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『タンデム 第二話』 作者:セツ / 恋愛小説 リアル・現代
全角10517.5文字
容量21035 bytes
原稿用紙約33.9枚
「俺とギターデュオを組んで、市民文化祭で演奏しよう!」そんな言葉から始まった、真咲と北村の期間限定アコギデュオ。泣き、笑い、悩み……。様々な思いを抱えながら、彼らは音を作り出していく。
<第一話>


「なぁ」
 隣で声を張り上げている奴を無視して、私は弁当のミートボールを口の中に放り込んだ。
「お願いだって」
 ご飯を食べようとしてふりかけをかけていなかったことを思い出す。弁当風呂敷の陰に隠れていた梅ふりかけの封を切って、ご飯に均等にかかるようにふりかけた。
「お前、聞いてる?」
「聞いてないよ」
 梅ふりかけで薄ピンク色になったご飯を箸でつかんで初めて口を利いてやった。向かいの机では、ナツが私たちのやり取りを心配そうに見つめている。奴が来てから、ナツのメロンパンを食べる手は止まったきりだ。ただでさえ、ご飯を食べるのが遅いっていうのに、10分たっても一口しか食べられていないメロンパンは きっと食べ切れられずに残飯行きになってしまう。
「返事するってことは聞いてるってことで? 新井」
「じゃあ、これから返事せんけん」
「うっわ、最悪じゃこいつ」
「マサキ、北村君の話、ちゃんと聞いてあげたら?」
 とうとう見かねたのか、メロンパンを袋に入れ戻したナツが身を乗り出してきた。どうやら、メロンパンの残りは5限目の後の休憩時間に食べるらしい。ナツが困ったように微笑む。開け放した窓から入り込んだそよ風が、彼女の茶色い長い髪を揺らし、真っ白な頬をさやさやと撫でた。この笑顔が、ナツの清楚な雰囲気を更に引き立てている。
 私の名前は新井真咲。マサキなんてまるで男の子みたいな名前だけど、私が生まれた瞬間まで両親は男の子だと思っていたんだからしかたがない。慌てて「正樹」から「真咲」にして、女の子でも可笑しくない様にしたらしい。ナツはそのまんま夏子。それで苗字は山田。失礼だけどありきたりな苗字だ。
「山田の言う通りだって」
 ここぞとばかりに奴、北村大輔が調子に乗る。ワックスで立たせるまでもないツンツンの短髪を、ぶんぶんと振りながら迫ってくる。なんで、そんなに熱いのか。うっとうしい。私は、長い長いため息をついた。
「ナツ、私ね、こいつの話は耳にタコが出来る程聞いてんの。タコを通り越してイカが耳に出来るくらい」
「そんなに俺、言うとらんぞ」
「言うとるよ」
「お前が同意してくれんけんじゃ!」
「あんなんに同意しとうないわ!」
「何でよ、お前、部活してないからどうせ暇人じゃん」
「うるさい!」
 私は、本格的に嫌気がさして北村を思い切り睨んだ。
「あんたはしつこい!」
「ねぇ、もう一回だけ話聞いてあげたら?」
 喧嘩が嫌いなナツは、心底困ったような顔をする。そんな顔をされたら、まるで私が意地悪しているみたいで他にどうしようもなくなってしまう。
「……じゃあ、あと一回だけ聞くわ」
「やった! ありがとう、山田!!」
「私にありがとうって言うのが普通じゃん」
「ありがとう新井様々!」
 私はため息をついて、食べさしの弁当の箸をおいた。今日は、私までご飯を残してしまいそうだ。
「俺の言うことはひとつだけじゃ」
 北村は、わざとらしく人差し指を立てた。
「俺と、ギターデュオを組もう! 市民文化祭に演奏してほしいって頼まれてるんじゃ!!」
「嫌じゃ!」
「何で?」
「そんなん、なんで私がわざわざ北村とぺアでギター弾かんとおえんのん(駄目なの)よ? ほかにも北村にはギター仲間がおるじゃんか」
 私は、それこそ口にタコが出来るほど言った言葉を、教室の黒板に落書きをして騒いでいる北村の友達を指差しながら言った。
