- 『盲目の記憶』 作者:夢現 / リアル・現代 未分類
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全角2827文字
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原稿用紙約10.6枚
白い部屋。四角く切り取られた窓の外を見上げれば、まるで自由を誇張するかのように青い。そこにはベッドに座り本を見る青年が一人。流はいつものように煙草を燻らす。雪はいつものように本を持ってくる。二人の間で身をくねらせる紫煙。光が視界を狭める。彼らの確認事項は自由とは程遠い言葉で表される。
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白い部屋。日光が差し込めば、それこそ目が眩むほど白く輝く。
オレはいつもの煙草、《TWILIGHT》を銜えながら本を読む。雪の持ってきた本。
雪の買ってきた本はこれで、これをいれて十冊。今回の本は心理的、哲学的な本。特別面白いってわけじゃないけど、退屈凌ぎにはちょうどいい。それに興味がないわけでもない。人間の行動による心理の働き、またその逆もしかり。集団行動上での責任転嫁の様子、及びそれに因って行動に移るまでの遅緩化。意思や責任感の強い変革を齎す人間と他人に合わせ自分は何もしない従うだけの人間。こういう本を読む時気をつけるのは、自分を見ないこと。それだけ。
前に雪が持ってきた本も似たように面白いのが多い。心理学から哲学、病理、森や月の写真集までジャンルも何も関係なく持ってきてくれる。
カチャ
離れたところにある扉がゆっくりと開く。
けれどオレは視線を動かさず、本に向けている。誰が入ってくるかなんて容易に想像がつくし、それは確定されたもの。
「生きてる?」
「生きてるよ」
こんにちはとか元気?とか、そんな挨拶よりもまず先に、二人の確認事項は生死。
「本、また持ってきたけど、いる?」
「まだこっち読んでるからいい。けど持って帰るの大変でしょ?置いてっていいよ」
雪は白いワンピースを着ている。この前は生成のワンピースにレースのストールを掛けていた。雪は肌が白い、というより色素が淡いのでそういうのがよく似合う。そのせいか、話をしたことがない人から見たら、おしとやかで儚い、というような印象を与える。しかしオレのいつも見ていた記憶の中の雪は、口は悪いし性格もおおざっぱだし何を考えているかもよく分からない。日常的に見せる物憂げな表情も、オレに言わせれば愛想笑いさえもしないからあぁいう表情になるんだろうと思っている。
彼女はオレの比較的近くにあった椅子に腰掛け、肩に掛けていたショルダーバッグを足元に下ろした。
「今日は、随分と遅かったね。二時には来ると思ってたんだけど」
「電車が止まったの。人身事故で」
「飛び降り?」
「さぁ」
疑問符を並べるオレたちに答えは知れない。特に外を情報でしか知らないオレには。
「面白い?」
「それなりに」
「ふぅん」
「雪も読んでみたら」
「………」
しばしの沈黙。
「雪、どうしたの」
「その名前、呼ばないで」
「だから?」
「…………」
雪は再び押し黙る。
「教えてよ」
「嫌だ。面倒臭い」
「じゃあ雪で良いじゃん」
「ナガレが付けてよ」
何度、この会話をしただろう。
「じゃあ雪。雪は雪で良いんじゃない?」
オレは本を読みながら、雪との話を進める。実際、本は読んでいないのに、雪の方はあえて見ない。
「却下」
「何で?」
「なんでも」
「我が儘」
雪は三度押し黙る。いつものパターン。
「『他人の物が良く見えれば、君は人として正常だ』」
沈黙していた部屋の空気に、オレの投げ掛けた小さな言葉が波紋を作る。
「何、それ」
「雪が五回目に持ってきた本に書いてあったんだよ。面白かったから覚えてた」
沈黙。
「くだらないね」
「うん、くだらないね。でも、真意だと思わない?」
「それも下らない」
「………全くだ」
二つの小さなほほ笑みが部屋にぽつぽつと浮かぶ。
薄暗い部屋に、眩し過ぎるほどの西日が入り込んでくる。オレの顔の左側と、雪の顔全体が朱に染められる。
