- 『白い夏と天使、それと僕』 作者:D / 恋愛小説 未分類
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全角5303.5文字
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原稿用紙約16.8枚
「綺麗…」
彼女はそう言った。控えめに両手で持つ団扇とするりと肌蹴けそうな浴衣。
これが最後だと示唆するかのように舞い上がる空中花。
「ね。綺麗ね」
「うん」
「私わたあめ食べたいな。買ってくれる?」
「うん。いいよ」
子供のように無邪気でどこか大人びいてて、僕はそんな不安定な彼女に惚れた。
気付けばこの手に小さな手。小さすぎてガラスのような繊細さは壊してしまいたい。
響く大きな音。七色の光は夜空を彩る。目の前の川原に映る彼女と僕。
「次は何処に行こうか? ねぇ、修」
そこにいたいけどもういられない。だから、だからせめてこの繋ぐ小さな手を。
見失わないように、しっかり照らしてくれ、夏花火。
彼女とは昔からの知り合いだ。もう何十年もの付き合いになる。
僕がこの町に引越し来た時から彼女は隣にいた。
初めて天使を見た。
そんな事を思ったのをはっきりと憶えている。彼女は僕の何処が気に入ったのか、よく遊んでくれた。あの頃の僕はまだ善も悪も知らなかったから夢中で遊んでいた。父親の転勤はよくあった。ろくに友達も作れないまま僕ら家族は転々としてここに辿り着いた。僕から見れば辿り着いたと言えるだろう。別に嫌じゃなく、逆に面白かった。子供の純粋さをまだ持ってた僕は色々な町、景色、人、思い。何にでも手を出せた。けど、世界は広く僕の持ってる世界では太刀打ち出来なかった。酷く暗いわけでも生意気なわけでもない。それが彼らの勘に触ったのだろう。彼らの干渉は簡単に僕の世界を破った。
そして、別の世界を与えた。
気付けば屋上で大の字で空を見てた。
茜色の空は僕の心とリンクさせ未だにこの世界に留まらせている。
「痛い?」
「うん。痛みは慣れないよ」
「逃げてもしょうがないよ」
「いいよ。これが運命ならそれを背負って生きていくさ。かっここいいとは言えないけどね」
「辛いだけなのに?」
「体はね。こっちはもう慣れたよ」
僕は一指し指で胸をトントン叩いた。
「…いいわ。私は待ってるから」
「何を?」
彼女は茜色の空をバックに微笑んだ。
「さ、帰りましょう」
ただ綺麗な何も映らない空。
僕の頬も茜色の空と重なっていた。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
「修。ご飯出来たわよ」
「はい」
母さんが階段を降りていく。毎回毎回同じ言葉。食卓につけば特に会話も進まない。父さんは僕に「最近学校は?」「今度ゴルフにでも行くか?」など声を掛けてくれる。昔からきさくな人だから誰からも好かれるし町内会のお祭りでも代表者なのだろう。けど、母さんとはあまり話さない。というか僕が生まれてきてから会話などあっただろうか。故に僕は母さんというものを知らない。いつも台所に立っていつも掃除しながら時々窓を眺めるその姿しか僕は見ていない。どんな人なのか父さんに聞いてみても、「優しい女性だよ」と答える。他人行儀なその答えににちょっとショックだった。
「行って来ます」
「気をつけてね」
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おはよう母さん」
「おはよう」
「寝るよ。母さん」
「おやすみなさい」
常識的な会話しかした事ない。
別にそれでいいと思うけど、ドラマや漫画で見る家族とは大きく異なるようだ。
それが原因なのか僕は時々母さんが他人と思える錯覚を覚える。まったく冗談にならない。実の母が目に見えてるのに、僕の心が壊れているから?
