- 『Missing Logic(仮)』 作者:宏平 / サスペンス リアル・現代
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全角4489.5文字
容量8979 bytes
原稿用紙約13.75枚
記憶を持った主人公の邁進と、失った主人公の困惑
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――目の前では、扇風機が回っていた。
カタカタと音を立てて回る旧式の扇風機の巻き起こす風が、部屋の中の有機溶剤のような、刺激的な臭いをかき混ぜている。今は夜なのか、ブラインド越しに見える外は暗い。電球の淡い光が、ここを照らす唯一の明かりのようだ。
網膜に映し出された映像が電気信号となって視神経を通り、処理され、その様子が記憶として脳に焼き付けられる。
目に見える物全てが、デジャヴ――既視感に溢れていた。今まで何度も、この光景を見た気がする。
僕はやっと、自分が覚醒し、今まで眠りに落ちていたのだと言う事を認識した。
「……ぐっ」
伸びきった筋肉に力を入れて、立ち上がる。
まるで、ここ何年も動いていなかったかのように、体中の骨がひどく痛んだ。
部屋はそれほど大きくない、せいぜい普通のモーテルの部屋、と言うぐらいだろうか。部屋の隅にキャビネット、クローゼットが置かれている。僕が寝ていたのは、ベットと壁の間の、隙間の床の上であった。
ベッドの上には、僕の持ち物らしいバッグが置かれている。
――どうして、僕はベッドで寝ていなかったのだろう? それより、ここは何処なのだろうか?
疑問ばかりが頭の中で爆ぜ、余韻を残しながら消えてゆく。
一つだけ確信がある。――今の僕には、何も、一切の記憶が無い、と言う事だけが。
MISSING LOGIC ― 第一話
俺が人指し指で引き金を引くと、巨大な衝撃が、瞬間的に俺の腕を殴った。
くぐもった轟音が、耳栓越しに鈍く俺の鼓膜を揺るがす。硝煙の刺激的な香りが、鼻の奥底を突く。
俺は再び引き金を引こうとして、銃のスライドがホールドオープンで止まっている――これは、残弾が無くなったというサインである――事に気がついた。銀色に磨かれたスライドが、蛍光灯の光を浴びて輝いている。
室内の試射場は、風が無いのが利点だ。だが、それは同時に欠点でもある――実際の戦闘で、風のない状況など無いのだから。スポーツではなく、あくまで実践用の訓練として試射を行っている俺にとって、それは致命的だった。
マガジン―――いわゆる自動拳銃(オートマティック)に付随する、弾丸を束ねる物――を抜いて、新しい物に交換しようとテーブルの上に手を伸ばす。
だが、どれだけ手を動かしてみても、マガジンのあの吸い付くような冷え冷えとした感触は伝わってこない。
仕方無しに顔を下げる。テーブルの上に、探していたそれの姿は無かった。抗菌仕様に仕上げられたリノリウムの床の上に、何本もの空のマガジンが虚しく転がっているだけである。
「……くそ」
俺は呟くと、壁にあったボタンを掌で勢い良く押した。ブルズアイターゲットが、レールを走る。
その時、自分の影の他に、もう一本の影が地面を這っている事に気がついた。――ドクターだ。
「弾はもう無いのか?」
「それで金額分全部」
耳栓をつけているので、声がくぐもって聞こえる。俺は耳栓を外し、ゴーグルをテーブルの上に置いた。
そして、銃を片手に身体を反転させる。白衣を着た、二十歳前半の男の姿が目に入った。
奴は、正に多才と言う言葉がぴったりと当てはまるような男であった。銃器店を経営していながら、医者の免許を持っていて、電子機器の取り扱いにも長け、ついでに言えば酒豪である。
外見も、まあ一般的見解からすれば整っていると言えるのだろうか。俺には良く分からないが。
「……まだ足りない。マガジン一本分だけで良いから、貸してくれないか?」
「だーめ。大体、もうこれ以上腕は上がらないだろう? そんなに良い腕してさ」
ドクターは笑いながら、俺を指差した。――と思ったら、違った。
