- 『貝殻の夏』 作者:junkie / リアル・現代 未分類
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全角8440.5文字
容量16881 bytes
原稿用紙約24.85枚
1:夏の或る日
――カンカンカン
無機質な音を繰り返す遮断機を前にただ呆然と立ち尽くす。
暑いな、とそんなことが頭をよぎった瞬間に目の前を轟音と共に電車が過ぎ去って行く。電車の作り出す風に心地よさを感じるのもつかの間、すぐさま俺の心の中は落胆の色に染まった。今日も遅刻くか。と心の中で呟く。学校に間に合う最後の電車は無常にもたった今過ぎ去ってしまったのだ。
しかし、遅刻の一つや二つで今更慌てる俺じゃない。俺は毎朝時間通りに教室の席に座ってる模範生ではないが、留年が危ぶまれるほどの遅刻の常習犯でもないのだ。今日はどうせ何をやっても遅刻なのだから、今朝はむしろこの時間をゆったりと満喫しよう。そう頭を切り替えると、遮断機が上がるのと同時に俺は駅のホームへと歩き出した。
電車が発車してばかりなのでホームには当然人気が無い。まぁ、元々利用者が少ない私鉄ではあるのだが。しかし、よく見ると対向車線のホームまで人がまばらだ。何故だろうかと頭を悩ませると、公立の学校は昨日が終業式だった事を思い出した。俺の高校は公立の高校よりも2日終業式が遅い。しかし学校が始まるのは同じ9月1日だから、俺は2日間休みを損している事になる。はぁ、とため息をつきながらそういえば去年の今頃も同じ事を考えていたことを思い出す。1年の月日では人は大して変わらないんだな、と俺はまたため息を付いた。
次の電車が来るまで特に何もせずに向かいのホームを眺めていると、ふと一人の女子が立っているのに気が付いた。年頃は俺と同じくらいだろうか花柄のワンピースと長めの黒髪が印象的だ。顔は大人しそうだがよく見るとなかなかの美人である。俺はなんと無しにただその女の子を眺めていた。すると彼女は手に握っていた何かを線路に落としてしまったのか、線路を眺めながらうろたえだした。何を落としたのかは、小さすぎてここからは分からない。彼女は少しの間、考えこむ仕草をすると、あろう事か屈みこんで線路に下りようとしだした。しかしもうそろそろ電車が来る時間だ。気がつけば俺は反射的に口を開いていた。
「そこの人! もうすぐ電車が来るぞ!」
彼女は驚いたように顔を上げると、俺を眺めながら狼狽している。そうこうしてる間に、遠くから電車の走る音が聞こえてきた。一体何を落としたのか聞こうと思ったが、今聞いてもどうせ電車の音にかき消されると思い、俺は口をつぐんだ。電車は向こうのホームの物で、電車が止まると同時に女子の姿も見えなくなる。何となく胸に引っかかる物を感じたが、別に気にすることでも無いだろうと思い視線を別の場所へとやった。1分ほどで電車は出発する。と、同時に俺はホームに視線を戻した。ホームにいた人たちは皆電車に乗り込み誰もいない。筈なのだが、何故かさっきの女子は一人ポツンとホームに立ち、まだ線路を眺めていた。
「何を落としたんですか?」
俺はその姿をみると、無意識に疑問を投げかけていた。
俺の言葉を聞くと彼女は視線を線路から俺に向けた。
「貝です」
「貝?」
俺は予想もしなかった答えについその言葉を反芻する。
「はい。サクラ貝の貝殻です」
その言葉を聞いてあぁ、と納得する。サクラ貝の貝殻は綺麗だから、飾り物か何かに持っていても不思議ではないかもしれない。一瞬でも、ハマグリか何かを落としたのかと考えてしまった自分の脳みそを恥じる。しかし、今時貝殻の1枚や2枚であんなに戸惑う人も珍しい。
「その貝殻、そんなに大事なんですか」
「大事です」
彼女の答える声は真剣な声だった。
「じゃあ俺、拾いますよ」
「え。そんないいです! 私自分で取りますから」
「でも、結構このホーム高さありますよ。上り下りするの大変でしょう」
俺の言葉を聞くと、彼女は改めて線路を眺め、困った顔をしだした。
「だから俺が取りますって」
そう言いながら、辺りを見渡す。俺と彼女以外には人はまばらで駅員の姿も無い。電車が来ない事を確認すると、俺はホームに下りた。
「どこら辺に落ちました?」
「あの、その辺りです」