煙草の煙もユラユラと漂うように上りながら、その身を白から朱、朱から紫白に色を変えていく。
「綺麗だね」
「……何が」
「太陽の光。あ、今は西日か」
「西日、か…」
「…に照らされている雪も」
「寝ぼけてんの?」
「本気なんだけど」
日常の中の非日常。輪郭が歪むほどの光。遮ろうとするものは硝子窓しかなく、それと雲の間に揺らめき上る紫煙は、細い微かな影を雪の顔に映している。
暫く、二人の間には妙な時間が流れた。言葉は発しないが、思考は迷走を繰り返している。
部屋の中は次第に暗さを増加させていった。
「もう帰る」
雪は椅子からゆっくりと、緩慢に立ち上がる。
「暗くなるから、気をつけてね」
「もう結構暗くなってるよ」
「そうか……」
「あんた、もしかして…」
「気をつけてね」
雪は少し間を置いてから、
「あんたもね」
と言った。
「何でオレ?オレはいつでも此処に居るのに」
「………闇になりそうだから」
「オレは流だよ」
「知ってる」
雪の気配が遠退き、扉に向かう。
「ねぇ」
「何?」
オレの問い掛けに雪が振り返る。白いワンピースがふわっと翻る。オレは手招きでおいで、と言う。
「何?」
「そんなに名前、嫌い?」
「嫌い」
「何で」
「なんでも」
「ふぅん…」
オレは相変わらず、本に目を向けるだけ向けていた。時々、煙草の灰を灰皿に落としたり、新しい煙草に火を付けたりする。
「暗い」
「暗いね」
「…もう帰りたいんだけど」
雪は窓の外に向いていた目をオレに向いた。
「名前、付けてあげようか?」
「何で流が」
「嫌なんでしょ?今の」
「…………」
雪はまた押し黙る。分が悪くなると黙り込むのは雪の癖。何も言わなければ、これ以上状況が悪くなることはないだろうと考えているらしい。
オレは思いきり煙を吸い込む。そして少しずつ吐き出す。そして、次は浅く吸い込む。
「帰る」
雪は踵を返し、オレに背を向ける。オレは背を向けた雪の手首を掴む。雪が少しだけ驚いた表情で振り返る。
「……な」
半分だけ口を開いた雪の顔に、肺に含んだ煙を吐く。
ゴホッ、コンッ!
雪が慣れない煙に噎せる。
「何を…!」
「白煙だ」
「ハク……エン?」
「新しい名前」
「何で?」
咳がまだ治まっていない元雪がオレに問い掛ける。
「前の名前が雪だったから、名残で白。オレの煙がかかったから煙。いいだろ、白煙」
「………」
白煙は白いワンピースを翻し扉に向かった。
「くだらないね」
「嫌?」
白煙はドアノブに手をかけて、ゆっくりと引く。そして、消える直前に呟く。
「嫌ではないよ」
オレはその様を見ずに言う。扉が閉まったずっと後に。
「どうだろうね」
オレは五本目の煙草に火を点ける。窓の外は既に夜の帳を降ろしていた。見上げれば生成色の球体が浮いている。
『人の心とは総じて、移ろい易く脆く、また頑固なものだ。何かを求め、例えそれが手に入ったとしても、他人のものより劣って見えーまた何かを求める。だから人は川の流れや煙の様に一直線には進めない。
しかし、それが人間として正常なのかもしれない。聖人など神など存在しない。全ての分類はヒトかモノ。ヒトに見えるのはヒトとモノだけ。真実や深意など見えない。だから人間は真っ直ぐに進めないのだ。人生を紆余曲折しながら進むのだ』
「流、か」
生成色の月が、オレの心の中に浮かんでいる。
「嘘だよ」
交わることのない闇と月に紫白の煙で橋を渡す。オレの記憶の中で闇と月が睦言を交わす。
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2006/09/03(Sun)16:05:32 公開 /
夢現
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■作者からのメッセージ
初めまして、夢現と申します。
最後まで読んでいただいた方も、そうでない方も、『夢現』という名前だけでも覚えていただけたなら幸いです。
さて、流と雪という名前が登場しました。二人とも感情の起伏が皆無でした。そして白い部屋。今回、色や感情、台詞でさえ、(様々な意味で)真白でした。
次回、私の文が日の目を見るようなことが在れば、色彩のあるものをと思っております。