- 『奇跡』 作者:レイ / 未分類 未分類
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全角5084文字
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原稿用紙約15.3枚
――ありがとう。奇跡に感謝します。ありがとう。奇跡は何気ないところにある。奇跡は思いがけないところにもある。花一本の優しさで、私達は奇跡に感謝できる。
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私は花売りです。今日も街の大きな通りに一人、ずっと立っています。今日は暖かいと聞いていたのに、朝から少し寒いです。空は澄み渡るほど晴れて、太陽は力一杯私を照らしてくれているのに、寒い。でも今はそれよりも、手からカゴを下げて、通りを歩く人にお花を売らなくては。
「花はいかがですか? 綺麗なお花はいかがですか?」
かごのなかにたくさん入っている、紅い花。とても綺麗だけど、花なんて誰も買ってはくれません。花は綺麗なのに、それを売る私の格好が薄汚いせいでしょうか。私は貧乏です。誰かが花を買ってくれなければ、またおばあさんに叱られます。
私の売り方が悪いのでしょうか。花一本も売れないで家に帰るのは、昨日で三日目です。今日の朝、おばあさんに言われました。
「花を一本。一本だけでも売ってくるんだ。そうじゃなかったら、家にいれないからね」
私は帰れません。まだ一本も売れていないから。あぁ、なんだか体が熱い。景色が歪む。風邪かしら、胸がつぶれそうに痛い。
でも私は帰れない。家でゆっくり横になりたくても、私はまだ一本も売ってはいない。それなのに帰ったら、私はきっと捨てられてしまう。
頭が痛い。何か頭に、冷たく細く尖ったものを突き立てられているよう。体が重い。全身がだんだん、鉛に変化していくよう。
声が、出ない。世界が曲がる。回る。溶ける――。
足が無いみたい。私は、自分がどうやって立っているか分からなくなって、自分がどうやって生きていたか分からなくなって……。
あぁ、誰か。お花一本の優しさを。
お花一本の成果を。
買ってください。私はそれで『帰る』ことができる。
「その花、一本もらえますか」
消えかけていく景色の中に、誰かが立っている。私は手に握っていた花をその人に渡した。男の人だ。私より年上だけど、若いみたい。
「ありがとう。はい、おかね」
彼が私に渡したお金は、花一本の値段ではなかった。私のかごの中の花全て買っても、少しおつりが残る。それぐらいの金額。
「今日は良い事があったんだ。だからそれを、君にプレゼントする」
そういって彼は行ってしまった。ぼぉーとする頭の私にでも、分かった。あれは神様なのだ。きっと、神様が見かねて下りてきてくださったのね。
ありがとう。奇跡に感謝します。ありがとう。
私は帰れる。輝く奇跡を、ありがとう。
神様は私に、奇跡を『下さった』
自分は乞食だ。いや難民? ホームレス? 死体予備軍? なんでもいい。服はボロ雑巾みたいで、もう服とは言えず、体も顔も汚れ果てているから、自分を見て女の子だと分かる奴はいないだろう。分かるとしたら、この長い髪を見て言ってるんだろう。自分を見る人間など、存在しないが。
私はこの街の大通りに三日前から、ずっと座っている。もう動く気力も無い。疲れ果てた。うんざりだ、もう死ぬとしよう。
ある雨の日だった、大雨だった。私はこの町より南にある、ちいさな村に住んでいた。平和に暮らしていたんだ、両親と祖父と祖母と仲良く暮らしていた。それがある日、村が盗賊に襲われた。皆あっと言う間に、殺された。自分は両親にかばってもらって、なんとかこの街に逃げ込んだ。それいらい、ここに座り込んでいる。
だけど、もう嫌になった。生きることが……、この人のなかで生きていくことが。誰も自分に手を差し伸べない。誰も、この汚い女の子を見ようとしない。誰もが知らん振り、優しさの欠片も無い。
空があの日と違って、かんかんに晴れている事が、唯一世界が自分に向けてくれている優しさだ。雨はあの日以来、嫌いになった。
澄み渡る青空。真っ赤に燃える太陽。けっこうじゃないか、こんな天気の日に不幸なんか訪れたりしない。もっとも自分には幸福も訪れないけれど。
大通りを睨みつける。これだけたくさんの人がいるのに、誰も声をかけてこない、助けの手を差し伸べてはくれない。優しさなんかはこの世にはないんだろう。もう生きてはいけないのだ。
お金をくれとはいわない。食べ物をくれともいわない。寝床をくれともいわない。ただ、花一本の優しさぐらいくれてもいいでしょう?