そう言いながら彼女が指差す場所を探すと、あっさりと貝殻は見つかった。
『あ……』
しかし拾い上げた瞬間、その貝殻が3分の1ほど欠けてしまっているのに気付いた。
俺は彼女の立っているホームによじ登ると、手に持っている貝を渡した。
「ありがとうございます!」
彼女は心底嬉しそうな顔をしてくれた。
「いいんです。でもこれ、落とした時に割れちゃったみたいですよ」
俺の言葉を聞いて貝殻を見ると、とたんに彼女は顔色を青くして、どうしようと呟いた。
その姿を見ていると、無神経だと思われるんだろうなと考えながらも俺は疑問を口にした。
「その貝殻、なんでそんなに大事なんですか」
俺がそう聞くと彼女は少し間を置いて答えた。
「お守りなんです」
「お守り?」
「友達がサクラ貝が好きで、2人でこの貝に願を掛けてて」
そう言うと彼女は寂しそうな表情をした。
「その友達、病気で入院してるんです。それでお見舞いに行くたびにこうやって貝殻を持っていくんですけど」
その話を聞きいた途端、俺はしまったと思った。彼女の雰囲気から察するにその友達の病気は相当厄介なものだのだろう。だからそれだけその貝殻に対する思いも深いはずだ。それが割れてしまったとなると色んな意味でショックなのだろう。俺はどう言葉を返せばいいのか分からなかった。何かこの貝殻の代わりの物を探す、と言うわけにもいかないだろうし。
「あの、いいんです。気にしないで下さい。こうやって拾ってもらえただけでありがたいんですから」
彼女はうろたえている俺に気を使ってそう言った。
「いや」
俺はそれに小さく呟く返した。
「友達、早く退院されるといいですね」
俺がそう言うと彼女は笑顔で「はい」と返してくれた。
そうこうしていると内に、俺はもうすぐ乗らなければいけない電車が来る事を思い出した。俺は満足に挨拶もせずに急いで自分のホームに走り出す。
ホームに着くと1〜2分で電車がやって来た。俺は彼女の事が気になったが、そのまま何も言わずに電車に乗った。当たり前だがそれだけだ。電車は走り出して彼女のいる駅からはあっと言うまに離れていく。夏の淡い思い出の始まりか、なんて煩悩が頭の片隅で顔を出していたが、そんな上手い話があるわけが無い。でも何故か俺は彼女の事が頭から離れなかった。
そもそもサクラ貝なんて何処にあるんだろう。ここから海まではそう遠くないが、あんな所にサクラ貝なんて落ちてるのだろうか? あの砂浜に落ちているものといえば種類のわからない海草と花火の燃えカスくらいしかイメージが沸かない。サクラ貝が手に入りそうな場所。海で手に入らないならどっかの店で売ってるのかだろうか? 売ってるとしたらどんな店だろう。貝殻屋か? いやまてそんな店があるわけ無いよな。と下らない事を考えているうちに、俺は学校の近くにある小さなアクセサリーショップを思い出した。貝殻や流木を使った手作りのアクセサリーや置物を扱っている店だ。あそこならもしかしたらサクラ貝を使った何かが置いてあるかもしれない。いや、きっとあるだろう。今日、学校帰りに寄ってみようかな。いや、しかし。例えその店にサクラ貝があったとしても、俺がサクラ貝を手に入れたってどうしようもないではないか。あの人が持ってなくちゃ意味が無いのだ。
「サクラ貝……」
俺はまるで呪文を唱えるかのように、その単語を頭の中で繰り返した。
6時間目終了の鐘が鳴ると同時に、俺はカバンを持って教室を出た。これで1学期最後の授業が終わったわけである。明日の終業式さえ済ませれば晴れて夏休みに突入となる。俺は晴れやかな気持ちで校門を出た。
今日は朝から一日中天気が良い。セミはまだ鳴き始めてはいないが、青い空と糞暑い空気がいかにも夏らしかった。こんな日は海に行って水着の女性でも眺めたいものだ。そんなことを考えながら通学路を歩いていく。海。そう言えば、とその言葉に引っかかりを覚え今朝の事を思い出す。サクラ貝だ。小さなアクセサリーショップはここから歩いて5分ほどの場所にある。その店に行って仮に貝のアクセサリーなりが有ったとしても別に何がどうなるわけでもない。でも何故か俺はその店に行きたい衝動に駆られた。
