- 『To you 第三話』 作者:渚 / 恋愛小説 未分類
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全角19869文字
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原稿用紙約62.85枚
親友の舞、片思いの相手亮、可愛い男友達の剛、そしてあたし。皆それぞれの恋愛感情の中で揺れ、それは一つも実ることはない。それでも四人でいることは楽しくて、とても大事な時間だった。こんな時間がずっと続くと、そう思ってた。
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十七歳の春。あたしたちの世界は崩れ、変貌した。
To you
1. To everyday that doesn't change
変化がない毎日にうんざりする、って言葉は本や漫画でよく使われるけど、毎日なんてそうかわりはない。というか、一日一日があまりに変化に富んでたら疲れてしまいそうな気がする。毎日が同じだから安らげてるのだ。毎日がいちいち違ったら明日は何があるのか怖くておちおち眠れもしない。
あたしの毎日にも、そう変化はない。悩みは絶えることはないし、悲しいことだっていっぱいある。それでもものすごい変化はそうこない。
それが退屈だなんていうつもりはないけどこの悶々とした感情を取り払えるような変化が欲しくないといえば嘘になる。変化というよりは救いに近いが。
後ろからつつかれて我に返る。振り返ると剛があたしにささやいた。
「あんまりぼーっとするなよ。大久保にらんでるよ」
横目でちらりと大久保先生を見る。おそろしく難解で退屈な数式の説明をしながら彼はあたしのほうを見ていた。
サンキュ、と剛につぶやいて前に向き直り、しゃきっと背筋を伸ばした。もうそろそろ受験のこともまじめに考えないといけないこの時期に教師ににらまれるのはあまり喜ばしくない。
窓際を見てみると亮が大きなあくびをしていた。眠たそうに目を瞬かせぼんやりと黒板を見ている。窓から差し込む昼の日光に照らされて茶色に染めた髪がキラキラ光っている。つんと高い鼻、切れ長の大きな目。すごく綺麗な横顔。
亮の少し右斜め前の席には舞の後頭部が見えた。表情は見えないが、うとうとしているのが一目でわかる。頭が時々かくっとなり、そのたびにはっと目覚めて生まれつき少しこげ茶色の髪の毛をかきあげしゃきっと座りなおす。でも5分後にはまたうとうとし、その繰り返しだ。それでも懸命に頑張ってる後姿はとても可愛い。
そして最後に振り返ってみると、やっぱり剛も寝ていた。人のことを言っといて、と苦笑しながらそのあどけない寝顔を見つめる。丸い顔に同じく丸いくりくりした目。濃くて長いまつげが頬に薄い影を落としている。亮のそれとは違うが、やっぱり綺麗な顔だ。綺麗というより愛らしいというべきだろう。その辺の女の子なんかよりずっと可愛い。
前を向くと、また大久保先生の視線が合った。もうどうでもいいやという気持ちで机に突っ伏して目を閉じた。
「ねぇ由良、数学のノートとってる?」
放課後、まだ椅子に座ってあくびなんかしてるあたしに舞が話しかけてきた。涙で少し舞の顔がにじむ。卵型の顔に少し垂れた目。背中まであるさらさらの髪。
思わずまじまじと彼女を見つめた。舞が不思議そうに首をかしげる。グロスを塗ったぷるんとした唇。さらさらの柔らかい髪。そのすべてを含めて、舞はあたしよりずっとよくできた女の子だ。背はあたしより5センチほど低くて、でもそんなに小さすぎもしないベストな大きさ。体重はあたしのほうが軽いだろう。親の遺伝か、あたしは背が162あるのに体重は44しかない。でも、そのことであたしが舞より勝ってるとは思えなかった。胸もお尻もぺったんこでまな板のようなあたしより、少々ぽっちゃりしていても出る所はそれなりに出ている舞のほうがいいだろう。
そして、何より舞は中身がいい。たとえあたしがものすごいナイスバディの美女で、舞が巨漢デブのブスでも男の子たちは舞を好きになるだろう。舞は可愛い。女の子らしくて、気遣いが繊細で、涙もろくて。
その点、あたしには可愛らしさというものがない。お裁縫も、お菓子作りも、可愛いビーズアクセサリーも作れない。人並み以上にできることといえば運動だけ。それでも、女の子は少し運痴のほうがかわいらしい。とにかく、何の可愛げもない女なのだ。
「ねぇ、由良ってば」
はっと我に返る。舞はあたしの顔を覗き込みくすりと笑った。
「目開けたまま寝てるー?」
「だって大久保の授業眠かったんだもん。舞も寝てたじゃん」
「じゃあ舞もノート取ってないか。剛に頼もうかな」
「剛もだめだよ。寝てた」
「えー。どうしよう、佳織か佐紀に頼もうかな」
「亮は?一応起きてたよ」
言ってしまってからあっと思ったがもう遅い。舞はあたしを見、そしてほんの一瞬自分の席に座って帰る準備をしている亮を見てからかなり無理した感じで笑った。
「あ、でもっ、亮今から部活みたいだし家帰って勉強するのに使うかもしれないし、て言うか別に今すぐじゃなくても今度数学あるのって明々後日、あれ、じゃなくて、明後日だっけ、ていうか」
そこまで言ってから舞はあーっ、と頭を掻き毟り、あたしと目が合って真っ赤になってうつむき、トイレ行ってくるっ、といって逃げるように教室から出て行った。
ため息をつく。迂闊だった。今のは完全にあたしのミスだった。
一ヶ月ほど前、高校二年生になったばかりの四月に舞は亮に告白した。そして……まあ、だめだったのだ。
と、剛が後ろの席からぱっと立ち上がり、同じく教室から出て行った。多分舞のところに行ったんだろう。
いい奴だなぁ、なんて思いながら机に肘をついて亮を見る。亮は剛が出て行ったドアを黙って見つめていた。その目には何の感情も浮かんでこない。あたしはひそかにため息をついた。まったく、なんてポーカーフェイスがうまいヤツ。
と、亮がこちらを見た。あたしと目が合うといーっと歯を向いて足をばたばたさせ、そしてまたもとの表情にすっと戻る。あたしは思わず吹き出した。最近わかったことだが、こいつは案外恋愛に対して子供っぽい。
