- 『GNS −GunNerS− その一』 作者:神夜 / リアル・現代 アクション
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全角12623文字
容量25246 bytes
原稿用紙約36.95枚
GNSに持ち込まれる依頼は変なものばかり。葉月亮介の前途多難な日々はまだまだ終わらない。
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「珍獣アボンヌ」
事の発端は、ロビーに来ていたもじゃもじゃババアだった。
葉月京介(はづききょうすけ)はいつもの日課として、便器の中に中途半端な子供を出産した後、水の流れる音を背にロビーへと戻った。そのときにはすでに、ロビーの真ん中にあるテーブルを囲むように設置してあるソファに、芝原海斗(しばはらかいと)とマダムのようなもじゃもじゃババアは向かい合うように座り込んでいた。便所に篭っていたのはたぶん十分くらいである。十分前にはもちろん、そんなもじゃもじゃババアなんてのは存在していなかったわけで、そうなると京介が便所に篭っている間に、このもじゃもじゃババアは出現したのだろう。
しかしこのもじゃもじゃババア、本当にもじゃもじゃである。何がもじゃもじゃかって、その頭がもじゃもじゃである。アフロとはまた違う。派手にパーマをかけてもきっとここまでにはならないだろう。天然なのだろうか。だが仮に天然だとするのなら、それはもう人間ではないのかもしれない。おまけに海斗に向って何事かをつぶやきながら鼻水を啜り、「おぉーん、おぉーん」などという、怨霊の叫びともつかない泣き声を漏らしている。これが人間であるとは到底思えない。
「――つまり、貴女の家で飼われていた犬が脱走したので、それを見つけて欲しい、と。そういうことでよろしいのですか?」
「犬じゃありませんわっ!! アボンヌちゃんよっ!!」
犬にアボンヌってどんなセンスだよ、と京介は思う。
ロビーに戻った京介の存在に海斗は気づいてるものの、もじゃもじゃババアの頭の中は珍獣アボンヌのことでいっぱいらしく、まるで京介のことに気づかない。いつまでもドアの前で突っ立っているのも馬鹿らしいので、とりあえずソファから少し離れた場所にあるデスクの前にある椅子に座り込み、目の前にあった新聞を適当に眺めながら、海斗ともじゃもじゃババア――略してもじゃババの話を耳に入れた。
「失礼しました。そのアボンヌの捜索を、」
「ちゃんをつけて呼んでくださいましっ!!」
「……アボンヌちゃんの捜索を、我々にお願いしたいと、そういうことでよろしいのですね?」
「そうよ!! 一刻も早くアボンヌちゃんを見つけて欲しいのっ!! あの子、淋しがり屋だから今頃どこかで震えているに決まってますわ……っ、嗚呼、可哀想なアボンヌちゃん……、」そこでもじゃババは重大なことに気づいたかのような声を出し、「も、もしかしたら誘拐かもしれませんわっ!! アボンヌちゃんがあまりに可愛いから……!! ど、どうしましょう、アボンヌちゃんにもしものことがあったら、あたし、あたし……っ!!」
おぉーん。おぉーん。おぉおぉーん。
珍しく海斗が本気で呆れている。このもじゃババ、なかなかの強者だ。
しかし、話を聞いているとつまり、このもじゃババの家で飼っている珍獣アボンヌが脱走したから、それを見つけてくれとここに依頼しに来たのだろう。だが犬一匹のためになぜここへ依頼しに来るのかが謎である。子供を誘拐されたのならまだわからない話ではないのだが、犬である。人間ですらないのだ。犬ならそっちの専門家に任せれば事足りることではないのだろうか。保健所の方がよっぽどいい仕事をすると思う。
まさかここをペット捜索屋と勘違いしているのではあるまいなこのもじゃババ。