アクセサリーショップは通学路から外れた細い路地の先でひっそりと店を構えている。近くの海辺等から集めてきた素材で品物を作っている、殆ど店主の趣味のような店だ。俺は前に一度入ったことがあるが、その時は別段興味を引かれるものもなかったので何も買わずに店を出た記憶がある。
店の前つくと、俺は古びた引き戸を開いて中に入った。棚や壁には一面手作りの飾りが並べられている。カウンターを見ると、そこにはだれも居ない。まったく、ここの主人は本当に商売をする気があるのだろうか。などと余計なお節介を思い浮かべたが、正直な所一人でゆっくりと品物を眺めたかったのでいない方が有りがたい。俺は早速手前の棚の商品を物色し始めた。
まず目を引いたのが貝殻を使った動物の置物だった。幾重にも重ねられた貝が、ネコや魚などの様々な生き物をかたどっている。素人から見ても一見しただけでかなり手の込んだものなのだ分かる作りだ。だというのに値段を見ると1000円となかなかリーズナブルな値段ではないか。これはもしかすると隠れた名店と言う奴なのかもしれない。更に物色をすると何故かガラス細工や竹細工などもあったりして、なかなか面白い品揃えだという事に俺は感心した。特にこういうものに興味は無いのだが1つや2つ買って帰りたいと思うほどだ。だけど探しているのはこれじゃない。
更に物色していると、俺は小さなキーホルダーのような携帯ストラップのような品が並べられている棚に目が行った。紐の先にそれぞれ小さな飾りがつけられている。その内の一つに特に目を引く物が一つあった。小さな貝殻を翅に見立てた蝶の飾りだった。胴体はガラスで出来ていて中々に綺麗である。そして何より羽の貝が綺麗なピンク色をしていた。
これだ、と思った。値段を確かめてみると400円と書いてある。俺はこれを買おうと決心した。あの人の為に買うのか自分の為に買うのか、なんのために買うのかよくわからなかったが、とにかく俺はこれを見た瞬間に欲しくてたまらなくなったのだ。俺は品物を手に取るとカウンターまで行き、カウンターの奥の部屋に向かって声を張り上げた。
「すみませーん! これ、買いたいんですけど」
少しの間何の音も聞こえなかったが、やがて奥の方から「は〜い」という声が聞こえ、ヒゲ面の男が現れた。まるで山男のような風体なので、この店の雰囲気にまったくそぐわない。
「あの、これ」
「はい、400円ね」
そう男はヒゲ面に似合わない笑顔で言う。
俺は財布から500円玉を差し出しながら、男に話しかけた。
「おじさんがここの店長さん?」
「そうだよ」
男はまたニコリと笑いながら言う。
「じゃあここの品物っておじさんが作ってるんですか?」
「そうだけど。俺の見た目、やっぱりそう見えないかな」
「はい」
俺は正直に答えた。
「ははは。俺はこう見えても手先が器用でね、昔からこういうのを作るのが好きだったんだよ」
やはり笑顔でいう男の姿を見て、俺はなんだか心地良い気分になった。きっとこの人は子供みたいに純粋な人なのだろう。初対面ながら俺はそう感じた。
俺はおつりの100円を受け取り、では、と会釈をしながらそのまま店を出た。空を見上げる。やはり空は相変わらず真っ青だった。
帰りの電車が俺の降りる駅に到着すると、そそくさとホームに降り立った。時間は夕方だが日は全く傾いていない。そのまま、歩くことなくその場所に立ち止まり、そういえば今朝あの人が立っていたのはこの辺だったなと思い出す。そしてズボンのポケットから買ってきた飾りを取り出してそれを改めて眺める。
『う〜む』
そうしているうちにだんだん、俺は何をしているんだろうという気持ちが心を充満していく。一度会っただけの人の事でこんな事をしてるなんて、下手をしたらまるで俺はストーカーみたいじゃないかと自分のしていることが情けなく感じられた。
でもまぁ、今日この飾りを買った事はこれはこれでいいんじゃないかとも思う。こんなものが一つくらい有っても悪い気はしないし、この飾りはやっぱり純粋に綺麗なのだ。俺は飾りをポケットに仕舞いなおすと、家に向かって歩き出した。
2:カケラ
――むかし、何処までも続く筈だった日常が崩れて、泣いて泣いて気が付いた。いつも自分と一緒に居た人が居なくなる事は、自分自身が欠ける事と同じなのだと。人はきっといろいろな欠片のかたまりだ。だとしたら大事な欠片を根こそぎ取られたら、そうしたらきっと、人間は崩れ落ちて無くなってしまう。