奴は、俺の後ろの、手前にまで来ていたターゲットを指差している。
「距離二十五メートルで、半数必中界が二センチメートル。ほぼその銃の性能通りだ。これ以上は上がらないし、上がるはずがない。……なんたって、この命中率がその銃の限界だからね」
「限界か、限界かもな」
呟きながら俺は、手に持っていた銃を見つめた。
銃口には、マズルフラッシュ(銃口炎)を押さえるためのコンペンセイターが固定されている。スライドは磨き上げられた鏡面仕上げだが、グリップの部分はブルーイングされた、深い黒に染まっていた。
他にも可変式のアイアンサイト(鉄製照準器)や、使用者の指に合わせるように調整できるトリガー。――この銃は、コンペティション(競技)用の銃である。
半数必中界と言うのは、一定の距離で拳銃を完全に固定して発射した場合、その発射した弾丸の半分が着弾する場所を表した物だ。二十五メートルで二センチは、この世に存在している拳銃でも最高の必中率である。
ちなみに、必中界は普通拳銃には使わない。主にミサイルなどの軍事兵器用に用いる物である。
それを敢えて拳銃に使う辺りが、ドクターらしい。
俺は溜息を吐こうとして、やめた。
「……これで限界って事は、この必中界が全ての銃の限界ってことだ」
「狭義の"拳銃"なら、確かにそれが限界さ。だけど、小銃や狙撃銃なら、その限りじゃない」
ドクターは射撃場の隣のレーンから、一丁の小銃を取り出した。
俺は奴の顔を見て、小銃を見る。……再び、ドクターの顔を見直した。
信じられない事に、奴は笑っていた。俺の反応を愉しんでいるかのようだ。
「冗談で言ってるのか?」
「いや、違うね。確かに古いけど。命中率はそれより上だ」
ドクターが取り出したのは、今となっては珍しい、銃床に素材として木を使っている銃であった。マガジンが突き出して見えないのは多分、弾を装填する方法としてマガジンではなく、クリップを使っているからだろう。
マガジンは一般的に箱型だが、クリップはいわばコの字型で、弾を文字通り束ねているだけである。
銃口の部分には、銃剣装着用のアタッチメントが取り付けられていた。
「スプリングフィールド製の……名前は、M4だったか?」
俺は脳内のデータベースから、その銃の名前を即座に検索し、口から出力した。
「ちがうね、M1――M1ガーランドだ」
「どっちでもいい。第二次大戦以来のガラクタじゃないか」
国の地域と地域の間接的な利害関係によって引き起こされたホスト・コロニアリズムの戦争――規模自体で言えば、今までに起こったどの戦争よりも上だ――が終わった現在では、骨董品と言われても可笑しくない銃である。
何せ、小銃の癖に八発しか連続発射できない。フルオート(連続発射)が主流の今では、玩具みたいな代物だ。
俺は今度こそ、溜息を吐く事にした。
※
僕は、この異常な状態に半ば呆れ、溜息を吐いた。
「…………」
――とりあえず、身の回りを調べることが先決だろう。
息も落ち着いてきた。時間があるかどうかは分からないが、調べる意味は十分にあるはずだ。
一歩踏み出そうとすると、がりっ、と足元で音がした、僕は反射的に足元を見る。……良く見ると、足元には赤いラベルが張られた薬瓶が落ちており、その周りに白色の錠剤が散らばっている。
僕はその瓶を拾い上げると、そのラベルを見た。
"MORPHINE″――モーフィン? 聞き覚えが無い名前だ。何かの薬である事は確かだろうが、その種類すら分からないのでは、何の手掛りにもならない。鎮痛剤なのか、抗生剤なのか、それすらも書いていない。
……いや、名前だけじゃない。化学式のような物が名前の下に書かれている。だが、読めない。
床を調べていると、一枚の紙切れが目に入った。何枚かあるのか、クリップで束ねてある。
僕はそれも拾い上げる。掠れた黒いインクで、乱雑に文字が書いてあった。
『ホスト・コロニアリズムの戦争を思い出せ』
コロニアリズム、と言う言葉は、確か"植民地主義″と言う意味だ。植民地を獲得しようとする動き、およびその動きを正当化しようとする迂曲した思想傾向――。ホストは主催、と言う意味だろうか?