舞の告白はあたしたち四人の距離感を微妙に変えた。
この話をする前に、まずはちょっと複雑なあたしたちの恋愛事情を説明しないといけないだろう。
舞は亮が好きだった。そして、亮も舞のことが好きなんだとあたしは思ってた。実はあたしも中学のときから亮に思いを寄せていたが、そのことは舞には言わなかった。というか、両思いの男女を前にそんなことを言うのも野暮だ、と思ってた。そして、剛は舞が好きだ。でも、剛は優しい。舞の気持ちを知ってるから、舞をそっと見守り、影で悲しんでいた。
そして一ヶ月前、舞はとうとう亮に告白した。でも、なんと亮はその告白を断ったのだ。
あたしは剛のことをとても大事にしている亮が剛に気を遣って舞を振ったんだと勘違いして亮に怒鳴り込んだ。でも、そうじゃなかった。亮の口から出てきたのは、あまりにも意外な言葉。
『俺にとって舞も由良も、他のどんな女の子も、恋愛対象にはならないんだ……』
彼はゲイだった。そして、亮が一番大切に思っている人、それは剛。そう、亮はずっと、もうずっと前から剛のことが好きだったのだ。
舞は亮が好き、亮は剛が好き、剛は舞が好き。こんな風なループが三人の中に出来上がっていた。そして、あたしは傍観者。この輪の中に入ることはない。しかも、かなりあっさり恋に破れた。
あの告白のあと、舞はしっかり三日間、一切亮と口をきかなかった。しかし四日目から何とかそれなりに吹っ切れたらしくまた普通に口をきくようになった。でも、前までのように亮だけに何かを頼んだり、一緒にいようとはしなかった。さっきのノートの話でもそうだ。つまり、まだ吹っ切れてはいないのだ。舞はまだ、亮のことが好きだ。
剛はそんな舞をそっと見守り、献身的に世話を焼いていた。かといって失恋で弱っている舞につけ込む様な事はせず、ただ優しく、舞の傍にいた。あいかわらず、剛は優しすぎる。
一ヶ月前、剛は舞のことが好きなのに、舞が亮のことを好きなのを知ってるから黙って身を引こうとしていた。そんな剛にあたしは発破をかけた…というか、ひどい言葉を投げかけた。あたし自信も亮は舞が好きなんだと信じていたから辛かったのだ。でも、そのときに剛はこういったのだ。
『誰かが傷つかなくちゃいけないんだ。犠牲ゼロ、って言うのは無理なんだよ。一番犠牲が少ない方法しかないんだ。俺が傷つけば、犠牲は最小ですむんだよ』
まったく、どこまでいい奴なのかと呆れてしまう。でも、そこが剛のいいところだ。
そんな剛だから、きっと亮は彼を好きになったんだろう。
亮がゲイだということ、そして剛のことが好きだということはあたししか知らない。普段は見事なほどポーカーフェイスを保っている亮だが、あたしの前だけではさっきみたいに感情を剥き出すことがある。剛が舞ばかり気にかけるのが気に入らないのだ。
亮と剛は幼稚園の頃からの付き合いだという。なら亮は、少なくとも十年間は剛への想いを胸にひっそりと抱き、そして隠し続けてきたのだ。そして、
隠し通してきた嫉妬心を、あたしの前でなら剥き出しにする。
あたしは亮にとって「特別」になった。それがあたしの望んでいた形とは違ってはいても。
あたしだけが亮の秘密に足を踏み入れた。あたしだけが亮のことを他の人より一つ多く知っている。そのことはあたしに大きな満足感と、小さな虚無感を与えた。
「一番信用できる女友達」という地位は手に入れたけど、亮があたしを見てくれることはきっとない。実らない想いとわかっていても、亮はずっと剛のことだけを思い続けるんだろう。剛は何も気付かずに亮に笑いかける。バスケでゴールを決めて亮に抱きつく、亮の前で裸になる。
あたしは剛のことも大好きだけど、時々剛が憎い。亮の心をこんなにも長い間捕らえて離さない、彼の魅力が憎い。そして、そんなことに嫉妬している自分がもっと憎い。
水曜日と土曜日の学校の帰り、剛とぶらぶらして帰るのがあたしの日課になってる。それ以外の日は剛が部活に行くので舞とちょっと買い物したりするときもあるが、帰る方向が逆なのでそれ以外の日はたいていまっすぐに帰る。剛とぶらぶらするのは、何の変化もない日常に組み込まれたちょっとした楽しみだ。
ちなみに、このちょっとしたデートについては亮は何も言わない。あたしは剛のことをなんとも思ってないし、剛もあたしを親友以上には思ってない。一度いっしょに来ないかと誘ってやったが、由良となら何にもないだろうから見張らなくても大丈夫だろ、と言って笑った。それでも眉が少しひくっとしたあたり、少しは嫉妬してるらしい。かといって剛と遊ぶことをやめるつもりはなかった。この小さなデートは、あたしにとって大切な癒しだった。
学校から三駅行ったところで電車をおり、そこから一駅分ぐらいぶらぶら歩くのがいつものコースだ。
剛はいつも駅の売店で板チョコを一枚買う。歩きながらそれにかぶりつく剛の顔といったらない。弟と妹がいる剛にとって、一つの物を全部自分で食べるというのはなかなかの幸せらしい。
今日もいつもと変わらず、剛は板チョコをかじり、あたしはブレザーのポケットに手を突っ込んで話しながら歩いていた。
「ねぇ、剛」
ふっと思いついて剛に話しかける。唇についたチョコレートを舐めながら剛はあたしを見る。今でも小柄な剛だが、中学生のときに比べればずいぶん大きくなった。あたしより目線が下だったのが同じになり、中三になる頃にはあたしより上になっていた。
「舞とはその後どうなの?」
「いきなり核心だな」
剛は困ったように笑いながらもう一口チョコをかじる。
「どうもこうも、なんもないよ。まだ傷心って感じ」
「今日も泣いてた?」
剛は横目であたしを見、目で笑った。あたしがバツの悪そうな顔をしてるからだろう。さっき不注意に舞に亮のことを言ってしまったことがまだ気にかかっていた。舞はあのあと少し赤い目をして帰ってきたがまるで何事もなかったようにあたしと亮に手を振って帰っていった。
「泣いてはなかったけど、やっぱり落ち込んでたな。早く吹っ切れたらいいのにって言ってた」
「で、剛が慰めてあげたと」
「そんなとこ」
「あのさぁ、剛」
あたしは呆れて剛を見上げた。
「ちょっとはモーションかけときなよ。舞可愛いんだし、あんまにのんびりしてたら横から持ってかれるよ」