正面玄関から病院に入って受付で面会手続きをとると、私はいつものように病棟を上がる階段に向かった。
純のいる病室は3階にある。階段を上りながら、私は一週間前に会った時の純の様子を思い出した。苦しそうな顔をしながら、話す事も出来ずにただベッドの上に横たわっているだけの純。小母さんは小さな声で純の心臓は今、延々と全力疾走をしているような状態なのだと私に教えてくれた。小母さんの言葉の通り、純の顔は汗だくで今まで見たことが無いほど苦しそうだった。それでも純は私が来たことに気付くと、一瞬だけ笑顔を見せてくれた。だけど、その表情があの腹が立つくらい生意気だった純とあまりにもかけ離れていて、あの時、そして今でも私は純が癌だなんて信じることが出来なかった。
3階につくと、私は純の居る病室の前で立ち止まった。ここに来るたびにこの扉の向こうの現実を見るのが怖くて、いつもドアノブに触れる事をためらってしまう。でも、そんな時今までならここでサクラ貝の貝殻を見て何とか不安を吹き飛ばす事が出来た。昔、まだ小学生の頃に純と願掛けをしたお守り。その貝殻を見るたびにアイツはまた元気になるって確信することができた。
でも今日はその行為をするのが何よりも怖い。ほんの少しだけ手を開いて、恐る恐るその中の貝殻を覗いて見る。手の中のお守りは、やっぱり割れてしまったままだった。私は馬鹿だ。あんな不注意で大事なお守りを壊してしまった。それでも私は逃げるわけにはいかない。この扉の先にいるアイツをちゃんと見据えなきゃいけないんだ。
一度深呼吸をしてから病室の中に入ると、部屋の中にはいつもと違って小母さんの姿が無かった。今日はまだ来ていないのだろうか、いつもなら小母さんがカーテンを開けるのだが、今朝はカーテンは閉まっている。そのせいで部屋の中がどうも薄暗い。私はカーテンを開いてから、あらためて純の枕元に座った。純は完全に寝ているのか、息は相変わらず荒いけれども表情はこの間ほど苦しそうではない。でも、酸素を送るマスクや点滴の管がつながれてる姿はまるでこの場所に縛り付けられてるみたいで、やっぱり直視する事が辛かった。 純は幼稚園のときからクラスの男子の中でも一番五月蝿い奴だった。イタズラ好きで、しょっちゅうくだらない事をしては周りを笑わせてた。その度に先生に怒られるのだけれども、純はその程度じゃ全く懲りずに、更に先生にまでイタズラを仕掛けるほどだった。その性格は高校生になっても全く変わらなくて、純はいつも誰かを笑わせてたし、純自身もいつも笑顔だった。入院するって純が私に言った時も「これで堂々と学校がサボれるぜ」なんて言いながら笑ってたくらいだ。なのに――
今まで、いつも一緒に居るのが当たり前だった。物心ついた時からいつも一緒。だから、離れるまで純がこれほど大切だなんて知らなかった。
純の頬を両手でつかんで、正面からその顔を見つめる。だけどやっぱり、痩せてしまったその顔には純本来の生気がない。
「……ねぇ、いつもみたいに下らない冗談で私を笑わせてよ。いつもみたいに下らないイタズラで私を笑わせてよ」
気がつけば私の口が自然とそう言っていた。
「私、純が居ないとダメだよ。あの時、海で慰めてくれたみたいに私を笑わせてよ。そんな苦しそうな顔の純見たく無いよ。」
でも純は何も言わない、言えない。ただ苦しそうに息をするだけ。
「純のバカヤロー」
涙が勝手に溢れてくる。でも、そんなことは知らない。何だかもう何もかも嫌になって、むしょうに腹が立って。こんがらがった頭の中で私はひとつの事しか考えられなかった。私はやっぱり純の事が好きだ。
コイツが元気になって退院したら、絶対に好きだって告白してやる。だから絶対に元気になれ。そう心の中で呟きながら、ただ手の中の貝殻を握り締める。
3分の2でもいい。半分だっていい。それだけでも想いが届けば、きっと純は元気になるはずだ。
私は純の手を取ると、手の中の貝殻を純の手に握らせた。
途中で病室にやってきた純の小母さんと話したりしているうちに、病院の外は日が傾き始めていた。携帯で時間を確かめると時間は午後6時。もうすぐ面会時間が終了してしまう。
「小母さん、私今日はもう帰りますね」
私が言うと、小母さんはハッとしたような表情をした。