「だって、お前のギター凄いもん」
 北村は、そう言った。そうやって力強く見つめられると、訳もなく落ち着かなくなる。
「この前お前が原の店でギター少し弾いてんの聞いて鳥肌たったんじゃ」
 原の店というのは近所の楽器店だ。新しいギターが入るだび、そこでよく試し弾きさせてもらう。まさか、見られているとは思わなかった。
「そんなに飛びぬけて上手ってわけじゃないけど……」
「飛びぬけて上手じゃなくてごめんなさいね」
「新井、最後まで聞けって。飛びぬけて上手ってわけじゃないけど、なんていうん? すっげー、暖かいっていうか心地いい音、出してた。デュオ組むならコイツしかおらんって思ったんじゃ」
 それに、俺の連れは全員ロック派じゃし、と北村は締めくくった。
「え、何? 北村のやりたいのはロックとかバンドじゃないん?」
 私は首をかしげた。
「俺がやりたいんはソロギターみたいにギターだけで曲を演奏するやつ。でも一人じゃ面白くないけん、それに二人の方がもっと音に厚みがでると思うんじゃ」
「褒めてくれるのはありがたいけど……」
 私は弁当箱を閉じた。お母さん、今日は弁当残すけどごめんなさい。それもこれも全部、北村が食欲をかき消すような話題をしたからです。
「私には無理だって」
「なんで?」
「なんでよー」
意外なことに、その非難の声の中にはナツも含まれていた。
「何でナツまでそんなこと言うんよ?」
「だって、北村君にギター演奏をお願いしたん、私らなんじゃもん」
「は?」
 どう意味か、全然分からない。
「私って合唱部じゃろ?今度うちの部が市民文化祭で歌うんよ。それで、その伴奏がピアノじゃいまいち面白くないからギターにせん? って話し合ったの。北村君がギターうまいってこと聞いてお願いしたら、あと一人一緒に演奏するならってOKくれて……。まさか、マサキだとは思ってなかったけど」
 ナツは一生懸命、身振り手振りで話している。
「マサキがやってくれんと私ら合唱出来ん!!」
「そんな」
 そんなの、私がギターやらなかったら合唱部の一生にかかわるみたいだ。
「私からもお願いよ!」
「俺からもお願いだ!」
「ギター演奏して!!」
 最後のはナツと北村の声がきれいにハモって合唱みたいに聞こえた。私はただただ唸った。唸る以外何もやることが思いつかない。
「うーん」
 どれくらい、唸りまくっていただろう。しばらくすると、五限目の予鈴が鳴った。このまま早く始業のチャイムがなれば少なくともあと五十分は悩まなくたって済む。
「あー、もーいい! もー、わかった!」
 そのとき、北村が痺れを切らしたように机をバンッと叩いた。クラスが水を打ったように一瞬静まり返ったけど、また何もなかったかのようにふざけたり騒いだりし始める。
「何よ、北村。そんなんしたら私の机がかわいそうじゃんか」
「じゃー、こうしようで」
 北村は残り時間が少ないことに急かされているのか、慌てて喋りだした。
「今日、放課後に俺ん家来い!」
「はぁ? 訳分からんわ」
「俺の部屋で一回二人でギターを弾いてみよう。それで、お前がやっぱ無理って思ったら俺はあきらめるわ。一人で演奏する」
「じゃけん、なんで私があんたと……」
「やったらやったで、案外最初からうまくいったりするかもしれんじゃろ? それで、お前もやっぱやりたいって思うかもしれんじゃろ?」
 鼻の穴を膨らませて得意げに話す北村を、私は呆れを通り越して尊敬してしまっていた。どうやったらそんなに楽天的というか、単純になれるのだろう。そこで、きりのいいことに始業のチャイムが鳴った。
「いいか? ギター忘れんなよ?」
 北村は私の返事を聞きもしないでさっさと席に戻っていった。

