- 『ひらり』 作者:晃 / リアル・現代 恋愛小説
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原稿用紙約5.9枚
「落ちてくる桜の花びらを捕まえる事が出来たら、願い事が叶うんだって」
そう言った少女は、今、静かに眠っている。
馬鹿馬鹿しいにも程がある、と北川勇樹は呟いた。
他でもない、桜の花びら云々の迷信の事だ。桜の木の下には死体が埋っていて、桜の花はその養分を吸い取って色づいている―――とこれまたよく聞く迷信と照らし合わせたら、そんなもの掴んだところで、願いが叶うよりも呪われそうな気がしてならないのだが。
窓の外から見える桜の木は、憎らしいほどにどれもこれも満開で、風に吹かれてひらりひらりと花弁を宙に散らしていた。
昼間は勇樹の部屋の窓から見下ろせる公園に、花見と称して飲み食いして馬鹿騒ぎして公園を完膚なきまでに荒らしていく、はた迷惑な輩もいたが、流石に午前1時となっては、夜桜見物にも遅すぎる。
昼間とは打って変わって静かになった公園からは、桜が舞う音すらも聞こえてきそうだ。 ふと、机の上の写真が目に入る。どこか別の方向を向いている勇樹の隣に写っているのは、ピースをしてカメラに満面の笑みを浮かべる少女だ。
公園で1番大きい桜の木をバックに、花弁にまみれながら、それでも少女は幸せそうだった。
藤野岬。
2年前―――高校生になったばかりの時から、付き合ってきた勇樹の恋人。
その彼女が、交通事故に巻き込まれたのは、つい先月の事。命は奇跡的に取り留めているものの、目を覚ます可能性は低いと、医師は淡々と告げた。
いっしょの大学、受かってよかったね、と満面の笑顔で言ったのを、今でも覚えている。
桜の花びらを掴めることが出来なくて、願い事が叶わない、とぼやいていた少女。
毎日会いに行っている。眠る彼女を見ていると、穏やかな気分になれる反面、説明しがたい感情が喉元に迫ってきたのも、確かで。
ゆるりと勇樹は首を横に振る。その動作をする事で、彼女のことを頭から切り離す。
ふと窓のそとを見ると、桜の花びらが舞う様にその身を空中に投じている。それを見た途端、勇樹の頭の中に、先ほど打ち消した岬の姿が映った。
『落ちてくる桜の花びらを捕まえる事が出来たら―――』
病室の中、少女は延命装置に囲まれて眠っていた。
外には桜が散っているが、生憎と少女の部屋からは見ることが出来ない。
少女自身も、見ることが出来ない。
深く深く、眠っているのだから。
『願い事が―――』
勇樹はたまらず、家を飛び出した。桜の花びらで彩られた夜の公園へと足を向けて。
病室の中の少女は、そんな事も知らずに眠り続ける。
まるで眠り姫のように。
『願い事が、叶うんだって』
無邪気に微笑んだ少女の言葉を、迷信だろ、と一蹴した。今でもその想いは変わらない。
迷信だ、迷信だ、迷信だ。
頭の中で繰り返し、勇樹は右手を目の前に掲げる。
変わらず桜は散っていく。この花は、死に行く姿まで美しい。
散る花弁は、まるで雪のようだ。
ひらりと目の前に落ちてきた花びらを、勇樹は掴もうとした。あざ笑うように、桜は手の中をすり抜ける。幾度も幾度も、それを繰り返した。
迷信だ、迷信だ、迷信なんだ。
花びらを取ろうと躍起になって、それでも頭の隅っこでは冷静に、その言葉を繰り返す。
迷信だ、と。
一枚の花弁が、勇樹の手の中におさまった。まるで自らそれを望んだように、すんなりと。勇樹はそれを握り締め、さらに握ったこぶしの上に左手を重ねた。
祈りのような、その姿。いや、勇樹は祈っていた。どこの誰とも分らない何かに、それでも確かに祈っていたのだ。
迷信だというのはわかっている。
迷信だと馬鹿にしながらも、今更それにすがり付こうという愚かさも。
それでも。
そっと、思いを込めて呼びかけた。
そうせずには、いられなかったから。
『岬…』
病室の少女は、呼ばれたような気がして長い眠りから目を覚ました。
愛しい人に呼びかけられた気がした。その呼びかけはあまりにも真摯で、泣く寸前のように震えた声だった。
辺りは暗く、窓からぼんやりした月明かりが忍び込んでくるのみ。
うすくフィルターがかかった様にぼんやりする頭を軽く振ると、徐々に視界はクリアになって。
それでもまだぼやける頭で、少女は呼びかけに答える。
「勇、樹…?」
彼女が答えた事を、今はまだ、誰も知らない。
終
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2006/08/31(Thu)17:05:33 公開 / 晃
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■作者からのメッセージ
初めまして、晃と申します。
一発目が季節外れでどうもすみません。
9月近いのに桜て。話の中はきっと大学が始まる前の春休みくらいなのかと思われます(曖昧)。
読んでいただけたら幸いです。
それでは。