長い黒髪に綺麗な素顔。化粧をしているところを見たことはないが恐らく薄化粧をして買い物に行ってると思う。(寝るときは化粧を落としているから)。
「ねぇ、母さんの写真とかないの?」
腕は何かを握り締るような格好で上から下へ振りぬく。見事に空を切るドライバーは白いボールを地面に置いてきぼりにしてしまった。
「…ないよ」
「一枚も?」
「…あぁ。全部母さんが燃やしてしまったんだ」
パキッ。カン。ブン。隣のおじさんは実に様々な音を出してくれる。僕はその人を横目で見ながら父さんに尋ねた。
「別れようとか…思わない?」
一際強く振った気がした。ゴルフボールは高く舞い上がり落ちていく。
「ないよ。修は母さんが嫌いか?」
「別に。ただたまに他人に思う」
「…そうか。確かに口数も少なく母親らしい事をしてくれなかったかもしれない。けどね、修。あんな母さんでもお前が生まれてきた時は凄く嬉しそうな顔でおお泣きしてたんだぞ」
「本当に?」
「あぁ。しかも父さんにありがとう、ありがとうって何度も頭を下げられたよ。礼を言いたいのはこちらなのにな」
隣のおじさんは頭を傾げながらドライバーを見つめている。
「修」
僕は父さんの方に目を向けた。父さんは僕と向き合い見つめ返してくる。
「人間ってのはどうしても汚いものだ。罪を被れば逃げようと他人に擦り付け、自分の欲には手段も選ばずもぎ取る。毎日ニュースや新聞に飛び交う「殺人」「強盗」「暴行や汚職」。こんな世界だけどたったひとつだけ信じられるものがある」
「…なに?」
「それはね、どんな教科書にも哲学にもかかれてないよ。だから私の口からは出す事は出来ない。ただ、それは私たちを繋げてくれるもの。決して見失わないようにいつも側にある」
隣のおじさんが勢いよく、というかもうメチャクチャに振り回している。
「だから、何?」
父さんは微笑むと振り返った。
「私はそれを見つけたから母さんという人に巡り合えて結婚したんだ。修はもういるんだろう?」
そして僕の頬が赤くなると同時にドライバーが高く高く舞い上がった。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
彼とは昔からの知り合いだ。…知り合いというより恋人未満友達以上。勝手に私が思っていることだけど。彼はいじめられていた。気づいた時はもう私なんかの力じゃあ通用しない。何にでも手を出せたあの頃とは違う。どこがいけないんだろう? 彼は人が傷つけばそれは自分のせいだと思い込み、他人が喜べばそれを自分のことのように祝福する。理由がわからないからじゃない、求め続けている。それに気づいたのはもっともっと私が幼い頃だ。
愛情。
昔の記憶が映画のスクリーンに映し出すイメージ。ずっと母親の後に付いて行く彼。おずおずとした顔で母親にキスをする。わざとらしく大袈裟に騒ぐ母親に彼はすぐに読み取った。誰よりも優しく傷つきやすいから人の感情が手に取るように分かる。そう言われた時はもう昔の頃のように笑わなくなった時だ。彼は成績も良くないし運動も人より劣る。ただ神は彼に絵を描くという才を与えた。ひどく無頓着になった引き換えに人の後ろ姿とか空き缶など変わったものを描いていた。
「いや、こうゆうのを描いていると落ち着くんだ」
「ゴミじゃない」
「まぁ、そうなんだけどね。なんか似てるんだ」
「修と?」
「うん。置いてけぼりみたいなところかな」
彼は話しながらもスラスラと弦が切れているギターを描いている。滑らかな曲線や遠隔法など素人の私から見ても上手い。…けど、何かが足りない。納得できない絵だ。
絵はそこにちゃんとあるのだが見ている気がしない。彼は黙々と描く。
「ねぇ」
「ん?」
「今度さ、おばさんの絵も描いてみれば?」
私は勇気を振り絞って言った。修の家庭の状況は知っていたし前に訊いてみたら泣きそうな、ひどく荒んだ瞳に変わった。それが私にとってとても怖かった。修のあんな目はもう見たくない。それでも彼は変わらなきゃいけない。昔の彼に戻るためには少なくとも。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
夏蓮があんなこと言った時は正直驚いた。
最初は聞こえない振りをしてたけどこみ上げて来る何かに負けそうだった。こみ上げて来る何かは僕の体をゆっくり通り過ぎ、震えと痛みが通った。もう描き終わりそうな壊れたギターはひどく今の僕と似ていた。
「今度さ、おばさんの絵描いてみれば?」
「……」
「修?」
「……できないよ」
「どうして?」
「…被写体がでてこない」
「おばさんの顔がわからないの?」
そこで会話は終わった。描きかけのギターは少しずつふやけて形を変えていく。だんだんと早く変わるギターはもう破けてしまった。滲む視線にはさっき問われた言葉。髪も服もびしょびしょで冷たくて重い。首筋がやけに暖かい。誰かが泣いている。
「ごめんね。…ごめんね」