「そんなこといったって、舞まだ亮のこと好きだし」
「まだ失恋から立ち直ってないだけだよ」
「でも、こういうときに攻めるのって卑怯じゃない?」
剛は言いにくそうにいった。あたしはひっそりため息をつく。まったく、ほんとにお人よしもいいとこだ。
「ま、好きにしたらいいと思うけどさ。舞も確かにまだ混乱してるし」
「でもさ、亮の好きな奴ってホント、誰なんだろうな?てっきり舞だと思ってた」
お前だ、お前。
まあ、わからないのも無理はない、というかわかったらすごい。亮は剛の前で全然そういう素振りを見せないし、ただでさえ鈍い剛に分かれという方が無理だ。
「そういう由良はどうなのさ」
チョコレートの最後のひとかけらの口に入れて銀紙を丸めながら剛が言い返してきた。
「どうってなにが」
「亮だよ、亮。今更とぼけてどうすんの」
剛は楽しそうに笑い、あたしの顔を覗き込んでくる。あ、可愛いと思う。ほんとに剛は可愛い。子犬みたいにくりくりした目で無邪気にあたしを見ている。
「どうもこうもないよ、別に」
「それこそモーションかけろよ。亮の好きな奴って、もしかしたら由良かもよ?」
「ありえないし」
あえて仏頂面を作って言い返してやる。
なぜかこいつはあたしが亮を好きなことを知っている。誰にも言ったことはないし、それこそそんな素振りを見せた覚えはないのだが、こんな鈍い剛になぜばれているのか。謎だ。
放課後のこのプチデートで必ず立ち寄る場所がある。
交差点を渡った少し先の大きな木。その木の下の石段に彼は今日も歌っていた。
ギターを抱えて、彼は何か洋楽の歌を歌っていた。あたしには音楽のことはよくわからないが、彼はなかなかいい声をしてると思う。特に高温がきれい。
彼が歌い終わると聞いていた何人かの人が拍手を送り、彼は恥ずかしそうに笑った。そしてあたし達が来たことに気付くとにっこりと笑って手を振ってくる。剛がとなりで、同じくにっこり笑って手を振り返した。
「よう」
「こんちわっす」
「哲多、もうちょっと焼けたんじゃない?」
「ほとんど毎日ここ来てますからねー」
剛が楽しそうにくすくす笑う。哲多もつられたように笑う。
確かに哲多は水曜と土曜はいつもここにいる。きっとそれ以外の日もここにいるんだろう。
二つ年下の哲多とはこのあたりをぶらぶらするようになってよく顔を合わすようになり話をするようになり、今ではいつもここに立ち寄る。哲多は鼻筋がすっと通っていてすっきりとした顔をしていて、男前とまでは行かなくてもきれいな顔だと思う。
彼は歌手になりたいんです、と恥ずかしそうにあたしたちに話してくれた。それでも歌だけに人生を捧げてるわけじゃない。最近見かけないな、と思っていたら次に会った時に試験期間中だったんですなんていって笑ってたりする。というのは、「哲多」なんて彼の名前からもわかるように、彼の両親は彼に科学者か哲学者になって欲しいらしい。そこで、歌手を目指すのは高校生まで、大学に入るまでに芽が出なかったら諦めるという約束を両親と交わしているのだ。夢を叶えられなかったときにまともな仕事につけるようにまじめに勉強もしてるらしい。俺臆病だから逃げ道つくっておかないと怖いんです、と。
「由良さんは白いですね」
「それはどうも」
「あ、お世辞だと思ってるでしょ。マジで言ってるんですよぉ」
「どうかなー」
「俺はね、女の人に嘘ついたことないんです」
「またどっかの歌手の受け売りだろ、それ」
剛が楽しそうに哲多を覗き込む。
「…まあ、違うって言えばうそですね」
「そんなことしてるから彼女できないんだよ、哲多は」
「そりゃ剛さんくらいかっこよけりゃいくらでもできるでしょうけど?」
哲多は少し皮肉っぽく笑い、ね?とあたしに同意を求めてきた。もちろん冗談で言ってるのだが、剛が叶わない恋をずっと追い続けていることを知っているこっちとしてはなかなか痛い発言だ。結局適当に笑って流すことしかできなかった。
剛が笑う。哲多が笑う、あたしが笑う。日々は変わらずに流れてく。
「由良、体育館行かない?」
舞が少し躊躇いがちにあたしに言った。ああ、変わったなって思う。前までは…亮に告白して振られるまではこんな、少しおびえたような聞き方はしなかった。あたしの返事なんか聞かずに腕を引っ張っていくぐらいの勢いだったのに。
「いいよ」
「ありがとう」
安堵した表情で舞は言った。あたしは思わず舞から目をそらした。舞の笑顔は今にも壊れてしまいそうだった。それはかつての剛の笑顔によく似ていた。舞と亮が両思いだと思い、ひっそりと傷ついていた剛の笑顔に。
体育館の入り口にはいつもどおり人があふれていた。興奮したささやき声、うっとりとした表情。彼女たちのお目当ては一目瞭然、亮と剛だ。
うちの学校の二大イケメンは二人ともバスケ部に所属している。ファンの女子達は二地人の美しい(とファンの間では言われてる)コンビプレーを見ようとここに通いつめる。
美しいとかそんなくさいことを言うつもりはないけど、確かに彼らのコンビプレーは華麗だ。前に亮が言っていたことだが、「剛はいつもいて欲しい場所にいる」そうだ。こっちにパスすればいいと思えばそちらを見ずにパスしても、必ずそこに剛がいてボールをとってくれる。こちらは剛がいっていたことだが、「亮がボールを回したいところならわかる」らしい。要するに、二人は息がぴったりなのだ。
舞は群がる女子たちをちらりと見、すぐに目をそらした。その背中はとても小さく見えた。舞もつい最近まではあの中の一人だったのだ。
あの告白以来、舞はもう他のファンの子達に混じって亮たちを見なくなった。代わりに階段を上って上から体育館を、そしてその中の亮を見下ろして見つめるようになった。以前までのキラキラ表情とはまるで違う、悲しげな表情で。
今日も相変わらず、手すりに肘をついて舞はぼんやりと亮を眺めている。あたしはそっと舞の横顔を見た。失恋したばかりのときは目の下にクマを作り頬も少しこけていたように見えたが、今はそんなことはない。少しふっくらとした頬はつやつやと輝いている。ちょっと見ただけでは彼女が失恋の傷に苦しんでるなんてわからないだろう。現にクラスの女の子たちなんかはもうとっくに吹っ切れてると思ってるようだ。