目下、そんな仕事を引き受けるはずがなかった。そんな仕事を受けたらメンツが丸潰れである。京介はこの仕事に誇りを持っているし、海斗にしたってそうだろう。だからいつも仕事はきちんと選ぶし、義に沿わないものは絶対に引き受けないのが決まりだった。天下のGNSがなぜ高々犬一匹のために動かねばならないのか。早々にお帰り願おうではないか。
そして海斗もそう思ったのだろう。
「……残念ですがこのお話、我々の方では処理でき、」
「見つけてくれたらこれだけの報酬を差し上げますわっ!! だから一分でも一秒でも早く、アボンヌちゃんを見つけなさいっ!!」
叩きつけられるように海斗に一枚の紙切れが突きつけられた。
小切手なのだろう。海斗はため息を吐き出しながらそれを一応は手に取り、ふと視線を下げて、
実に素早く、そして素晴らしい笑顔を見せた。
「お引き受けしましょう。我々にかかれば犬の一匹や二匹、すぐに穿り出せます」
「待てコラァッ!!」
思わず突っ込んだ。
そのときにようやくもじゃババは京介の存在に気づき、
「誰ですのその野蛮な男は」
黙れもじゃババ、殺すぞ。
もちろん口には出さず、京介は海斗に食ってかかる、
「おかしいだろ!? なんでこんな仕事うげっ!!」
アイアンクローを決められた。こめかみからミシミシと骨の軋む音が響き渡る。
尋常ならざる力で捻り潰しているくせに、笑顔だけはそのままで、
「期限は三日。三日で必ずやアボンヌちゃんを見つけ出します」
「三日……!? もっと早くならないの!?」
「最善は尽くします。一日も早く見つけ出せるよう、全力を注ぎます」
海斗は、笑う。
「我々『GunNerS』――『GNS(ガンズ)』にお任せあれ」
それからいくつか会話をした後、もじゃババは少々不満そうだったが納得してロビーを出て行った。
ようやくアイアンクローが離れた。泡を噴く手前だった意識を何とか戻して、京介はもじゃババを見送った海斗へと再び食ってかかる、
「どういうことだよ!? なんであんな仕事引き受けた!?」
海斗は面倒臭そうに京介を見やり、
「金がねえ。それ一点に尽きる」
「犬一匹見つける金なんて高々知れてるだろ!?」
ほれ、と海斗が京介の目の前に先の小切手を突き出す。
「0を数えてみろ」
「ああ!? そんなもん高が知れてるって、言った、だろう、が……え?」
「これほど割の良い仕事なんて滅多にねえ。犬一匹見つけ出すだけで300万だ」
「……おい、あのもじゃババ何者だ? 犬一匹に300万も出すか普通?」
「人それぞれだ。これで引き受けた理由がわかったろ、わかったらさっさと用意しろ」
「いやちょっと待て、まだ納得したわけじゃねえぞ!?」
瞬間、胸倉を鷲掴みにされて至近距離から据わった眼が京介を射抜く、
「黙れ。口答えは許さん。大体誰のせいで金がねえかわかってんのか。どっかの馬鹿が後先考えずに無駄撃ちばっかりするからじゃねえのか、あぁ? それを何とか抑え込んでる者の気持ち、少しは考えたことあんのかコラ。脳天ぶち抜かれたくなかったら用意しろ。五分以内に仕度を整えて捜索しに行け。いいな?」
拒否すれば、海斗は本気で京介の脳天をぶち抜ぬつもりだろう。
反対なんて、できるはずがなかった。
そんな訳で今現在、京介は街中をぶらぶらと宛てもなく歩き回っている。
手掛かりは珍獣アボンヌの写真、ただ一枚である。写真に写っているアボンヌは、もじゃババに喰われそうな勢いで抱き締められている、その辺をリードに繋がれてとことこ歩いていそうな、何の変哲もないミニチュアダックスフンドだった。これのどこがアボンヌなのか理解不能である。そんな名前をつけられたら逃げ出したくもなるだろう。加えてもじゃババに喰われそうなほど抱き締められているのだ。犬の立場を考えてみる。もう死にたくなる。実際、アボンヌはどこかでのたれ死んでいるのではないかと半ば本気で思う。
が、何はともあれ、引き受けてしまった仕事はきっちりとこなさなければならない。
それがこの世界の掟であるのだ。