首に巻かれたのが腕だと分かったのは家に着いてからだった。
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ルネサンスの時代に出てきた天才達。ダンテやミケランジェロ。彼らも僕みたいにゴミの絵などをかいたのだろうか? いつか彼らが描いた絵を見に行きたいものだ。何百年も前の絵なのに今もなお世界で素晴らしいという相変わらずの評価を得る。遠近法や様々な技法を編み出したのだから当たり前か。
「…ふぅ」
一息つき草むらに寝転がる。空には悠々と流れる雲たち。家からそう離れてないこの公園はいつか母さんと来た場所だ。そのいつかというのは僕の記憶の片隅にある。でもいつか、確かに来たのだ。まだ母さんが微笑んでいて、僕が笑えた時に。
公園といってもかなり広く周りには林が囲み小さい子供たちが遊ぶための滑り台やジャングルジムといった設備に売店もある。僕はこうして学校にも行かずただただ絵を描く。
今回の獲物はタバコの箱だ。これがなかなか難しく草の上にうまく立ってくれない。何度も立て直しながら下書きが完成したところだ。仰向けのまま青い空と白い雲を見つめる。風景を描くの嫌いじゃなかったが、動くものを描くのは好きじゃなかった。動くから描きにくいのは当たり前なのだが、どうしても自分の頭に入ってこない。僕は最初、被写体を見ると全体の形から入る。角度、視点、中心、距離などを一気に取り込む。だけどそれが出来るのは動かないものだけ。動くものはどうしても歪んでしまうのだ。
「今度さ、おばさんの顔描いてみれば?」
頭の中でチラつくあの言葉。ずっと自分のなかで自問自答していた。
描けないんじゃい。顔を忘れるわけがない。怖いのだ。
キャンバスに一度描いてしまえば、もう母さんはそのままなような気がして。これからも無表情で絵と同じように。
「やぁ」
眺めていた雲と空がニコニコした顔に消された。
「…どうも、時田先生」
「また学校に来てないからね〜。やっぱりここだったか」
「あ、すみません」
「いいよ。別に高校は義務教育じゃないしね」
スッと僕の横に座る。長身で細みなその体はどこか母さんを思い出させた。
「またゴミの絵かい? おっ、今回はタバコか〜。なかなか」
「いえまだ下書きしか…」
「何言ってるの。君のレベルは才能といっても過言じゃないっていつも言ってるじゃない」
「買いかぶりですよ。僕なんて…」
ピタリと口に一指し指を置いて僕の言葉を制した。
「また言おうとした。止めなさい。そうやって自分を卑下するの。あなたはそんな人間じゃないわ。こんなにも素晴らしい才能があるのに、それを誇りにしてもいいのよ?」
先生は僕の目をじっと見つめる。すぐに目そらし、下を向く。僕がここで学校をサボり絵を描いてもう一年以上になる。何も毎日学校を休むわけじゃないが、殴られるよりはマシだ。そんな時に現れたのがこの先生だ。美術の先生で白衣を着ながら授業をするちょっと変わった先生だ。ここに来ては何かと僕に話してくる。心配されるのは嫌いじゃないけど、少しうっとしい。僕はここに自分の世界を築きたいのだ。引きこもりといわれてもいいから、とにかく違う世界に逃げたかった。
「そういえば修君は生き物とか描かないの?」
「ッ……!」
「ん?」
「あ、いえ。…そうですね今度描いて見ようかな」
「もし描くなら似顔絵がいいよ。そうだな〜。あ! 私なんかどうかな?」
「は?」
「は? ってなによ。失礼ね。これでも結構人気高いの私」
「えっと…僕。その、描いたことなくて」
「似顔絵?」
「はい」
「大丈夫! 修君のその腕ならちょちょいのちょいさ!」
正直グサリと来た。なんでこの人はいつも人の心を痛くさせるのだろう。核心。隠しているのに。覆って守っているのに。逃げているのに。
ピリリリ。ピリリリ。ピリ…。
何も加えられていない携帯の着信音が鳴る。
「はい。…ええ、わかったわ。すぐ行く」
そう言うと先生は携帯を切って少し顔を顰めた。僕には誰かとダブったような気がした。
「ごめんさない。急用ができちゃった」
「いえ、構いませんよ」
「それじゃあまた来るわね」
先生は草の上から立ち上がるとおしりをパンパン払って少し小走りで行ってしまった。
その姿を見送って再びキャンバスと向き合うその瞬間。
「ねぇ〜! もし似顔絵描くなら自画像がいいよ〜!」
遠くでそんな声がした。振り返ってもその姿は無い。周りでは小さい子供とその親。親。親。再び訪れる静寂。そしてまた僕は自問自答を繰り返す。
自画像? なんだそれ? 僕を描くのか?
僕って何だ?
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2006/07/31(Mon)01:08:47 公開 / D
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■作者からのメッセージ
少し短いのですが読んでいただければ幸いです。