小さくてもいいんだ。誰か手を差し伸べて。それで自分は生きられる。自分に足りないのは、生きる勇気なのだから。
あぁ、誰か。花一本の優しさを。
花一本の勇気を。
私にください。私はこれで『生きる』ことができる。
「これを貰ってくれますか?」
消えかけた景色のなかに、一人の男が立っていて、私に手を差し出している。その手の中には、紅い花。小さくて綺麗な、紅い花が握られていた。
「くれるの?」
「ええ、もちろん」
私は力の入らない手を、伸ばす。花を受け取る。私の手の中で、花が一本揺れている。
彼は言った。
「あぁ、今日はなんて良い日なのだろう。では」
彼はしばらく私を見つめたあと、立ち去った。顔は覚えていない。ただ私より、少し年上で、でも若い男の人。
私は悟った。あれは神様なのだ。お母さんがよく聞かせてくれた。奇跡を与えてくださる、神様なのだ。
私は立った。やっぱり何も食べてなくて飲んでいないと、ふらふらするけど、生きる力はそれを超える。とにかく、生きよう。
だって、神様が奇跡を与えてくださったのだもの。
ありがとう。奇跡に感謝します。ありがとう。
私は生きれる。輝く奇跡を、ありがとう。
神様は、私に奇跡を下さった。
俺は画家だ。そこそこ売れていて、生活には困らない。毎日せわしなく筆を白い世界に走らせて、それで人を魅了し、お金を貰う。
だけど、最近行き詰まってしまったのだ。何を描いても楽しくない。人に言われたとおりに、筆を動かして……、お金のために、筆を動かして。なんにも楽しくない。
俺は、自分の部屋の絵を描いていた。誰のための絵でもない。自分のための絵だ。そう、俺は描きたいから絵を描くんだ。俺はいつも俺自身のために絵を描く。
ひたすら自分の部屋を描くのに没頭した。だけど途中で気付いた、なんて殺風景なのだろう。キャンパスに描かれている俺の部屋は、白黒の部屋みたいに味気の無いものだった。部屋のあちこちに立てかけてある俺の絵の中には、色が溢れているのに、部屋自体には、色がない。
筆が止まって、動かなくなった。なんど描こうとしても、絵に筆がつかない。俺の体が拒否する。絵は半分ほど描いてあって、そこから変化しない。
仕方なく、部屋の絵は諦めた。別の風景を描く事にした。窓からみえる景色なら綺麗で、色にも溢れている。そう思い、気を取り直して筆を取った。そのあいだ仕事は放棄した。絵を買ってくれる商業者にも、しばらく休むと伝えた。
しかし、俺は絵を一枚も完成できない。なぜか、途中で筆が止まってしまうのだ。原因が分からず、何度も描く風景を変えた。だけど、描けない。ふと一番初めの、部屋の絵に目がいく。
これを、これを書き終えなければ、駄目なのか? 俺は、何かを乗り越えなきゃならないのか?
それからは、未完成の絵とのにらめっこだ。いつまでたっても俺の筆は、キャンパスを滑らない。いっこうに絵は完成には近づかなかった。
俺は嘆いた。色が無いなら、持ってくればいい。俺はフルーツを買ってきた。部屋に飾る。駄目だ――。違うんだ、そうじゃない。
俺は落胆した。いままで皆は俺の感性を褒め称えてくれた。だけどそうじゃない、たまたまだ。たまたま描いた場所が、たまたま完璧に綺麗だっただけだ。
俺は、答えなんか分かっちゃいない。適当に答案に答えを書き込んで、それがたまたま正解だったのだ。ちゃんと感じて答えにたどり着いたわけじゃないんだ。俺の体は、いままでのそれでは、満足しなくなったのだろう。
絵を描けなくなった。死にそうな生活が続く。もう何日絵を描いてない? もうどれくらい筆に触っていない?