とりあえず、もじゃババの異常な大きさを誇る屋敷の周り、半径5キロメートルに狙いをつけて京介は捜索を開始する。犬はどこかへいなくなっても、いつの間にかふらっと家に帰って来ることが多いというのだが、それは普段から家の周りを散歩しているからこそ帰って来れるだけで、アボンヌはこの屋敷から一度も出たことがないのである。「外の世界の醜さはアボンヌちゃんには毒ですわ」だとか何だとかもじゃババはほざいていたが、その顔の方がよっぽど毒だったのではないかと京介は考える。
犬の集まりそうな場所を片っ端から捜索して、野良犬を十七匹も発見するがどれもアボンヌではなく、次いで餌がもらえるような場所を当たってみたのだが、そこで餌を食べているのは猫しかいなかった。引き受けた仕事はきっちりとこなすのは掟であるのだが、そこにやる気が伴うかと言えば答えはもちろん違う。まだ駆け出しとは言え、京介と海斗しかメンバーがいないとは言え、GNSは列記とした世界の裏側の組織である。これまでヤバイ山なんていくつも体験し、修羅場を何度も潜ってきたのだ。そこら辺に偉そうな看板突っ立てて踏ん反り返っている中途半端な組織より、少数精鋭のこちらの方が圧倒的に優れているとさえ思う。
が、何分駆け出しであるため、まだこっちの世界には名などまるで通っておらず、GNSと言っても誰も知らないのだろう。だからこそもっとヤバイ山を片付けて、一気に名前を売らなければならない。なのに、今現在、我々の誇るべきGNSが引き受けている仕事は何か。それは珍獣アボンヌを穿り出すだけの、小遣い稼ぎである。金がなければ何もできないのはわかっているが、こんな仕事に身が入るわけはなかった。
適当に街をぶらぶらと歩きながら、写真と辺りを交互に見て回す。ペットショップの前を通り掛ったとき、ふと思った。もし仮に、ここでダックスフンドを買ってそれをアボンヌだと言い張ってもじゃババに渡したとき、どうなるのか。もじゃババのことだ、何の疑いもなくそれをアボンヌだと信じそうである反面、一発で見抜きそうな気もする。だが前者だった場合、犬一匹20万と考えても、丸々280万の儲けである。それはものすごく美味しい話だと思うだがしかし、どんな馬鹿な仕事でも手を抜いてはならない。癖になったらそれがいつか命を落とす引き金になってしまうことは、嫌というほど知っていた。
事務所を出たのは確か朝の十時過ぎだったと思う。気づけばすでに日は暮れ始め、住宅街には夕飯の匂いが漂い始めていた。腹の虫がぐるぅと鳴いた。腹が減っている。そういえば朝から何も食べていない。そろそろ何かを食べたいのだが、生憎として外食できるだけの金は持っていないし、何の情報も得られず事務所に帰ったら海斗に殺されるだろう。どうしたものか、何か良い案はないものか。むしろ目の前をすすーっとアボンヌが横切ってくれたりは、
「……え」
アボンヌが、目の前を通り過ぎて行く。
何の変哲もない住宅地の道路を、一匹のダックスフンドが横切っている。思わず写真と目の前の犬を見比べた。そっくりである。おまけに首についている宝石がギラギラと輝く豪華な首輪。それが決定的な証拠だ。目の前にいるあの犬が、アボンヌだ。
テンションが一気に高まった。京介は奇声を上げながらアボンヌに襲いかかる。相手は鈍足なダックスフンドだ、いきなり奇声を発すれば驚いて一瞬止まるだろう。そのときにはすでに京介は間合いに入っているだろうし、そこから逃げ出すのはアボンヌにはまず不可能だ。そして計算通りにアボンヌは京介の奇声に驚いて振り返り、一瞬だけ動きが止まる。それが命取り、京介の手がアボンヌの首輪を鷲掴みにし
その場からアボンヌが消えた。
消えたかと思うほど素早く、アボンヌが走り出した。
「何ィイッ!?」
とんでもなく速かった。これはおそらく、迫り来るもじゃババから逃げ延びるためにアボンヌが考え抜いた、最強の走法なのではないか。
