのも、私の知らない亜由ちゃんが私の知らないところで笑うのも、ちっとも怖くないということ、そして、裕樹君を好きだと思う私は、どこにもいなかったということ。
そうやってたくさんの感情を捨てて笑った私を見て、亜由ちゃんは花開くように笑った。それはそれは綺麗で、とても綺麗で、釣られて私までなんだか笑いたくなるような笑みだった。
――その笑顔があるだけで、「これで良いんだ」って思えなくなったのは、一体いつのことだったんだろう。
嘘じゃない。本当に、これで良いと思った。三人並んでドーナッツをつまみながらお茶を飲む時間が減って、その代わりに新しい友達と入った喫茶店で楽しそうに見つめあいながら珈琲を飲む亜由ちゃんと弘樹君をみて胸が痛まないことはなかったけれど、それでも二人が幸せならそれでいいと、確かに私は思ったはずだ。例えそれが被虐的な気持ちからきたものだったとしても、亜由ちゃんも弘樹君も笑っていてくれるなら、カタチはかわってしまおうと、三人がいつまでも仲の良い三人でいられれば、それならって。
気が付いたら二人を見ても胸が痛まなくなっていた。強くなれたわけじゃない、単に麻痺していただけだって良かった。胸に空いたおっきな空洞も、なれてしまえばなんでもなかった。淋しいって思っても、辛いって、哀しいって、痛いって心が叫んでいても、少なくともうわべで笑うことができたから。
何がきっかけだったのか、そもそもそんなものがあったのか、実は良く判らない。ううん、もしかしたら授業中に視線があってしまったり、委員会で隣になったり、そんな小さいこと昔からたくさんあったというのに、それが特別な色を帯びたのは亜由ちゃんがいないせいだったのかもしれない。もしかしたら、裕樹君は表面だけで笑う私に気付いてしまっていたのかもしれない。ずっと一緒にいたから。
気付いたら、私と弘樹君は亜由ちゃんを裏切っていた。きっと防ぎようなんてどこにもなかった、でも、私の言葉なんて、はじめから最後まで、全部全部全部、ただの言い訳に過ぎない。
◎
「あ、ヒロキくん? うん、そうだよ。え? うん。判った、待ってるね」
ふと気がつくと隣で亜由ちゃんが嬉しそうに笑って電話を切ったところで、そのまま一連の動作で彼女は私にこう告げる。今ヒロキくんから電話があったんだけど、これからこの公園に来てくれるって。
「あ、ごめん私、これから用事あるんだ」
「そうなの? 残念、これから三人で久しぶりに遊びにいきたかったのに」
もう一度ごめんねと私は謝って、とうに冷めた珈琲に目を落とす。今のごめんねは、この場から逃げることについて。本当は言わなくてはいけないもう一つのごめんなさいは、とてもじゃないけど今の私に口にすることはできない。
ペーパーカップの中身は、もう苦いだけでちっとも美味しくなかった。まるで今の私みたいだ、ふとそう思ってそれを噛むようにして飲み干し、走って公園から去った。
◎
裕樹君は裏表のない真っ直ぐな人だ。私や亜由ちゃんが何か悪戯をすると叱ってくれるのは父さんでも母さんでもなく、裕樹君だったし、宿題を忘れた時だって一回も映させてくれなかった。裕樹君に限っては、たった一回だって嘘をついたこともなかった。
そんな裕樹君が、今の私とのことを、隠す訳がなくて。
『今日、亜由に言うから。別れようって』
私はその言葉の意味を、ちゃんと知っている。裕樹君は隠し立てせず、私と付き合っていると亜由ちゃんに言うのだろう。だから別れよう、今までありがとうと。びっくりするくらい誠実に。
判っている。悪いのは、私だ。私と裕樹君だ。かわいそうなのは亜由ちゃんで、哀しんだり、泣いたりして良い資格なんて私には無い。
だけど私は怖かった。いつか同じくらいの誠実さで、裕樹君から別れを告げられるかもしれないことが、亜由ちゃんが動揺して泣いて、私と二度と口を聞いてくれないことが、もう二度と三人が三人のままでいられなくなることがたまらなく怖くてしかたがなかった。
本当に私が失いたくなかったのはきっと、三人並んでたあいのない話をしてペーパーカップの珈琲を飲む、なんでもない時間だったから。
ふいに着信音が響いて、裕樹君から電話が来たのだと思った。数秒迷ってからのろのろと出ると、予想に反して亜由ちゃんの声が聞こえた。そういえば、さっきの着信音は亜由ちゃんだったんだっけ、今更のように気付く。
「南ちゃん、ずるいよ。さっき逃げたんでしょ?」
「……ごめん」
今のごめんは、何に対してのごめんなんだろう。
「電話かけてくると思わなくて、びっくりしたでしょ。作戦成功」
亜由ちゃんは悪戯っぽく笑ったけれど、声が震えていた。一度こほんと咳払いしてから、彼女は続ける。
「あのね、南ちゃんにどーしても言わなくちゃいけないことがあって」
私は目をつむる。もう、何を言われても我慢する覚悟は出来ていた。
「十年に一度しか言わないからね。南ちゃん、愛してるよ」
口の中に、苦い苦い珈琲の味が広がったような、気がした。
終
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2006/10/03(Tue)05:39:09 公開 /
夢幻花 彩
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■作者からのメッセージ
初めまして、なんだろうなきっと。だって利用者さんたちに知ってる名前がほとんど無いもん。ぐすん。夢幻花が始めて訪れた三年前からいる方、もしくは夢幻花の名前を知っている方は物凄くお久しぶりです、夢幻花です。
秋ですね、珈琲の美味しい季節ですねって感じで書いてみたリハビリショートです。最近全然小説なんか書いてないし、っていうかむしろ文学に触れていません。ということで文章が支離滅裂なのはきっと仕方の無いことなのです、何が言いたいんだよお前、っていう小説になっているような気がするのはきっと夢幻花の気のせいじゃないのです(意味不明)
缶コーヒーは高い上に量がちょっとしかないから好きじゃないです。ペーパーカップの珈琲万歳。小学生の頃、これを片手に公園のベンチでおしゃべりをしながら何時間でも友達と一緒にいたのでそんなイメージ(?)で書きました。ところで、亜由ちゃんがなんどか口走っている「10年に一度」、別に話にあまり関係ないので触れていませんが、判る人いますか……?これくらいの悪戯は良いかなぁ、駄目だったら紅堂さんごめんなさい。即効変えますので(汗)
ちょっと誤字発見。
レスいただけると嬉しいですっ。それでは。