「ごめんねアキちゃん、こんな時間まで引き止めちゃって。本当にいつもありがとう」
「いいんです、気にしないで下さい」
「純のことでアキちゃんには昔っから迷惑かけてばっかりだねぇ。おばさん本当に申し訳が立たないわ」
「本当にいいんです。慣れてますから」
私の言葉に、小母さんは少し悲しそうな顔をした。
「本当に、今日はありがとね。お母さんによろしく言っておいてね」
「はい。それじゃあさようなら」
「帰り道に気をつけてね」
私は軽く頭を下げるとそのまま病室を出た。
病室を出る明菜を見送ると、室内は途端に静かになった。静子は苦悶の表情を浮かべる純の額に手を当て、そして静かにその頭を撫でた。
「まったく、アンタは本当に手のかかる息子だよ」
静子がそう語りかけても純は何の反応も示さない。しかし静子は話を続けた。
「アンタはアキちゃんにいつもいつもお世話されてばっかりで。アキちゃんだってお父さんが亡くなってからずっと大変だって言うのに」
そう言うと、静子は頭を撫でる手を止めて俯いた。
「たまにはアンタがアキちゃんの手伝いをしてやりなさいよ。男でしょ」
そこまで言って静子はしゃべるのをやめた。拳を思い切り握って、あふれ出てくる感情を必死で抑える。
純がガンであると告げられてから、静子は母親としての心が折れてしまわないように、常に気丈であるようにと振舞ってきたつもりだった。純が懸命に戦っているというのに、彼女が泣いてしまったら純まで病に負けてしまいそうな気がするのだ。だから静子はこんな所で泣くわけにはいかなかった。
平手で軽く自分の頬を叩いて気合を入れなおすと、静子は乱れてしまった純の掛け布団を整えようとした。その時、静子は純の手の辺りに何かがあるのを見つけた。静子はそれを拾うとやっぱり、と思った。何かのおまじないだろうか、明菜はいつも見舞いに来る際にサクラ貝を持ってきてくれるのだ。その健気さに、静子は本当に頭が下がる思いだった。
静子はいつものように病室の片隅に置いてあるバスケットにそれを入れると、中を覗いてみた。数えてみればもう随分な枚数が溜まっている。
「あんたこれだけアキちゃんに優しくしてもらって、死んだりしたら承知しないからね」
そう言うと、静子は純の布団をかけ直した。貝殻が欠けてしまっていたことを、彼女は特には気にしなかった。
電車の外を流れていく景色を見ていると、私はなんとなく今朝貝殻を拾ってもらった人の事を思い出した。貝殻は割れてしまったけれども、もしもあのまま無くなっていたら私のショックはもっと酷かったと思う。あの人は急いでいたみたいで、ちゃんとしたお礼も出来ずに別の電車に乗ってしまった。制服から見て多分近くの私立高校の人だろう。あの高校は私の高校からもそう遠くないから、たまに彼と同じ制服を着ている学生を見ることがある。もし、また会えることがあったらその時はちゃんとお礼をしよう。お礼の方法なんてよく分からないけど、私はそう決心した。
何気なく時間を確かめると時間は思っていたよりも遅くなっていた。今日は久しぶりにお母さんが帰るまでに食事を作ってあげようと思ったけど、どうもこのままだと間に合いそうに無い。駅を出たら走って帰らなきゃ。ぼんやりそんなことを考える。
電車の外を流れる景色は真っ赤な夕日に染まっていた。
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2006/07/24(Mon)14:15:28 公開 / junkie
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■作者からのメッセージ
文章の練習として書き始めました。
続きものの予定なのですが、自分はどうしても作品を書き続けるということが苦手なので、とりあえず作品の落ち等は無いのですが1話完結としても読めるものにしたつもりです。
ここには昔、作品をいくつか書いたことがあるのですが、当時から語彙や、文章の書き出し、語尾のパターンが少なく、どうしても上手くいきません。そう言った事で読みにくい文章になっていたら申し訳ないです。
*1更新しました。今回は明菜の視点です。文には気をつけたつもりですが、改善できていなければごめんなさい。