などと考えている内にもアボンヌとの距離はどんどん開いていく。慌てて後を追う。犬と人間の駆けっこの場合、普通は犬が圧勝するだろう。だがそれは中型犬以上が絶対の条件である。小型犬はその体のせいで速く走れないはずであるからして、簡単に捕まえられると思っていたのにどうだ、今ではアボンヌの姿を見失わないだけで精一杯である。これが命の危険を感じ取った野生の本能が生み出した走法か、何と凄まじいことだ、それほどまでにもじゃババはアボンヌにとって恐ろしい存在だったということか。
走る走る。端から見れば犬を追い掛け回すただの変質者に見えるだろうが、こっちには生活が懸かっている。人の目を気にしている余裕など微塵もなかった。それにしてもアボンヌは速い。ここまで速い犬を京介は今までただの一度も見たことがなかった。犬の体力を舐めてはいけない。京介もそれなりに鍛えているつもりだが、犬にはどうやら負けるらしい。もうどれだけ走ったのか、そろそろ肺が限界に達しそうである。ここでアボンヌを逃がしてはならない。逃がすくらいならいっそここで後ろ足を撃ち抜いてやろうか――、
半ば本気でそう思った意識が、無意識の内に腰のベルトのフォルダーに納まっていたグリップを握っていて、
結果的に、それがすべてを変えた。
向こうにしてみても、気づいているとは到底思っていなかったのだろう。実際、京介はアボンヌのことだけで手一杯であって、背後から何者かがとんでもないスピードで追っていることになんてまるで気づいていなかったし、グリップを握らなければ平常心は取り戻せず、背中を撃ち抜かれていた可能性だってある。しかし結果的に京介はグリップを握ったことで平常心を取り戻し、背後から迫っていた殺気に気づいた。
反射だった。
足を地面に固定したと同時に、右足を軸にして背後を振り返り、何者かの心臓に銃口を突き当てた。同時に何者かの銃口は京介の額に押し当てられ、互いにトリガーを引けば命を奪える急所に狙いをつけている。
意識が冷めていく。アボンヌのことなど頭の片隅にも残っていない。今、銃口を突きつけ合っているこの男が何者なのかだけを考える。かなり屈強な男である。見た感じでは犯罪者であるとは思えないが、一般人が銃なんてものを持っているはずはない。何よりもこの男の雰囲気や体捌は、京介のそれと限りなく近い。ならば答えはひとつしかない。この男、同業者である。だがなぜ同業者がこんな所にいるのか。まさかアボンヌを誘拐したのが同業者でしたなんてオチじゃないだろうな。そうだったらあのもじゃババがGNSに依頼を求めたことについて説明が行くような気がする。まったくもって厄介な山である。
グリップを握り締める手に力が篭る。
「……同業者か、あんた」
京介の問いに、男は笑う。
「ていうとお前もか。珍獣を追ってるってこたぁ、まさか本当に誘拐だったとはな」
珍獣、という言葉に引っ掛かる、
「待て、珍獣ってアボンヌのことか?」
「そりゃそうだろう。お前が誘拐した犬だよ」
待って欲しい。すると何か、この男も京介と同じことを思っていたということか。それはどういうことなのか。あのもじゃババが、GNSだけではなく、別の組織にも依頼を頼んでいたということか。基本的に、この世界ではひとつの依頼はひとつの組織と決まっているのだが、そんなことを知らない表の人間が金にものを言わせてひとつの依頼を多数の組織に持ちかけることがある。ダブルブッキングと呼ばれるものだ。運が悪ければ依頼を巡って組織同士の抗争に発展することもある。あのもじゃババ、本当に厄介なことをしてくれた。
京介はまずは話さなければならないと思い、銃を下ろした。
「誤解だ。おれもあんたと同じ依頼を受けてる」
男は怪訝な顔をした後、
「あ?」
「ダブルブッキングだ」
きょとん、とした後、男が豪快に笑った。
「あのババアならやり兼ねえことだ」
やはりもじゃババからの依頼を受けていたらしい。
男も銃を下ろし、
「悪いことをした。珍獣を見つけたと思ったら追ってる奴がいたからな、本当に誘拐だと勘違いしちまった。お前の仕事を邪魔して悪かったな」
「あんたは別に悪くねえよ。悪いのはあのもじゃババだ」
そりゃそうだ、と男はまた笑って近くの塀に凭れかかり、手に持っていた銃を背中にしまった。