  何でこんなことになったんだろう。私はため息をついて、背負ったセミハードケースを肩越しに見た。この中には大事なギターが入っている。時計を見ると4時30分を指していた。もう15分も集合時間を過ぎている。
 終礼が終わると、北村から再び一方的に集合時間と場所が告げられ、反論の余地もないままさっさと帰られてしまった。あいつの足取りは文字通り軽く、スキッ プしていた。高校はいろいろな地域から学生が集まっているから、放課後に家で遊ぶことはあまりないけど、私と北村は偶然にも近所の中学校同士だった。ということで簡単に集合できて、なおかつ遅くまで練習しても平気なのだ。北村は嬉しそうだったけど私は正直嬉しくない。
「新井ー!!」
 北村が、自転車のベルをちりん、と軽やかに鳴らして近づいてくる。
「15分も遅刻。何やってんのよ」
「帰ったら部屋がヤバイくらい散らかってて必死で片付けてた」
「アホじゃなぁ」
「ほっとけー」
 北村は自転車の荷台を手でぺんぺんと叩いた。
「ほれ」
「は?」
「乗れ。2ケツじゃ」
 2ケツっていうのは二人乗りのことだ。私は荷台に腰を下ろすと、お尻から鉄製の荷台のひんやりとした冷気が伝わってくる。自転車はゆっくりと走り出した。自転車が風を切り、私の短い髪をかすかに揺らしていく。
「新井、もうちょい減量せぇ」
「何でよ?」
「重たいわ。ようこげれん」
「アンタの筋肉が弱いだけじゃ」
 私は北村の背中をビシバシ叩いた。
「痛い! 叩くな」
「うるさい、あんごさく!」
「何ならあんごさくって?」
「アンタ知らんのん? 岡山弁で馬鹿者って意味じゃんか」
「そんなん最近の人は使わんわ! いらまかす(ふざける)んもおうへん(いい加減)にせぇよ」
 北村は叫ぶと自転車を力いっぱい漕ぎ出した。いきなりスピードが加速して思わず悲鳴が出た。
「ちょっ、わ、落ちる! 落ちるってば!」
「仕返しじゃー」
「うわー、最悪―。本当に落ちちゃったらどうすんのよ」
「あー、それは困る」
「じゃろ?」
「新井のギターが壊れたら困る」
思わず、本当に自転車から転げ落ちそうになった。
「ギターかい。そんなら私はどうなってもええわけ?」
「新井は頑丈じゃけんなー。落ちても簡単には壊れん。せめて学校の屋上くらいから落ちんと、かすり傷も出来んわ」
「むっちゃムカツクわー」
 私は、北村の背中を力強く小突いてやった。
「いってぇ!」
 そうやって、ぎゃいぎゃい騒いでいたら、すぐに北村の家についてしまった。彼の家は、昔ながらの木造建築で蔵まであった。
「北村ん家ってでかいなぁ」
「中はぼろいぞ。まぁ、入れ」
「お邪魔しまーす……」
 挨拶してみたけれど、誰もいないようだった。
「俺の親、共働きなんじゃ」
「ふぅん」
 北村の部屋は、昔の家なのにフローリングだった。この家の雰囲気から浮いた洋室には、ベッドと机、漫画がぎっしり詰まった本棚だけの殺風景な部屋だった。私の部屋とはだいぶ違うけど、ベッドの横に積み上げられたギターの譜面や大切そうに立てかけられているギターは同じだ。
「北村はヤマハかー」
 私は北村のギターに近づいて……、目を疑った。
「え、うわっ!!」
「どうだ?!」
 北村は得意げに胸を張った。
「LJ16?! 無茶苦茶高いじゃん!!」
 ヤマハのLシリーズはみんな数十万する。子供には、高校生にはとても買えるような代物じゃない。
「俺、頑張った!」
「頑張ってどうこうする値段と違うじゃろ?!」
「安い値段の買うのもええけど、俺、飽きっぽいから安かったらまぁええわって思ってしまうじゃろ? じゃから思いっきり高いの買ってもう後戻りが出来んようしたんじゃ。親に無理言って借金した。全額をお年玉で少しずつかえしてく」
 北村が照れ笑いするの、私は呆然として見ていた。ふざけた奴だと思っていたけど、ギターに関しては本気なんだ。そう、思った。
「新井のも見してー」
「あ。あー……、うん」