つなげて考えると、"主催植民地主義の戦争″となる。……これも手掛りにはならなそうだ。
銀色のクリップを外すと、裏に固定されていたもう一枚の紙を引っ張り出す。……メモ、ではなかった。写真だ。
男の全体像が写っている。彼の年齢は二十五歳ぐらいか、顔には不敵な笑みが張り付いている。身体には、ぴっちりとした軍服を纏っていた。背後には街の風景が広がっている。高層ビルが遠くに見える。
誰だろうか? 会った事などないのに知っているような気がする。いや、以前の僕は知っていたのだろう。
僕はとりあえず、瓶の中に散らばっている錠剤を詰めると、ラベルと同様に赤い蓋でしっかりと締めた。そしてそのままそれを、ベッド脇のキャビネットに置いておこうと、棚を空け――――。
僕は眼を見張った。額に、冷や汗のような物が垂れるのが感じられた。悪寒が体中を走った。
棚の中には"銃″が置かれていた。銀色と、深い黒のツートンカラーだ。 銃口には、マズルフラッシュ(銃口炎)を押さえるためのコンペンセイターが固定されている。火薬の臭いが、鋭く鼻を突いた。
他にも可変式のアイアンサイトや、使用者の指に合わせるように調整できるトリガー。……多分、競技用の銃だろう。それなら、装弾数もそれほど多くはあるまい。
――その時、僕は疑問に思った。
コンペンセイター、マズルフラッシュ、トリガー、アイアンサイト……。記憶を失っているなら、何故こんな言葉を知っている? 僕は、記憶を完全に失ったわけではないのだろうか?
そしてそれは、更に恐ろしい事実へと繋がることになる。
この銃の所有者は僕だと言う事だ。
そうであるならば、僕は必然的にこの銃を使った事がある。と言う事になる。……もしかしたら、この銃で人を殺めたかもしれない。僕は恐る恐る、その銃のグリップに付いている、マガジン排出用のボタン――なぜか、この部位の名前は頭に浮かんでこなかった――を押した。驚くほど滑らかな動きで、マガジンが床の上に落ちる。
僕はそれを拾い上げ、胸を撫で下ろした。弾は減っていない。つまり、このマガジンを装填した後で、この銃は使用されてはいない。……それ以前に使った可能性は十分にあるのだが。
僕は薬瓶と、銃をキャビネットに戻そうとした。そこで、ある考えが頭を過ぎる。
――僕は記憶を失っている。ここが何処かも分からない。キャビネットには銃が置かれていた。床には、謎の薬が散らばっていた。……わざわざ客観的に見なくても、十分に異常な状態だ。
もしかしたら、誰かに追われているのかもしれない。追っているのかもしれない。
どちらにしても、誰かに殺される危険は十分にあるはずだ。
キャビネットの上には、電子カレンダーが置かれている。今日は九月十五日、土曜日。深夜二時半。
しばしの逡巡の後、僕は、ゆっくりとその銃をズボンのポケットに納める。
その時クローゼットから、鈍い振動音が響いた。
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2006/09/09(Sat)18:41:52 公開 / 宏平
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■作者からのメッセージ
9/9 早速訂正
はじめまして、ここに投稿するのは初めてです。
短編は何度も作ってきましたが、長編はこれが初めてになります。
もしも読み終えた方は、一行でもいいので感想を下さると幸いです。