「……それ」
男が持っている銃は、44口径マグナムである。
飾ってあるのは何度か見たことはあるが、実際に使っている者を見るのは初めてだった。
男は京介が言いたいことを理解したのか、ふっと顔を緩めながらどこかから取り出した煙草に火を点けながら、
「おれの愛銃だよ。かと言うお前は、また随分一般的な銃使ってるな」
京介が握っているそれは、ベレッタM92FSである。銃と言えば大半の人間がこれを想像するのではないだろうか。
「これが一番しっくり来るもんで」
煙草の煙が空間に流れ出すと同時に、
「ところでお前、どこの奴だ?」
そう訊かれるのが、実は京介はあまり好きではない。
「……GNS」
「GNS? 聞いたことねえな」
こう言われるからに決まっているからだ。
まだ駆け出しであるため、名が知れていないのは仕方がないことであろう。
が、慣れてしまったものである。
「GNSの葉月亮介。あんたは?」
おれか?、と男は少しだけ自慢げに笑い、
「片翼。片翼の瀬良眞人(せらまこと)だ」
片翼。片翼と言えば確か、まだ最近結成されたばかりの組織ではなかったか。
しかしルーキーの中ではズバ抜けている組織だ。総人数はルーキーでありながら三十人を越え、今まで任された依頼はすべて確実に成功させ、一人一人の実力も並外れたものであると巷で噂されている、今現在、最も勢いのある組織。そんな所にまであのもじゃババは手を回していたのか。ならいっそのことそっちに全部任せれば良かったのではないか。名も知られていないGNSに頼むより、名の知れている片翼に頼んだ方が確実である。もしかすると、こっちに先に頼んだが頼りなかったので片翼にも頼んだのかもしれない。そうだとすればとんでもなく失礼な話である。
おまけにこの瀬良眞人という男、かなりの人物だと予想される。先の追跡にしてもそうだし、一瞬で照準を京介の額に突き当てた。身のこなしは京介と同等か、それ以上である。こんな者が片翼にはゴロゴロとしているのか、それともこの男がその中でも飛び抜けているのか。何にせよ、片翼の噂におそらく嘘はないのだろう。片翼とGNSがガチンコ勝負などすれば、一気に踏み潰されるような気がする。
しかし、譲れないものがある。
「――悪いがこの仕事、譲る気はないぜ?」
眞人は豪快に笑い、
「だろうな。おれもねえさ。だがここで互いに潰し合う気もねえ。……どうだ、いっちょ手を組んでみねえか?」
「手を組む?」
「おうよ。お前が珍獣を先に見つけて、それをおれが邪魔したのは紛れもない事実。そのことは詫びる。だがおれもこのまま引き下がったんじゃメンツに関わる。だから手を組んで珍獣を捕獲するんだ。もちろん儲け分は五分五分。あのスピードなら二人でやった方が確実だ。どうだ、悪い話じゃねえと思うんだが」
確かに、アボンヌの脚力を舐めてかかっては永遠に捕まえられないだろう。その内、本気で足を撃ち抜くかもしれない。報酬が五分五分というのは少しばかり痛いところであるが、犬一匹捕獲するのに150万と考えてもかなり美味しい仕事だ。それにこの男と手を組めばより簡単にアボンヌを捕獲できると思う。海斗は反対するだろうが、現場に出ているのは京介である。こっちの独断で行かせてもらおう。怒られたら何か上手い言い訳でも話せば何とかなるだろう。
京介は笑う。
「その話、乗った」
眞人も笑う。
「そうこなくちゃな」
こうして珍獣オボンヌ捕獲作戦が決行される。
テイクT。
袋小路作戦。
京介の追跡から逃れたと思って安堵しているアボンヌの背後から、再び京介が奇声を発して襲いかかり、逃げ先を巧みに誘導して、眞人が待ち構える袋小路に誘い込む作戦である。二人は手分けしてアボンヌを再び捜索し、見つけてもすぐには手を出さずにその後ろを気づかれないように尾行しながら、チャンスを待った。やがて五分ほど追跡した後、袋小路作戦が最高の威力を発揮する場所へと出た。T字路である。T字路の左には眞人が待ち構えていて、京介の役目は上手くアボンヌを左の道へと誘導することだ。いつの間にか交換した電話番号で連絡を取りつつ、一瞬の合図と共に袋小路作戦が実行に移された。