 私はセミハードケースを開いた。
「ほう、タカミネかー」
「おう」
 私のはタカミネのPT-407M。ボディが小さいから女の私でも弾きやすい。
「これ、自分で買ったん?」
「なけなしのお小遣い貯めた」
「やるなぁ」
「あんたもな」
「じゃあ、そろそろはじめるかー」
 北村はそう言うと部屋の外へ出た。
「え、どこ行くん?」
「何でもええからついてこい!」
 北村の言われるままについていくと蔵に着いた。蔵の中は蛍光灯がついてあって結構明るい。ゴザがひいてある蔵の中はまるで部屋みたいだった。
「何なん、ここ」
「ギター部屋。つか、ギター蔵」
「は?」
「ここなら夜でも聞こえんから思い存分演奏できるじゃろ。ジャマもはいらんしな」
 北村はそう言いながら譜面を渡してきた。
「これ、なんのやつ?」
「“ラブ・ミー・テンダー”。山田らの部活が、初めにこれ歌うってさ。出来るか?」
「さぁ?」
「二人で引くと、結構簡単じゃ。俺が弾いて見せるから、少しずつ、出来るとこだけ入って来い。クラシキはメロディーな」
「うん」
 私はピックを取り出した。鼈甲のミディアム、私の中でこれが一番弾きやすい。硬くもなくやわらかくもなくって奴だ。北村がアルペジオを始める。私も出来るところは本当に少しずつだけど弾いていった。なにせ、初めてのセッションなわけだから、ほとんど合っていない。それでも、ところどころちゃんときれいなハーモニーになっていて、嬉しかった。やっぱり、ギターは楽しいのだ。
 演奏が終わると、北村は息を一気に吐き出した。
「ういー、弾き終わった後はやっぱ気分ええわー」
「北村って結構すごいなぁ」
「そう?」
「高いギターもっとるやつのなか、にたまに下手くそなんおるじゃん? でも、北村は上手だった」
「そういってもらえると、借金した甲斐があるなぁ」
「あはは」
 私は大きく伸びをした。
「北村―」
「なんじゃー?」
「もっかい、やろっか?」
 北村は、驚いたように私を見た。私が、ついのついさっきまで乗り気じゃなかったからだ。でも、すぐ笑顔になった。綺麗に並んだ歯が、覗く。
「おう!」

 結局、私が北村の家を出たのは7時だった。私は、バスに揺られながら頭の中でまだ北村とギターを弾いていた。私と北村のギターの歌声が譜面で絡まって音楽になっていく。一人では出せなかった深みのある二重奏。あいつは、本気だ。今日の練習で、それは痛いほど伝わってくる。痛いほど、嬉しい。あんなに楽しそうに、嬉しそうにギターを弾いているのだ、きっと最後までやり抜こうと思っているんだろう。こんなことを言うのも何だけど、あいつになら付いていってもいいかもしれない。
 目をつぶる。右指はピックを握るまねをして空で弦をはじく。

 耳の奥に、まだギターの音が残っている。



<第二話>

「それで、どうなったん?」
 次の日、教室に着くと早速ナツがかけてきた。
「あー、まー、ぼちぼち?」
「何よ、それ」
 私は、教科書を机の中に入れながら、目の端っこで入り口で友達とふざけている北村を見た。
「なー、ナツ?」
「何?」
「あいつのこと、ふざけた奴だと思ってたけど、本当は違うんかもしれん」
「どういうこと?」
 私は空っぽになったかばんを机の横にかけた。かばんにつけたキーホルダーが、ちりんと乾いた音を立てる。
「北村って、ギターのことになったら無茶苦茶すごいんよ。テクニックとかそういうもんじゃなくて、ギターが好きっていうオーラがすごい。本気なんじゃなって、思った」
「へぇ、そうなん」
「……うん」
 私は、軽く目を閉じた。ギターを抱きかかえて笑う北村が目に浮かぶ。きらきらした真っ黒な目でギターを熱く語る北村は少しだけ、ほんの少しだけかっこよかった。