四六時中暗い顔をしたり、ボーっとしてるわけじゃない。それでも、よく見てればまだ亮を好きなことぐらい一目瞭然だ。舞はまだ亮だけを見てる。いつもとなりにいてくれて、優しく見守っている剛には見向きもせずに。
下でわっと歓声が上がった。どうやら亮と剛のコンビプレーが炸裂したようだ。二人がハイタッチを交わしている。
と、剛がこちらを見上げ、あたしたちに気付いた。あたしが片手を上げてやると剛もにっこりと笑い手を振ってくる。そして、まだぼんやりとしている舞にも。舞はちょっとだけ笑って手を振り返す。
ちらりと亮を見ると、案の定の無表情だ。あたしに一瞬だけ舌を突き出し、すぐにぷいとそっぽを向いてしまった。
あたしはため息をついて手すりを掴んだままずるずると膝をついた。まったく。舞も亮も剛も、ちゃんと大事に思ってくれてる人がいるのにどうしてその人のことを見ようとしないんだろう。振り向いてくれない相手を追い続けるより、そのほうがずっと楽なのに。
もっとも、恋愛なんてそんな理屈じゃないとわかってるつもりだけど。それでもこの、なんとなく理不尽な感じに変な苛立ちを感じずにはいられない。そして、亮が相変わらず剛ばかりを見ていることへの嫉妬をおさえられない自分が嫌いだった。
2.To our contradiction
「チョーむかつく」
突然コギャルみたいなことを口走った亮を、あたしは思わずまじまじと見つめた。ジュースのストローをくわえたまま上目遣いで、というなんとなくマヌケなポーズで。当の本人はあたしには見向きもせず、目の前のポテトを親の敵といわんばかりににらんでいる。
今日は土曜日だ。普段なら剛とぶらぶらして帰る日なのだが、珍しく剛が少し強気に出た。なんと、このデートに舞を誘ったのだ。舞は一瞬きょとんとしていたが、特に嫌がることもなく承諾した。剛にしては大健闘だ。
だが、そんな剛の健闘を許さないヤツがいた。舞の席で舞と楽しそうに話している剛をぼんやりと見ていると、亮がつかつかと歩み寄ってきた。表情には出ていないが、それはそれは嫉妬全開だろう。そして、あたしに向かってこう言ったのだ。今日俺もついていくから、と。
もちろん、舞はものすごく動揺した。やっぱり行かない、と今にも言い出しそうな舞を剛が必死になだめ、あたしが説得し、結局四人で行くことになったのだ。
舞と亮は哲多と面識がない。だから哲多のところには行かないでおこうと剛には言ったが、これは表向きの理由ではなかった。ホントはこの中途半端に気まずいムードを哲多に見せるのは嫌だったし、彼も迷惑だろうと思ったからだ。もっとも、お人よしで鈍感な剛はまったく気付いていないようだったが。
そんな理由で、今日は哲多のところには行かず適当にぶらぶらし、一休みしにファーストフード店に入った。荷物を見る二人と注文しに行く二人にわけ、今は舞と剛が注文しに行っている。席に座りやれやれとジュースを飲もうとした途端の亮の第一声が「チョーむかつく」だったのだ。
「は?」
「だから、むかつくって」
「何が」
「わかるだろ?」
亮は横目でレジの方をにらんだ。目線を追っていくとそこには順番を待ちながら楽しそうに談笑する舞と剛がいた。どこからどう見てもカップルに見える。
「大体、なんでおまえが舞と組まないのさ」
ハンバーガーにかぶりつきながら亮は言った。どうやら、さっきあたしがじゃああたしたち先買ってくるよー、と亮の腕をひっぱて連れて行ったことをまだ根に持ってるらしい。
「だってさ。せっかく剛が、あの剛がだよ? 頑張って舞のこと誘ったのに亮までついてくるから微妙なムードになるし、ことあるたんびに邪魔しようとするし」
「だって恋敵だもん」
あたしは思わず顔を上げた。亮が怪訝にあたしを見返してくる。あわてて目をそらしながら一瞬跳ね上がった胸をそっとなだめる。
恋敵。亮にとっては舞がそうだ。だが、あたしにとっては剛だ。どす黒い嫉妬が喉にせり上がってくる。あたしはあわててそれをコーラといっしょに飲み下した。亮はほんとに、本当に剛が好きでしょうがないのだ。本当に剛以外は眼中にない。今までも、きっとこれからも。
「せっかく剛頑張ってんのにかわいそうじゃん。ちょっとはいい思いさせてやんないと」
何とか話を元に戻す。亮はつまらなさそうに肘をつきあたしの顔を覗き込んだ。思わずドキッとする。なんてきれいな顔だろう。中学のときからずっと見てきた顔。はじめは剛と同じく女の子みたいにかわいらしかった顔はだんだん男らしくなり、今じゃちょっと鬚なんかが見える。それでも、きれいな顔なのは昔から変わらない。
「俺はどうでもいいのかよ、俺は」
亮はぷいとそっぽを向いた。切れ長の瞳、高い鼻。ほんとにかっこいい。もちろん、だから好きになったわけじゃないけれど、それでもうっとりするくらいきれいな顔だ。
こんなにルックスに恵まれてて、運動神経もよくて、勉強だってそれなりにできて、ちょっと冷たいところもあるけど性格だって人並みにいい。これだけそろってれば恋には何一つ不自由ないはずなのに、彼の恋は満たされたことがない。なんだって彼は男なんかが好きなんだろう。熱い視線を向けてくる女の子たちは腐るほどいるのに。そして、あたしも……。
「…そんなにあたしじゃやなの?」
思わず口を突いた言葉に自分でも驚いた。亮があたしに目を向ける。彼もきょとんとした表情だった。やめろ、言うな。理性はそういってるのに、言葉は止まらない。
「ねぇ、そんなに剛がいいの? なんで剛なの? 亮のこと好きな人なんかいっぱいいるのに、なんで剛なの?」
「由良?」
亮が困惑してあたしを見ている。こんな顔の亮、ほとんど見たことないな。そんなことを頭の隅で思う。
「あ、あたしだって、亮が……」
やめろ、やめろ、やめろ。
亮は相変わらず困惑してあたしをじっと見ている。胸を引き裂きそうなくらい心臓が暴れまわっている。やめろ、言うな。あたしはごくりとつばを飲んだ。
あたしだって、亮が……
「…なーんてねっ!!」
その先に続いた言葉は、あたしが言いたかったこととはまるで違っていた。亮がきょとんする。
「何本気にしてんの? 冗談に決まってんじゃん、もう」