京介は奇声を発しながら突如としてアボンヌを追い駆け回す。度肝を抜かれたアボンヌは瞬間だけ硬直するが、口を割かして笑い(あくまで京介はそう見えた)ながら最強の走法を発動させた。刹那の感覚でアボンヌの姿が京介の視界から消え失せ、T字路の突き当たりまで特攻する。ここで右に行かれてはならない。幸いにしてアボンヌには誘導されているかもしれないなんて考える頭脳はないはずだから、左にさえ追い込めば上手く行くはずだ。京介は実に素晴らしい体捌きを見せ、見事アボンヌを左の道へと誘導した。
ここからは眞人の出番である。眞人は真っ直ぐに突っ込んで来るアボンヌを見据え、腰を低くして抜かれないことだけにすべてを置く。前方に敵を発見したアボンヌは僅かに強張った顔をしたのだが、構わずに特攻した。恐るべきスピードだ。まだ上がるまだ上がる、アボンヌの限界とは一体どれだけ速いのか見当もつかない。それでも眞人はアボンヌの姿をしっかりと捉え、走行コースを読み取り、完璧に抑え込んだ――かに見えたのだがしかし、それは起こった。
眞人とアボンヌが接触する刹那の一瞬、
アボンヌの体が消えた。本当に消えた。
そして気づけば、アボンヌは常軌を逸したスピードで一点突破を成し遂げていた。眞人の足の間を通り抜け、背後へと消えて行く。
それに少し遅れて追いついた京介を見つめ、眞人はこう言った。
「……いやあれ、犬のスピードじゃねえって絶対」
言い訳に過ぎなかった。
テイクU。
ゴキブリホイホイ作戦。
アボンヌの大好物は松坂牛のステーキであるらしい。それを道の真ん中に設置し、アボンヌがそこに近づいた瞬間、道路と同じ色にカモフラージュしてある網が作動する仕組みだ。つまりはゴキブリホイホイのアイディアを上手く活用したトラップである。が、問題は松坂牛のステーキを買うだけの金を、京介も眞人も持っていなかったということだ。京介の所持金は500円だったし、眞人に至っては煙草を買ったせいで20円しか持っていなかった。520円で買える肉など高が知れいているが、仕方がないので二人の全財産を叩いて肉を買い、眞人のライターでミディアム風に焼き上げ、トラップを仕掛けた。
アボンヌが何も知らずに道路を歩いて来て、やがて道路に肉が落ちていることに気づく。京介と眞人は攀じ登った電柱の上からその様子を見守っている。行け、喰え、貪れ、と念を送りながら拳を握る二人の目の前でしかし、アボンヌはまるで興味なさ気に、わざわざ肉を遠回りして通り過ぎて行った。すべてが終わったときには、虚しさだけが残っていた。
アボンヌは美食家だった。
テイクX。
友達作戦。
アボンヌは、京介たちが見知らぬ人であるから警戒しているのではないか。ならばこっちからフレンドリーに接してあげれば、心を開いて近寄って来てくれるはずだ。二人はそう考えた。だから無謀にもアボンヌの前から堂々と現れ、素晴らしい笑顔を浮かべながら片手を上げ、口々に「よお、アボンヌじゃねえか!」「久しぶりだなぁ」「元気してたか?」「そうだ、おれらとどっか遊び行かねえ?」なんてことを語りかけた。気づいたときにはすでに、アボンヌはそこにいなかった。
アボンヌは馬鹿じゃなかった。
テイク[。
もう面倒なので一気に殺してしまおう作戦。
さすがに八回目となると、正直な話、面倒であると同時に馬鹿らしくなって来ていた。いっそこの辺りでアボンヌを殺してしまおうかと本気で思っている二人。だが殺してしまうと報酬は受け取れないので、半殺しにしようと思う。もじゃババには「野犬に襲われているところを助け出しました」と言えば事足りるはずである。犬に舐められっぱなしでは、組織のメンツどころか、人間としてのメンツすら危うくなってくる。これでは駄目だ。闇の組織に生きる人間として、犬一匹捕まえられないなどと知られたら、末代までの恥。人間様と犬畜生、どちらが上なのかはっきりさなければならない。
