- 『親子丼の苦悩』 作者:セツ / ショート*2 リアル・現代
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原稿用紙約7.2枚
血のつながらない親子の、小さな一騒動。
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こんなにも、親子丼を出すのに勇気がいったことは無い。私は、卵を解きほぐしながら、対面式キッチンの向こう側でテレビを見ている娘を盗み見た。毎回注意をしているのに、口元をぽかん、と開けて無心にブラウン管に見入っている。娘といってもただの娘ではない。結婚した旦那の連れ子である。この二年間、実の娘のように叱り飛ばし、優しく接したりしたつもりではいるが、向こうは12歳、気難しい思春期の子供である。こっちのことをなんと思っているかは、分からない。ドラマなんかでは「何よっ! 本当のお母さんじゃないくせに!」などと声を荒げるシーンがあるが、我が家ではそんなことは無い。何も言わない分、何時、何を言われるか、もしくはされるか分からないから怖いのだ。
普通に接してきたつもりでも、親子丼を出したことは今まで一度も無かった。なんてったって、親子丼である。鶏と卵の親子の集大成であるこの丼を出せば、私と彼女の関係を引き合いに出されて、嫌味を言われる可能性は絶大だからだ。
そんな親子丼をしぶしぶ作っているのにはわけがある。今日は、旦那が飲みで、夕飯はいらないと電話があった。私は、受話器を置くと娘、侑香ちゃんに微笑みかけた。
「お父さん、今日飲みだって」
「え、マジで?」
侑香ちゃんは、新聞のテレビ欄から顔を上げた。
「二人で何か、豪華なもの食べようよ。何がいい? 何でも作っちゃうよ!」
「やった! 朝子さん、太っ腹!」
侑香ちゃんは、ひとしきり喜んで、悩んだ後、一言、こう言った。
「じゃあ、親子丼!」
「は?」
私は、思わず耳を疑った。
「お、おお、親子丼? そんなの、豪華でも何でも無いわよ」
侑香ちゃんは、私を見ると、首を振った。
「豪華じゃなくていいもん。朝子さんが来てから、私、一度も親子丼食べてないでしょ? だから、食べてみたい」
「はぁ」
気の抜けた返事が出てしまった。まるで炭酸の抜けかけたサイダーみたいだ。アーモンド形の大きな目を輝かせて見つめられては、作らないわけにもいかず、今に至る。
つゆを入れて火にかけたフライパンに、 玉ネギを入れ、その上に鶏肉を散らし、ふたをして弱火で煮ながら、今日何回目かも分からないため息をついた。あんなところで親子丼をリクエストするなんて、私に何かを言いたいに決まっている。もう、逃げられないのだ。侑香ちゃんは、天丼、豚丼、親子丼―。と変な節をつけて歌っている。出来るだけ、のろのろと作業を進めていると、侑香ちゃんが突然立ち上がって、食器類をテーブルに並べ始めた。牛丼、カツ丼、親子丼―。と、まだ歌っている。
「何してんの、侑香ちゃん」
侑香ちゃんは、きょとん、として言った。
「何してんのって、準備。朝子さん、いつも手伝え手伝えってうるさいじゃん」
今日はいいのに、と思いながら、あっという間に出来上がった具を、ご飯をついだ丼の上に盛る。侑香ちゃんが、歓声を上げた。
「わ、わ。すっごい美味しそー!」
席に着くと、二人で手を合わせた。
「いただきまーす!」
「いただきます……」
侑香ちゃんは、もぐもぐとご飯を書き込んでいる。
「そんなにがっついちゃ、駄目でしょ」
「はーい」
全然、聞いていない。私も、何を話すでもなく、黙々と箸を動かしていると、半分食べ終えた侑香ちゃんが呟いた。
「……親子丼ってさ」
来た! 私は、逃げたいのを抑えて、侑香ちゃんを見た。私の箸は、鶏肉をつかんだまんまだ。
「うん」
「鳥と卵の親子で出来てるけどさ」
「うん」
侑香ちゃんは丼を見ていた目を私に合わせた。
「この鶏肉と卵が本当に血縁関係があるかどうかって、分かんないんだよね」
「うん。……え?」
「だからさぁ」
驚いた私に、侑香ちゃんは話を続けた。
「親子丼と同じようにさ、血縁関係なくても親子ってコトもあるよね」
「……」
「例えば、ウチみたいにさ」
侑香ちゃんは、照れたように笑った。力の抜けた箸から、鶏肉がどんぶりの中へダイブするのが目の端のほうで見えた。私は、ただぽかんとして侑香ちゃんを見つめている。
「私、決めてたんだよね。もし、今度来る新しいお母さんが、私に対してよそよそしかわったら、絶対にドラマみたいなこと言って困らしてやろうって。でも、朝子さんは、会ったしょっぱなから私のこと、怒ってさ。……覚えてる? 「靴はちゃんとそろえなさい! 玄関は人も空気も出入りする大事な場所なのよ」って。お父さんも唖然としてたよね」
思い出したように、侑香ちゃんはくすくす笑った。私は、何も考えられず、何も言えず、ただ、箸を持っていた。
「親子丼が出たら、このこと言って、もっと仲良くなりたかったのに、朝子さん、二年間、全然出さないんだもん。とうとう、痺れを切らしちゃった」
「……」
「ね、まだ、お母さんは照れくさくて呼べないけどさ、朝子さんのこと、大好きなのは覚えといて」
「……」
開ききった私の目から、涙がぼろぼろとあふれ出した。
「ちょ、朝子さん」
「……あ、ありがと」」
それきり私は俯いてずっと泣いていた。涙の大群が、真下にある丼の中へ飛び込んみ、ご飯に染み込んでいく。こんなに大泣きするなんて、大人ながら情けないとは思うのだけれど、しょうがない。止まらないのだ。
侑香ちゃんは、困ったように笑った。こんなことなら親子丼なんて、もっと速く出せばよかった。悩んで損した。
「また、親子丼、作ってよね」
返事の変わりに、私はただこくこくと頷いた。もう涙は止まっていたけど、眼の縁にたまっていたそれが、一粒、ぽつりと落ちた。今、お父さんが帰ってきたら、相当ビビるね。と侑香ちゃんは可笑しそうに笑った。
血の繋がった親子じゃないけれど、そんじょそこらの親子よりもきっと絆が強い。例えるなら、そう、私たちは親子丼のような親子なのだ。
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2006/06/03(Sat)14:16:16 公開 / セツ
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■作者からのメッセージ
こんな小さな短編を書くだけで、へたっている私です。
大好物の親子丼を軸に書いてみました。