口が勝手に動く。自分が話しているとは思えなかった。誰かが話しているのを聞いているような気がする。亮がはーっ吐息をついて机に崩れ落ちた。
「なんだよー、脅かすなよ」
「本気にする亮が馬鹿なのよ」
そういいながらあたしは亮の背中をばしばし叩いた。痛いって、やめろよと亮があわてて逃げようとする。剛と舞がトレーを持って帰ってくる。なにやってんの? 剛がおかしそうに聞く。なんでもないよ、ちょっとからかってやっただけ。あたしが答える。もう、由良ってば悪ふざけばっかり。舞がくすくす笑う。
あたしもいっしょに笑いながら、今にもこぼれそうな涙を必死でこらえていた。
笑う、笑う、笑え、笑え、あたし……。
あたしは弱い。叶わない恋を引きずり続けるのは辛くて、でもその恋を諦めることもいっそ思いを告げてすっきりすることもできない。亮が剛をいとおしそうに見ているのをまっすぐ見ていることもできない。
亮も舞も剛も、皆強い。思いを告げることはできないけど、それでも剛が誰かのものになるのは我慢できなくて剛を他の女の子から遠ざけようとする亮。勇気を振り絞って告白して、その恋には破れたけど何とかそれを吹っ切ろうと頑張っている舞。舞が亮のことを好きだと知っていて、自分のことを見てくれるかもわからないのに傍にいてあげる剛。三人とも恋に臆病になりながらも頑張っている。
それに比べてあたしは、亮への気持ちをもてあまして剛に嫉妬して、でも舞のように告白もしない、ただずるずると気持ちを引きずっているただの臆病者だ。
昼間に勢いで告白しそうになったが、結局しなかった。いや、できなかった。人目が気になったとか舞に気を遣ったとか亮は剛が好きだからとか、そんなことは全部言い訳に過ぎなかった。たとえあの時亮と二人きりで舞は亮に告白してなくて亮は剛が好きなことを知らなかったとしても、きっと無理だっただろう。
舞が失恋したことも亮が剛を好きなことも、結局関係ないのだ。ただ亮に振られることが恐くて、あたしは前に進めない。
まだ五月だというのに体育館の中は蒸し風呂のようだった。ただじっと立ってるだけのあたしたちでもじっとりと汗をかいているのだから、中で動き回っている選手たちはもっと大変だろう。
今日は亮と剛のバスケットの試合だった。だから舞と二人、お弁当なんか抱えて応援に来たのだ。
うちの学校のバスケ部はなかなか強い。主戦力の亮と剛のコンビプレーは全国でも通用するレベルだ、と女子バスケ部の友達が言っていた。そういう彼女も亮のファンだ。まったく、この学校の何割の女の子が亮か剛に恋しているんだろう。
今日の試合も、相変わらず二人のコンビプレーが光った。亮が的確なパスを回し、剛はそれをしっかりキャッチする。激しいマークを抜けてまた亮にボールを回し、亮がシュートを決める。わっと大きな歓声が上がった(ファンの女の子たちが相変わらず大量に応援にきている)。
「由良っ、亮と剛すごいね!!」
「そうだね」
言ってから、あれっと思う。舞の様子が今までと違う。告白してからはこうして試合を見ていてもなんとなくぼんやりしていて、こんな風に飛び跳ねてはしゃぐようなことはなかった。だが、告白する前とも少し違う。以前は亮しか見ていなかった舞が、今日は剛を見ている。まあ、七対三ぐらいで亮を見ているほうが多いけど。
またゴールを決めて亮がガッツポーズをしながら叫ぶ。剛も顔全体で笑いながら亮とハイタッチを交わす。時には抱き合って喜び合う。
亮にとって、剛と抱き合うのはどんな気分なんだろう。肌のぬくもりに触れることができて嬉しい、というのもあるだろう。でも、それよりも剛が何も気にせずに無防備に抱きついてくることが悲しいんじゃないだろうか。自分は剛にとって幼馴染とか親友とか、本当にそれ以上のものではないんだと。舞の肩に触れることさえも躊躇いがちな剛を見て、亮は一体何を思うんだろう。
今日も亮と剛の大活躍でチームは大勝利を収めた。
「お疲れさまー」
舞がまずは亮に少し躊躇いがちに駆け寄り、タオルとスポーツドリンクを渡す。サンキュ、と亮が言い、舞も微笑み返す。そして今度は剛のところに駆け寄る。またあれ、と思う。今までは逆だったのだ。まずは剛のところに行き一言二言話したあとに亮のところに行き、今度は亮とゆっくりと話す。これが今までのパターンだった。でも、今日は違う。剛にタオルとドリンクを渡したあと、舞は楽しそうに剛と話している。
「すごかったよ」
「ありがと。でもさー、二本ぐらいミスあったんだよなー」
「え、うそ? 全然わかんなかったよ」
「いや、あれはダサかったな。うちのガッコの女の子たち笑ってるしさー、マジで恥ずかしかった」
「そんなことないよー。かっこよかったよ、剛」
舞の言葉に剛が見る見る赤くなる。自分で言ったくせに舞まで赤くなっている。
思わず顔がほころぶのがわかった。舞が変わり始めているのだ。今まで眼中になかった剛のことを意識し始めている。亮のことを吹っ切れるのも、そんなに先のことじゃないかもしれない。
よかった。純粋にそう思った。舞の苦しみが軽くなってよかった。剛の優しさが報われてよかった……。
亮は黙って二人を見ていた。あたしが亮の肩にぽんと手を置くと亮はすごく悔しそうな顔をしてあたしを見た。でもその目に少し安堵が映っていることぐらいわかった。ずっと亮のことを見てきたから。
「…お疲れ様」
亮はちらりとあたしを見てからくっと喉で笑った。口では舞がむかつく、なんていってるけど本当は亮も罪悪感でいっぱいだったんだ。自分の所為で傷ついて悲しんでる舞を見るのはきっと辛かったんだろう。剛が舞を好いているという点での気持ちは消えないだろうけど、舞が、久しぶりに舞が楽しそうに笑ってるのを見て安心したんだろう。
「…やっぱり、舞のほうが剛に合ってるんだよなぁ……」
亮がぽつんとつぶやいた。その横顔は今まで見たことないぐらい寂しげだった。
あたしたち四人の恋を実らせるには、誰かが恋に破れなくちゃいけない。その「誰か」が誰に成るかはわからない。やっぱり誰だって傷つくのも失恋するのも嫌だ。でも、好きな人には幸せになってもらいたい。今まさに、亮はその気持ちの中にいるんだろう。剛が誰かのものになるのは嫌だけど、剛が幸せならそれでいいんじゃないか? そんな矛盾の間であたしたちの心は揺れている。