京介はベレッタを、眞人はマグナムを、本気で抜いた。
裏の世界の暗黙のルールとして、一般の場所で銃を使うことは禁止されている。使ったらどうなるかくらい馬鹿でもわかる。だからこそ、使わないことがルールだ。しかしここまで舐められたら、ルールだとか何だとか言っている場合ではない。人間様の恐ろしさを、犬畜生に叩き込んで、もう二度と人間を馬鹿にできないようにしてやらなければ、気が済まなかった。
アボンヌもこれが最後の勝負だと悟ったのか、その足が廃ビルへと向った。そこなら銃を放っても通報されることはないだろう。おまけに時間はすでにどっぷりと夜に浸ってしまっている。月だけが見つめる空の下、廃ビルの屋上で二人と一匹は対峙する。
「いい度胸だアボンヌ」
京介の言葉に、アボンヌが「わん」と鳴いた。それがなぜか「人間風情がおれ様を捕まえられるかな?」という言葉に聞こえた。もう末期かもしれない。人間のくせして犬の言葉がわかる痛い人になってしまっている。しかし知ったことではない、ここで息の根を止めればすべては闇に葬り去られるのだ。末期症状はどうやら眞人にまで感染しているらしく、マグナムを握り締める気配は本気だった。
最終決戦が行われる。
アボンヌがその場に残像を残して消え失せ、だが京介と眞人はまるで騙されることなく消えた姿を追いながら、それぞれトリガーを押し込もうと、
「――それまでだ馬鹿共ッ!!」
一発の銃声が響いた。
アボンヌが立ち止まり、二人が銃声の方を向く。
そこにいたのは、黒服を身に纏った、六人の男だった。どう見てもカタギではない。京介たちのような同業者のようにも見えない。どちらかと言えば、表の世界に蔓延る本職の方々みたいである。そんな表の世界の住人が、一体何の用か。おまけに二人より早くに銃をぶっ放している。なんと無用心なことか、これで警察が来たらどうするつもりだったのだろう。
二人は怪訝そうな顔で黒服の男たちを見つめる。リーダー格と思わしき一人が銃を二人に向けながら一歩踏み出し、
「犬の発見ご苦労。本当は捕まえてくれてから登場する予定だったんだがな、役立たずに任せるのも馬鹿らしくなってきた。お前らがどこの誰だかは知らねえが、その犬はおれたちが攫ったんだ。邪魔する奴は、消す」
なるほど、と京介は思う。
どうやらアボンヌは本当に誘拐されていたらしい。この状況からするとつまり、誘拐したまではいいのだが途中でアボンヌに逃げ出されてしまい、捜索していたところ、アボンヌを追い駆け回す京介たちを見つけ、しばらく様子を窺っていたのだろう。だがいつまで経っても二人がアボンヌを捕まえられないことに痺れを切らして出て来た、とそんなところだろう。しかし後から出て来て偉そうだ。結局はそっちの不始末でアボンヌが逃げ出したのではないか。この役立たず共め。
「なぁ、京介?」
眞人がふとつぶやく。
「何だよ?」
言いたいことはわかるが、あえて問い返す。
眞人は、やはりこう言った。
「――こいつら、潰すぞ」
京介は笑う。
「奇遇だな。おれもそう思ってたとこだ」
リーダー格の男は馬鹿にしたかのように口を吊り上げ、
「潰す? おいお前ら、おれたちが誰か知ってそんな口を叩ぐべがッ!!」
眞人の一撃は、いとも簡単に男の口を潰した。
銃弾ではなく、ただの拳であるのだが、屈強な体から繰り出されるそのパワーは驚くべき威力を持っているのは目に見えている。倒れ込んで行く男を足で踏み潰しながら、眞人が叫ぶ。
「かかって来いやぁあッ!!」
驚愕していた男たちが我に返り、銃を構える。
構えるのだが、指がトリガーを押し切るまでに銃が片っ端から撃ち落された。銃声が五つ木霊し、銃が弾かれた反動で男たちの動きが停止する。沈黙したベレッタを握り締めたまま、京介は駆け出す。同時に反対方向から眞人も走り出し、次から次へと拳で薙ぎ倒して行く。表と裏では、決定的な差がある。表の世界で生温い風に当たりながら頂点を極めたような顔をする馬鹿が、冷酷な風を浴びながら泥水を啜り命のやり取りを繰り返して育って来た裏の世界の人間に、勝てる道理などひとつも存在しない。