俺は大通りを歩いた。澄み渡る空も、もう描いた。あの素晴らしく輝く太陽も、もう描いた。俺がキャンパスに閉じ込めた綺麗さは、ただ誰もが感じる漠然としたものだけだ。俺自身が気付いた綺麗さじゃない。
ふと足を止める、女の子が花を売っている。紅い紅い、小さな花。女の子の手に握られて、揺れている。世界が止まる。止まってしまった。
大通りを歩く、誰もが気にも留めない。女の子の手に握られている花には、ちらとも気付かずただ流れていく。なぜ皆気付かない? あんな美しい紅、見たこと無い。何か、不思議な何かを感じる色だった。
俺は喜んだ。歓喜した。だって絵が描けるんだもの。あれこそが、求めてやまなかった答えだ――。
俺は女の子に駆け寄って、言った。
「その花、一本もらえますか」
女の子は、俺をじっと見つめてから、黙って花を差し出してくれた。受け取って、嬉しくて、俺はポケットに手を突っ込んで、全部ひっつかんだ。
「ありがとう。はい、お金」
ポケットに入ってたお金を全て女の子に差し出す。いいんだ、お金なんかいらない。俺は絵が描ければそれでいい。
女の子が信じられないと言う顔で、俺を見ていた。
「今日は良い事があったんだ。だからそれを、君にプレゼントする」
そういって俺は、自分の家に戻った。花を持つ手が少し震えていたけど、心の中は穏やかだった。
絵は自分でも驚くような速さで仕上がった。俺の部屋に一点の紅。花瓶はなかったから、コップに水を入れて、その中に花を入れておいた。ただの花なのに、まるで太陽の欠片のように、きらりと光っているように感じた。
感じるままに筆を動かす。ただ、部屋の中央で揺れている花の色を表現しようと苦心する。楽しい、とても楽しい。
無限の時というのを感じた。絵が仕上がるまでの間。誰かが俺に、特別に時間をプレゼントしてくれた。
驚いた事に、絵はその日に仕上がった。二時間もかかっていない。俺は、もう自分で答えを見つけられる。――そうだ、あの子にお礼を言いにいこう。
花をコップから抜いて、俺は外へと出かけた。足取りは軽い。とても素敵な日だ。あんな風に絵を描いたことはなかった、まるで奇跡が俺のもとに降り立ったようだった。
女の子から花を買った場所にきた。けど、彼女の姿はない。どこに行ったのだろう、少し探し歩いてみようかな。
しばらく大通りを歩き回ったけど、女の子はいなかった。残念だ、もう帰ってしまったのだろう。ふと、大通りの端に座り込んでいる子が目に入る。
やつれた、髪の長い女の子がいる。やせ細っているが、とても可愛い子だ。俺にはわかる。隠れていても美しいものに気付けるんだ。俺は。
ぼろぼろの服を着て、全体的に汚れている彼女は、無表情で通りを眺めていた。彼女と、さっきまでの俺の部屋が重なって見える。大変だ、これは大変だ。また、また絵が書きたくなってきたぞ。
「これを貰ってくれますか?」
女の子に、花を差し出す。紅い、俺を救ってくれた花。俺の部屋を飾り付けてくれた花。
「くれるの?」
「ええ、もちろん」
彼女は手を、伸ばして花を受け取ってくれた。彼女の手の中で、花が揺れている。あぁ、また素晴らしい景色に出会えた。
俺の部屋をかざりつけてくれた花は、今は彼女をかざりつけている。ただもっているだけで、その二つはとても綺麗に輝きだす。
俺の体の中を、何かが凄まじい勢いで駆け抜けた。これは、これは電気が走ったという、あれか。素晴らしいアイディアや、インスピレーションを授かった時に感じる稲妻か。あぁ、奇跡だ。俺は一日に、二度も奇跡に出会えた。
「あぁ、今日はなんて良い日なのだろう。では」
半ば呆然としながら、俺は少女にそういい残し立ち去った。少しいったところでもう一度振り替える。女の子は大事そうに花を手で包み、微笑んでいる。これだ、これなんだよ。俺は、つい手で『窓』を作り、その景色を心に映した。
もう花はいらないんだ。もう見つめる必要はないから、誰かが持っていてくれたほうが花は輝く。俺はもうあの花を覚えた。とても素敵な絵が描ける。
あの花には、力を感じる。ただの紅い色じゃない。俺は部屋に帰って、思う存分、紅を使う。ただ、あの不思議な生命に溢れた小さな光をキャンバスに納めることだけを夢見て。
あぁ、描くんだ。花一本の美しさを。
花一本の生命を。
俺は。俺はこれで『描く』ことができる。
ありがとう。奇跡に感謝します。ありがとう。
俺は描ける。輝く奇跡を、ありがとう。
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2006/08/10(Thu)12:32:21 公開 / レイ
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■作者からのメッセージ
はじめまして。レイといいます。
ここって何を書けばなのかさっぱりなのですが。
読んでくださった方・感想・批評を下さった方
ありがとうございます。