「よかったじゃん、剛」
剛がてれたように笑う。宿題を見せてくれというから見せてやってるのにさっきから手は止まったままだ。まぁ、あたしが話しかけるからと言うのもあるが。
「努力が報われてきたじゃん」
「そんなのわかんないよ。たまたま昨日だけかもしれないし」
「なんでそうやって悲観的になるかなぁ」
「由良だって体外悲観的だよ」
「早くしないと昼休み終わるよ」
壁にかかった時計を見て、剛はあわてて手を動かし始める。話しかけて邪魔するのも悪いので別の人のところにでも行こうかと思ったが、舞はトイレにでも行ってるのか教室にいないし、亮は自分の席で机に突っ伏して寝ている。腹が膨れると眠くなる、といってご飯を食べたあとはいつもああして寝ているのだ。ちなみに、この寝顔もファンの間では非常に評判だ。ちょこちょこ写メなんかとられるのであまりゆっくり眠れないらしく、最近ではアイマスクなんかつけて寝ている。
「ね、剛」
急に後ろで声がしたので驚いて振り返ると舞がいた。どうやらあたしがボーっとしている間に教室に戻ってきていたようだ。剛は手を止めて顔を上げた。舞は少し照れくさそうに笑い、口を開いた。
「あのさ、色々ありがとね」
「え?」
剛がきょとんとして聞き返す。舞は照れ隠しか髪を指にくるくる巻きつけながら話しつづける。
「なんか、色々気遣ってくれてたでしょ。あの…ちょっと前から」
「ああ、まぁ、うん」
なんかいい感じじゃん、邪魔しちゃ悪いかなと思っていすから少しお尻を浮かすと、いつの間に起きたのか亮がじっとこっちを見ていた。アイマスクを鼻までずらしてただこっちを見ている。その目には嫉妬も怒りも浮かんでいなかった。
なんとなくタイミングを掴み損ねてまたいすに腰を下ろしたときだった。
「あ、亮!!」
あたしの横を舞がすっと通り過ぎていく。え? と思っている間に舞は亮の机に近づき、亮に話しかけた。
「あのさ、昨日の数学の宿題の五番教えてくれない?どうしてもわからなくて」
亮はただ驚いたように舞を見つめている。やがて、まだ戸惑いながらも机から体を起こし、宿題のテキストを開いた。舞がそのテキストを覗き込む。
振り返ってみると、剛はぼんやりと舞の後姿を見つめていた。真っ黒な瞳が揺れている。
「剛……?」
恐る恐る声をかけてみると、剛ははっと我に返ったようにあたしを見た。そしてもう一度舞を見、やがてかなり無理した感じで笑って見せた。
「由良、悪いんだけど次の授業気分悪いから休むって先生に言っといてもらえる?」
「え? 大丈夫……?」
「うん、平気平気。宿題ありがとね」
それだけ言うと剛は逃げるように教室から出て行ってしまった。追いかけようかどうかかなり迷ったが、今は一人にしてあげたほうがいいのかもしれない。それより、まずは舞だ。
あたしはまだ亮のところにいる舞に歩み寄った。亮は困惑した表情であたしを見る。
「舞」
舞が振り返るのと同時ぐらいにあたしは舞の腕を掴んだ。舞が驚くのもお構いなしに無理やり引っ張って教室から連れ出す。
「ちょっと、由良、どうしたの?」
「いいから」
「ちょっと、痛いってば……」
廊下の端まで来たところであたしはようやく舞を離した。ずっと掴まれていた腕をさすりながら舞は困惑したようにあたしを見る。
「剛に何言ったの?」
「え?」
「ねぇ、どうしたの? なんかちょっと舞変わったよね」
「ああ、うん……」
舞は少し戸惑ったようにうつむいたが、やがて少し照れたように話しはじめた。
「あたしね、諦めないことにした」
「え?」
「…やっぱり亮のこと好きだから。だから、もう一度頑張ろうと思ったの」
そういえば、さっき前は告白する前のように亮に甘えていた。最近ではまったくしなかったことだった。
「…それで、剛にはなに言ったの?」
「今言ったことと、あとお礼」
「お礼?」
「うん。剛、あたしが亮に振られてから気遣ってくれたから。ほんとにいい奴だなって思った」
胸を内側から引っ掻き回されているような気分だった。こんなことを舞から告げられた剛は、一体どんな気持ちだったんだろう。この一ヶ月ずっと傍にいても、自分は舞にとって「いいヤツ」以上にはなれなかったんだと思い知らされた剛は一体、どんな思いであたしに笑って見せたんだろう……。
「でも、さ」
最後の祈りとばかりにあたしは舞に問いかけた。
「昨日、なんか剛といい感じだったよね?」
「ああ。あれはね、ちゃんと確認しとこうと思ったの。昨日一日剛と一緒にいてみたの。亮より剛のこと好きになったほうが楽だろうし、剛ほんとにいい人だと思ったから。でも、やっぱり剛じゃだめだったの。剛といるのも楽しいけど、やっぱり亮といっしょにいるのとは全然違うから」
「そう……」
舞は自分がどれだけひどいことを言ってるのかわかってない。でも、それでも舞に怒りを感じたりはしなかった。舞は剛が自分のことを好きなことを知らないし、舞が亮のことを好きなのも仕方がないことなのだ。
仕方ないこと。剛もきっとわかってるはずだ。それでも頭では割り切れても心は無理だろう。また以前のように、亮と二人でいる舞を寂しげに見つめるんだろうか。あの壊れそうな笑顔を浮かべて……。
「ごめんね。変なこと聞いて」
「ううん。あたしもごめんね、なんかへこんだり急に立ち直ったり。迷惑だよね、由良にも剛にも」
「気にしないで」
「うん、ありがと」
舞がにっこりと微笑む。あたしはやっぱり、舞を憎めない。剛も大事だけど、舞も可愛い親友だから。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。舞はあわててあたしの手をとり走り出した。舞に引っ張られながら舞のふっくらとやわらかい手を、剛がどれだけ触れたいと願ったかわからないその手のぬくもりをただぼんやりと握り締めていた。
3.To your smile
電車に乗って、いつもどおりチョコを買って、それを全部食べ終えたぐらいで、ようやく剛の調子がいつもぐらいに戻ってきた。相変わらず少し元気はないが、それでもさっきまでのようにぼんやりとただ前を見つめているだけのようなことはなかった。
大丈夫?