 目を開けると、北村が引き戸と壁の間に黒板消しを挟んでいるところだった。背伸びして、なるべく高い位置にはさむと自分で思い切り戸を引いた。はさむ力がなくなった黒板消しは、真下にいた北村の脳天に垂直に落ちていった。バフッと音がして、北村の頭に白い煙が立ち昇る。周りの生徒がどっと笑った。
「ブービートラーップ!!」
 北村が叫んだ。
「おえんわ。やっぱ、おえん」
 私は頭を抱えた。笑う北村の頭は、チョークの粉がついて少しふけて見えている。
 バカだ。北村はやっぱり、バカだ。

 どの生徒も、部活に行くか帰るかして、だれも居ないからだろうか。終礼の後の教室には、いつもの狭苦しさは無く、広くてがんがらどうだ。週番の二人組みだけが、黒板を消したり、週番日記を書いたりと広々とした教室で大忙しだ。今週の、その大忙しな二人組みは私と北村で、二人とも、何を言うでもなく作業を続ける。昨日、二人で合わせたことが、少し恥ずかしくて、なぜか照れているのだ。
「新井!」
 だから、いきなり呼ばれたときはとても驚いた。
「な、何よ!」
「プニーッ!」
 振り向きざまに、人差し指で頬を刺された。それを邪険に振り払う。
「あんた、バカ? 小学生じゃあるまいし」
「いや、なんつーか、どう話しかけるべきか分からなくてさ」
 北村は、照れ笑いをしながらくるりと後ろを向き、黒板を消していった。背の高い北村は、あっさりと上のほうの板書も消していく。それに比べ、背が低いほうの私は、椅子の上にでも乗らないとそんなところまで届かない。少し、悔しい。
「あー、まぁ、それはちと分かるわ」
「じゃろ、じゃろ?」
 北村は、チョークの粉で真っ白になった黒板消しを持ったまま、振り向いた。
「何か、アレだよな。デュオ結成してから始めての練習じゃったんじゃもん。そりゃあ、照れるっていうか、緊張するよな」
「うん、そう……は?」
 頷きかけた私はハッとして、書いていた週番日記から勢い良く顔を上げた。
「北村、さっき、何て?」
「何か、アレだよな。デュオ結成してから始めての練習じゃったんじゃもん。そりゃあ、照れるっていうか、緊張するよな」
 北村は嬉しそうに繰り返す。私は、すぐそばまで寄ってきた北村を張り倒す勢いで立ち上がった。
「はぁ? ちょっと、何言ってんの! まだ、返事なんかしとらん(していない)で?」
「えー、いいじゃん」
「よくない! なんで、私があんたと……」
「でも、昨日、楽しそうだった」
 その声は、教室にやさしく響いた。私は、北村を見つめる。北村は、静かに微笑んでいる。
「……え、誰が?」
「誰がって、アホか。このあんごさく」
 私の抜けた質問に、大きくため息をつくと、北村はゆっくりと私を指差した。
「お前だよ。新井真咲」
「……」
 ふっ、と頬を緩めて、北村は話を続ける。
「やっぱ、お前スゲーよ。まだ俺ら、全然音は合っていないけど、きっと、いい音が作れる。本当はさ、昨日練習する前に、デュオの話、無しにしようかなって思ってたんじゃ。確かに、新井のギターがあれば、いい演奏が出来るかもしれん。でも、嫌がっとる奴とやったって、意味が無いけんな。じゃけど、演奏しとるときの新井の顔、でぇれぇ(すごく)真剣で、楽しそうで、嬉しそうで……。見とって、こっちまでそんな気持ちが伝わってくる。やっぱり、新井はギターが好きなんじゃ。俺、こいつとギター弾けたら、どんなにええだろうって、思ったんじゃ」
 北村は一気にそう言うと、息を整えた。一呼吸おいて、また、話し出した。
「何で俺の誘いを断るんかは、俺には分からんよ。でもな、新井、音楽好きなんじゃろ? だったら、何でためらうん?」
 いつの間にか、太陽は西に傾いていて、西日に背を向けている北村は、まるで影のように見える。北村がどんな表情をしているのかは、よく見えない。だけど、あいつの声だけは、真剣に私に問いかけてくる。
「……」