十秒も掛からなかった。眞人が最後の一人を投げ捨てると同時に辺りは静寂に包まれ、京介と眞人の笑い声だけが響き渡る。
そして二人揃ってそれまで動いていなかったアボンヌを振り返ったまさにそのとき、黒服の男たちよりも遥かに厄介な事態が発生した。先の乱闘が原因なのか、アボンヌの足元のコンクリートに罅が入り、一気に崩れ落ちた。突然のことに成す術なく落下して行くアボンヌの鳴き声が耳に入ったときにはすでに、無意識の内に京介は駆け出していて、身を空間に投げ出しながらアボンヌを追っていた。下はもう何もなかった。五階分の高さを真っ逆さまだった。それでも必死にアボンヌを鷲掴みにして助け出し、手を伸ばして突き出ていた鉄甲に捕まろうとするが反動によって弾かれてしまう。
あ、ヤベ、なんて間の抜けたことを思った一瞬、
その手が大きな手に捕まれる。眞人の手だった。
空中にぶら下がり、片手にアボンヌを持ちながら、京介は眞人を見上げた。
「……悪りぃ、助かったわ」
実に気持ちの良い笑顔が返って来た。
「気にすんな。おれらはもう、ダチじゃねえか」
笑う。男の友情が芽生えた瞬間だった。
そして、異変に気づいたときにはもう、アボンヌが京介の手の甲に齧りついていた。
奇声を上げた。唐突なことだったため、バランスなどまるで取れなかった。暴れ回る京介に体重を持って行かれ、驚きの声と共に眞人の体も宙に投げ出された。二人と一匹が落下する。もしかしたら、そのまま二人と一匹は死んでいたのかもしれない。だが結果的には死なずに済んだ。それはオボンヌが特殊能力に目覚めて空中浮遊を完成させたとか、京介は実はサイボーグで100メートルの高さから落ちても死なない体だったからとか、そういうミラクルではなく、単純に眞人が鉄甲を掴んでくれたからこそだった。二人と一匹はまたしても宙ぶらりんのまま、連絡を受けた海斗が助けに来てくれるまでの約二時間、ずっとそうしていた。アボンヌときたらのんきなもので、京介の手に齧りついたままいつしか爆睡していた。殺した方がいいのかもしれない。
結局、報酬は約束通り五分五分になったが、金では得られない友情を得た。
代わりに、無駄撃ちをしてしまった罰として、海斗より食事三日間抜きと便所掃除の命が下った。
余談であるのだが、アボンヌが再び失踪したのは、それから五日後の話である。
もちろん、もう二度とその依頼を受けないと決めていたのに、海斗が引き受けた。
アボンヌを連れ戻す度、京介の手の甲には傷が増えて行くのであった。
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■作者からのメッセージ
はい、えー、初めまして。神の夜と書いて神夜です。ちなみに、これまで「神夜」という方がいたらしいですが、別人です。きっと別人です。自分はそうだと信じています(マテコラ
さて、小説を書くのは果たして何ヶ月ぶりか。むしろここへ訪れるのも何ヶ月ぶりなのだろう。ここいらで小説書かなければヤバイぞオイ、と悟って書き始めたら案の定、描写はガタガタで会話は流れない、おまけに物語構成も適当。それでも書き続けることに意味がある、などと一丁前のことを言いつつ、とりあえずはリハビリ作品であるこの【GNS】。
一応、一話完結型みたいな感じで行こうかな、と思う。いやもしかするとこれで終わる可能性もある。もし神夜に気力があってこの続きを書き始めるのだとすれば、次回は機関銃ぶっ放す少女のお話。少女が巨大な銃持って暴れ倒すような風景がなぜか書きたい。理由はただそれだけである。そして適当な構成通りに行くのであれば、次回からがちゃんとした【GNS】になる予定(笑
というわけで、次回があるかどうかはわかりませんが、あるのならどうぞまたお付き合い願えれば幸いです。誰か一人でも楽しんでくれることを願い、神夜でした。