そう一言言ってあげればいいのに、あたしにはそれができない。照れくさいとかそういうのもあるけど、一番の理由はあたしじゃ意味がないからだ。あたしが言ってあげても剛はきっと無理して笑って見せるだけだろう。癒しや救いにはならないのだ。
代わりにあたしは、他愛ないことをたくさん話した。普段の三倍ぐらいは話した気がする。授業のこと、昨日見たテレビのこと、芸能人の噂話、昨日家であったこと……。他のことに気をそらして笑わせることぐらいしかあたしにはできない。
亮はどうしてるだろう。そんなことがふっと頭をかすめた。剛を救ってやれないという点では亮も同じだ。いや、亮のほうがそうかもしれない。舞は剛よりも亮を選んだ。そんな亮に気にするなよ、とか、元気出せよ、とか、そんなこといわれたって逆に腹が立つだけだろう。
亮は今日の舞をどう思っただろう。剛を傷つけた舞を恨んでいるんだろうか。
もしそうだとしたら、なんて悲しい連鎖なんだろう。三人とも、ただ好きな人を想って追いかけてるだけなのに、それは周りの誰かを傷つけていく。
剛の顔を見たとき、哲多はふっと驚いた顔になった。驚いたというか、あれ?という顔だった。すぐにいつもどおり笑ったけど、きっと哲多は何かに気付いたんだろう。少し顔色が悪い剛、なんとなく気まずそうなあたし。まあ、何か違和感を感じても無理はないだろう。
「もうすぐ梅雨ですね」
「そうだな。早いなー、もうすぐ六月だもんな」
「剛さんたちはいいですよ。俺今年受験ですよ?」
「俺たちだって言ってる間に大学受験だよ」
「剛さんどこ受けるんですか?」
話しに盛り上がっている二人をよそ目にあたしは視線を感じてふっと歩道橋の上を見上げた。
歩道橋に肘をついて、若い女の人がこちらを見ていた。まだ五月なのに肩をむき出しにしたベアトップにミニスカートという寒そうな格好だ。その人は、ただこちらを見ていた。そういえば、何度かあの人を見たことがある。よくあそこで哲多が歌ってるのを見ているのだ。遠目にしか見たことはないが、なかなか美人な気がする。
「……良さんってば」
「え?」
はっと我に返る。剛がぷっとおかしそうに笑う。
「今の顔。すっげー間抜け面」
「うるさいな。何、哲多?」
「いや、由良さんはどこの大学受けるんですか?」
あたしはねー、と話し始めながらちらりと歩道橋の上を見る。いつの間にかあの女の人はいなくなっていた。
「ね、哲多、好きな子いないの?」
無意識のうちに話題を切り替えてしまった。剛はなんともいえない複雑な表情であたしを見、哲多は一瞬驚いたような顔をしたがやがて照れたように笑った。少しだけ頬が赤い。
「なんですか、急に」
「いや、まあ、気になってね。哲多ももう中三だしさぁ、もう彼女できてもおかしくないし」
さっきの女の人の所為だ。あの人の目は…あの目は、亮を見ている舞の目と同じだった。好きだけどどうしようもないって言うあの表情だ。
「んー……好きな子は、いるといえばいる、かな」
「え、マジで!?」
一気に剛が話題に食いつく。ますます赤くなりながら哲多は剛から顔を背けた。
「何々、どんな子?」
「話したこともない子ですよ。うち男子校だし」
「可愛い?」
哲多があたしを見る。そして剛を見る。剛は楽しそうにニコニコ笑いながら少し首をかしげた。哲多はうつむきながらぼそぼそといった。
「まあ……可愛い」
「んふふふふふ」
剛がおかしそうに身をよじって笑う。あたしはこの笑い方が好きだ。すごく楽しそうな、それでいて甘えた感じの可愛い笑顔。
剛の笑顔が好きだ。あの儚げな、壊れそうな笑顔はもう見たくない。でも、剛はこれから、一体何回あの悲しげな笑顔を浮かべるんだろう。亮に甘える舞の姿を、あと何回見つめるんだろう。
クレープ屋には女子高生があふれていた。甘いクリームの香り、女の子たちの香水、照れくさそうに話すカップル。この店にはいつも甘くやわらかい空気が流れている。
あたしはコーラを、剛はいつもどおりチョコバナナクレープ(剛は甘党だ)を注文して席に座った。
この店に来るのは試験前と雨の日だけだ。その日には哲多がいつもの場所にいないのだ。だから普段とは違う駅で降り、ここに来る。今日も直にテストがあるからここに勉強しに来たのだ。…というか、けして勉強が得意ではない剛のためにあたしが対策ノートを作ってやるのだ。
その間、剛はただボーっと待ってるわけじゃない。時々クレープにかぶりつきながら、彼はあたしの爪にマニキュアを塗ってくれる。あたしは化粧とかは好きじゃないが、マニキュアだけはなんとなくすきなのだ。でも、あたしは不器用だからすぐに変なところにはみ出たりむらができたりしてあまりきれいにならない。そんなあたしのために、手先が器用な剛がこうしてマニキュアを塗ってくれるのだ。
左手を塗ってる間はいいが、右手を塗ってる時にはノートはかけない。今剛は顔を少し横に向けて丁寧に人差し指の爪にピンクのネイルを塗っていた。
剛の顔を見ながらあたしはぼんやりと考えた。どうしてあたしは亮が好きなんだろう。どうして剛じゃなかったんだろう。剛を好きになっても辛いこともあっただろうけど、今ほどむちゃくちゃにこじれたことにはならなかった気がする。そして何より、剛ならまだ振り向いてくれるかもしれない。彼は亮とは違って、女の子が好きなんだから。
剛にこうしてマニキュアを塗ってもらうのも好きだ。のんびりとコーラを飲みながらこんな風にかいがいしくしてもらうのは、なかなかいい気持ちだ。嫌な人、なんて思うかもしれない。でも本当にそうなんだから仕方ない。普段満たされない分、こんな時ぐらい満たされたっていいじゃん。
「由良ぁー」
「え?」
いつの間にか全部の指にマニキュアを塗り終えた剛がこっちを見ていた。
「由良、最近ボーっとしすぎ」
「寝不足」
「試験勉強?」
「まぁね」
とっさに言い訳しながら氷が溶けて薄くなったコーラをすする。
「由良成績いいモンなぁ。うらやましい」