 私が何も言えずにいると、北村はふぅ、と息を吐いた。ただ、重いため息のそれではなく、優しい笑いかけるような、柔らかい吐息だった。
「ま、いいよ。気長に待っとるから。文化祭が終わっても、待っとく。そんくらい、惚れたわ」
「……は?」
「あ、違うぞ! 惚れたっていうのは、新井のギターにじゃぞ? 勘違いすんなよ!?」
 北村は、慌てた様に叫んだ。顔は、暗くなっていても分かるくらいに赤い。私は、思わず噴出してしまった。
「こら、笑うな!」
「だ、だって……」
 本格的に可笑しくなって、私はお腹を抱える。
「北村、すっごい、てんぱっとる(慌ててる)……!」
 笑いすぎて、椅子から転げ落ちそうだ。本当に、最高だ。こんなにギターに一生懸命で、楽しそうにしている奴なんてそういない。
「くそ、人が真剣に話しとんのに、こいつ……」
 北村は、黒板消しを放り投げて膨れてみせた。しばらくすると、笑い転げる私の顔を見て、自分も笑い始めた。
「もー、新井のせいで調子狂うわ」
「調子狂うのはこっちじゃ。あほ」
 大笑いが一段落着いて、二人でため息をつく。ふと目が合って、疲れたように微笑みあった。
「もー、そろそろ最終下校時刻時刻じゃな」
北村が呟くのと同時に、チャイムがなった。続いて放送が入る。
『最終下校時刻まで、あと五分です。部活動を終了して下校しましょう』
「うっわ、やべ」
そう叫ぶと、北村は私が書いていた日誌を取り上げて、ボールペンで感想欄を埋めた。弁当の春巻きを、岡田に盗られた。と実にどうでもいいことが雑な字で書かれてある。
「ほれ、新井、職員室行って、帰るぞ」
ばたばたと教室を出ようとする北村を、私はかばんを掴むと叫んだ。
「北村!」
「なんじゃ? はよ(早く)せんと生徒科のゴリ松が怒るぞ」
ゴリ松っていうのは、生徒指導の石松先生のあだ名だ。私は、かまわずに続けた。今日、今、ここで言っておきたかった。
「いつにすんのよ?」
「何をじゃ?」
「練習を!」
 北村は動きを止めた。
「へ?」
 練習って、何の? と口をぽかんと開けて呟く北村。私は、呆れて大げさにため息をついた。
「何のって、そんなん決まってるじゃんか。ギターの事よ。デュオの練習の事!」
「……でも」
 北村は驚いている。言葉も出ないのにぱくぱく動いている口が鯉みたいで、まぬけだ。
「あ、でも言っておくけど期間限定。文化祭終わった瞬間、即解散!」
「だって、お前、嫌じゃって、さっき……」
「ええじゃんか。気が変わったんよ」
「でも……」
「あー、もうええわ。じゃあ、せん(しない)」
私は北村の日誌をひったくると、さっさと教室を後にした。しばらくして、我に返ったらしい北村の足音がバタバタと近づいてくる。
「待て、新井! ちょっと待てってば!」
追いついた北村は、私の顔を覗き込むとニット笑った。
「ほんとにするんじゃな?」
「うん、ホント」
「途中で逃げ出したりせんな?」
「しないよ。格好悪い」
「神に誓うか?」
「はいはい、誓います、誓います。しつこいなー、もう」
 私が半ば嫌になって叫ぶと、北村は「良し」、と呟いて歩き出した。何が「良し」だ。私は、ため息をついて北村の後を追う。
「ありがとな」
 校門の前で、北村がそう言った。顔には照れ笑いが広がっている。
「ほんま(本当)、助かったわ」
「ニヤニヤすんな。キモいよ」
「ひどっ!!」
 北村は大げさに肩を落とすと、顔を上げて私を見た。
「練習は、明日までに考えてくるけん」
「よろしく、リーダー」
「おう!」
北村はふざけて、敬礼して見せると自転車を勢いよくこぎ始めた。私はなんとなく、その後姿が見えなくなるまでその場に突っ立っていた。


「ただいまー」
玄関扉をゆっくり開ける。しばらくすると、台所から姉が顔を出して笑った。
「真咲、おかえりー」
「今日のご飯は何?」
「ホワイトシチュー」
やった。と手を叩いて家に上がる。そんな私を、なぜか姉は困ったように見つめている。
「え、どうしたの?」
「あのね……」
姉が不安げに台所に視線を向ける。私は、なんとなく分かってしまった。
「うん、分かった」
 私は頷くと、ゆっくりと台所に入っていった。思っていたとおり、父が椅子に座ってこちらを見ていた。
「ただいま」
「おかえり」
「仕事、いつも遅いのにどうしたの?」
「会議は中止になったんだ」
 父が、目で座れと支持してくる。私は観念して、向かい側の椅子に腰を掛けた。姉が私のシチューをよそってくれている。その背中からは、不安な気持ちがにじみ出ていた。
「遅かったな、今日は」
「うん、まぁね」
「どうしたんだ?」
「日直で、仕事していたんだよ」
 父は眉をしかめた。
「本当にか?」
「何で嘘をつかないといけないのさ?」
「こそこそ、学校で楽器など弾いてるんじゃないだろうな」
「疑うんなら、同じ先生に聞けばいいじゃん。今日、うちの娘は本当に日直だったんですか? てさ」
 つい、いらいらしてしまって声を荒げてしまう。姉が、シチューを私の前に置いた。
「……わかった。本当にしてないんだな?」
「してないってば!」
 じゃあ、いい。と父はテレビのスイッチを付けた。ナイターゲームがブラウン管に映し出される。私は、気分が悪くなって席を立った。
「え、真咲?」
「着替えてくる」
「でも、シチュー、冷めちゃう……」
「制服に染みがついたら嫌だもん」
 私はさっさと階段を上がり、部屋に着くと、かばんをベッドに思い切り放り投げた。バスン! というくぐもった音が、更に気分を悪くする。
 父は、音楽が大嫌いだ。昔はそうではなかったけれど、母さんが死んでからまるでアレルギーが発症したかのように音楽を聞くと眉をしかめ、その音を断つ行動にでる。それがテレビからならばテレビを消し、それが路上ライブならば耳をふさいで遠ざかる。家には楽器も音楽CDもあまり無い。「あまり」というのは、私たちが密かに隠し持っているからだ。その中で一番大事なギターも、いつもは押入れの奥のほうに衣装ケースに入れて隠している。体が音楽をほしがっている。そんなときは、父がいないうちにギターをむさぼるように弾いたものだ。もしバレたとしたら、ギターはきっと燃やされる。だから、ずっと北村の誘いを断り続けた。
 私は、こもった空気を入れ替えるために窓を開いた。どこかの夕食の匂いを乗せた外気が、肌に心地よい。

『でも、昨日、楽しそうだった』

あれほど拒んでいたのに、北村の言葉を聞いた途端、頑なだった拒絶がふっと緩んだ。そう、私はギターが好きだ。弾いていると心が躍る。こんな気持ちを抑えていたくない……。デュオを組んだのは、いつも音楽を制限されてきた父へのささやかな反抗だった。
 制服を脱いで、サマーセーターとジーンズを穿いた。下からは相変わらず野球中継の実況が聞こえてくる。
『空振り三−振!!』
 私は、息をひとつ吐いてきしむ階段を下りていった。
2006/06/24(Sat)19:19:52 公開 / セツ
http://heartland.geocities.jp/shiroan_kuroan_gozasourou/
■この作品の著作権はセツさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
長編に挑戦してみます。
故郷の方言を取り入れてみたのは、標準語よりも暖かさを出せるかな、と思ったらから。
一応、方言の後には()の中に、標準語で意味を書いているのですが、分かり辛かったら教えてください。
他の方法を考えたいと思います。
ちなみに、岡山弁です。
最後まで、お付き合いいただけたら幸いです。
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