ため息をつきながら剛はクレープをかじる。唇についたクリームをなめとりながらノートを覗き込む剛は、相変わらず憎たらしいくらい可愛かった。
最近よく思う。いっそ、剛が女ならよかったのに。剛が女なら、亮のことを取られてもまだ諦めがついたのに。剛が女なら、こんなに可愛くてもまだ納得がいったのに。
剛が女なら、あたしたちの恋がひとつでも実ったかもしれないのに。
「あんたさ、最近調子乗ってない?」
目の周りをパンダのように真っ黒にした女の子たちがあたしを取り囲んでいる。学年でも派手なグループの子達だ。
「前からおもってたんだけどさー、亮くんと剛君とべたべたしすぎ」
またか。あたしは内心ため息をついた。ここに呼び出されたときから大体予想はついていた。あたしが亮と剛と仲がいいことが気に食わなくて妬いているのだ。中学のときから何度もあることなので、もう半分慣れっこになっていた。
「あんたさ、舞が振られたこと知ってんでしょ?それなのによく平気な顔してられるよね」
「てか、もしかしてその隙狙ってんの?」
「別に」
まったく、いい迷惑だ。せっかくの昼休み、舞とおしゃべりしたり剛に勉強を教えたり亮とワールドカップの話をしたり、やりたいことがたくさんあったのに。
亮と剛と長いこといっしょにいるからこんなことはちょくちょくあるのだが、舞は一度もこんな風に呼び出されたことはなかった。女の子同士の間でも「かわいい」というのは大きな武器なんだと改めて思い知らされる。
「もしかしてさ、あんた剛君と付き合ってんの?よく二人でぶらぶらしてんじゃん」
「うそでしょ?こんなブスが?」
はじけるような笑いが起こる。うんざりしながら女の子たちの間を通り抜けようとしたら、一人の子に腕を掴まれた。そのまま壁に背中を押し付けられる。鈍い痛みが走って、思わず彼女を睨み返した。
「もしかしてさぁ、もうやっちゃった?」
「キスマークでも付いてんじゃないのぉ?」
「確認してみるぅ?」
やばい、と思った時には遅かった。数人がかりで手足を押さえつけられる。一人の子が鼻歌交じりにあたしのブレザーのボタンをはずしてく。
「もしほんとにキスマークあったらどうする?」
「えー、その辺のおっさんとエンコーでもしたんじゃないの?」
ネクタイをするりと抜き取りながら爆笑する。何とかつかんでいる手を振り解こうともがいたけど、一人の力でかなうわけなかった。
「ちょっと、はなしてよ!!」
「うるさいよ」
「なんか見られたらやばいんじゃないのー?」
そんなことを言いながらもあたしのブラウスのボタンをはずしていく。おへそぐらいまでボタンをはずされ、中に着ているキャミソールがむき出しになっている。
「これぐらいならちぎれるよね?」
「いけるっしょ」
顔からさあっと血の気が引くのがわかった。やばい。これはやばい。
「さぁて、じゃあ拝見しまーす」
一人の子がキャミソールの両端に手をかけた、その瞬間だった。
突然彼女たちが悲鳴をあげた。あたしを押さえつけている子達が驚いたようにあわてて手を離す。膝の力が抜けてその場にぺたんと座り込む。なんだろうと思って彼女たちの目線を追うと、その先には亮がいた。あわててブラウスの前をかき合せる。
「なにやってんの?」
彼女たちをにらみながら亮が言った。氷のように冷たい声だった。
彼女たちは髪から水を滴らせながら気まずそうにに視線を泳がせている。バケツを持っているところを見ると、どうやら亮が彼女たちに水をかけたようだ。
「あのさぁ、俺こういうことするヤツ大嫌いなんだけど。なんか文句あんなら俺か剛にいえよ」
まるでつばを吐き捨てるような言い方だった。それだけ言うと、亮はあたしに歩み寄り、腕をつかんであたしを立たせた。あわてて片手でしっかりとブラウスを合わせる。
亮は彼女たちにもう一度冷たい視線をくれると、あたしを引っ張って歩き出した。
ネクタイを結びなおしながら、あたしはなんとなく亮の顔が見れなかった。もうとっくに五時間目は始まっている。屋上にはあたしたちのほかにもサボりと見られる生徒がちらほらいた。
さっきから亮は手すりに持たれて空を見上げている。茶色い髪が風にさらさらと揺れている。
やっぱりだめだ。あたしは思った。やっぱり亮が好きだ。剛じゃだめだ。どうして、と聞かれれば、多分答えられないと思う。でも、さっき助けてくれたのが亮じゃなくて剛だったら、きっとこんな気持ちにはならなかった。
「あの…亮」
亮が振り返る。
「ありがとね。助かった」
「いや。なんていうか、俺らといっしょにいるせいだし」
「別の亮たちのせいじゃないよ。嫌なら一緒にいないし」
亮が少し照れたように笑う。なんとなく照れくさくて、あたしもそっぽを向いた。
「あいつらなんて言ってた?」
「ん?ああ、たいしたことじゃないよ。なんか、剛と付き合ってるのかって」
「ふうん。くだんね」
やれやれと首を振り、亮はまた空を見上げた。あたしも隣に並んで空を見上げる。
突き抜けるような青い空。あまりにもきれいな空は、なんだか逆に怖かった
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2006/05/17(Wed)21:16:58 公開 / 渚
■この作品の著作権は渚さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです、渚です。色々とばたばたしていた時期が終わり、ようやくのんびりとし始めたので、じゃあ久しぶりに連載やろう!と思い立った今日この頃です^^;
といっても、この話はずいぶん前に投稿させて頂いた「永久論理」という短編をベースにしたものです。もしよろしければそちらも読んでみてください。「20050731」の過去ログにあります。
三話更新です。なんだかあせって荒削りな気がします;しかも由良をいじめる女の子がべたですね^^;
更新はゆっくりだとは思いますが、よろしければ最後までお付き合いお願いします。m(__)m